特集第九号
        特集アイアンマン/ハワイ参戦記!


           2007年10月13日に開催されたアイアンマン/ハワイ大会に
          参加された「日本アイアンマンクラブ」(JIC)会員の参戦記を
          「あいうえお順」でご紹介します。

                       http://jic.konjiki.jp/
            大会の写真集はこちらをクリックしてください!

                            2007年11月4日
                              
事務局より

     
        アイアンマントライアスロン世界選手権大会完走記!
       石井英機氏

        1978年開始され29回目になる本大会は10月13日ハワイ島コナで世界各国
        から1854名の男女プロとエイジグルーパーといわれるアマが参加して行われ
        ました。日本選手は106名で米国、ドイツ、豪、カナダ選手についで5番目に多
        かったです。私は3回目でしたが14時間20分33秒でなんとか完走して総合で
        は完走者1685名中1535位、年代別23名中10位でした。

        アイアンマントライアスロン大会はスイム:2.4マイル(3.8Km)、バイク:116
        マイル(180Km)、ラン:26.2マイル(42.2Km)を競うもので制限時間は17
        時間です。選手は本大会への出場権利を得るため米国(フロリダ、カリフオルニ
        ア、レイクプラシッド、ユタなど)はじめマレーシア、ニュージーランド、オーストラリ
        ア、日本(長崎五島)、ブラジル、スペイン、フランス、ドイツ、スイス、カナダ、韓
        国などで行われるアイアンマン大会に出場し上位入賞しなければなりません。
        その枠(スロット)は各エイジグループ(5歳毎)の出場選手数に比例して設定さ
        れ私のエイジ(65〜69歳)では1〜2枠です。但しローリングダウンがあり上位
        選手が権利放棄しますと下位選手に回ってきます。今回私は4月の豪大会に
        出場し1位でしたので権利を得ました。

        10月9日(火) 小雨後曇り
        障害者施設でのボラを昼で終え15時かみさんと家を後にし成田空港に18時3
        0分着、空港では65歳以上の強豪遠藤、富田、山中、汐元、滝などの各氏にお
        会いして歓談しました。21時15分離陸、機内でビールとワインをしっかり飲みま
        した。所要時間は約6.5時間、時差は18時間のハワイ島へ9時40分着。入国
        審査は厳重、左右の人差し指と虹彩をチェックされるため延々1時間かかりまし
        た。空港をでると日は強いが乾燥しており過ごし良い。ツアーコンの武藤氏が迎
        えてくれてコナシーサイドホテルへ。車窓からは溶岩ばっかりたまに見える赤色
        のブーゲンビリアがきれいだ。ホテルはスタートとフイニッシュに近く、キッチン付
        の部屋は豪華でベランダからはスイムの海も見えます。

        選手登録にでかけると上田氏がボラをやっており助かりました。レースNo.はプロ
        に続き高齢者から若手の順に付けられておりレースで同エージの選手かどうか
        判り易い。ボラは大半が妙齢のご夫人で皆さん笑顔で愛想がいい。かみさんと
        近くのスーパーでビール、パン、バター、チーズ、ぶどうなどを仕入れた。ホテル
        へ戻ると徳島の強豪芝さんとばったり。部屋でビールを飲みながらバイクの組み
        立てをする。17時からはアイアンマンパレードだ。アルファベット順に各国の選
        手がアリードライブを行進し沿道のお客さんにキャンデイなどを投げながら交歓
        する。プロの谷選手がオープンカーに乗り先導、日本選手と家族は20名余、新
        潟の石田選手はレースN0.を縫いつけたはっぴで注目を集めました。夕食は滝
        さん、芝さんと近くのタイ料理屋へ行く。中身がわからないので4種類を頼んで
        分けて食べることにしましたがなかなかおいしく成功しました。タイビールやハワ
        イビールも楽しみました。

        10月10日(水) 晴れ
        6時起床。時差ぼけはほぼなくなった。軽く朝食をとり7時スイム会場へ。既に大
        勢の選手が集まっていた。水温はウエットスーツなしでもOK、小さな波はあった
        がまずまず。約20分泳いだが行く選手と帰る選手がぶつかることなく上手によ
        けておりさすがです。競技説明会ではウイットさんが日本語でやってくれます。
        河原、谷,今泉プロや強豪エイジグルーパーに会えました。遅れてきた有力選
        手に彼がやわらかく注意をしたが反省したいものだ。バイクとランで3回ペナル
        テイを受けると失格となる。特にドラフテイングのペナルテイは次のテントで4分
        間停止することなどの説明がありました。

        終了後ウイットさんに会いあらかじめメールしておいた「日本アイアンマンクラブ」
        の呼称の件WTCの見解は如何か聞いたがまだ返事がないが、商業目的でなけ
        ればOKだろうということだった。今後ともフオローしてほしいとお願いしました。
        JICメンバーやその他60歳以上の選手に呼びかけ集合写真をとり17時アリード
        ライブ先のレストラン「ウォーターフロント」で会食することとしました。ホテルに戻
        りメカニックの大西さんにバイクのメンテしてもらいありがたかったです。レストラ
        ンは海の眺めが最高、奥さん2名と10名の選手が集まってくれました。北海道の
        富田氏(72歳)による乾杯、次いで自己紹介しながら歓談しおおいに盛り上がり
        ました。
 
        10月11日(木) 晴れ
        6時半起床。パワーバーをかじり試泳へ。海は穏やか。3角旗の舟まで往復。
        後で聞いたがコーヒーをもらえたという。朝食は田中氏らとカレーを食べスイム、
        バイク談義。芝さんとクアキニ道路を試走。強い向い風、疾走する車、不慣れな
        右側通行などで早々に切り上げました。ホテルに戻りベランダで眼前の海を見
        ながらビールを飲みましたがここではアルコール禁止であることを後で知りまし
        た。滝氏、芝さんらとカーボパーテーに出かける。入り口でバックの中に入れて
        おいたビール2缶を没収されてしまいました。正直過ぎた(?)。料理は鳥肉、魚
        などでスパゲッテなし。久しぶりに会えた石丸氏と話がはずみました。NZではバ
        イク、ランが苦しかったという。熱海の別荘に誘われました。式は現地人のたい
        まつダンスから始まる。プロの挨拶なし、最高齢男子79歳、女子77歳(ブダー
        女史)、ボランテイア5000人の代表の挨拶があった。21時には終了しました。

        10月12日(金) 晴れ
        再び試泳へ。海は驚くほどきれいで熱帯魚が多く見られ300m程沖でゆうゆう
        と泳ぐ亀に遭遇しました。触れると高額のペナルテイという。女性選手としばし眺
        めました。昨日急遽買ったスイムスーツ(ウエットスーツより薄くレースで着用O
        K)は快適でした。12時半芝さんとバイクとギアの預託に出かけました。大勢の
        ボラがおりバイクのチェックは待たされることなし、ギアもボラに案内され自分で
        ラックに架けます。17時には滝氏、芝さんらと夕食。今夜はビールなし。滝氏は
        バイクで食べる2トレーのおむすびをつくりました。自分の倍です。20時には床
        に付きました。

        10月13日(土) レースデイ 
        3時起床。赤飯、味噌汁などかみさんがつくってくれありがたい。4時半会場へ
        行きマジックで脚に年齢を示す65(子供による)と両腕にナンバーリングをして
        もらいます。バイクの所に行きエアー入れと補給食をセットします。パンクの音が
        しました。一度ホテルへ戻りスイムスーツを着て会場へ。1800余名の選手と一
        緒になります。プロは約60ヤード(54m)沖で立ち泳ぎしています。黒人シンガ
        ーが国歌をおごそかに歌います。6時45分号砲一発しぶきをあげてスタートし
        てゆきました。

        スイム
        さて我々も7時スタートのため泳ぎ始めました。水温やや冷たく10分ほどの立ち
        泳ぎをするのは嫌なものです。後の方に位置しました。再び号砲が鳴り1600人
        余が一斉にスタート。長い一日が始まりました。日本や韓国などと違い身体に触
        ることは殆んどありません。海底からフロッグマン(?)が見守ってくれています。
        波やうねりはそれほどなくブイもよく見えましたがしばしばサーフボードに乗った
        スタッフに左へ行けと注意されました。1マイル(1.6Km)沖にヨットが停泊して
        おり観客が応援してくれます。ここを回ると復路です。46分かかりました。後半
        は1列に並んで泳いでいるグループを見つけ横につけて泳ぎました。スイムでの
        ドラテイングはOKです。先頭はコースアウトしないで上手に進んでいる(はずで
        す)のでヘッドアップなどしないで泳げ大変楽でした。次はぜひ前半からやってみ
        ようと思いました。スイムアップ時1時間39分で少々ガッカリでした。バイクラック
        では若手のバイクは殆んどありませんでしたが我々エイジでは少々あり安心し
        ました。

        バイク
        スタート直後はパラニ道路の急坂を立ちこぎです。クアキニ高速道路を往復、次
        々に同じエイジの選手に抜かれました。クイーンK高速道路を折り返しのハビま
        で(60マイル96Km地点標高646フイート194m)走ります。道の東側はマウナ
        ケア山(4200m)からのびるゆるやかな丘陵、西側は海で周囲は溶岩と低い潅
        木ばかりで風をさえぎるものがありません。どうも早い時間帯はなぎなのか速い
        選手には無風で、遅い私達には行きも帰りも強い向い風が吹くようです。いわ
        ゆるコナウインドです。約50Km地点でトッププロが折り返してきました。とても格
        好いいです。猛烈な横風に怖い思いをしました。ハビまで上りがえんえんと続き
        いいかげんにしてほしいところですが皆条件は同じですから仕方ありません。持
        参した梅干入り赤飯のおにぎり、羊羹、あめと7マイル(11Km)毎のエイドステ
        ーションで水、コーラ、ゲータレード、バナナなどを利用してハンガーノック、けい
        れんや脱水症の予防をはかりました。風があり汗はそれほどかきませんが日差
        しが強く頭、首や腿に水をかけました。パンクは7〜8名見ました。殆んどクリン
        チャータイプでした。幸いパンクせずドラフテイングチェック(前後に殆んどいませ
        ん)にひっかかることもなく8時間4分でバイクフイニッシュ。21回のアイアンマン
        中ワースト記録です。

        ラン
        着替えを済ませトイレにも行きなによりも下腿部の痛みがなく気分よくスタート
        できました。日本人の『がんばって』や『ヒデキ ルッキンググッド、キープゴーイ
        ング』などの声援がうれしいです。ケアホウまでの往復で汐元氏と遠藤氏をパス
        しました。赤道直下のため18時になりますと紅の太陽が水平線に沈み辺りはと
        っぷりと暗くなります。道路照明は殆んどありませんので折り返してくる選手の持
        つライトステイック(蛍光発光体)が唯一の頼りです。クイーンK道路からエネル
        ギーラボへの道路に入り折り返し直前で凹みに左足を踏み入れ転倒してしまい
        ました。くるぶしを痛めたたようですが何とか走ることかできました。その後も数
        回舗装箇所から路端へ踏み出してしまいヒヤリとしました。車のヘッドランプで道
        路を照らしている箇所もありましたがまぶしさで手前の路面が見にくいこともあり
        ました。速い選手には無縁ですが一般の選手にとって暗さ対策はぜひ必要だと
        思いました。1マイルおきのエイドステーションはオアシスです。特に暖かいスー
        プとパンがうれしいです。よくお礼を言いながらいただきました。コナの町にきま
        すと応援の人達から『グッドジョブ』の声が盛んにかかります。最後の直線路は
        アリードライブです。両側の観覧席からの大声援に感激します。日の丸をふって
        いるかみさんを見つけ一緒に走り始めました。フイニッシュゲート直前がややス
        ロープになっておりかみさんがバッタリ倒れてしまい皆さん大笑いでした。ラン4
        時間22分合計14時間20分33秒で完走できました。ボラのお姉さんにらんのレ
        イとタオルをかけてもらいます。完走メダル、Tシャツの支給、記念撮影、バイク
        とギアのピックアップなどそれぞれのボラがスムースに案内してくれます。軽くス
        トレッチをしてホテルに戻りシャワーを浴び、訪ねてきた芝さんとお互いの完走を
        祝してビールを飲みました。

        10月14日(日) 晴れ
        6時起床、くるぶしが痛く少し腫れている。10時にキンカメに行きリザルトを見る。
        60歳台:三森氏2位、65歳台:滝氏3位、70歳台:小島氏3位と日本人高年齢
        者が好成績です。遠藤氏8位、富田氏9位、自分も辛うじて10位と夫々トップ1
        0入りできました。部屋で滝氏、芝さんとビールを飲みながら昼食を楽しみました。
        やがて田中夫妻も現れ盛り上がりました。17時からのアワードパーテイではJIC
        メンバーと同席しました。山中、石丸選手はバイク終了時点でリタイアしたという。
        残念だ。カーボパーテーと違いビールは飲み放題でした。料理は牛でなくターキ
        ーでした。おしゃべりをしながら充分楽しんだ後に式が始まります。まずビデオで
        レース前、当日のボラ、選手の活躍が紹介された。特に障害者選手の健闘に感
        動しました。若い選手から5位までの表彰に移ります。60歳台三森氏、65歳台
        滝氏、70歳台小島氏、最高齢は男子77歳、女子は71歳いずれも米選手らが
        壇上で表彰され我々を大いに勇気ずけてくれました。最後はプロ10位までの表
        彰です。女子トップはウエリントン(英国)です。長い挨拶でしたが世間に役立つ
        こと、ボランテイアとの共生などを言っていたと思います。男子トップは豪で大人
        気のクリスマコーマックです。優しい話しぶりで過去の英雄マークアレンにふれ
        ていましたがよくわかりませんでした。来年の再会を期してビデオで最後の選手
        のゴールシーンで幕を閉じました。

        10月15日(月)
        8時ホテル発→10月16日(火)20時45分帰宅着コナ空港ではバイクのチェック
        なしにビックリ、男性ボーカルに合わせて美人2人がフラダンスをして楽しませて
        くれました。河原プロにお願いしてJICメンバーで集合写真をとりました。ホノルル
        経由機内ではビール、ワインをしっかり飲み無事成田着。荷物もスムースに出
        てきて21時前に自宅に戻りました。

        1.アイアンマンクラブとしての成果
        *日本アイアンマンクラブメンバー12名(奥さん、勧誘中の選手含め)とレース前
         にパーテイを持つことができ、更にレース後も一緒になって懇親を深めることが
         できました。
        *106名参加した日本人中60歳以上の選手がトップ3入り3名、トップ10入り6
         名と大いに気をはくことができました。
        *ウイット氏に対して「日本アイアンマンクラブ」の呼称をWTCに質してもらうこと
         を再度確認できました。

        2.大会運営
        *役員、ボランテイア、観客:役割が細かく決まっておりよく訓練されていまして、
         選手登録、車検、ギアの管理、エイドステーションでの対応、道路規制など極
         めてスムースだった。観客含め皆さん笑顔を絶やさなく選手を激励してくれま
         した。
        *スイム:1600名余が同時スタートするのだからフローテイングに行き着くだろ
         う。選手は身体に触れることなく誠にスマートな泳ぎっぷりに感銘しました。
         サーフボードのスタッフにはコース修正をていねいに指示され助かりました。
        *バイク:コナウインドには対応しなさいということでしょう。エイドに救われました。
        *ラン:バイク同様エイドに救われました。暗がりで自分以外事故はなかっただろ
         うか?明るい周回コースにぜひとも変更してもらたいものだ。実行委員会に請
         願してゆきたい。

        3.自身
        *辛うじてトップ10入りできよかったです。
        *JICメンバーと懇親を深めることができ更に3名ほど加入の申し出をいただきま
         した。
        *スイムではドラフテイングを積極的にすること。
        *バイクの練習量はまだまだ不足していること。

        など大きな成果を得ることが出来ました。次年のハワイは30周年大会です。
        世界ではまだまだ皆さん頑張っておられます。無理なく身体を充分ケアーしなが
        らチャレンジしてゆきましょう。    

    
        アイアンマンは難しい奥が深いことを再認識!
        汐元登志夫氏

        7回目のハワイ大会で最高の天候であったが、終わってみれば最悪の結果だ
        った。スイムは波がなく、潮の流れも感じられず、昨年より10分良く、幸先良いス
        タート。スイム1時間29分バイクは折り返し地点手前に風が少しあったが、空気
        がきれいでマウナ・ケア、マウナ・ロア、マウイ島の山々がきれいに見え楽しめ
        た。カワイハエから空港まで向かい風があり、少し苦しめられた。猛烈な睡魔に
        襲われ一時休止したりし、8時間強でやっとゴールした。ランに入り、第一折り返
        し点を過ぎたら日が沈み始め、コナの町はすでに日没の中であり、この頃から
        心配だった「ふくらはぎの痛み」がだんだんとひどくなり、ついに歩きも交えるよ
        うになり、制限時間をあと50分残して16時間10分で感激のゴール。ランは6時間
        10分かかった。アイアンマンは難しい、奥が深いことを再認識した大会でした。
        また多くの老アイアンマンと知り合い、皆さんのアイアンマンにかける情熱、日ご
        ろの努力に自分の甘さを啓発されました。また、スペッシャルフードバッグのバイ
        クバッグの中にランバッグを入れたまま預けて給食に苦労したり、終了後ポンプ
        受領を忘れたりして注意力が散漫になり、やはり老化は進んでいると認識して
        今後のトレーニング、大会に臨まなければならないと悟りました大会でした。

    
        来年参加する事が出来たならもっと真地面に走りたい!
        滝 豊水氏

        アイアンマンは苦しい辛い長い一日でした。でも大会前後アイアンマンクラブの
        方達と交流が出来ました事は、近年に無い楽しい気持ちを味わいました。皆さ
        んに御世話になり嬉しく思っています。 特に石井会長さん 奥さん御世話に成
        りました。ハワイで(石井さんの部屋)そうめん カレー 肉じゃがが食べれるとは
        思いませんでした。とっても美味しかったです。

        私はことしで10回目のハワイ出場でしたからもう卒業しようと思い参加しました
        が、あまりにも思い出深いものがあり、アイアンマンクラブの方達と又ハワイで合
        いたいと云う気持ちが日増しに高まり、来年はチェジュにでも行って権利が取れ
        たら今年のような雰囲気を味わいたいと思います。

        日本に帰ってからは反省ばかりしています。スイムから上がりバイクに乗るまで
        10分もかかったこと。バイクでもっと走れるのに人の後について前に出なかった
        こと。ランは歩きはしなかったが粘りの有るはしりをしないでゴール前で応援して
        くれてる方にタッチしながらゆっくり走り、50m手前で同じカテゴリーの人に抜か
        れたこと。もし来年参加する事が出来たならもっと真地面に走りたい。自分に甘
        い滝でした。反省!

    
        2007アイアンマン・ワールドチャンピオンシップ ハワイ!
        堀 陽子氏

        ハワイ島のコナにて毎年10月に行われるアイアンマン・ワールドチャンピオンシ
        ップは、今年29回目を迎え13日に行われました。私は今回で節目をつける為、
        この日のために出来る限りの全力を尽くしてきました。主人の直之のサポートで
        トレーニングを順調にこなし、体調も整い気力も充分でした。スタートを前にして、
        今までハワイに挑戦してきた想いを胸にこれで最後思いっ切り悔いの無いよう
        にレースしようと、そして今まで私の活動を支えてきてくれた家族やスポンサー
        の方々、友達、トライアスロン関係者の数々の方々への感謝の気持ちが込み上
        げてきました。そして、いつもわがままを言っても聞いてくれ、何かあったら助け
        てくれた最大の理解者の主人には、ここまで一緒に歩んできてくれて有難うと
        いう気持ちでスタートに向かいました。

        6時45分、プロスタートの号砲が鳴り、出遅れずに上手く集団に入れるよう泳い
        でいたつもりが、大きな集団の一番後方の男子プロ選手にやっとついていける
        状況で泳いでいました。しかし、少しずつ離れてしまい、とうとう一人で泳ぐ事に。
        もしかして最後尾かと不安になりながらも、折り返しが気になる頃に、後ろから
        来たプロ男子選手とその他女子選手に合流し、そのままその選手達と泳ぎスイ
        ムアップしました。タイムを見ると1時間8分後半。少なくとも5分以内では上がり
        たかったので、急いだのか、あまりにもウェアがピッタリして快適すぎたのか、T1
        ではゼッケンベルトをつけるだけと勘違いをし、レースウェアの上に着ていたス
        イムスーツ脱ぐのを忘れて走って行ってしまいました。途中で気がついて、『何を
        やっているんだ。冷静になれ』と自分に言い聞かせながらテントに戻り、脱いで
        すぐバイクラックへ。落ち着いてバイクを引いてゲートを出ました。
                         
        タイミングマットを過ぎて、よしこれから!とバイクに乗りました。その途端「バキ
        ッ」と大きな音が辺りに響き、その瞬間すごく嫌な気持ちに一転しました。『これ
        は、まさか、夢ではないか』昨年のスイムに引き続き、全く同じ気持ちが甦りま
        した。何かの間違いだと思い、恐る恐るバイクを降りてシートポストの下を見ま
        した。それは夢でもなく現実でした。『割れている!』とりあえずまだ諦めずに、
        バイクメカニックを呼んでもらうよう周りのスタッフに問いかけましたが、誰も反応
        が無く、ずっとそこで待っていても仕方が無いのでこのまま行ける所まで行くし
        かないと思い、先を進みました。しかし、やはりサドルは下がっているし走行中
        に完全に壊れて走行不可能になると思ったところにちょうどバイクマーシャルが
        居たので、メカニックを要請しました。結局、またトランジッションに戻り、一時は
        もうレース続行はできないかもしれないと言われましたが、しばらくしてメカニッ
        クが来てくれて、2人掛かりで試行錯誤しながらガムテープとストラップで応急処
        置してくれスタートすることができました。友人が一部のロスタイムを計ってくれ
        ていたので、全部で20〜25分くらいのロスタイムではないかと思います。待って
        いる間に、今までこの日のために費やしてきた事を考えると気持ちが切れ掛か
        りそうになりましたが、周囲の観客の人たちに励まされ、そして必死に作業をし
        てくれているメカニックの人たちの姿を見ながら、今までのトライアスロン競技で
        培ってきた精神を最後までしっかり貫き通すことが私の今日の仕事だと、順位
        やタイムではなく、今日のベストを尽くそうと気持ちを切り換え再スタートしまし
        た。バイク中は、サドルに負担がかかり過ぎないよう気をつけながら、メカニック
        の人のお陰で最後までトラブルなくランに繋げる事ができました。
                         
        ランに入ってからは、もう安心して走るだけです。あとは自分次第。中盤から後
        半にかけて脚も動かなくなってきて、エナジーラボを過ぎてからの最後の12km
        は脚が痛くなりエイドからエイドをやっと走っていましたが、最後は元気に走って
        ゴールできました。10時間30分58秒、プロ女子35位。みなさんのお陰でゴール
        出来た事、そしてトラブルがあったけど最後まできちんと走れた自分に安心して
        ハワイを最後にします。体力、気力共にまだやっていける自信も、今回のリベン
        ジもしたい気持ちも十分ありますが、もう今年で最後というのは決めていたので
        悔しいですが終わりとします。最大の目標だったハワイのトップ10は達成できま
        せんでしたが、今まで力になっていただき本当に有難うございました。
                         
        これからは、家庭の方にもう少し目を向けて、トライアスロンはその中でやって
        いける範囲で活動していきたいと思います。完全な引退ではないので、ハワイ
        は一時休養ということにしておいて下さい。そしてまた、落ち着いたところで第二
        の挑戦をしてみようと思います。45才まではプロとしてレースができればと思っ
        ているのですが・・・どうなるか分かりませんが、次の目標にします。そして、長
        年かけて自らでここまでやってきた経験をもとに、これからは指導の方にも力を
        入れていきますので、今後とも変わらぬお付き合いの程、宜しくお願い致します。
        また、今後のスケジュールに関しては随時ご連絡致します。

    
              来年もう一度挑戦!
        三森 隆久氏

        正直今年も勝って、5連覇を狙っていました。しかし2位。満足しながらも、ちょっ
        と悔しいという心境でした。

        私は初めてのハワイ参加の時から、レース前のコナの街の雰囲気が大好きで
        す。バイク練習の選手たち、走っている人、朝のスイム練習、談笑しながら歩い
        ている家族、友人たち、オープンデッキで語らうカップル等々、華やかな賑わい
        で何ともいえぬ緊張感や闘志を湧かせてくれるのです。

        今年も、空港からバスでコナの街に着くと、例年通りの賑わいを見せていました。
        『また、頑張るぞ』。レース前の練習は朝スイム、バイク、ランと順調にこなした。
        食欲もあり体調は良好のようです。

        レース当日の朝、ナンバリング、バイクの空気入れなども終了。スイム外側のス
        タート。全くバトルなく皆さんの優しいスタートに感謝。スイムは疲労感なくうまく
        泳げた。TIの真似事が効果あったかも。

        バイク。今回は山形県の強豪女子エージ小林恵さんを目標に、重いギアで走る
        練習をし、少し自信を持って臨んだはずでした。しかしです。ハイウェーに出て、
        向い風に出会うと『まだ5時間も…』と思うと情けなくもすぐに降参してしまいまし
        た。結局、立て直すことができず、6時間6分と予定を大幅にオーバー。生兵法は
        いけません。でも、後でよく吟味してみると、重いギアで乗り切る十分な練習は
        していなかったみたい。根拠のない自信でした。

        あとはラン。昨年1月来の右膝痛でしっかり走れず、ジョグだけの練習なので『最
        後の10キロを元気だったら頑張る』予定。太陽があった中でも風は涼しく、以外
        に暑さを感じず走りやすかった。『予定どおり』走っての2位でした。右膝も大事に
        至らず、うれしいゴールでした。

        さて、来年は30回記念大会。香川県の幸野選手に聞くと『雰囲気が少し違うし、
        レベルが上る』とのこと。『う〜ん、来年はどうしようかなあ?』終わって、帰国し、
        日が経つにつれて、もう1度チャレンジしたい気持ちがふつふつとたぎってきま
        す。妻に同意も取り、また来年もやります。マレーシアからハワイを狙います。

    
            初めてのアイアンマンハワイ!
         村中信一氏

        今年のアイアンマンjapanで運よくスロットを手に入れハワイを楽しみにしていま
        した。もともとロングにあまり参加していなかったので競技を良く知りません、そ
        こで一回経験をしてみたいとの思いから韓国のチェジュに申し込んで出場しまし
        た。恥ずかしながらそこでスイムはウエットスーツ禁止であることを初めて知り、
        バイクの右側通行を初めて経験し、バイクケースを使って初めて旅行しました。
        もちろんコリア大会の申込み、飛行機の予約は自分で行いましたが結構大変で
        した。ともあれコリア大会に出たことによっていろいろ経験ができ大変良かったと
        思った矢先、家から『父死す』の訃報が入り予定を変更して飛んで帰りました。
        それからは私事で恐縮ですが想像通り通夜、葬儀、諸手続き、遺産相続、葬儀
        の際のお礼、喪中はがき手配、香典返し手配、毎週法事、49日法事の手配等
        々の後処理が大変でした。又それらを行うためには会社を退職して実家に帰る
        必要があり、40年勤めた会社を退職致しました。退職のための手続きも多数発
        生してこれもたいへんでした。ハワイの準備は何もできず半分あきらめていまし
        たが、『とにかくハワイに行って見よう』の思いで法事を早めに済ませ出発準備
        に掛かりました。

        山口から岡山に移動して岡山空港を出発し、成田に着くとそれらしき人が見受
        けられてなんとなく安心し嬉しい気持ちになり、待合ロビーで見つけた河原プロ
        や前回エイジ優勝の三森さんなどとさっそく談笑しました。コナ空港に降りての第
        一印象はのんびりしている。すがすがしい気候とそれに迎えに来てくれた滝さん
        にびっくりしました。ホテルについてからはレースエントリーをしてバイクを組み立
        てていますと、今晩アイアンマンクラブ員で会食しようと話があり心ときめかせて
        出かけました。場所はエキスポ会場近くのレストラン・バーでいかにもアメリカら
        しい雰囲気のバーで大変楽しめました。メンバーは写真に写っていますが遠藤
        さん、冨田さん、山中さん夫妻、滝さん、汐本さん、石井さん、三森さん夫妻、山
        口さん、鶴川さん、村中の12名です。ここでの話のなかで思ったことはフィニッシ
        ュロードはたいへん感動すると聞いたのでとにかくゴールしてハワイの雰囲気を
        肌で感じよう、そして最終ランナーのゴール時の雰囲気はものすごいと聞いてい
        たので絶対見に行こうと心にきめました。次の日の昼食はバイクシーポチーム
        のメンバーとスパゲッティーを食べにいきました。メンバーは田中さん、プロのハ
        ンスGER、西内そしてラッセルUSA、山中夫妻、冨田、鶴川、石田(女)さん、村
        中です。いろいろ知り合いが増えて輪が広がる感じがして楽しくおいしく食べま
        した。夕食はカーボパーティーですが今泉奈緒美、塩野恵美プロと同席させても
        らいました。純アメリカ式パーティーは初めての経験です、最初にハワイらしいア
        トラクションがあってその後は名司会者とゲストのトークで盛りあがるといったス
        タイルでした。私は半分くらい英語が理解できますので一生懸命聞き入ってい
        ますと、周りのたくさんいる人たちも私語もなく全員話しを聞き入っている姿を見て
        関心していまいました。両足の無い有名な選手Scott Rigsbyのプロフィールが紹
        介され、その後本人が壇上に姿を見せた時全員立ち上がって敬意を表す(スタ
        ンディングオブベイション)なかなか日本では見られない光景です。何かアメリカ
        ンスプリットを見た気がして涙ぐんでしまいました。
 
        さてレース本番の日がやってきました。今回は練習不足のうえに体調も悪く風
        邪を引いて咳き込んでいたのでとにかくフィニッシュしよう、その為にはマイペー
        スを維持しなければならないと心に決めていました。いつもでしたら明るいうち
        にゴールできるのですが今回は夜光テープをいっぱい準備して望みました。ス
        イムは海がきれいで最高でした。透明度が良く海底も選手も良く見えてたいへ
        ん泳ぎやすかったです。ただし風邪を引いていたので海中で咳き込みながら泳
        ぐといったハンディーがありました。ともあれスイムが無事終わってバイクに移る
        と、あれほどたくさん置いてあったバイクの山がほとんど無くなっており予想はし
        ていましたがやはり皆早いなーと関心してしまいました。それでも私は私のマイ
        ペースの走りで景色を楽しみながら広い火山台地の道路を気持ちよく走ってお
        りますと、折り返し地点に近づくにつれだんだん風が強くなり遂にはまったく進ま
        なくなり大変な労力を費やしてしまいました。話には聞いていましたがこれほど
        とは思いませんでした。『今度来るときにはそれなりの準備をしてこよう』と自分
        に言い聞かせながら頑張りました。やっとの思いでランに移った時にはすでに太
        陽が沈む時間帯に入ろうとしていて人影もすくなく観客の声援『グッドジョブ・グッ
        ドジョブ』に応えながら走っていると道を間違えてゴール近くまで走ってしまうア
        クシデントがありました。気劣りなおしてコースにもどるとそこは大変きれいな海
        岸線、砂浜、海水浴場があり太陽がまさに沈むサンセットに入ろうとしていました。
        なんと綺麗な景色思わず手を合わせて拝んでしまいました。

        今日はちょうど父親の49日目にあたるのです。アイアンマンコリアからハワイま
        で49日間ありますが私はその間喪に服していたのだと親父を思い出し、親父が
        応援してくれているから今日は絶対完走はできるだろうと思いながらひたすらマ
        イペースで走っていますと、みるみるあたりが暗くなりそのうち真っ暗になってし
        まいました。道路に街灯は無いので車が来た時だけ明るく、いなくなると真っ暗
        になります。白線を目印に走り道路から落ちないように注意しました。とにかく走
        りにくかったです。ゴール近くなってコナの町に帰ってくると明るくなったうえにう
        わさ通りの観客が待ち受けており、たいへんな声援を戴きました。今までの疲れ
        はどこかへ行ってしまい笑顔一杯のフィニッシュをしました。体調が悪いのですぐ
        にホテルに帰りシャワー後に服を着替えて再びゴールのフィニッシュシーンを見
        に行くとゴール会場はたいへんな盛り上がりで感動しました。底抜けに明るい、
        派手でしかも思いやりのある応援です。これだけの声援をたくさんの人が遅くま
        でしてくれていることがあらためて分かり、ゴールしたときの自分はおとなしかっ
        たと反省しました。今度ゴールする時には皆にお礼のアピールかパーホーマンス
        をしたいと思っています。次の日アワードパーティーに出席するとカーボパーティ
        ー以上の演出で楽しめました。河原プロ、青木、宇津美、沼田親子、増田、宮田
        さんと同席しました。

        今回を振り返ってみると悪いながらも完走できたことによりすっきりした充実感
        のある思い出が出来てたいへん良かったと思っています。とにかくお金では買
        えない宝物をたくさん手に入れた感じです。レースの体験はもちろんのこと、あ
        ちらこちらで知り合った同じ趣味の友達がたくさんできましたし、熱狂的な応援に
        も触れ合うことが出来ました。又、いろいろな人たちの人生模様を抱えてのフィ
        ニッシュシーンを見ていると感動して涙ぐんでしまいました。これがトライアスロン
        の良いところで他ではなかなかまねの出来ないところでしょう。
        この感動を来年も是非参加して味わいたいと深く心に誓った次第です。

    
        2007年アイアンマンハワイ挑戦の想いで!
         山口 博氏

        昨年に引き続き2回目のHAWAII挑戦にワクワクしながら妻と二人で参加した。
        結果は12時間34分05秒,総合1306位,カテゴリー12位/39名中で2006
        年の12時間15分43秒を大きくオーバーした。しかし、どうにか歩かずに無事完
        走できたことで良しとしよう。

        スイムは集団より離れて泳いだのでバトルには合わなかったがかなり蛇行した
        気がした。ヘッドアップを始めスイムの基礎的練習の必要性を痛感した。バイク
        は前回と違いコースの概要が分かっていたので少し余裕を持って臨んだつもり
        であったが、向かい風の登り坂に勝てずバイク強化の課題をこれまた痛感した。
        ランの前半はまずまずの走りであったが後半急に失速、おり返し地点で夕日が
        沈み真っ暗ななかをどうにか歩かずにゴールにたどり着いた。集中力の必要性
        を痛感した。

        反省することの多い大会ではあったが良い経験となった。一つ一つの課題をク
        リアーできるように努力していきたい。

        石井会長をはじめJIC会員の皆さん、三森さん、鶴川さん達との交流で世界に挑
        戦する為の心得など学ぶことができ、今後の自分の糧としていきたい。

        トライアスロンは人生のライフスタイルのひとつであり夢と希望を持って多くの人
        々と出会い人生を豊かにできればと願っています。  


特集第八号(連載その

  
          2007トランスエゾ!
               (参考)トランスエゾとは北海道の宗谷岬〜襟裳岬片道約550kmを
                       14日間走り続け往復する超ウルトラマラソン大会のことです。

         

2007年11月30日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:奥 幸二

     その3で勇樹の転倒の話書いたけど、実は母親もTO襟裳初日に転倒しているがかすり
     傷。ただし国道側に倒れたらしいので大事にいたらずよかった。CWXは破けた。私も
     TO襟裳で1回大きな転倒。この時は頭と肩から突っ込むようにこけたのでヘルメット
     は何とか使える程度まで割れた。この時は脳震盪なのか、ずっとその後もまる1日頭の
     違和感に悩まされた。その3で書いた勇樹の転倒でもヘルメットはなんとか使えるレベ
     ルまでの割れ方。どちらのケースもヘルメットなしならもっとシリアスなダメージだっ
     たろう。勇樹はTO宗谷でもう1回ドカーンと放り出される転倒をしたがすり傷ですん
     でいる。トンネル内が濡れていたのだ。かように自転車には意外なリスクがあり油断禁
     物だ。ノーヘルメットでサイクリングしてる人たくさん見たが、避けるべきだろう。

     (無理してこけたのは勇樹の大転倒だけであるのだから。)


       地元の自動車はよく心得たもので反対車線に大きく迂回してまでリスクをかわしている。
     (こけてる時でなく真直ぐ走行できてる時でもそうしてくれる。)東京あたりから来て
     る車はこちらにとっては不親切そのもの。自分が北海道ドライブする時はそういう嫌な
     人にならないよう気をつけよう。富良野のステージでは私が途中で地図を落とす大失態。

     すぐに気づき道を戻ったが、これはもうダメかもと思われるシーンだった。前回地図チ
     ェックポイントまでの距離約1.5キロぐらい。勇樹が道路わきの草むらから発見して
     くれた。地図なしでは絶対にたどれないコース設定になっているのだ。ありがとう。

      この日アルティ仲間の若くて元気なN君が肩落とし恐らく心の中で泣いてるシーンを見
     る。間に合いそうもない時間と距離の中、富良野のきれいなお花畑に腰掛け遠くをうつ
     ろに見つめてました。彼もTO襟裳の元気な内は勇樹が母親を振り切る暴走をハードラ
     ンニングで止めてくれた。(道が間違っても行ってしまうのです。)気の毒でかける言
     葉もない。つぎつぎと仲間がリタイアしてゆくのを見るのはとてもつらい。旭川大学ゴ
     ールの夜、(この日の昼の熱波も強烈であった。)雑魚寝の大学体育館で勇樹を寝かし
     たが暑いヨーとうわごと言って苦しがる。
蚊も来るし当然扇風機もない。この時仲間
     のSさんが自分のアイシングの氷をくれ、いろいろ手当てもしてくれた。これで体を冷
     やしたり、タオルに水を含ませ体にはりつけたり、即席ウチワを作って夜中まであおい
     でやりかわす。この時はもうダメかと思った。翌日は3時スタートのため2時には起き
     るのだ。4時間も寝れたら上出来の日にみんなも寝なきゃー体がもつ訳がない。
うわ
     ごといわれるとみんなも寝れない。
確かに足だけでなく体じゅう熱を帯びてた。熱中症
     だったのだと思う。昼は子供は水分失い易いのでかなり私が気をつけてたのに。想定外
     の熱波としかいいようがない。


       手当ての為、自分もほとんど寝ることはできなかった。Sさんについてはどうでなくて
     も睡眠不足の連続と象足現象発生の中あんな事普通はできない。そのハートに感心しま
     した。立場が逆なら出来たかなと今も思う。100キロステージの日も勇樹の傷は癒え
     ず心配。腹の部分の化膿もある。塗り薬の抗生物質のおかげで悪化してないだけ。よく
     我慢している。おまけに前日の熱中症のダメージも心配である。100キロについては
     TO襟裳で私のコースミス誘導で95キロ以上走行した日もあり100キロという距離
     への不安は減っていた。この日昨夜氷をくれ深夜に手当てまでしてくれたSさんがモー
     レツな暑さのせいもあり悪戦苦闘されるのを何度も見る。完走を祈らずにはおれない。
     リタイアなら勇樹のせいもあると思わずにはおれない。Sさんは最終日まで耐え抜かれ
     その根性に感服しました。この日ぐらいになるとみんなのゴールを最後まで見届けると
     それだけでジーンとくるようになる。拍手でお迎えする。最終ランナーは2分ぐらい前
     に朝飯や氷をぶら下げてよれよれでやってくる。勇樹もこの日の完走で治しながら前進
     する自信を深めたようだ。TO宗谷では妻はわずかではあるが1日に25〜35キロを
     歩き走りし、残りは自力で交通機関探してゴールするという本来の姿を見せてくれた。

     走りなんてあまり経験ないだけにたったそれだけでも体力的には相当大変だったようだ。


       ところでTO宗谷では2つのステージで牧場主と農園主が忙しい中、一家総出でほんとに
     心のこもった私設エイドを(
TO襟裳でも1つある)してくれる。冷えたスイカ食べ放題
     とか手作りチーズとか冷えたトマト食べ放題である。アイスクリームもくれる。特設郵
     便局まで持ってきて無料で絵葉書を出してくれる。どんなに心がこもってるかは参加し
     なければ分からないと思う。リタイアした人をチーズ工場に案内し秘湯の温泉に連れて
     ったぐらいだ。もちろんゴールまで送り届けて!疲れ果てた頃この親切はハートにズシ
     ンとくる。宮本さんはエイドで号泣されたと聞く。地獄で仏の心境だったのだろう。

       なんでこんなに親切なのか普通の頭では理解できない。そういえばTO襟裳の私設エイ
     ド、ラム苑では7年前の私の悪戦苦闘を記憶されていて、お帰りなさいお久し振り奥幸
     二さんと1番大きく書いてくれていた。身障者みたいにヨレヨレの姿が目に焼きついて
     るという。事実この時は交通事故の身障者でした。息をするのも折れた肩の痛みで苦痛
     でした。手をテープで体に巻きつけミシュランのマークみたいでした。


       嬉しい限りでこれで奮い立たない訳はない。このゴールの時は制限時間ギリギリでクル
     ーもついに力尽きたかと心配し何度も様子を見にきてゴールの際は抱き合って泣いた。
     最後の数百メートルをガンバレとゴール後の皆が伴走までする。クルーが抱きついてく
     るのです。この時自分の走りでも人に感動を与えるのだという事を知りました。死力を
     つくすとはこういう事なんかとも思いました。世間一般の皆さん命懸けでとか簡単に言
     い過ぎと思う。死力を尽くすというのを体験せんから簡単に言うんだろうなー。農園の
     無人エイドも数回あったが有り難い。頭からかぶるだけで楽になる。北海道の野原の綺
     麗そうな水は北キツネの病原虫に汚染されているリスクが高く、飲めないのだ。これ飲
     んだら内臓喰い破られ大変な事になる。地下水でとして出てくるものは
OKらしい。


       最終日だけは私がランナーとなり妻に再度自転車で勇樹を伴走という本来の姿に12日
     ぶりに復帰。これは仲間の全員が気をきかし是非最終日のランを私とやりたいと言って
     くれたからである。勇樹にすべてを賭けてきたのをよく知ってるからだ。ところが慣れ
     ない妻は前日の最終ページの地図を持参忘れ!本日のだけでは行けない仕組みなのだ。
     緊急事態の電話があったがそれっきり妻の某S社の携帯はつながらない。しかもうろ覚
     えの道をたどってるのでどこにおるのか自分でもわからんという。コースどりは景色を
     楽しむのを配慮してマニアックなほとんど人、車も通らない道となっており、トレイル
     ランの林道みたいなところも通るのだ。おまけに勇樹が鼻血と下痢であるという。
     (後日知ったのだが鼻血は熱中症の症状の1つらしい。)相当逆走するが見つからない。
     そうこうするうちに自分の走力では完走できないかもと思える時間になり自分はゴール
     方向に向かう。今度こそここまできて最終日にリタイアかと天をあおいだがなんとかか
     んとか、クルーの捜索努力もあり58キロポイントで追いついてきた。必死にペダルこ
     いだようでかなりの登りを押さずにペダルこいで登ってきた。本当にヤキモキさせてく
     れるが、この時初めて勇樹の完走を確信したのだ。最終日のコースはエゾの集大成のよ
     うに美しい景色が玉手箱のように次々と現れてくる。浜辺の砂浜や林間、原生花園、
     海岸沿いの高台を走ったり素晴らしいコース設定になっている。(砂浜の中を走るので
     す。)丘の上に出ると残り500メートル。サハリン、利尻富士がかってないほどくっ
     きりと見えた。ついに勇樹と共にゴールを果たした。次々とランナーはゴール。みんな
     感動の渦で自分のゴールより嬉しい。みんな涙でくしゃくしゃの顔している。

                    
       どこにこんなに感動するレースがあるだろうか。どこに人のゴールでも泣けるレースが
     あるだろうか。それはみんな強烈な闘いをいっしょになって越えてきたからだ。その闘
     いをずっと見てきたからだ。若いW君は顔まで腫れて凄い顔になっている。足を引きず
     り限界を超えてきただろうその彼は人生最大の感動だといってまわりをはばからずに大
     泣きする。頼さんも私にとりすがって、あなたと息子さんと共に走れて最高でしたと涙
     をボロボロ流す。最終2日間は苦しまれた青木さんも昨年急死された走友への追悼ラン
     だったといって泣かれた。(急死の彼も昨年はエゾのアルティを完走されている。過労
     死だったらしい。)66歳であろうが70歳であろうが24歳であろうがみんな泣いて
     いる。
人のゴールが嬉しくもらい泣きしてしまう。北海道史上最高の37℃の熱波の中
     皆さん立派の一語。リタイアの人も死力をつくされたのを見届けました。勇樹のゴール
     はクルーの皆さん、私設エイドの皆さん、ランを共にした仲間のおかげと心より感謝し
     ている。宮本さんの伴走を1本のロープで15人がしたという。この時自分は勇樹達を
     捜しまわっていたが砂浜ではほんの20メートルほどロープを持たせていただいた。

     今回のエゾのネーミングを御園生さんはこのことから<絆>とされた。今回も多彩な人
     々が集った。素晴らしい機会を有り難うと御園生さんにもクルーにも参加者にもお伝え
     したい。帰りに3日間の寄り道した礼文島は想像をはるかに超える素晴らしいところだ
     ったと記しておきます。利尻より礼文がいいよとアドバイスしてくれたのは世界的ラン
     ナーの貝畑さんでした。(ランアクロスアメリカ、71日5000キロとユーラシア大
     陸ジャーニーランの完走者です。しかも女性。)ありがとう。
勇樹とは彼が20歳に
     なったら69歳の私と旅費を賭けてエゾの勝負をランでしようといってます。のうみそ
     さん大変だろうけど継続して下さいね。



特集第八号(連載その
                                     2007年11月17日

     襟裳岬を出発して百人浜まで日本離れした絶景の連続。ちなみにこの浜の名称はある藩
     の武士を乗せた船が漂着して飢えと寒さに苦しんでほとんどが死んだのを地元の人が石
     を置いて弔ったということから由来している。ここから黄金海岸を延々と走るが景色は
     最高である。黄金道路は名の通り黄金を並べたように金がかかったからである。今はこ
     こではちょっと不要なんでは?というトンネルも来る毎に増加している。宗谷への初日、
     通算8日目は最初の7日間と比べかなり暑いが順調に推移。この日は歴戦の方々はエゾ
     はこれぐらい暑くなきゃーエゾらしくないよねー、と余裕であった。こちらもコンブ乾
     しの人といろいろ話す余裕でコンブをもらう。

                        
     
日高山脈、狩勝峠越えは自転車には厳しかったがアスファルトなのでまだまし。それで
     も2人とも、ほとんどを立ちこぎで峠まで行ける元気があった。峠ではランナーはコー
     ラかビール飲んでお終いだけど、子供用自転車の平均進行速度は時速10キロであるこ
     とがはっきりしてきた。(ロードバイクならゆっくりしても20キロは出るだろうけど
     子供用は平均にすれば10キロしか出ない。)峠で写真撮ったり景色の鑑賞したり狩勝
     そばもいただく余裕。今日は更に一段と暑いので子供の熱中症予防の為にも十分休息を
     取る。


       そのずっと先のスイカ峠は午後2時半までに入らないと熊が出るのでリタイア扱いとな
     る。途中の駅前の田舎雑貨店はリタイアには好都合な場所2箇所の内の1つ。この雑貨
     店はここでは百貨店と称しているのだ。駅前って言っても都会とは違い、この店以外何
     も無いのである。ここに視覚障害の宮本さんと貝畑さんが列車待ちしておられた。
     (列車はめったに来ない。)この厳しいレースを全盲でもチャレンジされ、またその伴
     走をされるのに敬意を表したい。お二人とも逆に私等によく気を使って下さりアイスキ
     ャンディまでいただく。宮本さん喘息が出てきてピンチだったのだ。
蛸ねえさんも暑
     さのせいか胃が何も受け付けずここでリタイア。普段は豪快で鳴らす蛸ねえさんにして
     これだからいかなる暑さか想像がつくというものだ。

     
ちなみに私の携帯用温度計は40℃をオーバーしていた。太陽を浴びるともっと暑いの
     だ。
まさにサウナ風呂内でのランニング状態となった。給水ポイントは意外にないの
     だ。だから多目に持って走るので余計に消耗するのだ。この暑さでは頭からかぶる水も
     必要。皆さん氷を買って袋を巧みに頭や首、背中に巻きつけられてました。スイカ峠入
     り口はギリギリ2時10分通過。あまりの暑さで間に合いそうにないランナーもいる。
     しかしアッシー、徹ちゃん、ナミさんは強い!(同じ日に萩の250キロと70キロを
     やるサイボーグみたいな人)底なしの強さと実感!


       しかしさすがにこの暑さには閉口している。長老の髭カクさん、青木さん(サロマ年代
     別チャンプ)、頼さんも強い!女王の中村さんも強い!サハラの王者I君も強いがダメ
     ージがかなりあるようだ。坪内さんもいい試合運び。Y本さんはかなりのダメージに耐
     えている。弟の兄さん、あんころさんも苦戦しながらも頑張っている。藤井さんもサブ
     伴走として頑張っている。まさにサバイバルになってきた。スイカ峠は熊もさることな
     がら異常気象のせいかアブが大量異常発生しており、自転車こいでもタイツや服の上か
     らドンドン刺してくる。たった3〜4センチの同じ部位に同時に3匹4匹が吸い付くの
     だ。こいつに刺されると蚊と違って跡が腫れて数日は辛いのだ。

     
この峠は通行の少ない砂利道なんで、重すぎる特殊ママチャリは乗って通過できない。
     乗るとパンクするからだ。パンクはそのままリタイアの危機だ。従って押して歩くのだ
     が、当然普通の歩きより遅い。アブが何十匹とまとわりつくインディアン風襲撃はすさ
     まじく、熊がいるから離れるなというのを無視し(熊も恐がってたのに)勇樹は悲鳴を
     上げて私をほったらかして自転車で逃亡。(勇樹はものすごい虫嫌いなんである。まし
     てアブの猛烈な襲撃だ。後で熊よりアブの方が恐いと云ってた。)払いのけてもたたき
     つぶしても次から次へと波状攻撃してくる。こちらは自転車押すしかないので勇樹を追
     いかけたいのを辛抱する。やっとこさで麓の舗装道路に出ると勇樹が幽霊みたいにボー
     ゼンと自転車放り出し立つている。


     
そういえば途中にペットボトル2本などが散乱していた。落ちても拾いに戻る子なのに
     どうしたのかと思っていた。オックスフォード生地の頑丈な服がズタズタに腕やお腹部
     他が大きく破け血だらけ。足はハーフタイツだったので土や小粒の砂を刷り込んだかの
     ように無数の傷の中に入り込んでいる。右腕付け根の肋骨の皮の上も相当なダメージ。
     腹部も青じみ結構出血。特に肋骨は少し押すだけでモーレツに痛がる。ヒビぐらいは入
     ったかと思わせるレベル。そこも内出血。(私も過去2度自転車で肋骨折ってる。)口
     からも血を流し口腔内を切っている。首からぶら下げてた布製ペットボトルケースもズ
     タズタになった。自転車も変速機等にダメージ。なんとか直る。アブから逃れるのに転
     倒ポイントから遠くまで自転車を引きずってきたのだ。恐さのなせる火事場のバカ力だ。
     これが母親の伴走ならここでリタイアになったかもしれないなと、今冷静に振り返れる。


     
勇樹にどうだまだ行けるかと話しかけると、ボーゼンとしながらもゴールしたいんだと
     いうではないか。しかも泣いていない。1リットルほどの清水で傷口を洗い、土を爪で
     ほじくり出し(痛かったろうなー。)救急用イソジンで消毒。ティッシュとキネシオテ
     ープで傷口を保護する。勇樹のファイティングスピリットでピンチをかわす。途中何度
     もアチコチ痛がって小休憩しながらヨレヨレでゴール。このファイトには私も心底感動
     した。TO襟裳3日目には些細な事でもうリタイアしたいよう、と云った同じ子供とは
     とても思えないのだった。私が無理やり引っ張って行こうとしたのでなく、勇樹がただ
     ひたすらゴールしたいという想いを持ち続けたのだ。これは皆さんが猛暑の中、いかに
     悪戦苦闘してるかを嫌でも観察せざるを得なかったからだろう。この日はかくしてリタ
     イアの最大のピンチを脱したのだった。
ほとんどのランナーも今日のダメージは大き
     い。みんなボクシングでいえばカウント8のダウン次の回はノックアウトのピンチだっ
     た。



特集第八号(連載その

                                     2007年11月6日 

       2007トランスエゾ「ジャーニラン」が何かよくわからんという方に少し説明。
       通常は考えられない距離を走り(部分歩きもOK)で行くもので25000分の1の地
      図で途中のチェックポイントを通過する。ゴールでの制限時間は当然ある。1週間ある
      いは2週間の分の衣服や医療品をリュックに背負い食料や水もすべて背負うかコンビニ
      で買う。コンビニは北海道では見つからない所も多々あり夜飯と翌日の朝飯と水を背負
      って10キロ以上走ることもある。


       エゾでは水が30キロの間、入手できない区間もあり、汗かきの私の場合この区間は5
     00ミリのペットボトル最低6本は携行する。天候次第では更に必要だ。この荷物が大
     敵でありスピードは出なくなる。絶えず地図チェックで立ち止まり確認が必要。コース
     ミスはよくあり、これが大変なロスタイムとなる。自分の位置が地図上で分からない場
     合は大変なピンチで土地の人に聞いても国土地理院の地図ではまず分かってくれない。
     2時間以上ロスするとパニックになる。エイドは基本的にはないが気まぐれに1日に1
     回〜3回程度ある。もらえるのは水分のみと考えておく。期待しては計算ができない。

     ゆっくりでよいから誰でも1日や2日は完走できるが日を追うに従って足は腫れてくる
     しダメージはジワジワくる。足が腫れすぎて靴が履けずに靴も靴下もハサミで切る人も
     出てくる。5日目ぐらいで半分程度の人がダメになる。宮古島100キロをダブルで2
     日連続完走した人でも5日目ぐらいでリタイアする。2日なら多くの人は我慢できる。
     14日間はきつい。距離は1日平均80キロぐらいか。ゴール後もミーティングや食事、
     風呂、体の手当て、洗濯、アイシングで時間は結構かかり朝もテーピングなどの準備で
     時間はかかる。

     従って日を追うに従い激しい睡眠不足に襲われる。しかし苦痛以上に楽しいことはいろ
     いろある。職場などの嫌なことは全て忘れる事ができると皆が云っているぐらいだ。苦
     しいだけではお金と暇を使って7度も行く人はいない。そこには虜になる感動がある。
     エゾのジャーニーランの障害の1つは暑さである。特に本年は「夜叉が池」並の暑さが
     続いた。ここは身体能力が高いだけでは完走できない。むしろ身体能力高すぎる人は故
     障しやすいのでリタイア率も高くなってしまう。そんなバカナと思われるだろうが事実
     である。

     最後は精神力の闘いとなる。ひどい豆はどうやってかわすか、(今回も足の裏半分が豆
     になり皮を医者に切除された人もいた。足の裏の皮が全部無くなっても走ったのは、ア
     メリカ横断時の海宝氏で歯を食いしばりすぎて奥歯6本も無くなったのは有名な話。)
     暑さをどうかわすか、荷物をいかに減らすか等、経験が非常にものをいう世界である。
     なお今回は参加しなくてもわざわざ東京からいても立ってもおれず2日程度の応援に駆
     けつけたエゾOBランナーが3人もいました。これほど中毒性のあるものらしい。


特集第八号(連載その1

                                     2007年10月15日 

      楽しくもあり、厳しくもあった1100キロが終わり、皆とお別れしてからも礼文島の
     お花巡りハイキングを3日楽しんで帰着した。行きから台風の動向にやきもきしたが、
     このお盆シーズン中はなるようにしかならんと予定通りでなんとか到着した。頼さんな
     んか更に2日も前に入ってエゾに備えていた。自分だけたどり着いたが誰も来なかった
     らどうなるんだろうという笑わせるコメントが前夜祭であったが、その執着心に脱帽。

        
前夜祭のバーベキューなどは雰囲気盛り上げとてもよかった。
もちろんバーベキューの
     前にも宗谷岬の海鮮丼を出してもらっている。これらはすべて参加費に含まれており参
     加費はリーズナブルである。このバーベキューは宗谷岬を眺めながら海産物も肉も食い
     放題である。かなり酔ったころ丁度お休み時間となる。
                
     
初日と2日目は天候も過ごしやすく走りやすい環境だった。おかげで楽に走れた。やは
     りエゾの大地を走るのは格別のものがある。何度走っても飽きない。大半は顔見知りの
     ランナーだけど新しい人とお知り合いになれるのも楽しみの1つだ。
初参加の人は国土
     地理院の25000分の1の地図の細部を読み慣れておらず、第1チェックポイントで
     早くもコースアウトしている。北海道は目標となるものが少なすぎてコースミスするの
     だ。岬からしばらく高台を抜けてまた海にでるがこの間のコースはオープニングにふさ
     わしい素晴らしい景色だ。牛の放牧もしており、牛に話しかけると一斉にこちらを見つ
     め何してんだろうと、ずっとこちらを見つめ返す。エゾ鹿にも出会う。モグラにも出会う。


      
髭カクさん年なのに強い!カクさんの後ろにいる方が無難。69歳であれでは人間離れ
     している。ちなみにカクさんは昨年のアルティ11日目に致命的なコースアウトでリタ
     イアしている。地図さえ間違えなかったら完走間違いない走りだ。走りが少し分かる人
     は一目みたらカクさんの力がわかるだろう。
70歳の睦さんも素晴らしい走りだ。
     
1日目の我が家ファミリーの自転車はスタートを遅らせ過ぎたせいもあり節度時間ギリ
     ギリ3分前ぐらいでごやっとこさゴール。ヤキモキしてお迎えに逆走したぐらいだ。
     強い逆風でスピードが全然出ないとの弁解。おまけに荷物が荷台から何度も滑り落ち困
     っていたらしい。この日は牧場主がスイカと水のエイド。この人は元ランナー。1日目
     私は自重したがカクさんに次いで3位ゴール。カクさんはエゾの女王N村さんと同時1
     位ゴール。もっともっと自重しないとマズイ。


       自転車は2日目も意外に遅いゴール。なんでランの私を追い越してゆけないのかと不思
     議であった。しかし、もうこの日あたりで妻が10才の子供についてゆけない事態も発
     生。異変はこの日に発生していた。妻の太もも部にリング状の水ぶくれ。(自転車タイ
     ツの衣料障害)私ならあの程度の異変でも継続するけど、経験0に等しい人間には十分
     リタイアの原因となる。ケロイド状のひどい火傷のようになっている。これを作った某
     社には恨み骨髄である。(後日非を認め侘びにこられたが割り切れない思いはまだ残っ
     ている。今も傷跡は残っている。)


       今後どのように3人がレースを続行するか議論し私が妻の自転車に乗りなんとか勇樹を
     自転車で完走させたいということになった。このレースではこういう事態になっても1
     台自転車を車に載せてほしいとかいった甘えは許されない。勇樹が1人で自転車でコー
     スをたどるのは危険すぎる。大人でもコースアウトは頻繁に発生してるし交通が危険な
     所もある。変な所で迷えば探す側もどこなのか見当がつかないし、本人もどうしてよい
     か判らないはずだ。これが12日目とかならなんとしても自分の完走を第一にしたろう
     が、わずか2日目終了時点では3人の幸せは何かという点から結論はすぐに出た。

      
しかしやっぱり自分としては無念そのもの。体力はちゃんと14日分持ってきたつもり
     だ。昔の完走はつらい交通事故後遺障害を背負って直後のものであり(片手が神経麻痺
     で全く肩から先が動かない上、肩甲骨が折れたまま。)他も足首骨折後わずか7ヶ月で
     ボルト入れたままの時のものとか3度共まともじゃーない。今回は長年待ちに待ったチ
     ャンスでもあり、調子もよかっただけにその残念さはしばらく尾を引いた。
3日目から
     は妻は怪我もあるので臨時エイド。主催者がこちらの心情を読み取ってくれたからと感
     謝している。足がダルイとか痛いという普通のリタイアはエイドカーに乗るのも禁止で、
     自力で1日に3本しかないバスに乗ってでもたどり着かねばならないのだ。これは子連
     れで大変なピンチに陥った私への救済策だったと思う。事実私は途方に暮れていたが勇
     樹だけを私がなんとかゴールさせるなら可能と考えた。


      
こうして勇樹との2人での自転車縦断が始まった。TO襟裳は晴天には恵まれなかったが、
     ランナーには最高のコンディション。3日目は少し嫌がる場面もあったが日を追う毎に
     強くなり弱音も吐かなくなった。小学2年の時買った子供マウンテンバイクなので車輪
     のインチ口径が小さくてスピードも出ない。途中ママチャリが1回パンクしたが自分の
     パンク修理では手に負えないレベル。ミニバーストに近いパンク。夜に直しておいても
     う大丈夫と思ってたら朝には抜けてたのだ。レース用バイクじゃーあるまいし予備チュ
     ーブ持参が必要とは考えていなかった。午前5時ごろから途方に暮れる。早朝6時30
     分にもかかわらずホテル従業員の手配で町の自転車屋さんがトラックで引き取り修理し
     て再度届けてくれた。なんという親切なのだろう。わが町でこんな親切なホテルマンと
     自転車屋がいるだろうか。子供の勇樹のこのチャレンジにかの地の住人も心を動かされ
     ていたのだ。

     
この日も節度時間は無理かと腹くくりかけたが勇樹の頑張りで十分間に合った。電動マ
     マチャリはあまり役に立たない。バッテリーはすぐダメになるし重い!進まない!おま
     けに荷物が多すぎる!20インチの為、2年生時の子供自転車についてゆくのが結構し
     んどい。どんなにペダルこいでも時速18キロでリミッターが働く。妻が音を上げたの
     もまあ仕方ないか。あれは街乗り、かつ、5〜6キロのちょい乗りの自転車であり11
     00キロ縦断に向くものではないのを思い知った。大人用かつ婦人用マウンテンバイク
     の方がよい。電動は妻が子供の伴走するのに逆に面倒見られる方になっては大変と稚内
     で買ったものだ。内陸部を抜け海岸線に再び出る時は誰しもが感動する。競走馬の牧場
     を幾つも通り抜けるルートどりは見事だ。昔のルートから進化している。その代わりに
     国道ならアップダウン無いのに丘の上に上がったり下がったり、かなり遠回りもする。
     北海道でしか出会えない風景の連続だ。

                     
       馬が寄ってきて低い柵越しに頭なでさせてくれる。草をやると食べてくれる。ペンショ
     ンでは焼肉とたらばガニそして工場直送サッポロ生ビールの飲み放題。たらば蟹は水産
     問屋勤務の某氏の差し入れ。しかも喰いきれない量である。浦河では船乗りがその日の
     ビールなど全てのアルコールを全員分差し入れ。(毎年やってくれる)しかもホテルの
     ビールだから相当なものだ。エゾではいろんな人の差し入れに遭遇しその善意のスケー
     ルの大きさに驚かされる。自分がどこかでたまにする差し入れなんてここでは恥ずかし
     い限りである。なんで人はここまで良い人になれるんだろうとここでは何度も思う。
     ペンションでは6杯飲んだ。某
K氏にはお叱り受けるだろうが昼間にはせっせと4本は
     飲んでいる。アルティランナーを続ければもう少し自制心も効くが糸の切れた凧状態に
     なってしまっている。ラーメン龍覚のゴールではこれまたバーベキューとビール飲み放
     題。ここのキムチラーメンは絶品だ。もともと
TO襟裳はややもするとグルメジャーニー
     ランになりがちなのにもう毎日宴会モード。これらは前述の通り参加費で賄われている。
     襟裳岬ゴールへの景色もよい。ゴール後の宴会もとてもよい。妻はエイドするのも結構
     厳しいもんだと感心していた。そりゃーそうだろう。午前3時4時スタートに対してそ
     の前から準備も必要だし皆のゴール後も何かとあるのだ。このレースの大変さも少しわ
     かったことでまあよしとしよう。勇樹の体と根性が出来るまで
TO襟裳では気象条件が
      よかったのがとても良かった。これが先にあの猛暑が来てたらと思うとぞっとする。

        TO
宗谷は続編で掲載するがとても厳しいものになった。
     (大会開催日:2007・8・4〜18)