三〇九
          
第 一 回 大 阪 マ ラ ソ ン !


2011年11月4日
AAC会員
正圓 光男氏

        関西人にとって待ちに待った大会、何と響きのよい大会名ではないだろうか?
        2007年に開催された東京マラソン大会は大きな社会変化をもたらし、日本各
        地で第2次マラソンブームを巻き起こしています。関西においても奈良・大阪・
        神戸・京都と政令都市で次々と市民大会が計画 ・開催されています。
        私はこの中で『2011大阪マラソン』に応募者17万人の中から、幸運にも抽選
        に当たり30000人のランナーの一人として、官民一体となった素晴らしい盛り
        上がりを見せた大会を、仲間&家族の応援を受けながら走ってきました。

        この大会は世界5大マラソン(ニューヨーク・ボストン・シカゴ・ベルリン・ロンド
        ン)に匹敵の規模で、大阪の観光名所を巡るなんとも贅沢なコース設定の謳
        い文句で、【東京マラソン】を手本として運営されており、前日のEXPOも含め
        て総合的には完成度の高い大会でした。

        当日の気温は暑くもなく、寒くもなく最高のマラソン日和でした。今大会には
        16人の方が芦屋浜ACから参加されたとの事ですが、事前案内頂きました写
        真撮影集合場所には6名のメンバーが集合し、健闘を誓いいよいよスタート
        です。(各スタートブロックが広がっていたのと、荷物預けの場所からスタート
        場所まで20分程掛り、全員の方が集合時間に集まるのは厳しかったようで
        す。来年度は集合場所の再検討が必要と思います。)
        主催者に事情が有るのかもしれませんが、スタート付近にトイレが少なかった
        事、各ブロックに入ってからは中々動けずランナーには厳しかったと思います。

        8時55分の車いすに続き9:00に一斉スタート!私自身も大会にかける意気
        込みは強く、10月10日には下見でマラソンコースを走破し、23日は北摂トレ
        イルランに参加し気持ちだけは準備して来たので身体も比較的軽く、陸連登
        録のお蔭でAブロックから順調にスタート。森ノ宮〜下味原(鶴橋)交差点〜
        上本町〜日本橋を過ぎいよいよ話題の御堂筋を北上、8kmの淀屋橋付近も
        快走・・・・ 

        土佐堀通りに入り9km過ぎで後方から井上さんに声をかけて頂き、軽く追い
        抜かれる。ついて行こうとするが、差は広がるばかり。自分のペースに戻り片
        町の折り返しも過ぎ10km付近で今度も正圓さんの声、横を見れば何と高原さ
        ん。意外や意外ペースが遅いのではと聞けば・・・今日はゆっくりと走ってます。 
        こちらは余裕なし。すぐに後姿が見えなくなる。銀杏並木の御堂筋を難波に向
        けて南下。今度は13km付近で又正圓さんの声。大村さん・・快調なラン追い
        かける余裕全くなし。芦屋浜ACの仲間から取り残されさみしい気持・・・・・・

        日本橋を右折し千日前筋に入りいよいよ芦屋浜ACの応援隊が待つ京セラド
        ームに向かう。情けない走りは出来ないと頑張り足を運ぶも、体に疲労が襲っ
        てくる。西川氏・井上ご夫婦の声援を受けてついに弱音を吐いてしまう。・・・・
        シンドイ! 芦屋浜ACの練習会をサボってばかりの反動です【笑】
        しかしながら再度気を奮い立たせて家内と娘夫婦・孫が応援しているはずの
        22km地点に爺さんの【さっそうと快走の姿】を見てもらうためにギアーアップ
        こんなはずでは??? 応援の姿はどこにも見当たらず。(とうとう家族にも
        見放されたか?)
        **後談ですが、孫の調子が悪く通過予定時刻に間に合わなかったとの事**

        難波を過ぎ24号線を南下、大国町を左折し戎橋神社折り返し地点に向かう
        【折り返し地点が堺筋の手前の為全く通天閣は見えず】 大国町〜玉出を走
        り抜けいよいよ30kmに入るころにはもうバテバテです。33km手前のエイドで
        はお寿司を始め饅頭・漬物・トマトなどが誘惑。ここで誘惑に負ければ今まで
        の頑張りが無駄に成ると思い、トマトのみの補給で足を進める。住之江公園
        前の交差点を右折したところで意外や【パパ―・パパ―】の声。家族は我を見
        放していなかったのか? (間に合わずすぐに地下鉄に乗り換えて待っていた
        様だ) 家族の応援の後押しを受けて一路咲洲のゴールへ。疲れはいかんと
        もしがたいが、エイドごとにペットボトルごと水をもらい頭からかぶりひたすら走
        る?

        気温もそう高くないはずだが、体が熱い・・・ このあたりで3時間40分前半の
        ゴールは遠のき気持ちを何とか45分切りに切り替えるが、裏腹に南港大橋で
        歩いてしまう。今度は50分切りを目指してゴールに足を運ぶ。40km手前でボ
        ランティア参加の三田さんに声をかけて頂く。 (有り難い事だ・・ご苦労様!) 
        いよいよゴールまで後2km最後のスパート?ミズノビルに掲げられた室伏氏
        の完走おめでとうの垂れ幕に迎えられやっとゴール。やれやれでした。
            記録            3時間50分52秒    3445位/7161人
            ゴール後のエイドステーションでは横山さんもボランティアで参加されており疲
        れのピークにメンバーの方にお会い出来最高でした。最後にこの大会に芦屋
        浜ACにユニホームで参加致しましたが、どれほど勇気付けられたか判りませ
        ん。芦屋浜AC万歳です。来月の神戸マラソン少しでも記録アップを狙います。
        (開催日:2011・10・30)



第三〇八号
          
北 摂 黒 枝 豆 マ ラ ニ ッ ク !


2011年10月31日
AAC会員
本地 敏行氏

       北摂マラニックに参加しました。集合は8時45分と遅く全体の走行距離も短い
       ということもあり、前日の夜にいろいろと考え、早く出発して走行距離をのばそ
       う?と結論に達した。インターネットの地図上で確認するも大きな峠はあまりな
       い。走行距離を延ばすためにJR川西池田駅に6時45分に到着し、そこからの
       んびりと日生中央駅までの11kmを走る計画とした。また、ゴールの宝塚で元
       気があれば武庫川河川を下り、自宅まで走りきることも可能と考えた。田舎道
       は都会に比べてみると空気(体感気温)は心地よいものの、コースの一部には
       歩道がないため、車道を走ることになる。すぐそばを速く通る車は予想以上に
       驚く。ダラダラと続く上りのように感じる道を進むと遠くの山並みの間に高い建
       物がみえてきたので、手に持つ地図と照らし合わせることにより日生中央駅と
       想像がついた。途中、全く知らないランニングチームのマラニック集団と合流し
       た。おそらく山下駅から走り始めたのだろう。年齢層も高そうでしたが、とても
       元気な方々で少し話をするとそのチームもマラニックで山を越え、尼崎まで行く
       ことを教えてくれた。それからはお風呂に入った後、宴会という王道プランを予
       定していると話してくれた。

       予定時刻よりも20分ほど早く日生中央駅についたので 駅周辺を散策するこ
       とにした。日生中央駅は一言で言うと田舎にドッカンと大きな建物が建つかな
       り珍しい風景に感じた。田舎に大きな商店を建てて採算がとれるのだろうか?
       など考えながらトイレも探しながら歩き回った。うろうろとしていると電車の音が
       聞こえ、マラニックメンバーが集まり始めた。駅前に集団を作り、遅れてくるメン
       バーを待っていると 途中から一緒に日生中央駅まで走ってきたランニングチ
       ームの人がこちらに手を上げて挨拶し、先にスタートをしたので、私も一礼をし
       て答えた。

       芦屋浜のメンバーも集まり記念撮影を終え、出発予定時刻より少し遅れて駅を
       スタートした。 木陰まじりの朝の涼しい田舎歩道を走る。1kmも進まないうち
       に田園風景へ入り、雰囲気もマラニックになってきた。駅から6kmくらいで多田
       銀山に到着する。田園の集落をすぎるとすぐに山道へ入り始めた。多田銀山へ
       向かうための道のようだ。前日の雨のため、山道は川になっているところもあ
       る。くつがすでに浸水していたことも理由の一つでもあったが、少しでも足場の
       いいところを選び、捻挫の危険を避けるため、靴が濡れないように走ることを諦
       めた。途中に砕石の捨て場跡に差し掛かった。そこは砂利の上りのために足
       が取られとても走りづらい。対岸を見ると壊れそうな気味悪い東屋があり、昔も
       今もシルバー祭りが行われていることを想像させる。

       コース上には青木坑道?という名の銀坑があり、中へは100mくらい入ること
       ができる。入口は丸太組みで小さいが中に入ると人どうしが行きかうことがで
       きるくらいに広い。入口には観光客用にヘルメットも用意されている。銀坑内
       部は照明が点灯されていて、坑道内はそれなりに明るいが暗闇の部分も多く
       あり、妙に不気味に感じる。青木坑道の名前の由来は周辺にアオキという木
       が多く生えているということだが、坑道の周辺には人工に植えられたようなア
       オキがある以外にあまりない。坑道の近くの神社にお参りし、階段を降りると多
       田銀山の資料館らしい建物に到着した。トイレ、自販機も完備。内部ではおね
       えさんによる多田銀山の生の説明もしていただくことができた。

       この施設は無料で利用できることもあり、走りの疲れを忘れさせてくれる。20
       分弱くらい休憩した後、次の目的地(武田尾)へ進んだ。武田尾駅までには今
       回のマラニック最大の峠がある。予想では中山最高峰や大峰山などをイメージ
       するがそれほどでもない。山道を走っていると道のほとんどが川になっており、
       サワガニが堂々と歩いている。私が確認したサワガニの数は4匹でした。味噌
       汁に入れると本当に美味しいのだろうか?想像しながら、川になった山道を堂
       々と歩くサワガニを妙に珍しく感じて、走りながらその動きに見とれてしまう。

       峠手前の上りは急勾配の上、砂利のため足が取られてしまう。上りにくい坂道
       を越え、どうにか峠に着き後ろの人を待つ。今回のマラニックは小休憩が各所
       に設けられているため、とても走りやすいと感じた。そこからは山道を下り、車
       道に入ると下るばかりのため、JR武田尾までは近くに感じた。距離にして約6
       kmで武田尾駅へ着く。武田尾では自動販売機も多く、キレイな公衆トイレもあ
       り、利用上便利である。また、武田尾駅近くの店では数々の野菜(特に黒枝豆)
       が売られていた。皆とても買いたい気持ちだったが、あとの道のりを考えるとな
       かなか購入に結びつかない。黒枝豆は枝ごとくくられていた。篠山で売られて
       いるものよりは見た目少し重量が少なめだが、その分600円と低価格。その
       ほかには柿やりんご、野菜も数種あり目を引く。ここでも少し長めの休憩をした
       後、廃線路へ入る。

       廃線路は人気コースで多くの子供、若い人、年配の方が楽しんでいた。だいた
       い100人くらいはすれ違ったのでは?ちょうど昼だったので、お弁当タイムの
       人も多い。廃線路の道上には今も枕木が敷かれており、またコースの一部で
       は草木の樹勢が強いためコースが細くなっているところもある。すれ違いでは
       譲り合いながら通り過ぎなければいけないところも多い。名物のトンネルはと
       ても暗く、光も届かない真っ暗なトンネルは3つあり、その一つのトンネルの入
       口の頭上にはキイロスズメバチ(推測)の大きな巣がついていた。トンネル内
       は真っ暗で何も見えない。手に持つライトだけがたよりで暗い足場を照らし、枕
       木や石に注意して歩く。トンネルを越えると走り始めるサイクルを繰り返した。
       眼下に見える武庫川は前日からの雨のため泥色となっており水かさも多い。
       廃線路をすぎるとR176の細い歩道を走り、JR生瀬通りを過ぎ、そこから宝塚
       までは以外とすぐに到着した。

       ゴールは宝塚温泉前で最後の400mくらいは気持ちよくペースアップして走り
       終えることができました。(13時過ぎごろ)記念撮影の後に別れることになり、
       私はそのあと、武庫川をくだり、自宅まで走ることになった。武庫川沿いの河
       川公園は木陰がないため 日差しがとても熱く感じた。途中、宝塚の役所近く
       の河川公園では朝市が行われていて、野菜や果物、加工品、食料品やバザ
       ーなどでいろいろな物が売られていた。河川公園では多くの人がサッカーや野
       球、バーベキューを楽しんでいるのを眺めながらのんびりと走りきることができ
       た。今回の走行距離はだいたい50kmという長丁場でした。来年も、決まった
       時期で開催されるなら、武田尾駅で黒豆を購入する目的で「北摂 黒豆マラニ
       ック」という名前がいいと感じました。峠も少なく、六甲と比べるととても走りやす
       いコースと感じました。
       (開催日:2011・10・23)



第三〇七号
      
北摂マラニック 見所満載の楽しいコースでした!


2011年10月30日
AAC会員
池上 雅之氏

       10月23日(日)晴れ。前日からの雨もあがり、絶好のマラニック日よりになった。
       朝、日生中央駅に集合して、今回は僕の会社の仲間も誘って合計11人で出発。
       しばらく一般道を走ってから、田畑が広がる山村をとおり、山道へ入っていった。
       山道といっても、そんなに大きなアップダウンもなく、とはいえ、いつもの最後尾
       あたりを僕は走ってました。

       途中、猪名川町の銀山跡(中はめっちゃ涼しい!)を見学し、約8m付近の資料
       館で1回目の休憩。休憩後またまた、ゆるやかな山道を走り続け、今度は下り
       が多く結構皆さん飛ばしてました。

       約16Km付近の武田尾で2回目の休憩を取ったあと、福知山線の廃線跡を鉄
       道の枕木をまたぎながら走行(走りにくい!)。途中でトンネルが4,5本あった
       が、懐中電灯持参の意味がよくわかりました、ホンマに真っ暗でまったく見えな
       い! 特に後ろを振り返ったら、漆黒の闇で、こんな経験初めてでした。
       さすがに走れないのでこの間は足元照らしながら歩く。

       結構ハイキングでも人気のコースのようで、たくさんの人が弁当食べたりしてま
       した。トンネル抜けて西宮名塩あたりから最後の宝塚までいっきに走ってゴール!
       約27km(計測値)楽しく走りきれました。

       その後、宝塚温泉で汗流して、眠眠でビールと餃子で打ち上げ。楽しいコース
       を先導してくれた恒松さん始め、一緒に走った人に感謝、感謝の一日でした。
       ホンマに見所満載で楽しい、初心者にもお勧めのコースです!
       (開催日:2011・10・23)




第三〇六号
        
「筑 後 川 マ ラ ソ ン 」 の ご 紹 介 !


2011年10月21日
AAC会員
鎌苅 滝生氏

       初参加の大会の紹介(第3弾)です。10月9日、福岡県久留米市で開催された「
       筑後川マラソン」のフルに参加しました。AACの会員の方の誰も参加されていない
       と思いますが、大会の概要を紹介します。

       *久留米市のこと
       久留米市は福岡南部から佐賀東部に広がる筑紫平野に位置する都市で、福岡市、
       北九州市に次いで福岡県第3位の人口を擁している。市の北東部から南西部にか
       けて筑後川が流れている。阿蘇山に水源を発し、有明海に注ぐ川であるが、利根
       川、吉野川とともに「日本三大暴れ川」と呼ばれているとのこと。「カッパ伝説」でも
       有名な川である。この市の産業についてみると、ブリジストンの創業の地であるこ
       とからゴム加工品メーカーの工場が多く存在するが、近年は、自動車機器工場の
       進出で北九州の自動車産業の一翼も担っている。古くは、伏見、灘と並ぶ「日本三
       大酒どころ」として栄えた地で、現在も清酒製造工場数は京都市、神戸市に次いで
       全国3位である。また、焼き鳥店数が人口1万人当たり日本一多いとのこと、さらに
       「とんこつラーメン」発祥の地でもある。

       *マラソン大会のこと
       今年第9回目の大会であるが、フルマラソンが開催されるようになって3回目である。
       フル以外にハーフ、10km、5km、3km、1.5km(障害者)がある。フルマラソン
       は、筑後川の河川敷のサイクリングコースを走るフラットな折返しコースで、キロ表
       示は1kmごと、給水は3kmごと、定員は2,000人で、制限時間は7時間。

       地元久留米市からの参加が最も多く、福岡の他地域、佐賀、熊本等九州各県から
       の参加者が圧倒的であるのは当然であるが、北海道や沖縄から来ている人もいる。
       本州のほぼ中央に位置する関西からの出場では、全国どこの大会でも遠来賞に該
       当することはあり得ないが、なんだか割を食っているような気分である。

       開催時期からして毎年かなり気温が高くなるようで、今年も天気が良く27℃位まで
       上がったようであるが、河川敷で全く日陰がなく、体感温度はもっと高く、帽子とサ
       ングラスは必須であろう。スタート前に首、肩、腕に日焼け止めをかなり塗ったつも
       りであるが、汗や体温を下げるためエイドで掛けた水で流れたためか、真っ赤に日
       焼けして、帰宅後入浴時は痛みを感じるほどであった。主催者が用意している水や
       スポーツドリンクは良く冷えて気持ちが良かったが、エイドではボランティアが熱中
       症を心配して身体に水を掛けるようにランナーに勧めている光景は他の大会ではあ
       まり見かけない光景である。

       コースは、今年公認申請をし、大会前に認めらたが(従って1歳刻みランキングの対
       象大会)、コース幅が狭くスタート直後と折返しの前後は、非常に走りにくく、危険で
       あり、問題があるのではと感じられた。特に、折返し前後は、片側2人並ぶと対向者
       とぶつかる危険性がある。私のレース運びは概ね後半追い抜きモードであるが(後
       半スピードアップすると云う訳ではないが、スピードがなく、どちらかと云えばスタミナ
       型で前・後半のタイム差は比較的小さく、後半になって落ちてくるランナーを一人づ
       つキャッチアップし、追い抜くというレース展開だ。追い越しをかけると対向者とぶつ
       かりそうになることがしばしばあり、20kmから25km当たりまではなかなか追い越
       しがスムーズに行かず、かなりの「いらいら」状態であった。このコース条件から判
       断すると2,000人の定員は、若干多いように思われる。

       この大会の主催者は「藹々(あいあい)」というNPOで、多くの大会が自治体、当該
       地の陸上競技協会、あるいは新聞社や放送局による主催であり、本大会のような
       NPOが運営するのは非常に珍しいのではなかろうか。前述のようにコースに問題
       はあるものの、手作りの雰囲気を漂わせるほのぼのとした大会である。ボランティ
       アの方々も親しみやすく優しい人たちであったし、エイドの数も多くて暑さへの対応
       も窺える。また、この大会の特徴のひとつとして挙げられるものとして、医療協力体
       制であろう。地元の7つの病院が協力しており、「救護」というゼッケンを胸につけ、
       AEDをリュックに背負い、水や冷却スプレーを持って走る医師を多く見かけた。エイ
       ドでは、この医師がランナーに声を掛けたり、スプレーを吹きかけたりと他の大会に
       比べると「安全」・「ランナーケアー」への配慮は充実していると云える。緊急時に備
       え、ヘリコプターも配備されていたとのことで、他の大会ではあまり聞いたことがない。

       改善点を要望するとすれば、シャトルバスのサービスがないこと。車で参加する人
       が多いが、私のように遠方から参加し前泊する者にとっては、ホテルが集中する西
       鉄久留米駅から有料でも良いのでシャトルバスがあれば便利である。最大の改善
       点は、コース幅の狭さへの対応である。現行の2,000人の定員を維持するのであ
       れば、申告タイム別、或いは年齢別にスタート時刻をずらして、混雑を緩和させる工
       夫が必要なのではなかろうか。

       土地柄もあっると思うが、スタッフ・ボランティアの対応もさわやかで、ゴール後の豚
       汁・おにぎりのサービスも充実しており(遅いランナーにも十分行きわたったとのこ
       と)、全体としては、好感の持てる大会であった。
       (大会開催日:2011・10・9)



第三〇五号
         Ironman World Championship レースレポート!


2011年10月20日
JIC会員
小松 亮氏

     こんにちは。スペシャライズドの小松です。以前から個人的・会社的にも宣伝(喧伝?)を
     しておりましたが、
108日にHawaii, Konaで開催された世界のトライアスリートの夢の祭典
     
Ironman World Championshipに出場してきました。レースレポートの前に、雑感を少々。
       アマチュアの部のスタートは朝7時で、制限時間は深夜0時までの17時間となっています。
     友人には「
Hawaiiでは深夜0時の最後までレースを観戦すべき」といわれていたので、ゴー
     ルした後シャワーを簡単に浴び、
20時ごろからゴール付近で観戦しました。当然この時間
     帯にゴールする選手の年齢層は高く、我々の年代と比較すれば絶対的なタイムは遅くなり
     ます。でも、私が
75歳、いや、65歳になった時にIronmanの距離のレースに参加しているこ
     とは想像も出来ず、彼らがゴールする様子を見るのは言葉では言い表せない感動がありま
     す。実際夜
22時を過ぎると、ほとんどの選手はゴールしているので、頻繁に選手を見るこ
     とは出来ません。でも、
8ビートの音楽が大反響し、大観衆を飽きさせません。記憶が正し
     ければ、
2340分頃に日本人の女性がゴールしました。2359分を過ぎたときに、一人の
     選手が帰ってきました。大観衆が彼を後押しします。残念ながら、
00002秒でゴールし
     たため失格です。それでも、皆の心の中ではこの選手は
Ironmanです。スポーツがいかに感
     動を与え勇気づけるか、選手として出場しないでもこの場にいるだけで肌に伝わります。


       レースのMCは約1,800人の選手全員がゴールするたびに選手の名前、国名、出身地を呼び
     あげ「
You are an ironman!」と雄たけびを叫びます。トライアスロンというスポーツは年齢
     にかかわらず、誰でも挑戦することが出来ます。そして、ゴールした人皆が勝者なのです。
     年代別
80歳以上の優勝者(80歳以上の出場者は3名だけですが)が優勝スピーチで「鍛錬
     すれば、昨年の自分より強い自分を作ることが出来る、これがトライアスロンの魅力だ。」
     と言っておられました。
Ironman World Championshipのイベント自体にアメリカ人特有の演出
     が効果的にちりばめられているのは否定しませんが、努力することの高潔さがひしひしと
     伝わってきます。だから、トライアスロンはこれだけ多くの人々を魅了するのでしょうね。


       さて、本題に入ります。5日(水)に日本を出発、Hawaiiには同日の朝到着という旅程にし
     ました。
Ironman World Championshipに出場すると決定してから、なんとスペシャライズドの
     本社より新型トライアスロン
BikeであるShivをプレゼントされました。世界選手権に出場す
     るなんてそうそうあることではないので、レースを楽しみたいという気持ちの半面、
New
         Shiv
の名に恥じない走りをしないといけないというプレッシャーもありました。今までやっ
     てきた練習量を信じるだけです。
新型Bikeに興味ある方は以下のリンクへ、掛け値なしに
     この
Bikeはロケット並みの速さです。
                     http://www.specialized.com/ja/ja/bc/Shiv.jsp
           http://www.specialized.com/ja/ja/bc/SBCWhatsNewDetail.jsp?article=10044

       8日の朝は3時半に起床、おにぎりを5個食べてレース会場に向かいます。日の出は6時ごろ
     なので、あたりはまだ真っ暗です。
Body Marking(腕にレース番号をマークすること)をし
     てもらい、
Bikeに水を補給します。準備万端、十分ストレッチをした後Swimの会場に向か
     います。今まで日本とアジアのレースしか経験していない私にとり、大型選手ばかりの世
     界選手権。立ち泳ぎしてスタートを待っている間、大型の欧米の選手の脚や腕がガンガン
     あたります。痛いのなんの。。。サッカーの長友選手等がヨーロッパでフィジカル面でも
     負けないでプレーしているのと比較すると、私は非常に貧弱で情けなく思えます。。。
     筋肉隆々で体重を増やす必要はありませんが、フィジカル面で負けない体を作ることが来
     年以降の課題の一つであること、
Swimのスタートが始まってすぐに分かりました。

       予選とは異なり、他人の脚を引っ張ったりするマナーの悪い選手はさすがにいませんが、
     これだけの大集団になるととても自由に泳がしてくれません。大型選手がガンガンあたっ
     てくるたび、真っすぐ進めずににコース取りがやり直しとなります。
20分ほどすぎると、
     集団もばらけてようやく普通に泳げるようになります。さすが、世界選手権だなと驚くの
     は、周りに多くの女性選手がいること(
Swimming capが青が男性、ピンクが女性のためすぐ
     わかる)です。こんなに女性に囲まれて泳いだレースは過去一度もありません。。。


       泳いでいるときは調子は悪くないと感じていましたが、Swimの結果をみてみると「えっ!
     こんなに遅いの??」というタイムでした。コース取りが全然うまくいっていなかったと
     思われます。
ハワイではウエットスーツ禁止です。今回のレースは本社からもらった、Trii
        
スーツを使用しました。(ただ、パッドの部分があまりにも薄いので、Bikeパートでは自
     転車用のショーツをはきました。)
世界選手権であることがまざまざとする光景がT1に待
     っていました。私の周りには
Bikeが半分くらいしか残ってないのです。「えーまじかよ、
     半分以上の人が僕より速いのかよ!? 今まではトップクラスで
T1に帰ってきたのに。。」
     愕然とします。でも、今年になってから断然得意になった
Bikeで巻き返しを図ると決意し
     ます。
New Shiv発進です。

       New Shivはその空力をいかんなく発揮します。たまに、とてつもなく速い欧米選手に抜か
     れますが、それ以外は自分の方が明らかに速く多くの選手を抜いていきます。さすが、世
     界選手権。ドラフティングをしている選手はほとんどありません。縦
1列に等間隔に並んで
     延
     々と
Bikeの列が続きます。追い風参考ながら手元のサイクルコンピューターでは最初の60
        KM
1時間37分台で入りました。 この時Bike5時間を切れるんじゃないかと本気で思い
     ました。その後に迎える3つの悪夢があるとも知らず。。。。


       一つ目の悪夢(というか、「やっちまったぜ」という私のちょんぼ)
       70KM付近のだらだらとした登りで、前の選手をなかなか抜くことが出来ないため、ドラフ
     ティングの状況がかなり長時間続きました。これは、まずいなと思いましたが、時既に遅
     し。マーシャルがやってきて
Red Card。(ドラフティング 次のペナルティBox4分間足
     止めとなります。)
4分のペナルティに精神的ダメージは結構大きかったですが、いつまで
     もくよくよしてられません。この
Bikeコースではかなりの頻度でGel系を含むエイドステー
     ション(
AS)があることがわかったので、75KM付近から折り返し地点までの約15KM続く
     きつい登りの前に用意したアミノ酸を全て補給し
Bikeを軽くするためボトルを捨てました。
     また、どこにあるのかわからないけど、次のペナルティ
Boxでは4分間足止めされるので、
     これはいい休憩になると前向きにとらえガンガンこいで行きました。


       連続した二つ目、三つ目の悪夢
     登っても登っても折り返し地点が見えない。補給食が足らなくなってきた。腹が減ってき
     た。。。。やばい。。。。。ようやく見えた折り返し地点。すぐ近くにペナルティ
Boxもあ
     ります。
4分間の一時停止の間にとりあえず、小便をしてGel補給だけはします。ペナルテ
     ィ
Boxを出てからは下りです。ゴリゴリこげるはずなのに力が入らない、ピーンと脚がつり
     ました。軽いハンガーノックと脚つり。スピードが出ません。女性選手たちにも抜かれる
     状況になりました。後はひたすら
ASGelをもらって補給食を絶やさないようにしましたが、
     結局
Bikeパートの最後まで体が復活することはありませんでした。補給がうまくいった宮古
     島と
Koreaでは重くなることを犠牲にしてでもBikeに固形物の補給食を搭載しており、腹が
     減りそうになった時補給食を食べて復活していました。


       例年に比べ今年はまだ穏やかであったそうですが、Konaの風は噂通り。Bikeがひっくり返
     るんじゃないかと思う横風がたまに吹き荒れます。レースの翌日車で
Bikeコースを走って
     みましたが、
Bikeに乗っているときにはあまり気づかなかったですが、かなりアップダウン
     があり、こりゃきびいしいコースだと改めて感じました。今回の
Bikeのミスは前半のオーバ
     ーペースとそれによるエネルギー切れと、補給ミス。全て自分の判断ミスです。

    
 Bikeの時からGelばかり摂っていたので、Runのスタートから吐きそうでたまりませんでした。
     また、
Bikeの際攣った脚がビリビリします。42KM走り切れるのか? 正直不安で仕方ありま
     せんでした。
エネルギー補給はちゃんとする必要があるのでACではオレンジとGelを口に入
     れ、後は水で流しこむという作業を繰り返します。最初の
15KM程はKonaの街の美しい海岸
     線沿いを走ります。沿道で応援してくれる人の数が半端ではありません。さすがに彼らの見
     ている前で吐くことはできないので、喉まで胃液が出てきても我慢します。


       1キロ6分のスピードしか出ません。AC以外では絶対に立ち止まらない、手を抜かないとレ
     ースの目標を変更せざるを得ませんでした。私より明らかに年配の選手にもどんどん抜か
     れます。半分を過ぎたところ当たりで、エネルギー切れから復活したように感じられました
     が、脚の復活はありませんでした。
Runをスタートしてから約4時間後、再びKonaの街に戻
     ってきます。ものすごい大歓声です。たまに日本語で「がんばれー」という声援も聞こえま
     すし、「
Good Job! Ryo!」とゼッケンに刻まれている私の名前を呼んでくれる人もいます。
       結果は以下の通り、ほぼちょうど平均点というところかな?

 

距離(KM)

タイム

全体順位

年齢別順位 

Swim

3.86

1:08:39

Bike

180.2

5:52:58

Run

42.2

4:01:32

合計

226.26

10:44:27

873/1918

105/209

     一つだけわかっていることがあります。今回のレースは不完全燃焼でした。Konaを楽しむ
     というお気楽な気持ちがあったのも否定できません。私のような普通の人間が世界選手権
     に出るというだけで、自分をほめてあげたいとちょっと誇りに思ったりしますが、今まで
     の人生最大級のイベントに本来発揮すべく力を出し切れなかったのは悔やんでも悔やみき
     れません。来年ハワイを目指すか
? と問われるとまだ即答できませんが、必ずやいつか
     
Konaに戻ってきて、今回の自分を超える(Timeや順位ではないこと、ここまでお付き合い
     された方はお分かりになると思いますが)と決意を新たにしました。

       レースの1週間前に昔歯の治療で詰めていたものが取れてしまいましたし、Hawaii滞在中に
     も歯が欠けました。ぐしゅぐしゅしている鼻の治療も必要ですし、今年
12日からトレー
     ニングを続けてきた体にも休養が必要です。
10月はゆっくり休みます。
       来年の宮古島でお会いしましょう。必ずや今年より強い自分をお見せします。
         (大会開催日:2011・10・8)



第三〇四号
      
アイアンマンハワイ ワールドチャンピオンシップに参加して!


2011年10月15日
AAC会員
脇本 正子氏

       「アイアンマンハワイワールドチャンピオンシップ」噂に違わぬ素晴らしい大会でし
       た。さすが世界中のアイアンマン大会で出場権を勝ち取ったトライアスリート達、
       頑強そうで鍛えぬいたカッコいい男女、プロを含めて1900人余りが参加、その
       うち日本人は今年は少なく56名だったそうです。
       私のレース結果は悪く14時間11分18秒、皆さんからの「ハワイはご褒美だから、
       時間をいっぱい使って楽しんでおいで!」の言葉どおりとなりました。

       大会当日10月8日(土)、晴れ、山に雲もかかっていません。それはコナの風が
       強い事を意味するそうです。朝7時、大砲の音で一斉にスタート、私も、ウェットス
       ーツ禁止なので気持ちだけ水着より浮くかな?というスイムスキンを着て、後ろ
       からスタート。美しい海で魚たちと泳いでいると本当に楽しくて。ところが、1.9km

       泳いで、ヨットを折り返す辺りから足がつり始めました。これはまずい、つってリタ
       イアすることになっては困ると思い、それからは細心の注意を払い、腕だけで泳
       ぎスイムアップ、時計を見ると、普段より30分以上遅い1時間58分も掛ってしま
       いました。ショック!!

       気を取り直してバイクスタート。ドラフティング(ハワイは厳しい)に気を付けながら
       やっとハビの丘の60〜90km地点、噂に聞いていた突風、岩の間から容赦なく、
       予告もなしにバイクを吹き飛ばそうとする。男性でも斜めになりながら蛇行してい
       る。私も一番重いギアにして姿勢を低くして、必死にハンドルを握り何とか少しず
       つ前へ。下りになってもスピードが出せない本当に苦しいコースでした。
       バイクコースの最後の10km余りは、コースの半分のレーンをランコースとして使
       っています。私がバイクの最後を頑張っているのに、こちらには誰も振り向かず、
       ボランティアも応援者も皆ランコースの応援です。そのうち、正面から応援者の自
       転車がやって来るではないですか。もう!危ない!危ない! まあ私が遅いのが
       悪いのですが・・・

       ランに入ってからの最初の7〜8km、アリイドライブは応援が引っ切り無し、皆が
       「マサコ、Good Job!」と、ゼッケンの名前を見て声を掛けてくれるのです。
       実は、その辺りになると歩いている人が多く、私はエイドだけ歩いて後は走ってい
       たので、「Good Jog!」と褒めてもらっていると勘違いしていました。でも本当に
       楽しいアリイドライブでした。
       ただ、その後、高速道路の途中からあっという間に日が暮れ、街灯が全くない真
       っ暗な道は、前から走って来る人とぶつかりそうになるので、用意しておいた小さ
       なペンライトを照らしながら一歩ずつ足を進めました。ゴール近くなると応援者の
       数はびっくりするほど多く、フィニッシャーズストリートでは沿道からハイタッチして
       くれるのです。本当に盛り上げ方を知っているのです。「ハワイは特別よ!他の大
       会とは違うよ!」と教えてくれた、済州のレースで知り合った女性がハワイの応援
       に来ていました。ボランティアとして参加している日本人女性もいました。

       実は今回は、宗政会長と、済州で知り合った方(男性3名女性2名)合計5名で、
       会場から6km位離れたコンドミニアムを借りて、103日(月)〜10日(月)まで共
       同生活。私は現地に着いてすぐ胃の調子が悪くなり、一晩中気分が悪く、大会に
       出場するのは無理かもしれない、せめて応援だけでもして帰りたいと思っていまし
       た。そして、翌朝少しずつ回復、その日は一人ずっとベッドに横になっていました。
       そして、その夜には回復、驚異の回復が出来たのは、そのコンドミニアムを手配し
       てくれたY子さんという女性のおかげです。
       Y子さんは、ハワイに9回目の参加と言うとても強い女性です。自分の知識と経験
       を生かして、日本からインスタントの味噌汁や調味料、それに現地のスーパーで
       野菜や肉を買って来て、胃に優しいヘルシーな料理を作ってくれました。Y子さん
       が上手に指示してくれるので、皆それぞれができることをし、共同生活の不安も
       全て楽しさと感謝の気持ちへと変わりました。自分でレンタカーを運転してコナの
       街を走り回り、次々と仕事を片付ける彼女はとってもカッコいい女性でした。

       今回のハワイのレースでは、沢山の事を勉強しました。特に、どんなに練習を積
       んで来ても体調を崩せばおしまい。レースは完走出来たものの、スイムで足がつ
       ったのも体力が戻っていなかったのでしょう。こんな悔しい思いはもうしたくありま
       せん。体調を万全にしてレースに臨むが事どんなに難しいか、身に染みてわかり
       ました。
       アイアンマンのバイク180kmは半端ではなく長くきつい!乗りながら「アイアンマ
       ンはもう嫌!」と叫ぶのはいつもの事、ただ、ハワイは素晴らしい特別なレースで
       す。あの優しくてあたたかい応援者の笑顔と大歓声の中のゴールは、完走者全
       てに平等に与えられます。そしてボランティアの優しさも英語がわからない私にも
       伝わってくるのです。
       若い方達にとっては厳しいでしょうが、是非この素晴らしいレースを目指していた
       だきたいと思います。私のようなものがハワイなんてと、偶然のチャンスに戸惑い
       ましたが、今は、「行ってよかった。出来ればもう一度参加してスイムのリベンジ
       も!あの感動をもう一度!」と思っています。

       最後になりましたが、今回私をハワイに連れて行って下さり、全てにおいてお世
       話になりました宗政会長には本当に感謝しております。往きの飛行機では私の
       荷物が重過ぎたため、一緒に荷物をひっくり返し、大変でしたね!
       また、自分のレースもあるのに私の体調の心配までさせてしまい本当にすみませ
       んでした。全てこれからのレースに活かしたいと思っております。
       また、出発前にはAACの多くの皆さまに声を掛けていただき、何が何でも完走を
       と力になりました。皆さま本当にありがとうございました。
       (大会開催日:2011・10・8)



第三〇三号
           
丹 後 ウ ル ト ラ 完 走 記 !


2011年10月3日
AAC会員
脇本 友理香氏

      このたび無事100km初挑戦、初完走しました。AACの皆さま応援ありがとうございまし
      た。918日まだ残暑厳しい、こんな日に100km走れるのかなというような夏日でした。
      「今までのように記録を狙うレースではなくて、走ることを楽しみたい!」と思い、挑戦し
      ました。ただ、100kmだけに何があるか不安と期待に、わくわくドキドキでした。

      レースは朝4時半スタートでした。辺りはまだ真っ暗でした。前半は、10kmをほぼ1
      間で通過。一定のリズムとペースでほぼ順調に進んでいきましたが、35km付近で左
      足を挫いてしまい、ランナーの方にスプレーしてもらい、再び走れるようになりました。
      そして40kmにさしかかるところには、七竜峠があり、このあたりから上り坂でペースダ
      ウンする男性が多く、一人一人抜かしていけました。47kmでは特製うどんがおいしく、
      エネルギーも蓄えながら・・・ 50km付近で、大村さん、続いてAACで先頭だった中川
      さんに追いつき、しばらく3人で並走しました。

      いよいよ60km。口は元気でも動きはスロー。だいぶ足にきていました。でもとにかく
      一歩一歩前へ。フォームとリズムだけは崩さず走っていました。6585kmまでの3
      の峠を中川さんと越えました。ゆっくりでも歩かずにいうのは暗黙の了解でした。87km
      
のエイドで大会関係者に「女性5位だよ」と教えてもらいました。「まさか入賞できる!
      ?」エイドをすぐに去り、そこからはペースアップ。前に見えてきた女性を目標にしてが
      んばりました。これが精一杯と思っていた足が動きだし、ラスト5kmはおそらく4分台。
      最後は早くゴールしたくて必死でした。念願のゴールテープを切り、「あれ?」と思いま
      した。5位と教えてもらってから6人くらい女性を抜いたのに、5位でゴールだったから
      です。「全員!?60kmの人だったのかな?」とまさかのオチに少しがっくり。でも結果
      には大満足でした♪

      私は3月にAACに入会してから、毎日が楽しくなりました。まだ半年ですが、何十人も
      の人と出会い、世界が広がりました。ランの練習会に加え、カヌーアスロンや皆生トラ
      イアスロン、LMC練習会、くすのき駅伝にも参加しました。「なんでもやってみたらいい」
      という宗政会長のお言葉が、私に勇気をくれ、今のモットーになっています。AACには
      素敵な人がたくさんいます。「目が肥えちゃうなぁ〜」と母と話していますが(笑)。その
      場でメモにとっておきたいくらい参考になることもありました。丹後に出るにあたっても
      たくさんのアドバイスのおかげで、レースのイメージはバッチリ出来ていました。

      中学・高校・大学と走ってきたことで、こうして皆さんと出会えたことに、続けてきて良
      かったなと感じました。これからも、勉強が第一ですが、走り続けたいと思います。
      将来いずれはトライアスロンも出来たらいいなぁと思っています。皆さま、これからもど
      うぞよろしくお願いいたします。

      追伸。もうすぐ母はアイアンマン・ハワイです。決して妥協しない姿勢は本当にすごい
      と思います。宗政会長とともに、きっと楽しんで完走してくると思います。私はハワイの
      お土産を楽しみに待っています。
       (大会開催日:2011・9・18)



第三〇二号
     
こんな嬉しい顔できることって人生で何回もありませんよね☆


2011年9月30日
AAC会員
松下 実氏

      8月28日(日)にカナダのペンティングトンで、アイアンマン・カナダに参加してきました。
      遅くなりましたが、アイアンマン・カナダの完走記を投稿させていただきます。アイアン
      マン・レースに参加することは、トライアスロンを始めたときからの夢でした。昨年のア
      イアンマン・ジャパンが中止になり、アジアでアイアンマン・レースが開催されるか分か
      らなかったので、1年前にアイアンマン・カナダにエントリーしました。このレースに参
      加するため、仕事のスケジュールを調整し、充分とは言えないながらもトレーニングを
      続け、フライトを取り、レンタカーを借り、一人で、バングーバーからペンティングトンま
      でドライブして来て、レジストレーションし、レースの準備が全て終わり、アイアンマン・
      レースという夢の舞台に立てる期待とレースへの不安、しかし8月28日(日)レース直
      前、不思議なほど落ち着いていました☆

       <スイム:3800メーター>
      バトルに巻き込まれるのを避けるため最後尾からスタート。泳ぎ始めると、周りのペー
      スは、明らかに遅い。スイマーの隙間を泳ぎ、少しずつ抜いていく。約3200人の参加
      者の殆どが前を泳いでいるので、スイマーの壁を抜けるのは、難しい。折り返し地点
      位になるとバラけてきて、やっと自分のペースで泳げるようになる。 スイムアップ。
      (タイム1時間22分 1805位/3200名 年代別149位/245人中)

       <バイク:180キロ>
      スイムは、マイペースで泳いだので、比較的息はあがっていない。180キロの長いバ
      イクの旅の始まり。カナダの雄大な、自然の中を走るバイクは気持ちがいい。途中パ
      ンクをしている選手を何人も見かける。パンクだけは、避けたいので路面の状態を注
      意して走る。140キロ位までは比較的順調。そこからが、450メーターの高低差のあ
      るYellow Lake。脚が売り切れてきた中の登り坂は、つらい。トライアスリート仲間とや
      った劇坂トレーニング、ヒルクライムのレースを思い出してがんばる。坂の上の両側に
      は応援の人が一杯。"Minoru Good Job" "Way to go (
いいぞ、その調子)Minoru"と
      応援してくれる。本当にありがたい。 辛いのと嬉しさで、目から涙がでてくる。約10
      キロの坂を登りきるとそこからはダウンヒル。転倒しないように慎重に走り、バイク終了。

      (バイクタイム6時間43分 1723位/3200名 年代別145位/245人中)

       <ラン:42キロ>
      やっとここまできた。トラブルが無くバイクが終了して”ほっとした気持ち”と、あと42キ
      ロ(フルマラソンの距離)のランか、”まだ長いな”とミックスした気持ちでランをスタート。
      180キロバイクの後の脚は重い。ランスタート時、アイアンマン・カナダでは珍しく31
      度と気温が高い。少し走ると汗がでてくる。2キロ毎にあるエイド・ステーションはあり
      がたい。10キロを過ぎるとアップ・ダウンのコースに。登り坂では、歩いている人が多
      い。歩きたくないけど、無理して走っているとフクラハギが攣りそうになる。登り坂では、
      歩くことに。ランを始めてから2時間半、ランの折り返し地点。完走が見えてきた。一緒
      に走っているトライアスリートの何人から”日本から来たの、頑張って”と声をかけられ
      る。残り10キロ。 沿道の応援もありがたい。"Minoru You are great !!!" "Good Job
       Minoru"
もう少しで、夢に見たアイアンマンになれるのだと思うと目から涙がでてくる。
      暗くなり始めているので、サングラスは必要無いのだが、涙を流しながら走っているの
      は、見られたくないのでサングラスをしたまま走る。

       <ゴール>
      約50メーターの応援スタンドに来ると"Minoru Matsushita, Japan" と名前を呼ばれる。
      これでアイアンマンになれるんだと思う身体の内から喜びが溢れだしてくる。
      ヤッターゴールだ!こんな嬉しい顔できることって人生で何回もありませんよね☆
      (ランタイム4時間59分 1183位/3200名 年代別69位/245人中)


       <記録>
                          種目順位(年代別) 通過順位(年代別)
      スイム   1時間22分41秒  149位/245人   149位/245人
      バイク   6時間43分16秒  145位/245人   145位/245人
      ラン     4時間49分00秒   69位/245人    101位/245人
      トータル 13時間21分22秒                101位/245人

       <最後に>
      長い日記を最後まで読んでくださったみなさま応援をしてくださった友達、仲間の皆さ
      ま、応援をしてくださった友達、仲間の皆さま、そして一緒にトレーニングしてきてくだ
      さったAAC仲間、心から感謝の気持ちを申し上げたいです。”ありがとう!!”
      (大会開催日:2011・8・28)



第三〇一号
          
世界選手権シリーズ横浜大会参戦記!


2011年9月29日
AAC会員
阪本 一雄氏

       世界大会の冠に惹かれて参加してきました。17日新幹線ひかりで輪行出発、8:30
       分着、会場に直行しました。すでにスイムコースにはスタートのポンツーが設営され
       ていました。ブルーで綺麗です。ここから、飛び込みのスタートかと驚きでした。
       受付まで時間が有るので会場を散歩していると、淡路の合宿に来ておられた、小林
       ご夫妻にあいました。すでにバイクスタイルでした。

       私もバイクをセットしていたので、小林さんと試走しようと後ろ見ると、ボトルケージに
       付けていたはずの輪行袋が無くなつていました。何時ものチョンボ、不吉な予感レー
       スで的中。結局試走出来ず。輪行袋探しに奔走、小林さんごめんなさい。見つからず
       帰りの心配しながら受付に行った所で村田さんに会いました。受付の段取りが悪くも
       たもたして時間がかかりました。説明会に参加、20分で終わり不安な飛び込みはプ
       ロのみと聞きひと安心。

       くらわんかのメンバーに合いバイクを運んで頂ける事になり1件落着、やや落ち着き
       ホテルにチエックインしレースの準備をすます。フロに入り横になつていると頭が痛く
       なり、熱があり計ると39度あり、フロントで解熱剤を貰い頭からフトンをかぶり、熱が
       下がるのを祈り早寝ぐっすり、3時に目覚めたら平熱に下がっていました。ラッキー!
       神様有り難うと叫びました。4時よりローソンで買い出しして朝食、いよいよトランジッ
       ションいき準備完了。

       スタート40分前に入水チェク、女子1−4ブロック8.00スタート、男子5ブロック8:04
       スタート。ポンッーより入水ブイは大きく見やすい、一周750mややバトルで迷走。1
       度ポンッーに上がり2週目バラケテ泳ぎやすくなる。36:58予定どおリ、バイクまで3
       50mをマイペースで走り、クラス1番バイクスタート。6週回まちがいがない様にDH
       バーに5本リング入れ、周回ごとにリング入れ替えバッチリ(何度か失敗を経験)
       6週目あと1キロで後車より追い抜きの合図あり、不吉な予感が当る。左に寄った途
       端コーンのはしに乗り上げ、時速30キロでバランスがなくなり、アバレナガらブレー
       キを掛けると転倒するので耐えながらコースを外れたが、停車中のトラックに左肩か
       ら激突、バイクはトラック下に入り中々取れずスタッフ3人がかりで取り出して貰った。
       バイクは比較的軽症だったので、バイク修理に取り掛かりスピード修理完成。スタッ
       フにリタイヤを進められたがバイク完走。25−30分ロス。バイクゴール2:30ぐらい。

       ランスタートしたが片腕振れず。のんびり1〜2周目から肩が少し振れるようになり、
       スピードが上がり橋のてまえのところで村田さんに声をかけてもらい元気をもらいま
       した。救護班にレースに何時も来られてる笠次先生に注射していただき楽になりまし
       た。(ボランテイア同行の先生) あと少しの所で上五島でお友達になった泰夫妻が、
       約束どうり応援にきてくださり元気をもらい完走。ゴールタイム3:42:17、ワースト
       記録でした。すぐにバイク&用品を引き上げホテルに直行、浴槽に洗い物を入れ、
       シャワーをして熟睡。翌日リザルトを見に行くと、なんとビックリ1位でした。すでにセ
       レモニー表彰もすんでいました。残念!

       当日は連絡取れず、翌日に賞品ゲット。びっくり、なんと、アメリカのSUUNTO多機
       能ハートレート付ウオッチ。その他、多数もらいました。表彰式に出られなかったの
       が残念。チョンボ。
       記録 スイム36:58/724位  バイク1:55:04/916位  ラン1:10:15/840位
           年代別1位/3人中   総合898位/980人中
       (大会開催日:2011・9・18)



第三〇〇号
             
無念!北海道マラソン欠場&
     丹後ウルトラマラソン60キロ初挑戦までの道のり!

2011年9月26日
AAC会員
井上 美香子氏

       918日、初のウルトラマラソンを無事に完走してきました。この日に至るまでに色々
       な事がありました。
       そもそも、私が丹後ウルトラを走ろうと思ったきっかけは今年3月に行われた六甲全
       山縦走に参加したのがきっかけです。軽い気持ちで六甲全山縦走に参加したものの、
       想像を遥かに超えた過酷なものでした。何度となく、棄権が頭をよぎりましたが、一
       緒に走ってくれた仲間のおかげで無事に完走でき、今までは長い時間を走る事に対
       して、とても苦手意識が強く、なかなか克服出来ずにもがいていましたが、六甲全山
       縦走のおかげで私の中の何かが変わりました。そのことがきっかけとなり、全山縦走
       の翌日には、ハイテンションのまま、丹後ウルトラにエントリーをしてしまいました。

       今までの私はと言うと夏場はマラソンの練習はお休みで、殆ど練習せずに8月の北
       海道マラソンを走り、10月の潮風ウルトラマラソンあたりからそろそろ秋に向けて練
       習しようかな・・・というのがいつものパターンでした。でも、今回は六甲全山縦走で
       何かが私に乗り移り?ランニング人生初とも言える程、8月、9月のレース向けて真
       剣に練習を重ねました。走行距離を延ばせば延ばすほど面白い位にスピードが付き、
       あんなに長い距離を走るのが苦手だったのに距離に対する不安もなくなり、順調に
       練習を積み重ねてきましたが、なんとそこには大きな落とし穴がありました。

       828日北海道マラソンをあと3週間程控えた時、股関節まわりの筋肉を痛めてしま
       いました。自分の中では3週間もあれば治るだろうと安易に考えていましたが、病院
       へ行くと思いのほか重症で全治2カ月と言われ呆然となりました。まさか自分が故障
       して、大会に出場出来ないなんて、全く考えてもいなく、8月の北海道を走るのをとっ
       ても楽しみにしていただけにショックが大きかったです。私の主人も北海道マラソン
       には一緒に参加予定だったので、とりあえず北海道には予定通り行き、大会前日に
       エントリーも済ませましたが、歩くのもままならに状態で、泣く泣く欠場しました。主人
       の応援にまわり一緒にスタート地点に行きましたが、大勢のランナーを目の前に「こ
       こに自分も参加するはずだったのに・・・」と思うと自分が情けなくて涙が出そうにな
       りました。一生懸命練習してきても本番に発揮する事が出来ないなんて何にもなら
       ない・・・故障から一か月、全く走らずに我慢!ひたすら我慢!

       そんな悔しい思いのまま丹後ウルトラマラソンの日も近づき、ウルトラも欠場かと諦
       めていましたがどうしても諦めがつかず、ウルトラマラソン前日に出場する事を決意!
       宿泊もキャンセルしていましたが、60キロだと早朝に出発すると間に合うとの事で、
       主人と愛犬の協力で無事に丹後へ到着。スタートしてからは、故障の脚に負荷がか
       からないように、終始ゆっくりペースを心がけ、最初と最後以外はエイドにすべて立
       ち寄り、途中、脚のマッサージもしてもらい、なんとか走り続け50キロ過ぎからは、も
       う!行ける!!と思うと今までの事が思い出され、「あと10キロでレースが終わって
       しまうのだな」と感無量になり最後はゴールに向かってラストスパートをかけ、無事に
       60キロ完走する事ができました。

       大会を無事に終える事が出来たのは、家族の協力や、AAC仲間に励まされ支えら
       れて出来た事を感謝します。故障は徐々に回復しつつ、今後は無理のないよう秋の
       レースに向けて頑張りたいと思います。走れることを当たり前の事と思っていました
       が走れる事に感謝です。
       記録: 第11 2011歴史街道丹後100kmウルトラマラソン(60kmの部)
            6時間132秒  11/124
       (大会開催日:2011・9・18)
               追伸=11/20開催の神戸マラソンで3:24:05の自己新記録を達成