「こっちを向いて」


 「お邪魔しても良いですか?」
「クリフトさん」
「クリフトで結構ですよ。他人行儀は無しです」

 穏やかな声掛けに顔を上げると、そこには声と同じ笑顔。勇者の紫瞳には警戒の色が浮かび、膝を抱える腕に力が入る。

 「これを…… うちの姫様があなたにと」

 クリフトは紫の穂状の花と、白い花の花を差し出した。

 「これをあなたに渡して欲しいと仰せ付かってきました」
「花を俺に?」
「花というか、花言葉をですね。紫色の花はラベンダー、 花言葉は『あなたを待っています』 白い花はカミツレ、花言葉は 『逆境に負けないで、親交』」

 花言葉にも勇者の愁眉は開かない。反対に沈むばかり。

 「あなたに起こった不幸な事件は、モンバーバラ姉妹から伺いました。それで、うちの姫様はあなたと共通する部分にいたく心を痛められましてね」

 クリフトの言葉に勇者は不思議そうに小首を傾げる。

 「うちの姫様も父王や家族同然の城の者達を封じられました。たまたま外に出ていた姫様と私、ブライ殿だけが残されました。その元凶はあなたと同じ。姫様には私やブライ殿がおりますが、 あなたは一人。道中、色々と辛い目に遭ったのではないかと」
「……」
「その所為か、我々に充分に心を開いて下さってはいない」

 勇者が力無く顔を伏せると、クリフトはあたふたと慌てて言葉を継ぎ足す。

 「いや! 私もうちの姫様も責めるつもりは全くないんですよ!  逆境に負けず、我々を信じてと欲しいと願っているだけでして!  それは私も他の方々も同じ気持ちなんですよ」

 冷静沈着な青年神官の狼狽に、勇者の肩の線が崩れる。

 「ただのがさつな、武闘派のお姫様かと思ってた。こんな繊細な気配りが出来るとは思ってもみなかったよ」
「うちの姫様は優しいお方ですよ。花は亡くなったお妃様の影響で育てるのも、愛でるのもお好きなんですよ」
「お姫様は母親がいないのか?」

 思いもしない話だったのか、勇者の身が身を乗り出した。

 「病弱な方でお若くしてお亡くなりになりました。姫様の健康を案じた王が身体を鍛えるためにと嗜ませてみた武道が……」
「徒になったってか? それは傑作だな」

 軽快に打たれた膝の音にクリフトは微笑んだ。

 「ああ、ようやく笑ってくれましたね」
「え? あ…… いや、その」
「クリフト! 姫様を話のネタに使う奴がおるか!」
「ブライ殿? ああ、痛いですっ! 痛いですって!」
「黙って聞いておれば、うちの姫様、うちの姫様と連呼しおってからに! 姫様はお前なんぞの私物ではないわ!」

 クリフトの後頭部を小突いて来たのは白髪白髭の老人。 ブライはクリフトを押し退け、勇者の顔を覗き込んで来た。

 「勇者殿、しばらくゆっくり眠っておられぬであろう? これでも飲んで、落ち着かれて休まれると良い」

 ブライが差し出したのは、ゆったりとした香りの湯気の立つマグカップ。それを興味津々で覗く顔は、今迄の頑なさの和らいだ年相応のもの。

 「……これは?」
「その花々をお茶にしたものじゃ。鎮静作用でゆっくりと眠れる。勇者殿は眠っておられぬから調子が出ぬのだよ」
「そうなのかな?」
「お爺ちゃん、違うわ。こういう時はぱぁっと飲んで憂さを晴らすのが一番なのよ。勇者君、いける口なんでしょ?」
「姉さんっ! はしたないっ!」

 ブライの背後から現れたのは褐色の美女二人。素晴らしい肢体を惜しげもなく晒して陽気な美女が姉、マーニャ。その正反対の物静かで理知的な眼差しの楚々とした美女が妹、ミネア。

 マーニャは艶めかしく勇者に寄り掛かりつつカップを取り上げた。そして、勇者の片頬をしなやかな指で突っつく。

 「そうやって下向いてばかりだと幸運の女神の前髪を掴み取れないわよぉ。幸運は陽気な人に擦り寄って来るものなのよ。さあ、笑いなさい。どーんと明るく、にっぱりと大胆に。ほらほら」

 マーニャは艶やかな微笑みを浮かべて勇者に顔を寄せた。その心の奥を探るような上目遣いとぽってりとした紅い唇の動きとが相まって、その色香は匂い立たんばかり。

 「姉さんは陽気すぎて幸運が逃げ出すって言ってるでしょ!  勇者様も困ってらっしゃるじゃないの!」
「あんたはいつも真面目で…… 人生、つまらなくない?」

 マーニャの首を掴み、子猫のように引き戻したのはミネア。

 「ご心配なく。私は私の道を精一杯生きてますから。つまらないことなんて何もありませんの」
「んもぉ~ 堅物って嫌ね」
「姉さんの嫌味は世間一般に訳すと最大の誉め言葉なのよ」
「んまっ!」

 姦しい姉妹喧嘩に勇者が目を丸くする。が、その目にはやんわりとしたものが生まれていた。

 「勇者殿、我が輩達はあなたに導かれ従う者。一人で悩まずに我が輩達にも話していただけると嬉しいのですが」

 そっと勇者の肩口に添えられてきたのは無骨な手だった。視線を巡らせると屈強な筋肉の男が微笑んでいた。身体のあちこちにある大小様々な傷跡からは彼の率直な男気が溢れている。歴戦の戦士、ライアンだった。

 「我が輩達でも力になれるようであれば、遠慮なく持ち掛けて下さい。我々は労は惜しみません故に」
「そうそう、一人でうじうじしてたって何も良いことはないわよぉ。こういう時こそ、ぱあっと陽気に騒ぐに限るの」
「姉さんっ! そろそろお黙りっ!」
「そういうことでしたら、これを皆様でどうでしょう?」
「わぁお! トルネコのおじさん、話わっかるぅ~」

 現れたのは小太りの男。手には酒瓶とつまみの品々。

 「御老公がお茶を淹れてらっしゃる時にお話を伺いましてね。これは、と思って引っ張り出してきたんですよ」
「さすが世界を股に掛ける大商人! 気の回しが絶妙だわ。 素敵! 素敵すぎるわ!」
「珠玉の舞姫に誉められると嬉しいものですなぁ。では、ここは おひとつ! さあ、さあ! 楽しくやりましょう」

 トルネコの人懐っこい笑顔と軽快な口調は、雰囲気を和やかなものにあっと言う間に変えてしまっていた。

 「そうとなれば兄さん達にお爺ちゃん! 動く、動く!」
「え? 私達がですか?」
「そうよぉ。それとも何? この私にしろと?」
「そんなつもりは…… ねぇ? ブライ殿。ライアン殿」
「……うむ。まあ、のぉ……」
「ですな。麗しい女御のお達しとあれば喜んで」
「じゃあ、決まりね。早く、早く~」

 騒ぐ一同を背にミネアは勇者の前に跪き、その手を取った。

 「今の皆さんの言葉は心からの言葉です。どうか、それだけは疑わないで下さいね。私達はあなたのことを待っています」
「我が輩もこの剣と名にかけて。誠心誠意尽くします故に」
「うん…… ありがとう。心配掛けて、ごめん」

 俯き返す勇者の顔には、肩の力が抜けた穏やかさがあった。

 「ほらほら、姫様。そんな隠れて突っ立ってないのっ!」
「あ、あの…… えっと、その…… 私」
「そこの朴念仁っ! さっさと大事なお姫様を連れてらっしゃい!  無下に放っておくんじゃないわよぉ。ほんっとにもう、どーしてあんたはそう頭が硬いんだか…… ほら、ほら! 早く、早く!」
「は、はいっ!」
「全く! ぼやぼやしてると、どこぞの馬の骨にかっ攫われても知らないからね。後でどんなに泣いても遅いのよぉ」
「姫様! こちらにどうぞ!」

 やがて、クリフトに手を引っ張られたアリーナ姫が勇者の前へと来た。勇者は手にした花束を軽く掲げ、クリフトの陰に半分隠れて立つアリーナに笑い掛ける。

 「お姫さん。ありがとな。これ、俺の故郷にも咲いてた花だよ」
「あの……」
「お陰で皆とも話が出来た。ありがとう、元気出てきたよ」

 勇者の言葉と笑顔に、アリーナの表情がたちまちに輝き出した。

 「良かったぁ! クリフト、やったねっ! やったわ!」
「良かったですね、姫様」
「うん!」

 アリーナがクリフトの腕に掴まり、ぴょんぴょんと元気よく跳び 跳ねた。亜麻色の綺麗な巻き毛も同じ幅で跳ね、独特の三角帽がその勢いに耐え切れずに転げ落ちた。

 勇者はそれに手を伸ばした。今まで鉛のように重たかった身体と心が嘘のように軽く温かい。

 「はい、お姫さん。大事な帽子なんだろ?」
「ありがと、勇者君。これからもみんなで頑張ろうね!」
「ああ」
「では、みんなの所へ行きましょうか」
「行こ、勇者君」

 差し出された二人の手を勇者はしっかりと掴んだ。そして、 仲間達の輪の方へと踏み出して行った。