桜の枝には若葉が宿り、花見客も一段落した今日この頃。すっかりぶらぶら気分の季節です。いい天気なんで散歩がてらにぶらぶらして昼メシに『やまたか』で鮨でも食べようとO氏と出掛けます。が、「本日休業」のカンバン(泣)うぅ、我ながらなんと間の悪い。カフェメシもいいんですが、ちょっと今日はしっかりメシの気分だったので適当にぶらぶらすると何やら脱力感溢れる『kunel』のカンバンを発見します。うぅむ、このカンバンがたまらんなぁ。っと言うワケで昼メシ決定。料理もサービスもホントに素晴らしくて、二人して大満足でした。

あまりにも食べ過ぎたので陽光の中、鴨川を歩きます。春感じさせる日差しと空の青さがサイコーです。日によっては憎らしい愛らしいカップルで埋められることもありますが、春先の鴨川はやっぱり気持ちいい!!そのまま三条から四条まで鴨川と共に下り、四条大橋を経て東大谷参道から東山へ入ります。観光客と共に二年坂を歩きますが、目指すは高台寺でも清水寺でもなく、正法寺。

この前、京都市内の地図を見ていると護国神社(坂本龍馬や木戸孝允、中岡慎太郎の墓を祀る神社です)のさらに東に正法寺って言う寺院が載っていたんですね。場所は東山のど真ん中なのに、名前も聞いたことがない。しかも護国神社よりも高台にあるなら、きっと眺望は抜群なハズ。旨い昼メシと陽光に気を良くした我々の前に現れたのは…まるで古いスポ根マンガに登場しそうな石段!!うぅ、100段(正確には115段)くらいあるんじゃねーかと愚痴りながら登ります。半分ほど登って後ろを見れば、八坂の塔が丁度茂った木々の間に姿を現します。これは全部登れば絶景に違いない!!「O氏と頂上に登りきるまでは決して後ろを見るまいて」と誓いながらまた足元を見ながらえっちらおっちら(笑)



やっと登り切って正法寺に辿り着きます。歴史を感じさせる門をくぐって入ると、近隣の名高い観光寺院とは打って代わって秘境感溢れる光景。立札を見れば最澄が建立した延暦寺の別院で往事は三十三寺、四十二棟を有する大寺院だったそうですが、今では本堂と書院を残す小さな寺院に。デジカメのシャッター音が聞こえたのか、「どうぞこちらへ」と住職の細君に促されるまま書院の庭に通されれば、そこは京都市内を一望できる絶景の庭!!書院の縁側に座りながらほうじ茶を戴き、しばし京の景色に話題を咲かせながら暖かな春風と陽光の中、浮き世離れした時間を楽しみました。のんびりした時間を過ごしているとO氏が「小腹が空いたぞ」といつもの台詞を口にします。この野郎には風情というモノが存在しません(笑)

清水の坂を下り、五条大橋へ。五条の橋と言えば、京の都で1000本の太刀求めて武者と対峙を繰り返した剛力無双の怪僧・武蔵坊弁慶。その弁慶が牛若丸こと源義経から1000本目の太刀を奪おうと挑むものの、牛若丸は鞍馬天狗仕込みの剣術で逆に弁慶を打ち負かし、弁慶は牛若丸の家来になった、と言う物語の舞台です。

弁慶は牛若丸が元服し、源義経と成った後も忠誠を尽くし、源平合戦から義経の最期となる奥州まで仕えたそうです。『弁慶の泣き所』と言う諺があったり、歌舞伎の『勧進帳』等、悲劇の若武者・義経を支えた名脇役の存在は日本人の心に深く刻まれた存在でもあります。ただこの話には若干のオチがあって、牛若丸が弁慶を打ち負かしたのは五条大橋ではなく、北へ数百m登った松原橋のことなんですね。

橋を現在の五条大橋に架け替えたのは天正時代の豊臣秀吉でしたが、物語の舞台が松原から五条の橋に変わったのは明治33年。文部省唱歌の歌詞で『京の五条の橋の上♪』と唱われたことから、牛若丸と弁慶の出会いの地は五条大橋になったそうです。余談が長くなりましたが、O氏の空腹を癒やすべく『efish』で一休み。春の休日をのんびりと締めくくりました。

(05.04.16)
春にして、京を歩く。