生きてるだけで、まるもうけ。
『バレエ、ピアノ、バイオリン。娘は疲れているが、弱気は禁物。夜七時半、迎えの時間。私ってまるで子供のマネージャー(日本経済新聞:「少子化に挑む」2005年1月4日.朝刊1面)』学習塾にバイオリン、バレエ等、自分の果たせなかった夢を「我が子パーフェクト」と子供に背負わせてしまう親も少なくないと言います。 他方では紙音(シオン)、紗音琉(シャネル)、伽凛(カリン)…。ルビ振らなきゃ読めないような名前。子供の成長をどう願って付けたんでしょう。

前者も後者も、子供を自分の所有物のように感じているんでしょうか?早期から十分な教育と環境を与えることで才能を十二分に伸ばしたいと言う、親心も理解できます。でももし親の望む才能をその子が持っていない場合、その子はどうすればいいんでしょうか。

そんなコトを考えていた時、某テレビ番組で大竹しのぶが明石屋さんまとの結婚生活の中で氏が子供に付けた名前の話をしていました。氏は「生きてるだけでまるもうけ」と言う意味で、「いまるちゃん」と名付けたそうです。

自分で生きる術を持たない幼子を親が殺すと言うニュースは、ありふれた事件になっていまいました。しかしそれは最も救われないニュースです。親の庇護の元でしか生きていけない幼子が、親からその存在を否定されて殺される。 でも「いまるちゃん」は違います。その名に「おまえは、ただ生きているだけでいいんだ」と言う両親からの究極の存在意義を与えられるんです。これは「褒められた/叱られた」と親を通じてしか自己のアイデンティティを確認することの出来ない幼い子供にとって、究極の自己肯定と言えます。

しかもこの名前にはまだトリックが隠されていました。大竹しのぶが前夫との間にもうけた「にちかちゃん」を加えると「いまるのい、にちかのに、さんまのさ、しのぶのし」で「1・2・3・4」に成るんです!!! 元々他人だった男女が夫婦として、またお互いに片親が違う複雑な子供達が同居する。だからこそ氏は家族にアイデンティティを与えようとしたのでしょう。それ以来この「生きてるだけで、まるもうけ」と言う言葉が大好きで、MSの座右の銘になってます。

「オヤジなんて」と反発するにせよ「うちのお母さんはね」と話すにせよ、子供は否応なしに両親の影響を受けます。MSがいつか結婚して子供が出来たとしたら、慈しみ伝えるべき価値観を持った親になれればなぁ、と。 「生物学的な親になるのは簡単だが、心理的に親になるのは難しい」と以前テレビで見た心理学者が語っていましたが、MSは終わりのない修行の入口でず〜っとウロウロしたままです。まぁ親になるどころか、その前段階さえ空白ですが(笑)

(2005.02.08)