12月7日(土) 一年前の12月を見たら、なんて楽しそうなのだろう・・・(遠い目) いや、多分半ばあたりは卒論で死んでたはずですが。 今年のあたいは、12月が来るのが憂鬱で憂鬱で。 その原因は、もちろん仕事。 うちんとこは基本的に(というかほとんど)土日祝は休みなのですが。12月だけは、土曜も全出勤。 それはわかって入社したのだけど、実際そうなるとかなりきつい・・・ 最初は「1ヶ月だけやもん、大丈夫♪」と思ってたのだが、考えてみれば、いつもの半分になるわけですよ。休みが。 いつも土曜も出勤なら、そしてそういう人も多くいるだろうとは思うが。 いつもは休みなのに、行かねばならないというのはかなり苦痛だ!! だって半分なんだもん!そして働く割合が増えるんだもん! 贅沢かもしれん。違うとこから見たら。 でも、やなもんはやなんだよ〜!!やだやだ〜!(お前は駄々っ子か) 「年末年始は休みあるしな。よしよし。30日から年末の休みになるけど、28日は土曜だから、実際は28日から連休やな。いひひ・・・」 とか思ってたけど。 土曜出勤じゃん!みたいな。 さらに何故か29日も出勤になってるやん!みたいな。 そのことに11月、気づいて(気づくの遅い)、それ以来ずっと12月なんてこなければいいと思っていた。 来てしまったが。 いや、来るのはわかっていたのだが。忘れたふりしてたけど。 休み1日じゃ疲れがとれ〜ん! と愚痴ばっかですが。 同僚&先輩は仕事終わってから着替えてました。珍しく。 遊ぶ気まんまんみたいです。 私は、今日は朝起きた時から、「仕事終わったらすぐ家帰って寝るぞ〜!!と意気込んでたのに。 元気な人たちです。 私はというと、やっぱり夕食後倒れました。 意図的にではなく、自然に。 でも起きたらやたらすっきりしてた。ひさびさの紅茶&クッキーを楽しもう。(それくらいしか楽しみが・・・) 12月8日(日) どうも、夜お菓子を食うと胃の調子が悪くなる・・・ 朝起きたときから胃がむにゃむにゃ。 なんだか恨めしいです・・・。何がって・・・何かが。 突然ですが。 眠い、と思いつつも昨晩ベッドに入り、本格的に寝る前に・・・といつも通り本を読もうとした私。 難しい本を読もうとしたって、このふにゃふにゃした頭で読めるわけもないし、割とわかりやすい本を、と久しぶりに「新解さんの謎」を読むことにしました。 「新解さん」と会うのは久しぶりだぜ〜と思いつつ読んでいると、なぜか気になる一文が。 「次に」の用例。 「東京で驚いたものはたくさんある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。−丸の内で驚いた」 (「−」に「次に」が入るのです) 「新解さんの謎」著者は「もう可愛くてたまらない」「どんどん驚く新解さん」と言っているが。 何かこの文、どこかで読んだことがあるような気がするんですよ。 どこかって、この「新解さんの謎」なんだろうか? いや、もっと以前に読んだ気がする。 でじっくり考えたんだけど、これって夏目漱石の「三四郎」の中の一文じゃないか?ということにたどり着いた。 田舎から出てきた物語の主人公、三四郎が東京に着いて、色んなものに驚くシーンではなかったか。 そう思ったら、どうしても今すぐに確認したい気分になった。 これが私のよくないところなのだ。 思いついたらいきなしいつであろうとすぐ実行に移したくなる。 それがどうしてもできなかった時は、次にする機会があったとしても、今度はしない。 いつものごとく、早速確認したくなった私は、本を探した。 ところが「三四郎」がないのだ。いらいらしながら探す。 で、途中で気づいた。 うちにはないわ。 確か三四郎は、友達に借りた文庫本で読んだのだ。ああ、なんでそのことを忘れていたんだ。私の馬鹿馬鹿。 ちなみに新解さんの説明で、『不合理さ・つまらなさが常識を超える様子だ。 「そんなーなことが!」』というのがあった。 丁度その晩、ネットで「単位システムを一瞬すっかり忘れていた」という、(信じがたい自分の脳の退化現象だ)衝撃的な事実と向き合うことがあったのだが、本当に「そんな馬鹿なことが!」と叫びたい気分になった。 それはともかくも、大丈夫、本はなくとも今は便利な「電子図書館」というものがある。 その節(卒論執筆時)にはお世話になった、「青空文庫」を見れば一発さ! と、最初からそっち方面で確認しろよという感じだが、そこはそれ、夜だったしね?(言い訳にもならない) で、確認。 思いっきりありましたがな・・・。 やはりこれは「三四郎」の中の一文。しかし辞書の用例に、既にある文を用いることはよくあることだ。 普通は「『三四郎』より」くらいは書いていいようなものの。 書いてないというのは、不親切ではないか?新解さんらしからぬ。 いや、もしかしたら最初の説明に「用例は次の作品を用いた」なんてことが書いてあるかもしれない。 そう考えると今度はそれを確かめるべく、新明解国語辞典を手にとらずにはいられない私であった。 まず最初に「辞書に求められるもの」と題して序文が書いてある。 「朝起きて朝食の膳に新聞を見る、夜の帳の下りる頃は夕刊を手にする。その度にわれわれは現代社会の進む方向と思潮を各自のアンテナで捉えようと試みる。媒体は言葉である。」 うお、さすが新解さんである。「朝食の膳」「夜の帳」。なんて言葉を使うのだろう。 説明じゃないですよ、これは。非常に文学的な匂いを感じます。 この文で私はまたすっかり新解さんのとりこになってしまった。 ああ、夜がふけていく。 (感動した内容について、ここで書いてたらまた長い長い文になってしまう。今日はこの辺で。) 12月10日(火) 小学生のキモチ 死のうと思ったことがある。 小学生の時だ。 (いや、死のうと思ったことは何度もあるのだけど。人間だもの) なぜ死のうと思ったのか。 理由は・・・「死後の世界」を見てみたかったからである・・・。 小学生の好奇心とは怖いもので、そして思考が単純だから、 「死んだら人はどうなるのだろう?三途の川って本当だろうか?」 →「確かめてみたい・・・」 →「確かめるにはどうすればいいのか?」 →「そうだ、死んでみればいい」 と、全く正しいのか正しくないのかわからないことを考える。 どうしても知りたくなった私は、そして「見てきたら人に教えてやろう!」と妙に使命感に燃えた私は、確かめることにした。 死ぬ準備も整って、さあ見に行こう、と思ってふと思いついた。非常に重要なことに。 「あれ?死後を見たはいいけど、戻ってそれを教えられるのか?」 多分、私は母に相談した。(多分、というのは記憶がちょっとあいまいなのだ。) 「戻ってくる方法がわからないのだったらやめなさい」 と言われたのかどうかわからないが、とにかく、死んだら自分がわかっても人には教えられないわ、ということに気づいた私は、寸でで死ぬことを断念した。 単位システムを忘れた私なのに、なぜかこんな昔のことは割と覚えている。 (新しい記憶から失くすって言うしね・・・) こんなことがあったわ、と友人に話すと、「よかったね、気づいて。もしかしたらこの世にいなかったかもね?」と言われたが。 大丈夫、おばかな私は、死ぬ準備つって、子供用の2段ベッドの上から飛び降りようとしていたのである。 よっぽど運が悪くないと死ねないだろう・・・ 小学生ってわからない。(お前だ) 12月15日(日) 本屋に行った。 本屋ってなんであんなにワクワクするのだろう。 手にとる本、手に取る本、欲しくなる。 しかし買わない。金ないし(おい)。たいてい1時間くらいあれば読めそうなものばかりなのだ。 その1時間ぽっちの為に800円とか(なぜ800円)出すのはもったいない気がする。 (写真集などはいつでも側にあって欲しいから躊躇せず買うんだけどね・・・) 1冊買えば次、と欲望には限りがありませんから。 でも立ち読みというのも疲れる。 何度か誘惑に負けてしまって、立ち読みしたことがあるが、1時間を越えるとかなり辛いものがあるのだ。 必ず最後、ひどい頭痛に襲われて後悔するのである。 ただで、ゆっくりと自由に読むためには、図書館が一番なのだが・・・ 本屋ほどの魅力がないのだ、何故か。 そして図書館つーたら本返さないといけないでしょ?(当たり前だ) それが面倒くさいのですよ。 あまし近いところにない為、行くのが億劫。(しかも買い物とか行く方向と逆にあるし) で、ついついほったらかしにして、完全にブラックリストのはずです。 何回もはがききました(返せって)。 だから「ああ、すみません・・・多分また期限すぎます・・・ごめんなさい・・・」と申し訳ない気分になりながら借りなければならない。かなり気が重い。 なら返せよという話なのだが、返せないから困っているのだ。 困っているのはこの性格だが。 それでも急激に本が読みたくなった私は、図書館に行くことにした。 で何冊か借りて帰る。借りる時、カードをぴっと押したその画面が少し見えたので、思わず「滞納者」などと出てないかチェックしてしまった。 見るのが遅かったのか、そんなこと表示されないだけなのか、名前すら出てなかった。 少しほっとしたような。 借りてきた本の中に、漫画がある。わたせせいぞうさんの『おとこの詩(うた)』という本だ。 わたせせいぞうさんのはかなりいい感じで、私は好きな方である。 ちょっとセンチメンタルで静かなキモチになれる。 似つかわしくないが、読み終わって本をぱたんと閉じると、静かな気持ちのまま、草もちをほおばった。 もちはうまい。 12月18日(水) 小学生のキモチ2 子供の時はなんであんなに虫が平気だったのだろう。 あぶらぜみを大量につかまえて(おそらく10匹以上はいた)、部屋の中で放し飼い(と言うのか?)をして、母親に怒られたことがあったな。 今考えるととてつもなく恐ろしいことをしていた。そりゃ母も怒るって。 ところであれはなんの虫だったのだろう。 ふと思い出したことがある。 こおろぎとかばったとかそんな虫だった気がする。季節的にばった辺りだろうか? 捕まえて、虫かごに入れて大切に(?)育てようと思った・・・はずだ。 季節は初冬。 朝。 寒いので石油ファンヒーターの前でぐずぐずと着替えていた私。 学校に行かなくてはならない時間が迫る。 最後の覚悟を決めて、えいっと着替え終わった私は、部屋を出ようとして虫かごをちらっと見た。 プラスチックの虫かご。 そこに虫が2匹。(くらい) 学校から帰ってきて、部屋に行って私は呆然と立ち尽くした。 きっと虫も寒いだろう! ・・・そう思ったに違いない。 決して、私は虫を殺そうとしたわけではない、ということを強調しておきたい。 ただ、考えが足りなかっただけで、「あったかくしてあげよう」という優しいキモチからきたものであったに違いない、ということを重ねて強調しておきたい。 虫は無残にも息絶えていた。 私はファンヒーターのまん前に虫かごを置いて学校に行った。 母が部屋を訪れたのは何時間後だったのだろう。それはわからないが、とにかくむっとする部屋の中で、母は熱により変形した虫かごとあわれな虫たちを発見した。 部屋はすでに冷え切っている。 母が勝手にファンヒーターを消していた。 私は怒った。「なんで消したんよ!!寒いやろ!」と。 事実を知った時、きっと私は傷ついた・・・はずだ。自分の浅はかな考えで、虫たちは死んでしまったのだから。 ・・・そう信じたい(笑)。 虫はとっても繊細な生き物なのだ、ということを(多分)私はその時学んだ。 12月22日(日) 良男との出会い 神戸ルミナリエに行ってきた。 「『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年12月に初めて開催しました。」 今年は8回目。さほど遠くはない(でも近くもない)わりには、一度も行ったことがなかった。 ルミナリエを見に行くのか、人を見に行くのかわからない。 とはよく言われることで、人ごみが嫌いな私は(って好きな人もそういないか)、写真見るだけで十分じゃい!と思っていたので、行く気はなかったのだ。 (そして予想通り、すごい人だった・・・それはものすごく。) しかし今年は(去年からの)母の強い希望により、まあ孝行だと思って行くことに。 今年のテーマは「光のぬくもり」。 外は寒かったけど、ぬくもった♪ 珍しく(?)妹もついてきて、二人並んで歩く。 そこで私たちは出会ってしまったのだ。良男と。 彼は点灯を待っている時から気になる存在であった。一人か二人挟んで右側に立っていた彼を見た時、「・・・!かっちょいい!」と思った。 年の頃は、同年代くらいであろうか。 ちょっとホスト系ちっくだが、かっこいいことは確かだ。 こういう人にはギャル系の彼女がいるんやろうな・・・と思いつつ観察するが、どうも彼女らしき人物が見当たらない。 彼女の背が低すぎるのか、それとも一人・・・?まさか、ルミナリエに男一人で来るなんて。(偏見?) しばらくして、点灯。人があまりに多すぎるので、点灯時間が30分ほど早くなる。まだ薄明るい中の点灯だった。ちと残念。しかしアレ以上は待てなかったので、よかったのだが。 点灯してから、前はちゃんと進んでいるのか?と問いたくなるくらい待って、ようやく進み始める。 が、遅い!! 写真を撮りながら、立ち止まりながらなので仕方がないのかもしれないが、遅い!! 最初はゆっくり歩く(というか押し出される?)私と妹だったが、途中でついにこらえ切れず、横道にそれてさっさか歩く。 と、すぐ前をさっきのかっちょいい彼が歩いている。腕を組んで。 でその腕を組んでいる相手を見ると・・・どう見ても彼女ではない・・・ように思われる。 おばさんとおばあさんの間、おばあさん寄りの女の人だった。 彼の母親にしては年がいってるか?祖母だろうか? しかし二人ともさほど楽しそうな顔もせず、会話もなく、ただひたすらに歩いている。 どういう関係・・・? 妹は「おばあちゃんを連れてきてあげてんねんて!いい人や!良男や!」と言うが、私にはどうしてもそのようには思えない。 すんごい偏見かもしれないが、見かけからむしろ、「客・・・?」と思えて仕方がないのである。 おばあちゃんにしては少し若い気がする。腕を組まないと危ない・・・ようにも見えない。 だけど金持ちそうでもないし・・・ 「良男やって!」と妹は主張するが、純粋に「いい人だな〜」と私には思えない。 二人で良男の後をつけ、その正体をあかそうとしたが、途中違う道へ入って行ってしまったので、そこまで追うことはできなかった。 「あーあ、運命的の出会いやったのにな〜」 「いや、姉の運命的出会いやってんけどな。つかぬ間の恋やったわ・・・」 「良男は○○(妹の名)のもんや!」 「金を出せばな・・・」 「良男はそんな人じゃない!」 「良男の何がわかるっていうの?金で買う愛だってあるんよ!」 「むー!」 二人、言い争いをしても、良男はどこに行ったのか、そして二人の関係は一体なんだったのか、永遠に謎につつまれたままなのである・・・。 なんだったんだろ、ほんとに。 しっかし、毎年「今年で最後らしい」とのうわさが流れる、ルミナリエ。 わかる気がします。 外から来る人は、その一瞬だけを楽しんで終わりだけど、周りの住民にとっては、えらい迷惑なことなんじゃないかと。 道は信じられないほど混雑するし、ごみもそこらじゅうに捨てられるし。 募金の収益が結構あるということで、今のところ続けられているけど、終わらせてほしい人はいっぱいいるんじゃないかなぁ。 コンビニとか儲かってそうだけど、もうけてるのはほんの一部だろうし。 ロマンチックな光の祭殿を見つつ、困る人のことを考えると、どうなんだろうなあと思ってしまう私でした。 12月25日(水) ついに12月も最後の週に。 ・・・なんだか、本社が殺気だってます(笑)。 こっちはまだ比較的のんびりしてるので、「やばい雰囲気をかもし出してきたから、本社には気をつけるよーに」と、同じ会社なのか?という発言が支店長から出される。 気をつけよう(笑)。 しかし個人的にはやばいよやばいよ。 毎年、ろくに年賀状も出さない私ですが。 今年はさすがに出さんといかんか?と。(会社関係で) 大掃除もする時間ないし、高校時代の同窓会の計画もほったらかしだし(ああ、メールの返事も書いてないよ・・・)、どうしよう。 ・・・どうしようって言ってる間にやれよって感じですが。 ややこしいことも起きたのだった、忘れてた。 とりあえず今日は帰ってから色々とせねばな〜。(あー、だるい)←おい もしも自分に力があったなら とあなたが下を向いた 他の誰でもないあなたを 私は救いたかった |