「人は山に向かう」を読んで思ったこと。
「人は山に向かう」を読み返したのだが、今から書くことは本文と全く関係ないかもしれない。
個性とは、人ひとりひとりの性格であったり、人格であったりと、全く同じな人は二人といない。
よく、個性が強いなどと言うが、この言い方には賛成できない。
なぜなら、個性はみんなが持っている「色」のようなもので、個人の基準で見た強さなどなんの意味も持たないと思うからだ。
ある人から見たら、どこにでもいそうな人でも、他のある人から見れば変わった人である、というようなことは日常茶飯事である。
だから、時々自分を人と違って見て欲しいと無理をする人を見ると、悲しくなる。
そんなことしなくても、君には君の個性があるんだよ、と言いたくなる。
ところで、私自身の個性だが、これをはっきり言うことは至難の業である。
じぶんでもよくわからないからだ。
最近では、思っていた以上に自分が寂しがりだと気付いた。
例えば、自分の心に、ある特定の人物がいないと、自分のこと以上に思える人がいないと、なんだかわけもなく寂しいし、むなしい。
バランスを崩してしまいそうになる。
そのバランスを保つために書く手紙や小説はまた、自分の個性が現れている気がする。
池澤夏樹さんの言っている個性も、私の思っている個性も、結局その人にとって大切なものということではないだろうか。
周りになんと言われても、思われても。