『特に赤タグはこのようなケースでなければ手がけることの出来ない重要なディティールですからね。ルーペを使ってLeeロゴやネームを織り出している糸の本数まで数えたんですよ』(安井篤,BOON編集部:BOON EXTRA『DENIMEディティールの書』;祥伝社.1996.P94)

上記は96年にLeeとマッコイの共同企画で復刻されたLee101のブランドタグ、いわゆる『赤タグ』の試織の際の談話だ。

発売後はマッコイファンだけでなく、多くのデニムフリークの注目を集め、101は瞬く間に完売した。ちなみに、ウエストサイズが27インチの私(当時、発売された101のサイズは28インチからだった)は試着をするもサイズが合わず、敢え無く断念した。

赤タグの織糸の本数など、おそらくマニア以外には理解されないディティールにも徹底的にコダわる。そんな熱い男達が創り上げたザ・リアルマッコイズ。ジーンズよりもフライトジャケットで有名なブランドであり、私はL2-A(例のナイトロフェードモデル)とN-1を持つに過ぎない一般ユーザーだが、A-2を愛する人々にとってマッコイは特別な響きを持っている。

そんなマッコイが安井篤氏を中心として97年にデニムラインをリニューアル、ジョー・マッコイとして我々の前に登場した時のインパクトは強烈だった。東洋エンタープライズでシュガーケインの企画を担当する斉藤実氏が語る通り「完璧なデニムはつくれても、歴史はつくれない」それがメーカーと我々ユーザーの共通認識だったからだ。

(斉藤実,ポパイ編集部:『98年度版ジーンズ大特集』POPEYE 5月10日号;マガジンハウス.1998.P78.)


ヤコブ・ディビスのアイディアを元にリーバイ・ストラウスが『ポケット開口部固定改善方法』の特許を出願するのが1870年、リーバイスの象徴であるアーキュエイトステッチが生み出されたのが1873年である。翻って、今のジーンズ市場を牽引する日本の新興ジーンズブランドはシュガーケインが港商とスター貿易の出資(同社はスーベニアジャケットを生み出したことでも有名)で創業したのが1975年、ステュディオ・ダルチザンが創業したのが1979年。そこから少し遅れて1988年に林芳亨氏がドゥニームを、1991年に山根英彦氏がエヴィスを、1993年に辻田幹晴氏がフルカウントを立ち上げる。

リーバイス社が130年以上(リベット付パンツの特許出願から数えてである。雑貨商を営んでいたリーバイス社自体の創業は1853年である)の歴史を持つが、新興ジーンズメーカーは最も古いシュガーケインでも30年弱、比較的後発であるウエアハウス(1995年創業)に至っては10年未満の歴史しか持たない。そんな歴史のプレッシャーを打ち払うためにウエアハウスは酸化デニムを投入し、マッコイは歴史を物語として創り上げた。

マッコイの物語はワールドフォトプレス社から刊行された『JOE McCOY TRADING POST』に詳細に記され、またその年リリースされた商品と共に紹介されている。勿論、ジョー・マッコイの魅力は単なる物語だけではない。私はジョー・マッコイ以前のマッコイデニムに触れたことがないため、ジョー・マッコイ以前のジーンズとは比べることは出来ないが、初めて『NYLON』でマッコイを見た時の衝撃は鮮烈だった。rigidでも縦糸が浮き上がり、強烈なタテ落ちを約束されたデニム、重厚なボタンやリベット、そして美しくデザインされたレザー・ラベル…。気がついた時、私は906と926を持ってレジの前に並んでいた(笑)906は誇張され過ぎない適度なタテ落ちとタイトなシルエットで、どんなスタイルにも馴染みやすい。またマッコイを代表するモデルである901はrigidの状態から強烈なタテ落ちが予想される。友人のS氏が所有する901は長い線でタテ落ちをみせ、ジーンズ好きの友人達の間では好みが分かれた。しかし他に類をみない901のタテ落ちっぷりは一度体験してみてもいいのではないだろうか?

そう考え、ウエアハウスの酸化デニムやドゥニームの大戦モデルなど、他社からも魅力的なジーンズがリリースされたため、906から4年遅れになったが、私は次のモデルとして901の購入を考えていた。そして『ベンチャークラブ』で衝撃的な記事を目にしたのも、丁度その頃だった。

誌面には「軍服オタクのカリスマ企業が倒産!!」と衝撃的な文字が踊り、マッコイの倒産を伝えていた。記事を要約するとこうだ。
株式会社ザ・リアルマッコイズはマニア向けの高額商品に特化したことで、ユニクロ旋風に巻き込まれることもなく、95年から5年後の00年の売り上げはほぼ倍増。05年の店頭公開を視野に入れていた。だがマッコイの生命線とも言える原皮の仕入れを担当していたグループ会社のエニグマ・トレーディングが「仲介人に預けた手形を詐取された」とし、対抗措置としてその手形を不渡りにした。同社は詐取を理由に異議申し立てをしていたが二回目も不渡りとなり、銀行取引停止処分を受けて事実上倒産した。この手形事件はマッコイ本体にも飛び火し、エニグマ社の支払いに保証をつけていたマッコイも預金の差し押さえを回避するため民事再生を申し立て、倒産した。
(ベンチャークラブ編集部:『今月の倒産』;東洋経済新報社.2001.9月号.P77)

その後のマッコイの迷走を見ると単なる手形詐取に対抗する民事再生法申請とは思えない部分もあるが、マッコイの倒産研究は当サイトの目的には適わないし、今後一切の考察はしない。様々な企画でマッコイを牽引した櫻井徹社長は退任、現在は創業者の一人である岡本博嗣氏が会長から社長に復帰し、マッコイズの有力代理店であった大阪のショップ『NYLON』の子会社として再生のスタートを切った。民事更生法申請から3年が経過し、A-2や新しいデニムラインが登場するなど、活発な活動を見せている。


今後も魅力的な商品を提供し、熱心なユーザーに支えられて復活を果たすのか。それとも倒産したメーカーの多数がそうであるように、低下するブランド力を食い止められず「その他大勢」のひとつになってしまうのか。それはマッコイを支えるスタッフの情熱次第だろう。かつて多くのユーザーは情熱を注がれた商品に魅了され、熱狂的に支持していたからだ。そんなマッコイの情熱を、当時ジョー・マッコイの企画を担当した安井篤氏は次のように語っていた。

『ジョセフ・G・マッコイのことを図書館で調べ、彼の辿った道程をロケしてみて衝撃を受けたんですよ。光さえも違うアメリカの空気に。そんな時代の空気を感じられるモノを作りたい。僕らは服じゃなくて作品を作ってるんです』(
安井篤,ポパイ編集部編:『The Americanists』;マガジンハウス.1998.11/25号.P143)

光さえも違う、アメリカの空気を伝えたい。