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ホテイアオイの紫の花が咲く頃には朝食が待ち遠しい。
亀太郎は水面下から必死になってベンツぅを探す。
ベンツぅを見つけるやいなや、まるで水面から飛び出さんばかりにホテイアオイの葉の上に乗り、彼の手から朝食をもらう時が亀太郎の至福のひとときである。
(映像の再生にはマウスを画面に載せて下さい。)
池などで良く見られる。
夏になると紫の花が咲く。
花は1日だけ咲き、夕方には首を垂れるように茎が曲がり萎れてしまう。
亀太郎はゼニガメ。
彼がベンツぅの家に来たのは4月も半ばを過ぎ、春の日差しが輝く頃。
最初の1週間くらいは元気に泳ぎ回っていたが、次第に手足や目の回りが白くフヤケ始め、食欲も無くなり、動かなくなっていった。
ついには水の中に入ったまま動かなくなってしまった。春の日差しが差し込むとはいえ、夜は少し冷え込む。ベンツぅは亀太郎の入ったケースを温室に動かし、少しでも暖を取らせようとしたが日毎に弱っていく亀太郎を見つめ、その姿を自分の姿に重ね合わせるのだった。
ベンツぅはこの頃、吐き気と体のだるさに歩くことも食べることもままならず、ソファに横たわって1日を過ごしていた。彼が外に出るのは平日の9時に放射線治療を受けに病院へ行く時だけであった。
「胆管細胞癌」。昨年12月の入院から約1ヶ月経った1月17日にベンツぅは病院長からそう告知を受けた。肝臓の右全部と左の一部を切除し、細かな胆管を繋ぐ手術は14時間に及び更に術後は熱が出続けた。手術痕の傷口は感染を起こし、永遠に塞がらないのではないかととてつもなく長く感じられた時間。肺には水が溜まり、背中から水を抜くことで息苦しさから逃れられた。
「病院のベッドでは死ねない。」「もう、生きて帰れないのか?」強がった気持ちと不安が交錯し続けた。
しかし、5週間強にわたって出続けた熱は右腹部に入っていた4本のドレーンと右肩から入っていたIVH(中心静脈栄養)が抜けた後下がり始め、傷口は非常にゆっくりではあったが塞がり、肺の水も僅かに残ってはいたが、手術後6週間が経った4月12日にベンツぅは退院を果たした。
退院した彼は家の近くの川べりを散歩し体力の回復を図ったが、15分〜30分も歩くと息苦しさを感じた。腹部には傷痕の痛みと鉄板をはめられた様な重みを感じ、これ以上歩くことを彼の気持ちと体が嫌がった。
時にペットショップの近くを通る駅に向けての道を散歩することもあった。駅まで到達出来ない時でもベンツぅはペットショップには立ち寄った。特にベンツぅはゼニガメが欲しかった。数年前まで飼っていたゼニガメは手の平以上に大きくなり、ある日小さくなったケースから脱走した。噂によると、脱走後近くの小学生に拾われ小学校で数年飼われた後、今ベンツぅが散歩している川に放たれたということだった。そういうこともあってゼニガメが欲しかった。「亀は長生きする。」死というものと真正面から向き合ったこともベンツぅのゼニガメへの思いを強くしたのかも知れない。そして、何度かペットショップへ立ち寄った時、元気な亀太郎と出会い、家に持ち帰った。
退院後始まった放射線治療はベンツぅから食欲を奪い、散歩する気力を奪っていった。その目の前で亀太郎が青息吐息で死にかけている。散歩の途中で本屋へ寄り、亀の病気を調べるとどうやらビタミンAやBの不足のようだ。しかし、既に亀太郎は殆ど動かなくなり、ましてや食事は全く取らなかった。ベンツぅはまるで自分の姿を見るように亀太郎を見つめ、そして、回復は不可能だと諦めた。

亀太郎の世話はベンツぅの妻がし続けた。それは入院から今に至るまで時に弱気な所を見せるベンツぅを辛抱強く看病している姿と同じであった。朝が来るとケースを太陽のあたる所に出し、石の上に亀太郎を置いてやる。餌を口元に持っていってやるが亀太郎は食べない。夕方にはケースを温室に移動する。そして、ベンツぅに亀太郎の様子をごく短く伝える。そんな毎日が続いた。
ある日、妻がこう言った。
「この頃亀太郎が朝になると石の上に乗っているの。」
「! 何週間も何も食べていないのに、そんな体力があの小さな体のどこにあるんだ?」
「でも、必死になって石の上に登ろうとするの。太陽の光にあたりたいのかな。」
また、ある日はこう言った。
「餌を水の所に撒くと石から降りて行くようになったよ。」
「餌は無くなっているの?」
「よく分からないけど、多分。」
亀太郎が餌を食べるようになるにはそう長い時間はかからなかった。日増しに亀太郎は元気を取り戻し、今ではベンツぅの手から必死になって餌を食べるようになった。
奇跡とも言える回復ぶりである。まるで、放射線治療が終わった後、日増しに元気を取り戻し、食欲も出て、入院から約7ヶ月、手術から5ヶ月で職場復帰を果たしたベンツぅのように。