<旅行日記>

12月5日

私は今、バスの中にいる。これから駅に向かう。
体調は良い、とは言えない。
テストのためのストレスからか、胃を壊したらしく、顔や、頭にまで吹き出物ができてしまっている。
それに口の中には口内炎が。
最近、風邪気味であるということで用心をし(マレーシアで病気にでもなったら大変だ)、ルル(風邪薬)と胃薬とビオフェルミンを飲んできた。
朝食を食べ終わったのが6:15だった。
6:20のバスに乗らねばならなかったのでろくなセットができなかった。
髪の毛がはねてて嫌だ。
今日、マレーシアに行く。
本当?って気分。 昨日の今ごろは、保健体育のテスト勉強していたのに。不思議。
こうやって明日も同じ事を思うのだろう。
7:01の電車に乗るか、7:08か・・・迷っている。

やっとマレーシアに着いた。
マレーシアのクアラルンプールに着く前に、ペナントに下りた。
外はもう暑くて、半袖でも汗が出るほどだった。
飛行機の着くのが遅かったらしく、ホテルに着いたのは9時過ぎ。
本当は夕食、外で食べるはずだったんだけど、その店は9時閉店で、急遽ホテルの22ドルのんを食べた。
甘辛くて、死にそうだった。とくに、たまねぎが。
メニューは、カレー味のスープ(一応カレー味らしいが薄くて「カレー風味」と言ったほうがよさそうだ)・焼き鳥のサテー、ビーフをあわせて6本・たまねぎ、きゅうり(生!!)・焼き飯みたいなの・スイカ、パパイヤ、パイン・それに紅茶。
ちなみに、昼は機内食で、パン(バターロール、おいしい)・魚とごはん(あまりおいしくない)手巻き寿司、ごぼうときゅうり、ごぼうはすごいはごたえで、「なんじゃこりゃー」ってかんじだった。
そば。これはおいしい!のりが多かった。 鶏肉。かたかった。 ケーキ。まあまあ、だった。
マレーシア航空、まあまあよかった。
はがきもだした(ただである!)。
着陸も全然気持ち悪くならなかった(よかったぁ〜)。
着いたホテルのお風呂の水は、鉄が入っていそうな黄色だった。
故障かと思ったけど、他の部屋の友達から電話があって、どこも黄色いことがわかった。
私たちは(二人部屋だったのである)、「これは温泉と同じ。成分の色でこうなんだろう」と思い込んで、風呂に入った。


12月6日

今日は7時に起床。目がさめたのは5:10くらいで、トイレに行った。
トイレの水がどうしても流れない。かなり焦った。
それからはバスで観光。いっぱい写真を撮っちゃった♪
その後、ホストファミリーと会う。
マッカス(?)というのがお兄さん(16)で、私たちを迎えてくれた。
けど、私たちは複雑な顔をしていた。
期待に反して、あまり・・・じゃなかったから。
でも、彼はすごくいい人。それにとても真面目な人だった。
弟はめちゃくちゃで、兄よりも行動力のある人だったが、不真面目なやつだった。
それにかなり口が悪く、シツレイなやつだった。
まあ、根は悪くないのだと思うし、気を使うところではつかってくれていたから、嫌な人というわけではないが、少し苦手だ。
お母さんはきさくな人で、優しいというか肝っ玉かあちゃんというかんじの人。
お父さんは料理人ということだった。
ホームステイで一緒なのは奈央ちゃん。
彼女は帰国子女で、クセのある英語でも、大丈夫なようだった(少々苦労していたようだったが)。
彼女と一緒だと、逆にやりにくい。
向こうも奈央ちゃんくらい話せるのが当然と思ってしまったようだし。
英語の話せなさとこの性格も手伝って、話せない。
弟がしきりに「静かだ」と言う。
私だって好きで話せない訳じゃないんじゃー!とむかついたが、そんなことも言えるはずもなく。
私は英語を話せないが、うちの学校の中では標準的な方だと思う。
まあ、帰国子女が何人かいるから、その子達を除いて。
特殊な人と比べられたって。
他の全然話せない人と同じだったらまだよかったのに…
自分の努力不足を棚に上げて、そんなことを思ってしまう。 でも実際やりにくかった。
奈央ちゃんはいい人なので、日本の言語事情など話してくれていたが、「だって君は話せるじゃん」とか「なんで日本語しか話せないの」とか全くわかってくれないようだった。
まあ、わからないのだろうけど。
トイレに行って、驚いた。 トイレを借りたとき、なんかやたら地面が水浸しやなあ、と思った。
広さもわりとあった。暑いからかな。と思ったが、石の樽と蛇口もある。
不思議に思いながら、夜。
「お風呂に入りなさい」とのことで、案内された先が、先ほどのトイレ。
きょろきょろと何度も見回したが、風呂らしいものは何もない。
何度考えてみても、どうやらここが風呂であるようだった。
石樽に入った水(決してお湯ではない)をひしゃく(?)のようなものですくって、これを体に浴びるようだった。
これには驚いた。
風呂はやはり日本が一番。
次に奈央ちゃんが入って、彼女もびっくりしてた。
二人で「これは…なぁ…」と言いつつ、仕方がないので寝ることにした。
布団に入ってこの辛い一日を振り返ってこっそり少し泣いた。


12月7日

朝から飲茶に連れていってもらった。
なんか雰囲気は市場みたいな感じで、わさわさしている。
お世辞にもキレイなところではなかったが、なんか日常に触れたってかんじで良い体験になった。
それにおいしかったし。
やはり日本食の次は中華だな。
チャーシューが特においしかった。あと、何度も熱いお茶を飲むのだが、これがまたおいしい。
お父さんが言うには、この小さい入れ物(湯飲み?とにかく小さい。)をまず熱湯で温めて、次に濡れたまま使う。
からにしないほうがいいらしい。
面白い作法だと思った。
昼にはペタン通りのラーメンを食べた。
ラーメンは嫌いだったので、イヤやなぁ、と思ったが悪くて言えない。
残しても悪いので、早く一気に食べちゃおう、と思ってめっちゃ急いで食べたら、これがなんとおいしいのである。
麺が日本のと違って、細くて堅い。味はいかにも中華だ。
いやぁ、これはおいしかった。量が少ないのもよし。
一番くらいに食べ終わったら、マッカスは私が好きだと思ったらしく、「もう一杯食べる?」と聞いてくれた。 さ
すがにこれは断った。ちょっと焦りつつ。
それから目的別に別れることになった。
何人かの友達と行動していたのだが、私は奈央ちゃんと弟のアンドリューと(その他何人かとも)別れて、兄と兄の友達レイチェルともう一人、名前忘れたけど泰穂のホストの男の子と泰穂、愛ちゃんと一緒にアーケード街に行った。
そこで果物の王様ドリアンを試食した。
死にかけた。
あの臭さはたまらない。 味もよくわからなかった。
レイチェルも「好きじゃない」と言っていた。
ちょっと大げさに驚いてみせると、マッカス達は喜んでいた。
まあ、良い体験にはなった。
夕方になってお母さんと泰穂と愛ちゃんと教会に行った。
宗教のことを聞かれたが、一応無宗教だと言うことを伝えた。(辞書は必要だったな…説明むずかしい。)
讃美歌の本は渡されたので、適当に歌っていると、お母さんがすごくびっくりしていた。
「知ってるの?」と聞かれ、「知らないけど歌詞は書いてあるし、一番を聞いたら、大体分かるから」というとやたら感心してくれた。
夜にはお父さんとお母さんとマッカスと四人で鍋?を食べに行った。
私一人、どうしようと思ったが、それがなかなか話すことができた!
鍋もおいしかったし、マッカスが昼間のドリアンの話をしたりして、和やかなムードで夕食が…
マレーシアに来て一番楽しい時間となった。
お母さんが教会のことなども話して、三人で感心してくれた。
それから私は着ていたワンピースの胸ポケットに、ピンをはさんでいたのだが、それになぜか三人はやたらうけていた。
笑いのツボが違うんだなぁ…と思った。
鍋はおいしかった。薄味で。
ただ、最後に食べたユバは好きではなくて、ちょっと気分悪くなったが。
家に帰ってから奈央ちゃんが帰ってくるまで、お母さんと話をした。
日本の話とか。
特にお母さんが熱く語ったのは、男のことについてだった。
ちょっと誤解もあったが(まだ妻は三つ指ついて…と思ってるらしい)、男女平等社会じゃないといけない!!ということだった。
確かにここの家族は夫婦どちらもがご飯を分担して作るし(お父さんは料理人だし)、実際ここの男の子達に会って、日本の男の子に比べてすごく優しいなぁと感じていたから、うんうんとうなずいて聞いた。
日本も変わってきたけど、まだまだですね。ということを話した。
奈央ちゃんが帰ってきて、お母さんから銀のピアスをもらった。
ありがとう、でもまだつけられないんですよ。と話すと「なぜ?」と。
高校で禁止されてるからと言うと、ばかみたい!!とかなり憤慨していた。
大切に取っておく。
寝る前、奈央ちゃんと色々話した。
もう明日にはここを去るのだ。


12月8日

もうお別れの日だ。 さよならパーティーがあるので、学校の方に行く。
お母さんとはここでお別れだ。お父さんは仕事に行ってしまった後だった。
みんそろったところで、パーティーの会場に行く。
ホテルらしい。
そこで楽しそうなみんなの様子を見て、みんな良い時間をすごしたんだろうなーと思う。
表情が違うもん。
私は久しぶりにみんなに会えて嬉しかった。
写真をとりまくって、最後に歌を歌って別れた。
帰りの飛行機ではお土産にもらったプルーン(なぜプルーン?と思ったのだが、お母さんがくれたのだ)を食べた。
おなかによさそうだ。
家について風呂に入った。
アメリカに行ったときも思ったのだが、やはりお風呂だけは譲れない。日本が一番だ。 おわり



<「分散型海外研修旅行」に載った方の感想文>

「サテーと玉ねぎ」

マレーシアに着いて、いきなり食べた(食べさせられた)のがサテーだった。
サテーは肉が甘く(ココナッツミルクに浸してあったらしい)、みかけは焼き鳥で、辛いソースにつけて食べるものだった。
肉が甘いという時点で、私は嫌悪感を感じたのだが、それはまあ食べることができて、問題はその横にあった生の玉ねぎだった。
これが非常に辛い。
水で流し込んだという感じだった。
甘さと辛さが混ぜ合わさり、なんとも奇妙な味だった。
その後、慌てて胃薬を飲んだのだが、"この先、毎日こんなのが出てきたらどうしよう"と非常に不安だった。(私のホームステイ先は中国系だったので、チャイニーズフードで助かった)
二日目は午前中、みんなと観光だった。
私は妙に気持ちが高ぶっていた。これからホストファミリーに会う、ということで緊張しており、その気持ちを抑えようとしていたからかもしれない。
ホストの人はとてもいい人だった。
が、私は勇気がないのと、なまりのある英語が(なくても同じかもしれないが)理解できなくて話せなかった。話さなかった。
その日一日中ほとんど話すことなく終わってしまった。
くやしくて、悲しかった。
それでも、日本に帰りたいとは不思議に思わなかった。
ホームステイの二日目、この日はとても幸せな一日となった。
大分話せることができたのだ。
昨日のような失敗はしたくないと思い、少し勇気を出して話してみた。
向うも一生懸命話してくれて、嬉しかった。 夜にお母さんと長時間はなした。
日本の制度やしきたりなど。
少々誤解もあったが、なかなか手厳しいコメントで、考えさせられた。
最後に、「うちには女の子がいないから、本当の娘ができたようで本当に嬉しい」と言ってくれた時、マレーシアに来て本当に良かったと思った。

「どうだった?」と聞かれたとき、もちろんホームステイの話もしたけれど、サテーの話を一番にしたことは言うまでもない。




<文章表現の授業で出した作文 >

「研修旅行」

私は研修旅行でマレーシアに行った。
マレーシアというと、緑が多く、暑くて、家は木で出来ている、と想像していた。
もちろん、その想像通りの所もあるだろうが、私が行ったのは首都クアラルンプール。
想像とは違い、結構近代的で都会だった。
マレーシアコースの目玉はホームステイである。
私もホームステイをしたが、楽しかった思い出も、苦しかった思い出もみんな、ホームステイ中にあったことだ。
初めて家に着いた頃、私は緊張していて、早く部屋に行って寝たいと思った。
しかし時計の針はまだ2時をさしている。
話そうと思ったが、何を言ったらいいのかわからないし、相手の言ってることもさっぱりわからなかった。
それでつい、黙ってしまうと、家の人は私のことを静かだと言った。
それから何度も、静かだと言われた。なぜそんなに静かなのかとも言われた。
そんな疑問に答えられるわけもない。
私は"何を言ってるのかもわからないのに話せるかー!そんなに同じことばっかり言うなー!私だってしゃべれるもんならしゃべりたいんじゃー!!"と思って腹が立ったが、その怒りを言葉にすることも出来ず、ただ自分の愚かさと性格に泣きたい気持ちでいた。(いや、実際に泣けてきた)
一日目はそんな風にして、辛い気持ちでいた。
しかし、日本に帰りたいと思ったわけではない。多分、悔しかったのだと思う。
二日目は前日よりも少しは話せた。
ホストの人はすごくいい人で、色々なところに連れていってくれた。
夜が一番楽しかった。私ともう一人の人は別れて、夕食は私一人とお母さんとお父さんと兄と四人だったので、大丈夫かなぁと心配したが、このときに大分話せたので気が楽になり、楽しいひとときをすごせた。
マレーシアに行って思ったのはやっぱり英語は大切だ、ということだ。
話せないと、やはりコミュニケーションは難しい。もっと学んで再び訪れたいと思った。




・・・。どうやら、思い出の中心は「サテーと玉ねぎ」と、「静かだ」と何度も言われてむかついたことらしい(笑)。
それにしても、食べものの話題が多いなぁ・・・
昔から何もかわってないのですね^^;