妙蓮寺鐘楼について 工学博士 桜井敏雄(1982年寄稿)
妙蓮寺鐘楼は国の重要文化財に指定されていないけれども、様式的にみて江戸時代初期に
建立されたもので、全国的にみても数少ない本格的な袴腰鐘楼で日本建築史上、江戸時代を
代表する貴重な遺構である。鐘楼の建立年代については明らかではないが全体の形態と細部の手法、意匠から江戸初期 のものと推定される。 桁行二間、梁間二間、入母屋造本瓦葺で平に扉を設ける。 石造基壇上に建ち、袴腰上端に接して台輪を置き、禅宗様三手先組物を重ねて刎高欄つき の廻縁を支え、中備に蓑束と上に捨斗をおく。 柱は総円柱で上端に粽をつけ、内法、腰、下長押を打ち、頭貫を通し先端を木鼻として台輪 で固め、内法、腰長押間の各間に和様の連子窓をはめる。軒下組物も禅宗樣三手先であるが 軒支輪(他は小天井)、尾垂木、拳鼻つきとしている。軒は二間繁垂木で六枝掛、隅で尾垂 木二本を入れて隅木持送りに彫刻入り手挟をはめ、飛檐隅木先端に雨覆いをのせる。 屋根は本瓦葺で大きく、大棟、降棟、隅降棟に夫夫鳥衾つき鬼瓦を置く。 妻飾は虹梁大瓶束で拝みに三花懸魚を飾る。 このように本格的手法になる丁寧な造りの鐘楼であるが、江戸時代の好みに合わせて屋根 を大きくし、しかも腰組が三手先であるためまとまりは袴腰部分に比して上部が大きくなり、 稍不安定な反面、全体として重厚感を与えるのは工匠の非凡な能力を示すものであろう。 細部を見ると、腰組の蓑束や頭貫木鼻、軒組拳組や隅木上の持送りなどの絵樣、彫刻等は、 すべて江戸時代初期の年代的特色をよく現している。肘木は和様の曲線を示し、廻縁は木口 縁を擬している。軒組の小壁を連子に造る例は珍しいが、大徳寺鐘楼(慶長十四年〈1609〉 建立ー重要文化財)に類例がある。全体として和様と禅宗樣の二つの様式が巧みに折衷され ており、斗共や連子で垂直感を出しながら、重厚な軒廻りと長押、台輪、頭貫、高欄、廻縁 などの水平材によってこれを押さえて調和を保ち、優秀な鐘楼建築である。 なお、京都府下に現存する重要文化財指定の袴腰鐘楼は、前述の大徳寺のものの他には、 東福寺鐘楼(室町時代中期)、仁和寺鐘楼(江戸時代初期)、酬恩庵鐘楼(江戸時代初期) の三棟があるのみであり、これをもつて妙蓮寺鐘楼の重要性が確認されよう。
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