ここでは、ミョウレンジャーを考える時にそのモデルになった神様の紹介をしています。

※説明文の内容はどの宗教、どの宗派が優れているとかそういった事ではなく、
学術的に見て、どこの国で生まれた神様なのか、宗教や宗派ごとの祀り方や信仰の違いを
単純に対比させる形で解説しているもので、改宗や勧誘、その他営利目的のものではありません。

布袋尊

布袋様は
中国に実在したとされる禅宗のお坊さんです。

大きなお腹をされていて、
いつも布の袋を背負っていたので
布袋さんと呼ばれるようになったそうで
本名は、釈契此(しゃくかいし)さんなのだそうです。

布袋様は特定のお寺には住むことがなく、
ほうぼうを放浪されていたそうです。
お坊さんであるにもかかわらず、
生臭ものであっても構わず施しを受け
それらを袋に入れていたといいます。

雪の日に野宿をして路傍に寝ていた
布袋様自身や彼の周りにだけ不思議と雪が積もらなかったという逸話も残っています。

法華宗の神様ではありませんが
円常院さんにもお祀りされています。

大黒天

大黒様は天部と言われる仏教の守護神達の一神で、
元々はヒンドゥー教のシヴァ神の憤怒の化身であるマハーカーラという神様です。
マハーは「偉大な」、カーラは「暗黒」を意味し、「大暗黒天」とも呼ばれます。
青黒い身体に憤怒の表情をした神様だそうです。

大黒天は、仏教では破壊と豊穣の神として信仰され後に豊穣の面が残り
食物・財福を司る神様になりました。
神道では大黒が大国とも読めるために国津神である大国主と混同され、
習合して信仰されています。

大国主が素盞嗚尊の計略によって焼き殺されそうになった時に
鼠が助けたという説話から、鼠が大黒天の使いであるとされているそうです。

法華宗では、日蓮上人が自ら彫ったといわれている大黒天が伝わっており、
鬼子母神とともに大切に本堂にお祀りされています。

真言宗ではロ奄 摩賀迦羅野 莎訶(オン・マカキャラヤ・ソワカ)と唱えます。
ロ奄と省略せず最初に曩莫 三曼多 没駄喃(ノウマク・サンマンダ・ボダナン)
と唱える場合もあります。

ゑびす様

ゑびす様は仏教の神様ではなく日本の民俗信仰の神様で、
もともとは外海からやってきた人を指す言葉だそうです。
漢字では夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などと書きます。
伊邪那岐、伊邪那美の最初の子供であった蛭子命
もしくは大国主命(大黒様)の子である事代主神とされることが多いようです。
そのため同じゑびす様を祀る神社であっても場所によって御祭神は
異なっているそうです。

海の向こうからやってくる水の神様として漁師さんたちの間で信仰を集めていました。

四国や隠岐などでは漁業に使う網の浮きに神様が宿り正月などにお祭をする行事が
あるそうですが、その浮きのことを“ゑびすあば”と呼んでいるらしいです。
また、九州南部には漁期の初めに海中からゑびす様の御神体とするための
石を拾ってくるという風習があるそうです。

毘沙門天

毘沙門様は天部と言われる仏教の守護神達の一神で、
多聞天として持国天、増長天広目天と共に四天王の一尊に数えられる
戦の神様でもあります。中国の武将のような甲冑を身につけ手には矛と
宝塔を持ち、天邪鬼を足で踏みつけにしている姿で描かれることが多いようです。

インドではクベーラという財宝の神様とされ戦の神様ではありませんでしたが
中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の
一尊である武神・守護神とされるようになりました。帝釈天の配下として、
仏の住む世界を支える須弥山の北方を守護するとされています。

真言宗ではロ奄 味室羅摩拏野 莎訶(オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ)と唱えます。
ロ奄と省略せず最初に曩莫 三曼多 没駄喃(ノウマク・サンマンダ・ボダナン)
と唱える場合もあります。

鍾馗様

鍾馗様はもともとは道教の神様ですが日本で民俗信仰の対象とされています。
疱瘡除けや学業成就に効があるとされ端午の節句に絵や人形を奉納したりします。
また、鍾馗様の図像は魔よけの効験があるとされていて旗、屏風、掛け軸として
飾ったり、京都では屋根の上に鍾馗様の像を載せたりもします。

鍾馗様は中国に実在したとされる人物で官人になろうと志し科挙に臨みますが
受験に失敗したショックで宮中で自ら命を絶ってしまいます。
それからしばらくして唐の玄宗皇帝が謎の熱病にかかり床に伏せられました。

玄宗皇帝は高熱を出し悪夢にうなされます。その夢の中で、
宮廷内で虚耗と名乗る小鬼が暴れまわって皇帝のお妃である楊貴妃の
繍香袋と玉笛を盗み去ろうとするので玄宗皇帝は困り果てていました。
そこへどこからともなく大鬼が現れて小鬼を難なく捕らえて食べてしまいました。
玄宗皇帝が大鬼に正体を尋ねると
「自分は終南県出身の鍾馗である。武徳年間に官吏になるため科挙を受験したが
 落第しそのことを恥じて宮中で自殺した。だが時の高祖皇帝は自分を手厚く
 葬ってくれたのでその恩に報いるためにやってきた」と告げたそうです。

夢から覚めた玄宗皇帝は、自分の病気が治っていることに気付きます。
感じ入った玄宗皇帝は著名な画家の呉道玄に命じ鍾馗様の絵姿を
描かせました。その絵はなんと玄宗皇帝が夢で見たそのままの姿だったのです。
玄宗皇帝は鍾馗様の絵姿には邪気を祓う効力があるとし世の中に広めさせたそうです。

法華宗の神様ではありませんが円常院さんにもお祀りされています。

弁才天

弁天様は天部と言われる仏教の守護神達の一神で、
もともとはヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが
仏教に取り込まれたものであるとされます。
日本では仏教だけでなく神道の神様でもあります。

サラスヴァティーとはサンスクリットで『聖なる河』という意味を表す言葉で、
本来はインドの川の神様だったそうですが、川の流れる音が
あまりにも美しい音色だったために音楽の神様とされ今では福徳や学芸の神様として
幅広い信仰を集めておられます。

真言宗ではロ奄 薩ロ羅娑ロ縛底 卑 莎訶(オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ)と唱えます。
ロ奄と省略せず最初に曩莫 三曼多 没駄喃(ノウマク・サンマンダ・ボダナン)
と唱える場合もあります。