日本再生への一提言
今の我が国は深い沈滞・諦
観・焦燥の相混ざった社会である。環境対策をフィールドとして来た私は、そのような社会に対し、もっと明るい社会の到来を待ちかねている。環境問題を取り
上げるとき、社会が沈滞すれば最初に切り捨てられるのが環境分野である。勿論高度成長の時の延長上のような技術革新を無反省のまま受け入れる所もあり、こ
れは後世に大きなお荷物になるという意味で、鬼っ子のようなものである。
なぜ日本は不況か
1990年からの12年間はバブル後遺症ではない
「バブル崩壊後一向に立ち
上がれない日本」というような論調が少なくなかった。勿論そのような論調はさすがに少なくなった。あの1990年
は日本が修正資本主義(ケインズ主義)か ら米国の新自由主義(自由放任主義)の軍門に下った変換点であった。米国はレーガンの時代に、1985年までの5年間で無血革命を成し遂げた。そし
ていよ
いよ世界に乗りだしてきたのである。小さな政府、規制緩和、資本自由化、貿易自由化、金持ちと企業の税半減などをモットーにして、効果的な国家を作り上げ
てきた。
新
自由主義は低コスト社会を目指す
フリードマンが徹底的に非
難したのはケインズ主義である。ケインズ主義は公共投資と労働者の保護を基本柱として、豊かな社会を作ろうとしてきた。ところが、当然ながら高コスト社会
となる。米国はその高コストの行き詰まりに対して、全てのケインズ主義的要素を5年間で破棄し、徹
底的コストダウンを図った。それが新自由主義である。こ
こで云う自由とは「信条の自由」を指すのではない。社会活動の自由を云うのであって、どのように金儲けしてもよい、国家は一切干渉しない、という意味であ
る。当然のことながらこの国家ではコストが低減できるから、外国との競争において絶対的に優位に立つ。こうして米国は再生した。
日
本の富の流出
我が国はケインズ主義のお
手本であった。マッカーサーの統治は帝国主義を完全に塗り替えてしまった。そこに低コスト国家がなだれ込んできた。今までバランスしていた国家間で、新自
由主義を採用した国家が出ると、当然優位に立つことになる。技術力が劣っていても、コスト優位であれば企業優位に逆転する。そこで、日本企業を買収すれば
なに一つ開発することなく、新しい技術が手にはいる。こうして日本の富=生産・技術力を米国はタダで取り込むことになった。フランスの国策自動車会社ル
ノーもあわててゴーン社長を送り、日産を乗っ取る。かくして日本がケインズ主義の高コスト体質から抜け出せないでいる間に、欧米諸国は体質改善を図り、日
本の富をかすめ取ることとなった。
日
本が選んだ道―高コスト国家の堅持
このような事態に対し、我
が国が選んだ道は、「米国に云われるままの資本自由化と貿易自由化はするが、ケインズ主義の公共投資、各種規制、各種保護、各種福祉などは放棄しない」と
いうものであった。詰まり高コスト国家は維持し、世界と戦おうとするものであった。当然ながらその帰結は明白である。産業空洞化は1990年から今になっ
てもなお進んでいる。
破
滅への道か
これは明らかに破滅への道
ではなかろうか。資本自由化、貿易自由化を自国は拒否し、国内では徹底して新自由主義を押し進め、低コスト化を図るなら、日本は猛烈な成長路線となろう。
勿論諸外国がそれを許すわけはないとしても、今のような沈滞は起こらなかった。しかし、この選択は今の政府には無理な相談であろう。米国には簡単にイエ
ス、これが今の政府である。たとえ日本を滅びの道に進ませるとしてもイエスか。
中
国は変身した
中国はソ連崩壊後、実質共
産主義を放棄し、新自由主義を採用した。当然のことであるが、新自由主義は国家の主権については何も問題にしていない。一つの組織が独裁であっても採用で
きる主義である。簡単に云えば、第1次、第2次
大戦までの帝国主義のやり方そのものなのである。食い破られ、ちぎれちぎれの日本の富を、中国は吸収し尽く
す観がある。
我
が国は自分の現状を理解せよ
銀行の不良債権はなぜ処理
できないのか。いうまでもなく、富=生産・技術力が流出していく我が国において、銀行の不良債権が増えていくのは当たり前のことである。問題は生産現場な
のだ。これが我が国で生き残り発展するような外交政策が必要なのだ。今の政策は生産現場を中国を中心とするアジア諸国にタダでやるのと同じである。
新
しい技術革新だけでは国民は豊かになれない
政府は、特許に代表される
新技術、技術立国を目指している。しかしこれで1.2億
人を養うことが出来るであろうか。最先端技術でなるほど企業は利益を上げる。しかし、その利益は国
民には配分されないことに留意しよう。それが新自由主義の神髄である。トヨタが、ソニーが幾ら利益を上げてもそれは国民のものではない。国民はトヨタやソ
ニーに勤めたことによる給与分だけが配分である。世界市場に出ていくこれら優良企業の国内での雇用は必ずしも多くない。
特許で多くの収入があるとして、企業はそ
れを国民に分配するわけではない。従来であれば、法人税、高額所得者税制によって国家が吸い上げ、結果として国民に配分されてきた。今は利益は儲けた組
織、儲けたものにある。
平
面テレビも一年で外国へ
最近のテレビは平面であ
る。その開発にしのぎを削っていた東芝等弱電メーカーは、まず1年間日本国内の工場でラインを動か
してみる。それでノウハウを得て、次の年には外国にその
ラインを作る。これが現状である。どのように技術を開発したとしても、それは我が国民の利益になるわけでない。政府のいう技術立国は幻ではなかろうか。
日本再生への道
時間40円12時間労働に勝つために
NHKの
特集によると上海のある大手メーカーの女
性社員は12時間働き、時間給40円とい
う。ここには共産主義の面影はない。我々は中国を何時までも共産主義と見ていてはならない。この国に勝つためには
どうすればよいであろうか。勿論うち勝たなければ日本は持たない。日本が世界に羽ばたいたのは総合的生産力である。生産現場あってこそ国が栄える。特許だ
けでは飯は食えない。中国の人件費は安い。また安いとしてもそれなりの生活が出来る。上海の若者は日本よりリッチと思われる生活をしている層がある。日本
は20倍もリッチではない。
ここに隠された問題がある。名目賃金だけ
高くても、日常の生活は苦しい。何がそうさせているかを考えてみよう。
日
本の物価は高いか
我が国の物価は昔は高かっ
た。しかし今、食料品は約2/3、衣類は1/3,建物は約1/2となっている。従って給料が従来の1/2であってもそれなりに生活出来る筈である。しか
し、そうではない。其れ以外の所も1/2に
なるならば、日本は賃金が半分になってもやれていく。デフレスパイラルを経済界や政府は恐れるが、実際に贅沢し
なければ相当安くなっているのである。庶民はこれを謳歌している観がある。経済界のデフレはこれに合わせて上記以外が値下がりしていくことにある。但し賃
金が下がることには危機感がない。これは新自由主義の導入と考えると自然なのかも知れないが、何か勝手がいい。
生
活費が半分になれば
残りの諸々が1/2の価格になれば、賃金
が半分になっても同じことである。そうすれば諸外国に出ていった企業群を呼び戻す可能性もでてくる。特に中小企業は活性化する可能性が高い。製品は既に半
値になっている。賃金や水、電気などが半分になるならば活動再開である。
生
産現場を維持する外交を
勿論、上下水度、電気、ガ
スや賃金の低下だけではつぶれかかった社会を再び活性化する保証にはならない。外国との貿易、資本政策に対しても、我が国を守るという明確な方針が必要で
ある。新帝国主義とまでいわれる米国が、我が国には徹底して自由化、米国化を要求しながら、多くの関税障壁を設けていることを知らぬ人はいないであろう。
自由化とは相手を自由化させることであって、自分を自由化することではなさそうだ。自国の利益を第一にしない外交など存在しない。
中国はどうだ。かの国も鉄鋼に網をかけて
きた。制約ばかりの貿易である。それが我が国は開発輸入などしほうだいだ。外交は先ず我が国の利益を第一とする基本方針を確立すべきである。互いに国益第
一としてこそ、正常な国交を構築できる。
ネギを輸入制限するかの議論で、中国の脅
かしていとも簡単に制限を諦めてしまう。米国、中国の鉄鋼輸入制限でも簡単に呑んでしまう。相手方の輸入
制限はある意味では相手の都合であるから仕方ないとしても、日本の弱腰外交は何とかなら無いものであろうか。低コスト国家を目指すとしても、垣根一つなき
我が政府では働く意欲を失う。
生
産は国の総合力で維持するもの
生産は何も社長と従業員だ
けで維持するものではない。生産に関連するあらゆる環境がその生産を支えるのである。現在日本には明確に生産現場を外国から守るという方針がない。国から
見捨てられて、なぜ、韓国、中国、米国に対峙できるのか。生産現場は今政府から見捨てられている。誰も企業を守ろうとしない政府に目覚めて欲しい。
要は総合力である。最も欠かけているのは
国内企業を守れない外交である。勿論高コスト体質も問題になる。方策はーー頭を痛めるのが政府の仕事では
ないか。何も賃金が40円と800円の開き
で勝負がつくのではない。しかし、賃金格差は決して無視できない項目である。しかし、我が国では時間400円
で
は生きていけない。それはそれを生活させるだけのシステムがないからである。たとえば社会資本は余りにも不経済である。沢山の金をどぶにぶちまけるように
して使ってこなかったか。それが我が国の高コスト国家を作っていないか。
中
小企業が発展できる体制こそ
「大企業は日本に大きな利
益を与えてくれる」それは見かけである。法人優遇措置を最初にしてしまった我が国では大企業の利益は国の利益にはならない。むしろ中小企業こそが値打ちが
ある。中小企業は多くの従業員を抱える。得られた収入の多くが賃金として国民のものになる。最先端技術は勿論大切であるが、それだけでは飯は食えない。国
民が生きていくのは多くの労働を通してもらえる賃金である。企業収益ではない。それが新自由主義の一つの側面である。賃金はそれ程高くなくてもよい。働く
場が必要なのだ。そのためには外交は経済戦争であるとした確固たる政府が必要だ。そして電気、ガス、水道、バス、電車、高速道路料金――これらが安価な社
会を作るべきである。
高
齢者社会に生きる
我が国は地球上始めての高 齢者社会となる。現在の老人医療費、年金などの出費、税金を計算すると近い将来年収の80%が取ら れる計算になるという。このようなデタラメな計画を恥と も思わぬ政府である。早く正常になって貰わないと、日本の将来はない。高齢者には労働の場が与えられるべきである。それは支出を考えるとき大きな意味を持 つ。しかし、現在の仕組みでは老人は不要である。企業にとっては邪魔者である。そこで老人大学で楽しんで貰う、ゲートボールをしてもらうことになる。何れ にしても単純消費者との位置づけである。これが5万円でも、10万 円でも収入のある働き口を提供するシステムを構築することが緊急を要する。それでな ければ日本はうば捨て山政策に突入しかねない。