<私がわからなかった理由(わけ)>

「人間をとらえるということは、本当に難しい」と、山田太一さんは言っておられます。
本当に難しい。
他者を理解するということが私には出来ません。
いつも一緒に居る友達で、すごくよくわかったつもりでいたのに、理解できないと思う、そんなことはしばしばあります。
だから最近では"私には理解できないけど、彼女にとっては大切なことなんだ"と自分が理解できないことを認め、彼女の気持ちを大切にしようとしています。

一ヶ月ほど前、半年ほどずっと話していなかった人から電話がありました。

私が夕方、用事があって電話をしたのですが居なかったので「では結構です」と言ったのだけど、電話をしてきてくれました。
多分、私の家の電話番号を知らないと思うので、わざわざ何かで調べたのでしょう。
そして、しばらくの間、とりとめのないことを話していたのですが、「ここでは言えない事があるから会って話したい」と言ってきました。
なんとなく、その時私にはその人が寂しい気持ちでいるような気がして、会いに行きました。
たいした話はしませんでした。
でも、私にはその人が寂しがっているのがわかりました。
なんとなく、精神が不安定なかんじでした。
でもそれは私の「判断」であり、「理解した」わけではないのです。
その人は話すことによって私に何か伝えたかったのではないかと思いましたが、私には、何が言いたかったのかわかりませんでした。
理解できなかったのです。仲が良かったはずなのに。
その時は本当に心を痛めました。
どうしてわからないのだろうかと。わかってあげられなかったのだろうと。
今でもわかってあげられていません。

私がわからなかった理由。
それは私の非力さからでしょうか。というより、わかった気でいたからかもしれません。
そして私はやっぱり他人を理解できないのだと思います。