私にとってアクセサリーと言えばウイングロックである。ウイングロック以外を身につけることを考えられないほど、特別な存在である。

私とウイングロックの出会いは1999年の話だ。当時は大学4年生、世間の学生同様にブラブラと就職活動中だった。その日は神戸市に拠点を置く某社の面接に行くため三宮に行った。京都に住んでいると大阪まではよく出かけるが、神戸となるとあまり行く機会もない。せっかく神戸まで来たのだからと高架下をブラついてたら高架下らしい、数人入れば満員になりそうな小さなショップがあった。そこがウイングロックだった。


当時はシルバーアクセと言えば、世はクロムハーツ・ブーム。大学の友人に付き合ってアローズに見に行ったりもしたが、正直、私はあまり心をひかれなかったし、オマケに似合わなかった。
高架下のショップにフラっと入ると、一見強面で、しかしとても丁寧な店員のTさんが対応してくれた。そこにはシンプルながらも実に心惹かれるネイティブアメリカン・ジュエリーが沢山あった。

しかしその当時、ウイングロックのジュエリーは、ショップにある物は全てサンプルであり、全商品がオーダー品である。手元に届くまで、その頃で半年ほどかかった。それを聞いて最初は驚いたが、地銀探しから始まって、一人で全作業をこなすシップロックこと、リキさんの話を聞く内にすっかりとウイングロックのモノづくりに共感し、「もう何年でも待ちますのでお願いします」とすっかりその気になっていた。

それから8ヶ月後、「お待たせしてすいません」とジュエリーが仕上がった旨の連絡があった。ちょうど友人達と神戸で開催された『リーバイスの歴史展』に行った(展示されていた507は美しい色落ちだった)ので、その帰りにウイングロックへ立ち寄った。

実に素晴らしい仕上がりで、私のためにこのジュエリーは生まれてきたのかと思うとなんだかとても嬉しく、その瞬間から身に着けて帰った。

それからウイングロックの魅力にハマり、リングやバングル、ピアス等もオーダーした。どれも8〜12ヶ月待ったが、逆に全てのオーダーが仕上がってしまった時は、嬉しさと共に何とも言えない寂しさがあった。

後日、ウイングロックへ行くと店頭からサンプルが消えていた。その時にウイングロックのデザイナーであり、制作者であるリキさんが体調を崩され、新作のオーダーを受けられなくなったことを聞いた。ウイングロックはその時点で1000点以上の受注残があり、リキさんの体調をみながら一日に数点ずつ製作していくとのことだった。

『未だにわからないことばかりだよ。でも1年目なら1年目なりの、8年目なら8年目なりのものをつくりたい。その時に僕がつくれる最高のジュエリーをお客さんに渡してあげたいんだ』
(シップロック・リキ:『クロムハーツのすべて』BOON EXTRA;祥伝社.1998.P40.)


あれから数年が経ち、神戸のウイングロックでは以前のようにオーダーは出来ないが、またリキさんのハンドクラフトのレザー・アイテムやジュエリーが並んでいる。そして店頭や雑誌などで精力的な新作を目にすることができる。

ウイングロックのファンとして、これ以上嬉しいことはない。


タガネに宿る、ハンドメイドへのコダワリ。