熱鍼について

私が熱鍼療法を知ったのは、鍼灸学校時代の同僚であった久米建寿先生から教えて
いただいたのがきっかけです。
当時(40年前)私は脈診とそれに基づく経絡治療に
専念していましたので、それほど熱鍼を使っていませんでした。
しかし、熱鍼は熱くなく
気持ちが良いので小児はりと併用したり、鍼やお灸を怖がる患者さんに応用するように
なってきました。
理由はそれなりに効果があるからです。
この項では、熱鍼とその考案者である平田内蔵吉氏について解説します。



熱鍼の考案者平田蔵吉氏について
・1926年京都帝国大学哲学科卒業
・1926年 京都府立大学医学部入学。
 在学中に義母の胆石症が無痕灸(温熱瞬間療法)を受け約2週間で全治したことで
 鍼灸の道へ進む。この民間的療治が大学当局の忌諱に触れ卒業寸前に退学する。
・1927年 大日本温熱療法研究所に入所。
・1930年 独自の温熱療法である平田式心理療法(熱針術)を提唱し、後にヘッド帯を
 発展させ、東洋医学の経絡、経穴の比較検討により「平田式体表十二反応帯」を
 提唱。
・1945年、沖縄県大里村にて戦死。

     引用:久米建寿著(1995). 東洋医学の革命児 平田蔵吉の生涯と思想・詩 たにぐち書店
平田氏反応帯(人体12段区割反応帯)
熱鍼で刺激する部位として平田氏反応帯があります。一見するとヘッド帯と経絡に見えますが、平田氏はこの実験的根拠について残していません。しかし、間中喜雄先生が自身の臨床追試の中で平田氏の「領帯」が証明されたと記しています。躯幹を上から下まで十二の円筒状に分けて、その各ゾーンはそれぞれ別々に内蔵器官と関連し、障害があればそのゾーンに過敏の反応を現わす。また、頸、頭部、顔面、四肢にも十二反応帯があり、それぞれ相関している。この論文で間中先生は京大で昭和32年に学位を取得されています。

    引用:久米建寿著(1995). 東洋医学の革命児 平田蔵吉の生涯と思想・詩 たにぐち書店
   引用:間中喜雄著(2012).平田式熱針刺激療法 医道の日本社

発案当時の熱鍼
・熱鍼が心療法とあるのは、平田氏が京都帝国大学在学中に心理学を学んだことと関連しています。心理学の実験で用いる温点感覚検査器にヒントを得て熱鍼が生まれ、その治療にあたり患者の心理状態、ことに患者の感覚の状態を標準としたと説明しています.。
・昭和5年(1930)雑誌「主婦の友」に附録として付けられた熱鍼はアルコールさえあれば添付の石綿に染ませて治療できることで、爆発的人気を呼んだそうです。
・刺激の回数程度については、皮膚の刺激部位を1日に1、2ないし3回、1回100点から5600点くらいを限度とすると記されています。
久米建寿先生所有の熱鍼
久米先生が所持しておられる初代のアルコールを使う熱鍼と電熱式熱鍼です。
燃料はアルコールだけでなく艾(モグサ)も使われたそうです。


私が使用している熱鍼
熱鍼にはいろいろな機種がありますが、基本は同じです。メーカーにより皮膚の通電性により経穴を探索する装置を付けたり、良導絡の装置を付けたりしていましたが、現在はこれらの器械は販売されていません。最近は電池やLEDを使用したペン型の製品が販売されています。
当院では写真の器械を使用しています。小児にはローラー鍼を先端に取り付けたタイプのものを使います。小児鍼の応用です。
久米建寿先生と私  (向かって左側が久米先生)
熱鍼の初期の物をオークションで手に入れたので久米先生に披露した時の写真です。この写真を掲示してよいか、久米先生にお尋ねしたところ快諾していただけました。もうすぐ米寿(88歳)とのことです。「健寿」というお名前も米寿を願ってご両親が名付けたとのことでした。ますますのご健勝を祈念いたします。

2023/11/29