「情けは人のためならず」



今回、私がこのことわざについて調べようと思ったのは、このことわざを日常会話で使った時、
相手に意味が通じてなかったことがきっかけでした。話の流れ的に、「あれ!?この人、正しい
意味理解してんのかな?」と思い、同時に「あー、でもこれって間違いやすいかもなー。なんで
『ず』なんやろ?」と考えたのです。そこから、このことわざをちゃんと調べたろ!!と思ったのでした。

さてさて、ここまで読んで、「ふむふむ、本当だなー」と思った人と、「え、何のこと言ってるんだ?」と
思った人がいるかもしれません。実際、同じ学部の友達に「この意味わかる?」と聞いたところ、
何の疑いも持たず、間違った意味で理解しているのでした。                    
昔の天声人語にもこういう記述があります。”「情けは人のためならず」といったら、「なるほど情けを
かけてはかえって人を傷つけるのか」とうなずく若者がいたそうだ。”                

ここで問題を出しましょう。
「情けは人のためならず」の意味として正しいものはどれか。

1.情けに掉さすと自分が流されてしまう                 
2.情けをかけすぎることは、その人を甘やかすことになる      
(同情は相手のためにならない)                
3.情けを人にかけることは誰彼のためではない、人倫自然の道だ
4.情けをかけておけば、巡り巡って自分によい報いがある      


答え、わかりましたか?これ、答えは4なのですよ。

人に情けをかけておけば、やがてわが身に報いられる時があるのを言う。(「語釈 ことわざ辞典」)
人に同情することは決して他人だけを益することではない。情けを人にかけておけば、その善い報いは
巡り巡って自分にくるものだ。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。(「故事・俗信 ことわざ大辞典」)
人に情けをかけておけば、いつかはめぐりめぐってよいことがある。情けを受けたものは、自然それをありがたく
思って、情けをかけてくれた人に好意を持つようになるから、何かの折には報いがあるものだ。
他人のために尽くすことは、自分のために尽くすことである。(「暮らしの中の ことわざ辞典」)

大学生の60%以上が、この言葉の意味を誤って理解している、という統計結果が出ている、
らしいです。2の意味に理解している若者が多い、とのこと。どうですかね?

さて、この意味はというと、くだいて言えば、
「情けを人にかけておけば、いつか自分にも返ってくるよ〜。どんどんかけちゃお☆」
ということなんですよね。
でも、「人のためにならないから情けをかけちゃいけないってことでしょ?」と言う。
情けっていうのは同情などからくる親切心のこと。
人のため「ならず」と言うのだから、情けはかけちゃその人のためにならないんだ!と思うのは、
仕方がないことだとも思えます。


そこで、まずなぜ「ず」なのか。ということを考えました。
「ず」というと、あきらかに打ち消しの意味。でも、もしかしたら打消しの意味以外に何かあるのか!?


そこでまず、「福武古語辞典」で「ず」の意味を調べてみます。
「打消しの意を表す。・・・ない。
 京には見え鳥なれば、みな人知ら(都では見ることの出来ない鳥なので、誰も何という鳥だかわからない)」

うーむ、打消しの意味しかない。

「新明解国語辞典 第四版」で「ず」を調べてみると、こうあります。

「一、(助動・特殊型)「ぬ」「ない」の文語形。
 ニ、助動詞「ぬ」の連用形。          」

一は結局打ち消しってこと。じゃあ、二の意味は・・・?
古語辞典で調べると、

「一、動作・作用が完了した意を表す。 秋来と→秋が来と・・・」
 二、(多く推量の助動詞「む」「らむ」「べし」などを伴って)動作・作用の実現を、確述・強調する意を表す」
 三、並列の意を表す。・・たり・・・たり。 泣き笑ひぞし給ふ→泣いたり笑ったりなさった」

うーむ、どれも意味があわない。
ってことは、どう考えてもこの「ず」は打ち消しの意味なのである。
では、どう考えたらよいのだろうか・・・?

そこでこう考えたらどうだろうか?
「人のためにならない」ではなく、「人のためではない」、もしくは「人のためだけではない」。

思い出してほしい。
このことわざの意味は、単に「人のためになるからしてあげよう」というものでなく、「自分の身に報いられる」という意味がある。
「人に同情する(情けをかける)ことは決して他人だけを益することではない」のである。
人に情けをかけておけば、いつかめぐりめぐって自分によい報いが返って来る。善行は結局は自分にも返って来るものだから、人には情けをかけよ(親切にしろ)、というわけなのである。

私はこの「ためならず」という部分を見て、「ためにならない」と解釈してしまったわけだが、これはある一文の末を省略したものだと考える。
たとえば、あいさつの「こんにちは」が「今日(こんにち)は、・・・・」のように。
「今日はごきげんいかがですか」のように、本来なら続くべき言葉を省略しているように、この「情けは・・・」も本来後に続くべき言葉があるはずだ。

そこで興味深いのが「世話尽」の「情は人の為ならず、身にまはる」という文。
それから、謡曲、「葵上」の「世の中の情けは人の為ならず、我人の為辛ければ、我人の為辛ければ、必ず身にも報ふなり」という文。

つまり、「情けは人の為ならず」は「身にまわる」ということが省略されていると考えられる。
そう考えると、「情けをかけることは人のためにならない」ではなく、「人のためだけでなく、自分のためでもある」から「情けをかけておこう!」という意味で考えられるのだろう。

「情け」は人間らしい心、人情、思いやり、いたわり、男女間の愛情、恋心、と色々な意味がある。
「情け」をじゃんじゃんかけちゃいましょう。
それが自分のためにもなるのだから・・・

と、なんとこんなことわざもあるのですねぇ。
「情けは質(しち)に置かれず」・・・情けをかけてもらっても、それだけでは質草として金銭にかえることも出来ず、実際の生活の助けにはならない。気持ちだけではなんの足しにもならない。
そりゃそうだけど・・・世知辛い世の中だべ。

「情けをかけるものには油断するな」・・・親切や行為を示すものには、相手に恩を売ることによって自分の利益をはかろうとする打算からのものが多いから、心を許してはいけない。
・・・・。


・・・さ、さてさて、今宵はこれにて・・・

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