投稿第三十九号

        今年は本当に地獄!『片鉄ロマン街道合宿』
                   

   2006年4月13日
 芦屋浜アスリートクラブ
  岡山支部長中 典生氏

         暑さのため距離を多く走ることができず、毎月第1日曜日に終点吉ヶ原駅で催され
         るイベントに日程を合わせたこともあり、地獄の合宿に出掛けたつもりが鍛えられ
         たのは胃袋だけ
...。夏真っ盛りの昨年8月、『AAC片鉄ロマン街道合宿』は、合宿
         とは名ばかり?の楽しい観光グルメ旅行として、面白おかしく始まりました。

         2回となる今年は、昨年の苦〜い教訓を踏まえ、大会ラッシュも一段落する3
         末に時期を替えて、名実ともに合宿らしくじっくり走り込めるようセッティングしました。


         初日は雲一つない快晴と乾いた空気に恵まれて、10km地点の和気鵜飼谷から
         
0km地点備前片上までの往復20kmを気持ちよく走り抜け、私行きつけの『オム
         ライスの店』でちょっと遅めの昼ご飯。その後皆で買い揃えた食材で大芦高原バン
         ガローに乗り込み、最高の温泉と最高の晩ご飯にあずかることができました。


         実はこの時点では、『今日は20km走れたけぇ、明日は10kmそこらをのんびりや
         って残りの時間で遊んで帰りゃぁええがぁ(岡山弁)』などと考えていたのですが、
         あまりに楽しい
1日だったところへお酒の勢いも手伝って、知らないうちに全会一
         致で『明日は吉ヶ原往復/全コース完走』へ、少々変更?されていました。


         翌日、脚に自信のないメンバーはペアを組んで1台の自転車を借り、適当に交代
         しながら走るという方法で、再び和気鵜飼谷をスタート。今度は北へ
24.2km先の
         終点、吉ヶ原駅を目指します。しかし、前日に
20km走っていることもあって(且つ
         夜更けまで盛り上がったこともあって)、なかなか思うように前へ進めません。だん
         だん皆さんの口数が少なくなっていきます(笑)。


         吉ヶ原に着いても、皆さんの表情は既に心ここにあらず、『早く和気に戻らなけれ
         ば』という悲壮感に近いものが漂っており、最後に着いたペアは昔のままに保存さ
         れた旧鉄道駅の旅情を味わう暇もなく、そそくさと折り返すことに。結局、予定を
1
         時間オーバーし、どうにか全員生きて和気に帰ってくることができました。


         このとき某添乗員は花粉症による走り込み不足で完全に『抜け殻』となってしまい、
         非常〜に不機嫌だったのですが、芦屋と福井から遠路来てくださった皆さんはそ
         れでも満足げな表情をしていただき、鵜飼谷温泉でしばし羽を休めてそれぞれの
         帰路に就かれました。


         初回は遊び過ぎ、2回目は超ストイックと、何とも両極端な結果に終わった『AAC
         片鉄ロマン街道合宿』。

         今後の行く末を決めるのは、来年お越しいただける『あなた』です!
         和気町在住、『現地集合・現地解散』の某添乗員(それは添乗員たぁ言わんじゃ
         ろ?)が、あなた様のお越しを心よりお待ちしております。

         
蛇足ですが、某添乗員の普段のしゃべくりはコテコテの関西弁ですので悪しからず。
         (実施日:3月25日〜26日)


         追伸:本当はこんな桜風景を見ていただきたかった!!(4/8撮影)

投稿第三十八号

    強い思い入れのある第26回篠山ABCマラソン大会完走記

            

   2006年3月23日
 芦屋浜アスリートクラブ
    会員太田 貴庸氏

         私にとって、篠山マラソンは非常に思い入れのある大会であり、今大会を目標に
         大分前から練習や調整をやってきました。その結果、ネットタイム3時間36分02
         秒と自己新記録を達成することができました。その過程をお伝えしたいと思います。

                                                                       
         【走りだしたのは】 
         私が走りだしたのが3年ほど前の2003年初夏ごろでした。マラソンが活発で多く
         のフルマラソン完走者を輩出した職場に配属になり、私も走ってみることにしまし
          た。電車賃を浮かせるため、長距離を歩くことを得意としていた私ですが、走った
          ことなどほとんどなく、高校のマラソン大会でも、『なんでこんなことしなくてはいけ
          ないのか』と、走るのを放棄して歩いてるぐらいでした。それにもかかわらず、フル
         マラソンを完走してみたいという思いはもっていたので、そのきっかけができたと
          いうわけです。
                                                                      
         【福知山の屈辱と篠山の涙】
         '03福知山マラソン '04篠山マラソンまずは、'03年11月の福知山マラソンで初
         のフルマラソンに挑戦しました。初マラソン完走後は涙が出てくると先輩方が言う
         ので、私も完走後は感動してわんわん泣いてやろうと期待して挑みました。
         初のマラソンだからゆっくり目のペースを終始保てとのアドバイスをもらったのです
         が、私は折り返し地点後、これならいけると色気を出し、スピードを上げてしまいま
         した。すると30キロ過ぎあたりで、まさに言葉通り足が棒になってしまい、思うよう
         に動けなくなりました。
         それ以降は歩くよりも遅いスピードでだましだま し、進んでいくことにしました。後続
         のランナーに次々に追い抜かされていかれる屈辱 は言い表し様のないほどです。
         1000人以上は抜かされたでしょうか。         
         初のフルマラソンをネットタイム4時間09分でゴールした瞬間、感動などなく、失敗
         してしまったという自責の念にさいなまれました。しかし、ペースを守って走っていた
         としても、走りだして半年ほどの私にこれ以上のいい結果がだせていたのか、今で
         もわかりません。
                                                                     

         次に挑戦したのが、半年後の'04年3月篠山マラソンでした。福知山後は淀川沿い
         を20キロ走る練習を始め、1月にハーフマラソンに1度出場してから篠山に挑みま
         した。4時間を切ることと福知山のようにはならず最後まで走りきることを目標にか
         かげました。
          するとなんでしょか、自分に神がかりが起きたのか、スピードも落ちることなく、ネッ
         トタイム3時間43分でゴールすることができました。ゴール後、トイレでおしっこをし
         ようとしたら尿ではなく目から涙がとめどもなく流れてきたのです。
         うれしいから、達成感にひたれたからなどの言葉で説明できるものではない、何か
         がこの涙の意味するところであったと思います。このような涙はこれまで経験したこ
         とはなく、その後のマラソンにおいてどんなに満足のいく走りができたとしても流れ
         ることはありませんでした。
                                                                     
         【失速の篠山】 
         '05篠山マラソン、栄光の篠山から1年、自己記録更新で、あの感動をもう一度、と
         意気込んで臨んだ、'05年篠山マラソン。スタートして15キロ過ぎあたりで、体が
         動かなくなり、スピードは減速していき、とうとう歩く速さよりも遅くなってしまいまし
         た。ゴールはできたものの、新記録達成どころか、制限時間に近い、4時間38分か
         かってしまいました。風邪をひいた状態でレースにでたのが主な原因だと思われま
         す。また、この大会に至る、1年間続けざまにレースに出場したことも、この失速の
         ひとつの要因でもあると考えられます。
         私は、'04年9月の京丹後ウルトラマラソンで100キロを走ったのをかわきりに、淀
         川市民マラソン、那覇マラソン、館山若潮マラソンと続けてフルマラソンを走りました。
         この一連のマラソンでは自己記録を更新することはなく、記録をねらった篠山にお
         いても上記のような結果になってしまいました。

                                                                     
         【篠山よ、再び】 
         '06篠山マラソン、'05年の失敗はするまいと私は考え、1年間全く、フルマラソンを
         走らないことにしました。その替わり、この1年間にしまなみ海道遠足と四万十川ウ
         ルトラマラソンの二つの100キロマラソンを走りました。思うに、ウルトラマラソンより
         フルマラソンの方がはるかに苦しく、ダメージも大きいものでしょう。と言うのは、ウ
         ルトラマラソンは100キロをスピードを出して完走することは不可能であり、ある程
         度ゆっくり、時には立ち止まって走りきるものであります。
         その一方、フルマラソンは42.195キロを私のような素人でも、ある一定のスピー
         ドを保ちつつ、立ち止まることなく、走りつづけることができますが、そのためには
         人間の持てる力の限界まで駆使しなくてはなりません。ハーフマラソンはスピード
         を上げるが耐え忍ぶ時間が短く、ウルトラマラソンは長時間だけど、終始余裕をもっ
         て走りつづけるので、どちらも走りやすいものです。
          しかし、フルマラソンはスピードも持久力も必要とするので、マラソンの中で一番し
         んどいものだと思います。このように人間の限界の力を発揮させるフルマラソンで
         新記録をねらうには、他のフルマラソン出場をほどほどにし、目標のレースだけ出
         場するべきだと結論付けて、この1年間フルマラソン出場を自重してきました。
          事実、'04年篠山マラソンは走りだして1年がたっていないにもかかわらず、半年
         ぶりのフルマラソン出場で自己記録の3時間43分を達成しているのです。それか
         ら2年、走行距離はのびているのに、その記録を更新することなく今回の篠山マラ
         ソンに挑むことになりました。
                                                                     

         '06年3月5日午前11時、篠山城をスタート。昨年のように風邪をひかずにむかえ
         ることができましたが、最初の5キロにていまひとつ調子が上がらない。またもや、
         15キロぐらいで体が動かなくなってしまうのかと不安にかられましたが、その心配
         はなく、中間地点を1時間45分00秒で通過することができました。もしかして、3時
         間30分をきることができるかもと期待してしまいましたが、前半よりもタイムは落ち
         て、結局ネットタイム3時間36分02秒でゴールしました。
          2年越しの自己記録更新で喜ばしいことですが、なにか地味なタイムだなあとやや
         満足にかけるものがありました。欲をいえば3時間33分ぐらいでゴールしてみたか
         ったです。この日において、自分の一番速く走れるタイムで走りきることはできたの
         ですが、何かまだ自分にはもっと速く走れるものがひそんでいるなあと思われます。 
         当日の環境は、気温も10度は超えていて暑く、向かい風に道中を阻まれてしまい
         ました。また、28キロ地点でずっと我慢していたおしっこを立ち止まってしてしまい、
         1分間ほどロスしてしまいました。我慢せず走りきったほうがよかったのか、1分間
         の休息効果となったのか、どちらがよりタイムを縮めることになったのか今でもわか
         りません。
                                                                     
         【これからは】
         2年間かけてようやく7分タイム縮めることができましたが、3年ほど走り続けて3時
         間36分ではサブスリーや3時間15分をきることは不可能でしょう。走ることが好き
         になってしまった私は、もちろんフルマラソンでより速いタイムを更新していきたいと
         望みます。
          しかしそれよりも、日本各地で行われているウルトラマラソンや海外のマラソンに
         より多く参加していくことが私の願望であります。私は走ることだけではなく、何ぶん
         にもスピードはありませんが、持久力にはたけたものを持っていると自負しておりま
         す。以上、長文となってしまいましたが、篠山マラソンに対する私の思いを書かさせ
         ていただきました。
      (大会開催日:2006年3月5日) 

投稿第三十七号

     第9回ソウル国際市民マラソン大会に参加/85歳完歩


            

   2006年3月12日
 芦屋浜アスリートクラブ
   名誉会員久保 進氏

        平成18年3月5日(日)当日は珍しく素晴らしい天候に恵まれ、フル・ハーフ・12km・
        6kmの4種目別、何れも時間制限なしで挙行され約1万人が参加しました。

        今回はアシアナ航空大阪支店が中心となり新しい方々の参加ツアーとなりましたが、
        同社大阪支店長梁(ヤン)様が営業もかねて大会を盛り上げてくれました。私は例
        年通りフル完走最高齢者に該当し、出発前から関係者皆様方からの温かい激励・
        サポートを受けながら終始楽しいレースとなりました。
        先ずアシアナ航空往復とも支店長のご好意で、ビジネスクラスに搭乗させていただき、
        荷物は走友の皆様が持ってくれました。

        30kmでスタミナ切れ残りは完歩で9時間12分でしたが、途中大会役員のお出迎
        えがあり、賑やかなゴールインでした。頂戴した大カップは大きな帰路の荷物となり
        ましたが、皆様方好意のリレーで他人様に持って戴きただただ恐縮です。

        以前韓国では歓待されましたが、日本人は余り関心を持ってくれませんでした。
        今回はアシアナ航空のご配慮で日本・韓国双方より格別の待遇を戴き、ただただ
        感激しております。
        来年は第10回記念大会で、更にさらに盛り上がる大会となりましょう!
         (大会開催日:2006年3月5日)

投稿第三十六号

         第26回篠山ABCマラソン大会に参加

            

   2006年3月12日
 芦屋浜アスリートクラブ
   会員広井 泰二氏

         早春恒例の篠山ABCマラソン大会が、35日午前10時スタ−トをきった。
          芦屋浜ACから7名の参加で健脚を争った。
       私のレ−スは、
10kmまでは順調なすべりだし、自己新記録も可能かも、そんな
        思いで、レ―スは進んだ。


           
24kmの猪汁で2分ほどロス、だんだん足がおもくなりスぺピ―ドはダウン、
           32
kmの猪汁で又2分ほどロス、そうして35kmで今池さんに抜かされてしまい
       
3時間40分程でゴ―ルができました。

           
2月の泉州マラソンでは、3時間34分だったのに今回は40分少し、残念ではあるが
       又練習を積んで秋のフルマラソンに挑戦するぞ!!!

           芦屋浜AC会員も一人一人思い出に残るレ―スであったと思います。
       参加された皆様本当にお疲れ様でした。

       (大会開催日:2006年3月5日)

投稿第三十五号

   ペースメーカーでソウル国際市民マラソン大会を走ってきました

            



   2006年3月10日
 芦屋浜アスリートクラブ
   会員城 佳子氏

        (1)我が芦屋浜ACの誇る 久保 進氏
        3/1夕刊の日本経済新聞のシニアのセクションに久保氏のランニングライフに関す
        るも記事が掲載されておられましたが、ご覧になりましたか?
        ソウルでもヨン様か久保氏か、というぐらいどこにでも人垣ができ、みなさんから尊敬
        の熱いまなざしを集めておられました。ソウルマラソンでは最高齢85歳でのフルマラ
        ソン完走です。レース直前にも「今回の最高齢は85歳の久保進先生です。」と韓国
        語、日本語、英語の三か国語でアナウンスがあり、スタート地点は割れんばかりの
        拍手に包まれました。久保氏にはまるで横綱朝青龍の優勝杯のような大きい記念
        杯が授与され、国を越えて多くの人が心からその素晴らしい功績をたたえて喜び合
        いました。
        ソウルマラソンではフルマラソンの70歳以上の男性、そして60歳以上の女性ランナ
        ーに表彰と記念品の授与があるそうですが、年上の方を敬うお国柄に私自身心洗
        われる気持ちになりました。久保氏の場合、もう15年も前にその表彰資格をクリアさ
        れているんですね。それはそれは素晴らしいことですね。
        久保さん、今回の第9回大会も完走、おめでとうございます。これからも、益々のご
        活躍を変わらず応援いたしております。   
                              最高齢者/完走賞を受賞
                               85歳喜びの久保 進氏


        (2)今度は四時間半のペースメーカー
        さて、12月に申し込んだ篠山マラソン(同日開催)をすっぽかして参加したソウルマ
        ラソン。今回はホームスティも経験しました。三泊四日でしたが、最後にはホストファ
        ミリーのお母さんも涙ぐむぐらい素晴らしい経験となりました。
        マラソンは4時間半のペースメーカーを仰せつかったので、カエルちゃんの帽子を被
        って仮装しました。やっぱりそんなケッタイなものを被っている人はいなくて、まぁ、エ
        イドやら道中で声を掛けられて、笑われて楽しかったです。

        <スタートの会場>
        テントが並びブースが出ていて「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」のえべっさんの
        屋台のようでした。ジンロって焼酎は、ご存知でしょうか。  マラソン会場で焼酎の試
        飲ができる!!またまたそこは、黒山の人だかりでした。緑のボトルの着ぐるみの
        「ジンロちゃん(女の子)」と「ジンロ君(男の子)」とのポラロイドでの記念写真撮影も
        あります。おじさんたちは、夢中でどれどれといった調子で試飲に手を伸ばしていまし
        た。
        そして、友達に手を引かれて行ったのが、「健康鍼ブース」。ピップエレキバンみたい
        なのに、小さい鍼がついていて、それを手のツボに貼ってくれます。マラソンで疲れ
        ないとか。言われるがままに指の関節にぺたぺたと貼ってもらいます。痛みは全然
        ありませんが、たしかに、レース中にだんだんと距離が長くなるにつれて、そこに非
        常に心地よい刺激を感じました。キク〜って感じです。

        <マラソンスタート!>
        9000人が走ったそうです。スタートしてからすごく混んでいて実際にスタートライン
        を出たのが、スタートの約5分後。それからも渋滞でとってもゆっくりペースでした。
        始めはかなりの日本人ランナーの方々が「ついていきます!」と言っていたけど、結
        局20キロ地点では私たちの周りには誰もいなかった。その原因は、スタートで時間
        をロスしたのを焦り、前半にペースをあげてオーバーペースで走る判断をした人が多
        かったこと。そこで体力を使い過ぎて中盤から崩れたのです。だから私たちは20キ
        ロ地点からどんどんとそんな人達を抜かして行く結果となりました。
        同じペースで走ることって大切ですね。

        <エイドステーション>
        エイドステーションでは、バナナやチョコ(中にお餅が入っていた)の他におにぎりも
        あった。女性がご飯を10合ぐらい炊いていて、そこから直接一口分ぐらいのご飯をと
        り韓国製の海苔にくるんで手渡してくれます。これが韓国製のおにぎりのよう。
        心からおいしかった。
        あるエイドでは、アイドルのような顔立ちの中学生ぐらいの女の子がお母さんといち
        ごを配っている。どうも「いちご」という単語を覚え始めたばかりらしく、お母さんと顔を
        見合わせながら「いちご?いしご?」と言いながら、配っている。なんとまぁ初々しい!
        思わず「かわいいーー」と言うと、周りにいた日本人ランナーのおじさんたちにスイッ
        チが入ってしまい「いやぁ、かわいいよねぇ!」「癒されるよねぇ」といちごを口一杯に
        頬張り鼻の下を伸ばしながら何度もうなづいていました。
        その他、おでん、目玉焼き、缶詰のフルーツ、干しぶどうなどなど、学校の文化祭の
        ように色々とありました。素敵!

        <レース中>
        レース中はずっとずっと誰かと話していました。韓国人とも英語や日本語やジェスチ
        ャーでどんどん話しました。ソウルから20キロぐらいの所に米軍の基地があり、アメ
        リカ人の兵士もたくさん走っていた。彼らとは英語で色々と話しました。兵士と言って
        も、二十歳前後の青さの残る若者です。多くの男の子がこちらから何も聞いていな
        いのに「初めてのマラソンなんだ」「13マイル以上は走ったことがないんだ」「今日は
        完走が目標なんだ」と嬉しそうに語ってくれるので「それは素晴らしいわね!!おめ
        でとう!がんばってね」と言ってあげました。真剣に「サンキュー、フロギー(Frog:カ
        エルちゃん)」と言われて「そーか。今日、私はカエルちゃんやったわ」と吹き出してし
        まった。
        同時に、そんな風にソウルで一生懸命に走りながらきらきらしているアメリカ人の青
        年の姿を見ながら「こんな”子供”が銃を持ってここからイラクやアフガニスタンに派
        兵されるんだな」ってすごく悲しくもなった。まぁ、色々な方に終わってから「楽しそう
        に走っていたね」と言われましたが、実際、めちゃ楽しかったです。
        マラソンって一人で走ると大変だけど、誰かと走ると楽しいイベントです。そういう意
        味でも、ペースメーカーがいてグループで走ると楽しいもんですよ。スタートの遅れな
        んて取り戻してあげるから、信用してついて来て欲しかったなぁ。
        (大会開催日:2006年3月5日)
                   
投稿第三十四号

       アイアンマン/ランカウイマレーシア大会に参加

            




   2006年3月7日
 芦屋浜アスリートクラブ
   会員中川 隆二氏

        アイアンマン/ランカウイマレーシア大会の参加は2回目。前回参加の
     ときは暑さのためバイク
140Km位で頭がぼーとなりバイクが蛇行しはじ
     めたので、これは危ないと感じバイクから降りて少し休憩する等、完走
     するだけで精一杯であった。
     今回は前回の暑さ対策の無策を反省して、暖かいフィトネスクラブ(室
     温
25℃位)でバイク、ランを多くし、そしてより暑さ対策としてサウナ
     に通うようにした。
     ランカウイはタイの国境に近い美しい島。海はプランクトンが多いのか
     透明度が悪く、海は沖縄のほうが透明度があって非常に美しいとあらた
     めて感じた。

        スイム3.8Km
       コースは直線1.9Km2周回する。夜が明けてきた730分、277人が一
     斉スタート。直線コースなのでバトルは少なく、少し泳ぐとスタート前
     の緊張感も消えてマイペースで進む。海は穏やかで泳ぎやすいがブイが
     見にくい状況であった。(
2年前はもっと見やすっかた)
     特に折り返し地点を見つけるのに苦労する。コース途中、手、顔にクラ
     ゲか小魚か微生物か分からないけど、ちくちくと刺されて痒が泳ぐしか
     ない。
3.8km完泳、1時間40分で陸に上がる。

       バイク180.2Km
      スイムに弱い私だが、陸に上がればこっちのもんさ。さあバイク乗るぞ
     と気合を入れてバイクラックに向かう。コースは片道
30Km3往復。
     乗り始めはギアーを軽めにしてスタート、
1周目は無理せず調子をみな
     がら走り、
2周目3周目は力を入れて走ろうと考えた。
     
1周目は平均時速30Km弱、2周目も30Km弱、3周目に入り少し走ったとこ
     ろから腰が少し痛くなってきた。ここで無理をするとランに悪い影響を
     与えると思いギアーを少し軽くして走る。当然スピードは落ちるがしか
     たがない。総平均時速は
29.2Kmで何とかゴールした。

        ラン42.2Km
      コースは片道5Km×4往復+2.2Km、右の歩道側を往復する。
        ランスタート前ボランテアの方が真白な日焼け止めをたっぷりと顔、手、
     足、に塗ってくれる。そのとき時計を見ると
1530分、スイム+バイク
     で
8時間であった。トータル時間の目標12時間30分、後は4時間30分で
     走れば良い、これは目標達成の可能性ありと判断しスタートした。
     スタート時は足がしびれて感覚がなく、
2Km位走ったところで感覚が戻
     り走るリズムが出てくるが、今度は暑さがこんこんと攻めて来る。
1Km
        
毎に頭、体を冷やすためにエイドで水をかぶって走る。
        1往復2往復と走るが気持ちに反して足は疲れスピードはだんだん落ち
     てゆく。結果
4時間55分でトータル時間12時間5420秒でゴール。
     疲労困憊でもう走りたくない。

        レース結果発表2/27(月)
       ハワイのアイアンマン/ワールドチャンピオンシップ出場条件は Age
        Group
 6064 MaleSlot1人枠で、1位でないと資格が得られない
     厳しいもの。
        レース結課は午前10時から発表、会場へ行っておそるおそる結果発表を
     見ると、
2位を20分離して1位になっていた。 バンザーイ!!!
       10月のハワイのアイアンマン/ワールドチャンピオンシップ楽しんで頑
     張ってきま〜す。
        一緒に行った宗政さん(会長)、丸岡(奥様)さんいろいろとお世話に
     なりました
。有難うございました。
        (大会開催日:2006年2月26日)

投稿第三十三号

       芦屋市代表として兵庫県郡市区対抗駅伝競走に参加!

            




   2006年2月13日
芦屋浜アスリートクラブ
   会員井上 英二氏

     こんにちは!初めて投稿させて頂きます。初めまして、私は、AAC
     に入って2年目になります、井上英二と申します。
     陸上歴は、小学5年の時、駅伝の選手に選ばれてからになると、23
     年くらいになりますが、本格的に活動していたのは、中学、高校、社
     会人(一応実業団)で10年の計16年くらいです。今回の投稿は、
     2月5日加西市で行われました、兵庫県郡市区駅伝について投稿させ
     て頂きます。

     今回の大会は、第60回大会になる歴史のある大会ですが、なじみの
     無い方もおられると思いますので、説明したいと思います。この大会
     は、名の通り、兵庫県下の各、郡、市、区の代表による対抗駅伝です。
     構成は中学生を2名含む7名、7区間、42,195Kmで争われ、
     前年度大会総合順位で、1〜10位が1部、11〜20位が2部、2
     1〜30位が3部、31位以降は4部となり、それぞれの各部で、1
     〜3位、区間賞があり、次年度は、また総合順位で、入れ替わると言
     った大会です。

     兵庫県と言えば、陸上の競技レベルが高い事で知られ
     ていますが、文字通りこの大会は、そのレベルの高い選手を使い、自
     分たちの出身地や学校所在地、勤務地の代表として、競い合っている
     ため、箱根駅伝出場者や全国高校駅伝、または、日本選手権に出場し
     ている大学生や実業団も出場しています。

     今回、この大会にAACからは三枝さん、西川さん夫妻、今池さん、
     中さん、井上と6名芦屋市代表として、出場してきました。実は私こ
     の大会は初めてでは無く、高校1年の時から出場しており、15回目
     の出場となりました。芦屋市代表としては、3回目だっだと思います
     が、その他は私の出身地であります佐用郡で出場していました。

     芦屋市の一区10kmを任され走る事になりましたが、会社の陸上部
     を辞めてから6年がたち、今は、このところ練習は全く出来ず、完走
     出来るか不安を胸に抱きつつ、会場となる加西市に向かいました。
     芦屋市は昨年メンバー不足から、欠場しており、2年ぶりの出場で、
     私も2年ぶりにこの会場にやってきました。そこには、高校時代から
     知る、先生や、先輩、同級生、後輩たちの姿が有りましたが、殆どの
     先生が、定年や、もうすぐ定年を迎えられたり、先輩や同級生や後輩
     が指導者として今大会に多数来ていて、年月がこんなにも経っている
     のか!と改めて感じました。そして、私を知る知人たちは、私が出場
     する事を知ると、冷やかしも有りますが、殆どの方が、ここまで続け
     ている事を大変喜んでくれ、この大会に出場出来る事を、羨ましく思
     ってくださり、結果はともかく、代表にして頂いた事に感謝し、精一
     杯、頑張ることを誓い走ることにしました。


        一区はやはり何処ものチームも最長区間でもあるので、力のある選手
     を揃えていて、気合いの入れが違います。実は私はこの大会、殆ど一
     区で13回目になり、一区の意気込みは心得ているのですが、如何せ
     ん、今の状態では、ついて走ることは、限り無く不可能なので、誓い
     の通り、精一杯走り事を目標に、スタートラインに並びました。

     号砲と共に各選手スタートし、力のある選手は前方へグイグイ上がっ
     て行きます。そのころ私は、あっという間に後方に選手は居なく、1
     km時点で最下位を走っていました。

     やはり、練習のなさは、如実に表れ、他の選手はドンドン小さくなり
     見えなくなっていきました。先頭集団が、折り返し、私とすれ違った
     時には、既に、1km以上の差がついていました。その姿を見たとき、
     10年前はこの中にいたのにな〜などと思ったりしましが、ゴールは
     まだまだ遠く、見えない前方の選手を追いかけ、やっとの思いで、折
     り返し、沿道で応援してくださる人に感謝しつつ、中には体調が悪い
     んやろ!と言ってくださる方もおられましたが、実力です!と心の中
     で答えつつ、ゴールに向かいました。ゴールの付近の沿道では、芦屋
     市の関係者は勿論の事、私を知る方が盛大な応援をしてくださり、他
     の方も、最下位を大差で、走る私に数多くの応援を送ってくださいま
     した。

     やっとの思いで、中継地点にたどり着き、中さんに襷を渡すと、
     この順位が恥ずかしいと言うよりも、襷を繋ぐことが出来た事、また、
     走り切れた安堵感、代表で走れたことに、感謝し充実感を感じました。
     それと共に、右膝の激痛が、普段のだらけた体を思い知らせてくれて
     いました。結果一区では先頭と9分も差がつき、最終結果芦屋市は、
     ダントツの最下位に終わりました。しかしこの大会は、AACのメン
     バーと共に、芦屋市の代表として、走れたことが、何よりも喜ばしく、
     今までにない大会になりました。


     余談ですが・・・
     芦屋市の代表は、平均年齢としては、他のチームに比べ、ダントツに
     高く、また、中高生の選手がいかに少ないかを感じました。しかし芦
     屋市は、AACのメンバーのように、市民ランナーとして、大きな大
     会に出場されている方が沢山おられます。子供の数も少なくなり、陸
     上部に所属する子供たちは、年々少なくなってきています。このまま
     で良いのでしょうか?かと言って、自分に何が出来るのかはと問われ
     ると、何も出来ません。しかし、何か、こういった若い世代に走るこ
     との楽しさや、感動を味わってもらうことは出来ないのでしょうか?
     走ることの大・大・大好きな皆さん考えてみませんか?

        (大会開催日:2006年2月5日)

投稿第三十二号

             ペースメーカーとして参加した木津川マラソン!
        




   2006年2月7日
芦屋浜アスリートクラブ
   会員城 佳子氏

    木津川マラソンを走られたことがありますか?ランナーズの大会100撰にも選ばれ
    た人気大会です。今回はちょっとしたご縁で木津川マラソンの5時間のペースメー
    カーをすることになり、自分一人で走る以上に楽しい経験をする機会に恵まれまし
    た。
                           ◆
    キロ7分プラスいうゆったりとしたペースでしたが、マラソン初参加の人、ウルトラ
    などのロングランが好きなおじさん、東京から来た若いお嬢さん、怪我で長い間走
    れなかった青年など様々な方と共に目標タイムを5時間に設定してスタートしまし
    た。
                           ◆ 
    私自身はアメリカのレースでは、機会があればいつもペースメーカさんについて走
    ります。やはり目標タイムがはっきりあり、それに見合うだけの練習をして来た時に
    は、彼らの存在は目標達成の助けになります。数年前のシカゴマラソンでは、うさ
    ぎの格好(英語ではペースメーカーのことをラビットとも言う)をしているペースメー
    カーについて行き、『彼らのお陰でサブフォーが出来た!』と感謝したことを思い出
    します。
                           ◆
    日本のレースではペースメーカーさんはどういう風に走られるのかわからなかっ
    たのですが、目立つ格好をしようと思いニューヨークで買って来た自由の女神の
    帽子とピンクの風船をつけて走ってみました。また、ただ一定のペースを守って走
    るだけではなく、登り坂の時には『がんばろう〜!』と周りに声を掛けたり沿道の
    ボランティアの方にも『パン、おいしいです〜!』と積極的に話したりして楽しむこと
    ができました。自分一人で走ると、結構、私は眉を吊り上げて走っていて、なかな
    かそういう余裕がないのです。
                           ◆             
    最後の2キロでは、5時間のペースメーカーは何人もいたので、後ろのランナーに
    声をかけて、『余裕がある人はペースを上げて走ろう!』と3ー4人を連れて集団
    を抜け出しました。ふらふらになってゴールを目指すランナーたちを追い越しなが
    ら励まし、一人一人に『一緒に走ろう!』と声を掛けると徐々に集団は大きくなりま
    した。最後には数人のランナーと共に4時間55分でゴールしましたが、まるで、笛
    を吹いたら子供も大人もついてくる寓話の「ハメルンの笛吹き」の状態だと、走り
    ながら笑い合いました。
                           ◆
    私自身も冬空の下で木津川のよさを十分に楽しんだ道中でしたが、5時間を目標
    にしてきたランナーの方々が、ゴール後には満面の笑みで『目標を達成できた!』
    と伺いました。皆さんの努力の成果が望ましい結果となって顕われ、心から嬉しく
    思います。個人でのレース参加とは少し異なり、ランナー同士の絆を経験した思
    い出に残る42キロとなりました。
                           ◆
    今回は、普段から使っているランナーズワールドという雑誌のウェブサイトから、キ
    ロあたりのペースの表を印刷してそれを参考にしながら走ったのですが、みなさん
    の中でご興味がある方がいらっしゃったらご参照ください。アメリカではマイル表示
    ですので、ここではキロ表示のイギリスのサイトをご紹介します。
                           ◆     
     http://www.runnersworld.co.uk/news/article.asp?UAN=1465
     @ 3番のRace-pace bandというところの青い表示(Go to race-pace band)をク
       リックする。
     A 一番上の箱の中に自身の目標タイムを入力してください。(例:3時間半なら
       03:30:00) 
     B 距離はdistanceで調節します。5K、10K、ハーフ、フルなどがあります。
     C 最後に一番下の Go to create Pace Band というところをクリックしたら、
       計算が終了します。
    これは元々印刷したものを手首に巻いて走る、というアイデアのもので、私は切り
    取ってポケットに偲ばせ、走りながら時々参考にしています。
                           ◆      
    普段、芦屋浜ACのみなさんと楽しく走ってトレーニングした一つの成果が、ちょっ
    とした社会貢献につながり、非常にいい経験になりました。走ることで誰かの役に
    少しでも立ったというのは気持ちがいいものです〜!
    自分のロングランの練習にもなりましたし、これからもぜひ機会があればペースメ
    ーカーをしてみたいと思っています。
    (大会開催日:2006年2月5日)

投稿第三十一号

               AACとの出会いと神戸シティマラソン!
 




   2006年2月2日
芦屋浜アスリートクラブ
  会員岩本 貴裕氏
        ◇はじめに
        神戸シティマラソンに参加したのち、宗政会長より投稿の依頼をいただきました。
        今回が初投稿となるので、これまでの経歴や会の印象、今後の抱負なども含め
        て書いてみます。

        ◇経 歴
        わたしは去年の春まで運動に縁がありませんでした。去年、ダイエットに取り組む
        なかで、もっとも有効な有酸素運動として登山に出会い、登山のトレーニングとし
        て始めたランニングが第一の趣味に昇格しました。ちなみに、ダイエットのほうは、
        去年8か月で24kgを減量しています。
        現在の走力は、フルマラソン2回完走(ベスト3時間56分)、100km走2回完走
        (ベスト13時間37分)となっています。

        ◇会との出会い
        会を知ったきっかけは、会のホームページを見たことでした。当時、100km完走
        後の挑戦としてトライアスロンを目指し自転車も購入した時期で、この会がランニ
        ング以外にもトライアスロンなど様々な種目を指向しているところに、非常に興味
        をそそられました。
        思い切って、会長にメールを出して1月第1回の例会への参加をお願いすると、
        初詣マラニックへの参加も逆提案されました。そこで、1月に初詣マラニックと例会
        の2度の練習に参加させていただきました。
        会では、わたしより年上の方々も含め、たくさんのトライアスリートの方々と出会え
        大変に刺激を受けました。また、トライアスロン以外にも、ウルトラマラソンを走ら
        れる趣向の方もあり多士済々といった感じで、ふつうのランニングクラブとは違う
        との印象を受けました。

        ◇神戸シティマラソン
        10km走は今回で2度目で、11月の淀川市民ハーフのイーブンよりも少し速めの
        42分前後の目算で望みました。実際に走ってみて良かった点は、島の幹線道路
        は走路が広くて渋滞が少なかったこと。残念だった点は、距離表示が中間の1箇
        所だけだったことです。わたしは複数の中間点でペース管理をする作戦だったの
        で、いささか予定外でした。
        中間点をすぎると、東側の南北道路に出て南下してもう終盤かと思いきや、ほど
        なく東側の突堤に迂回する指示を受けました。六甲アイランドの突堤をひたすら踏
        破するとにかく曲がりが多いこのコースは、メンタル的にきつく、距離が長く感じら
        れました。
        終盤まで、どうやら4分/km程度を維持できているようだったので、最後は40分
        切りへの色気が出て、最後にスパートしました。結果は39分51秒。現状の走力
        を考えると、個人的には満足できる結果となりました。

        ◇今後の抱負
        シーズン内にフルマラソン2回(泉州、篠山)、その後の4月と5月に富士五湖117
        km、ゆりかもめ70kmを予定しています。どちらかといえば長距離のほうが向い
        ていると思っているので、楽しみながらスローペースでのトレーニングを地道にや
        っていきたいと考えています。とくに今年は、自宅近くの六甲山系でたくさん練習
        しようと思っています。
        ランニング以外にもいろいろなことに手を出して時間がパンクしかけていますので、
        練習には予定の合う範囲で顔を出す感じになるかとは思いますが、今後ともどう
        ぞよろしくお願いいたします。このたびは、どうもありがとうございました。
        (大会開催日:2006年1月29日)

投稿第三十号

                新鮮な一日に感じた大阪実業団駅伝競走!

           

                                          2006年1月24日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                           会員本地 敏行氏 

        大阪実業団駅伝への参加は今回が初めてで どのような大会なのか興味があっ
        た。朝は、7時に起床し、いつものように食事を済ませ、走るために簡単な用意を
        する。この大会に参加するに至って、今回 ほとんど練習をしていないため、アッ
        プシューズで走ろうと考えた。アップシューズは靴自身の重さも十分あり、また、汗
        をかいたり、雨天時は相当な水分を吸い込み とても重くなる。しかし、重いという
        ことは靴自身の安定性やクッション性があるとも言える。今回は体重がオーバー
        及び走っていないことを考慮し、一番いい靴だろうと考えた。
                               
        電車は、長居公園までJR電鉄を利用するか、JR大阪駅で降りて 地下鉄御堂筋
        線を利用すべきなのかを考えた結果、JRのみで走った場合と地下鉄を利用した
        場合とでは JR電鉄のほうが60円くらい安い。所用時間は地下鉄を利用したほ
        うが、15分くらい短縮できる。私は、考えに考えた結果、地下鉄を利用することに
        決めた。
                               
        久しぶりの長居公園には これからマラソン大会が開かれるという雰囲気はなく、
        散歩をしている人、のんびりとベンチに座っている人、実業団駅伝に参加しなさそ
        うなランナーがジョギングを楽しんでいる。私自身も本当に駅伝が開催されるのだ
        ろうかと少しの不安を抱きつつ、長居第二陸上競技場へ向かった。
                               
        陸上競技場の正面スタンドには多くの断幕、上りがあり、それぞれのグループが
        自分達の場所(陣)を示すかのようにスタンド席にガムテープやビニルロープ等で
        場所を取っている。普通の駅伝では団欒とした雰囲気があるのだが、今日はそう
        でもなく、少しピリピリもしている。集っている人も多くは若めの細め男性で、若い
        女性も幾らかはいるものの、マネージャーチックに見える。年配の人も幾らか見た
        が、どう見ても走らないだろうという普段着の格好の人だ。私はこの雰囲気を感じ、
        結構速い人が集った大会なのでは?そう感じた。
                               
        私は、自分の参加するグループの場所が分からず、北へ南へと歩き、15分くらい
        かけてようやく陣を見つけることができ、その場に落ち着くことができた。場所に
        はすでに多くのメンバーが集っており、私が最後のようだった。私が9時過ぎに到
        着し、少しゆっくりとしていたが、私が2部の1区間が持ち場と知り、結果的に ス
        タートが10時ということを知り、少しあせった。スタートまでは残り40分程度しか残
        っていない。あわててアップに向かった。長居公園の外周を1周(約3km弱)し、
        競技場へと戻る。競技場へ戻ると「第一走者はコールを受けてください。」という放
        送が入り、私はまた無駄にあせることになった。陣に戻り、プログラムを見ると 「
        スタート30分前にコールを行います。」 と書かれていた。現在の時刻は、スター
        ト15分前。ゼッケンもまだ服に縫い付けていない状況であわててコールの場所(
        正面スタンド内 1階 室内練習場)へゼッケンと安全ピンを持って アップだけで
        少し疲れた体を起こし、小走りでコール会場へ向かった。コールの場所では代理
        コールは認めていないため、ゼッケンをキチンとウエアに縫い付けていないと受け
        付けてくれない。私は、迫る時間にあせりながら、ウエアにゼッケンを取り付け受
        付を済ませた。ホッとひと安心し、その場に座ってのんびりとした。アップのしすぎ
        のためあまりに体がだるくなっていたため 近くの水道にて、水を飲んで元の場所
        に戻った。
                               
        1走者は走る距離が一番長いため、どのチームもエースを出してくる。周りからは、
        ぴりぴりとした雰囲気が伝わるのが分かる。この駅伝で優勝すると、来年始(えら
        い長いな〜)の全国実業団駅伝の参加資格でも取ることができるのだろうかな?
        などなど 暇つぶしにいろいろと思案する。強そうなところは、若い女性マネージャ
        ーがついている。すごいなーと感心しながら、自分は寂しくウエアを部屋の片隅に
        キレイにたたんで置く。
                               
        時間はスタート前 数分となり、選手はトラック内へと誘導される。私はゼッケン番
        号から読むと最終列のさらに最後の方となる。前の方に並んでいる人達は所狭し
        と陣を取り、身動きが取れないようだが、私には場所が多く、後ろには広大な空
        間がある。列の後ろという雰囲気に落ち着き、ウロウロとしながら体を温める。前
        の人よりも幾分緊張感がないと自分自身が感じる。
                               
        適度に体を動かし、練習不足のため、無用なアップもせず、スタート位置に着いた。
        ほどなく、ホイッスルがなり響き、選手は一斉にスタートを切った。私は、いつもの
        ように腕時計をせずに走る。調子が避ければ(体重が増えていなければ)、キロ3
        分25秒から30秒、それよりも状態が悪いと3分30秒くらい。レース展開を間違え
        れば、3分35秒くらいはかかるだろう。そう予想し、とりあえず、1kmあたり3分3
        0秒のペースで入る事にした。陸上競技場内のトラックには運良く時計がスタート
        地点に1つあった。1周を82秒(だったかな?)で通過。1km換算で3分25秒。ま
        ずまずの入りだ。しかし、私の後ろには選手が1人しかいない。私の前には多くの
        選手が走っている。この大会は初めて参加のため、こんなにレベルの高い大会と
        いうことを知らない私は 内心結構あせった。しかし、どんなに焦っても現状以上
        のペースに上げることは、結果(ゴール時点)で考えるともっと悪いタイムとなるた
        め、これ以上は絶対に上げることができない。とりあえず、1区は2周しなければい
        けないため、勝負は2周目で考えよう。私の中で計画が急速に煮詰まった。普通
        の大会等では、初めにペースを上げすぎて 結果終わりはゴリ押しペース(頑張
        ってもペースは上がらないがとりあえず 気持ちだけでも ペースを落とさないよう
        に心がける走り)となってしまうが、今回は結果から見るとこの考えがいい方向へ
        となった。
                               
        陸上競技場トラックから長居公園内遊歩道へ出ると、周りの選手がぐんぐんとペー
        スダウンし始めた。これには走っている私自身がとても驚き、まるで自分自身が
        ペースアップをしているかのような錯覚に陥る。心の中では落ち着け、落ち着け、
        絶対にペースを上げてはいけない。そう念じるように自分に言い聞かせる。
        どうにか1周目を走り終え、陸上競技場内のトラックへ入る。恐らく同じメンバーの
        人は私の順位を見ていると とても驚いたと思う。スタートから換算して、約30位
        くらいは順位を上げることができていたと思う。その後、2周目へと入る。2周目へ
        入り、1km付近にある小高い部分を過ぎるころから足の動きが鈍くなってくること
        が分かった。このまま 走ると一定ペースを保つことができない。そう考え、残り約
        2kmあるところだが、2段階のラストスパートをすることにした。ラストスパートとい
        っても、決してペースを上げるラストスパートではなく、ペースを落とさないために
        自分自身に鞭を打つために考えたスパートだ。
                               
        現実のラストスパートといってもすぐに事切れてしまう。よって、事切れる手前で最
        後のラストスパートという形でつかれきった自分に対し、もう一度 むちを入れると
        いうことだ。とりあえず、景色の変らない林道のような部分を第一部ラストスパート。
        陸上競技場が見えてからもう一度ペースアップすることを考えた。小高い坂を超え
        てから、動きの鈍くなった足にむちを入れる。足の回転を落とさないように自分自
        身に頑張れという形で足を運んだ。陸上競技場が見えてくるまで私にとって 同じ
        景色が続くような錯覚がある。とても長く、何時になったら見えるのだろうかと そ
        う考えたころにようやく第一陸上競技場の屋根が見えた。1周目では応援してく
        れていたメンバーの人を確認できたが、2周目では視野が狭くなっているためか、
        周りを見る余裕がない。陸上競技場が見えたことで動かなくなった足と腕にもう一
        度むちを入れるべく、最後のラストスパートをすることにした。ゴールまで恐らく1k
        mくらいだ。1kmペース走と考えれば 気持ち的に楽になる。3分半程度我慢す
        れば 終わる。ということだけを考えて走る。太っている自分が憎くなる。動かない
        体に嫌悪感もある。しかし練習していない自分に対し記録(体)は正直に答えるこ
        とが悔しい。
                               
        どうにかゴールをし、次にタスキを繋ぐことができた。数日後に結果を聞くと7.1k
        mを24分40秒(2部内 区間順位 10位)。1km当り3分28秒という 現状の自
        分にとってはとてもすごい記録で走りきることができた。周りの人の応援や次に待
        っている人がいるという駅伝特有の雰囲気が こんな高記録を出だす要因と考え
        られる。
                               
        走り終えた後は、スタンド席の陣に戻り、一呼吸を整えた後に、長居公園内 遊
        歩道(コース上)を逆走しながら、確認できるチームメンバーを応援しながらジョグ
        を行った。(確認できなかった方すみません。)結果的に外周を5周もしていました。
        メンバー全員がゴールを終え、長居公園第二陸上競技場正面にて記念撮影を行
        ったのち、大阪駅でお好み焼き宴会となった。私にとって3ヶ月ぶりの大会だった
        ため、とても新鮮な一日に感じました。
        (大会開催日:2006年1月15日)