びわ草子



 11月7日(木)    いきなり!赤裸々にコイバナ

あれは・・・春のこと。
日差しはぽかぽかと暖かいが、外に出てみれば風がまだ少し冷たい。
そんな季節が私は好きだった。
学校に砂糖入りの紅茶を水筒に入れて持って行った私に、彼はこう言った。
「お前、何持ってきてんねん!」
悪いことをしているのを見つけたような、得意げな顔。
「紅茶やけど?何か?」
「紅茶〜?(にやり)」
「(にや)そう、紅茶。紅いお茶と書いて紅茶やで。何、お茶持ってきたらあかんなんて校則あったっけ?」
「ぐっ・・・」
悔しそうな彼の横で、私はおいしそうに、ほかほかとやわらかなゆげのたつ紅茶を飲んだ。
次の日。
彼はコーヒーを水筒に入れて持ってきた。
「・・・コーヒー?」
対抗してるつもりか?
訝しげな顔をしている私を見て、彼は嬉しそうに言う。
「なんやねん、紅茶がいいねんからコーヒーだっていいやろ〜(ふっふ)」
(紅茶はお茶だが、コーヒーは違うような・・・。)
「・・・・(何も言うまい)」
あたりにはコーヒーのよいかおりが漂っていた・・・。

そんな彼が好きでした。
中1の春。



 11月8日(金)

トップにあるように、最近またネムネム病にかかっております。
仕事も一応落ち着き、定時にとは言えなくも、わりと早く帰れているのに、夕食をとったらすぐに睡魔に襲われてしまいます。
どうなってるんだろ、私の体・・・。
秋だからかなぁ・・・(と適当に理由付けしてみたり)
金曜の夜は、「今日は何しよう?(わくわく)」と思うわりに、結局寝てしまって何もできないでもう朝、ってなことになるので、今日はかなり頑張って起きています。
びわ草子もかなりほったらかしになってるので、また前のこともちょくちょく書きたしていかねば。
にしても夜紅茶を飲むと、やたらトイレに行きたくなりますね。
部屋を出るということは、寒いところに出る、ということで、なるべく行きたくはないのだけど。
もう、出るわ出るわ。(何が)
我慢できん。
行ってこよ・・・。



 11月10日(日)

ああ、また休みが終わってしまう・・・。
次の土曜日までのカウントダウンが始まります。
ところで今日は、秋!読書の秋!ということで、本屋に行って来ました。
・・・嘘です。
友人から「アルジャーノンに花束を」読んでみるとよい。と言われたので、たまには本も読まんとな〜とか思って、早速買ってみたり。
ほんとの目的は、今月出る予定だった漫画を買うこと。でした。
しかし!!2冊とも(2冊出る予定だったの・・・)出てない!!
ホワイ、ホワイ!!
これだけを楽しみに、11月を迎えたというのに・・・(さ、寂しい人生だ)
悲しみにくれつつ、本屋を彷徨っているうちに、かの「アルジャーノンに・・・」を目にしたというわけで。
夕方、家に帰ってきて、早速ページを開く。
・・・なかなか進まない。
昔はこんな集中力がどこに!?ってくらいの集中力で本を読み漁っていたというのに、ここ数年あまり本を読んでいなかったら、本を読む力がなくなっている!
この事実は、かなりの衝撃でした。
なんかねー、集中できんのですよ。
だめだね〜離れると。
それでも、脳みそ腐るのは嫌なので(すでに腐敗が始まっていることを否めないが)、ちょびちょびでも読もう、と思った日曜日でした。おわり。



 11月20日(水)

読み終わりました。アルジャーノン!!
読みなれてきてからは、かなり集中して読みました。
私もまだまだいける!(何がだ)
なんつーか・・・最初から読むのが辛かったのですが。それは色んな意味で。
なんとなく、終わりが予想されたので、無邪気に「かしこくなりたい!」って言うチャーリイがすごく切なかったです・・・。
ついに読み終わったとき、なんというか、ため息が出ました。
苦しかったです。
私は結構学歴コンプレックスを抱いてるんだけど、(自分の馬鹿さ加減にすごいコンプレックス。)だからすごく知識は欲しいと思ってる。
かしこさっていうのは知識だけじゃなくて知恵もないといけないと思うけど、それに加えていろんな視点から物事を見る能力とか、愛情とかがないとかがないと、ダメだなぁということを、しみじみと感じたりしました。
愛は(とか言ってたらなんだか大げさだけど)与える前に、受け入れる心がないとなぁ。
それから、他人の身に自分を置き換えることができないと。
自己中心的な考えは、多分自分から他人を遠ざけてしまうものだし、もっと大きな範囲では戦争なんかに繋がっていく。
私は世間一般に大人といわれる年齢になって、大人というものに私は幻想を抱いてたな、と感じる。
大人って、もっとオトナなんだと思ってました。
実際はすんごいしょうもないことで争ったり、なんでこんなにも人を思いやれないんだろうと思うことがしばしば起きます。
えらそうなことを言える、できた人間では全然なくて、自分自身も、精進せねばなって感じなんですが。
自分でもいい加減、おとなになれよ〜と思う部分多々あり。おそらく、自分では気づかない、しょーもない、どうしようもない子供の部分も他人には見えているだろうし。
とかなんとか、ちょっと考えさせられた本でした。



 11月22日(金)

朝、いつもの通り携帯が鳴った。
ああ、またいつもの朝がきた・・・そう思いながら、携帯に手を伸ばす。手にとって見ると・・・
・・・・・・・・・・・・??
・・・・・・・・・・・・!?
ライトはついてる。音も間違いなくなった。だけど・・・
なんの文字も、絵も表示されてない!!
どういうこと?
電源が切れてる?いや、ちゃんと鳴ったのにそんなはずは・・・
数字を押してみても、やっぱり何も表示されない。
パニックになった私は、家の電話から電話をかけてみた。
いつもの着信音が部屋に鳴り響く。
だけど・・・
表示はやっぱりされない!いつもなら「自宅」って出るのに、ライトがついてるだけ。
でも音はなる。
なんとも奇妙な光景である。
一度電源を切って、また入れる。
でも字は出ない。
壊れたのか・・・?まだ2年3ヶ月しか使ってないのに!!
カラーじゃない(でも単音でもない)私のお気に入りの携帯。そろそろ寿命ですか?(涙)
変えたくない〜。
泣きそうになりながら何度か(電源切ったり入れたり)試しているうちに、表示された!!
このときの喜びといったら。
でも、不安は残ったな。いつか壊れるかも。
だけど、そのときはその時でしょう。多分。
てきとーだな、私。
でも本当に急に壊れたら、「その時はその時」とか言えないだろうな。
昔はないのが当たり前だったのに、あるのが当たり前になった今は、連絡をとれないってだけでパニックになるような気がする。
恐ろしいことですね。



 11月23日(土)   電車で見るおっさん

突然ですが。
たまに電車に乗って出かけて帰ったりすると、時間が時間なので、くたびれたおっさんと一緒になったりします。
ほんとにくたびれてるって表現がぴったりなおっさんが大勢。
学生時代は、「うっといなぁ〜」と思ってたけど、今は「お疲れ様です」と少しせつなくなります。
ああ、こうして身を粉にして働いてるのに、家じゃ全然理解されなくって、「邪魔〜」とか言われてるんだろうなぁ、とか思ったり。
俺の人生ってなんなんだろな、ふっ・・・と思いつつ、今日も電車に揺られてるのかな、とか
人生を顧みることもなく、機械的に働いてるだけなのかな、とか
勝手に想像して、「おっさん!その疲れがあんたの勲章さ!」と言いたくなります(ちょっと嘘です)。
立場が変われば、見方も変わるものですな・・・。



 11月27日(水)   前向きな人  (私信)

どんなに辛く、悲しみでいっぱいでも
前向きに考えられるのが
すばらしいと思います。
たとえ本当は
そんなことちっとも思っていなかったとしても
前向きなフリをしている
あなたが好きです。
前を向きましょう
後ろには大切なものたちがたくさんあります
決して失われないものです
でも前には
まだ見ぬすばらしいものが
あるかもしれません



 11月28日(木)


何年も前の話ですが。
半年くらいずっと会ってなかった人から、今から会って話せないかと言われ、夜にこっそり家を出たことがあります。
(今思えば、半年会ってないくらいなんだい、って感じだけど、あの頃はすごく長い気がしていた)
電話口の声が、冷静を装っているようで、でも本当は何かに追い詰められているんじゃないかと思えて。
急いで約束の場所に向かったら、その人はもう来ていて、何か話があると言ったくせに、何も言わない。
私はどこか不安になって、「どうしたん?」を何回も繰り返しました。
結局、たいした話はしなかった。
以前のように、近況報告をしたり、思い出話をしたり、普通に話していた。
だけど、私にはわかる気がしていたのです。どういう気持ちで今いるのか。
おそらく、精神が不安定だった・・・のだと思います。
私は普段どおりに、馬鹿な話をしながら、寂しかった。
その人が何をもとめて会おうと言ったのかを考えると。
今でもかわらない、ふがいない自分が悔しい。
私は人にいっぱい救ってもらったのに、人を救うことができない。
助けてあげたい人がいる。
助けてあげられない自分がいる。
たった一言で私を救ってくれた、周りの大切な人たち。
みんなはどうやって言葉を、力を手にいれたんだろう。