『ドゥニームさんのデニムはかなり限界の状態で織ることになってしまい、それだけに問題も多いんです。うまく織れても林さんはそこからさらに選ばれるんですよ。商品が作れなければ死活問題だと思うんですが、それでも負けてこない。強烈な思い入れですね』
(内田淳,BOON編集部:BOON EXTRA『DENIMEディティールの書』;祥伝社.1996.P72)


林芳亨氏が率いるドゥニームは多くの現行のジーンズの中で、デニムフリークにはトップレベルの人気を誇るブランドであり、私が購入した最初のジーンズでもある。ドゥニームの66を穿き潰した次のモデルとしてフルカウントを選択したため、ドゥニームを再度購入したのは二年後、大学一年の夏になる。

当時大ブームとなっていたドゥニームのジーンズは常時sold out状態で、特にXXタイプを店頭で見かけることは皆無であった。後にドゥニームが心斎橋に直営店を出店した時もデニムは即日完売、店頭はスッカラカンのまま営業(!?)していた。だからドゥニームのジーンズを購入しようにも、当時はモノが無かったのである。

そんな夏のある日。台風一過で快晴だったが早朝に発令された大雨洪水警報のため、大学は休講になった。急にヒマを持て余した私は北山にある友人の大学へ押し掛けることにした。しかし昼前の講義時間帯に北山に着いてしまったため『BEAMS』や『WORLD WIDE LOVE!!』の店頭をのぞきながらブラブラ歩いていた。そんな多くのショップが集う通りの奥に『F.G.ヒルビリーズ』があった。

ショップにフラリと入ると、あったのだ!!!店頭にはドゥニームの66モデルや当時リリースされたばかりのSタイプ、そして憧れのXXまでフルラインで揃っていた。聞けばその日の朝、つまりついさっき到着したばかりだと言う。可能ならmy sizeを全部買ってしまいたかったが、ヒマはあってもカネが無い学生のは常であり、多分に漏れず私もそうだった(泣)

だが何とかXXを購入でき、有頂天でその日から穿きまくった。



余談だがその日友人にこの事を報告すると「¥23,000のジーパン!?アホちゃうか?」と言われたが、その後は彼もジーンズの魅力にハマり、私と同じくドゥニームやエヴィスのジーンズを愛用している(笑)

XXタイプでも腰回りは非常にタイトで、形状記憶合金のようなゴワゴワのデニム(あまり糊を落とさずにはくと、チャリに乗った時に大腿内側部がデニムとスレて靴ズレならぬデニムズレができた)と相まってドゥニームのジーンズはかなり激しい独特の色落ちを見せる。

だから色落ちを見れば、赤タブやレザー・ラベルを見ずともドゥニームと判る。山根氏のエヴィスのジーンズがスタイルをデザインしたのであれば、林氏のドゥニームのジーンズは色落ちをデザインしたと言えるのではないだろうか。

ブランド名が示す通り、デニムにコダワリ続けるドゥニームのジーンズを、ドゥニーム代官山店の店長を務める金岡徹氏は次のように語る。

『林には何のこだわりもないんです。ブルーで、きれいにはけるジーンズを作りたかっただけ。ただジーンズって体にはくものだからと、デニムのクォリティだけは常に気にしています。100の蘊蓄より、直接肌に感じられるものを大切にしたいんです』
(金岡徹,ポパイ編集部:『98年度版ジーンズ大特集』POPEYE 5月10日号;マガジンハウス.1998.P85.)

そんな実直なドゥニームのデニムを、私は心から愛している。
100の蘊蓄より、デニムへのコダワリ。