地方都市の再生ー自治州ー

 2002年から2003年にかけてのHP上の論文(再掲載した4件)は、当時としてはやや過激であったと批判されたかも知れない。しかし、2007年時 点で読むならば、新聞やテレビで言われていることを、多少理論的にサポートしているに過ぎない。むしろ、解析が甘いと批判されかねない。それほどまでに日 本の行政は、経済界が元気を取り戻したにもかかわらず、崩壊しかねない情況になってきた。
 最大の原因は、小泉政権はやっと世界基準に白旗を揚げたのであるが、惰性的に続いたケインズ主義の施策が膨大な財政赤字を生み続け、その処理に手がつけ られていないことである。産業界はリストラや給料ダウン、とパート労働者の採用によって、人件費を50%以下にまで下げ、製造技術を海外に持ち出してさら にコストダウンを図ってきた。しかし行政は債権を膨らまし続けたのである。今やわが国は世界一の債権行政国になってしまった。
 結局、行き着く先は、公共投資と地方交付金の大幅カットである。夕張市に代表される地方財政破綻である。

踊らされた自治体
 市町村は国の補助金によって道路を作り文化センターや観光施設を作ってきた。上下水道では下水道の整備や膜ろ過に代表される「近代的」浄水場である。こ れらの施策は1990から14年間続いた中途半端な国政に則るものであった。すなわち、企業や資本家に対しては税金の大幅免除という新自由主義的行政を取 り入れながら、支出は硬直的ケインズ主義の公共投資と財政援助を続けてきた。選挙対策としてこうなることは事実として分からないではないが、行ってはなら ないものであった。こうした国家財政の不合理な施策が限度を超えたとき、その先端で踊らされた市町村は破綻することになった。

市町村は際限なきコストダウンの道 しか残っていない
 既に国家破綻に近いわが国において、市町村を救う余力は残っていない。ケインズ主義を放棄した政府が地方交付金で市町村を救うことは出来ない。市町村は ひたすら支出を削減するしか道はない。「朝ズバッ」もどうしようもないというようになった。自治体は病院を閉鎖し、スポーツ施設を閉鎖し、職員を半減す る。それしか道はない。

社会資本のコストダウンを阻むも のー国の一律基準ー
 水道を例に取ろう。厚生労働省は水道の水質基準で50項目を定め、分析することを要求している。ところがこの分析費用が極めて高価であり、地方の負担は 耐えられる限度を超える。設備を併合すれば費用は下がるが、過疎地においてそれを求めるのは、財政破綻の道である。
 追い討ちをかけるのがクリプトスポリジウム対策である。指標菌特に大腸菌が1回でも検出された地下水は、直送方式を止めて浄水場を作れという。しかしそ れは科学的裏打ちがあるとはいえない。統計学的解析は全くなされていないようだ。
 100人程の山奥の集落で、小型で自動化出来るとして膜ろ過を購入すると、その建設費だけでなく、大変な維持費に泣くことになる。かといって住民にそれ を負担させ月に2万円支払えというと、住民が生活破綻する。

東京は地方の4.5倍の所得
 所得格差はとどまるところを知らない。これが新自由主義の真髄である。この格差は地域間においても明らかである。2007年2月5日の毎日新聞で示され たように、東京都田舎の所得格差は最大4.5倍である。その他の地方も3.5〜4.5程度になっている。これで地方が生きていけるというのは、全く論理的 ではない。

地方の生活費を東京の3分の1にす れば
 地方が生き延びるには、生活費が4分の1になれば食っていける計算である。ところが国政はそれを許さない。各種保険、上下水道などは基準が全国一律を守 らせようとするから、地方自治体と住民の公共的支出は削減されない。それどころか、田舎のほうが人口密度が低いためコストがかさみ、水道代は高くなるので ある。さらに子供を東京の大学に行かせるとなると支出は膨らむ。
 せめて東京の3分の1で生活できるならば、生きていくことが出来るのだが---

全国一律基準を押し付け ながら裏づけ資金は出さない
 とても生活費を抑制することは出来ない。それを拒む重要な因子は中央官庁の全国一律基準である。高コスト基準を押し付けながら、それをサポートすること は拒否するのが、中央の施策である。地方の崩壊は避けられない。
地方は放棄するか、それが無理ならば背面服従か、あるいは人がいな くなるか。


地方は自治州になれ

 いずれにしても積極的な指針となれば、地方は地方のやり方で生きていく道を探ることになる。全国一律基準を消極的に見つめ、自ら生きる道を探 ることになるのであろうか。たとえば地方はちょうど外国、それも発展途上国のような立場に立つのである。
 グローバル化というのは、外国と日本の国境が失われることである。同様にわが国が数カ国に分裂することもグローバル化そのものといえよう。すなわちそれ は自治州を意味する。日本語を話す国が数カ国あったとするならば、それもひとつの生きる道である。中央政府が地方を生かさない以上、地方は独立するしかあ るまい。

コスト3分の1の地方を作る
 全国一律を配するためには、自治州として独立することである。そこではクリプトスポリジウム対策という統計的に安全性を確認できても「安心を途方もなく 要求する」厚生労働省から独立する必要がある。国の統制から外れたとき、科学的に正確なシステムを極限まで追求し、徹底したコストダウンを行うことができ る。
 このような日本語自治州は会社員だけでなく公務員も給料が安いが支出も低く、多少の生活レベルの低下、たとえば3ナンバー車の変わりに軽自動車や5ナン バー車である地域、クリプトスポリジウムが10万分の一で危険になるかを判定して水道事業者を擁する場所である。そのような地域には、コスト削減を期待し て多くの企業が進出してくるであろう。貧乏地域は貧乏なりに豊かに送れる政治を実行できる。すべては東京都一律な基準や生活を期待する中央省庁が現況とい えないであろうか。
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