管理者からのお願い!
この投稿欄はスポーツをこよなく愛し活動する方々、若しくはスポーツに
関心のある全ての方々を対象とし、政治・宗教関係を除くその他全般に関
する記事を掲載していただくコーナーとして利用して下さい。そして日頃
から思っていたこと・記録として残しておきたかったこと・提案してみた
かったこと等、公是良俗に違反せず他者を誹謗中傷しない範囲で、自分の
日記代わりに思いの丈を投稿して下さい。
(投稿はE-mail・Facebook・Lineでご連絡ください!)
第八五九号
佐渡トライアスロンのサバイバルレース!
 |
2025年9月11日
AAC会員
野津 賢治氏 |
AAC会員のみなさま、土曜練習会にたまに参加しています野津です。
今回宗政さんから依頼されたので、9/7に参加した佐渡トライアスロンAタイプのレポ
ートを投稿します。
簡単に自己紹介をしますと、約15年前にAACに入会させて頂きました。5年で東京勤
務となり7年でまた西宮に戻ってきて4年となります。トライアスロン歴は34シーズ目で、
チームJOY・玄海トライアスロンクラブなど関東・関西・九州それぞれでクラブに所属
していました。
前回横浜在住の時、いろんな練習会やレースで知り合ったメンバーがFB(Meta)で
つながり、それぞれの所属クラブを乗り越えて、同じ年代を中心にして「関東鉄人オジ
サンクラブ」を結成(もちろんオバサンもいます)、ノリでユニフォームも作っちゃい
ました。そんな訳でこちらに戻ってきてもAACのみなさんと一緒に遠征する機会が減
りましたが、ご一緒する際はよろしくお願いします。
今回の遠征は当初飛行機を予定していましたが、はるなちゃんに車で行こうと誘われ
武田さんと3人で行くことになりました。宿は向こうのチームの皆々と格安ペンション素
泊まりです。
佐渡トライアスロンAタイプは2年ぶりですが、前回はランでやめてしまったので、今回
は最低完走しなければと思いつつ、やっぱり55-59のスタートリストをチェック。今年55
に上がってきた2人には勝てそうにないので、チームメイトと年代3位争いになると予想。
彼らはランが強いので楽なレースはさせてくれないはずです。
7月の皆生Tではスイムが全くの不調で撃沈。今年の佐渡Tはかなりの西風が吹くとい
う予報で、スイム中止にならないかと期待したが、会場に着いた時点では波高0.1mと
アナウンスがあり予定通りスイム実施となった。
しかし試泳が終わる頃からどんどん波が荒くなり、スタートする頃にはかなりの波高。
バトルが嫌なので大外からスタート。最初からどんぶらこっこ状態で波に翻弄される。
戻りは追い風となるので多少楽になるが、全く精彩を欠いた泳ぎで、まさかの1゜24’台。
今まで15分を過ぎたことは一度もなかったのでかなり凹みました。
SWIM 160/561位
バイクは友人から譲ってもらったディスクホイールをレースで初めて使用。練習でもい
い感触だったので気を取り直してスタートしました。序盤、大佐渡の北側は追い風で
40km/h超で巡行し、細かいアップダウンも順調にこなして行けたが西向きになると、
もの凄い向かい風で頑張っても25km/hしか出ない。皆きついらしく、ほとんど抜かれ
ることはなかったが60kmくらいの上りで武田さんに追いつかれた。
ここは先を譲ってマイペースで走る。エネルギー補給とハイドレーションに気を付けて
我慢していると大佐渡を周って街中に戻ったくらいで追い風となり調子も上がってきた。
ここで武田さんとスイムの速いチームメイトをパス。その後も脚がよく回りずっと一人
旅、小木の登りで多少暑さを感じたものの、途中雨もあり総じて涼しいバイクだったが
市街地に返ってきても交差点で突然の横風とかがあったので3度くらい落車しかけ、
とにかく最後まで気が抜けなかった。
BIKE 34/561位
ランのトランジットとトイレ待ちでだいぶ時間を使ってしまったがここから最後の勝負。
海岸線往路は向かい風、折り返して追い風になると暑さを感じる。ランでもエネルギ
ー・ハイドレーション・クーリングの3つだけ注意しているとペースが上がり、15kmく
らいまでキロ5分巡航。20km手前で少しペースが落ちたところで同い年のチームメイト
に抜かれしまった。付いていけない速さではないが、徐々に離され万事休す。4位
キープに切り替えてマイペースで進むことにする。
4周回のランは応援も多く、仲間や知り合いとも声かけしながら日陰は無いが好きな
コースです。残り10kmで少しペースアップできたが、サブ4は逃しヘロヘロでのゴール。
ゴールした後はつらい場面が思い出されるが、やっぱり達成感がありいいものです。
RUN 55/561位
総合 44/561位 年代4位
完走率は61.4%でした。
一緒に来た武田さんは脚のけががあったにもかかわらず、3種目ともほぼ同じタイム
でした。すごいです。関西からはなかなか行きにくい佐渡大会ですが、今回初めて車
で行きました。3人で行くと交通費も安くなり、運転も楽で、バイクのばらし、組み立
てが無くてほんとに快適でした。はるなちゃん、武田さんありがとうございました。
第八五八号
皆生トライアスロン 初ロング完走!
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2025年8月11日
AAC会員
蟹屋敷 麻貴枝氏 |
初ロングで皆生トライアスロン、13時間26分で完走しました!皆様の応援が本当に力
になりました。有難うございました。
3月以降、昨シーズンのフルマラソン3回の疲労と仕事多忙が重なり、ロングに向けた
練習や身体作りが思う程出来ずにいました。6月開催のLAKE BIWA TRIATHLONミド
ルは、スイム150mでレースリタイアしました。水中の視界が0なのと、岸沿いではなく、
琵琶湖の沖へ泳ぐコースが怖すぎて、泳ぐ事が出来ませんでした。
スイムは、トライアスロンにでようと思った当初は25mで精一杯、今でも苦手意識があ
ります。琵琶湖の事、ましてや3kmも泳いだ事がなかったので、完泳が今でも信じられ
ません。
スタート前、アドバイスで心強くしていただき、海も抜群の透明度、波・潮流もほぼ感じ
る事なく、1時間30分で完泳、それで満足しかけたところに声をかけていただき、レース
完走を目指して、バイク・ランを走ろうと心に決めました!
バイクは、まさかのサイコンバッテリー残わずかの警告がでた為、画面非表示でライド!
ロードバイクに乗り始めた当初から、パワーと心拍を見ながら乗っていたので、140km
を感覚だけで走るプレッシャーや、スイムで酷使した肩周りの痛みをエイドの度にアイ
シング等、過去一つらいライドでした。
ランは、前半キロ6分30〜7分でしか走れず(想定通りでしたが)、 後半はほぼ歩きだ
ったと記憶しています。 スタッフの方に、このスピードで走れば時間内ゴール出来る
と走りペースを見せていただきました。ゴールが危ぶまれる走りになっていた事を認識
しつつもペースアップ出来ずでしたが、日が落ちてからも絶え間なくいただく声援や励
ましで、諦めずに走る事が出来ました。
競技中は、こんなつらい事二度としないと思ったのですが、またトレーニングを再開し
ました。焦らず楽しみながら、これからも色んなチャレンジを続けていこうと思います。


第八五七号
はじめての皆生トライアスロン!
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2025年8月8日
AAC会員
濱口 誠氏 |
2025年7月20日、皆生トライアスロンに初完走することができました。
日頃から練習会で励ましていただいた芦屋浜ACの皆さん、応援していただいた方々
をはじめ、すべての方への感謝の気持ちを込めて、今回の体験を投稿させていただ
きます。
【いきさつ】
昨年の須磨OWS練習会で宗政様に「皆生トライアスロンに申し込んだらどう?」とのお
声がけをいただき、私なんかが申し込んでいいのだろうかと思いつつも、気が付けば
申し込んでいました。ミドルもロングディスタンスも実績無く、選考は通らないだろう、
いつか出場できたらという思いでした。選考通知を受けたときは、喜びと驚きまじり、
何度もえええ~~~って感じでした。皆生Tは甘いものでないと承知していますが、
選考していただいた方のためにも、「十分な準備をしてスタートラインにたつこと」を
目標に掲げ、出場しました。
【大会準備】
3か月もあるわーと気楽に考えていましたが、思ったような練習ができないまま、気が
付けば、あっという間に大会は目の前に。
スイム
南紀白浜、ふくやまかわまちトライアスロンで1.5㎞までの距離は泳いでるものの、皆生
の3kmの練習ができませんでした。ただ、短い距離ながら、プールや須磨海岸で週1回
は練習できているので、最低限の準備はできていたということにしときます。
バイク
前週の夢プラザ練習会で90㎞乗れたので、あと50㎞頑張れば皆生の140㎞いけるかー、
ぎりぎり準備間に合ったかなと都合のいいように解釈。今年、実戦的練習は最長40
㎞を4回しか乗ってなかったので、夢プラザ練習会は本当にありがたかったです。廣田
様からも「40㎞いければ、400㎞大丈夫」との名言をいただく。藤本様からワンワード
「大丈夫」の激励が効きました。よくよく考えて、その言葉、私に当てはまるんか?いや、
トライアスリートのお言葉を疑ってはいけないということで納得。
ラン
昨年9月に膝を痛めて、ようやく5月くらいから回復しつつ、7月に入って今度は足首を
痛め、皆生前、まる2週間は思い切ってランの練習をやめました。というか走れないと
いうのが現状だったかな。休養も準備のうちと割り切る。
トランジット
いつもウエットスーツがなかなか脱げず苦労していました。気休め程度、少し練習しま
した。
【大会当日】
-スタート前、中川様・宗政様にはいろいろとスタート前の準備など、ご丁寧に教えて
いただき大変助かりました。なにより緊張がほぐれました。
また、次週、筋肉痛以外のダメージは残してはいけないという事情があり、「無理をし
ない」を自分との約束としました。
スイム
スタートラインに入った時点で、ここに立てている、それだけで目標達成したーという
満足感がありました。そのため、緊張や不安をあまり感じませんでした。八尾様のノ
ーバトル宣言「当たられたら、ありがとう、当たったら、ごめんなさい」というのも面白
かったです。ただ、800人一斉スタートなので、重なり合うのは避けれない。やられたら
やり返す人もいるだろう。バトルを楽しみたくないので、アウト後方からスタート。
透明度高く、とてもきれいな海でした。波も潮の流れもなく、コンディションよかったと
思います。結果:3㎞ 1:13 !
バイク
トランジットで特にトラブル無く、パッドの分厚いバイクパンツを上から重ね着してスタ
ート。ここから噂に聞いてる過酷な暑さとアップダウンの連続ですが、水分・エネルギ
ー補給・落車だけ注意し、他は何も考えずペダルをまわすだけでした。典子様の応援、
大山の壮大な景色に感謝・感激でした。 やはり上りでは、ごぼう抜きされ、下りで少し
挽回する感じでした。 結果:140㎞ 6:58 !
ラン
トランジットで特にトラブル無くスタート。と思いきや、500mくらいして、重ね着したバ
イクパンツを脱ぐのを忘れたことに気づく。あと40㎞、バイクパンツ2枚穿いたまま走る
ことを想像するたび、不快感に気がめいる。
走り始めて少しすると脚がつり始めました。試しに30歩走って10歩歩くを繰り返すと脚
がつらなくなり、心拍数も落ち着いてきました。キロ8分くらいのRUN&WALKになって
しまいました。 ランも何も考えないように走るだけです。こちらもエイドでの冷水・飲食
・大山・弓ヶ浜の景色に助けられました。結果:40㎞ 5:57 ! Total 14:10
【最後に】
山あり、海あり、市街地あり、起伏にとんだすばらしいコースを楽しめたと思います。
何よりもダメージが無かったことにホッとしました。 これまで教えてくださった方々、
一緒に練習してくださった方々、皆生の皆様、家族、すべてに感謝の気持ちです。
今回、2晩連続すき家の牛丼。次回皆生温泉に行くときは、米子の皆生らしいものも
食べたい。あとスイカを買って帰りたいなー。
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
第八五六号
富士登山競争 山頂コース完走でグランドスラム達成 !
 |
2025年8月7日
AAC会員
武田 英明氏 |
2025年7月25日、市民ランナーのグランドスラムと言われているフルマランソンでサブ
3、100kmマラソンでサブ10。そして富士登山競争の山頂コース完走ですが、まだ未達
の富士登山競争にチャレンジしてきました。
富士登山競走はフルマラソンと100kmマラソンと違って代替えのレースがない唯一無
二のレースで山頂コース完走までに最低でも2年が必要です。
1年目は五合目コースで制限時間(2時間20分)内に完走すれば翌年の山頂コースの
参加権利が得られます。どちらのエントリーも、先着順のためクリック合戦で勝ち抜
くことも必須です。
昨年は、五合目コースで1時間57分で走り切れたため、今年の山頂コースは前から2
番目のBブロックでした。1900名の参加者がいる中、五合目コースは完走だけでなく、
できるだけ制限時間に余裕を持って完走しておくと山頂コースは前のブロックでスター
トできます。
主にスタートからロード区間の11kmをどれだけ早く人の前で走れるかを今回のレー
スの最大のテーマとし、坂道ダッシュを練習に取り入れた甲斐もあって、五合目到達
は1時間49分と昨年より約8分短縮。完走への視界は大きく開けました。
しかし、ここからは全くオフロードの練習をしてこなかったため苦戦。体の使い方、
足の運び方が素人で砂地に足を滑らせたり、岩場で右足首をぐねって捻挫したり、8合
目の山小屋の給水ポイントでは、疲れと高山病の影響もあったのかフラフラしたりと
山頂ゴールでは、疲労困憊でした。
3時間39分59秒 全体の80位の結果は、思っていた以上でよかったなですが、レース
後は五合目まで自分の足で降りてくることの大変さを知ることに・・・・。
約1時間半8kmほどの下山は、砂地区間がほとんどで足をとられ、シューズの中には
砂や小石が入り、特に前ももに力が入っていたことでレース後の3日間はかつて経験
したことがないほどの酷い筋肉に見舞われ、2度と出たくはないと思うほど痛めつけ
られました。
しかし、日にちが経つことで、痛みも記憶も薄れていくものです。
体力、気力が続く限りまた新しいことにチャレンジしていきたいところです。
第八五五号
体調を理解してこそ、楽しめるトライアスロン!
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2025年8月6日
大阪府在住
日野 圭子氏 |
こんにちは 大阪府在住の日野圭子と申します。 7月20日に行われた、全日本トライ
アスロン皆生大会に参加し、無事完走しました。 その後に、AAC名誉会長の宗政様
より1通の労いのメッセージをいただきました。 「大変興味深い体調の中での挑戦、
もし宜しければその出来事の投稿を!」との事でした。
私自身がその一言で、ハッと思わされました。 「もしかして、普通はそんな事はし
ない??」・・・。その興味深い体調を遡ってご説明しようかと思います。
私はトライアスロンを始めて33年目となります。 妊娠、出産後はレースはお休みしま
したが、トレーニングは続けていました。 再開してからは年間、1~4回ロングトライ
アスロンを主に大会参加継続。
●26歳の時、初めて動悸、息切れ、めまい、不整脈を感じた。 トライアスロンが趣味
と言っただけで「スポーツ心臓だから、大丈夫です」との診察。
●30歳代半ば~40歳代前半 年間3~4本ロングトライアスロン参加 楽しく走れる程度
だったが、レースが終わると手がパンパンに腫れ上がっている そして心拍が40を
切っていたり。 熱中症や脱水・ハンガーノックにはなったことがない。フィニッシ
ュしても余力は十分に残っているのに、浮腫だけが異常だった。
●40代半ば 運動中でもない日常、突然心臓が暴走する、苦しくはないがしんどい!
ここで、心臓の精密検査を行い、洞不全症候群・発作性心房細動との診断 アブレー
ション手術にて発作性心房細動は根治 術後は、日常もスポーツも快適でした。
しかし コロナ以降、ちょっと体調の変化が今までとちがい、年齢的にも「更年期症状」
かな~と様子をみての日常、スポーツでした。
心拍が60を越えることの無い日常、起床時の心拍が30台、夜の寝落ち方がちょっと
異常? 不整脈や動悸・めまいの自覚症状を頻繁に感じ、しんどい時はしんどいしん
どい そんな中、無理せずのペースでトライアスロンを楽しんでいた。
が、この春に参加した宮古島トライアスロン帰宿あと、失神してしまった。 診察時に
不整脈・めまいなどの自覚症状以外に、失神があったことを伝える。 ICM (植え込み
型心臓モニター)を入れてみますか。 24時間365日自分の心臓の状態を記録してい
くデバイス。自覚症状があった時、携帯しているアシスタントボタンを押し記録し、
遠隔モニタリングシステムで医療施設に送ることができます。 心臓の不調が何なの
かを詳しく調べ判断する為の医療機器を植え込んでのトライアスロン参戦でした。
(興味深い体調) それを提案されたドクターの言葉は私の人生に寄り添うものでした。
「体だけでなく、長年のあなたの楽しみや生き甲斐も生きていく日常に大切な事です。」
そういえば、私自身のトライアスロンの楽しみ方は 「安心・安全・感謝で笑顔のゴール」
それが果たせないならトライアスロンを辞めてもいい。 そんなことを医師には言ってい
ないが、 カルテに書いてある トライアスロンが長年の趣味。 そこにも治療の粋をひろ
げて下さったのだなと思いました。
このICMを植え込みしたから症状がよくなるわけではないが、治療する前向きな状態
であることで、ちょっとした気持ちのゆとり、安心がありました。 心臓に不調がある
ならトライアスロンなんてダメじゃないか! そうだと思います。 心の中で辞めたくな
い自分もいて、 医師にダメだよ!と言われたら納得してきっぱり辞めます。
トライアスロンは特にスイムという競技が突然の体調の変化に対応・処置が遅れます。
誰しもがなろうと思ってなるわけではない体調不調。 リスクを高めるものを少しでも
感じているなら、医師に診てもらい、正しい行動を。 その向こうに本当の楽しさがあ
るのかと思います。
私の心臓は徐脈性不整脈(洞不全)です。 不整脈により動悸・めまい・浮腫・失神の
症状。 心臓だけが原因か、確実に判断する為にICM(植え込み型心電計)を胸に留
置しました。 徐脈治療をするのに トライアスロンをするなら鎖骨下植え込み型のペ
ースメーカーではなく、電極線のないカプセル型のデバイスを心臓内に直接留置する、
リードレスペースメーカーが適応。 その方向性で今回の興味深い体調(前編?)での
トライアスロン参戦でした。
近い将来、再びペースメーカーを植え込んでのトライアスロン参戦が待っているので
しょうか。 トライアスロンという競技を長く続けていて、どこも痛くないよ、どこも
しんどくないよ、という方はきっと居ないとおもいます。 その痛みやしんどさが何な
のか、原因(病名)がわかると、治療にチャレンジするのは、その先にあるトライアス
ロンという楽しみを求めてなのでしょう。
私もけっこうな歳になりましたが、そのまだ上の年齢の方でも笑顔で挑戦されている
のです。 そんな、輝かしい眩しい光景があるから、私もまだ、そういう方々を追いか
けていきたいと思っています。 安全を保って、安心してこそ 楽しめる生涯スポーツ 、
私はもう少しトライアスロンが楽しみたい!!!
第八五四号
皆生トライアスロン 初完走しました!
 |
2025年8月3日
AAC会員
高原 徹氏 |
2025年全日本トライアスロン皆生大会、初のロング大会です。
スイム3キロ 1:30:26 (800位)
バイク140キロ 6:29:29(522位)
ラン40キロ 5:08:08(196位)
総合370位/完走者617人
13:08:03で無事完走できました。
制限時間14時間30分以内。
日本のトライアスロン発祥の地、「灼熱の皆生」と言われ、完走選手は、鉄人・
勇者の称号に相応しいと言われてます。60歳を超えてからの挑戦する勇気を与え
てくれるクラブのレジェンド、仲間の皆さんに感謝。移動から宿の手配、段取りを整
えていただき準備も本番も平常心で臨むことができました。
【備忘録】
スイムは、選手の多さに圧倒されましたが、最後尾からゆっくりスタート。波もな
く透明度の高い綺麗な海に感激しましたが、沖のブイへ向かって泳ぐのはもちろん
初めて。最初のブイ曲がってからは近くの選手について行くことで距離は考えない。
3つめのブイあたりで折り返してきた選手集団に正面から巻き込まれそうになり慌て
て逃げた。なんとか1500mで上陸、予定通りのタイムだったので安心。復路は広い
海をマイペースで泳ぎ切れた。トータルも想定通りで一安心。トランジションでは、
補給と暑さ対策を充分してバイクへ。
バイク コースイメージが掴めてなかったのでマイペースで安全に。約40キロの坂
で宗政さん発見!そのあとしばらくして中川さんにも追いつき、最初の折り返し。
エイドではとにかく被り水で常にカラダが濡れている状態で汗を感じらことがない
ようにしました。そのあとは、サイクリング気分で大山の景色楽しみながらすれ違
うユニフォームチェックして前へ前へ。
中山のエイドでも典子さんが待ち受けてくれてました。濱口さん・坂本さんともご一
緒に。アイスバスに入り、スイカ・レモン・オレンジ・おにぎり充分補給して再スタート。
坂道は予想よりも短く緩く感じられてほぼ抜いてばかりでした。
そうこうするうちに登り始めで奥野さんに追いつきました。奥野さんは「目標は、バイ
クで高原さんに追いつかれないこと」とおっしゃっていたので少しニンマリ。最後河川
敷では追いつかれて爆走されて行きました。リレーの田中さんとも少し並走しながら
あと少し。無事、バイク完走、15時くらい。
ランも暑さ対策でネックタオルや氷を首元に入れてほてらないよう、全エイドで被り
水してもらいました。ボランティアの高校生たちと話すのはほのぼのして勇気もらえ
ます。弓ヶ浜のサイクリングロードで折り返してくる野津さんや小野寺さん、そのあ
と山口さん、三田さんともご挨拶。はるなさんに追いつき、折り返しへ。
折り返し以降少しへたって歩きもまじえながら残り10キロ位で蟹屋敷さんにも追い
つく。ラスト街中は足元暗くてライトあったらなと思いながらゴールへ。
前の選手との間隔気にしながらスピード緩めてゴール。誰かいないか探したけど見
当たらなかったのでシャトルバスへ。バイクと荷物を引き取り旅館へ戻るとまだだれ
も居ない?荷物整理してシャワー浴びて22時すぎみんな戻り始めて夕食の豪華な
お弁当を反省会しながら完食。長い1日でした。
大阪城スプリントやサンポート高松ショートの完走から、締めにロング完走と今年の
目標は無事達成。バイクについては中川隆夫さんにおすすめ品をサポートしていた
だき思い切って購入、直前の夢プラザでの練習会開催など仲間の皆さんのおかげ
です。さて、次の目標はアイアンマン?!でしょうか、乞うご期待。
第八五三号
皆生Tで二つの素晴らしい出会いあり!
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2025年7月31日
千葉県在住
細淵 祐二氏 |
また今年も皆生で素晴らしい出会いがあった。
10年近く会ってみたい!と思っていた二人にやっとお会いする事が出来た。
ある時からこのスポーツ(トライアスロン)はいつまでやれるのだろう?と思い始めて、
毎回参加名簿を覗き込んでは「最高齢」の方の名前を探すようになった。そして、レース
が終わると一番先輩の完走者の名前を追うようになった。
そこで、登場していたのがAACの顧問の中川隆二さんだったのだ。私の記録では37回
大会を73歳で完走してから、40回大会を78歳で完走している。毎年毎年一つずつ年
齢を重ねながらも必ず選手名簿に名を連ねて来た。ある時から残念ながら完走者に名
前を連ねる事は無くなったが、今年も「最高齢出場」として輝いている。その年齢がなん
と81歳。10kmのマラソンなんかじゃないんです。フルのトライアスロンのスタート
ラインに立とうとしているその姿があまりにもかっこ良過ぎます。
お会いしたらこれまたびっくり。81歳ではない!そう断言出来る程、若過ぎた~!肌つ
やはもちろん、喋り方も話も全く年齢を感じさせない姿に感動。おまけになんでここまで
謙虚なんだ?と思わせる様な振る舞い。こんな方の様になりたい!と即答したくなる方
であった。
そして、もう一人会いたい人になっていたのが「最高出場回数」を誇っているはずの福岡
県の片岡宏介さん。34回くらいまではパンフレットでも取り上げられていたが、ある時
からその項目自体の記載が消えた。でも、毎年必ず名前は名簿にある。
私と同じ8回大会から出ている群馬県の櫻井正明さんが10年前くらいまで連続出場を重
ねていて、仕事の関係で一年だけ欠場して又翌年から連続出場をしている事も知ってい
た。その方が35回でそれでもすごい、と思っていが・・・。その上を行く人がその片岡さ
んだった。ただ、その情報も私が知っているだけの情報だけでしかなく、どこまで合ってい
るのか分からない。
それもいつも同じ宿に泊まっている滋賀の選手に何の気なしにその話をしたら、知ってる
よ!との事。会わせて下さいよ!とお願いしてやっとの事でこの片岡さんと今年お話をす
る事が出来たのです。
全然、ガツガツしたような方ではなくとっても穏やかな性格と喋りでこの人が本当に皆生
の連続出場記録の人なのか?と思わせる様な雰囲気。お話を聞いてみると第3回大会から
なんと今年が41回目。リタイアはバイクトラブルでの1回のみ。今回でなんと40回目
の完走!との事。もうレジェンドどころではない。バケモンだ~!
私も毎年皆生に行くぞ!と思いながらでも骨折があったり、肉離れがあったり、仕事の都
合だったり行けない時が何度もあったのに、それだけの期間をフル参加する事が出来るな
んて本当に信じられません。
そんな二人に偶然にも今年お会い出来たのは本当にラッキーだった。 本戦では熱中症で
リタイアをしたのもあり、その出会いがなければ暗~く帰って来るだけのレースになりか
ねない所だったので、逆にとても印象的な大会となりました。
今回改めて思ったのは・・・・。
やはり想いは口に出してみる事だと。それを口に出せば相手に伝わるし、それに協力し
てくれる人が現れる。それもいとも簡単に・・・。一人では出来なくても、皆の協力で自
分の夢がかなえられるなら他人に話さない手はないよな、と痛感した。人の力を借りる事
は恥ずかしい事ではない。その代わりに人の為に自分が出来る事は喜んで協力する事を
誓ったのでした。
第八五二号
サロマンブルー達成しました!
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2025年7月12日
AAC会員
安部 光弘氏 |
コロナで3年中止、それでも最短13年、49歳からスタートして62歳で達成したので、
半生とまでは行かないとしても、まあまあの人生後半のメインだったと過ぎて思うこと
かも知れません。
マラソン始めたのが45歳、まだまだ若く、当然のようにサブスリーが目標で、ヒトケタ
は何度出しても結局1分届かず、4:15の呪縛にも疲れ、ぼやっとウルトラの方に目
を向けだしたのかな、と振り返ればそう思います。
先輩にすでにサロマを経験される方から、リーズナブルに行ける参加方法を聞き、お供
させて頂き、今から考えれば、初めから仲間に恵まれたから10回も連続出場できたの
だな、と各方面、皆様に感謝です。初サロマはその方に、前日コース上を車でトレース
してもらい、大変参考になりました。
レースは特に組み立てもなく走ったのですが、初ウルトラでサブ10、残り2キロでお
知り合いとも会えて手を繋いで一緒にゴールしたのが思い出です。
サブ3とサブ10と言いますが圧倒的にサブ3が難しいです。(笑)
それから6回連続サブ10、なーんだこのまま全部10時間内でブルー達成や、と思うも
年齢55を過ぎ、いや年齢のせいではなく、練習の月間距離も落ちて、ランへの情熱も
薄れ、残りの4回は全く届かず、今はサブ10継続されている方々をただ尊敬する日々
でございます。ランナーって過去でなく今がすべてだから、この気持ちを分かって頂ける
と思います。フルでなくウルトラだから分かったこともあります。
一日雨でも日焼けする紫外線の存在、足のマメはシューズと足の摩擦によるので、とに
かく強く締める、それでもフル超えると少なからずマメの症状が出てきます。でもマメな
んて筋肉じゃないんだからあきらめて走ればそれでいい。
全体を見ない、60キロ走っても残り40もあるのだから、近くに目標を持って先を想像
しない、近視眼作戦、自分の頭を化かす。原則エイド以外は歩かない、歩くとしたら言
い訳を作っておく、ちょっと坂だとか、歩いている人に話したくなったとか、何も理由無
く歩くと、ずっと歩き続けてしまうから。誰彼に話して気を散らす、向こうも望んでいる
場合が多いから。後半は意味もなく独り言で発散してもいいかも知れません。
などといろいろごまかして愚直に馬鹿に単純にゴールまで走り切ることですね。
ウルトラは旅、何かの参考になれば幸いです。
第八五一号
2024年10月に入会しました山崎と申します!
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2025年7月8日
AAC会員
山崎 良樹氏 |
AACの皆さん いつもありがとうございます。
2024年10月に入会しました山崎と申します。一言ご挨拶させていただきます。
【トライアスロンを始めた経緯】
2013年に福岡へ単身赴任の際に趣味であるウインドサーフィンをしていると、某トライ
アスロンチームのスイム練習会に遭遇しました。その時は、軽い気持ちで参加したの
ですが・・・。
【トライアスロンの活動】
15年間で20回の大会に出ましたが一番好きな大会は、佐渡です。(5回程完走しました)
【トライアスロン活動の休止】
2019年の佐渡TAを最後に痛めた腰(脊柱管狭窄・滑り症・ヘルニア)が悪化し100m歩行
が限界、内視鏡手術を2回行いましたが改善には至りませんでした。
その後、3か所の背骨を固定する固定術を進められましたが、リスクを伴うことから自力
による復帰を選択し、毎朝のストレッチ&筋トレ&鍼鍼灸院への通院を行いました。
【AAC入会の経緯】
2023年、バイク練習を再開し夢プラザで休憩をしいる際に、宗政さん中川さんと初めて
お会いしました。
その後2024年に再会、腰痛から練習再開に至る経緯をお話しすると、お二人からAAC
に入会するよう誘っていただきました。
結果、入会を決ることが自己のモチベーションを高め、2025年ショート参加を目標とす
るに至りました。
【入会から現在まで】
2024年10月に入会して土曜日のランニングに参加することで、ランの距離も少しずつで
すが伸びています。一人で行う練習とは明らかに違いがあり、今年の目標としていた大
会も5年ぶりに大阪城TA+福岡TAと完走することが出来ました。
(私的には奇跡としか言いようがありません)
AACの皆さん、これまでありがとうございました、併せて今後ともよろしくお願いします。


第八五〇号
久しぶりの堺チャリニック 2025.5.4!
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2025年6月30日
AAC会員
本地 敏行氏 |
投稿文の依頼はあったが、数年前から足の具合が悪くて良くなる傾向もみられないので、
走りのネタもなく、自転車で堺方向へぶらぶら散策した時の記事になります。
早朝の尼崎商店街近くの道路を走り、阪神尼崎駅やユニチカ記念館の横を通って43号線
に出た後は、淀川にかかる橋や歩行者も渡れる橋など、海に一番近い伝法大橋を渡る。
この橋は、少し前の関西万博マラニックのスタート地点近くにあって、戦前に造られた最後
のランガー橋とことで驚く。
更に43号線沿いに進んで、橋2つを越えるとJR弁天町駅に着き、その先も同様の急な
上り下りの橋が2つあって、1つ目の橋を渡ると大正区に入り、2つ目の橋を渡ると北津守
に行ける。北津守につながる橋は、川(運河)を2つ越えるので、橋の長さは4つの中で一
番長い。降りた近くのラムー北津守店には、朝の8時を過ぎたくらいに着いたので、休憩も
含めて店舗に入って、お昼に食べるお弁当や水・パンなどを選んだ。
ラムー北加賀屋店から加賀屋へ行く場合、すぐ前の新なにわ筋を走ると迷わなくていいが、
実際走ってみると信号が多く、また車や人の通行も多いので、木津川近くの工場通りを走
ることにした。
住宅街をくねくねと木津川方向に進むと、木津川近くの堤防沿いの道に出られたので、
堤防沿いを南に走る。落合下渡船乗場を越えて、信号がほとんどない工場通りを進むと、
遠くに見えていた千本松大橋(めがね橋)は見上げる位置になっていた。この橋は両岸で
ぐるぐると円を描きながら高度を上げた先で橋が繋がっている。
北加賀屋の町のあちこちにアートが描かれている場所は、千本松渡船乗場から近い距離
にあり、まずはクリエイティブセンターを目指す。少し走ると、高い防波堤にさまざまな絵
(アート)が描かれている場所に着いた。それら防波堤アートを眺めながら進むと、大きな
入口があって、鉄の格子扉が半分だけ空いている。中に入りたかったが、閉められている
扉側に、イベント開催のため立入禁止等が書かれた案内があるので、その場から中を覗
くだけにした。扉の向こう側は、左側に有料駐車場があり、中央部分には、造船に使用す
るようなドッグ(コの字状に深く入りこんだ湾)があって、数隻の小型船を係留している。
右側の建物は変わっていて、半分には屋根や壁はあるが、残り半分には屋根も壁もない
むき出しの鉄骨造りで、イベント会場にもなるらしい。
この周辺のアートは、新なにわ筋を挟んだこちら側と向こう側に点在していて、アートの場
所を把握できていないので、グーグルマップで探しながら走ることになる。中にはバレリー
ナのように工場が取壊されて、なくなっている絵もある。時計を見るとまだ9時過ぎで、アー
ト工房などは閉まっているので、敷地に置かれたアートらしき作品などを道路から見てまわ
るだけになる。中には建物の小さな窓越しに展示している作品の一部が見えることや、植
栽の中、駐車スペースに置いている作品もあった。
次に北加賀屋から、少し南に行った場所にある大阪市営地下鉄の車両保存館に向かう。
保存館といっても、建物は一部で、多くの地下鉄車両は外に置かれていて、それを歩道
から塀越しに見ることができる。地下鉄車両は、JR車両のような塗装車両とは違い、
ほとんどが100円玉のような金属色なので同じ車両に見える。年に1度開催される鉄道
イベントでは、保存館の中に入ることができるみたいだ。
住之江ボートレース場横を通り、次に向かったのは、大和川の近くの旧加賀屋新田会所
跡だったが、今は補修工事中のため、ジャンプや背伸びをして、塀越しに中を見るだけに
なった。立て看板には、遠浅を埋め立てて、新たに畑や田んぼを造った等の内容と会所
のことを書いていた。
新なにわ筋に戻り、大和川を渡って少し走ると、南海堺駅が見えてくる。橋近くの小さな
竜神堂を訪れた後、堺事件の天誅組のことが書かれた石碑(外国人を殺害した内容)、
南蛮橋(ポルト橋?)、龍女神像(浜寺公園の水族館の閉園に伴い移設された乙姫)を見
て回った。像の近くには、旧堺港へ流れていた大和川の本流を変えて、この港を造った
人に関する石碑があったが、自分が気になったのは、石碑横にある本殿のない鳥居と2
匹の阿吽の狛犬だった。
乙姫像の対岸には赤と青色のみゃくみゃく色の船があり、その船へ遊歩道には、みゃく
みゃくが描かれた旗が風になびいている。この湾内はヨット等を係留するハーバーになっ
ていて、その湾をぐるりと走って、南側の湾の入り口に行くと、土台の石がきれいに積ま
れた日本最古の木造洋式灯台がある。灯台の説明を見た後、さらに先に進むと大浜公
園に入ることができた。
大浜公園には体育館・プール・野球場・テニスコート及び相撲場、遊具・バーベキュー場
や史跡までもある。まずは1等三角点がある日本一低い(蘇鉄)山へ行くにした。山は公園
の南東にあって、約50mの登山道を登ると見晴らしのない山頂に着いた。山腹には山と
同じ名前の蘇鉄を植えているが、昔からこの場所にあったのかと疑う。また、いくつかの
看板もあり、山の説明・登頂証明の発行場所や詩等が書かれている。
山の麓には、安政地震の碑と草に覆われた所にはコンクリート造りのラジオ塔があった。
自転車を押して歩いていると、バーベキュー場からの匂いでお腹が空いてきたので、少し
早かったが昼食を取ることにした。公園のベンチに座り、ごはんを食べながら次に行く所
を探してみる。利晶の社や堺伝匠館、シマノ自転車博物館は行ったことがあるので、今回
は人権ふれあいセンターへ行くことに決めた。
堺旧港からは10分くらいで、目的のセンターがある公園に着いた。公園には、銭湯、テニ
スコート、それに大きな建物がある。建物の中には、郵便局と図書館、体育館があり、目的
のふれあいセンターもあって、入口はそれら施設が共用で使用している。
センターの展示コーナーに入ると、展示物や壁には年表を掲示していて、置いているパソ
コンを操作すると、選択に応じて当時の写真や説明が表示される。机の上には、ラミネート
が施された本も置いていて、写真や説明が書かれていたので、それらをゆっくりと見ていく。
奥には、将棋打ちの坂田さんの展示物コーナーがある。将棋の世界次に訪れるのは寺地
町の寺群を予定している。堀のような川を進んで行くと南宗寺近くに着いた。グーグル真っ
訪れるのは寺地町の寺群を予定している。堀のような皮を進んで行くと南宗寺近くに着いた。
グーグル真っを見回ってみたが、近くには駐車場や自転車置き場もないので、一般の立入
りはご遠慮してほしいのかなと感じたので、入り口の古い門を見るだけにした。
そこから少し東の大安寺は、入口の扉が閉められていたので、入口に立てているお寺を
説明する看板2つを読む。その一つには狩野派の金の屏風の説明があって、絵を描いて
立ち去ったが、松の枝を書き忘れたので戻って書き足した等の内容が書かれていて面白
い。もう一度、南宗寺の前を通って、大通り沿いに進むと、少林寺の名前が目に着いた。
このお寺と拳法やカンフーは関係なかったが、昭和世代ではジャッキーチェン、サモハン
キンポー、ユンピョーが活躍する映画だろう。大通りから中に入ると、閻魔の絵が目立つ
看板の長泉寺がある。更に周辺のお寺もいくつか見たが、説明(看板)のないお寺も多い。
入口付近に説明看板等があれば、少しでも歴史を知れるので、看板を立ててほしいと思
った。
寺地町からは東方向に走り、小高い上り坂を進むと大仙公園に着く。公園内には堺市営
の博物館があり、映像による古墳群の説明や、展示物の多さを考えると入場料以上に満
足できる。堺市博物館や百舌鳥古墳群ビジターセンターに行かずに公園内を散策した後、
JR線を越えてからは、大阪市内に向かって走り、大和川近くのアビナンミュージアムを
目指す。
グーグルマップを見ると、ミュージアム前に来ているが、そこには中学校だけがあって、
ミュージアムの入口はない。校内では休日中でも生徒が活動していたので、入口近くで長
くいると、不審者と勘違いされないように、少し離れた場所でミュージアムを調べる直すこ
とにした。すると、そのミュージアムは中学校の中にあって、入場するためには事前に予
約が必要とも書かれている。学校の中にミュージアムを造った理由は、中学校を建設中
に化石や貴重な土器など出土したことがきっかけらしい。
先ほどの幹線道路に戻って、北に少し行くと長居公園が見えてくる。公園に入ると、万博
会場よりも人が多く、何かイベントが行われていると勘違いするくらいだった。2つの陸上
競技場では、大学生と中学生の陸上競技大会も行われていて、放送やホイッスル音が
聞こえてくる。
公園を出た後は、北東側の南海天下茶屋駅や萩之茶屋駅へ行く道筋をとる。その辺りで
アートや街並みを見た後、グーグルマップで地図案内を登録して道案内を参考に、落合
下渡船乗場に向かう。途中、大阪マラソンで折り返し地点の一つになっていた南海西天
下茶屋駅近くの商店街を通った後にほぼ西の方向へ走る。
落合下渡船乗場は、木津川の上流側にある渡船場で、船を降りた大正区では千島公園
をなめるように10分弱走ると、次の尻無川の甚兵衛渡船場に着く。
甚兵衛渡船を降りたあたりはお休み中の工場地帯なので閑散としている。大阪市内方向
に弁天町のベイタワービルが見えるので、それを目印に向かって走り、西九条のラムーに
立寄って、買い物と併設するぱくぱくのたこ焼きを食べて帰途についた。今日一日を振り
返ると、いくつかイレギュラーはあったが、初場所はいろいろと回れたので、それなりに
満足だった。残念な点と言うなら施設(館)等に立寄ることが少なかったことになる。
のんびり自転車散策は、気になる碑や地形を見たり、道中でお酒やパン、野菜を買った
りと面白いので一度出かけてみてください。