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間違いだらけの林栄一論 その1 その2 その3 その4 その5 その6



どうして林栄一の音に惹かれるのだろう。
ライブで林のサックスを聴く。
最初の一音を聴いただけで充分に満足し、あとの演奏を聴かずにこのまま帰ってもいいと思う時がある。
それだけ林の一音には、聴き手を納得させるだけの濃密さが凝縮されていると言えるだろう。

最近、ある音楽雑誌に掲載された林栄一の記事に思わず頷いてしまった。ライブ・レポートのその記事にはこうあった。
林栄一のライブには女性客がひとりで来ることが多く、グループやカップルはほとんど見かけないという。ひとりでやって来る女性客はじっと見つめ聴きいっている。
林の一音一音に込める思いを聴きにくる女性達は、私自身のようでもあるからだ。
記事はさらに、こうも書いている。
林の演奏は暖かみや激しさといった相反するものを内包する、と。

考えてみれば、相反するものは私達の日常に多く存在する。
私達は過激さだけをもって生きることはできず、かといって優しさのみをもって生きることもできない。
この相反する日常の中を、どちらともつかず生きていることを思うと、林栄一の音は、今、この現在を鋭く切り取っているのだとも言えそうである。
しかし、それだけではない。
日常の中で、私達はしばし二者択一の選択に迫られ、狼狽える。
そのどちらも選択できないからこそ、悩み考える。そして、二者択一ではない別の道を歩もうとする時、林栄一の音が心に沁みるのである。

などと、考えていると、やはり林栄一をこれからも聴き続けるのだろうと思う。

『間違いだらけの林栄一論』と題して、私の友人mr.sugiuraが原稿を寄せてくださいました。
皆様の『林論』もお待ちしております。どんな内容であっても結構です。だって、「間違いだらけ」なんですから。