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この投稿欄はスポーツをこよなく愛し活動する方々、若しくはスポーツに
関心のある全ての方々を対象とし、政治・宗教関係を除くその他全般に関
する記事を掲載していただくコーナーとして利用して下さい。そして日頃
から思っていたこと・記録として残しておきたかったこと・提案してみた
かったこと等、公是良俗に違反せず他者を誹謗中傷しない範囲で、自分の
日記代わりに思いの丈を投稿して下さい。
(投稿はe-mailでご連絡ください!)
第八一九号
小豆島オリーブ ハーフマラソン走ってきました!
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2024年5月23日
AAC会員
河合 健一氏 |
2024年5月19日(日)に、第47回小豆島オリーブマラソン全国大会に参加してき
ました。1978年から開催されている大会で、コロナ禍の中止は、ありましたが現
在まで続く伝統のある全国的にも離島の人気のある大会です。また、開催時期
もオリーブの花が咲く5月中旬に合わせてあり、走友会、ランニングクラブ等の
団体1泊旅行を兼ねてよく参加されてるイメージがあります。
また、今回申し込み時には告知なかったのですが、地域貢献、大会を盛り上げる
ということで、『あいおいニッセイ同和損保マラソンキャラバン隊』が参加され
ており、所属の川内選手も来られました。故障療養中との事で、レースには参加さ
れてなかったですが、記念撮影会等に参加されていて、せっかくなんで一緒に写
真を撮って頂きました。少し会話も出来ましたがTVで見るままの、本当に好青年
でした。一生の宝になります。
私自身、仕事で高松にいた時に2度、昨年と今年で4回目の参加です。この時期
の小豆島は気温が高く二十四の瞳で有名な田浦半島は海岸線が続くコースの為、
激暑のイメージでしたが、今回は地元の方もこの時期にしては珍しいといわれる、
気温18℃、小雨で風もあり肌寒いコンディションでした。
昨年は、暑かった事もあり前半自重して、後半も言うほどペースあげきれず、年
代別50歳代で2位、1位と12秒差と大変悔しい思いをしましたので、今回は気候コ
ンディションもありましたが、初めから突っ込む走りで行きました。
流石にキロ3分20〜25秒で刻んでいた先頭集団には付けませんでしたが、キロ3
分30〜40秒で進む第2集団でなんとかレース進めることが出来ました。ラスト2km
で若手ランナー2人に置いてはいかれましたが、自分として上出来のレースで全
体で10位、タイム1時間16分02秒50歳年代別で1位を取ることが出来ました。
コースは全体的に細かなアップダウンはありますが、暑さえ無ければ醤油工場が
並ぶ醤の里や、二十四の瞳映画村を巡る良いコースだと思います。
交通ですが、高松からは臨時フェリーや、高速艇があり行きやすいのですが、神
戸からはジャンボフェリーの一択です。当日夜中1時に神戸港発→高松経由の小
豆島に7時15分着、レース10時スタートで、帰りは小豆島発15時15分→神戸18
時40分着とかなり弾丸になります。1泊可能であれば、観光したり、もう少しゆっ
くり出来るとは思います。皆様も、ご機会あれば是非一度おとづれて見て下さい。


第八一八号
大阪ウルトラ100km参加してサブテンを達成!
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2024年5月13日
AAC会員
金涌 徳之氏 |
2024年4月21日に第15回大阪ウルトラ100kmに参加して、サブテンを達成する
事ができました。この大会は大阪城をスタート、ゴールにして一級河川「淀川」の
河川敷を、どこを走っていても変わらない風景の中、毛馬から同じ道を3往復する
という精神修行のコースとなっています。(笑)
例年、AACから数十名の参加者がいて楽しく走ることができる大会でしたが、今回
は、参加者3名。(3名ともサブテンでした。)さらには、朝から雨で気温も低くてテン
ションが上がらない中、ほぼ最後尾からスタートしてサブテンの鬼、松田さんとしゃ
べりながらゆっくり走りだしました。
30キロぐらいから寒さに耐えきれなくなった松田さんはペースアップして行ってしま
いましたが、淡々とキロ6分をキープして、50キロを4時間59分30秒で通過しました。
後半途中から雨、風が強くなったりはしたものの、逆にこれぐらいの方が良かった
のかもしれません。(暑いよりは助かりました。)
ここからちょっとずつペースアップをして後半50キロを4時間43分で走り切り、ゴー
ルタイム9時間42分51秒でした。
今回のプランは、今まで出来なかった走りをしてみようと思い、前半抑えて後半上
げていく「ネガティブスプリット」でした。これが決まったら気持ちよくゴール出来る
だろうなぁと、毎回フルマラソンを走るときも思っています。しかし頭ではわかって
いるのですが、中々うまくいかないのがフルマラソンの難しさであり、面白さでもあ
ります。
私は、毎回失速レースで前半突っ込んで終盤ヨレヨレというパターンを繰り返して
いるにもかかわらず、どうしても前半を抑えることができません。レース中に設定
ペースが少しでも遅れると焦ってしまい、次第にオーバーペースになってしまいます。
逆に設定ペースより早いとちょっと貯金が出来たと思い、もしかしたらこのまま行
けるのではないかと思ってしまいます。 これこそが、失敗の大きな原因で、設定
タイムより速いタイムは貯金でもなんでもなく、後半の体力を先行して使っている
に過ぎない、つまり「前半のタイムの貯金は、後半の体の借金」なのです。
今回、ウルトラマラソンでの走りでは、後半になっても体はすごく元気で、気持ち
の良いゴールが出来たので、今後のフルマラソンでは今回の教訓を活かし、適正
ペースを練習で身に付けて、レースに活かせるように、「焦らず走ってサブスリー」
を目指したいと思います。
第八一七号
100マイラーになりました!
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2024年5月9日
AAC会員
三島 美佐氏 |
4月26日0時スタートでMt.Fuji 100という日本のトレラン界で最も大きなレースに
参加してきました。 166.6km、累積標高7,039mの道のりを制限時間45時間内に
走り切らないといけない、なんとも変態チックなレース。
でも、富士山の周りを走るので、天気が良ければ富士山見放題という贅沢なコ
ース! コレにエントリーするために3大会で10ポイントが必要ということを大先輩
の久野さんが教えてくれて、親切にポイントも数えてくれて手取り足取り色々ご
教授。ほんとありがたい!感謝!
さて、レース展開は、最初のエイドで私と同じマイル初挑戦の関西人と出会い、
この人を相方にすることで安定したペースで進めることになった。 トレイルレース
のいいところは、トップ集団以外は話しながら進めること。 気の遠くなる長い登り
も、まわりの人と話しながらだと案外早くクリアできたりする。
第2、第3エイドと進み97キロの第4エイドでデポバックを受け取り、全部着替えて
カップヌードルを食べる。このエイドに着く前に2回目の夜を迎えてた。 113キロ
第5エイドに着いたのが深夜2時。ここで初めて仮眠してみる。 全然寝れないの
で15分でリスタート。
なんか時間の観念がなくなってきてる。 122.5キロ第6エイド。そろそろ夜が明け
てきた。ここではボラをしてる友達が迎えてくれてホッとした。 さぁ、ここから
先が勝負らしい。気持ちを引き締めてエイドを後にした。
幾度となくしつこい登りをクリアして飽き飽きし始めた頃、パタっと前に進めなく
なった。 大渋滞。いつ動き出すのか予想もつかない。 さすがに1時間も待つと、
ゴールの関門が気になり始める。きっと1人だったら、もう間に合わないと思っ
てアタフタしただろう。 相方いて良かったー! 冷静に計算して、まだまだ大丈
夫って。
結局2時間半、足止めされて、身も心も寒くなり、レースどころじゃなくなったけ
ど、前に進むしかない。とにかく前へ! 進んでるうちに体も温まり、少し走れる
ようになってきた。 が、最後の難関、眠気が今頃襲ってきた! ラスボスの山を
どうやって登ったのか全く記憶にない。居眠りしながら登ってた。 時々、道を踏
み誤りそうになると、首根っこ掴まれて正規の道に戻される。 山頂に着く頃よう
やく目が覚めてきた。
さぁ、ゴールはもうすぐ!頑張れ、わたし! というわけで、43:35:42でゴール!
フィニッシャーベストももらえて大満足です。
第八一六号
武庫川ユリカモメウルトラ70㎞マラソンに参加して!
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2024年5月6日
AAC会員
伊藤 忍氏 |
昨年ウルトラマラソンに挑戦してみようと思い、この武庫川に初参加し完走する
ことが出来ました。この大会で、完走10回以上を達成したランナーには、「ユリ
カモメ超人」の称号を与えられます。60才から始めた私は70歳までかかってし
まいますが、行けるところまで頑張ってみようと思っています。
さて、今年の練習は「完全攻略ウルトラマラソン練習帳」岩本能史著を参考に進
めました。性格的に本に書いてある通りにきちっとこなそうとする傾向があるの
ですが、自分の体調を見ながら無理せずに進めることが出来ました。
基本ペースはサブ4レベルで1㎞6分29秒。13週間の練習メニューです。
ロング走の練習で予定の距離を走れなかった時は、原因を振り返り次の練習で
こなしていくことで自信を付け、次の練習に繋げていきました。
練習メニューは8割位こなせた感じですが、本番が近づくと「完走できるかな」と
いう不安と、「どこまで力が出せるかな」とワクワクする気持ちがありました。
いよいよ当日。目標は5㎞ラップ32分24秒、ゴールタイムは7時間33分36秒と決
め、6分30秒のペースメーカーについて体調を見ながら走りました。20kmまでは
余裕で付いて行けたので、それ以降は自分でペースを守って行ってみようと思
い集団を離れました。
50㎞までペースを守り順調に走れましたが、55㎞位から股関節周りから太ももが
辛くなりました。65㎞は34分51秒とペースが落ち、すれ違うAACメンバーから
「伊藤さんラスト!」と力強い声掛けをして頂き、時計を見ると6時間59分45秒、
「あと5㎞で終わる。せっかく練習してきたのだから頑張ろう。30分でゴールす
るぞ」と気持ちを切り替えました。股関節周りの硬さ、重だるさを感じながらも
少しスピードアップでき、5㎞ラップも戻すことが出来ました。
タイム7時間34分05秒でゴールでき、練習の成果を出せた達成感がこみあげて来
ました。天候は快晴、最高気温は24℃位の予報だったので、水分、ジェル、塩分
等の補給の計画を立てて臨み、計画通りに行えたことが最後までトラブルなく走
り続けられた要因ではないかと思います。
次回のレースは、6月30日のサロマ湖ウルトラマラソン100kmです。
今回55㎞で脚に異変を感じたので、これからしっかり練習して初めての100km
に挑戦したいと思います。
第八一五号
2024びわ湖マラソン参戦記!
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2024年3月18日
AAC会員
北田 俊英氏 |
2024年3月10日びわ湖マラソンに参加しました。北田です。振り返りますと、前走
11月のおかやまマラソンから間もあったので、割と準備もできて調子も上がって
ました。それが、2週間前にウイルス性の胃腸炎にかかり1週間ほど苦しんでしま
いました。ただ、熱はなかったので少しは走れましたし、1週間前には復活できま
した。
前走では大小1回づつピットインしてしまったので、前日と朝の水分摂取を少なめ
にしました。早朝5時ごろ家を出て、最寄駅で1回、快速電車で1回、会場で1回 大
を出すことができて、まあ万全でスタートを迎えました。
スタート時8:20はかなり寒く、風も少しありました。100円レインコートを
羽織り、汗をかいたので5kmぐらいで捨てましたが、その後はやや寒かったです。
(スタート時気温2℃ ・ ゴール時気温8℃)
30km前後に左膝下の外側にやや力が入らなくなり、ペースを落とし様子をみたと
ころ復活し、ペースを戻せて、30km前に置いて行かれたランナーを抜き返すこと
ができました。最終盤、シューズの推進力に負けて疲れて踏ん張れず前のめりに
なって、こけそうになったのでペースを落としました。
結果、ネット3時間17分26秒でした。SBですが、PBより10分弱、昨シーズンより
約5分遅いです。やっぱりマラソンはしんどいです。ファンランにしようかと真剣に
思っています。道中、西さんがすれ違いで声をかけてくださり、元気が出ました。
ありがとうございました。
効果は分からないですが、モルテンのマラソンセットを買って、前日夜と当日朝に
ドリンクを飲んで、少し早めの18kmと 28kmでジェルを補給しました。
シューズは、アシックスのS4です。疲れても推進力がある感じです。足の付け根
や腰の下の方に筋肉痛があります。
最後に、AACの皆さま今後ともよろしくお願いします。
第八一四号
骨折を乗り越えてティファニーGET!
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2024年3月14日
AAC会員
鮫島 道代氏 |
私がマラソンを始めたきっかけは50歳を目前に何か記念に残ることを成し遂げ
たいという思いからでした。
初フルマラソンは2014年の寛平マラソン。3:58:23で完走しました。その頃サブ4
というマラソン用語も知らず、ゴール後一般ランナー憧れのサブ4を初回で達成
できたことに自分でも驚きました。
当時はスポーツジムのドレッドミルで走るのが日課で外で走ることはありません
でしたが、AACに入会してからランに対する楽しみと意欲がどんどん膨らみました。
レースに出るたび記録を更新し、走ることが本当に楽しい毎日でした。
しかし、2018年の泉州国際マラソンの自己ベスト(3:13:58)を最後に坐骨神経痛と
膝痛に苦しみ思うように走れなくなりました。走りたいけど走れない葛藤とコロナ
禍により相次ぐレース中止で、私のマラソンに対する熱はどんどん冷めていき、
目標さえも見失っていました。
もうすぐ60歳を迎える私は10年前の気持ちを思いだし、サブ4返り咲きを目標に
姫路城と名古屋ウィメンズにエントリーしました。通勤ランを再開し、週末はロング
走。少しずつ調子が戻ってきた矢先、年末に右膝蓋骨を骨折してしまいました。
6週間のギプス固定後、リハビリ6週間と診断が出された時、もう終わってしまった
と消沈しました。ギプスが取れて2日後の姫路城は流石に諦めたけど、回復が順
調だったのでウィメンズのスタートライン立つことを決意しました。骨折から2ヶ月
余り、ノーランで無謀な挑戦です。
スタートしてから10㎞までは気持ち良く5:30ペースを刻むことが出来ましたが、早々
に膝の違和感が出始め徐々にペースダウン。第1エイドまでは走ったり歩いたり
して進みました。ここでDNFも考えましたが、収用バスが来るまで1時間半以上待
つなら歩いてでもゴールに向かって一歩ずつ進めば完走できると確信しました。
なんせこの大会、制限時間内に完走しないと参加賞は何にも貰えないんです。
なんと言ってもイケメンにティファニー貰うために全ランナー必死なのです。
私もそのうちの1人 & #129315、足を引きずりながらワーストタイムでゴールしま
した。
5:29:56 (ネットタイム) 5:30:33 (グロスタイム)
完走できただけでもよしとしよう。来シーズンこそは還暦サブ4を目標に新たな気
持ちで頑張りたいと思います。
第八一三号
2024丹波篠山マラソンでセカンドベスト!
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2024年3月13日
AAC会員
中川 隆夫氏 |
AACに入会して10年目となります中川隆夫です。65歳過ぎて体力、気力とも衰え
ていく最中、椎間板ヘルニアや不整脈でドクターストップ、追い打ちかけてコロナ
で大会中止に運動不足。
土曜日練習会にも行かなくなり、もう終わりかなと思いました。しかしコロナが
明けて大会が開催され、トライアスロンレースにメンバーと一緒に出ると楽しく、
また続けようとの気持ちになりました。
ただ身体が出来ていないので、完走するだけで精一杯の状態でした。このままで
はレースに出ても面白くないので、何か変えなければと始めたのが、「グルテン
フリー」と「断酒」でした。
去年10月から始めて体重が65キロから57キロに減量し、マラソンのタイムも3時
間59分→3時間45分(加古川)と上がりました。
この度3月3日に開催された丹波篠山マラソンでは、コロナ前の3時間39分を上
回るのを目標にしました。
結果は3.5ペーサーに25キロまでついて行き、ネットで3時間33分43秒を達成す
ること出来ました。
また沿道で応援のAACメンバーにとても元気をいただき、最後まで頑張ることが
出来ました。本当にありがとうございました。
偉大なレジェンド一字違いの隆二兄さんとは大違いですが、少しでも近づけるよ
うにこれからも練習しようと思います。
第八一二号
2024篠山マラソン!
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2024年3月5日
AAC会員
佐藤 雅之氏 |
シーズン最後のフルマラソン2024篠山マラソンを3月3日に走ってきました。
今シーズンは既に3本走りましたが岡山(体調整わず)→加古川(強風)→姫路
(脱水症)と自らのマラソンでの信条である「言い訳しない、人に自分に年齢に」
に反して今シーズンは言い訳ばかりのレースが続いています。
私のマラソンは「イーブンペースこそが最速」というもので、今までそのスタイル
で走り続けてきました。スタートラインに立つ前に今日現在の自分の実力を冷静に
判断し、キロ何分何秒ペースなら走り切れるかを決めます。コースによっては坂
や風の影響もあるので、その前後5秒差以内で淡々とペースを刻みます。
もしそのペースが適正なら前半は「少し遅すぎるかも?」と思えるほどのスピード
ですが、中盤からはペースをしっかり意識しながら無駄な動きをしないことを心が
けます。それでも終盤になるとそのペースを維持することが段々と厳しくなるので
必死で腕を振り脚を回し堪えます。最後の数キロはその日最大心拍数となり苦しし
さもマックスになりますがそのままゴール出来れば設定ペースが正しかったことに
なります。
今回の目標は最低でも3時間20分を切ること、出来れば15分を目指したい。
その為に決めた設定ペースは4分36秒~4分44秒/k(23分00秒~23分40秒/
5K)を何とか維持すること。
スタート前の気温5℃と少し肌寒いものの後半気温が上がることを考えるとベスト
に近いコンディションかもしれない。10時40分スタートの号砲が鳴る。
さあ、泣いても笑っても今シーズン最後のマラソンがスタートした。
笑ってゴールするぞ。
最初の5k:23分39秒(4分43秒/k)スタート直後の混雑もありほぼ予定通り、
5~10k:23分05秒(4分37秒/k)決して楽ではないが順調。
10~15k:23分11秒(4分38秒/k)何も考えず淡々とペースを刻むのみ。
15~20k:23分16秒(4分39秒/k)18キロ地点のスタート地点近くで応援
が多くなり声援に力を貰う。
中間点1時間38分40秒、このペースで完走すると3時間17分台。やはり15分は
難しそうなので無理をしないで第2目標の20分切りに目標を変更しペースを維持
することに専念する。
20~25k:23分25秒(4分41秒/k)まだ脚も呼吸も大丈夫。
25~30k:22分59秒(4分35秒/k)身体が軽く感じて今回最速LAP、脚は
まだ十分残っている。
30~35k:23分26秒(4分41秒/k)31kの折返し後向かい風でペース落と
すも、前のランナーを一人づつ抜かしていくことでペースとモチベーションを何
とか維持。
35~40k:24分44秒(4分56秒)向かい風で体力消耗し、ここで一気にペース
を落としてしまう。心拍も「ハーハーゼーゼー」とMAXになるが、あと2キロ。
このままのペースを維持してゴールすれば3時間20分切りは間違いない。
最後のコーナーを回るとゴールの篠山城が見えてくる。あと600mだ。
そこで安心したのか、突然身体に力が入らなくなる。一旦ストップし再度走り出
すと、前の景色が45度傾いていく。気が付けば左側道に大きく横転。自分の身体
に何が起こっているのか分からないまま何とか身体を起こして再度走り出すも、
100mも行かないうちに再度横転。沿道の観客が心配そうに近づいてきてくれ
たが、人の手を借りるわけにはいかず 「大丈夫です」 と言いながら再び目の前の
ゴールを目指すも中々ゴールテープが近づいてこない。あと数十メートル、最後
は這うようにゴールするがゴール後3度目の横転。係員が駆け寄ってくれるが全
く起き上がれない。 「タンカ・タンカ!」という声が遠のく意識の向こうに聞こ
える。
人生初の担架に乗せられ、救護室に運ばれ点滴を受ける。
その頃には大分意識もはっきりしてきたので救護の方に「点滴何分くらいかかり
ますか?」と質問すると「30分くらい」とのこと。後続のランナー達をゴールで
応援する約束をしていたのにと気持ちは焦るがやむを得ない。
3万人以上が走る東京マラソンの裏で4000人規模で行われた今回の篠山マラソン。
自身今回で9回目の出場となるが、いつもシーズン最終のフルマラソンとして毎回
入れ込み過ぎて失敗レースとなることが多かった篠山マラソン。今回も期せずして
最後の最後に大きな落とし穴が待っていました。
3週間前の姫路城マラソンではマラソン人生で2度目の「脱水症」に見舞われ、
今回はその反省から各ポイントごとにまめに給水し、20kと30k地点ではしっ
かりエネルギー補給もしたにも拘わらずのアクシデント。改めてフルマラソンの怖
さを実感した大会でもありました。
ゴールタイムは3時間19分52秒(ネット)と辛うじて今回の最低目標だった3時間
20分だけは切ることができました。
これで今シーズンの挑戦は終わりました。一度も笑顔でゴールできなったことが
心残りですが、それでも棄権することなく4回完走したことで納得したいと思います。
70歳となる来シーズンまだ走ることができるのか?今は不安しかありませんがもう
一度笑顔でゴールするためにもオフシーズンにしっかりと身体の手入れをし、来シ
ーズンに臨みたいと思います。
今回も沿道で応援してくれた皆さん、写真を撮ってくれたラン友の皆さん、そして
ゴール後お世話になった救護班の皆さん、本当にありがとうございました。
第八一一号
サブスリー達成!
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2024年2月19日
AAC会員
山本 晃久氏 |
2024年2月11日の姫路城マラソンで、ついにサブスリーを達成しました。
AACに入会して15年、フルマラソン18回目でのことでした。達成して、
うれしいと同時に、
・やればできる
・最後は 「なんとしてもサブスリーを達成する」 という気持ちが大事
ということを実感しました。
思えば、AACに入会した当時は芦屋山麓コースの登り坂でついて行けず、
宮川でショートカットして下ったのに、中央公園に着いたらもうみんな帰った後
だったというレベルで、フルマラソンを走ることすら想像できないぐらいでした。
そこからついて行けるようになり、皆さんに刺激を受けてフルマラソンを走る
ようになりました。少しずつタイムを更新し、途中停滞した期間もありましたが、
コロナ禍で在宅勤務になり平日も走ることが増えて更にやる気も出て来ました。
タイムも初マラソンの3時間51分からコロナ前2019年の3時間13分、2年前に
3時間9分、1年前に3時間1分を出し、いよいよサブスリーを目指して1年間練習
して来ました。
当日のスタート前は非常に寒くトイレが混み、ウォーミングアップがほとんどでき
ませんでしたが、3時間のペースセッターがスタート時は後方に居たので、なんと
かついていければと期待して臨みました。ペースセッターの3人は、早めの2人と
遅めの1人に別れて走ってましたが、4kmぐらいから期待通りに遅めのペースセ
ッター付近で走ることができました。
これでなんとかサブスリーいけるかと思いながら走ってましたが、35kmぐらいから
ペースセッターから遅れ始めてしまい、もうこれまでかとあきらめの気持ちが芽生
えてしまいました。『
これだけ練習してサブスリーできなかったらいつできるんだ、
なんとしてでもサブスリーを達成するのではないのか!』と自問自答していく
中で思い出し、そこからは自然と『
サブスリー、絶対にやる、絶対にサブスリー』
と声に出して走っていました。
そうすると不思議なもので先ほどまでの弱気が消え、ペースも少し上がり持ち直し
て来ました。そこから周りの人のことは気にせずにずっと声を出し続けると、つい
にはペースセッターに追いつき抜かすことができました。
姫路城の門をくぐると止まって待っていた早めのペースセッターを抜き、サブスリー
を確信。その瞬間、涙が出てきました。そして、ガッツポーズでゴール。ゴールして
すぐに、小谷さんが祝福してくれてとてもうれしかったです。
今後も可能な限り、サブスリーを達成し続けたいです。
これで念願の「AAC匠の会」に入会できたのも非常にうれしいです。