『僕の考えるジーパンは「洋服屋の考える魂のこもったジーパン」であって、ジーンズメーカーさんの作るジーパンとはまた別のモンやと思てる。いつも魂をこめて、いつまでも買って貰った人の宝物になるような物作りをせんとあかんと思う。ただ売れるからいう理由だけで、他人の作った物のコピーだけするような、インチキジーンズメーカーとはちょっとちゃうんやで…』(山根英彦:『YAMANEのそれがどないしてん!!』Cazi Cazi;交通タイムズ社.1995.6月号.P60-61)


私とデニムの関係はもう10年以上になる。冒頭の一文は交通タイムズ社が発行していた『cazi cazi』と言うファッション誌の、あるコラムだ。そのコラムの書き手は”エヴィスヤの山根”、そう言わずと知れたEVIS JEANSの山根英彦氏である。

当時、ジーンズメーカーと言えばリーバイスかエドウィンくらいしか知らない京都のガキんちょにとって、氏の「魂のこもったジーパン」はアコガレの的であった。氏のコラムに触発され、長岡京市の古着屋『DEXIE』でドゥニームの66の中古(といっても単にワンウォッシュしただけ)を激安プライス、なんと¥3,000で購入したのが最初のモデルである。エヴィスに触発されながらも最初に買ったのがドゥニームかよ!!!と言うツッコミは勘弁していただきたい(笑)

その後、山根氏はリーバイ・ストラウス社から『リーバイス501の名声を利用し、これをパロディー化して販売している』と販売差し止めを求める通知書を受け取ったりもしたが『僕はLevi's501をコピーしたとか、マネしたとか、そんな次元で物作りをしているのではありません(中略)本当にいい、本物の”Levi's501XX”を作ってくれれば、僕はジーンズ造りはいつでもやめます』と反骨精神を示した。

(山根英彦:『YAMANEのそれがどないしてん!!』Cazi Cazi;交通タイムズ社.1995.8月号.P59-60)


両社は幾つかの条件の下で合意し、山根氏は再度ジーンズ造りに打ち込むことができた。その後も山根氏とエヴィスはパリコレクション、ミラノコレエクションとファッションの本場で大活躍を続け、その支持層を世界中に拡大している。ローカルレベルでは私の10年来の友人であるO氏とY氏は、エヴィス信者であり、グローバルには1999年にマンチェスター・ユナイテッドがトヨタカップで来日した時、同チームのキャプテンを務めたディビット・ベッカム選手はエヴィスのデニムジャケット&ジーンズ(それも大黒ペイント)を着用して空港へ降り立ち、私のドギモを抜いた。

『そもそも、ジーンズ言うのは50年代の単なる作業着。それを再現したってファッションには成り得ない。ファッションに成り得ないと言うことは文化を作れない。だからレプリカジーンズというのは単なる流行で終わると思うんや。ワシが考えるのは日本の洋服としてのジーンズ。服として文化を作り得るジーンズなんや』
(山根英彦,ポパイ編集部:『98年度版ジーンズ大特集』POPEYE 5月10日号;マガジンハウス.1998.P79.)


エヴィスのジーンズかなりワタリが深く、ジャストサイズで穿いても腰回りにゆとりがあり、独特のドレープが出る。色落ちもコントラストがハッキリした独特の緑がかった色落ちになる。
ブーム全盛期にはこの独特のシルエットを拡大解釈し、腰穿き・ロールアップの若者が街を闊歩した。ジャストサイズで穿いてこそ、独特のシルエットを描くエヴィスのジーンズに対して、腰穿き・ロールアップのスタイルがカッコイイか否かはさて置き(笑)これも単なるレプリカではなく、スタイルをデザインした山根氏の個性が結実した結果だろう。
洋服屋のつくるジーパン。