投稿第八十九号

     武庫川スポーツクラブ創立25周年記念祝賀会に参加して

              

2007年6月27日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:中川 隆二

    平成19616日(土)、武庫川スポーツクラブ創立25周年記念祝賀会が、尼崎
    市総合文化センターで行われました。武庫川スポーツクラブの皆様おめでとうご
    ざいます。芦屋浜アスリートクラブ代表として、広井さんと中川の
2名が参加さ
    せてて頂き、広井さんが祝辞を述べました。

    式典は高瀬実会長挨拶、次いで
25年を振り返ってを官浪伸次事務局長が報告され
    た。武庫川スポーツクラブは、
1982年第1回武庫川ロード記録会開催から始まり、
      武庫川長距離走、武庫川ユリカモメウルトラマラソン、月例マラソン等、地域に
       密着した行事を行って来た。その結果2000年には武庫川スポーツクラブが団体と
    して第
13回ランナーズ賞を授賞することに。最近ではクラブ員の中から、大阪女
    子マラソン大会に
5名参加するなど、実力的にも身に付けてきているの報告があ
    りました。

      報告の中に有るように走るだけでなく、阪神大震災のとき、クラブとして出来る
    ことは何かを考え、被災地の芦屋市、西宮市に豚汁の炊き出し隊を出動するなど、
    地域のことも常に考えている素晴しいクラブでした。

    芦屋浜アスリートクラブ主催の行事「芦屋浜潮風ウルトラマラソン大会」の準備
    のときに、官浪事務局長に来ていただき、いろいろアドバイスをいただきました。
    そのおかげで、無事開催でき今日にいたっております。今後とも武庫川スポーツ
    クラブとの関係を密にし活動し、地域密着型芦屋浜アスリートクラブとして頑張
    って行きたいものです。そして、芦屋浜アスリートクラブも
10年目には武庫川ス
    ポーツクラブ等を招いて、内容のある創立
10周年記念を開催したいものです。
    クラブの皆さん頑張りましょう!

                    

投稿第八十八号

                崑崙山脈を駆け抜ける!

              

2007年6月10日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:青木 央

    5月26日から6月2日までの8日間、西寧〜ラサの鉄道とチベットの聖なる都、
    ラサをメインにした18名のツアーに参加することが出来たので報告します。

    崑崙山脈、タングラ山脈、ニンチェンタンラ山脈を乗り越える青海省と西蔵(チベ
    ット
)自治区を結ぶ1,956km25時間の青蔵鉄道の旅です。

       中国最大の塩湖、青海湖の観光後、西寧駅を夜7:56発のラサ行きの寝台列車
    に乗り込みました。6人のコンパートメントで我らグループ6人が3人ずつ2分
    割され車両も離れたため、これを一つに纏めるのに添乗員は交渉にあたり大変な
    苦労でした。おまけに切符を持たない老夫婦が席を陣取り動こうとしないのです
    から。やっと落ち着き一杯と思いきや9:30過ぎに消灯。グッドナイトです。

      朝6:05ゴルムド駅着、牽引車両を高山用に取替えのため停車。ここは高度2
    800m。

    ここから禁煙です。車両に酸素を流すためです。また客室でコンセントから酸素
    が吸えるようチュウブが配られます。6:42発車。いよいよ崑崙山脈越えです。
    8:00過ぎには4159mの高度です。このあたりから無人地区「ココシリ」。
    天然記念物チベットカモシカの棲む秘境です。長江の源流トト河を過ぎ昼食。
    食堂車に移動するため2等車を通り抜けるのですが乗客は殆どチベット人。禁煙
    はどこ吹く風。タバコ好きの人達はへっちゃらでスパスパでした。でも先ほど1
    等車では乗務員はこそっと吸ってる喫煙者にえらい剣幕で注意してたのにー。
    13:15頃世界一高い駅タングラ駅
(5068m)通過。

      4594mの神秘の湖ツォナ湖を見て17:10ナクチュ駅(4513m)で始め
    てホームに立てた。夕食後そろそろ下車準備。20:00過ぎに車掌さんがチケ
    ットの交換に来たのですが、我らは席の交換をしたため車掌さんと話が合わずト
    ラぶっていました。添乗員が納めてくれました。20:50チベット、ラサ駅着
    
(3640m)。ホテルでやっと安眠でした。
               
      この後ラサ市内や古都ツェタンの観光となるのですがメインはやはり歴代ダライ
    ・ラマ法王の居城ポタラ宮でした。600を超える階段を登るのですが富士山8
    合目の高さです。数段登るともう息切れ。でも頑張った甲斐合って荘厳で格式の
    高い建造物に触れることが出来、さすが世界遺産やと感嘆しました。

      古都ツェタンはラサから悪路をバスでとばして1時間あまりのところです。チベ
    ットの桃源郷といえるほどの現代離れした田園風景。その丘に建つ石造の宮殿ユ
    ムブ・ラカンがうまく溶け合っていました。

                       
      チベットの人たちは中国政策の中にあっても熱心にチベット仏教を信じていて、
    ポタラ宮を目指して巡礼し、五体投地を繰り返すのです。他の多くの寺院でもビ
    ニール袋に入れたヤクのバターをスプーンでバター灯に捧げて回る人が絶えませ
    ん。こぼれたバターで床は滑りやすく転がると大変です。


      土産物を売るバルコル(八角街)では現地ガイドから値段交渉は売値の四分の一か
    らとアドバスを受けました。家内は羊集めのラッパ400元をアドバイス通り1
    00元で一歩も譲らず遂にゲットしました。これには添乗員も拍手喝采でした。
    以上で報告を終わります。

投稿第八十七号

             ALL JAPAN TRIATHLON IN MIYAKOJIMA!!
                      

2007年6月1日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:的場 健一

     2007年度初戦トライアスロン沖縄の南方約300Km琉球諸島宮古島大会に、初挑戦
    ウエイティグにより
12月時点でキャンセル待ちとなり、2月上旬には念願の出場決
    定通知書
STRONGMANナンバーカード1011が送付されてきました。

    ○4/19 関空発那覇経由19:00着ホテルアトールエメラルド宮古島五泊六日。

    ○4/20 総合体育館で登録の後、BIKE45Km試走とSWIM与那覇前浜ビーチ東急
    リゾートの
BIKEトランジション下見、下地神社と仲宗根豊見親の琉球墳墓を参拝、
    完走祈願、昼食は宮古そば老舗「古謝本店」ウヤキそばにて大満足、選手説明会
    と前夜祭ワイドーパ―ティーで西内真紀美人プロと握手、健闘を約束。


      4/21 早朝RUN10Kmジョキングしホテル近くパイナガビーチを試泳、美しい
    サンゴと熱帯魚を多く見ながら優雅に
SWIMING、昼食はおふくろ亭にてソーキソ
    ーメン定食美味しくて満足、午後
BIKE預託自走にて10Km南の東急リゾートまで浪
    速の美人アスリート案内同行、
AAC宗政、中川さんとも再開する。
              

    ○4/22大会当日で早朝3:30起床4:15にホテルのレストランにて朝食を終え準
       備
SWIM・BIKE・RUNの預託バック点検し5:00バスにてスタート会場に移動、ウエッ
      トスーツに着替えて、与那覇前浜ビーチに約
1400名の大勢が砂浜に集合し7:30
     スタートだ
!
白砂よりエメラルドブルーの海域に3000m遠泳の挑戦です。海底の
     美しいサンゴと熱帯魚とダイバーと監視艇を目標に、波静かな
SWIM快調に泳げ
     
1:05:53順調な時間でBIKEスタート。東急リゾートより時計回りで西海岸沿い池
     間大橋
37.9Km1:15:45通過して、東海岸沿い平安名崎灯台67.7Km経て南海岸沿い、
     中間地点の七又風力発電
77.5Km2:54:50より、来間大橋を経て二周回目の池間大橋
       136.4Km
、最後の総合体育館BIKEゴールへ155Km.5:49:43。最後RUNスタートNike
       +iPodo
にて順調に中間地点2:11:27快調に快く筋肉痛もなく42.195Km4:22:55(11:
      18:31)
目標13時間を1時間42分も短縮達成。
               
                            ふれあいパーティ(AAC)
       総合順位449/1260  AgeGroup(60-65)8 / 50      SWIM 3.0Km    BIKE155.0Km  RUN42.195Km
      
   なお宗政さんAgeGroup(60-65)の優勝おめでとうございます。

投稿第八十六号

           カエルちゃんごぼう抜き状態の「ボストンマラソン大会」!
                       

2007年5月7日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:城 佳子

    大会前日。ボストンマラソンの大会本部から大嵐(メガストーム)に
    ついて、メールにて警告が来ていました。

    
<気温>
    レース時の気温は3度ぐらいだが、風が強いので、体感温度は氷点下
    5度ぐらいです。降水確率は100%です。

    <低体温症>
    体が濡れて寒くなることにより、低体温症になることが予測されます。


    <レース当日のために>
    レースのスタート時以前にも濡れてしまうことが予想されるので、と
    にかく乾いた服を沢山用意すること。薄い服で重ね着をしましょう。

    コットンは避けましょう。風と雨と雪を避けるために、ウィンドブレ
    ーカーを忘れずに。手袋も忘れないように。できれば、ミトンの方が
    暖かい。マフラーや、デストロイヤーマスクもおすすめです。体温を
    奪うので前日のお酒も控えましょう。なるべく友達と走り、低体温症
    にならないかお互いに体調をチェックし合いましょう。走っている途
    中でやめたり、気象条件が激しければシェルターへ避難することも
    考えましょう。赤十字の医療チームや途中棄権者のためのバスは
    沢山あります。周りのランナーの様子に常に気を配り、低体温症で様
    子が変な人がいたら、助け合いましょう。


    さて、当日になりますが、すごい楽しかったです。これまで、ボスト
    ンは3回走り、どれが一番良かったとは言えないのですけど、今回の
    も素晴らしかったです。


    まず、レース当日の気象条件が悪かったのと、3月に入ってからの調
    整が完全に狂ったので、元々、タイムは気にしていませんでした。

    だから、ゆっくりとスタートし、簡単に言えばそのまま5キロを25
    分強のペースでずっと走りました。ネットで5キロ毎の結果が見れま
    すけど、メトロノームの打つリズムのように正確でした。時々、2?
    3分狂っているのは、応援の友達と5カ所で落ち合ったので、そこで
    使った時間と、なんかトイレにでも行こうか、と並んだので、そこは
    28分ぐらいに落ちています。


    キロ5分というのは、自分にはとっても楽でいいペースです。ぼーっ
    と車を長距離運転している時の心地よさ、そんな感じで気持ちよく走
    れます。今日は同僚が授業も代わってくれたし、色々な人に支えられ
    てここにいるんだなと思うと、心の中がいっぱいになります。


    ハートブレークヒルでも、勿論、爆走でっていうか、みんなすごーー
    ーくノロくて、蛇行追い抜きが大変でした。「カエルちゃんごぼう抜
    き」状態。それもあっと言う間に過ぎました。ハートブレークヒル、
    短くなったんちゃう??って思った位。これ、毎週していたフィラデ
    ルフィアの地元ランニングクラブの坂道トレーニングの方が**よっ
    ぽど**きついですよ。だって仕事を終わらせてぼろぼろの状態で、

    がんがんと7本も8本もやらされて、本当にきつい。冬場で暗くて足
    元は凍っていたし。あの練習の方が1億万倍、きつい。普段、ロング
    ランをするために朝は4:30に起きたり、短いランニングでも半分
    寝たままの状態でコースに出て練習していたんですけど、その方がよ
    っぽどきつくて、しんどくて、大変です。だから、今回のマラソンそ
    のものはゆっくりだったし、気持ちもいいし、なぜかきつくない?。

    時折、突風に襲われて飛ばされそうになったり、道は洪水で通りにく
    かったりしたけど、結局無事完走できました。


    タイムは3:45です。が、この気象状態&7回の休憩&一回のトイ
    レ&だれだれモードを考えれば、すごいことですわ。実は、30キロ
    の壁もなく、それどころか、30キロから追い込みがかけられました。

    1月のヒューストンマラソンでは、3時間31分でしたので、14分
    も余裕があります。


    東海岸を122年ぶりに襲ったと言う嵐は当日の早朝にピークを迎え、
    スタート直前までは ずっと降っていたのですけど、走り始めてからは
    大丈夫でした。気温もあんなに恐ろしい警告があった割には、それほ
    ど寒くなかったです。

    (大会開催日:2007年4月16日)

投稿第八十五号

             還暦の記念大会「全日本トライアスロン宮古島大会」!
                            

2007年5月2日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:宗政 義仁

        今大会の「熱い想い!夢 チャレンジ 宮古島」のテーマは、正しく今大会にかける
      私の気持ちにピッタリの言葉で有った。60年の歳を重ね新たな旅立ちの記念として
      絶好の舞台となったこの大会、かける想いには熱い熱いものが有った。
      トライアスロンと言う素晴らしいスポーツに親しみ、仲間と共に楽しみながら活動す
      る中で、一つの大きな夢に向かってチャレンジする。そういう意味で今回の「
60歳
      代年代別一位
」達成は大きな喜びであった。
                

      大会前夜には稲妻が走り雷鳴がとどろき天候が心配されたが、幸いなことに大会当日
      は一日中トライアスロン日和の曇空?に恵まれ、暑さは程々で助かった
。スイム・バ
      イクは例年通りの潮・風状況だったが、ランは蒸し暑さとの戦いだった。
                

      我がAACからの参加者は12名をかぞえ全員完走を果たしたが、その中でも一番嬉
      しかったことは、60歳以上のカテゴリーで10位以内に3人が名を連ねた事だった。
      お互いが良い刺激を受け与え合いながらのトレーニングの中でのこの結果は、「
クラ
      ブ活動の真価」を示したと考える。
      
          
氏   名 完走時間 総合順位 年代別順位
宗政 義仁 9:57:30 134
中川 隆二 11:14:39 430
的場 健一 11:18:31 449

      本大会は皆さんもご存知のように「参加者の上限は65歳」と定められている。選手
      側から見れば殆どの人がそれを歓迎していない。多くのデータが無いのになぜ65歳
      なのか、日本でもここだけの規則であり、世界的に見ても他で聞いたことが無い規則
      である。

      マラソン・ボクシング・レスリングだって毎年何処かで何人か亡くなってるではない
      か!マスコミの報道の仕方にも問題があると考える。面白おかしくまでとは言わない
      が、何故か大げさに取り上げているように感じてならない。大会実行委員会に対しこ
      の場を借りて、規制撤廃して頂きますよう改めてお願いする次第です。

      この度のこの機会に「
宮古島オーバー60の会」と「日本アイアンマンクラブ」は日
      本トライアスロン界発展とシニアトライアスリートの今後の活発な活動を願い、募集
      活動や会合でお互いの今後の健闘を称え合い確認し合った。
                
          宮古島オーバー60の会http://www.ne.jp/asahi/shake/hand/page004.html
          日本アイアンマンクラブ:http://jic.konjiki.jp/
          (大会開催日:2007年4月22日)

投稿第八十四号

              07アイアンマンオーストラリア大会参戦記!
              

2007年4月16日
静岡TRC
石井 英機

       2003年以来4回目になるアイアンマンオーストラリア大会へ参加してきました。年代別で幸い
       1位となり5年ぶり3回目のハワイ行きが決りました。バイクとランできついアップダウンがあるハ
       ードコースでしたが不安だった坐骨神経痛もおさまってくれてなんとか完走できました。
       かみさん、整形外科やカイロプラクテイックの先生や応援してくれたクラブの皆さんに深く感謝致
       します。大会後マレーシア大会で知り合ったG氏夫妻のお宅にステイしてシドニーのホリデイを
       楽しむなど大変有意義な旅行でした。今後県内のイベントなどをしっかりサポートし身体を充分
       ケアーしながらトレーニングしてハワイにのぞむつもりです。

       
3月28日(水) 自宅10:00AM発〜成田空港 9:30PM発〜シドニー
       
静岡の自宅付近では桃が五分咲き、桜のつぼみはまだかたかった。上野公園の桜は五分咲き、
       国立博物館でダビンチの「受胎告知」などを鑑賞した。「最後の晩餐」などでも駆使されている空
       気遠近法に感心した。次に日本橋に行き川合玉堂展を鑑賞、画と書が一体となった作品によくわ
       からないながらも趣を感じた。成田空港ではツアー仲間に会えずツアーコンも姿を見えずさみし
       かった。バイクケースは20Kgだったのでスムースに通った。JALは25KgまでOKだったと後で
       聞いた。大阪名物のたこやきとビールで軽い夕食をとる。


       3月29日(木) 晴れ シドニー7:25AM着 (時差1時間 所要時間 9時間 )10:30AM
       〜ポートマックオリー(シドニー北方約400Km)
       5:10P
M着現地ガイドで日本語ぺラぺラのP氏や大阪のボスK氏とうれしい再会。ツアー仲間は
       計8名ですぐ仲良しになれた。国内線ではバイクが乗らないため陸路となる。P氏のキャリアーカ
       ーで出発。5時間の間低い潅木の林が続き日本流に言えば殆んどが未開発地。轢かれている動
       物はカンガルーだという。たまに牛の牧場、らくだの牧場もあった。やがて海岸が見えてきてサー
       フインに適した波だと言ってP氏が喜んでいた。ポートマックオリーは従来のフオスターよりにぎ
       やかだ。モーテルのオーナー夫妻は訪日経験があり親切でした。部屋は電子レンジ付でありが
       たい。持参したコッヘルで自炊OK(電圧は220Vのため変換コネクターが必要)。夕食は皆で近
       くのパブにでかけステーキとビール。結構の味でした。スーパーで早速ビールとパンなどを買っ
       た。オーストラリア$は以前66円位でしたが今は約100円で物価は高いです。


       3月30日(金) 晴れ ポートマックオリー
       5
AM起床。よく眠れた。窓からヨットがもやっているヘイステイングス川が見える。旗や木の葉が
       激しく揺れ
ていた。朝食をとり6:30AMウエットスーツを着てウエストパークへ。ゆっくり歩いて
       15分、川には大型のペリカンが
3羽ゆうゆうと泳いでいます。ここがスイム、バイクとラン全ての
       スタートとフイ二ッシュの地点となってお
り大変便利だ。スイム会場は河口で、透明度はよくない
       が波や流れは全くなし、水温は
20℃位か、ウエットスーツのおかげで冷たさは我慢でき快適に泳
       げた。9
AM皆でレジストレーションに出かけた。陽気なおばちゃんたちが愛想よく迎えてくれ無事
       に済ませた。
正午皆でバイク10Km先の激坂をトライしに行く。距離は短いが20%近くあろう。
       突入時勢いをつけることが肝要。この経験がレースで大変役にたった。宿に戻るとG氏が訪ねて
       くれたと聞き彼の宿を訪ね歓談した。カーボパーテイに参加、何故かテント内は暗く味も今一で
       した。イベントも印象は薄かったです。


       3月31日(土) 晴れ ポートマックオリー
       朝食後再びスイム会場へ。フアンラン(5Km)に参加するため大勢の子供や選手が集まってい
       た。9:30
AMから競技説明会へ。コース、ルール、医療、警察やボラの説明がそれぞれあった。
       水温は21.
5℃が予想されウエットスーツはオプションという。バナナは1600Kg用意したとの
       説明に爆笑。バイクのチェックインに際して時々チェーンが落ちてしまうためシマノのテントに行
       きチューンアップしてもらった。おかげでレースではノートラブルだった。ギアーは皆でバックか
       ら一度ぶちまけて確認しあった。前回バイクシューズを入れ忘れて180Kmを裸足で走りきりし
       かもハワイゲットして特別賞をもらった日本選手がいた。
 ビールは350ml1缶で我慢して夕食、 
       8:30
PMそうそうに眠りについた。


       4月1日(日) レースデイ 晴れ ポートマックオリー
       3
AM起床。よく眠れた。朝食は赤飯と味噌汁、バイクで食べる梅干いり赤飯のおにぎりもかみさ
       んがつく
ってくれありがたい。5AM皆で会場へ。ナンバーリングではエイジを示すアルフアベット
       のみ。バイクのエアー入れの間破裂音を聞く。おそらくクリンチャ−だろう。ベビーオイルをぬりウ
       エットスーツを着ていよいよ入水。

       
スイム:1時間25分22秒  総合1366位 年代別2位
       1600余人を申告順に5組に分けキャップの色に一致するブイの後で立ち泳ぎする。デイープウ
       ォータースタートというそうだ。自分はもちろん最終組。従って100m位余計に泳ぐことになる。
        女性ボーカルのオーストラリア国歌が終わると号砲一発長い一日が始まった。コースは時計回
       りの2周回。波やうねりは殆んどなく水温もまずまず。バトルはジャパンやチェジュと違いで全く
       なし。後で分かったが何しろ自分の後には92人しかいなかった。バイクともどもオージーのスイ
       ムのレベルは大変高い。以前は右に右に曲がってしまったが交互オープンをしながらほぼコース
       ブイに沿って泳げたのは収穫だった。ヘリコプターが低空で飛んでいたが心臓麻痺をおこした選
       手が出たと後で聞いた。それほどの疲れもなく上陸、時計を見ると1時間25分でまずまずだ。

       トランジションではよろけたり指がしびれもなくスムースに着替えることができた。

       バイク:7時間32分56秒 総合1368位 年代別2位
       アップダウンのきつい3周回のコース。路面は良い。周囲は低い潅木、森に入ると蝉が鳴いてい
       た。行きは左手の海側からの向い風で22Km/h、帰りは30Km/h位。持参したおにぎり、ゆ
       べし、羊羹やあめなどをしっかり食べた。10Km毎にエイドステーションがあり水、ドリンク、バナ
       ナやビスケットをチャージしてくれた。
マーシャルが頻繁にパトロールしていたがプロはドラフテ
       イングすれすれに走り去る。格好いい。ハーフ地
点でトイレ休憩、立ちションは警告の対象となっ
       ている。それでも1回だけ見た。ハイライトは例のスタート10Km付近の急坂、大勢の観客やカメ
       ラマンが待ち構えている。計3回ありこける選手もあったようだが自分はなんとかクリアできた。
       幸い腰や下腿部や股下などに痛みが出ずパンクやチェーンはずれなどもなくラッキーだった。
       「ハーイ」や「グッデイ」など選手と交わして楽しかった。1周回目:2時間27分、2周回目:2時間
       31分、3周回目:2時間33分と遅かったが安定していた(?)。

                    
       ラン:4時間34分01秒 総合752位 年代別1位
       計:13時間32分22秒 総合1194位/完走1458人/出場1530人 年代別1位/完走4人
       /出場6人
途中雨が降ったがコンデイションはOKだった。アップダウンはきつくチェジュ以上だ
       ろう。外人選手が早く歩くのには参った。オージーの熱烈な応援がうれしい。奥田陽子プロからも
       声援をいただきありがたかった。日没後はライトステイックを頼りに後を追い、前から来る選手を
       避ける。2Km毎のエイドステーションではバナナ、クッキーやオレンジをいただく。大声援を受け
       タッチの求めに応えながら元気にフイ二ツシュできた。お姉さんがしっかり支えてくれ完走メダル
       をかけてくれた。かみさんとG氏にもすぐ会えた。ストレッチをして出口にゆくとなんとN氏夫妻(0
       3年訪日)が来てくれていた。スコーンから5時間かかったという。かみさんらと一緒にモーテルに
       戻りシャワーを浴びて町に出たが10PMでクローズ。ビールを飲んだだけで翌日の昼食を約束
       して別れた。ツアー仲間はK氏(背中痛)を除き全員フイ二ツシュできた。ビールとワインで乾杯。

      11:30PM花火が上がり長い一日が終わった。
                    
       4月2日(月) 晴れ ポートマックオリー
       6:00AM起床、疲れすぎかよく眠れなかった。内臓の疲れはそれほどなかったかトースト、卵や
       味噌汁の朝食がうまかった。バイクのパッキングをしてインフォメーションセンターに行く。年代別
       トップと分かりホッとした。ハワイレジストレーションのテントに行くとお祝いの言葉とサーテイフイ
       ケートを発行してくれた。エントリーフイーは米$475だ。モーテルに戻り皆にお見せし喜んでい
       ただいた。N氏夫妻と中華レストランで昼食。ワインの持ち込みなどOKだ。シーフードコンビネー
       ションはうまかった。彼女はスピーチコンテストで2位となり次をめざして元気はつらつだった。
       再会を約束してお別れした。6PMからアワードパーテイー。ビールのサービスはあったがビーフ
       など食事は今一でした。K氏のリードで表彰時に騎馬戦スタイルで舞台まで上げてもらい皆さん
       に喜んでもらいました。賞品は金メダル(メッキ)、クリスタルグラスの盾、タイメックスの時計と白、
       赤のワインでした。モーテルに戻って皆さんに飲んでもらいました。優勝した男女プロ選手は大会
       関係者らに感謝し、ライバルを称えていた(ようです)。笑いをとりながらのスピーチにいつも感心
       します。さぞ練習したのでしょう。


       4月3日(月) 晴れ ポートマックオリー〜シドニー
       8:30AMお世話になったモーテル発。インコが椰子の木にとまっていた。夜にはコアラを見たと
       も聞いた。パシフイックハイウエイを再びえんえんと5時間走る。途中旧道に入ったがP氏らが使
       うバイクコースだという。長いきつい上りがあり峠のレストランで一休み。ラム肉のパイとエスプレ
       ッソはうまかった。皆さんをシドニーのホテルでドロップ、我々はクローンタフのG氏宅に送っても
       らった。彼の邸宅はジャクソン湾の一部(?)を囲む丘の中腹にありベランダから湾、停泊してい
       るヨットなどが見えすばらしい雰囲気だ。道から玄関まではうっそうと樹木が茂りインコやオウム
       の鳴き声が聞こえた。手入れはさぞ大変だろう。E夫人が仕事から戻るまで彼の車で付近を案内
       してもらった。丘をアップダウンして様々な角度からすばらしい湾を見ることができた。彼女の作
       ってくれたラム肉、ジャガイモ、かぼちゃの料理とワインやビールを味わいながら
05年静岡以来
       の大変楽しい時を過ごした。


       4月4日(火) 雷雨後晴れ シドニー
       6:30AM起床。E夫人は出勤、G氏がトーストなど用意してくれてベランダで湾を見ながら朝食。
       あいにくの雨だったがやがて虹が見えた。ドライブに出かけまずサーフインの記念碑、次にダー
       リングハーバーの水族館へ。小さな鮫を触らせてくれている。指で掴んだらノー、単にさするのだ
       と指導された。センテニアルパークは周囲3.8Kmのコースがありジョガーやサイクリストがトレ
       ーニングしていた。夕食はマンリのレストランで神戸牛をご馳走になった。美味でした。ここでも
       持参したワインはOKでした。


      4月5日(水) 晴れ シドニー9:30AM発〜帰宅10:00PM
      5:00AM起床。朝食をご馳走になりバイクともどもG氏に送ってもらい6:45AM空港着。8日間
       のオーストラリア滞在を終え無事帰宅した。付近の桜は散り始めていました。大勢の皆さんに大
       変お世話になりおかげで楽しい充実した旅行となりました。どうもありがとうございました。 
    (大会開催日:2007年4月1日)

投稿第八十三号

               アイアンマン南アフリカ・リタイア記!
                    

2007年4月10日
稲 毛 I T C
塚原 登

       2007年アイアンマン南アフリカに挑戦、結果リタイアとなりました。滅多に行けない
      大会なのでその顛末をご紹介します。なお、この大会は6大陸アイアンマン制覇の夢を掛
      けての最後の挑戦であった事を書き添えます。


      《旅程》
       成田⇒香港⇒ヨハネスブルグ⇒ポート・エリザベスと便を乗り継いで、自宅の在る千葉か
      ら現地のホテル到着迄に掛かった時間は約27時間。これでもブラジルの時の36時間よ
      りはまだ近い。今回の旅で一番長いのは香港⇒ヨハネスブルグ間で約13時間。利用航空
      会社はJALと南アフリカ航空です。アフリカの略最南端のポート・エリザベスはその名前
      の通りイギリスの影響の濃いリゾートで、風さえ気にならなければ本当に風光明媚な素敵
      な場所です。海は大げさに言えばインド洋と大西洋に挟まれた海域です。季節の3月は夏
      の終わりですが、緯度が南緯34度位なので、日本の9月頃の気温と略同じ。ただ同じ海
      洋性気候でも日本の小笠原気団の様に高温多湿では無いので、結構からっとして過ごし易
      い印象でした。滞在中は大体晴れの日は日中で27℃、朝晩で12℃位でした。風は殆ど
      南西風か南東風が卓越していて、平均風速10b瞬間最大25bの毎日でした。海に面し
      たホテルの窓からは毎日大きな白い波が見えました。


      《スイム》
       街の東側の海水浴場(と言うよりはサーファーのたまり場?)をスタートする1900mの
      2
周回。当日も波は高く3b位は有り、おまけに潮がきつく桟橋の端を回って上陸する1
      周目の最後の150bは余りの潮の強さに周りの景色が暫く全く変わらず、中には桟橋下
      のブロックに打ち上げられる人もいて本当に大変だった。ここを脱出するのに心拍数1
      0位?になり、約5分間それこそ必死で泳いだ。遭難するかと思った。流石に2周目は大
      きく迂回して何とかこの潮目を避けたがその分更に時間が掛かった。通常僕のアイアンマ
      ンのスイム・タイムは約1時間15分ちょっとで上陸するが、今回は何と1周目51分、2
      
周目57分も要し、1時間48分のスイムとなった。塩水を沢山飲み喉はカラカラ、おまけ
      に上陸後も全く水が無く(1周目、2周目とも)酷い状態でバイクへ移った。


      《バイク》
       60`を3周回のコース。前半走り出して直ぐに一気に100b位の高度差を上る坂が有る
      外は全般にだらだら坂を除けば、あまりきつい上りは無い比較的走りやすいコース。ただ
      し風が無ければの条件付である。コース全体に前述の如くの風が有るので、ディープリム
      でも結構振られるが、風の方向が一定しないので真っ直ぐ走るのが非常に難しい。スイム
      で酔ったせいか、風のせいか余り分からないまま、ふらふらしながら2周目へ。でも周回
      の後半の景色は白い波の海がとても綺麗。2周目の50`辺りでバイクのトップ(例のバ
      イクスペシャリストのビヨーン・アンダーソンにラップされた。彼はアベ45`位で走り
      去って行く。こちらは26`位だ。その差は歴然としている。その後段々身体の状況が怪
      しくなり90`過ぎでは何度も路肩に落ちそうになる。これは風のせいでは無くコンピュ
      ーター()のトラブルだと判断し、気分も非常に悪かった為、100キロ付近で初めての
      リタイアを決意した。バイクから降りてマーシャルにチップを渡し、暫く休んだ後迎えに
      来た収容車に乗って、途中何人かのリタイアした選手(有名なプロもいた)と一緒に、ス
      タート地点へと戻った。直ぐに近くのホテルに帰りシャワーに入り1時間ほど寝たら少し
      は楽になった。その後、着替えて外へ出て応援を兼ねてレースを見た。半分もレースをや
      っていないので体の消耗は少なく、何で止めたのかと思う位であった。やがてトップが帰
      って来た。あの強風の中をダントツのバイク・スプリット(4時間23分)を出した選手
      はランであっさりリタイア(コースレコードは無効)し、替わってランを2時間43分で
      走ったベルギーのディフェンディング・チャンピオンが2連覇を飾った。


      《印象》
       風さえ無かったら非常に良い印象になった筈です。コース設定、応援、エードその他、流
      石にアメリカの大会には適いませんがそこそこ良かったです。応援は非常に素晴らしいも
      のが有りました。応援の寂しいバイクを除くとランは平坦な上に街の中心を何度も往復す
      るので、凄い応援が続きます。あのナターシャ・バドマン(当然優勝)も感激していまし
      た。ただお勧めの大会と言えるかどうかは疑問です。やはり日本からは遠すぎます。お金
      も掛かるし(レース後の観光も含めると約45万?)ちょっと海外でアイアンマンをと言
      う訳には行かないと思います。日本人の方で世界中のアイアンマン完走を目指している自
      由業?の方と今回ご一緒しましたが、休みは少ない、お金も無いアイアンマンにはちょっ
      とチャレンジ出来ない大会だと思います。尚、彼は最終ランナーとして無事制限時間内に
      完走しました。立派なものです。もし何方かアフリカへ行きたい方が居られたら色々アド
      バイスは出来るかと思います。特にレース後の観光(世界三大瀑布のビクトリア滝や動物
      サファリ
..殆どの動物を見る事が出来ました)に関しては、実際に色々見て来ましたの
      でお話し出来るかと思います。尚、昨年のアイアンマン・ブラジルのレース後に見たイグ
      アスの滝の方が滝としては豪華だった印象です。三大瀑布はそれぞれ持ち味が違うので、
      一概には比較できないと思います。又季節によって水量が違いそれこそ雨季と乾季では全
      く別物です。世界で最も恐ろしい街?ヨハネスブルグにも観光に行きましたが、車を降り
      さえしなければ、問題は無かったです。ただ、黒人街は異様な雰囲気でした。あの場所で
      2010年にサッカーのワールドカップが行われるのは、ちょっと心配です。


       この冬は自分なりに老体に鞭打って、こそ練頑張りました。コンディショニングも上手く
      行き長旅の後にしては現地でも調子が良かったのですが、結果は前述の有様でした。また
      アイアンマンの神様に歓迎されなかった様です。何時もと同じ言葉『アイアンマンはもう
      嫌だ!』と言いたい所ですが、それぞれのレベルでまだ絶対に楽しめる筈なので、諦めず
      に又何時か挑戦したいと思います。それが何時に成るか全く不明です。アフリカはもう嫌
      だ!(あの海はもう嫌だ!)は事実です。6大陸制覇?はもう諦めました。暫く死んだ振
      りの予定です。折角新調したレース用のZIP303ホイールは暫く倉庫入りです。でも
      宮古島、福江には応援かサポートで行きますので、皆さんお付き合い下さい。


       拙いレース報告最後までお付き合い戴き有難う御座いました。
      (大会開催日:2007年4月2日)

投稿第八十二号

        恐るべし「芦屋浜アスリート・パワー」!(片鉄ロマン街道合宿)
                              

2007年4月7日
芦屋浜アスリートクラブ
会員 野上 亨

       3月24日()から25日()にかけて、恒例「片鉄ロマン街道合宿」が行われました。
       雨が降ろうが、槍が降ろうが、練習は休みなしの芦屋浜アスリートクラブ。とは言うも
       のの、特別行事は気持ち良く晴れて欲しいもの。ところが、2日間の天気予報は雨
       模様。気分が暗くなったのは筆者だけでしょうか。

       そして24日午前8時。曇り空の中、芦屋から参加者8名を乗せた2台の乗用車は、
       一路岡山を目指して出発。山陽自動車道を進むうちに、予定どおり?雨が降り出し、
       車内では「今日はロマン街道は無理やなぁ」とか「明日のバイクは中止かなぁ」とか、
       不安の声が飛び交いました。

       午前10時半、本降りの中、岡山県和気町和気鵜飼谷温泉駐車場に到着。ここで幹
       事をお願いした中岡山支部長と合流。協議の結果、1日目は備前片上までのロマン
       街道ランを止め、備前市総合運動公園へ場所を変えて、短めのラン練習と公園内に
       ある屋内温水プールでのスイム練習を行うことになりました。幸い、備前市総合運動
       公園へ着く頃には雨は小降りになり、中支部長が参加された「備前市健康マラソン」
       コース(10km)でラン練習を行いました。アップダウンがあるものの、山の香りと片上
       湾の眺望を眺めながら楽しくラン、ラン、ラン。そして温水プールへ場所を移してスイ
       ム練習。トライアスリートも参加されているこの合宿、有意義な特別練習になりました。
       10年以上ぶりにプールへ入った筆者。「肘を上げて〜」「腕はできるだけ前へ出して
       〜」など的確なアドバイスをいただいて、なんとか真っ直ぐに進むようになりました。
       しかし、ロングのトライアスロンでは、約4kmスイムをされるとか。改めて鉄人レース
       の凄さを感じました。

       さ、運動をした後は、やはり食べて呑んで、ですねぇ。お宿は、参加者の方のご尽力
       で宿泊させていただくことになった研修センター。とはいえ、立派なログハウスで、ど
       こかヨーロッパのコテージを思わせます。食事は「芦屋浜アスリートクラブ特製カレー」
       がメインメニュー。手分けして準備する姿は、昔の合宿所の様相。ワイワイガヤガヤ、
       これがまた楽しいですね。準備が一段落すると卓球大会が始まりました。卓球と言え
       ば、温泉宿で浴衣にスリッパが定番。今回は浴衣ではありませんが、スリッパを履い
       ての対戦。「ランニングクラブ」ではなく、あえて「アスリートクラブ」である我がクラブ。
       一方では「芦屋浜アソビート(遊び人)クラブやぁ」との声も上がり、「山田く〜ん、座布
       団3枚あげて〜」の場面も (^_^;) そんなこんなでハイテンションで始まった夕食。アス
       リートの食欲たるや大したものです。やはりスポーツマン、いやウルトラマンは食べる、
       呑むがスタミナの基本のようですね。ビールは全て飲み干し、炊飯器もカレー鍋も、
       すっかり空にした一同は大満足。これで翌日は大丈夫とばかりに床につきました。

       明けて25日、なんと天気予報は晴れ!!流石は「芦屋浜アスリートクラブ」。数日前
       の天気予報をも覆しました。「晴れの国、岡山」と言いますが、それ以上の恐るべき
       パワーで好天を呼び込みました。

       2日目は予定どおりラン組とバイク組に分かれての練習でした。和気鵜飼谷温泉を
       起点に、ラン組5名はマウンテンバイク2台を借り、「片鉄ロマン街道」を終点まで往
       復(片道約24km)。バイク組4名は、一昨年開催された岡山国体の自転車コースを
       2周(一周約50km)です。

       ラン組は岡山県三大河川の一つ吉井川沿いの「片鉄ロマン街道」を辿りました。平成
       3年まで旧柵原鉱山で採掘された硫化鉄鉱を、瀬戸内海沿岸まで輸送していた片上
       鉄道が走っていた線路を、廃止後岡山県が整備したものです。途中には当時の駅舎
       や信号機が、終点の旧吉ケ原駅にはレトロな車両も残り、ロマン街道にふさわしい風
       景でした。今、静かなブームとなっている「廃線跡ツアー」。当日もウオーキングの一
       団に出会いました。また、映画「三丁目の夕日」がヒットするなど、昭和30年代が注
       目される昨今。昭和32年生まれの筆者は、懐かしい感慨に浸りました。ゆったりと流
       れる吉井川の景色を眺めながら、穏やかな日差しの中、気持ち良くラン練習を行うこ
       とができ満足でした。

       一方のバイク組は、岡山国体コースを走り、途中フォーミュラカーレースなどで有名な
       英田サーキットへ立ち寄りました。ただ一つ予定に無かったのは、3回のパンクでした。
       メンバーが持っていたスペアチューブまで使用しましたが、最後は集合地点にようや
       くたどり付く状態だった、とのことでした。国体コース2周の予定も変更して、別コース
       を走ってゴール。しかし、パンクが大きな事故につながらなかったのは幸いでした。

       一同ゴール後は、温泉に入って2日間の疲れを癒し、午後5時20分に和気鵜飼谷温
       泉を出発。途中、中支部長と別れて、一路芦屋へ。午後8時に芦屋へ帰着し、解散し
       ました。

       昨年10月に入会させていただいた筆者は、合宿参加は初めて。ラン、バイク、スイム、
       ピンポンと4種目制覇して、「五種競技」には届きませんでしたが、アスリートに近づい
       た??2日間でした。

       合宿が無事に終わり、幹事いただいた中支部長初め、宗政会長、中川副会長、広井
       副会長、正圓さん、谷口さん、藤本さん、堀内さん、本当にお疲れ様でした。そして、
       ありがとうございました。

投稿第八十一号
             六甲全山縦走(52KM)マラニック完走記

                              

2007年4月3日
芦屋浜アスリートクラブ
会員 谷口 進

       ○    プロローグ
       全山縦走マラニック参加の前日、「芦屋浜アスリートクラブ」定例の土曜日練習会
       に参加。今日は「潮風ウルトラマラソンコース」とのことで、芦屋の浜風をうけなが
       ら、またカヌーイストやヨットマンが颯爽と滑走する姿を横目に見ながらの軽快な
       ランであった。

       夕食後、明日に備えて22時過ぎ床につくも、深夜2時すぎ、期待、不安、楽しみ
       が高揚したせいか、目が覚めなかなか眠れず、ウトウト状態のまま4時すぎ起床。
       4時40分には自宅を出発した。

       阪急・宝塚駅のロッカーに着替えをデポ(登山用語:登山ルートにあらかじめ荷物
       を置いておくこと)し、山陽・須磨浦公園駅へ急ぐ。

       ○    旗振山〜須磨アルプスへ
       6:55、AACメンバー5人、一般参加5人の総勢10名で須磨浦公園駅を出発。
       いきなりの階段道が標高246Mのロープウエー山上駅まで続く。

       少し息がはずんでくるものの、瀬戸内海の海面を照らす朝日がキラキラと輝き、
       本日の我々の行く末を祝福してくれるように思えた。

       山上駅で準備を整え、いよいよ本格的なスタートをきる。茶店を思わせるような
       「旗振茶屋」は、その昔、神戸方面と明石方面との米相場の連絡に旗を使ったた
       め、その名がついたという。

       「鉄拐山(てっかいさん)」をすぎ、「おらがやま公園」へ。この公園は神戸市の毎日
       登山の場所として親しまれており、多い人は1万回を超える人もいるという。
       1万回といえば、1年365日登ったとしても27年以上要する計算となる。本当に敬
       意を表したい気分である。

       階段をくだり住宅街を抜けると、最初の難所「栂尾山(とがのおさん)」への400段
       近い階段が続く。登りつめると間もなく「馬の背」の愛称で親しまれる「須磨アルプ
       ス」。ゴツゴツした花崗岩をよじ登る様は、まさにロッククライミングといったところか。

       ○    菊水山〜鍋蓋山越え
       妙法寺を抜け、山道を駆け上がると「高取山」に9:00到着。小休止ののち丸山
       の住宅街を抜けると神鉄・ひよどりこえ駅。ここでも小休止をとり、いよいよ本日二
       度目の難所・「菊水山」への階段に取り付く。菊水CCでボール遊びをするゴルファ
       ーを右手に見ながら、一心不乱に階段を突き進む。帽子の縁から滴り落ちる汗が
       心地よい。ハイカーから「速いですねぇ」の声がかかるので、「気持ちいいですよ」
       とオウム返し。

       鉄から木の階段をすぎると、ほどなく「菊水山」山頂(10:15)。見晴らしの良い展
       望台がしつらえてあり、220度以上(根拠なし)のパノラマ風景が楽しめる。この
       山頂で遅れて出発した後続3人組が合流。総勢13人でのランとなった。
       15分の休憩ののちスタート。一旦大きく下り「天王吊橋」を渡ると、「鍋蓋山」への
       ジグザグの上り坂が続く。

       再度公園の入り口をすぎると「大龍寺」。神護景雲2(768)年、和気清麻呂がこ
       の山中で刺客に襲われた折、大蛇に姿を変えた観世音菩薩に助けられたことに
       由来する寺名という。

       車道を横切り「第二新神戸トンネル」工事に利用されたアスファルト道を進むと市
       ケ原。ここは夏場ともなると水遊びを楽しむ子ども達の歓声があがるところだ。
       階段を上ると「桜茶屋」。同茶屋では賞味期限間近だというスポーツドリンクを頂
       いた。茶店の人には全縦チャレンジャーが分かるのだろうか。

       そういえば、何時の日か、ヒザを擦りむいていたときも店のオバチャンに赤チンを
       つけてもらった記憶がある。山でのこんな優しさが、街中でも欲しいと思う昨今で
       ある。

       ○    摩耶山〜六甲ガーデンテラスへ
       桜茶屋をすぎると本日三度目の難所「天狗道」を上る。まさしく天狗が修行したの
       では? と思うほどの勾配だ。が、『苦あれば楽あり』の諺ではないが、摩耶山々
       頂からの眺望は筆舌に尽くせぬほど素晴らしく、大パノラマが眼下に広がる。
       山頂には13:00に着き、30分の大休止ののちドライブウエーを軽快に走った。
       「市立自然の家」をすぎ、山道を抜け、再び車道へ。

        「記念碑台」から「六甲山ゴルフ場」を抜けると、ほどなく「六甲ガーデンテラス」。
       同所は六甲山と神戸の土産や雑貨、カフェなどを備えた山上のショッピングゾー
       ンだ。

       ○    六甲山上〜宝塚へ
       ロープウエー・六甲山頂駅から「極楽茶屋跡」をすぎると一路、車道を走る。広井
       副会長の先導で軽快に走ると「一軒茶屋」に15:00到着。

       ここで副会長お勧めのウドンを注文。粉雪が舞う寒いなかを走ってきたので温か
       いツユと麺が五臓六腑にしみわたる。ここで待つこと25分、後続組が到着。

       35分には先発隊4人が出発。ここからはロングな「東六甲縦走路」を行く。広井
       副会長の足取りも軽快そのものだ。さすがウルトラランナーだけのことはある。
       かく言う私もこの縦走路は非常に楽だった。

        「塩尾寺(えんぺいじ)」をすぎると急な下り坂。これには大腿四頭筋が音をあげ
       た。が、同伴者曰く「この痛さが気持ちいいんですよね」。仰せの通り! ランナー
       はMっ気の持ち主が多いのではなかろうか??

       などと話しているうちに17:10宝塚・宝来橋南側のコンビニに到着。
       缶ビールを頂きお疲れさんの「カンパ〜〜〜イ」。

       ○    エピローグ
       宝塚駅でデポしたジャージに着替え、ジムへと足を運んだ。ストレッチ代わりと思
       いプールで歩行に励んだにも拘わらず、翌19・20日は階段を下るのもままなら
       ないほどの筋肉痛に襲われた。久しぶりの筋肉痛に苦しいながらも、自分自身に
       喝采をおくる小生であった。  <注>最終的な参加者は合計14名であった。
    (大会開催日:2007年3月18日)

投稿第八十号
              レース報告・アイアンマン・ランカウイ

                           

2007年3月28日
大 学 職 員
大橋 康治

       アイアンマン・ランカウイを無事に完走し、伴走という大役を果たしてきました。
       今回の伴走で自身2度目の経験ですが、やはりレースが始まるまでは自分自身の
       練習不足の不安とレース中に自分が体調不良を起こしてしまったらという不安、そ
       れに、アイアンマン・ジャパン、チェジュと挑戦されて、ジャパンではバイク終了時の
       タイムオーバー、チェジュでは、荒天によるスイム中止で、柳川さんは、3度目の正
       直のアイアンマン挑戦でしたので、今回はどうしても完走してアイアンマンの称号を
       手にしてもらいたいという気持ちが強かったこともあり、自分のレース以上に緊張し
       ていました。

       現地到着の翌日に受付にいくといきなり取材などがあり話題の大きさを感じ、一段
       と責任を感じることになりました...。

       大会当日、薄暗い中、準備を始め、これを終えると、スイム時にカヤックで安全確
       保と先導をしてくれるライフセーバーとの打ち合わせをおこなった。前日にスーパー
       で話しかけられたウォンさんという方がたまたまスイム会場の責任者だったこともあ
       り、ホスピ津川さんの通訳ですんなりと打ち合わせを終えることが出来た。

       スタートは、7時となっているが、明るくなる7時15分〜25分がスタートと聞いていた。
       15分ごろになっても薄暗いのでスタート位置にはフローティンで待つ選手は30名程
       度だった。そして、周りものんびりムードが漂う中、いきなりスタート合図があった。
       のんびりしていた選手達は慌てて泳ぎだしていった。マレーシア時間がいたずらを
       したようだった。

       僕たちは、ゆっくりと入水。一定ペースを意識してリラックスをするようアドバイスだ
       けをし、スタートをした。僕は、柳川さんの左側を泳ぎ右に曲がった場合は、左肩を
       ポンポンと2回たたき、左に曲がってきた時には、左肩を軽く押し調整すると試泳で
       決めていた。波はなく、非常に泳ぎやすく1時間50分ぐらいでは十分クリアできると
       感じていたが、折り返しでは、予想をはるかに上回る44分であった。折り返してか
       らも大きな蛇行はなく順調であったが、残り500mあたりで少し足が攣ったようで、
       少し仰向けで浮きながら一呼吸おくことにした。その後にペースをあげようとしたこ
       とで力みがでてしまい、少し蛇行があったものの1時間41分という好タイムでスイ
       ムを終えた。

       予想以上の好タイムであったためトランジットでは、ゆっくり時間をとりバイクへと移
       った。最初は、足を慣らすためにのんびりと回転をさせながら走らせた。バイクは、
       大阪に来てもらったときの1時間ほどの練習しかしていなかったので、現地で練習
       を考えていたが結構交通量があるため、取材の撮影時に少し乗っただけでレース
       中にお互いが乗り方を掴み覚えていくしかなかった。スタートしてから一度のみ通
       過するかなり急な登りを心配していたが、スタートしてすぐだったのでそれほど苦し
       まずにクリアできた。ここを越えると周回コースに入っていくが、下りは慣れるまで
       無理をせず慎重に下るようにした。1周目は、気温もそれほど上がっていないので、
       風が心地よく感じ余裕かな?と甘い考えもでていたが、2周目に入ると暑さと疲れで
       坂は、かなりきつく感じるようになってきた。
                        
       坂では、柳川さんがダンシングをし、僕はシーティングでリズムを『「1・2、1・2』と
       合わせるように声をだし、『頂上まで残り15m、5m』といった感じで知らせながら頑
       張った。下りや直線では、足を止めてしまいそうになるので、ここでは足をほぐすた
       めにまわす、ここではスピードを維持するために頑張るといった感じで説明を入れな
       がら指示をしていくとだんだん感覚がつかめてきたようで、走りに一体感が感じられ
       るようになった。

       こうなるとエイドのボトルを取るときにも安定感がでてきてスムースに受け取りがで
       きるようになってきた。何度か柳川さんもボランティアから直接ボトルをとっていた。
       しかし、凄いと思う反面、不慣れなボランティアもいるので無事で良かったと後にな
       って思った。このあたりからタンデムの特権で柳川さんに頭と背中に『水をかけて〜
       』とかお願いできるようになっていたが、前半には余裕がなくあまり水をかけていな
       かったせいで、熱射病のように鳥肌がたち頭も痛かった。水をかけてもらう回数を
       増やすことでだいぶマシになってきたが、辛い時間が続いた。

       2周目途中には、トップ集団に周回されたが平地でのスピードは遜色なく、マーシャ
       ルが道を遮っていなければ前にでてみよかという気にもなるほどだった。柳川さん
       は、トップ集団が抜いていく車輪音にスピードを感じ『速いですねぇ〜』と言うので、
       『僕たちは、今、トップ選手とずっと同じスピードで走っているんですよ』というと驚い
       て いた。タンデムの平地での威力は凄いものである。3周目になるとかなり、坂で
       は堪えたが、途中から見知らぬバイクが寄って来て話しかけてくる。地元の若者の
       応援だと思っていたが、大会側が用意してくれたサポートバイクだったようで、途中
       から、取り損ねたボトルを運んでくれ、バナナを手渡してくれたりした。とても有難か
       った。しかし、頻繁に声をかけてくれるので、その度に柳川さんが反応し、足が止ま
       る。『足回して!!』路面に影が映る...『ハンドルから手を離さない!!!!』走
       りが疎かにならないように檄を飛ばした。
                      
       走りながらの補給では二人分のボトルは不足気味だったので、このサポート補給
       で暑さからのダメージをかなり軽減させてくれたと思う。街中に近づくと車の規制が
       おこなわれていないこともあり、かなり減速をしてバイクゴールまで行かなければな
       らなかった。(速い選手のバイクゴール時にはきちっと規制はされていたようである。)
       バイクタイムでも予定よりも余裕ができ、残すは柳川さんが一番得意とするランであ
       る。バイクから降りたときには、さすがの柳川さんも産まれたての子馬のように動き
       がカクカクなっておかしな歩き方になっていた。

       このトランジットでゆっくり身体を冷やし、しっかりと日焼け止めを塗り走り出した。
       歩道やコーンの内側を走るが狭くて二人が並走するには難しいところが多くあった
       ので、ゆっくり慎重に走った。1キロ走ったところから5km往復の4周回で、きちんと
       1kmごとにエイドはあるが、前方から折り返してきた選手との擦れ違いやエイド前
       が特に狭く規制されていたので走り辛かった。
                      
        1周目、2周目と暑さがきついときだったので、毎回、エイドに止まっては氷をもらっ
       たり水をかぶったりしたが、その際に柳川さんはエイドボランティアともしっかり交流
       を楽しんでいた。『ここまでくれば、どんなことがあってもゴールできますよ』と柳川さ
       んに話していたが、自分自身に言い聞かせていたところもあった。途中で気分が悪
       くなっていたので、どうしてもダメになったときには、応援してくれている辻本さんに
       一周、津川さんも一周走ってもらうことでどうにかなるなと計算していた...。(笑) 

       3周目に入ってからは、エイドを飛ばすようにして走ってペースをつくった。コース上
       では、擦れ違うたくさんの選手方に声をかけてもらい、声が出せない苦しいそうな
       選手までも手で合図を送ってくれ本当に嬉しかった。周りも暗くなり残り6kmを残し
       た下りで、柳川さんはどんどんペースを上げだした。ここで怪我をしたら『どうすんね
       ん!(笑)』と思いながらも走り、本人の動きに合わせるのが役目と考え、3km先で
       止まる予定エイドまでを約4分ペースで走った。残りゴール3kmまでは暗いし、歩道
       が狭く段差もあるので冷静に走らせることを心がけ、『終わってから何を食べる』だ
       の『ゴールはどうやって入ろうか』とゴールまでの区間をワクワクしながら最後を楽
       しんだ。フィニッシュゲート前は大盛り上がりで、歓声の中を僕たちは両手を大きく
       挙げてゴールした。完走を目標としていたが、文句なしのタイムで楽しく走りきるこ
       とができた。
                         
       ゴール後は、大会関係者や報道のカメラでいっぱいであった。それにしても、完走
       することができて本当に良かったという嬉しさが大きかった。そして、ようやくプレッ
       シャーから開放されたという安堵感でいっぱいであった。

       今回のレースでいろいろ戸惑いもあったが、全盲の柳川さんと共に完走したこと
       で得たものは大きいと感じている。自分のレースだと一人で行動することが多いが、
       今回は、出発からずっと同じ行動をし、どこへ行くのも一緒だった。食事の際も柳川
       さんの手助けをしたが、意外に面倒くさいとかストレスを感じていない自分がいた。
       『俺はこんなに優しかったか?』と自分のことが不思議であり、おかしく感じたが、
       自分の中でサポートすることを割り切れていたからかもしれない。マレーシアから
       帰ってきてから思ったことは、他人にこんなに優しくできたんやからもっと嫁さん、
       家族のことも大切しないといけないと感じた。うーん、一皮剥けたかもしれない!笑
                      
       柳川さんに対しては、レース中は歯がゆく感じる部分もあったが、冷静に考えると
       レース内容を含め、挑戦する心、行動力には『凄い人』の一言に尽きると思う。今は、
       いただいたレース中や表彰式の写真の柳川さんの良い笑顔をみると伴走して良か
       ったと心から思える。マレーシアという国もかなり気に入ったので、来年も出場した
       いと思っている。自分のレースで...!?。笑
       SWIM:3.8km   BIKE:180.2km   RUN:42.2km   完走時間:13:25:07
        (大会開催日:2007年2月24日)