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万燈会 趣旨


御会式万燈会(おえしき まんとうえ)の趣旨

古来、万燈会は、日蓮大聖人の遺徳を讃えるための法要・御会式(おえしき)行事の一環として、行われていました。
それが、天明の大火(8年)によって、洛中が大焼けした時を境に、中止になっていました。
それが、平成7年(1995年)に207年ぶりに復活したものです。

法華宗は、鎌倉新仏教(民衆仏教化運動)の中では、最後のほうに生まれたので、当時は新興勢力でありました。
妙蓮寺は、日蓮大聖人の遺命を受けた日像聖人が京都で最初に建立した妙法蓮華寺を縁起としています。(1294年)
開宗以来、商家や芸術家といった現世を重視する人々に支持され、室町時代後期には、本阿弥光悦や絵師の尾形光琳、陶工の緒方乾山、絵師の長谷川等伯、絵師の狩野一族、茶碗の楽一族、塗り金工の後藤家など、また、堺の商人や京の豪商 茶屋四郎五郎など多くの豪商たちが、ことごとく法華宗徒であり、京都の町衆の7割が法華宗徒だったといわれています。当時の絢爛豪華な芸術運動は、こうした背景で生まれました。
三井家や住友家、天王寺屋などという町衆も、菩提寺は他宗であったにもかかわらず、現世での祈願・祈祷・商売繁盛など信仰は、法華宗の寺院を中心としており、彼らが建立した法華寺院は、数多く残されています。
法華宗の寺々は、民衆と共にあったため、洛中の大火が起きると類焼を繰り返したため、菩提寺に残したであろう、最高の作品も類焼してしまいました。

風景 妙法蓮華経の教えは、「仏教の根本に帰れ」ということにつきます。
より良い世の中を創造することであり、そのために菩薩の修行をして、改革を推進してゆくというものです。(この世に浄土を建設するというもの)
その仏陀の教えは、時空を超えて、わたしたち末法の時代のものたちに働きかけてきます。
その教えを感じ取ったものが地涌の菩薩(じゆのぼさつ)といわれ、ある意味、仏陀の直系であります。そこには、正しい教えを相続するものこそが、仏陀の後継者であるという自負があります。
日蓮大聖人は、われこそ、地涌の菩薩であるとの認識に立脚し、現実改革を推進されたのです。
当時は、飢饉や疫病が蔓延し、人生など考える余裕もないような世の中でした。特に、身分の低い階層の人々にとっては、この世での幸せを求めるより、あの世での浄土に期待する傾向が強かったのです。そのため、全国に浄土教が流行りました。
そんな世の中で、ものづくりをする職人や、絵描きや陶工などの芸術家、商売人たちは、生産性のない行為をしているように蔑まれました。
江戸時代でも商売人は、士農工商の身分制度の一番下にランクされていることでもわかるように、人のものを右から左に動かすことによって、利鞘を儲ける商売は、蔑まれたのです。
そのような階層の人々の心に響いたのが、法華宗の教え・浄土建設のための現実改革だったのです。「現世から逃げるなかれ!」
商売人は、その儲けたお金を何に投資するか、その目的によっては、仏の御心に沿ったことができる。それも、大きな財力があるから、立派なものでも建設できるのです。
また、芸術家やものづくりをする人々も、その才能によって、この世を絢爛豪華な飾りや荘厳で満たすことは、浄土を表現することに近いのです。そして、より住みよい世の中、美しい世の中を建設するために不可欠な才能と財力を備えていたのです。
法華宗は、彼等に、「卑下することはない。その才能で、浄土を荘厳するような作品を作り出したり、生活が向上するようなものをつくること。流通で儲けた財力を使って、絢爛豪華な建築物を建てたり、心を癒すようなものを建てたり、とにかく、人々がこの世に対して希望の光をもてるような活動につぎ込めば、それは、仏の御心に沿ったものになる」と説いたのです。
徹底的な現実肯定と、現実改革へのいざないであったのです。
長い戦国時代が終わる頃、豊臣秀吉や徳川家康の時代を安土桃山時代ともいいますが、法華文化が一度に花開いた時期でもありました。
京都の文化博物館には、その当時、祇園祭を復活したのは法華宗徒であったと展示されています。
このように法華宗と芸術家とは、因縁深いものがあります。
その縁を大切にし、西陣というものづくりの地で、再び、芸術と地域と宗教の融合を目指し、努力する次第です。
皆様のご協力、ご支援をお願い申し上げます。
ここに白麻紙をお送りいたします。
薄謝しか用意しておりませんが、何卒、ご奉納お願い申し上げます。
毎年、妙蓮寺のほうから、お願いしている先生以外にも、趣旨に賛同していただける方があれば、ご一報願います。




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