河口堰の功罪
筑後川にも河口堰があって諫早湾の締め切りと一緒になって有
明海を悪化させているのかも知れない。私の住んでいる
1.河口
堰の「功」は無いか
場合によっては、必要な用水となることがあろう。それを否定するつもりはないこ
とを予めお断りしておく。20年前ならば、それなりに期待された河口堰であるが、今では全く様相が
異なる。現実問題として、利水は希な例であり、それをもって「功」にはならないという視点に立って検討する。日本の将来を考えるとき、公共投資の意味を解
析する事例でもある。
農業用水は要らない
河口に巨大な淡水ダムが出来て、農業用水や水道水、工業用水
に使うことが出来る。この1点が長所であるといわざるを得ない。環境破壊を行ってもメリットが大きいという
ことであった。ところが、農業関係では既に日本は開発し尽くされていて、たとえ沿岸部といえども、巨大な資本を投資して採算が合うものはどこにもない。
工業用水は必要ない
次は、工業用水であるが、今の日本は第二次産業を極東アジア
に移してお
り、工業用水の需要は大幅に落ちている。このような時代に、長良川河口堰では愛知県、三重県が河口堰以上の金を出して配管しているという。誰も欲しくない
水のために投資するのである。これを認めると責任問題になるということが継続の最大因子であると考えたいが、あるいはゼネコンに税金をやるためであったり
するかもしれない。水については、コストがかかるのが問題である。企業は節水に励んでいるのは当然である。
水道水は余っている
水道水は結論からいえば全く需要先が無い。河口堰水がきれい
でタダであるならば貰ってもよいが、値段ほどほどで水質も悪い(河口であるから最も水質が悪い)場合がほとんどであるから、ごめん被りたい。
2.公共
事業が日本を追いつめる
「公共事業そのものに意味がある」かどうかを議論する。小泉
政権の30兆円公約がいとも簡単に飛んでしまったように、景気が悪くなると公共事業の声が
高くなる。しかし、この公共投資は1990年、バブルがはじけた以後、ずっと12年間続いてきたこと
である。公共投資で支えた結果、ますますゼネコンと銀行を追いつめたのである。もしも1990年、体力が日本にある時に、清算していたならば、今より余程よき社会になってい
たであろうことは誰にも異存があるまい。
既に、他のセクションで考えてきたように、世界が変わってし
まったのであり、その世界に遅れて何も対応できないため14年間も日本は降下していたのである。失われた14年間は膨大な国債を積み上げてしまった。そし
て地方交付金のカットが小泉政権から激しくなった。奈落の底までつき合わされる国民はたまったものではな
い。特地方自治体はこの間箱ものを作りそれが今の悲劇の原因となった。資本と貿易など全てに自由化を強制する米国の前で、公共投資はまるで反対の施策であ
る。公共投資は修正資本主義(ケインズ主義)の遺物であって、新自
由主義の世界秩序に反し、わが国を弱体化するものであることは、いまさらいうまでもない。アメリカや中国と同じような政策に移行しながら、公共投資を行う
ことはできないのである。
ある市が200億
円の社会資本投資をしたとしよう。公共投資によって活性化したいということである。議員も賛成した。そしてそれが実行に移された場合、他市の企業群が全て
受注したとしよう。結果として全体として公共投資は仕事を作った。しかし、仕事を得たのは隣の企業であり、当該市には借金だけが残った。それが社会資本と
して大いに役立つならばよかったが、他市よりコスト的に不利になった。市の社会資本コストの膨らみにより、企業や市民はその負担に耐えられず脱出するよう
になっ
たその例が夕張市である。
今日本の公共投資等による活性化は、自由化時代を迎えて、このようなものである。投資すれば、巡って、米国や、特に中国などが潤うのである。かくして他
国のためになるかも知れないが、ますます日本は没落する。
河口堰は社会的に無用の長物であるだけに、建設することは、ますます日本を突き落とすことになるであろう。
こ
れからの公共投資は、日本の生産基盤を世界市場で有利にするための限られたものであることが肝要だ。勿論日本国民を富ませる社会資本充実も大切であるが、
それは新しい社会秩序の中では、常に危険を伴うことである。それが国民を活性化し、結果として外国に対抗できる明確な論拠が必要だ。山奥まで水路を整備し
つ
つ、片方で農産物自由化圧力に次々譲歩し屈して行くなど、まさに日本を滅びさせるための政治そのものではなかろうか。
1988年頃から学生にこれらのことを述べてきた私にとって、打つ手もなく奈落に沈んできた我が国はあまりにも寂しい情景である。
社
会資本投資については私も原則は明らかであると主張しても、各論となるとよく分からない。実際高速道路建設を例に出すと、全く無駄という道路はなく、どの
ような建設予定路線であっても何らかの価値はある。しかしながら、それら全体として見るとき、全く評価できないことは、日本道路公団の借金を見れば分か
る。あるいは本四架橋が3本になったことを見ても、既に遅しではあるが、新しい評価基準で抑制しな
ければならないことは当然である。その基準の一つがコストパーフォーマンスである。それぞれの社会資本において厳しい評価の導入は避けられない。また、外
郭団体や公団などで無駄飯を食む集団を排除しなければ日本の発展は難しいかもしれない。
3.生態系
の切断
堰が出来ると、上流と下流が切断
される。サツキマスが問題になっていたように思うが、それだけではない。甲殻類のエビやカニは基本的には海で産卵し、子供が上流を目指す。魚もマス類は河
口で産卵する。
○カニーーカワガニ(モズクガニ)は台風
の増水にあわせて川を下り、産卵する。そこで籠を仕掛けてこれらを捕獲することが全国で行われている。
○エビーー陸封型のエビはスジエビ(シラサエビ)とミナミヌマ
エビ(ブツエビ)程度である。それ以外のほとんどのエビは海で産卵する。熱帯魚屋で、水槽のガラス掃除屋のヤマトヌマエビを売っているが、このエビは当然
海で産卵するから、購入しても増やすことは出来ない。結局定期的に熱帯魚屋で購入しなければならないという、値打ちものだ。ホビーはこれを増やそうと一生
懸命になる。
○魚――サケマスが有名であるが、産卵のため海から上ってくる。それ以外ではアユ、ウナギ、ウグイなどがいる。これらは海で産卵する。
これらの生物は堰が出来ると生きていけない。鮎は有名であるが、それ以外に多くの生物が海と川を行き来していることを知って欲しい。そして魚がかわいそ
うだという心情的意味で問題にしているのでは無いことも理解して欲しい。
エビやカニは川を浄化する
川には沢山の生物がいる。その中で甲殻類は川の有機性泥(デ
トリタス)を食べて生活している。すなわち、川の掃除屋である。水槽にエビを入れてみるとよい。そこの泥が食べられて、体積が1/20〜1/100のサラサラとした泥になってしまうのを観察することが出来るであろう。この掃除屋はぜひ河川や河口に繁
殖させなければならない。
ところが、河口堰が出来ると、これらを棲めなくしてしまう。河口堰の底全面を50cm程度解放す
るような維持管理をすればいいのであるが、当然、それでは堰の意味がない。堰は彼等を死滅させ、自然の浄化能力を破壊するのである。
漁獲・レジャー
鮎は河川では最大の漁獲を誇っており、毎年春5月頃、琵琶湖の稚魚と養殖センターの稚魚が放流されている。天然遡上アユは実質上堰でいなくなるわけであ
り、放流でかろうじて漁獲が維持できている。アユも河川浄化には大いに役立っているのであり、天然遡上を主体になるのが浄化にも好ましいことはいうまでも
ない。
カワガニは非常に美味しく、地方によっては高額で取り引きさ
れている。カワガニは生産額として日本の統計には登場しないけれど、決して無視できるものではない。河川がきれいになり、河口も堰が無くなれば、沢山のカ
ニが生息するようになり、河川が浄化され、カニが水揚げされ、レジャーとしても大きな意味を持つことになる。
4.河口の
生き物の意味
シジミは最大の漁獲高
河口の汽水域には多くの生物が棲んでいるが、その中でもシジ
ミは漁獲高No.1を誇っている。河口の汽水域に生息するのはヤマトシジミで、最も美味しい。とこ
ろが、河口堰が出来ると実質上零になる。この漁獲は半端なものではなく、漁業に大きな一角を占めている。
かの宍道湖の動きと、堤防締め切り中止の決定は、このシジミ
が決定的な位置を占めていた。日本各地の河口で、河口堰や汚濁によって次々シジミがいなくなり、宍道湖のシジミが価値を認められるようになった。最初漁業
権放棄して国から補償金を貰っていた漁師は、一年間のシジミ漁だけで補償金を越える利益を上げるようになった。これが決定的であったことは皆さんもご承知
であろう。補償金は返すと言い出したところで、宍道湖・中海干拓が進まなくなった。工事をすれば、たとえそれがタダであったとしても、より多くの損失が発
生するという事態が開門を決定した。
M県産シジミは実は韓国や中国産であり、これを業者が砂をは
かせてM県産として販売していることが、テレビなどで報道されていた。外国の排水規制は無いに等しいとも考えられるから、このようなシジミは勿論よろしく
ない。これを生け簀におけば日本産になるなどは、とんでもないことだが、それが農水行政の現状であるし、それを変えようとする世論も声が小さい。国民は間
違いない国産を期待していると思いたいのだがーー
宍道湖はかろうじて閉門を避けられた。しかしながら中海の堰
自体は完成し、工事費はゼネコンに支払われた。この建設費はどのように処分されるか現状では不明であるが、水質からすると堰が現存するため日本海からの海
水の流入はあまりにも不十分である。そのため今や中海の海底は死の海となっている。中海の海底の死は、その上流の宍道湖に多大な影響を与えている。宍道湖
は今や風前の灯である。あの、シジミが決した開門の意味が今危なくなっている。そして宍道湖産のシジミといって外国産を売りつける業者が出てくるように
なった。
河口の生き物の浄化システム
河口には多くの生き物がいる。ハゼやカキは誰でも知っている
であろうが、其れ以外にも沢山の生き物がいて、汽水域でせっせと浄化している。河口では淡水の藻類は生きていけないから分解される。生き物にとっては大変
なごちそうであるーーすなわち浄化システムが出来上がっている。河口堰はこれを破壊する。これについて今更いうこともあるまい。
5.魚道は
無いと同じか
鮎さえも遡上できない魚道
魚道があるから生態系は維持されるとの主張がなされることが
ある。ところが、その魚道なるものはお粗末きわまりない。学生と河川調査すると確かに大きな河川では魚道が設置されていることが少なくない。ところが、水
が流れていないもの(流れる構造になっていない)、魚道の先端が堰より相当下流であるもの、魚道の先端が浮き上がって滝のようになっているもの、1.5m/秒以上で滝のように流れているものなど、鮎
でさえも遡上できないものが大半である。気休めの魚道、これが現状である。そのために多くの税金が別途支出されてきた。
本当の魚道は瀬である
長良川河口堰の魚道はしっかり建設していて、マスや鮎も沢山
遡上しているという。しかし、それは一時的測定であって、それで、生態系を破壊していないというのは無理がある。本来の魚道は川の1/4位を使って、川の瀬状に作る(ランプ工など)べ
きであると私は考えている。今の水路型は生態系の決定的遮断を回復することが出来ない。
コンクリート製の魚道は自然の浄化システムを破壊する。どのように設計しようとも、せいぜいある割合のアユが遡上できるだけである。それにも増して意味
のある多くの生き物たちの生息を、魚道は保証できないと考える。
6.おわり
に
これだけどこから見ても有害な社会資本としての構造物は少な
い。しかし、30年
前はこのような悲惨な状態を誰が予想してきたかと考えると口が重くなる。ダムや締め切り堤防、干拓など長期間に渡って工事が続くものについては、長期的視
野を欠くことが出来ない。多くの場合、将来は発展するというバラ色の作文をしてきた。書いた本人さえも信用していなかったと考える。派手に未来を描けば工
事費が2倍となり、自分も注目を浴び、将来の出世に繋がっていくというようなところで、日本が食い
物にされてきたのではないか。日本はそれさえも飲み込んで成長してきたのである。少し前までは。
日本に必要な人材は10年先、20年
先を読める人達である、全体像が正しく読める人達である。またそれを尊重する政治である。今の日本を、未来を担うといわれている人達は、専門家というべき
集団とはいえない。それらは、私を含め、往々にして視野が狭く非現在的、非未来的である。今程、わが国に、人材が求められる時代はない。
(2004.10.12 改、2007.3.22改)