びわ草子



 1月1日(月)     

21世紀ですな。
さて、20世紀からの続き。(笑)
近所の神社に着くと、とりあえずお賽銭を投げ、ぶつぶつお祈りする。
お願い事を・・・
つーか、今年初めてまじめにお願いしたかもしれん。
毎年、友達に誘われて一応はしてるふりしてるけど、本当は「まっ、よろしくってことで」なーんて心の中で言っていたのだが(ほんとに)、今年はまじでお願い事をした。
神頼みか〜!?と、自分につっこんでみたり。
「ながっ」と、友達にもつっこまれました(笑)。
それからお神酒を頂き、ぐだらぐだら話をして、それからドライブにでも行くか?という話にならないこともなかったのだが、お酒も飲んだことだし(一口だけだけどね・・・)、寒いし(謎)、やめておこうということに。
いやいや、なんか新しい世紀とかいって特別なことはしなかったな。
でも、そんな私たちもいいんじゃない♪

さてさて、元旦ということで(ほんとは4日になってるけど・笑)、今年の目標などうちたててみましょうかね。
去年の元旦のびわ草子を見てみると、「健康ネット生活」「成長したい」などと言ってますな。
ネット熱も冷め、わりと健康生活送れたな。「わりと」ね。
去年を振り返ってみると、悲しいこともあったけど、大学生活の中で一番楽しかった時間だったかもしれない。
なんだか生活が充実していた。
それは授業におわれなくなったことによって、他の色んな事をすることができたからだろうなぁ、と思う。
時間的にも精神的にも余裕というものが生まれた。
つーことは、成長したのかな(笑)。
でもその分、時間が経つのがやたら早い。
最近すごい思うのですよ。1日24時間じゃ絶対に足りない!!
やりたいことはいっぱいあるのに、全然こなしきれないんだよなぁ〜
っと、目標だった、脱線してたわ。
そうやね、今年はやっぱ人生のターニングポイントだと思うんですよね。
だから振り返ったとき、充実しすぎだった!というくらい、充実させたい。
大変な時期だと思うけど、大変だからこそ色んな経験して、自分で納得のできる1年にしたいですね。
そして今年も健康ネット生活!
(のためにはフレッツ導入したいなぁ・・・早くはいってきてよぅ・涙)
などと去年よりずっとまじめに目標を述べてみたり。
レベルアップの年!でいきませう。
今年もみなさん、よろしくお願いいたしまする〜

あ、字、みにくいですか?でも気に入っちゃったんで、少々は目をつぶってね♪
ごめんあそばせ!!



 1月2日(火)

いとこが遊びにくる。
小学3年生と6年生なのだが、それが元気いっぱいで^^;
もう家の中走り回るわ、飛び跳ねるわ。
私、小6のときこんな子どもやったかなぁ・・・と思う。
私は確か10歳になったときに「私ってティーンって言うんやんな。だって10代やし〜」とか思ってた。
自分は大人だよな〜と思い込んでいました。
ま、あるいみ大人であったかもしれんな、ある意味、やけど。
にしてもまあこういうこまっしゃくれたガキだった。
今でもそうだが、一方すごく子どもっぽいところもあり。
先生に「すごく大人っぽいと感じる時と、子どもっぽいと感じる時がある」、「二面性を持った子だ」と言われたなぁ。
今はすごく年寄りじみたところと(大人を通り越して年寄りになっちゃってるよ)ガキっぽいところと、同居してるといったかんじでしょうか。
ま誰でも人は大人と子どもが同居しているものだと思うのだが。
昼に「宮本武蔵」が始まり、ずっと見て、気付いたら12時まで。
すごく長かった・・・
一度見始めたらとまらん・・・のである。
まあ、途中居眠りしたり夕食とったりで抜けている部分もあるのだが、(あと、調べものしつつ、だった)全部見ちゃいましたよ。
何してるんだろうなぁ〜あははー



 1月3日(水)

昼に人と会うはずだったので、昼前に起きる。
ギリギリまで寝てしまうわたし・・・
だって、昨日夜妹に「おねえちゃん、くまでてるで・・・大丈夫?」と本気で心配されたのだ。
しっかり寝なくちゃね♪
さて、起きてブランチをとって、出かける準備をする。
バイトもあるのでその準備もして。
鼻がかさかさだーい。ちえっ。
で、サムイサムイ中、わざわざ来てくれた人に、挨拶もせず(多分してない・・・)「寒いねぇ〜」の連発。
ごめんね、なんか今年はお正月らしいことしてないからさー「あけましておめでと♪」っていう気分がせんのよ。つーか忘れてたんよ。
失礼なやつですなー。でもそっちも言わなかったからいいやろ(ひらきなおり)。
それからバイトに行く。
なんだかすごく眠たくて、ヤバイヤバイ運転・・・
あー、なんだってこんな正月3日にブライダルフェアしてるんだろう・・・
9時に終わって帰宅。
あー、眠い。
これ書き終わったら寝よ。ってもうすでにかなり遅い時間になってるけど・・・



 1月4日(土)

5日の夜からスノーボードをしにいく。
その準備をほぼ完了させた。
いつも出るギリギリまで用意するのに、今回はなんて早く終わったのだろう!
えらいな〜、私。



 1月5〜8日

サークル役員でボードに。
9日に論文を書かなければいけないというのに、本も読めておらず、こんなんで行ってもいいのか、という思いと、慣れないメンバーでの旅行ということで、非常に不安だった。
しかし、今更行けないとも言えない。楽しいかもしれないし。
いや、絶対楽しいはず!
というわけで、行ったのだが。
それが、めちゃくちゃ楽しかった!
いやー、行ってよかったなぁ〜。すごく疲れたけど。
やはり長時間バスはいかん。
いつもバスとなるとぐっすり眠っているくせに、こういう時は眠られない。
行きも帰りも、しんどかった〜(関係ないけど、この「しんどい」って方便なんだよね。関西方面の。新潟の友達には通じないし)。
ボードの方は、そこそこ上達したかな。
また新たな人と交流を持って、色んな考えに触れて、いい体験だったし。
いい旅でしたな、うん。



 1月8日(月)

早朝、京都駅に戻ってくる。
体中が痛む。ボードとバスのせいである・・・
寝不足になっていたので、家に着くと昼までずっと寝ていた。
しかし、ずっと寝てはいられないのだ。
9日から授業が開始されるのだが、いきなりその授業で「長編小説を読んで、論じよ」という課題が出されるからである。
下書きOKなのだが、その授業は出席もたまにしかとらないし、テストもないのでこの論文だけで成績がついてしまうから、しょぼい文も書けないのだ。
徹夜して資料を読み、メモり、なんとか頭の中で文ができあがってきたところで寝る。



 1月9日(火)

2時間ほど寝て、学校へ・・・
時間いっぱいいっぱい使って、なんとか書き上げるが・・・
本当に時間ギリギリまでがんばって書いたのだが、とにかく時間が足りなかった。
ので、見直すこともできず・・・
出来がどうだったか、さっぱり自信がない。
まあ、成績はお楽しみにってとこかな〜あはは〜
しっかし、レポートとか終わると、なんでこんな開放感があるんでしょうね?
うきうきで本を購入。生協で饅頭も購入。




 1月10日(水)

波乱にとんだ成人式だったようで。
連日ひどい成人式が報道される。どうにもこうにも。
話に聞いただけだが、地元の方でも一波乱あったらしい。
こんなんが「成人」なんだから、すごいものですよね。
私自身、「成人」なのかというと自信を持って言うことはできない。
しっかし、ねぇ・・・
こんなやつらばっかりというわけでは決してないのだが、こういうやつらが増えていることは確かであると言えよう。
何年か前から成人式のありようについては言われてきたが、ついに本気で考えないといけない時期にきたようだなぁ。
「つまらんから」って・・・じゃあ出なければいいやん。
久しぶりにみんなに会えるのが嬉しいんやったら、その場は自分たちで作ればいいんやん。
成人式って税金使われてんだからさぁ。
ただでさえむちゃくちゃな使われ方をしている税金なのに、自分たちでまたむちゃくちゃな使い方してどうするよ。
私個人としては、「成人式」っていう厳粛な儀式のようなものが一生に一度くらいはあってもいいと思う。
「成人」の節目なんだし。
「人に成る」んだからねぇ。
儀式が必要かどうかはさておいて、「人に成ろうとする」ことは必要だよなー。
一つ付け足すなら、今の世間一般の「オトナ」っていうやつもどうかと。
携帯の電源を切らないとうるさく言われるが(音が出ないようにするのは少し考えればわかるはずの常識である)、この前のバイト中。
どこかの会社の新年会にて、たった5〜10分の挨拶の間に、3人もの人が携帯を鳴らした。
おとなもこどももないね、全く。



 1月12日(金)

人を馬鹿にしたメールがきた。
全く知らない「大阪に住んでる29歳の男」である。
「最近彼女と別れたんで気楽に遊べる女友達募集中です。
できたらHもありで(笑)
男やったらごめんなさい」
何笑ってんねや。
男やったらごめんなさい?女でもごめんなさいやろが。
受信に金かからないからまだ許せるけど、これで金がかかるんだったら、きれてるなー。
しっかし努力しないでおいしいもんだけいただこうっちゅー精神やで。
腐っとるな〜



 1月13日(土)

コトバの力ってすごい。
そんなことをあらためて実感。
だからことばが怖いし、けれどコトバに近づきたいと思う。
・・・深いことは聞くな。(笑)



 1月14日(日)

夏目漱石の「道草」を読むつもりで、どういうわけか購入したのは「草枕」だった。
・・・「草」に騙された。
それはそうと、この「草枕」が、最初面白くない。
あの有名な文句で始まるあれですよ。
「山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば、角が立つ。・・・兎角に人の世は住みにくい。・・・」
それでも読み進めているわけですが、ちょこっと胸につきーんときたところがあるので、そこを抜粋。
ひばりのことを言っているのですが。
「あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。・・・その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀は屹度雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた挙句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、只声だけが空の裡に残るのかも知れない。」
この部分を読んだ時、私は泣きそうになった。
ある話を思い出したのである。
昔、妹が病気で入院した時、退屈しないようにと昔話を撮ったカセットテープがあり、それで何度も何度も聞いたお話の中に、ひばりの話があった。
初めてその話を聞いたとき、なんて陰鬱な話だろうと思い、もう聞きたくないと思った。
ところがなぜか幾度となく聞いてしまい、ある部分は暗唱できるほどである。
今日はその話を紹介したい。
なんて題名かもわからないし、私の記憶に頼っているものだから、多少の違いはあるかもしれないが・・・
悲しくて美しい、ひばりの話。

その年は例年になく寒く、降りつづける雪はやむ気配を見せない。
あまりに毎日降りつづけるので、鳥たちもずいぶん弱っていた。
ひばりのすぐ側でつばめが今まさに死のうとしている。
ひばりは力づけようとするが、つばめは・・・
つばめが残した言葉。「誰かがあの厚い雲のむこうの太陽のかけらをとってきたらすぐに暖かくなるんだけど。僕にはもう間に合わない」
しかし、太陽のかけらをとってくるには吹き付ける風に耐え、何層もの冷たい雲を突き進まなければならない。その時点で死ぬかもしれない。
たとえ行けたとしても、太陽は熱い火の塊だから、近づいただけで焼け死んでしまうだろう。
だからどんなに大きくて強い鳥でも、それをとりに行こうとは思わなかった。
鳥たちはますます弱っていく。
その時、ひばりは決めたのである。
「僕が行こう」
ひばりは飛び立った。仲間たちのために。
その小さなひばりの体は何度も何度も吹き付ける風に打ち付けられ、進むのも容易ではなかった。
上へ。
「行かなくっちゃ。行って、太陽のかけらをとってこなかったら、みんなが死んでしまうんだ」
意識を失いそうになりながら、それでもひばりは上へ昇り続けた。
そうして長い長い間飛びつづけたひばりは、ふっと体が軽くなった。雲を抜けたのである。
あたたかくなり、今度はこのまま眠ってしまいそうになりながら、それでもはばたき続けるひばり。
しばらくすると今度は暑くなってきた。
太陽に近づいたのだ。
ごうごうと燃える太陽を目の前にしたとき、ひばりは初めて下界を見た。
そして「みなさん、さようなら」そう言って、太陽のかけらをそのくちばしに。
・・・ひばりは焼け死んだ。けれど、そのくちばしにはしっかりと太陽のかけらがあった。
そして地上に春がやってきた。
鳥たちはまた歌うことができる。だけど、ひばりのことはみんな知らない。
ただ、あのひばりの鳴き声だけが、空にいつまでも響いていた。



 1月15日(月)

童謡って結構謎ですよね。
よく知られてるのが「かごめかごめ」で、これはどういう歌なのかということでは、様々な説がとられているようで。
なんだか思い出して、一人歌ってみる。
「かごめ、かごめ
 かごのなかの鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ」
かごめかごめってどういうことか?「囲め、囲め」?
夜明けの晩っていつやねん!
後ろの正面って?
色々な疑問がわいてくる。
まあ、特徴的なのは、この対照ってことですかね。
「夜明け」と「晩」。「後ろ」と「正面」。
気になって、サーチエンジン「かごめかごめ」で、その謎を究明しようと思い立ったわけです。
一度気になったら、もう止まらない。
徹底追跡じゃぁー!!
探した結果、まあ色々出てきましたよ。
「かごめかごめ」のあそびかたから、京都の躾がどうのこうのって話から。
で、ちょっと調べた結果をここに記しましょう。
1、呪詛のうた・・・籠(加護?)の中の鳥」=「天皇」もしくは、その時代の帝都だった「京都」 と考え、鶴亀は朱雀・玄武を指し(ある方位を守護する聖獣)、それが滑ったってことは守護が解けたってことになるらしい。
1−b呪詛のうた2・・・籠目とは籠の編み目のことであるが、これは本来入れ物ではなく、呪具である。さらに「鶴」は空を飛び、「亀」は地を這う。すなわち「天地」と解釈できる。「すべる」は、「統べる」(支配する)ともとれる。
「祓いとしての「籠目」、それは三角形や六角形の「目」であり、目の力で悪霊を睨みかえすものである。」
ま、とにかく悪霊を封じ込めるための呪術ってことらしい。
2、陰陽説・・・「人は死んでも永久にあの世(陰)にいるのではなく、 いずれは再びこの世(陽)に生まれ変わることになる。」というのが陰陽説。(鬼ごっこはそうした遊びであるとのこと)
「籠の中の鳥は、鬼で死者である。いついつ出やる、と死者と生者の交代をけしかける。」ってことなんだって。わかるような、わからんような。
3、徳川埋蔵金説・・・歌詞が、徳川埋蔵金の隠し場所を示したものだそうだ。
どこがどうなのかはわかんなかったけど。
4、女郎説・・・これが一番流布している説みたい。女郎さんが流産してしまった時に、その供養の為に唄った歌だとか。
「かごめ」は、女郎さんの名前で、 「かごのなかのとりは、いついつでやう」というのは、 お腹にいる赤ちゃんがいつ出てくるかということ。
「夜明けの晩に鶴と亀が滑った」というのは、 夜明けにおめでたいことが滑った、 つまり流産したということだそうです。
「後ろの正面だあれ」には、解釈がいくつかあって、 オカルト的には、後ろに水子の霊がいるよ、という意味。
5、愛の復讐説・・・ある村の幼馴染の「かめ」くんと「つる」ちゃんの話。
この二人、思春期になり、恋が芽生えるわけだが、そんな時深い古井戸に落ちかけて、男の子の足に女の子がしがみついた状態になった。
自己保身のため、かめはつるを蹴り落とす。10年たって、かめはある女を好きになった。
そして気付けばあの古井戸に・・・また落ちたが、今度はかめが女の足をつかんでいる。かめは落ちる。
その時、井戸の中から歌が聞こえる。「かごめかごめ・・・」(かごは、方言で古井戸を指すらしい)
かめ」が井戸のそこについた時、「うしろの正面だあれ」 後ろを振り向いたら、そこには「つる」の死体があったという。
6、未来予想説・・・昔の人が未来を予想して作った歌だとか。
「かごの中の鳥」は奴隷。 「いついつ出やる」いつになったら出れるのだろうか。 「鶴」は戦闘機、「亀」は戦車を表す。 「夜明けの晩に 鶴と亀がすべった」は夜明けの戦争をたとえているのだ。
こじつけのような・・・いやいあや、滅多なことは言えませんが。
珍しいのは、「かごめかごめかごのなかのとりは・・・」を11×3文字で変則的に表示し・・・
というわけのわからないものが。
まあ、その読み方でいきますと、「日本史最古の陰謀とも言える古代戦国時代の 卑弥呼・壱与(台与)政権交代のことを表しているとも言えるのです。」
とのこと。
むー、そこまで考えられた歌であろうか、どうも・・・というのが私の感想ですが。

そもそもこの「かごめ」の歌は出所が不明で,明治以降に広まったらしい。
昔から、さまざまな童謡・童話・詩歌などには表の意味とは違う裏の意味がこめられていたというのをよく耳にするが、現在のように言論の自由がない当時は、歌などに暗にその意味をこめることで思いを主張したのでしょうかね。

一つ、これを調べていて「しゃぼん玉とんだ」の歌について触れているのがあったのだが、これは噂でもなんでもなく、確かに悲しいことがきっかけでできた歌だった。
昔、何かの本で読んだのだが、(これは信用できる本だったと思う。本の名前を覚えてないから、確認はできないけど)これは親より先に死んでしまった幼い子の命をシャボン玉にみたてて歌にしたとか。
何も考えずに歌っているけど、うたには色んな意味や思いが詰まってるのですねぇ。
しみじみ。



 1月16日(火)

私は昔「は」文学少女だった。
とにかく本が好きで、好きで、たまらなかった。
それにまつわる伝説(おおげさな)をしよう。
その1.国語の教科書
ある会社の自己PRに簡単に書いたのだが、これは新しい学年になった時に新しい教科書が配られるでしょう。
そのときのこと。
配られた時、まず何をするか?
名前を書く?−--それは次にすること。
教科書が汚れないように、カバーをつける?−−確かにしていたが、名前を書いた後。
私が一番にしたことは、国語の教科書をとにかく読むこと、だったのである。
国語の教科書は、たくさん話が詰まっている。評論とかあんまり面白くないけど、私は小説と詩のところを探しては、一生懸命読んでいた。
教科書を配られ、先生の話も聞かず、国語の教科書に夢中になる子どもだった。
未だに覚えていて、そのままそらで言うことができるのがいくつもあるよ。
こんなん覚えてたって仕方がないのだが・・・
その2.図書室通い
これも小学生の時の話である。
読書週間というものがあって、その週間の時は誰もが本を読まなくてはならなかった。
私はもともとすきだから、読書週間であろうとそうでなかろうと、あまり関係はないのだが、周りのみんなも動き始めるということで、図書室に毎日のように通うことになった。
その頃、読書ページを競っていた(何ページ読んだか、というのを記録する)のもあり、必死になって図書室通いをしていたなぁ・・・
読んでいた本は、シャーロックホームズシリーズに、コナン・ドイルのアルセーヌ・ルパンシリーズ。
私はホームズ派で、友達はルパン派で、言い争ったりもした。(今だったらルパン派かもしれない)
それから、伝記もの。これは、マンガがあって好んで読んでいた。
印象深いのは伊藤左千夫の「野菊の墓」で、これを読んだ時にはとにかく民子がかわいそうに思えて仕方がなかった。そして民子の墓の野菊がやたら印象的だった。
大人になってから読むと、印象が違って、昔の世間観とか気になった。
やり切れなさを感じた。そして今度は政夫がかわいそうに思えたものだ。
その3.体育置いていかれ事件
面白い本に出会った。私は好きなものに対してはものすごい集中力を発揮する人間である。
その本に夢中になった私は、めちゃくちゃ集中してそれを読んでいた。
(何を読んでいたのだろう・・・全く覚えていないが)
集中すると、周りの音も何も聞こえなくなる。直接呼びかけられても、わからないほどの集中力。
あっぱれ、私。
と、困ったこともあって、その日はまさにその集中力が災いしたのだ。
ふと、異様な静けさに気付いて本から顔を上げると、教室の中には誰一人いなかった。
なんと、体育で運動場に移動したのである。
それにしても、何人も友達がいたのに、誰も声をかけてくれないなんてひどい・・・と文句を言うのは間違いで、おそらく誰かは声をかけてくれたのだろう。
しかし、いつまでたっても反応しないので、諦めて行ったに違いなかった。
あれは焦ったなぁ〜。

昔の読書ノートが現れた。感想が簡単に書いてある。
北杜夫さんの「ぼくのおじさん」に、「なんとこの著者は、あの有名な斎藤茂吉の息子なのだ!!これはおっどろきー。」とあった。
若い・・・



 1月17日(水)

阪神・淡路大震災から6年。
最近、頻繁に兵庫県北部で地震が起こっている。
なんだか不安・・・



 1月18日(木)

冬のこの季節、うちで大活躍するのが石油ストーブである。
これはもう10年以上も前からある代物で、多分これを所持しているご家庭は少ないだろう。
これの便利なところは、やはりおもちが焼けることである。
さらに、やかんを置いておけば、お湯ができる。
これがめちゃくちゃ嬉しい。
なんだかすごく得した気分になる。
だって、部屋をあっためるだけじゃなくて、ガス代なしでお湯がわいちゃうんだよ?
いそいそと、できあがったお湯をポットに入れ替え、またやかんに水を入れる私だった。
いいんだ、庶民のささやかな喜びさっ。



 1月20日(土)

朝からバイトだった私に、まさか帰りには命の危険にさらされるなんてこと想像できただろうか―――
というわけで、私がホテルに着いてからしばらくすると、雪が降り始めたようだった。
もちろん、屋内にいる私にわかるはずもない。
披露宴が数件。
私は3Fの、神前式の控え室担当で、久しぶりのこの仕事に失敗しつつもなんとか無事終えて、下に降りた。
と、なんだかさわがしい。
なんだろう?と思っていると、なんと雪が降ってきたということで、みんなわさわさしているのであった。
私は次の宴会のために部屋を作り、客が来るのを待ったが、時間になってもなかなか来られない。
どうやら雪のせいで来られないらしかった。
数名、結局欠席ということで、それでも大分時間が遅くなってから会議は始まった。(宴会というか、会議だったのだ。その後、食事会もあるらしい)
私はそわそわしている。
車を運転して、もう2年になったが、実は雪道走行はほとんどしたことがなかったのである。
それで、心配で心配で・・・
「雪怖いから、早く上がらせてくださいよ」と訴えるが、「まだまだ仕事はあるぞ、いひひ!」と、上がらせてもらえない。
結局上がったのは夜になってからで・・・
車には当然たっぷりと雪が積もっていて、それをどかすのに一苦労。
雪はやんでいたので、それが救いだったが、まず駐車場から出られへん!!
積雪、30センチくらいだろうか?隣の車も雪をおろしているので、周りが雪だらけになり、タイヤが空回りするのである。
そこで「もしかしたら出られないかも・・・」という不安に襲われる。
何度も外に出ては、雪かきをして、雪を踏み固めて、なんとか駐車場を脱出。
道路には一筋のタイヤのあとができていて、そこをはずすと、まじですべる。
こんな体験、初めてや・・・
一瞬足りとも気を抜けない、過酷な状況の中で、ひたすら「生きて帰ること」を考える私。
と、ゆっくりでもあった流れが、止まる。
渋滞である・・・
そこここで、動けなくなった車が端に寄せるから、そりゃとまるわな。
仕事後の疲れで、眠たくなる・・・
寝たらいかん、寝たら死ぬぞ!!
一生懸命、車内で叫びながら、なんとか生還。
いやぁ、怖かった〜
すべるのってほんまに意思と関係なくいくからねぇ〜。
松の木とか倒れて、道路をふさいでたりしたし。
いつもは帰りは30分でつくはずが、1時間半かかっていた・・・
異様な緊張で、肩はばりばりにこってるし、本当に疲れて、ベッドに倒れこんだのであった・・・



 1月21日(日) 健康生活

面接のことを考えてたら、やはり健康生活が一番だろうな、と思った。
不勉強さなんかはそうとりつくろえるものじゃないし。
そのままの自分を見てもらうしかないんじゃないかな、と。
でもなにより大事なのは第一印象。
だと自分でも感じたわけですよ。
そこで、健康生活。
いや、「不健康そうに見える」にチェックをされたので、気にして。
そりゃ、目の下にくまをつくってたり、肌が荒れてたりしたら、いくら「健康です!」と主張したところでダメだもんね。
というわけで、数日前から健康生活を実施しようと思っている。
といっても、内容はごく当たり前のことなのだが。
1つ、朝起きて、朝食をかならず取る。・・・何もしない日は、つい遅くまで寝てしまって、結果ブランチになってしまう。やはり人間、規則正しい生活が一番。
1つ、6時間睡眠。・・・これがベストな睡眠時間なのだ。
1つ、よっぽどのことがない限り、2時には寝る。(「よっぽどのことがない限り」と書いてしまうところが私らしい)
1つ、水分をとり、体の循環をよくする。・・・あまり水分を必要としない人間なのだが、そうすることによってお通じもよくなる→肌がきれいになる?と思って。
1つ、ゆらゆら健康器を使用。・・・金魚運動はいいらしい。
1つ、活発に動く。・・・休みになるとダラダラしがち。はつらつと!
というわけで実行中です。
成果はまだああわれていない。まだかな〜♪



 1月22日(月)

一昨日、昨日とセンター試験だったそうで。
受験生の皆さん、ゴクロウサマでございます。
数年前の自分の時、ずいぶん緊張感もなく行ったよな〜ということしか思い出せない^^;
ところで、その問題を見ていたのだが、国語の問題。ちょっと気になる内容であった。
というのは、「日記」についての内容だったからである。
始めに「個人がその内面を書き記した日記をつけること自体、あるいはそれを公刊さえすることを、近代精神の《病》と呼んだポール・ブルジェ」という記述に目をとめた。
これはどういうことよ。
日記は「一つの保存装置、とりわけ《自己》を保存する容器」である。
「古代以来の日記文学の伝統のあるわが国は措くとして」、ヨーロッパにおいては「自己の内面を日記に綴るということは、自己を一種の財と見なして蓄積することであり、それは一方で資本主義、他方で個人主義という、ともに近代ヨーロッパの根幹をなすとも言うべき考え方の成長をまってはじめて現実のものとなった」のである、とのこと。
でも、なぜこうまでも日本とヨーロッパの考え方が違うんだろう?ふと思った。
いや、この文章の問題はこんなところにあるわけではないのだけど。
出典が書いてあるから、今度読んでみよーっと。

話はかわるが最近は、こうやってパソコンにむかって文字をうつことばかりになって、自分の手で、字を書くということがめっきり少なくなった。
久々に紙に書いたりすると、漢字が書けない。
ほんと、簡単な漢字だという事はわかっているのに、それが書けないのである。
もしやと思ってセンターの第一問目をやってみた。
なんとかできた。えがった〜
にしても、できなくなっているのは確かで、文章を書くとき必ず辞書をひいている。
ふー、やばいねぇ・・・
パソコンは便利で使いやすいツールだけど、やはり自分でも字を書きたい。いつまでも。
考えて、考えて生活しなければ頭が腐っちゃうよ。



 1月24日(水)

学校でセミナーがあったのだが、体調不良のためいけず・・・
女子学生のためのセミナーだったので、ぜひ行きたいと思ってたんだけど・・・
ところで、今日は少し真面目な話をしてみたいと思う。
授業に出ないで、楽々単位を取る人のこと。
私は、基本的には真面目だから、授業をさぼるということは滅多にしない。
でも、大学生には授業を一度も出ないで、他の人のノートを写し、楽に単位を取る人って結構いるよね。
まかりまちがって、見せてあげた人の方が成績悪かったりして・・・
そうする人はだいたい、要領のいい人だから、そういうことも起きちゃうんだ。
で、怒る人もいれば、親切にノートあげちゃう人もいる。
私は、自分に迷惑がかからなければ、別にノートを見せてもいいと思っている。
ただし、代返は不可。
あれって、先生を騙していることになるし、共犯になるから嫌だ。
それ以外は別にどうでもいい。
「楽々取りやがって〜!!」とは思わない。
そう思うのは、友達の影響もある。友達がある時言っていたのだ。
でも、結局授業出てない人はそれなりのものしか得てないんよ。ノート見せてもらっても、そのノートに書いてることしか得てへんねん。と・・・
だからむかつくことはない。
授業に出て、何か得たものはあるはずだ。(寝てなかったら、ね・・・笑)
それは、出ていない人には得ることは出来ない。
そう思って、最近は授業に出たりしていた。



 1月26日(金)

興味深いニュースを見た。
近頃、世間を恐怖に陥れている少年犯罪については、なぜこんな事件が起きるのか、何が原因となっているのかということはずっと考えてきたことで、その一つの答えとなるようなことが報道されていたのである。
チラッと見ただけだったので、ちゃんとした数字を覚えていない。
そこで、インターネットで検索したのだが、一発で出てきましたよ。
いやぁ、便利な世の中になったものですな。
この、少年犯罪にかかわらず、残酷というか、異常な事件が昨今多いっすよね。
その理由はただ単に「家庭が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」といった説明で済ませられるものではない、と私はおもうのですよね。
全く関係ないわけじゃない。だけど、それが理由だ、と決め付けるのは非常に短絡的だと思うのですよ。
まあ、一つのことが起きるのに、その原因は一義的なものではないことはよくありまして。
この犯罪の異常さについても、様々な要因が複雑に絡み合っているんだろう、と。
起爆因子と促進因子と・・・
促進因子については、最近よく聞くのが環境ホルモン。(鈴木雅子著「その食事ではキレる子になる」など、色々あります。)
それから、大脳生理学では耐性がなくなってきたとも言われますな。(いわゆる、「我慢が出来ない」ってやつ)
で、今回知ったのは、複数殺人を犯した犯罪者の87%が、形態異常か、あるいは脳波の異常が見つかったということだった。
これはすごい数字ですよ!
犯罪には「心」の問題がからんでおり、人間の「心」の現象は、「脳」の活動だと説明されている。
これを起爆因子と考えることはできるんじゃないかな!
私は社会や学校や、そういうものを理由とするより、こうやって数字で科学的に判明されることを原因と考えたい。
もちろん、社会や学校に問題がないというわけではないけど。
脳の異常。これらの傷が感情をコントロールする脳に影響を与えていた。
しかし、脳に異常があるからといって全ての人が犯罪を犯すわけではない。
脳に微細な障害があるのうち、犯罪を犯す率はわずか4%だというのである。
その差はなんなのか。それは異常なストレスであったり、周りであったりとするのだろう。
そこらへんは、どうすればいいのかと考える余地は十分にあると思いますが。
とにかく、今回こういう結果が出たのは、ちょっとした安心感というか、そんなものを感じました。
社会全体がおかしくなってきたのか・・・?と疑わなくもなかったから。
ま、いずれにせよ、複合的に捉え、考えていく必要があるでしょう。



 1月27日(土)

2月始めには、ついに会社訪問が始まりますよ。
ってなことで、そろそろシャツ買わんとあかんよな〜。
バイトはあったが、夕方からだったので、その前にと思って買いに出かける。
2〜3枚購入する予定である。色は明るい色と決めていた。
顔色があんまりよろしくないから、明るい色にして少しでも明るく見えるようにしなくちゃね〜。
ピンクはあんまり好きではないんだけど、敢えて購入。
まあ、似合わないわけでもないからいっか(自己判断)。
あー、なんか就職活動してるってかんじやなぁ〜。
昨日は、レポートの締め切りだったので、学校に行って、頭おかしくなりそうになりながらもなんとか(無理矢理)終わらせ、へとへとだった。
遊ばないとね♪
(なーんて、まだ2つも残ってる・・・はう)



 1月28日(日)

妹の誕生日だったのだ。
バイトも、夕方に終わったので、いつもより早めに帰宅。
夕食は外食でした。
もちろん肉。
家に帰ってから、ケーキを食べて、食べて食べての一日やなぁ・・・
と思いながら一日が過ぎる。
妹も、4月には一人暮らし。
こんなんを社会に出していいのか?という気もするが、出る出るっていって聞かないから、仕方がないのだろう。
人様に迷惑をかけないことだけを切に祈るのみですな。
今は、人が寝てるのに「車出して〜」といいように使われ、めちゃくちゃ言われて、「も〜う!!さっさと出ていけ!」と思ってるけど、実際出て行ったら、手のかかる子なだけに、寂しくなるものかもしれないな〜。
なんて少しセンチメンタリズムになったり。
今日もコタツで寝てる妹。
自分の部屋で寝ろって言ってるだろーが!!
言ったら「起きてるわ」とか言うし。同じこと繰り返して、学習能力ないやつめー!!
しばらくは神経逆なでしてくれるみたいです。いらいらいらいら。



 1月29日(月)

源氏物語占いというものを知る。
昔、同じ名前のものをしたことがあったので、ずっとそれはその昔やったものだと思い込んでいたのだけど、今日したのは、実は思っていたのと違っていたのだ。
自分の性別と生年月日を打って、クリックすれば源氏物語の登場人物のなかで、自分が誰に近いかが分かるというもの。
14タイプの姫君(と、14タイプの源氏たち)に別れてるらしいのですが。
気になる自分の結果はといいますと、なんと紫の上なのでした。
なんで「なんと」というのは、まあ紫の上が、源氏物語の中でヒロイン的存在だからというのと、私の中で紫の上って、特別な思い出があるからなんですねぇ。
紫の上は、少女のころ源氏の君に見初められ、彼のもとで成長する。
やがて源氏と結ばれるのだが、彼女には後見人がいないため正妻にはなれない。けれど源氏の最愛の人。
その後、彼の女性問題に悩まされる。
そういう人生を送る人。
で、特別な思い出っていうのが、小学5,6年生の頃に見た夢の中で、こういうのがあったんです。
謝恩会かなにかで、クラス劇をすることになった。
配役はもめたが、光源氏の役になったのは、その当時私が好きだった男の子がすることになる。
葵の上、藤壺・・・役が決まっていく。
私は何の役になるのだろう・・・
どきどきしていたら、なんと「紫の上」!!
どきどきシーンなどあるんじゃないの、ええ!?
自分ではやはり紫の上になりたいと思っていたものだから、心の中で大喜び。
恋人になるんだから、もちろんラブシーンなどもあるわけだ。二人で練習してたら、何かが生まれるかも。
きゃあきゃあ、どうしましょ。
なーんて一人で盛り上がってるところで、それは夢だったんですけどね・・・
なんて自分に都合のいい夢見てるんでしょ、この子ったら。
相当「紫の上」になりたかったのでしょうか。
今だったら絶対やだけどね〜。
源氏、気に食わないもん(笑)。あれ、絶対マザコンだよ〜
好きになる人なる人、どこか亡き母の面影があるんだから。
ま、そういうわけでなんとなく「おお!私は紫の上なんか!!」と反応してしまったわけで。
「繊細さゆえに、本当に信じてきた人に裏切られたときあなたはパニックになります。どことなく怯えた雰囲気が漂うのは、不安が絶えず心に宿っているからなのです。」
おおー、やっぱ私は「繊細」なのねー。うんうん、気付いてたって!
どこの占いしても(占い好き)、「繊細」って書かれるしなー。
ついでに「不安」もよく書かれてるな。
動物占いでは、私はペガサスなのだけど、「その不安を逆に原動力にしてる」というようなことが書いてあった。
そういうところは確かにあるな、うふ♪



 1月30日  心の叫び。

あー、テニスしてぇ〜!!
ちょっと心の叫びを文字にしてみました。
練習サボりがちな私ではありますが(いや、正確に言うと、さぼってるんじゃなくてスケジュールにあわなくてだなぁ、ごにょごにょ・・・)、いざないとなると異様にしたくなるんですな、これが。
サークルのホームページができたのですが、その掲示板で、ある人が全豪オープンを見て、非常に興奮している様子。
熱く語っていた・・・
今回でファンになった選手のバックのストレートに魅力があるらしく、それをイメージしながら部屋で素振りしてるらしい・・・
私はあのでかいやつが目をきらきらさせて部屋で素振りしているのをイメージしただけで笑えてきたよ・・・
いやいや、馬鹿にしてるんじゃないで。むしろほめてるっていうか・・・
よく部屋んなかですぶりなんかできるよなー
その情熱がいいな、と。決して馬鹿にしてるわけじゃ・・・
想像しながら、笑いながら、それでも私は気付いてしまった。
バイト先でたまに、手をブンブン上下に動かすことがあるんだよね。
無意識のうちに。
で、「な、何してるん?」って聞かれる。
私は無表情でこう答える。
「スマッシュ。」
今日も家でスマッシュしてる自分がいました。ああ、こわ。