投稿第一八九号

         目 標 ! < 珠 洲 ト ラ イ ア ス ロ ン >

2009年10月13日AAC会員
廣田 省吾

       22分の差かぁ…、昨年の文ちゃん(歳内文太氏)とのタイム差、自分のベストよりも
       15分も速い!この差を縮めるのは無理かなと思ったが、諦めたらだめだと自分に
       言い聞かせて今年に向けて練習をして来ました。仕事柄、時間が不規則で思う様
       にトレーニングが出来ないなか時間を見つけてクラブの方々と青垣の合宿や後川
       までのバイク練習に参加させて頂き、皆さんのおかげで良い練習が今年は出来ま
       した。

       いざレース当日、まずコースですが、珠洲トライアスロンはミドルの大会で[スイム2
       500mバイク100kmラン23km
]距離は中途半端ですが、このコースのメインはな
       んと言っても半島50キロ二周のバイクコースで、大谷峠の高低差が300mで12%の
       傾斜を二回登ると言うハードコースです、珠洲の大会を走るにはバイクの練習をし
       っかりしていないとエライメにあいます。かと言って他が楽かと言う訳ではなくて、ス
       イムも日本海とは言え外海だから結構うねりが強く、スイムに自信の無い私には毎
       回恐怖感を覚えます、おまけにクラゲが多くて泳いでる途中でクラゲが口の中に入
       り、終わった翌日に顔にアザが出来た事も有りました。ランは見附島までの往復で
       フラットコースなのでとても走りやすく、沿道の応援も沢山あってスイムとバイクで疲
       労した身体を奮い起たせてもらえます!

       今年のスタートは文ちゃんがスイム第一ウェーブで私は第三ウェーブです。その差1
       0分、相変わらず出だしが悪い私は300m沖を右折してもまだ平泳ぎを交えながらの
       スイムでしたが、500m位過ぎた辺りから調子が良くなり結果は45分でベストが出ま
       した。
       バイクに移り、結構身体も軽く気温もあまり高くなく逆に寒い位でした。一周目は二
       周目の大谷峠の事を考えて抑え気味で峠の登り下りに差し掛かる。35キロ位から
       エンジン前開!途中クラブの矢部君に出会い励まし合いながら走りました。バイク
       を終わった時点で文ちゃんとの差を5分縮めているとは知らず、「文ちゃん!ずっ
       と先なんやろな・・・
」と思いながらランに入りました。
       ランではキロ5分が目標でしたが、バイクまでの気温が低かったせいかトイレに行っ
       たり、足がケイレンし思うよう走れずほぼ諦めていましたが、折り返しの見附島の手
       前で文ちゃんとすれ違った時、「ひょっとしたらタイム差が縮まってるんとちゃう
       の!
」と気付き元気が出て来ました…が、後半になり徐々に胃腸が痛みだし、日頃
       ビール(ビールと言っても第3種)の飲み過ぎかなぁ〜と思いながらも、文ちゃんを追
       いかける元気も無くそのままゴール!

       結果、6時間14分58秒で文ちゃんにはわずか6秒差で届きませんでしたが、来年の
       目標がまた出来ました。皆さんも一度[珠洲トライアスロン]を目標にしてみてはい
       かがでしょうか。
       (大会開催日:2009・8・23)



投稿第一八八号

          芦屋浜の爽やかな風に感謝です!

2009年10月11日
神戸市在住

藤井 昌子

       先日は芦屋浜潮風ウルトラマラソンに参加させていただいてありがとうございました。
       6月に一度練習会にお邪魔してから4ヶ月間、なんだか走れなくなってしまって、ずっとサボ
       っていたので、とてもじゃないけど大会にエントリーできるような脚ではありませんでしたが、とに
       かく、ずるずると走れなくなっているこの状態に「喝をいれないと!」 と思って無謀なエントリ
       ーに踏み切りました。

       そう決心した理由の一つは、この大会が周回コースであったことです。残りの距離が想像し
       やすいので、安心できると思ったところが大きなポイントでした。そしてもう一つは、AAC主催
       大会であったこと。2008年から走り始めたばかりのわたしは、初めて参加させていただいた
       練習会ではクラブのみなさんに本当にご迷惑をおかけしましたが、暖かく迎えて下さいました。
       コースを走りきったことよりもみなさんの気持ちに涙が出そうになったことを覚えています。

       大会は予想通り練習不足が露呈して内容は散々でしたが、最後の直線コースで本部の
       青い旗が遠くに見えた時は本当に嬉しかった!「あそこがゴールだ!」と思ってあきらめず
       にたどり着けました。そして、脚は動かないのにも関わらず、潮風が気持ちいいと感じる不思
       議な感覚。個人競技なのにひとりじゃないマラソン。最後の5kmはギシギシいう脚と戦いな
       がらでしたが、その中で考えていたのは「来年もここに来たい」です。動かない脚と戦ってい
       る時は、丸裸の「自分」と対面するときだと思いますが、そんなことを考えていたので自分で
       もびっくりでした。「走る」ことは様々に体験すればするほど魔力がありますね。わたしの「
       る
」体験は、まだまだ入り口なので、これから先もどんな魔力に出会うのかとても楽しみです。

       こんな超ビギナーなわたしの完走をも支えてもらえた暖かい大会でした。思いきってエントリ
       ーして良かったと思っています。スタッフのみなさん、参加選手のみなさん、そして芦屋浜の
       爽やかな風に感謝です。

       今回30kmを完走し、フルマラソン完走への夢をなんとかつなぎました。ありがとうございました。
       これからもよろしくお願いいたします。
       (大会開催日:2009・10・4)


投稿第一八七号

      ウルトラトライアスロンの世界を楽しむ!

2009年9月25日
AAC会員

川崎 潔

      AACの皆様こんにちは。私は久保田早紀さんのご紹介で、お仲間に入れていただい
      た川崎潔と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 
      まず最初に「日曜ラン練習会参加の皆様」に御礼申し上げたいと思います。7月から
      8月の暑い中、ペース走やインターバル走で、常に遅れていた私を引っ張ってくださっ
      た皆様のおかげで、9月13日に開催された「青垣トライアスロン大会55歳以上の部
      で表彰台の真ん中に立つことができました。
 
      あの酷暑のスピード練習の苦しさを地獄に例えるなら、涼しい青垣での5キロランは天
      国の中をふわふわと浮いて走るような感覚でした。青垣には何度も出ていますが金メ
      ダルをもらったのも初めてですし、ランのタイムが20分を切ったのも初めてでした。本当
      にありがとうございます。
 
      次にこれまでの私のトライアスロン歴を簡単に自己紹介させていただきたいと思います。
      私は1987年の第1回石垣島大会でトライアスロンデビューしました。当時はJTUも存在
      せず、従って厳しいルールもありませんでした。金槌の女性がコースロープを手繰って
      1キロを完泳(?)したり、バイクはママチャリでもОKでした。おおらかで、いい加減で、
      そして「完走した人はみな勝者」というフレーズに惹かれて、あっという間にトライアス
      ロン中毒になってしまいました。
 
      2000年を過ぎるころまでは毎年10大会以上に出場していましたので、日本全国のトラ
      イアスロン大会はほとんど完走し尽くしてしまいました。特に皆生は15年連続で完走し
      たので、心ゆくまで坂登りを堪能しました。そうすると凝り性と同時に飽き性でもある私
      は、次に何か目新しい事はないか探し始めました。
 
      そんな時、マラソン界にはフルマラソンを完走したら次はウルトラマラソンという選択肢
      があるのに、トライアスロン界にはウルトラの大会は無い。アイアンマンの距離の2倍、
      3倍という「ウルトラトライアスロン大会」を作れば面白いだろうと考えて、2002年9月
      に村岡ダブルアイアンマン(S,8km B,360km R,88km)が誕生しました。35時間11分か
      かってなんとか完走しました。
 
      翌2003年10月には篠山トリプルアイアンマン(S,12km B,540km R,126km)を56時間24
      分で完走しました。さすがに二晩の徹夜は厳しくて、ランの途中居眠りをしてコース横
      の黒豆畑に転落、負傷というおまけまでつきました。私はトライアスロンというスポーツ
      を次のように考えています。
      「トライアスロンとは、水泳、自転車、マラソンという、異なる3つの移動手段を使
      って行う、スタートからゴールまでの旅である

      とすれば、その旅の行程が長くて、いろいろな障害があるほど完走した時の喜びも大
      きいという事になります。
 
      AACの皆様の中でウルトラトライアスロンの世界を一度覘いてみたいと思われる方が
      おられましたら御一報ください。来年は、9月26日に開催予定の村岡ダブルフルマラソ
      ンを利用して、その前にプールでの8キロスイムと360キロバイクをくっつけた、「村岡
      ダブルアイアンマン大会
」を久しぶりに開催しようと思っています。
      国内のロング大会に完走した方であれば、1年の準備期間があればダブルも必ず完
      走できますよ。ぜひ一緒にやりましょう!
      (大会開催日:2009・9・13)



投稿第一八六号

            青垣トライアスロン玉砕記!
         
―400メートルは長かった

2009年9月22日
AAC会員

松本 豊子

      6月28日 グリーンピア三木 初心者の部(スイム300M バイク10キロ ラン5キロ)
      を一応ゴールしてトライアスロンデビューした私。
      しかし、スイムでのヒーヒー・バクバクがかなりのトラウマとなって残ってました。
      なんせ3月まではカナヅチだったものですから・・・

      インフルエンザ騒動で延期になった青垣トライアスロンへの参加を決めた時も、やはり
      スイムへの不安が消える事はありませんでした。 ぶっとばすには、もくもくと練習・練
      習・泳ぎこみしか無いのはわかってたのですが。なんせ、しんどい事、苦手な事なので
      ついつい逃げていた気がします。絶対泳げると言う確たる自信も無いうちに、ついに
      運命の9月13日が来ました。  

      スイム400m1レーン3人ずつのウェーブスタート。”ものすごく遅いからどんどん抜か
      してネ”
と言ってた赤のキャップがまずはスタート。 ものすごいガッツのど迫力の泳ぎ。
      あっけに取られてる間にわたしの番。 こりゃあかん。 手足ばたばた気は動転。
      何とか25M泳いでたどりつくも、壁が異常に高く手が届かずまたあせる。その繰り返し
      で頭は真っ白。何回ターンしたかも定かで無くなったその時、あと50Mのプレートが、、、
      やれやれこれで終わりと渾身の力を振絞りゴールと思いきや・・・残念でした。
      タイムアウトとの声。 なんとさっきのプレートは同じレーンの別の選手に向けられたも
      のだったのでした。 Oh my god!見渡せばプールに残されたのはわたしだけ。 
      衆目の中すごすご退場。落ち込む。

      しかしその後は気を取り直し、バイク20キロ・ラン5キロ爽やかな青空と美しい緑の中
      を楽しんで走ることが出来ました。 記録はありませんがゴールイン!
      この大会には毎回AACの宗政会長始め大勢の会員の方々がボランティアで参加され、
      応援して頂いたのにとんだ失態を演じお恥ずかしい限りです。トホホ・・・

      今回の大失敗を良き教訓として、来年は笑顔でゴールできるように頑張っていきた
      いと思います。 皆様お見捨てなきようよろしくご指導くださいませ。
      (大会開催日:2009・9・13)



投稿第一八五号


             やっぱり六甲山系マラニックが一番いい!

2009年9月10日
AAC会員
本地 敏行

    6時44分にJR三田駅に到着し、改札には向かわず、トイレの方へ向かった。駅の改札を出
     ると街角にトイレがある保障はないため、駅のトイレで所要を済ませることにし、イコカで
     清算し改札を出た。三田駅周辺は数年前に参加した三田マスターズのマラソン大会で訪れた
     ときとは違う風景となっていた。変わったと感じる点は2つあり、駅前に高いビルができた
     こと、交差点上(2階部分)に遊歩道の広場ができたことでした。その歩道広場からはエス
     カレーターを使い、地上となる駅前ロータリーの歩道上に降りた。時計は午前7時を指して
     いる。ジャージを脱ぎ早く走り始めたい気持ちでいっぱいだったが、周りには人目も多かっ
     たため、着替える場所を選んで歩いている内に駅から300m近くも進んでいた。こんなこ
     とになるのだったら、駅のトイレで着替えればよかったと思いながら、三田駅からさらに南
     へ少し進み、バス旅行の団体を集めようとしているバスガイドさんの視野から外れたところ
     で、ジャージを脱ぎ走る姿に着替えることにした。


     前回、毒虫に刺されたことによりトレイルラン途中断念しなければいけない状況になったこ
     とを考え、今回は下の服装をランパンではなく、ハーフタイツにすることにした。少しでも
     肌を出さないようにと考えた結果でしたが、タイツはランニングパンツと違い、締め付けら
     れる分、体が動くことのできる自由度も少ない。また密着しているため熱も内部にこもりや
     すく、それが原因で疲労感もランニングパンツよりも早く感じそうに思えた。(自己想像)
     ほかの人はどう感じているのだろう。日もすでに高々と出ており、散歩する年配者や大きな
     カバンを持ち帰郷するのだろうかと思われる若い男女とすれ違う。
     走り始めでまだまだ元気だったこともあり、走る道も考えずに進んだ結果、道を間違え、東
     のほうへ進んでしまい、176号線を越えてしまっていた。間違いにはすぐに気付くことが
     できたので、そのまま176号線へ戻り南下することにした。176号線を南下し始めてか
     らちょうど1km程度走ると有馬川に平行する箇所に到達した。右手には神戸電鉄有馬線が
     同じく並行して走っている。そのまま、並行して走ると、神戸電鉄有馬線の新鉄道場駅を過
     ぎた辺りに右へ曲がる道(15号線)がある。昨年の3月にこの道を使い、マラニックを行
     った経験があり、その道(15号線)が有馬近くまで連れて行ってくれることを知っていた。
     15号線を走ると二郎という地名に入る。読み名はジロウではなくニロウというらしい。イ
     チゴで有名らしいが私は兵庫大阪出身ではないため、イチゴで有名という情報は初耳だった。
     有名ということもあって、いたるところに二郎イチゴという看板がある。今は季節はずれの
     ため、販売はしていないようで、ビニール張りの東屋には商品はおろか人の気配すらない。
     おそらく早春にはにぎわうのだろう。(昨年の3月に走ったときにはにぎわっていました。)


     二郎を過ぎ、15号線をさらに南下し中国自動車道の高架下をくぐる。岡場駅に近づくにつ
     れ、町の雰囲気もにぎやかになってきた。自動販売機も歩道端のいたるところに設置されて
     いる。このにぎやかな場所を過ぎると給水できる場所も有馬までないかもしれない。そう思
     い、左手に持っている500mlのペットボトルに残っていた残り少ないドリンクを飲み干
     し新たにスポーツドリンクを買い足した。走り始めてすぐに岡場駅近くの交差点(岡場交差
     点)に到着した。岡場交差点を左へ曲がり、だらだら長い上り道を走り、一つ目の信号を右
     に曲がる。曲がると有野台の住宅地へ入ることができる。有野台の住宅地は山手に細長く伸
     びているため、ひたすら上りを走ることになる。住宅街のため車がほとんど通らない。有野
     台の右手に平行して506号線が走っており、その道へ合流するため、住宅街をジグザグに
     コース取りして506号線へ近づいていった。2車線と広い歩道のある506号線に出ると
     景色のいい展望を望むことができた。更にのぼり方向へ進み、トンネルをくぐれば有馬に入
     ることができる。有馬駅まではその場所から400m程度も走れば到着する。有馬駅で休憩
     を取り、ジュースを補給し駅の横壁に貼られていた有馬温泉の地図を見て作戦(?)を立て
     る。休憩をしていると駅に電車が止まり、20人強の人が電車から続々と降りてきた。降り
     てきた人たちの服装は、登山客風でもなく観光客風でもない。どちらか言うと今から仕事に
     向かう人のような服装で、有馬の旅館に勤めている人と予想される。彼らは駅から出ても壁
     の地図や観光ガイドには目もくれず、目的地を目指しているかのように太閤橋のほうへモク
     モクと歩いていった。有馬街の走行コースは まず太閤橋を渡り、金の湯、有馬玩具博物館
     の横を過ぎ、有馬稲荷神社へ出るコースを考えた。


      普段はにぎやかな金の湯も観光客はわずか2人のため走りやすい。風情のある(?)細い蛇
     行道を上がり、有馬稲荷神社の前を過ぎると魚屋道の入り口に差し掛かる。有馬から六甲最
     高峰へ上がる登山道は最近整備が行き届いていて驚く。道は、自然の砂利道で傾斜が急角度
     にならないように右左へ蛇行させている。さらに登山道を進むと、以前にはなかった大きな
     東屋が作られていた。また景色が展望できるところに設置されていたため休憩していても気
     持ちがいい。東屋の中央柱に収納箱が設置されており、中には有馬駅で見たものと同じ観光
     案内がたくさん入っていた。その近くに張り紙で一人1部ずつにしてくださいと書かれた紙
     が張っている。車が入ってくるのも困難な道(舗装道から1.5km程度の地点)なので、
     歩いて観光案内を継ぎ足しているのだろうか。また、登山道の脇には案内図(地図や植物の
     説明)も設置されていて楽しませてくれる。以前の登山道は段差の高い自然の傾斜や、人が
     交差するのも不自由なくらいに細くなっていた部分もあったが、それらは傾斜をゆるくされ、
     人が3人並んで歩ける幅にきれいに整備されていて、以前の登山道の面影はなくなっている。
     東屋を過ぎ、登山道を走っていたが、手に持っていたドリンクの残りが不安になってきたの
     で、仕方なく山頂まで歩くことにした。気温も高くなってきているようで、歩いるだけでも
     汗が留まらない。一軒茶屋に到着したころには手に持っていたドリンクもほとんどなくなっ
     てしまっていた。歩く作戦に切り替えることは正しかったようで、もし走っていたら登山道
     の中腹で給水もなくなってしまい、つらい思いをしながら山頂を目指さなければいけなかっ
     ただろう。山頂でほんのわずかに残っていたドリンクを大事に飲み干した。

     一軒茶屋の自動販売機でドリンクを購入し、偶然居合わせたランナー(有馬から上ってきた
     らしい)と話しをしながら休憩した後、七曲へ走り始めた。いつも芦屋から上がってきても
     おたふく山へ向かうため、七曲は通ることはないため、ひさしぶりに走ることになる。七曲
     の道は以前と変わらず急な傾斜で階段の1段1段の幅も狭かったため、気をつける必要があ
     った。七曲りを下りきったところに沢(川)があり、本来は川を渡るために飛び石のような
     ものがあるのだが、いつもより水が増水していたため、飛び石の半分は水をかぶっている。
     水のかぶっていない飛び石の上に座り、足を川の中にどっぷりと浸け、汗ばんだ
Tシャツを
     洗い、足をしばし冷やすことにした。いくらかの時間が過ぎ、水の冷たさに足がこわばり始
     めたので 水洗いを終えた汗のにおいのしない
Tシャツを着て再び走りだすことにした。道
     は芦屋方面という看板を見てコースを走っていくが、久しぶりのため途中で分かりにくい看
     板があったので、下から上がってきた登山者に道を聞き、おたふく山との辻に到着すること
     ができた。東屋とベンチがあったので、そこで今朝作ってきたおにぎり3個の内1つを食べ
     ることにした。山のくだり道は楽なので給水もいらないだろうと考えていたが、異常な暑さ
     のため、給水なしではふもとまで到達することができないと感じた。仕方なく、非常用にリ
     ュックに忍ばせている500mlの水道水の入ったペットボトルの水を飲むことにした。本
     来、非常用としてリュックに忍ばせていて、本当に困ったときや、走り終わったときに体を
     洗うために用意している。この非常用水がなくなると飲むものはなくなってしまう。この水
     を使い始めると気持ち的に少し不安にもなるが仕方がない。ペットボトルの水道水を一定間
     隔の時間で少量ずつのみながら進むことにした。

     ゴルフ場横を過ぎるころには下から上がってくる登山者も多くなってきた。すれ違うたびに
     登山者と挨拶を交わす。ゴルフ場を過ぎたころに、くだり方向へ進む年配の夫婦とすれ違っ
     た。私は推定
時過ぎに山頂から下り始めたが、彼らは私よりもっと早くに山頂を出発した
     のだろう。下から上がってくるのは年配の登山者がほとんど。若い人は朝に弱いのかな。風
     吹岩で休憩の後、くだりはじめると今度は若い人ばかりに出会うようになった。彼らはおそ
     らく9時前後に駅を出発したと思われる。風吹岩を過ぎるころには、ペットボトルの水道水
     も残り半分になっていた。また気温も少しずつ暑ってきたようで 早く下(街)に降りたい
     気持ちでいっぱいになった。下り道はいつもロックガーデン付近で登山道を間違える。本当
     なら歩き易い道を選ぶところだが、なぜか最後はロックむき出しの難コースに知らないうち
     に迷いこんでしまっている。進みにくい岩のコースを両手両足で上手く進み、どうにか滝ま
     で到着した。手に持っていた水道水は残り3分の1まで少なくなっていた。下山後、このま
     ま山の手幹線を尼崎まで走っていきたかったが、アスファルト上は想像以上に暑かったため、
     走る気も失せてしまい、結局
JR芦屋駅で走ることを止め帰宅することにした。街を歩く人々
     はとてもこぎれいな服装を着て歩いている中、汗で全身濡れ、足から汗が滴っている状態で
    
JR芦屋の改札まで行くことに少し勇気が必要だった。駅のトイレに入り、汗に濡れた服を
     着替え、ようやく落ち着いた。走り終えての感想で一番感じたことはやっぱり六甲マラニッ
     クが一番いいと思えた。(人とよく出会うことができるため)今回給水不足のため途中歩い
     てしまったので、次は終始走り切りたいですね。(実施日:2009・8・13)

              JR三田駅〜有馬駅約18km    有馬駅〜JR芦屋駅 約10km   
              JR
三田駅 6:56出発     JR芦屋駅 10:43出発




投稿第一八四号

        遅いけどイーブンペースで無事完走!
      
 (2009北海道マラソンの参加報告)

2009年月5日
AAC会員

井上 優一

        AACの皆様、ご無沙汰しています。4月末に長崎県の佐世保市へ引越した、
     井上優一です。妻の実家が札幌市であり、しかも妻の両親が北海道マラソン
     の給水担当ボランティアとして参加するとのことで、帰省を兼ねて
830
     の北海道マラソンに夫婦で参加しましたので、概要を報告します。


        当日の天候は曇りで気温は21度と絶好のマラソン日和。受付は大会の前日済
     ませていたので、大会当日はゆっくりとスタート会場(中島公園)へ行きま
     したが、驚いたことに、
AAC会員の目堅さんの家族(目堅さんの娘さんもマ
     ラソン参加)にばったり会いました。お互いの健闘を祈りながら、それぞれ
     のスタート地点へ向かいました。スタートエリアは
AからH8ブロックに分
     けられており、私たちは最後から
2番目のGブロックでしたが、北海道の道路
     幅は広くて、スタートは比較的スムーズで、スタート開始後の
3分後には私た
     ちもスタートラインをまたぐことが出来ました。


        今年の篠山マラソンでは30km以降はほとんど歩いた苦い経験があること、ま
     た北海道といえ、夏場のマラソンなので、今回の目標は「
6/kmのイーブン
     ペース」としました。


        スタートしてからしばらくは順調に6/kmのペースで走りましたが(妻も私
     と同じペース)、
13km付近で私のトイレタイム(当局と提携しているコンビ
     ニのトイレ)のために妻と別れ、その後は一人旅です。とにかく
25kmの給水
     ポイントには妻の両親がボランティア参加しているので、くたばるわけには
     いきません。イーブンペースをひたすら守り、なんとか
25kmの給水ポイント
     に無事たどり着いて、両親にお礼を言って、かっこいいところを見せたとこ
     ろまでは順調。ここまでくれば残りは半分以下なので、ひたすらイーブンペ
     ースを守ることにしました。しかし、
38km付近からの北海道大学構内のコー
     スに入ると、さすがに足が痛くなりややペースが落ち気味。 最後の大通公
     園に入りゴールまでの
500mぐらいをラストスパートし、ついにゴール!!

        北海道とはいえ、夏のマラソンは初めての経験でしたが、今回のマラソンは
     イーブンペースを守り、夫婦共に気持ちよく走ることができ、非常に満足し
     ています。次は福知山マラソンに参加予定なので、
AACの皆様にお会いでき
     ることを楽しみにしています。

        私のタイム結果:グロスタイム=4時間2428、ネットタイム=4時間2135
       (大会開催日:2009・8・30)


投稿第一八三号

                第62回 富 士 登 山 競 争 !

2009年8月6日
AAC会員
金本 順也

      ラン仲間からこんな話題を聞いた。次の3つのレースで達成すればグランドスラムに
      なると・・・その達成項目とは、
         ・フルマラソンをサブスリー
         ・100キロウルトラマラソンをサブテン
         ・富士登山競争での山頂までの完走
      今年の上半期の目標として富士登山競争を選択した。これで達成すれば、グランドス
      ラムであると。
      この為の練習としてはやはり登りを重点的にやろうと、坂の練習ばかりをやり一番の
      極めつけは、生駒山・暗峠7往復で、登り勾配が平均20%で一番きつい所では計測
      勾配では24.5%。流石に10時から開始して練習が終わったのは夕方の5時だった。

      7月梅雨明け予定(20日頃)あたりから日本各地でゲリラ雨で洪水が起きており雲行
      きがとても妙で山でも遭難者が多発していた。そして、レース当日。何故か寝つきが
      悪い夜だった。それ程プレッシャーを感じていたのかもしれない。これまで数々のレー
      スを出ていても何度も感じるこのプレッシャー。

      朝3時ごろ、外では雨の音が「ザ〜〜」と鳴り響いている。まさか…こんな雨で走る?
      と誰もが思う状況だ。 普通で言う土砂降りです。もう〜笑うしかないで〜と気持ちは
      冷めていた。
      そして4時過ぎでも雨の音はまだ変わらず。緊張感をなるべく睡眠で誤魔化そうとする
      が、なかなか寝つきが悪すぎてとうとう、あまり寝れなかった。
      宿泊先は、朝ごはんは4時半に用意してくれるという待遇で、参加者としてはとても有
      難いサービスである。食堂へ向かいテーブルについたら若手のご主人が意外な事を
      口走った。
      ご主人 「この調子なら…間違いなく山頂行きは中止ですね」
           「どんなに雨でも5合目までは必ずやりますから…」
      選手一同 唖然としていた。

      何とも言えない空気だったが、正直言ってそうなれば受け止めざる得ない。ただ、大
      会本部が言うまでは信じないでおこうと思い身支度は山頂までしておき、手渡す手荷
      物も最小限にはとどめて置いた。スタート会場に行くまではこの事で頭が一杯で少し
      気が滅入る。
      そして会場へ着くやいなや、スピーカーを使って各選手に案内していたのは山頂行き
      は中止の決定であり、5合目で打ち切るというもの。「やっぱりか〜」という思いで、大
      阪のチーム友達に速報メールを打電。

      さて、レース本番である。ここからは落ち込もうがどうなろうが全く関係の無い勝負の
      世界である。富士登山競争に出場は初めてなので起伏がわからないのは当然である
      が、それなりの練習をしてきたのである程度いけるであろうと自分では思っていた。
      しかし、現実はそんなに甘くない。
      私の練習内容では急勾配の練習はしてきたが、緩い勾配が長く10キロ位続くような
      練習はやってきていない。まさに想定外でした。しかもこの緩い勾配は延々まっすぐで、
      ほとんど曲がりくれらない。嫌でも見える1キロ先の選手が多数見えるのである。
      「え〜! あんなに未だ選手を抜かんとアカンねんや〜!」これは痛烈なストレスであ
      る。なんて言うのかな…「こんなレース見た事無い…」としか言えない。

      1時間を過ぎたあたりでアスファルトから古いコンクリート舗装の割れ目が沢山のとこ
      ろへ入っていく。このあたりは割れ目が多すぎて走りにくすぎる。女の子の足ならはま
      るくらいの溝があったりする。ところどころにわざと水溜りを2m程の木材で囲って作っ
      た所がど真ん中にあったりして登山競争というよりアスレチック競技の様でもある。
      こんなトラップとも言える箇所が最後まで続いていた。土の道になってきたら今度は階
      段も多くなりダイトレを思い出させる。急峻な勾配も多数増えてきて、どの選手も走ら
      なくなっている。それどころか道幅が狭くて抜く事ができない。

      これが富士登山競争の妙技なのであろう。最初の緩やかな10キロ勾配を引き離すだ
      け引き離して、道の狭い箇所では自分のペース配分で進める。今回、私はセオリーど
      おりに次のことだけを留めた。
         ・来たこと無い道なので飛ばさない(変な悪路の存在もある為)
         ・スピードは至って同じにする。(つまりマイペース?)
         ・抜かれても抜き返さない意地を出さない(男女関係無く…)

      結局、この事を守ったので5合目付近までギリギリの制限時間になってきた。「もしかし
      て、制限時間アウトになるかもしれない…」こんなことが頭をよぎり、半分どーでもいい
      やと思い始めていた。そうすると、応援をしてくれているスタッフの声が「あともう少し…」
      と呼びかけてくれている。どこまでがあともう少しかわからないが、GPS時計の表示で
      は2000mの標高はとっくに超えている。もう一人のスタッフが言った。「この登りを上が
      ればゴールで〜す!」しかし、その登りはショートカットしているのか選手で停滞してい
      た。その場では誰もが思ったようで、間に合わないと…
         
      一瞬、頭の中をよぎったのが、「あそこなら抜けていける!」人が停滞しているので足
      元が通りやすくなっていたので持っていた軍手をして四つん這いになって停滞している
      選手の中をすり抜けていく。この時は面白い程、選手を抜けることが出来た。(笑)
      まるで犬のように走る抜けるとは誰もが思わなかったようだ。
      上がりきるとゴールラインを過ぎた。タイムは、2時間16分42秒。2時間さえ切れなか
      った。中々、上手いこと戦略どおり行かないもの。
      あ〜あ! 丸坊主決定やわ〜 5合目は人だかりで一杯だった。
       (大会開催日:2009・7・24)
                
                    ・参加者数(山頂コース男女): 3129名
                    ・制限時間内完走者: 2157名
                    ・完走率: 68.9%

  距離 区間 標高 標高差 気温差   ペース ラップ タイム
スタート
富士吉田市役所
0.0   770 0 0 給水所有      
冨士浅間神社 3.0   850 80 -0.5 給水所有 0:05:43 0:17:10 0:17:10
中の茶屋 7.2 4.2 1,110 340 -2.5 給水所有 0:05:43 0:24:01 0:41:11
大石茶屋 9.6   1,300 530 -4        
馬返し 10.8 3.6 1,450 680 -4.5 給水所有 0:07:53 0:28:24 1:09:35
一合目
鈴原社
11.5   1,520 750 -5        
二合目 
御室浅間神社
12.6   1,720 950 -6.5        
二合五勺
細尾野林道交差点
12.7 1.9 1,770 1,000 -7 給水所有 0:14:09 0:26:53 1:36:28
三合目
三軒茶屋
12.8   1,840 1,070 -7.5        
四合目
大黒小屋跡
13.5   1,970 1,200 -8.5        
四合五勺
御座石
13.9   2,040 1,270 -9        
五合目
佐藤小屋
15.0 2.3 2,230 1,460 -10 給水所有 0:17:29 0:40:12 2:16:40

              GPS計測でパソコンに取り込んだらこんな感じになりました。
                  さあ! 富士登山競争に挑戦してみませんか?


投稿第一八二号

       かぶとむしを取りにいこう!(東海自然道マラニック 阪急東向日町駅〜)

2009年8月4日
AAC会員
本地 敏行

      カブトムシを取りにいこう。この単純な発想が始まりで7月26日にカブトムシ取りマラニックに行くことを計画した。マラニック
      計画場所は、東海自然歩道(東向日町から箕面)上を走り、そのコース上にあるクヌギの木を見て回れば 幾らかカブ
      トムシをとることができるだろうと考えた。前日に99円ショップで菓子とチョコ、スポーツドリンクと梅干を購入し、当日は阪
      急電鉄の始発電車(4時49分)武庫之荘発に乗り込み、十三で乗り換え、東向日町駅まで行く予定だ。始発は普通
      列車のため到着は5時50分と約1時間もかかる。始発電車というのに、妙に多くの人が乗っていた。浴衣姿の女性もいく
      らかいる。前夜開催された天神祭りの帰りだろうか?電車にゆられながら、うとうとと半寝状態で乗っていると東向日駅に
      ついた。東向町駅前には人もおらず、駅前のバス停のベンチで着替えて走り始める。早朝は涼しく、走っていても心地よ
      い。今回はいつもマラニックで使用するリュックとは違うリュックを背負って走っていたので、リュックの背負い具合がいまいち
      しっくりできず、何度もリュックの中身の位置を変えたり、締め具合を替えたりする結果となった。途中、ランナーと散歩し
      ている年配の方とすれ違ったとき、お互いを知らないが、自然に朝の挨拶をお互いに行っていた。リユックの位置を微調
      整しては走るという動作を繰り返しながら、阪急東向日駅から4km先にある東海自然歩道のコース上近くのバス停(
      南春日町バス停)に到着した。とりあえず、ここで腰を下ろし、食べ物を少し口に運ぶ。今回、地図を片手にもう片手に
      給水用のペットボトル(900ml)を持って走っていたのだが、この地点に来るころには地図は汗でぬれてしまっていたので、
      ぬれた地図が破れないように慎重に開いていく。まだ字は読め、コースの確認もできるがところどころ文字が薄くなり始め
      ている箇所もある。この地図には17km分のコースが書かれているが、まだコース上を100mすら進んでおらず、そんな
      状態でこの地図が17km先まで役目を全うできるのだろうか心配になった。

      少しの休憩とコースの確認を行った後に走り始めた。注意しながら東海自然歩道の案内を確認していくが、すべての交
      差点に案内看板を立てているわけではないため、少し悩みながら先に進んでいく。昨年の8月にこのコースをマラニックし
      た経験があり、今も頭の隅に少しその記憶が残っていたので、記憶ある風景を頼りに、竹林の道を進み、どんどんと山
      のほうへと近づいていった。途中、山の近くにおしゃれな洋風の食事何処があり、その近くにクヌギの木の切り株があった
      ので、見てみたが虫は1匹もいない。昨年はこの切り株にカナブンとドウガネブイブイ、スズメバチがいたが今日は虫の気
      配すらない。クヌギの木は5m程度近づくと木から発する甘いにおいが鼻につく。メープルシロップを濃くしたようなにおいを
      発する樹なのでこのにおいに誘われ虫も集まるのだろう。クヌギの木を後にして走り始めたが、クヌギの甘い香りが鼻の中
      にいつまでも残っている。走っていると所々でクヌギのにおいがするものの、川向こうだったり、傾斜の下のほうだったりととて
      も近づくこともできない場所が多い。近づくことができないため、コース上から見える範囲で見てみるが虫の気配はまったく
      ない。季節的にまだ早いのだろうか?それとも今年の梅雨が長いため、気温が上がりきらないことが原因だろうか?いろ
      いろと考えたが答えがでない。坂道を上り、民家を過ぎるとすぐに登山道へと入っていく。登山道はとても薄暗く、六甲
      山登山道とは違い、一言でいうと少し寂しい登山道という感じがした。朝も早く、まだ誰もこの道を通っていないことを証
      明しているかのように、登山道にはところどころに蜘蛛の巣が張っており、走っているとそれが顔や足にかぶさるため、立ち
      止まっては蜘蛛の巣を取り払う。あまりに蜘蛛の巣が多いので、コース上の近くに生えている熊笹の枝を1つ取り、それを
      振り回しながらくもの巣を取り払い、ようやく金蔵寺の門に到着した。先日から降り続く雨の影響のため、登山道はぬか
      るみきっている。そのため方向を変えるときは足をとられたり、また一見大丈夫だろうと思って踏み込んだ場所のぬかるみ
      がひどく、靴の半分の高さまで土の中に入り込んだりと悪戦した。クヌギの木が多いように思えるが、アベマキやコナラばか
      りで目的のクヌギの木があまりない。走りながら木々を確認するとアベマキ(?)やコナラの樹と見間違えることも多く、そ
      のたびに立ち止まっては葉や幹の色を見て判別していく。登山道は前日からの雨のため、一部は川のようになっており、
      いちいちそれをかわしながら走っていたのでは足を痛めそうと感じたので、靴がぬれる心配を止め、豪快に走ることにした。

      前方の景色が開け、ようやく薄暗い森林から出たと思ったら、お墓だらけで今度は少し背筋が寒くなった。お墓群を過ぎ
      るとすぐにアスファルトの道へでることができた。このアスファルト道も川のように水が流れていた。水しぶきを上げながら豪
      快に進んでいくと 田畑が広がり民家が見え始め、ぽんぽん山への曲がり角(杉谷)に到着した。ぽんぽん山山頂まで
      約3km弱。少しの間農道を進むとその先は薄暗い登山道になっている。沢沿いの薄暗い杉林の下を進んでいくと道
      の左手に熊出没注意の看板がある丸太の上り階段に差し掛かる。沢があるため、熊も水を飲みにくるのだろうか?それ
      とも登山者が通るので、それを狙っているのだろうか?熊がいないことを確認し、少しの音にも敏感になりながら早足で
      進んだ。日も差し込まない杉林のところどころに雑木が混じっている。途中、コース上にステンレス製の手すりがつけられ
      た箇所に差し掛かった。ステンレス製の手すりは登山道では珍しく、大体は鉄製の手すりや鉄の鎖が多い。とりあえず、
      この薄暗い場所から抜けたいという思いからペースも上がる。ようやく開けた場所に着いたと思ったら すぐにまた森林の
      中へ入り込んでいく。標高が高いことが原因なのか霧も出てきている。霧がでると気温も下がり、走りやすくなることは救
      いだが、遠くまで見えないため、気味が悪く危険でもある。運悪く「熊出没注意」の看板も立っていた。この山にはよほど
      の確立で熊と出会うことができるのだろう。薄暗く雰囲気も悪いので 早く山頂まで行きたいという思いから、じょじょにペ
      ースも上がり始めた。山頂付近にいくと人もいくらかいるだろう。

      ポンポン山山頂に到着したものの人はおらず、私が1番乗りのようだ。ベンチに座り、5分程度休憩し、展望を眺め、ポン
      ポン山を下山することにした。下山途中にようやく今日はじめての登山者に出会うことができた。集団のようで、7名の登
      山者とすれ違うことができ、久しぶりに人に出会ったことで少し安心した。六甲山なら朝早くても もっと多くの人と出会う
      のだが、この場所は本当に人とすれ違うことがない。夫婦杉をすぎ、本山寺に出た。このあたりには鹿出没の看板があっ
      たが、熊とは違い、鹿ならむしろ出会ってもいいくらいに感じた。この場所からはセメントの舗装道がふもとまで続く。くだり
      は楽だが、ひざへの衝撃がつらい。少しひざが痛くなるのを感じたが、後ろ向きに走ったり、ひざの痛みを我慢する以外に
      は何もできない。セメント舗装道の際に目的のクヌギ木々がいくらか生えていたのだが、全く虫がいない。ここまで多くの
      木々を見たが、どの木も虫の気配はなく、この先のクヌギの木もおそらく虫はいないだろうと思った。一応軽く確認はして
      いくつもりだが、おそらく用意した虫カゴも出番がないだろう。本山寺の鳥居をくぐり、田園風景を進むとようやく17km地
      点の上の口バス停に到着することができた。手に持っていた地図は出発地点で心配した通り、汗でぼろぼろになり、開く
      こともできない。もしコースを知らなかったなら大変苦労したと思う。100m程度コースアウトすると100円自動販売機が
      あることを知っていたので、その場所まで行き、自動販売機の前に座ることにした。

      この地点に来て、昨日握ったおにぎりを食べようとかばんの中を探ったが入っていないことを初めて知った。昨夜、作った
      おにぎりを防腐のため冷蔵庫に入れておいたのを、カバンに入れ忘れてしまっていた。かなりがっくりとしたが、お菓子を多
      めに入れていたので、それを食べることにした。お菓子ではあまり満足できないが、それで我慢し、5分程度休憩し、摂
      津峡へ向かった。摂津峡付近は標高も低く、アスファルト道のため少し暑い。摂津峡へ向かう途中の道では住民が歩
      道沿いの草木を刈り取って歩道の整理をしている。摂津峡は川で泳いだり バーべキューをしたりと自然遊びができるこ
      とで有名だ。でも今日は川も増水し、水もにごっていたので、本来あるべき川原すら見えなくなっていた。汗を流すため、
      川で泳ぎたかったが この増水した川では泳ぐことも無理だろうと思い、せめて上着の汗だけでも流そうと川で水洗いを
      行った。芥川から外れ、白滝の方向へ向かう。コースを走っているとヒグラシが私の近くを飛びまわる。こちらにあたるので
      は?そう心配するくらい近くを飛ぶためびっくりする。登山道から出て、舗装道を少し進むとすぐに萩谷総合公園内へ入
      る。公園内では野球をしているようで掛け声のようなものが聞こえてきた。サッカー場には誰一人いない。誰一人いない
      サッカー場の入り口にあるモニュメントの端に座りご飯(菓子)を食べて休憩をした。日差しが少し痛くかんじる。せみの
      声や鳥の声が聞きながら、のんびりとしていると、いつまでも休憩したいと体が望み始めてきたので、5分程度の短い休
      憩をし、体が冷えないうちに先へ進むことにした。公園から民家へ続く道はあまり人通りがないようで蜘蛛の巣が張り巡
      らされている。その光景を見て少しぞっとしたが、脇に生えている笹の枝を1本とり、綿菓子を集めるようにくるくるとくもの
      巣を集めながら除去していく。集落にはこの蜘蛛の巣の張っている道を500m程度進めば出るができる。集落を越え
      車道を走ると すぐ山道に入ることになる。高ヶ尾山という山で途中に竜仙の滝があり、その峠を越えるのだが、私にとっ
      てこの場所が一番の難所と考えていた。理由は、まずは登山道がある程度整備されているのだが、道が分かりにくく、六
      甲山のように展望が望めないためか(?)、人の通りが少ないことが原因で蜘蛛の巣がとても多い。笹の枝を使いうまく
      巣をとっていくが、それ以上に蜘蛛の巣がコース上に張り巡らされていたので、足に顔に体に芸術とも思えるようなりっぱ
      な蜘蛛の巣が蜘蛛付でまとわりつく。立ち止まり、笹で蜘蛛の巣を取り体についた蜘蛛の巣を取り、少し進んでは、ま
      た立ち止まる。ゆっくりと進んで ようやく薄暗い森林にはいることができた。ここまでくると蜘蛛の巣も少なくなる。この登
      山道の一部は道に水が流れていてまるで川のようだった。ところどころ、落ち葉がきれいになくなっていて、まるで道と疑い
      そうなところもあった。おそらく水が流れたことが原因で、地面の落ち葉をきれいに流してしまったのだろう。水が流れてで
      きた道なのか、本来進むべき登山道なのか?分かりにくくなっている場所は回りの景観や枝の折れ具合、ずっと先に見
      える丸太階段等で判断しながら先を進んだ。下りに差し掛かり、長い丸太階段が少し続いた先に落差13mの竜仙の
      滝が見えてきた。竜仙の滝は昨年訪れたときは全く水が流れておらず、滝つぼ近くには ところどころに水たまりがあり、め
      だかのようなものが泳いでいたことを思い出した。今日は梅雨の影響で水量も多く、周辺は水しぶきが立っているため気
      温も一段すずしく感じた。

      滝の近くで足だけつかろうと思い、川に入ろうとした際、足元を見ると誰かが捨てたと思われる指輪があり、それを見た瞬
      間背中に悪寒が走り、水に入るのを止め、あわててその場を立ち去り、車道を目指し一気にペースを上げた。車道に出
      ても気持ち悪さが少し残っていた。車道を少し走っていると急に大粒の雨が降り始めたが気にせず、そのまま車作大橋
      を渡り、車作の集落を目指し登り坂を進んだ。突然の大粒の雨に少し驚いたが、15分程度で雨も上がり、さきほどの
      雨が嘘と思えるように今度は雲の隙間から太陽が顔をのぞかせる。日差しがあまり日焼けしていない肌には痛く感じる。
      ダラダラと上りを進むと少し景色のいい場所にでる。車作に到着したようで、周りは家が立ち並んでおりその周りに畑が
      ある。摂津峡からこの場所に到着するまで全く人と出会わなかったため、久しぶりの人の気配のする場所に到着したの
      で少し安堵した。地面はぬれていたが、ぽかぽかと日差しの当たる場所を選び休憩の後、車作の集落の中を進み、竜
      王山へと進路をとった。小さな神社の横を通り、セメントで舗装された坂道を進んでいると突然 顔に蜘蛛の巣がかか
      りかけたので、それを避けるために顔を横に振った。その一瞬目元に黄色い物体が見えたかと思うと左目に電撃が走っ
      た。何が起こったのか分からず、夢中で黄色い物体を取り払うが、電撃は収まらず、何もついていないことが分かっていて
      も何度も何かを振り払おうとした。毒虫にやられたことはすぐに理解できたのだが、対処方法が思い浮かばず、とりあえず
      唾液をつけたり、水で洗い流したり、こすったりと夢中になったが、電撃は収まることがない。まぶたの上下をやられたので
      、おそらく糸を伸ばしてぶら下がっていたのは毛虫(チャドクガの幼虫)ということもだいたい分かったが、毒虫をどこかに振り
      払ったため確証を得ることができない。仕方なく先を進むが、走ると衝撃が患部に響く。路駐している軽自動車のサイド
      ミラーで顔の刺された部位を見ると少し腫れあがっていた。腫れている目元を見ると だんだん走る気もなくなり、とぼとぼ
      と歩きはじめ、結局、忍頂寺バス停でマラニックをやめることにした。近くの茨城市忍頂寺スポーツ公園内の水道で体と
      患部を洗ったのち、服を着替え、忍頂寺バス停に向かった。バスはちょうど出発した後だったので1時間バスを待つことに
      なった。地面に座りせみの声と鳥の声を聞きながらぬれてふやけた足とぬれている靴を乾かしながら、通りを横切る車を
      眺める。のんびりと待っていると阪急バスがきたので、そのバスに乗り込み、阪急茨城市駅まで乗せてもらい、帰途につい
      た。残念なことは目的のカブトムシが取れなかったこと、北摂霊園近くに湧いている湧き水を飲むことができなかったこと
      でした。虫が活動するには まだまだ気温が低いのでしょうね。虫取りはできないと思うが、次回は、最終目的地となる
      箕面の滝まで走りきりたいと思った。 走行距離34km

      5:58 阪急 東向日町駅出発    6:27 バス停(南春日町)出発     8:44 摂津峡出発
      9:03 萩谷総合運動公園出発    9:49 車作大橋 出発         10:27 忍頂寺バス停 到着




投稿第一八一号

                北丹沢12時間山岳耐久マラソン!

2009年7月17日
AAC会員
原田 敬三

      ちょっと刺激的な大会に参加してきましたので紹介したいと思います。脚力に自信がある方
      は是非参加されては如何でしょうか、レース後の筋肉痛は保証しますよ。

      トライアスロンができない私の場合、4月から10月の期間はウルトラマラソンや山岳マラソン
      などのロングのシーズンとなります。例年7月は舞洲24時間リレーマラソンに参加することも
      あってロングの大会にはエントリーしてきませんでしたが、今年は1本/月はロングの大会を
      走ってみようかという目標を立てて7月の大会を物色していたところ、本大会が面白そうだっ
      たので参加することにしました。コースは下図に示す通り、全長約44kmで標高千数百m
      の峠を3回上って下るだけの見た目そんな難コースには見えません。
      で、実際に走ってみるとこれがとんでもない見込み違いで、レース翌日から3日間も激しい筋
      肉痛に見舞われるほど厳しいコースでした。

      鐘撞山を経由して県境尾根分岐(1260m)までの上りから神ノ川ヒュッテまでの標高差700
      mを一気に下った時点で既に脚はガクガク状態。まだここは第一チェックポイント(約18km
      地点)ですが、この先の上りを考えると戦意喪失して動けなくなってしまい、川べりでしばらく
      休憩するはめに。えらいとこに来てしもたと後悔したものの、完走だけはしないと格好つかな
      いので何とか先に進むが全くペースは上がりません。最後の峠である姫次に到着した時は心
      底ほっとしたものです(写真はこの時撮ったもの)。この後はゴールまでの約9kmを下るだけな
      ので楽勝のはずだったんですが、何度も脚が攣って走れる状態ではなく必死の思いでゴール
      となりました。

      結局、7時間42分58秒 599位/1300と平凡な記録で完走した次第です。
      ひたすら上ってひたすら下るという単調なコースがこんなにきついとは知りませんでした。ホーム
      グラウンドの長尾山系や六甲山系のように比較的穏やかなアップダウンを繰り返すコースに
      なれた脚には刺激が強すぎたようです。丹沢山系恐るべし。脚力に自信のある方はトライし
      てみて下さい。走り応えは十二分です。
       (大会開催日:2009・7・5)




投稿第一八〇号


            目標は2009年度中にフルマラソンに参加すること!

2009年7月14日
AAC会員
畑 卓宏氏

       はじめまして!! AACの皆さんはじめまして、畑卓宏と申します。
       このたび、佐藤鉄司さんに誘っていただき、皆さんの仲間に入れていただくことに
       なりました。よろしくお願いします。とはいえ小生は名古屋在住ですので練習会等
       頻繁には参加できませんが、イベントなんかには出没したいと思います。
       (名古屋に住んでますが実家は川西市です)

       自己紹介をします。28歳です。独身です。自転車(ロード)が好きです。ランニング
       を最近始めました。そんなところです。ではなんでランニングを始めたのでしょう。
       それは佐藤さんが通勤自転車を買ったからです。
       というのは、ランニングをしていて自転車を買った佐藤さんと、自転車が好きな小生
       が一緒に出られる大会はデュアスロンだ!と言う事でランニングを始めた次第です。

       晴れた週末はついうっかり自転車ばかり乗ってしまいますが、ぼちぼちランも練習
       していこうと思います。目標は2009年度中にフルマラソンに参加することです!
       (あくまで参加ですが・・・) 今後ともよろしくお願いいたします!
           <事務局より:初めてAAC行事「片鉄ロマン街道合宿」に参加して頂きました。>