投稿第二十九号

        雪の残る中、第1回宝塚ハーフマラソンに参加!

           
          
                        2005年12月30日
                                     芦屋浜アスリートクラブ 
                                        会員:岡本 暁

       12月23日(天皇誕生日)に阪神・淡路大震災復興10年を記念して
       第1回宝塚ハーフマラソン大会が開催された。種目は、ハーフ、クォー
       ター、3kmの3種目である。私はハーフにエントリーした。ハーフの
       コースは、宝歌劇場前の“花のみち”の東終端をスタートし宝塚大橋
       を渡り逆瀬川沿いに走り、末広公園より武庫川河川敷を南に向かい阪
       神武庫川駅手前で折り返して末広公園がゴールである。


       最近では稀な前日からの大雪の為、当日、私の住んでいる中山五月台
       (標高300m)にはバスが登って来ず、阪急中山まで徒歩にて下る羽目と
       なったが、歩道はツルツルですべる為、車が来ない車道を威張って歩
       いて下り8時半に無事宝塚歌劇場西の“花のみち会場”に到着した。


       その会場も一面雪で覆われており、寒い中、大会スタッフがスタート
      地点の“花のみち”の除雪作業を慣れない手つきで一生懸命されてい
      るのに感謝すると共に大変印象的であった。因みに、大会を実施する
      かどうかについて関係者は前日の22時まで検討、最終的に当日の8
      時に実施を決めたそうである。

         レースは11時にスタート、武庫川河川敷に出るまでも大きな混雑もな
      くスムースに流れた。コースとしては往路は雪の状態で残っている状
      態の部分もあったが、復路はその雪が解けてベチャベチャの状態の部
      分もあった。しかし、足元が大変と言う状態ではなく、風も横風であ
      ったが全体的にはコンディションとしては良い方であった。


         私は時間33分を切って自己ベストを狙うべく、22分30秒/5kmの
      ペースで入り後半にスピードアップの予定であったが、結果的にはペ
          ースを上げることが出来ず、全くのイーブンペースの1時間34分42秒
          でのゴールであった。

               宝塚市民として第1回大会に参加でき、それもめったに経験の出来な
     い雪の残る中でのレースを体験できたことは貴重であり、それを支え
     て下さった大会関係者、ボランティアの方々のご苦労に大いに感謝す
     る次第である。

        今年は、1月1日に富山市民として富山元旦マラソン(3km:神通川)
     でスタートし、12月23日に宝塚市民として宝塚ハーフマラソン(21.0975
     km:武庫川)で締めくくることが出来、又、その間にAACメンバー
     と出会い、仲間に入れていただき、本当に幸せな1年だったと思う次第
     である。皆さん、来年もよろしくお願いいたします。  完

     (大会開催日:2005年12月23日)

                      

投稿第二十八号

               残念無念 I 第17回加古川マラソン

                
                                         2005年12月30日
                                        芦屋浜アスリートクラブ 
                                        会員:野口 嘉郎氏

        前日の雪で開催が心配された大会でしたが、時間を20分遅らせてのスタートと
        なりました。
                                
        会長とJR三宮での待ち合わせを阪神打出駅と勘違いし、電車一本
        遅れでJR加古川駅に到着。駅前にはシャトルバスを待つ長い列。岡山から来
        たと思われる3人組の会話を聞きながら25分程たってから係員が『フルマラソン
        に参加される方は間に合わないのでタクシーで行ってもらえますか!』。
        気にせずバスを待つことにする。
                               
        会場に着き先ずは受付へ行くと『スタート時間を20分遅らせてます』とのこと。
        別に予定通りでよかったのに・・・と思いながらAAC横断幕で無事なかまと合流。
        そして走ったんだが・・・・疲労骨折のため25kmでリタイヤしたんだヨ〜ン。
        残念無念!
                                
        だから・・・間に合わなくっても、走れなくても良かったのに・・・・・・
        かくして、私の加古川マラソン初参加は終わりました。 ちゃんチャン!!!
        (大会開催日:2005年12月23日)


投稿第二十七号

        2005年の総決算『加古川マラソン』!

           
          
                         2005年12月27日
                                     芦屋浜アスリートクラブ 
                                     岡山支部会員:中典生氏

         私にとって加古川マラソンは、昨年初めて参加し初めてサブスリーを達成した、
        縁起のいい大会です。今年は長いこと体調に恵まれませんでしたが、10月下旬
        からようやく少しずつ走れるようになり、福知山で思い掛けず3時間ひと桁でゴー
        ルできたので、今回は来年へつながる走りを目指しての参加です。


        しかし、最終調整として週前に予定していた岡山でのレースが雪で中止になっ
        た上に、前日もドカ雪で、関西への移動が4時間立ちっぱなし。実家に着いた時
        点で既にレース20km分くらい消耗した気分でした。

        当日は晴れてどうにか中止2連続は免れたのですが、準備に手間取って後方か
        らのスタートを余儀なくされました。団子状態の中でなかなか自分の走りができま
        せん。さらに、気温の上昇とともに雪が溶け出してきて、足下はもはや泥田同然
        です。できるだけ水の少ないところを選んで、イレギュラーな走りになります。

        5km過ぎからばらけ始め、ペースを上げます。の折り返しで南に向いたとこ
        ろで風が出てきたのですが、5〜15kmが41分。これなら挽回可能か?と思った
        矢先に・・・。

        18km付近から突然体が重くなり、みるみるペースダウン。完全にエネルギー切れ
        でした。人と水たまりを避けながら走った始めの5kmと、焦ってオーバーペースに
        なった次の10km。理由はあまりにも簡単でした。どんどん周りに抜かれてゆく。
        このままではゴールすら危うい。ここでやむなく完走に目標を切り替え、走りなが
        ら体の回復を待ちます。チョコレートやバナナを鷲掴みに頬張りながら辛抱します
        が、15〜20kmが22分、再度北に進路を取った20〜35kmは、追い風なのに73分
        も掛かってしまいました。でもまた徐々に体が動くようになり、ラストの南向きは
        頑張ろう、という気分になってきました。

        35km付近からペースを上げ、南に方向転換しますが、『いつの間にこんなに強く
        なってたの?』というほどの強烈な風が正面から立ちはだかります。36, 37km4分
        『台』を懸命に死守します。 38, 39km・・・もう泥田コースなんて関係ありません。
        40km地点で3時間4分。これは3時間15分いけるかも!という思いがよぎります。
        最後に南に向いてからは、まだ誰にも抜かれていません。

        ところが41.5kmで橋をくぐると、緩やか〜で長〜い上り。普段なら全く気になら
        ないですが、ギリギリの体に超強力な向かい風です。ここでついにギブアップでし
        た。結局3時間15分も切ることはできませんでしたが、今の自分を認めることがで
        きて、心はとても晴れやかでした。

        昨年のサブスリーからちょうど1年。浮き沈みが激しく、天国も地獄も見ましたが、
        悪いときは無理せず悪いなりの走りができるようになった良い1年だったと思いま
        す。AACの基本理念である『生涯スポーツ・健康スポーツ』を心に刻み、来年も楽
        しく汗を流せればと思っておりますので、今後ともよろしくお願いします。
        皆様、どうぞよいお年を!
        (大会開催日:2005年12月23日)

        追伸: AAC岡山支部便りVol.2
        1)      来年3/25(土)〜26(日)の日程で、『第2回片鉄ロマン街道合宿』を催します。
            ご参加お待ちしてます。
        2)      今年の岡山国体ではお世話になりました。来年の兵庫国体の成功をお祈り
            します。
        こんなバスが岡山/倉敷〜神戸三宮を結んで走っています(岡山駅前にて)


投稿第二十六号

        夢にみた大阪国際女子マラソン出場資格を獲得

           
          
                         2005年12月8日
                                     芦屋浜アスリートクラブ 
                                        準会員:前垣

         ハーフを初めて走った39歳のとき阪神大震災があり、今を大切に生
      きようと思い立ち、ヨロン島で初めてのフルを走ったのです。4時間
      40分でした。その後は週末10kmランニングで、年に1度フルマ
      ラソンを完走するのが目標でした。

                                                        
         同居していた両親が次々と弱り、義母が痴呆症で徘徊をはじめだした。
      義父は膀胱ガンの摘出手術後半年後に脳血栓で半身不随になり、自宅
      療養と入院を繰り返し、5年の看病後2004年5月に亡くなりまし
      た。義父の身の回りの世話をする一方で、毎週土曜日は施設に入所し
      ていた義母への訪問が続いていました。私が毎週義母のところへ笑顔
      で訪ねることができたのは、その前にランニングをして、汗を流すこ
      とで気持ちを切りかえられたからです。母の訪問は7年におよび、2
      003年3月の日本海マラソンに誘ってもらうまで、週末ランで月間
      100kmの市民ランナーで満足していた私でした。
                            

      しかし2004年夏、義父の逝った後始末をしながら、看病に要した
      時間を有効に自分のために使うことを考え、まずランニングを週3回
      に増やしました。そして9月の武庫川くすのき駅伝に誘っていただき、
      タスキをつないだ皆さんとの楽しい時間が私に新たな目標を与えてく
      れました。山下さんのスピードのある走りも刺激になりました。
                             
      その後、私のホームグランドの白鷺公園で以前から助言を下さるおじ
      さまから、所属クラブの駅伝に欠員があり、助っ人を頼まれて走った
      のです。その後、弁当を食べながら私は軽い気持ちで、『毎年38k
      m地点で声を嗄らして、一人一人の名前を呼んで応援しているあの中
      で、自分も一度でいいから走ってみたい!』と遠い夢を話すと、大阪
      国際女子マラソンを走った先輩の方が『まだ40代なら間に合う。挑
      戦せなあかん』と進言されたのです。冗談かと躊躇していると、みん
      なで応援するからと、クラブのメンバーが初対面の私に、アルコール
      の勢いも手伝って、陸協登録やら日程やら説明してくださったのです。
                              
      50代後半から60代のメンバーですが、年齢に関係なく努力すれば、
      競技者としてスポーツを楽しめる姿をみて励まされました。4月に今
      のクラブのメンバーに『毎日10km走れ』と進言され、4時30分
      起床の生活が始まりました。
10月の半ばから毎朝5キロを走リはじ
      め、11月はフルとハーフを走り、12月の30kmにトライしたけ
      どタイムオーバーでした。

                                            
      2005年5月には元気だった義母が突然逝って「看病のために健康
      でいなければ」という当初の走る理由はなくなりました。しかし両親
      がプレゼントしてくれた「走る楽しみ」と、残してくれた「貴重な時
      間」を目標達成のために使うことにしました。

                                            
       月間走行距離は250kmへ少しずつ伸びていきました。でも、週末
      は疲れて30〜40kmの練習が出来ませんでした。10月は隠岐の
      島100kmウルトラマラソンを半分走り、半分歩いてゴールするな
      どして、月間400kmを超えるランに。11月の吉野川ハーフマラ
      ソンでは1時間30分のタイムをまたオーバーして失敗。クラブのメ
      ンバーがペースランをしてリードしてくれたのに残念で、申し訳なく
      落ち込みました。
                            
      そしてこの度、長居公園での大阪女子30kmロードレースでやっと
      2時間12分41秒で完走して、大阪陸協の事務局の方が『上手にゴ
      ールした』と誉めてくださる結果がでました。去年の10月から今日
      まで見守ってくれたメンバーが、涙ぐんでゴールに待っていてくれま
      した。目標が達成できたのは、寒い雨の中3時間近く周回道路に立っ
      て、応援してくれたおかげです。芦屋ACの皆さんにも感謝の気持ち
      でいぱいです。皆さん本当にありがとうございました!    

       
(大会開催日:2005年12月4日)


投稿第二十五号

            第15回福知山マラソン参戦記

           
                                        2005年12月6日
                                      芦屋浜アスリートクラブ 
                                       会員:岡本 圭右

        先日、福知山マラソンに出場してきました。昨年も出場する予定であったが、自分
        としては、今年が初参加となった。この大会は関西地区でのビッグイベントでもあり、
        この大会に向けてまだ暑い8月から取り組んできた「大一番」の大会である。10月
        のシーズンイン後、ハーフのベスト更新を狙った10月23日の和歌浦ベイマラソン
        で撃沈し、精神的に落ち込んでいたところ、10月下旬に風邪をこじらせ、元々弱い
        気管がやられ、11月3日の丹波高原30kmでは5kmでDNF。その後、風邪は治っ
        たものの風邪で奪われた体力、気管の調子を3週間弱で上向きにする必要があ
        り、福知山は正直走ってみないと何とも言えない状況であった。
                               
        スタート時は、早朝の霧が嘘のように晴れ上がり、寒がりの僕にとってはフルを走
        るには最高の気象条件だったと思う。スタート後、最初は1km以上下りが続く。
        とにかく飛ばさない事を心掛け、下りであるにもかかわらず入りの1kmは3分55秒。
        そこから「キロ4」くらいの良いペースランナーを探 し、自分の調子を探った。丹波
        では5kmでリタイアしたので、とにかく最初の5kmが不安だった。最初の5kmを19
        分32秒で通過し、その後数kmも気管、足とも問題なく走れ、それからはキロ3分
        50〜55秒くらいで推移する。15km過ぎても快調で、「今日はこのまま行けるので
        は!?」と思うくらいで、中間点も1時間21分48秒で通過したので、「2時間45分も
        切れるか!?」と思う程、快調であった。
                               
        25km地点も1時間36分52秒で通過。しかし、この辺から少し脚に疲れを感じ始め
        ていた。と同時に25km手前で折り返してから、微妙に向かい風となった。26km以
        降、集団がばらけ、これまでの集団走が出来なくなり、向かい風も受けラップも落
        ち始める。ついに29km地点で1kmのラップが4分00秒と、4分台に乗ってしまう。
        30km通過が、1時間56分43秒。小刻みなアップダウンがジャブのように効き、足
        は既に「棒」状態に近くなってきた。ここからは抜かれたランナーに何とか付いて
        いき、ペースダウンを防ぐ作戦を取る。3分台には戻せないが、4分5秒以内でこら
        え、35km通過が2時間17分00秒。35kmで2時間45分以内、45分台も無理と判断。
                               
        残り7kmちょっと。かなり限界に近い。油断するとあっという間にペースダウンして
        しまう。残り5kmを切って、何とかペースアップを心掛けるも、伸びない。39km、40
        kmは、少しペースアップ出来、40km通過が2時間37分54秒。「キロ4以内」の貯金
        もかなり食いつぶし、残り2.195kmを迎える。
                               
        ラスト2.195km。40kmを過ぎたら噂の「坂」が待っている。自分では気付かなかっ
        たが、41km手前からじわじわと上りが始まっていたのだろう。気付かない内に4分
        23秒もかかっていた。で、最後の坂!頂上付近にある歩道橋が見えるのだが、
        全然近付いてこない。長い坂の頂上付近が42km地点。4分44秒もかかった…あ
        とは、右に折れたらゴールが待っている。さほど無理にペースアップせずにゴール!
        「2時間47分51秒」(=Gross)で、Net Timeでは、2時間47分46秒だった。30km以
        降、失速したが、自己ベストはグロスタイムベースで、2分9秒短縮。目標にしてい
        た「キロ4」以内も達成出来、かつ、3週間前の丹波の状態を考えると、現状では
        満足の結果でした。
                               
        と、長くなってしまいましたが、自己ベストを出せて嬉しい反面、自分の課題も良く
        見えてきました。「30km以降のスタミナ」この一言に尽きると思います。9月下旬か
        ら30kmペース走を5回実施しましたが、「30km走」ではフルは持たない事がよくわ
        かりました。今後はペースを落としてでも35km以上のロング走の必要性を痛感し
        た次第です。
                               
        また、福知山の大会は、運営もしっかりしていて、雰囲気も華々しく、コースも走り
        やすく個人的には気に入りました。来年も必ず出て、最後の坂を気持ち良く走破
        出来るよう、これからも頑張って行きたいと思った次第です。次は2時間45分をカ
        ットする事を目標に頑張りますので、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。
     (大会開催日:2005年11月23日)

                  完走タイム  2時間47分51秒 (キロ3分58秒7)
                            5km      19.32
                      10km      38.51  (19.19)
                      15km      58.14  (19.23)
                      20km     1:17.33  (19.19)
                      中間      1:21.48
                      25km     1:36.52  (19.19)
                      30km     1:56.43  (19.51)
                      35km     2:17.00  (20.17)
                      40km     2:37.54  (20.54)
                      42.195km   2:47.51  (9.57)
                      前半ハーフ  1:21.48
                      後半ハーフ  1:26.03


投稿第二十四号

       様々な思い出のある東京国際女子マラソン

             
                                        2005年12月1日
                                      芦屋浜アスリートクラブ 
                                       会員:西川 加代

        2年ぶり7度目の東京国際。2000年には初50分切りを達成。しかしその翌年に
        は30キロで自ら初リタイアの苦い経験(>_<) そしてリベンジを誓ったその翌年に
        自己ベスト更新。(^o^)v 現在のベストがこの2002東京国際の記録です。
        ・・・と様々な思い出のある大会。

        昨年は夏に膝を故障し、内側が治りかけたと思ったら、今度は外側と、自分の中
        ではこれほど長期に渡って全く走れない日々を送った経験は初めてでした。
        そして7月やっとスピードに乗って走れてきたかな?と思った矢先、AACの練習
        会に向かう途中に道路で思い切り転倒し、今度は肋骨を負傷。(*_*)
        もうあちこちゆるゆるになっていくのを感じました。

        しかし、まだあと3ヶ月ある!と思い、なんとか8月から距離をのばしていきました。
        間に合うの?それともまた故障してしまうの?といった状況でしたが、迷いながら
        も東京国際の申し込みをした事が、自分の中でいい目標になったようです。
        o(^_^)○

        そして当日、スタートラインでは体調も気象条件も良く、またこの舞台に立ててる
        事が嬉しかったです。(^-^) しかし15キロ過ぎでもうすでに後半の足になってて
        一瞬、(--;) 血の気が引く思いでしたが、水かけながらまぎらしごまかし、何とか
        2時間58分01秒で無事ゴールできほっとしました。

        まだまだですが何かひとつクリアできたような感覚です。色々と激励の言葉を掛け
        て頂き、本当にありがとうございました。
        また次の目標にチャレンジしたいと思います。\(*^^*)/
        (大会開催日:2005年11月20日)


投稿第二十三号

          楽しい一日でした福知山マラソン

           
                                        2005年11月28日
                                      芦屋浜アスリートクラブ 
                                       準会員:原田 敬三

        3月のABC篠山マラソンで初フルに挑戦しフラフラになりながらも目
     標としていたサブフォーを何とか達成することができました(
3時間
        59
22秒)。30キロ過ぎあたりから全く足が動かなくなり疲労困憊
     の中、なんでこんなしんどい思いをして走らないかんのかと自問しな
     がらこれが最後、二度とマラソンなんか走らんと思っていました。
     ところがその後ほぼ月1の割合で各種大会に参加しランニングにどっ
     ぷりとつかる日々を送ることになろうとは。完走後の達成感、爽快感
     は走った人でないとわからないけど、本当にいいもんですね、だから
     止められない。
                   
        この福知山マラソンは人気の大会で関西圏では最大の参加者数を誇る
     とのことでしたので秋の目標レースとしていました。大会の一週間ほ
     ど前に中川副会長から一緒に行きませんかとのお誘いのお電話もらい
     ご一緒させて頂くことになりました。これまでは
1人で行くか、車で行
     くときに温泉と食べ物で娘を釣って連れて行くくらいでしたので、ラ
     ンナーの皆さんとご一緒させていただくのはとても嬉しいことでした。
     宝塚組のドライバーでお世話になった中さんにも感謝です。行きはと
     もかくフルを走った後の帰りに2時間以上も運転するのは結構きつい
     ことです。しかも自宅まで送ってもらい本当にありがとうございまし
     た。

                           
        本大会での目標タイムは背伸びして3時間30分、キロ5分ペースで
     行けるとことまでいって最後に全ての力を振り絞ってスパートすると
     いう予定でした。結果からいいますと、世の中そんなに甘くないこと
     、さして才能も無く経験もないものがそう簡単に出せるタイムではな
     いということを思い知らされました。
                   
        当日の天候は朝方は霧に包まれていましたが晴れ、気温は15度前後
     で走っていてもだらだらと汗をかくことも寒さを感じることもない絶
     好のランニング日和。参加者数が多いためスタートの号砲が鳴っても
     なかなかスタート地点まで辿り着かず、ゲートを通過したのは2分36
     秒後でした。しかも前がつかえていたので自分のペースでは走れず出
     遅れに焦りを感じながら最初の5キロに25分34秒(ネットタイム)か
     かりました。ただ、足は軽く調子は良さそうなので先の展開に明るい
     希望が持て少しペースをあげて5キロラップが24分12秒、24分5秒と
     快調に走ります。
                   
     28キロあたりまではさして疲れも感じずに予定通りキロ5分以下のペ
     ースで走りましたが、30キロ手前あたりで突然足が重くなり明らかに
     ペースダウンしているのを自覚し30-35キロは26分36秒のラップ。35
     -40キロではいよいよ足も動かなくなり疲労も限界近くになり往路では
     気にならなかったちょっとした起伏が苦しく、こんなしんどいことは
     今回限りにしようという思いが募るばかりでした。
                   
      ラップも27
23秒まで落ちましたが、周りのランナーも同じように失
     速しており追い越されるよりも追い越すほうが少し多いくらいでした。
     一人で走っているともっと失速していたと思いますが、周りに多くの
     ランナーがいることで頑張れたと思います。大会参加の大きなメリッ
     トはこれなんですね。最後にあの上り坂ですが、ラストスパートをし
     ようという気力は完全に失せてとにかくゴールまで辿り着ければいい
     という思いで走りきりました。
                   
     ゴールタイムは3時間34分57秒(ネット)。完走してしまえば、
     走りきった達成感でとても楽しかったと思えるのが不思議です。目標
     タイムには遠かったですが、一応自己記録は10分近く更新できたの
     で満足しています。30分切りの課題もはっきりしました。
     次の目標レースはABC篠山マラソンです。
                             
     コースも走りやすく大会運営も気に入りました。2.5キロ毎に給水があ
     るしゴール後にはアミノバイタルのサービス(ドリンクも)があり、
     ご丁寧にも開封した状態で渡してくれたのでその場ですぐに飲むこと
     ができました。これからも毎年参加しようと思います。帰りには西川
     さんにタイガースグッズまで頂きありがとうございます。
     楽しい1日でした。
     (大会開催日:2005年11月23日)


投稿第二十二号

       8回目の東京国際女子マラソンを完走して!

           
                                          2005年11月24日
                                       芦屋浜アスリートクラブ 
                                         会員:三枝 恵美


        東京国際女子マラソンは今回で8回目の参加になります。
        初めての東京は91年。東京を走った友人から『100名限定なのですごく走りやす
        いし、エリートマラソンって感じがするわよ!』と言われワクワクしながら参加しました。
        その頃は走るたびに記録が良くなっていたので、楽しくて仕方ない時期でした。
        それからは東京、大阪と走るのがお決まりになっていきました。
                              
        94年には付録としてですが招待選手で参加させて頂き、夢のような数日を過ごさ
        せて頂きました。その頃は44分位で招待されたのですから、この10年間で女子
        の記録は飛躍的に伸びたと思います。
                              
        95年は名古屋で40分を初めて切れたので、気合十分で先頭集団について行き
        ましたが、5キロ過ぎから遅れ始めみごと撃沈!長い長〜い42.195キロでした。
        苦い経験でしたが、身の程を知る良い経験にもなりました。
                              
        96年にも招待選手で参加させて頂き、今度はプログラムに写真が載り一生の思
        い出になった大会でした。99年に走ったのを最後に仕事が忙しくなったり故障をし
        たりでしたが、今回は6年ぶりに参加を決意!
                              
        1週間程前から気温が下がり、寒いのが苦手な私は困っていたのですが、思って
        いたより暖かく前半はとても走りやすかったです。しかし、後半は向い風と名物の
        坂にやられました。最後は足の感覚がなくなり動かなくなりました。2時間43分21
        秒
で完走!まだまだ修行が足りないなぁ〜と痛切に感じました。
        いつまで目を△にして走れるかわかりませんが、もう少し頑張っていこう!・・・・・
        と思っています(^^)v
        (大会開催日:2005年11月20日)


投稿第二十一号

      アイアンマン/ハワイ 『GOOD JOB!』
          その声援に後押しされて笑顔でゴール!


                
                                          2005年11月17日
                                       芦屋浜アスリートクラブ 
                                         会員:久保田 早紀

        10月15日、私はハワイ出場権を得てから、この日のために練習を積んできました。
        トライアスロンをはじめたのは大学に入ったときからで、もうかれこれ6年が経ちま
        したが、その当時はロングなんて自分には全く無縁の世界であると思っていました。
        そんな私がまさかハワイに出てしまうなんて・・・本当に驚きです。今ではショート
        よりロングの方が自分には向いているのではないか?とさえ感じてしまうくらいです。

        さて、前置きはこのくらいにして、5月のジャパンで運良く(試合前に食中毒にかか
        っていました)出場権をとれた日以来、私の目標はエイジ別で優勝することでした。
        私の所属しているテイケイ八尾監督にそのことを公言しましたが、ハワイレース後
        に、『当初、エイジで優勝するなんて、こいつなにいってんだ!って思ってたぞ』
        といわれました。それくらい、まだまだそんなことを口にできるレベルではなかった
        みたいです・・・ただ、本人だけはいけると思っていたのですから、のんきですよね!
        (笑)同じチームの田山君も初ハワイということで、同じような練習メニューで夏場
        は頑張ってきました。

        仕上がりもそこそこ順調で、やる気も高まってきた9月終わり、ここで私は痛い落
        車をしてしまいました。もう頭の中が真っ白になりましたね。その日は何ともなかっ
        たのですが、次の日に鞭打ちの症状が首にあらわれ、こけた側の左腕が上がら
        なくなりました。それでも練習していないと不安だったので、スイムをしました。
        すると、終わってからさらに痛みが増す悪循環。バイクに乗るのも落車の感触が
        思い出されて怖かったです。もう3週間きってこの状態、精神的に追い込まれてい
        きました。しかし、いつまでもめそめそしている私に今まで励まし続けてくれていた
        八尾監督から一喝入れられて目が覚めたんです。『もうどうこういってても仕方
       ないんやから、自分を信じてくよくよするな、いままでやってきたことに自信も
       て。当日にはすべてうまくいくんやから』
と。そこからはこれが自分にとってレー
        ス前のいい休養だと思い直し、ハワイコナへ向けて出発しました。

        コナについてからは全てが新鮮でした。本当にどの大会ともまた一味違った雰囲
        気で、選ばれた人たちがここに集結したのだと思うと、ここにおれることにほんとう
        に喜びと感謝の気持でいっぱいになりました。レースまでは全く緊張もありません
        でした。ハワイ1年生、チャレンジャーという立場でしたから、怖いもの知らずだっ
        たんですね。前日も9時には就寝。私、試合前に緊張して眠れないということが全
        くない人なんです。 ぐっすり休めました。

        そして当日の朝は3時半に起床して、まだ薄暗い海辺へ散歩に行きました。そこ
        で、 『今日一日宜しくお願いします』と手を合わせてお願いしました。これが効
        くそうです。おためしあれ!そしてなんだかんだ準備しているうちにスタートがきま
        した。ほんと、レース前はあわただしいですよね。私は結局最後まで全く緊張する
        ことがありませんでした。

        スイムは得意ですのでまずまずのタイムであがることができました。ただ折り返し
        あたりまでバトルが続いたので、それにはさすがに参りましたね。外人選手は大
        きいので、頭をたかれたら痛い痛い・・。

        バイクでは予想通り、どんどん抜かされていきました。ここでも驚いたのが、60才
        のおばさんに抜かれたこと。一瞬自分の目を疑ってメーターをみたら、35キロ・・・
        私はいつも通りでした。ほんとみなさん速いんですね。もっとバイク強化しようと心
        に誓いました。また横風がきついなと感じたのですが、今年は無風だったとか。
        これにもショックでした。いつもはどれだけすごい風がふいているのでしょうか??
        
        ランでは逆に、バイクで抜かれた以上に抜き返すことができました。とにかく、よく
        足が動いて走れました。いつもなら、30キロ過ぎるとバテるんですが、そこからの
        方が今回は元気になっていくような感じでした。『GOOD JOB!』その声援に
        後押しされて、笑顔でゴールすることができました。

        結果は10時間22分53秒で完走エイジ別2位(女子20−24)(日本国内女子
        2位)と、優勝はできなかったのですが、これは神様が「まだまだ優勝させてしま
        っては、私が天狗になってしまうから、だめだ」といってたんだと思います。ここま
        でこれたのは本当に多くの方々の支えがあってのことだと、改めて感じ、感謝して
        おります。来年もハワイ目標に頑張って精進していこうと思っていますので、どう
        ぞ皆さん宜しくお願いします。そして、みなさんもそれぞれの目標に向けて頑張っ
        ていきましょう☆
        距離:スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km   合計:226.2km
        (大会開催日:2005年10月15日)


投稿第二十号

         楽しい思い出いっぱいの青垣マラソン!

                
                                          2005年11月12日
                                       芦屋浜アスリートクラブ 
                                         会員:広井 泰二氏

        11月5日13時芦屋を出発、高源寺に16時頃着きました。故水上勉氏<作家>
        は『ここは鬼気せまる禅機がみなぎり、身をおいただけで、胆を洗われる精気が
        あるように思える。』と。水上氏の言われたとおり、苔むす山門と調和する楓、三
        重塔そして鐘、この素晴らしい景色の中で我々AAC会員ランナーは明日の健闘
        を祈りました。

        宿泊先の大原邸宅に17時頃着き、ダーツをしたり体脂肪率測定をしたり、夕食
        までくつろぐことができ、ビールを賭けたダーツ大会で盛り上がったのでした。
        私と本地さんが合計200点をオーバーし、ただ酒を飲めることになった。\(^O^)/

        参考までにダーツの説明をしますと、3本の矢を投げ合計得点を競います。
        ダーツボードは1〜20点の20等分になっています。
         *シングル・・・・・No.そのままが得点
         *ダブル・・・・・・・No.の2倍が得点
         *トリプル・・・・・・No.の3倍が得点
         *ダブルフル・・・・「中心点」が50点
         *シングルフル・・・・「中心点の周り」が25点

       11月6日朝から雨が降って、10時スタート時も雨だった。昨夜の酒が効きすぎた
       のか体が思うように動かない。小さな坂がボディーブローのようにきいてきた。復路
       は向かい風に悩まされて青息吐息、体が冷えて思うようなレースが出来なかった
       が、昨年より1分程遅い1時間37分12秒のタイムでゴールできました。

       残念ではあったが、自分なりに頑張れたと思っている。大原邸までジョグで帰り風
       呂に入り、くつろぎ、昼食後、昨日の続きで体脂肪測定をやり、昨日より2%程多く
       なっているのが分かりました。
       1泊二食で3000円のこの旅は、私にとって新鮮な刺激が沢山あった旅でした。
       来年は大勢で、また騒いで盛り上がりたいですね。+(^-^)+
       (大会開催日:2005年11月6日)


投稿第十九号

            美しい芦屋の自然を楽しむ!

              
                                           2005年11月7日
                                       芦屋浜アスリートクラブ 
                                          会員:城 佳子氏

        晴れたある10月の土曜日の朝、芦屋浜アスリートクラブのランニングに初参加し
        ました。私はずっと芦屋で育ったのですが長い間芦屋を離れており、仕事の関係
        でつい最近こちらに戻って来ましたので、ぜひ地元でランニンググループやランニ
        ングパートナーを見つけたいと思ったからです。
                               
        私が子供の頃には未来都市のように見えたシーサイドタウン。その街もすっかり
        芦屋の顔になり、そこにある中央公園に集合し、この日は高座の滝を目指しまし
        た。シーサイドの潮風を背に、多くの人が芦屋の中で一番好きな場所としてリスト
        アップなさるであろう芦屋川沿いに上流に向かいました。芦屋川も防災のために
        すっかり整備されてしまいましたが、まだまだ自然の姿が目につきます。
                               
        この日はススキの穂が銀や金色に光り輝いており、そこから見える六甲山系は
        非常に美しいものでした。およそ6キロほど走り高座の滝に到着。たくさんのハイ
        カーの方もいます。そこからもう少し足を伸ばして、芦屋ロックガーデンもかじりま
        した。見晴らしのいい所から街を眺めますと、自分たちのスタートした地点が小さ
        く見えました。
                               
        マラソントレーニングをしている普段には5−6キロという距離は、非常に短い距
        離単位として捉えているのですが、なんのなんの5キロでかなり移動できるもの
        なんですね。この日移動した距離を高い所から確認できて、ちょっとした発見でし
        た。
                               
        走っている間はメンバーのみなさんと楽しく会話。みなさん、気さくな方たちばかり
        で話も弾みます。それから、非常に健脚揃いでおられます。翌週は芦屋浜から甲
        山の方へ往復17キロということで楽しみにしていたのですが、雨で流れて残念で
        した。季節は移り変わりますが、土曜日ごとに美しい芦屋の自然を楽しみ色々な
        方との出会いを大切にしながら走行距離を伸ばして行きたいと思っています。


投稿第十八号

         アイアンマン/ハワイで完走しました!

              
                                           2005年11月1日
                                       芦屋浜アスリートクラブ 
                                         準会員:村田 里美氏

        んにちは、村田里美です。
        2003年5月にトライアスロン練習を始め8月珠洲大会Bタイプでデビュー完走しま
         した。その年の10月3日誕生日で49歳を迎え、当時の私にとっては、途轍もない
        誓願をしました。

        40代の思い出としてアイアンマン完走する。」と決め、2004年のアイアンマン/
        コリア完走をめざし、2004年6月徳之島完走、7月皆生でバイク大転倒しました
        が背中すり傷打撲、8月念願の49歳でコウリアン完走しました。 しかしこの時は
        台風の為スイム中止なので、事実上はアイアンマン完走ではありませんでした。
        9月伊良湖完走。

        005年宮古島完走、皆生を制覇し、ついに正規のアイアンマンコウリアンを完走
         し、ハワイの権利を獲得出来ました。私には各大会の完走が目標で、ハワイには
        行かなくても言いと思っていましたが、沢山の方達からの祝福を頂き内心戸惑う
        ほどでした。ハワイレースの意味すら知りませんでした。

        も今は、行って良かったと心からそう思います。熱帯魚を見ながらのスイム、無
        限大に広がった大地走るバイク、絵画の中を走っているようなラン。鳥たちの透き
        通った合奏のようなさえずりなど目を瞑るとその時に舞戻って行きます。それから
        バイク、ランでは選手と目が遭うとニッコリ微笑ん出くれると、希望と勇気が湧き出
        るようでした。

        めて生きてるって素晴らしい、人間って自然に遭遇するとこんなにも力が出る
        んだと実感しました。又こんなに健康に生んでくれた両親に感謝します。そしてこ
        の2年半トレーニングは勿論フルマラソンをはじめ全てのレース(10レース)を伴
        走してくれ、ハワイに導いてくれた渡辺さんに心から感謝を致します。

        ワイレースでのはじめての一人での出場は本当に不安でしたが、一人で完走
        する事が恩返しだと思いました。
        来年は2人でハワイに出場する事を目標に頑張りたいと思います。
        (大会開催日:2005年10月15日)


投稿第十七号

     ITUエイジグループトライアスロン世界選手権ホノルル大会に参加!

              
                                           2005年10月29日
                                       芦屋浜アスリートクラブ 
                                          会員:岡本 裕行氏

          タート10分前から同じエイジの選手が海岸に並び始める。私と森下さんは一番前に
        並んで、志気を高める
スタートの海へ向かう砂浜に、両サイドに応援者の通路ができ
        ている
ぜか不思議なことに、スイム海上の隣の海でアップを終えて、海を遠く眺めて
        いると今回のこのレースは過去に一度走ったことがあるように思えてきた。もうすでに自分
        はこのレースを経験したように感じた.
スタートラインのマークの間に選手が詰め始めた。

       
 スイム状況
        50m×2周回を海岸にあがらないで周回するコース。自分のカテゴリーの前にハンデ
        ィキャップ、オーバー60がスタートしている。スタート時間が遅くなるにつて波が大きくなって
        きた。海岸側も護岸があるため、戻しの波もきつい。ペースを乱さないことが最重要ポイ
        ントであったため、スロースタートで後半にペースアップする計画でスタートした。


       
った以上にスタート直後が混雑し、なかなか自分のペースがつかめないまま折り返しま
        でくる。折り返してからは、海岸近くを泳ぐため、リーフが気になる。最初は丁寧に泳ぎ切
        る計画が、ペース配分の誤りで起きる痙攣が気になる。気になりすぎて、ペースがあがら
        ない。2周回目に一人前を泳ぐ選手をとらえて平行して泳ぐ。


        かし、自分よりも少しペースが遅いため、泳ぎは楽なまま。折り返し手前で、この選手
        から離れ、前にあがる。折り返し後にまた別の選手をとらえるが、この選手も少しペースが
        遅い。ラスト300mあたりでこの選手から離れ、スイムフィニッシュへペースを上げる。しかし
        前半の心が自分に勝てなかったので、楽なペースのまま泳ぎ、結果26分という遅い結果
        に終わった。レーススタートの入りであるスイムを丁寧に行くということが、結果びびってしま
        った。
    
        バイク状況
        イムからバイクラックへ到着。スイムアップが遅いため、残っているバイクは少ない。ここま
        で遅いと、結局バイクでペースを上げるしかない。身体全体を使った回転はしっかりとでき
        た。ハイウェイを走る高速コースで、時速40kmで飛ばし続ける。それでも軽く抜いて行か
        れる。焦らず、自分のペースを見つけそのまま回す。日本のレースと違い、ドラフティングは
        厳しい。何度もオートバイがついてくる。
折り返し手前で、急激な坂が出てくる。海外の
        選手は登りで意外にも落ちてくる。ここで順位を少し上げる。


        半に入っても高速レースは続く。前半はだいたい同じメンバーが確認できたが、それら
        の選手がじわりじわりとペースを上げる。こちらも時速40kmで走っているがどんどん離され
        ていく。こちらは左側追い越し。DHポジションで走っていると、左の上のほうからから声がか
        かる。海外の選手はデカイ。


        0kmポイントぐらいで結局彼らは小さくなり、見えなくなった。ラスト5kmになり細かな
        アップダウンが続くなか、ペースはいい。Uターン後にバイクフィニッシュ。バイクを降りるとき
        に左足太股の裏がピキッときてやばかった。


        ラン状況
        ッケンをつけてランコースへかけだしていく。公園とワイキキ通りを使った2周回のコースだ。
        時間差スタートのため大勢の選手が周回を走っている。今、自分が何位ぐらいを走って
        いるのか全く分からない。それでもペースいい。走りも丁寧にいけている。抜く選手は多い
        が、抜かれる選手は少ない。抜かれても、このままちぎられるか追いつくかはその選手の走
        りを見るとわかる。


        せらず、あわてず、あきらめず、ピッチを保って行く。メキシコ、US、UK、NZ、カナダ、
        スイス・・・様々な国のユニフォームが交錯する折り返し。ワイキキ通りを折り返しラスト2
        km。少し早い目のスパートをかける。前を走る選手がどんどん近づく、パスする。長い・・
        苦しい・・


        うすぐフィニッシュのはず・・まだゲートがない・・こんなに長かったかな・・八尾監督の教え
        通り、さらにスピードを上げる。最後は一気に駆け抜ける。あまりの苦しさにその場に立っ
        てられない。
        2時間17分39秒  87位/124人中  S26:30  B1:09:16  R39:32)

        果は満足のいく記録でない。今回は本当に世界の壁を知らされた思いだ。国内戦だ
        けでは感じ取ることのできない緊張感や迫力、エネルギーなど、この身体に感じてきたこ
        とは自分にとって想像を超えた世界であった。今感じていることや今回の経験を糧にして
        さらに躍進したい。
(大会開催日:2005年10月9日)


投稿第十六号

           四万十川ウルトラマラソン完走記

                   
                                           2005年10月25日
                                       芦屋浜アスリートクラブ 
                                         準会員:中辻 豊彦氏

        まで何度かウルトラを走ってきましたが、100Kmというキリの良い距離はまだ2回目で、
        やはり100kmとなると記録が気になるわけでして、これはもうサブテンを狙うしかないわけ
        です。


        週間前の芦屋浜潮風ウルトラマラソン50kmの部を、3時間37分で完走できたので、
        何となく自信はあったのですが、最初から100kmということで自重気味に50kmを4時
        間半で走りました。タイムはどうであろうと50kmも走ると結構疲れるもので、Kmあたり5:
        00→5:30→6:00→6:30→7:00と素直に落ちて行き、最後は気を取り直しても
        う一度6分前後でがんばり、9:37:16でゴールしました。ちょっとガッツポーズ!


        っぱり100kmも真剣に走ったらしんどいわ。もう当分ウルトラはごめんです。
         (と言いながら来年の計画をしていますが)


       記は来年、四万十に行く人へのアドバイスです。
        @10〜21kmの上りは大したことありません。それより56km付近の上りがきついです
          が、距離は短いので頑張りましょう。


        A80km地点の施設エイドでは、鰹のタタキや生ビールがありますので、記録を狙わな
          い人はお腹をすかして走りましょう。


        B前泊は素泊まりで。カーボンパーティで鰹のタタキ(少々)、鯖寿司、たこ焼き、焼きち
          くわ、おでん、おにぎり(いっぱい)がでますので、満腹になります。ボクは最初に生ビー
          ルの列に並んだので鰹のタタキはあたりませんでしたが、生ビールは最後まで飲み放題
          ですので、先ずは鰹に突進しましょう。


        C往復は近鉄の夜行バスが便利です。レース当日も20時40分発に乗れれば、月曜
          日の仕事に行けます。(体力と気合があれば・・・)


        D安く泊まりたい方は、駅前に1泊2食で5000円代で民宿があるようです。
          (大会開催日:2005年10月16日)


投稿第十五号

            歴史街道丹後100kmウルトラマラソン!

           

                                          2005年10月12日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                           会員本地 敏行氏 

 めてのウルトラマラソンに参加することにしました。大会は前日受付のみのため、会場近くに宿を取ら
なければいけない。当日の朝9時にレンタカーを引き取りに行き、家へ戻り、荷物を車にほうりこみ、いざ出
発。会場へは15時程度に到着すればいいので、ゆっくりと下道で現地へ向かうことにした。今回は猪名川
→篠山→福知山→宮津→網野というコースを取る。今日は三連休の一日目のため猪名川までは結構混ん
でおり、川西池田では予定通過時刻よりも30分以上遅れていた。

 回、猪名川をコース上に取った理由があり、それは猪名川の「道の駅」で開かれる朝市に行く為でした
。ここでは10時から野菜の朝市が開かれる。新鮮野菜がとても安く売られており、それが目当てで来る人
も多く午前というのに、駐車場は一杯で空きを見つけるのが大変だ。私達はいつも大きなクーラーを車に積
んでおり、何時なんどきに野菜等の安売り市があっても対応できるようにしている。その理由は、この時期
クーラーがなければ、数分で熱帯化する車内に丸一日 野菜を放置できないからだ。今回、モロヘイヤ2袋
、ピーマン2袋、シシトウ2袋、生シイタケ1袋、にら1袋、梨1袋、和かぼちゃ、洋かぼちゃをそれぞれ1個購
入。
 
 フトクリームを買い、食べ歩きながら、ほかの建物のみやげ物屋を見回った。そこではカブトムシを売っ
ているが、よく見ると日本産とは形が違い、角が3個付いている物などがある。どうやら舶来物のカブトムシ
のようだ。のこぎりクワガタも売っている。よく見ると、はさみが湾曲しておらず、短い直線の形状をしている
。私の田舎では、のこぎりクワガワには3種類あり、犬クワガタ、馬クワガタ、水牛という名前がある。犬ク
ワガタは ここで売られているクワガタと同じはさみの形をしたのこぎりクワガタで、水牛というクワガタは、
はさみの曲線美がとても美しくて長い、理想的なのこぎりクワガタを指している。馬クワガタというのは、犬
と牛の間のはさみの形をしているクワガタで、はさみは長いが、のこぎりクワガタ独特の曲線美がない物を
指す。

 も終わり涼しくなってきており、昆虫達には過ごしにくいようで、動きが鈍くも感じた。このみやげ物屋に
はほかに竹炭等、炭製品が安く売られている。地酒、干ししいたけなども気を引く。そうそう、購入した野菜
をクーラーに入れるのだが、どうしてもかぼちゃ2個と梨が入らないので、どうすれば良いのか考えた挙句、
ダンボールの中に新聞紙と一緒に入れ、ふたを閉め、その上に白いビニールの買い物袋をダンボールが
見えないようにかぶせた。黒い物は太陽光を吸収し熱をだすが、白いものやアルミ等の光沢のあるものは
太陽光を反射するため、熱を発生しにくいという点を利用したことと、ダンボールには空気の層があるので
、結構断熱効果があるという点を利用した。(この方法で後日は気温31度。車内温度は40度以上に上が
っただろうが、中の野菜は生温かくなる程度で大丈夫であった。)

 は猪名川から丹波道へと入る。道は予想よりも空いていたので快適なドライブで先へ進むことができる
。途中警察車両の赤ランプが点灯していたので、どうしたのだろう。速度よし、など自分の運転に落ちがな
いかを確認して改めて見ると、オカマしたような事故を整理している最中で当てた方の車のバンパーはひし
ゃげている。生の事故を見て、こちらの運転も気をつけなければと再度気持ちを引き締めた。篠山から市島
までは気持ち的にとても長く感じるのだが、市島から福知山までは結構すぐに着く。そうそう、市島から福
知山へ抜ける時に越える峠のトンネルだが、ヘアピンカーブがきついことが理由かはわからないが、新た
にヘアピンがないようにトンネルを掘ってるようだ。何時完成するのだろう。トンネルが出来れば運転も楽
になるだろうと思った。

 知山は人口が多いため市内に入ったとたんに道路を走る車の数が多くなった。猪名川に入ってから有
名なチェーン店は見かけなかったが、福知山まで来て、マクドやガスト等のチェーン店を見かけることがで
きた。私的にこのようなチェーン店があると結構開かれている町というイメージがある。その理由は私の田
舎には最近出来たということを聴いたが、今までマクドナルドなどのチェーン店がなかったからだ。

 知山に到着したのが、家をスタートしてから3時間、お腹も減ってきたので、何か食べようということに
なったので店を探すことにしたが、このような時は店選びに苦労する。理由はとりあえず何かを食べたいの
だが、チェーン店は駄目、うどんや蕎麦、ラーメンのようなありきたりも駄目となると探すことに疲れる。そこ
で、丘の上の大型スーパー(ジャスコ)に入り、惣菜売り場にて昼食の内容を選ぼうという結論に至った。
お腹が減っているためだろう、ほかには目もくべず 真っ先に惣菜売り場へ向う。惣菜は種類も多数あり目
移りするには十分なくらいだ。関西の市街地では見かけないような惣菜もいくつかある。その中で特に私
達の目を引いたのが、カレイの姿揚げだった。衣は鳥のカラアゲをするときにつけるような味付き衣をまとっ
たカレイ。それと巨大キャベツたこ焼き14個入りでした。これだけではお腹も膨れまいと思った私はさらに
変った具のおにぎり(忘れたが関西の市街地見たことがない)を買い、車へ戻った。カレイの姿揚げはとて
も美味しく、ヒレから身までかぶりつき 口の中いっぱいに広がる油に「上手い」の一言。ついで巨大キャベ
ツたこ焼きに手を伸ばす。んんんっ!これはたこ焼きではない。。。揚げたこ焼きではないか・・・揚げ魚に
揚げ巨大たこ焼き。。。。でもこのたこ焼きもとてもうまい!!しかし至福の時もそう長くはなく、2人で揚げ
魚はどうにかクリアしたものの、揚げたこ焼きで急にペースダウンし、二人で6個まで頑張ったがあえなくリ
タイア。おにぎりは出番なし。恐るべし揚げ物集団。見事 私達2人は打ち負かされました。揚げ物たこ焼き
ということは買う前に気付け。と言われればそこまでですね。おかげで、夕方まで胸焼けのため、お腹が減
ることがありませんでした。

 が胸一杯にこみ上げ気持ち悪い気分をダイエットコーラで流し込みこらえる。我慢しながら とりあえず
車を先へ進ませる。宮津から大宮へ。大宮から網野へはすぐに到着することができた。会場は178号線か
ら400m程度入ったところにあった。選手専用駐車場はそこからさらに800mくらい離れた川原近くのグラ
ンドに設けられている。その駐車場と会場であるアミティ丹後とはシャトルバスが常にピストンしている。私
達が駐車場に到着と同時にシャトルバスが出発した。次のバスを待つか、会場まで歩くかを考え、シャトル
バスを待つことにした。バスは10分程度で到着し、私達は歩かなくて良かったとちょっと得した気分になっ
た。バスで輸送されている途中 同じく参加する友人が外を歩いているのを偶然見つけることができ、お互
い気付くことができてよかった。受付終了後、宿を取らず、実家へ帰るため、速めに会場を後にするらしい。
100kmは4時半出発のため本当に大変と思う。
 
 場に着くと、にぎやかで活気にあふれており、みわたすといろいろな店がある。会場の説明をすると、
まず入ると左手に選手受付場所、その奥にはアミティ丹後のみやげ物売り場、右手には大会事務局と観光
局。正面の70m先にはゴールのアーチ。アーチを越えると広めの広場にいろいろな店が構えており、中央
にはCW-X店、ザバス店、牛乳等乳製品店。左手には飲食店その向こうに大会記念グッズ売り場、その隣
にニューバラス店。右手には会場のステージ、ステージ前には長いすがたくさん置かれ、正面向こう(長い
す軍の向こう側)にはファイテンショップ。さらに道を越えて向こう側に仮設トイレと体育館がある。とりあえ
ず受付を終了後、真っ先にゴールアーチにて記念撮影をした。明日はここまで走るのか。。。重圧ほどでは
ないが、少しの緊張が走る。会場ではもう一人の友人と出会い、一緒に記念撮影をした。そうそう、丹後地
方だが、地名が変ったのだろうか?私の古い記憶では竹野郡だったはずだが、京丹後市という名前になっ
ており私個人的にプチ驚きがありました。会場ではCW-Xの店が去年モデルだが通常の半値以下でタイツ
が売られていたので自分のサイズがないか探したが、男子用ではSサイズばかり残っており、自分のサイ
ズは全くなくとても残念。去年モデルだろうが、私にとっては関係なく自分のサイズがほしいと思った。次に
ニューバランスの店へ向う。店で売られている靴は高級な靴が多く、すべて1万円を越える靴が売られてお
り、私のような3000円〜7000円の靴を履いているランナーにとっては値段に足が出るので残念。ニュー
バランスの店の隣では応援メッセージを書くことができ、そのメッセージは30km地点のニューバランスの
特設エイドにて読み上げてくれるという嬉しいサービスもあった。ザバスの店を見ると タブレットなどが売ら
れている。以前私はこれらタブレットをよく買っていたが、あまりに美味しいので、ついついお菓子のように
食べてしまうのでもったいなく。結局それ以来、今回ももちろん購入することなく通り過ぎた。

 達は、歩きつかれないために、会場の中央に並べられている長いすに座った。開会セレモニーから始
まり、24時間マラソンのトレーナー(坂本氏)の話を聞き、あっという間に時間が過ぎた。坂本氏の話の内
容だが、丸山弁護士が24時間マラソンの出走までのサポートを説明されていた。ガードレールを飛び越え
ようとして転んで膝を痛めた。4日5日前に、机に足を乗っけて足の爪を切っているとぎっくり腰になった。ウ
ルトラマラソンに参加するときのアドバイスなどなど、お笑い出身ではないため、笑いを取ることは難しいよ
うだが、話に興味を引かれる。坂本氏の話がおわり、すぐにニューバランスのタレント?のアンドゥー(2人と
いうか双子)がステージに上がり、ホノルルマラソンに参加したときのこと。明日の激励等行ってくれた。そ
の後すぐにビンゴ大会が開かれ、坂本雄次氏がビンゴボールを取り、その番号を司会者が読み上げる方
法を取っているのだが、見ていると打ち合わせなしの本番のようで、1回目は坂本氏が番号を読み上げよ
うを頑張っている。すかさず、司会者が説明をし、円滑に運営されるようになった。この光景を見、ほのぼの
とした気持ちのいい大会の一面を私は感じたような気がしました。ビンゴでは商品が多いので、なにか当た
るだろうと願っていたが、全くのはずれ。最期の方では番号を一つ読み上げるたびに5〜6人がイッキに当
選する始末。あっという間に商品がなくなってしまいました。催しを円滑に運営するにはこの手法がいいだ
ろう。ゼッケン番号を読み上げる方法ではすべての商品を配るのに1時間はゆうにかかる。しかし、残って
いた商品が一つの番号を読み上げるだけで ほとんど持っていかれる光景を見ると外れている私にとって
、「あ〜あんなに当選者がいるのか」と寂しい気持ちになった。ビンゴゲームもあっという間に終わり、悔しさ
を胸にアミティ丹後のみやげ物屋を物色し、帰りは駐車場行きのバスの待ち人数があまりに多かったので、
徒歩で歩いて駐車場へ帰った。バスで2往復分の人数が待っていたので、歩いたほうが断然速かった。

 野町から久美浜までは距離にして15km。現在の時刻は18時20分くらいで、このまま直で民宿に帰
っても遅くなるのだが、どうしても60kmのスタート地点を確認したかったことと、明日は嫁が一人で車を走
らせ、丹後地を走らなければいけないということで道慣らしの理由で遠回りで民宿へ向かうことにした。車
道にはところどころに白線にて矢印が書かれており、ここがコースなんだということが一目できる。また、2.
5km毎に距離表示の看板が道路わきに準備されていた。この大会は交通規制なしで走るようで、車や通
行人には注意しなければいけないらしい。久美浜のスタート地点近くに来るとファイテンの旗が多くなびい
ている。初めてでもすぐにスタート地点を確認できるくらいに目立つのでうれしい。
 
 のままその場を通り過ぎ、左回りにて対岸に位置する民宿へと向かった。久美浜で丁度陸地が細くな
っている部分(小天橋)に宿があり、到着は19時ごろであたりはすっかり暗くなっていた。宿は木造2階建
てで結構広い。1階にお風呂と食事場があり、2階が宿泊場となっている。部屋へ案内され、先にお風呂に
入ることを進めてくれた。夕食の時間が遅くなり、結果片付け等が遅くなるので、宿の方にとっては速めに
食事をしてほしいところだが、先に風呂を進めていただいたことは 本当にありがたい。ゆっくりではないが、
30分くらいでささっと風呂に入り、食事へと向かった。食事は1階の客室の一部を食事場にしているような
形で、部屋に入るとすでに多くの夕食が並べられていた。茹でカニ、魚の揚げ物(コチのような食感)、カサ
ゴの煮付け、刺身3種(脂がのっていておいしい。)、お寿司2かん(おろしぽん酢で食べるのは初めてでし
た。)茶碗蒸し(カニの味が一杯しました)、はまぐりの赤だし(大きなハマグリ)、魚の煮物、デザートはトマト
のシャーベットを食べ、私は本当にお腹が一杯になりました。部屋へ戻り、明日の予定を立てるのだが、明
日は朝起きてまずは、100km組が予想では6時45分くらいから過ぎるだろうから、朝の散歩をかねて10
0km組の応援をする。宿泊場を後にした後、60kmのスタート地点へ向かい、その後嫁は一人になるので、
とりあえず、走行コースを持参してきた地図に詳しく書き込んでおく。そうすることにより急な場面の対処に
してもらえればと思い用意した。私は、明日の大会のことを考え、どうしようかを考え
るが そのうちに眠くなり、夜の10時に就寝となった

大会当日の朝
 くのほうから太鼓をたたく音が聞こえてくる。なんだろう。沿道にて太鼓をたたいて通り過ぎる選手を応
援しているのだろうか。眠いな〜一体何時なんだ。時計を見ると6時丁度。100kmの部のスタートは4時半。
この宿はスタート地点から27km地点。もし今通過しているのなら、速過ぎるというよりもありえない。おか
しい。窓を開け、耳を澄ませてその音を聴くとお経の唱える声も一緒に聞こえてくる。どうやら朝のお勤めの
ようだ。少し安堵し、もう一度寝なおす。その後、6時半過ぎになり外へ出て応援に向かう。早朝はとても涼
しく、半そで半パンで外に出るとかなり肌寒い。こんなに肌寒いのなら 曇り空だろう思えば 空は雲ひとつ
ない晴天というギャップに驚く。この時期は、早朝の空が晴れていて涼しいと、昼からは気温が上がるとい
うことはほとんどの人が考えると思う。私も必ず午後は暑くなると確信した。コースとなっている道は、にわ
かに活気だっている。見ると選手が続々と通過している。27km地点(100kmの4分の1を過ぎたあたり)
のため、各選手とも余裕があるのだろうか。応援に対し、多くの選手が返事をくれる。走り過ぎる選手に見
とれているうちに、友人ランナーが2人とも無事に通り過ぎた。カメラシャッターを切り、応援をし、気合を貰い、
朝食へと向かった。

 食はすでに用意されている。朝というのにとても豪華な内容だ。焼き魚、のり、出汁巻き卵、山椒の実
の味がする佃煮、岩のりのような佃煮、豆腐とわかめの味噌汁、梨の切り身2つ、きのこの炊き込みご飯で
した。(多分こんな感じでした)お腹一杯にご飯を食べて部屋へ戻る。時間は、8時くらいになっていた。スタ
ート時間まで1時間半に迫っていたので少しあせりながら準備をする。宿の方がこられ、料金を支払い、少
しの談話で、私は今回はマラソンに参加することをきっかけで丹後地方を観光したいですねと伝え宿をあと
にした。

 を走らせ、会場へ向かう。私達が出たのが8時半くらいでもう100kmランナーと出会うことはないだろ
うと思いながらコース上を逆走しながら車を走らせていると、22km地点にランナーが走っている姿を確認
できた。出走後4時間経過している。この大会は、全種目18時半(100kmは出走後14時間)にて競技終
了のため、現在で4分の1弱の地点を走っている人はゴールが時間的に難しいではと心配する。頑張れと
小さく応援した。

 は会場へ着いたが、車の駐車場所が分からなく、どうしようかと迷い、スタート地点を通り過ぎた地点
にて大会の役員らしき人に聞くと海の近くに駐車場があるということを不安げに教えてくれた。その指示ど
うり先へ向かったところ、駐車場はあるものの、広い駐車場に駐車している車は5台だけ。違和感を感じた
が、そこに車を止め、徒歩にて会場へ向かうことにするのだが、この駐車場から大会会場近くが見え、駐車
されている車もよく見える。結論として、車は会場のアーチをくぐった奥の空き地部分に止めることが一番い
いようで、私達は、遠い駐車場に車を止める結果となりました。遠い駐車場といっても会場までは徒歩で3
分程度の場所にあるのだが、、、。

 場に着くと多くのランナーがアップやスタート前の準備、柔軟体操。ゆっくりを座りこんでいる人、給水所
にてスポーツドリンクを補給している人など多くのランナー及び付き添い兼応援の人が入り混じっている。
会場の規模は小さく久美浜湾を背中にした状態でスタート位置が正面に設けられていて、山手方向を向い
て選手はスタートを切ることになる。スタート方向に向いて、右側にステージ、給水所とファイテンショップが
ある。左側には更衣室、後ろにはトイレがある。私は会場に来て、まずトイレに入ることにした。トイレは 水
洗トイレではないので、使用中は目がアンモニアの匂いでとても痛かったです。また、男子トイレには紙が
なくなっていたので、折角10分近く並んでまったことが無駄になってしまった。中には、紙なしで利用する
猛者もいるのだが、私にはそのような勇気はない。隣の女性用のトイレの紙が余っているようだったので、
その紙を分けてもらい利用することが出来た。大会関係者の方も紙がないことに気付き、あわてて紙を持
って駆けつけてくれたおかげで、その後は問題も解決することとなった。

 る準備をしながら、照りつける日差しに暑さを少し覚える。現在9時で結構な暑さを感じると言うことは、
一番気温があがる2時ごろはもっと暑くなっているのだろう。ウエアは上下ユニフォーム、腰にタスキ用の鉢
巻を巻く。この腰巻は飲み食いが原因で横腹が痛くなったときに閉めるために必要なものだ。靴はマラソン
シューズ、靴下はぬれても重くならないように踝までかからない靴下を使用。日焼けすると体温が高くなる
ので、それを防ぐために日焼け止めを見えている体中に塗りこんでもらった。非常用として、アミノバイタル
プロ(粉末)をゼッケンに裏に貼り付ける。また途中、喉が渇いたときのために120円をウエアに貼り付けた。
スタート前に準備体操があるらしく、ステージにダンサーのような人が立ち、私の行うように体操してくださ
い。という形でイベントが進んでいる。そうそうニューバランスのタレント?(アンドゥー)双子の姉妹のどちら
かが60kmの部に参加し、どちらかが30km地点のニューバランスのエイドにて応援をしてくれるそうだ。
(似ているのでどちらがどちらかが 分からない。)
 
 タート前の応援として坂本氏が駆けつけ、アンドゥーの2人もステージに上がり、選手全員を応援する。
選手達はスタート地点に並び始め、スタートの瞬間を待つ。アンドゥーの1人(どっちだろう?)がスタート10
秒前には一緒にスタートまでのカウントをしてほしいことをマイクで伝え、皆で一丸となってカウントダウンを
叫んだ。10、9、8、〜〜〜3、2、1、バン!!!ホイッスルが鳴り響くと同時に選手が一斉にスタートを切る。
普通の市民マラソン大会のような速いスタートではなく、トップですら1kmあたり3分45秒くらいであった。ス
タート直後から、団子状態になるのかと思ったが、そうでもなく、縦長の本当に1本の筋となっていた。目的
のゴールは60km先。始まりが速い人もいれば 遅く出発する人もいる。

 タート直後は平坦なコースが続き 曲がり角のいたる地点にて石灰の白線にて矢印が書かれている。
矢印は歩道へ続いている部分も普通にあり、この大会は車や歩行者などを優先した上でマラソン競技を行
うという趣旨を改めて理解できた。60kmの初めの難所である小高い丘を越えるのがスタート後3km地点
である。その手前に給水所があり、水とスポーツドリンク、その他、、、などが用意されており、私はスタート
後2.5kmくらい走っただけだったので、スポーツドリンクを1杯だけ飲み先へ進む。日差しも柔らかいような
感じなのでまだまだ余裕がある。しかし このままのペースでゴールまでいけるだろうか?近年こんなペー
スで60kmはおろか40kmですら走りきったことはない。どうだろうか?不安もあるのだが、とりあえずこの
ままでつき切ろうと思い、ペースを落とさず走ることにした。前半(30km)は山が多く、後半(30km)は平
坦が多いという感じでコースの高低さが書かれている。そのため、前半は苦労するかも知れないが、後半
は楽という理由で この速めペースで走り切ろうと決意したのだ。ただ、この時点で気温の高さがどれだけ
人間の体を蝕んでいくのかを理解できていなかった。

 ースは久美浜湾と日本海の両方を見ることができる「小天橋」を通っており、その道の歩道を選手は走
る。今朝6時半に応援をしていた際、一緒に応援していた近くの民宿の女性の方が私が通り過ぎるときも応
援のため沿道に立ってくれている。小天橋の周辺は応援も多いが、そこを越えると民家も少なくなるため、
応援もまばらとなった。高低さもほとんどなく、快適な走りで8km地点に差し掛かる。急にコースが左に折
れ、坂道の途中に旧府立久美浜臨海学校に設けられているレストステーションに差し掛かった。このレスト
ステーションはとても人が多く、エイドよりもグレードアップした内容を選手に用意してくれているため、食材
がとても豊富だ。見ると、塩、梅干、レモン?オレンジ?などを確認できたが、それ以外に一口パンが並ん
でいる。アンパンなのだろうか、ジャムパンなのだろうか?いろいろと考えながら、スポーツドリンクを1杯飲
み、先へ進んだ。後からプログラムを見るとあんぱんとクリームパンのようだ。

 ストステーションを過ぎ、人家も人気もない道を先へ進む。途中、サツマイモが有名と言わんばかりに
サツマイモが売られている。1kg500円。新鮮といってもちょっと高いのでは?次の店には1kg600円。。
えっ〜〜。美味しいといっても、ちょっと。。関西の市街地の店で売っているのは500gくらいあるだろうが、
約150円〜200円くらいだ。ここらのサツマイモはブランドなどもあり高級なのだろうか。途中、沿道で応援し
てくれている女性が私を見て、男の人なのにあんなに日焼けクリーム塗っている。という大きな声が聞こえ
た。ええ?そんなに塗っていないのに、そう思い、自分の腕を見ると、小麦色した腕にクリームが白く浮き
出ているではないか。スタート時点では目立たなかったはずなのに、ちょっと恥ずかしい光景である。また、
クリームは汗等の水分をはじくようで、腕から吹き出た汗は 腕に無数の水玉を形成している。その水玉は
大きく成長し、自分で耐え切れなくなると、つつっ〜と一筋の汗となり流れ落ちていく。走りながら、自分の
腕にできた汗の動きの面白さに見とれている。結局、クリームはいまさら取ることもできないので、そのま
まの異様な白肌を見せつけながら走ることにした。

 気のない道を走り続ける。先頭集団は3人で遠く先を走っている。その後ろに点々と私を含め4名いる。
私はマイペースで走り続けているが、常に予定のペースよりも1kmあたり15秒速めの通過である。15km
くらい走り続けているので喉の渇きをかなり覚えるようになってきた。よし、次のエイドでは2〜3杯水分を取
ろう。そう心に決め、エイドを待った。エイドは待っているとなかなか出てこないものである。この大会は だ
いたい3kmごとにエイドがあるが、確実ではなく、1km程度は違う。まだかまだか、早く来い。そう願いつ
つ走っていると七竜峠に上る手前にエイドがあり、スポーツドリンクを2杯のみ、どうにか喉も潤い、気持ち
も元気になり、いざ峠へと向かう。峠の標高はプログラムに書かれている地図を見ると150m近く上ること
になっている。そうこうしているうちに道も上りになり、重い体を持ち上げるようにのぼりを走った。民家を越
え、山道を少し走ると少しの下りとなったので、峠も越えることが出来たと安堵したが、実は峠はこれからで
、更なる上りが待ち構えていた。上りというよりも完全な山道である。100kmの選手はこの峠を2度越えな
ければいけないということに驚く。私は一度越えるだけでお腹一杯の気分になった。えんえんと続く坂道を
見つめ、ヘアピンカーブを越え、この上り坂の頂まで上ったら、上りも終わりだ。あそこまで上ったら終わり
だ。と可視範囲で見える坂道を越えるたびにそのように考えている。まだかと思いつつも長い坂道が続く。
少し長めの坂道を上がっていると、先で人の声が聞こえてきた。なんだろう?と思いその場に到達すると七
竜峠にあるエイドだった。

 すがに疲れた私は、エイドにて、スポーツドリンク2杯と水1杯を飲み、掛け水を2度頭から全身に滴るよ
うに掛け、下りへと向かった。下り勾配はとてもきつく、イッキに駆け下る。足への負担を心配しながら走る
が、あまりに下りが急なため動きだした足が止まらない。下りきると網野町だ。頑張ろうと思い走るが、そう
でもなく、海岸線の漁村のようで 更に50mくらい高低差があり、また上ることになった。海岸線の角を曲
がると どうにか街の景色が見え、漁港へ下り始めた。漁港周辺は補助員も多く、仮設テントも張られてい
る。何だろうとその場へ到着すると 60kmの部で第二のレストステーション。このレストステーションには
多くの100kmランナーが休憩やうどんを食べている。ここから先は100kmランナーとの一緒に走る場面も
多く、エイドステーションも100kmランナーがいるのでその分少し混雑していた。

 野町ではコース街中や商店街に取られており、走者にとって車が危険ではなく、自転車や徒歩で通行
している普通の人がとても危険でした。その理由は急にコースを変えたり、止ったりといった動きをするた
めで、それら急な動きに走っている私は急な対応が出来ないためである。本来、マラソン大会は選手が主
役となり、町を駆け抜けるが、この大会は、選手の肩身が狭く、車を運転する人や通常生活をされている人
に迷惑を掛けないように走らなければいけない。よって、信号が赤であれば、止らなければいけない。車
の通行が多い交差点では、通行の間が開くまで待たなければいけない。歩道のない部分も多く、私のすぐ
横を車が普通に走る。もしよろけてしまえば車に引かれてしまう。そう思いつつ気をひきしめていると、ウエ
アに貼り付けた120円が私の動きに耐え切れず外れてしまい飛び散ってしまった。あわてて拾い集め、手
に握りながら走りを続行するが、このままお金を握った状態で走ることは精神的な負担が大きすぎる。どう
しようか不安になっていると嫁が丁度応援ランをしてくれていたので、コインを近くの角に投げて、「持って
帰って」と伝えた。一時 どうなるものかと心配したが、安易に解決することが出来てよかった。商店街では
各角に補助員が立ってくれている。走っていると 補助員の一人がタオルの両端を両手で持ちながら 両
手を高く掲げて何かを言っているが走っていると どうもよく聞き取れない。何を言っているのだろうか?と
思いつつ、その補助員を避け、先を進んだ。後から分かったのだが、止れのサインらしい。止れというのな
ら、看板に書いて それを見せてくれないと分からない。私自身、ただの応援かと思っていた。
 
 丹後市の主要道である178号線を横切るとすぐにエイドが設けられていた。エイドではお腹が減ったの
で、バナナを食べることにした。バナナは三分の一のサイズに切り分けられており食べやすくなっている。
その後塩を口に含み、ドリンクを合計3杯飲んだ。178号線を越えると街もまた静かな通りへと変化した。
平坦もしくは分からないくらいののぼりが続く。走行距離も25kmに達し、時間も10時半で、日差しも暑い。
ようやく三分の一を越えたくらいでなんだか妙に疲れがつのり始めてきた感じだ。30km近くでは「あじわ
いの郷」の園内をコースに取られており、味わいの郷までの高低さ20mくらいの急な坂をのぼり、園内をグ
ルリと一周する。園内には汽車が走り、ソフトクリームや美味しそうな匂いが立ちこめている。当たり前だが
、一般客が多く、「すごいなー」と感嘆しながら選手を見ている。園内の草原にニューバランスのエイドが作
られており、すごい盛り上がりで待ってくれていた。前日にニューバランスの店にて応援メッセージを書くと、
この30km地点のエイドにてその応援メッセージをアンドゥーの姉妹の一人が読み上げてくれる。恥ずかし
いようなうれしいような複雑な気分である。私へのメッセージは「死ぬ気になって走れ」拷問とも思えるメッ
セージだ。エイドで給水と給塩をし、頭から水を浴び、味わいの郷を後にした。続々と選手がこの味わいの
郷へと上がってくる。この大会で唯一の対面通行(400m)を走り、その後 コースはまた静かな田舎道へ
と続く。途中の交差点や信号機のある交差点には警備員が立っている。車の通行加減により選手を止め
ると行った行為をとっている。この地点には100kmランナーが多く、目に付くランナーほとんどでした。10
0kmランナーはまだ残りの距離が40km近くあるため、1km当り10分くらいのゆっくりとしたペースで走ら
れている。私は道は平坦なのだが思うようにペースが上がらない。今日の気温31度という高さが原因で体
が蝕まれた結果、ついに私の走りに現れたようだった。

 ストステーションの弥栄庁舎(33.9km)地点に着くと、とても多くの100kmランナーが給水や休憩、
水浴びをしている。私もその中に紛れ、水浴びをし、バナナを食べ、塩を一つまみ口に含み、スポーツドリン
ク3杯、水1杯のみ、後ろから追ってくるランナーを気にしながら、早々とレストステーションを後にした。レス
トステーションを越えた後、すぐの信号器に引っかかり、「なんで信号にひっかかるんや。」そう思い、「行っ
たら駄目ですよね。」そう沿道の補助員に言ったが、そこは仕方なく、信号が青になるのを待った。青にな
ると同時にイッキに駆け抜けるが、このとき今まで気にならなかったことが気になりはじめた。それは水に
ぬれた靴がとても重くて気になることでした。今までそのようなことは一切感じることはなかったが、今は、
靴が水に濡れることがこんなに靴を重たくさせることに改めて驚いた。まるで、足のに1kgの分銅をつけて
走っているような感じだ。

 号機を越え、100kmの部のランナーと一緒に先を進めると、矢印が2方向に書かれた交差点に差し
掛かる。警備員兼補助員の方はなにも言わなかったため、私は戸惑い、どちらへ行けば良いのか分から
なく心にも余裕もなく、「右、左どっち?」とだけ伝えた。しかし返事が返ってこず、私は昨夜に見たプログラ
ムに載っていたコース図で途中に60kmの部は左に曲がることだけを覚えていたので、強引に左へ曲が
ることにした。左に曲がった後は、田園風景が続き、先には誰も走っていない。コースを間違ってしまった
か?不安になり、小高い橋を越えると田んぼとの交差点にパラソルの影に隠れて2人の若い補助員が応
援をしてくれた。このコースが正しく、ひとまず安堵することが出来たが、体に余裕がなく、足は重たく、体は
だるい。急にこんなに体がだるくなるなんて、一体どうしたものだろう。とりあえず、走り続けなければゴール
へは近づかない。ペースを落とさず、急にダルくなってきた体を無理に走らせ、田園風景の角を曲がった遠
く先にテントが見えた。その場所までは800mくらいはある。しかし、体が重い。動かない。テントは予想ど
うりエイドで私はどうにかエイドまで到達することができた。エイドには数人の人がおり、私はとりあえず、エ
イド前に座り込み、水とスポーツドリンクを合わせて3杯頂、水を2回掛けた。隣に子供用プールがあり、水
が一杯に張られており、私は飛び込みたい気分にかられたが、そこは我慢。「もうゴールできへんかもしれ
へん」とエイドの人に漏らした。すると、エイドの人は「私達は何もすることができへん。がんばってと 言うし
かできへんの、ごめんね」そういわれた。確かにその通りだ。エイドの人に要らぬ気を使わせてしまった。と
りあえず、先へ進むことにした。走り初めて500m地点 急に吐き気を催し、何かを吐こうとするが、体の中
に溜まったガスが口から出るだけで何もでない。むしろ、ここで水分を出してしまうとまずいと思い、どうにか
こらえることにした。少し走り続けるも、この時一番感じたことは気温は暑すぎる。体を冷やしたいが、何も
ない。いっそ、川の中にでも飛び込もうかと思う。それまで、1km当り4分15秒程度で走り続けた体が言う
ことを利かなくなった。そういうよりも、自分で戦意喪失してしまったような感じだった。

 会が終わった現在、改めて今回の失敗を考察すると、私が今回使用した靴は2000年〜2001年度に
購入した靴でナイキのエキデンといい、購入後4年は経っているため、ただでさえ、劣化が始まっている。し
かし、今回持ってきた靴はこの靴が一番クッションがあったので、この靴で走ることを余儀なくされた。もう
一つの靴は1999年度に購入したナイキの靴でマラソン大会で合計500kmは使用しているため、クッション
もなくなっていた。私が本当に望んでいたのは、丹後ウルトラマラソンの会場で格安の靴を購入し、それを
その日にためし履きを行った後に、次の大会で使用する計画だったが、いざ、売っている靴の価格を見ると
10000円を越える高級な靴ばかりで、結果見るだけで残念してしまった。このロスを靴のセイにするわけ
ではない。一番目の失敗として、暑さ避けをしなかったため、体の機能がおかしいような感じになったこと。
2番目に靴が悪いため、足裏や膝に余計なダメージを与えてしまったこととスタート直後余裕があると勘違
いし予定ペースよりも1km当り15秒速く走っていたことの3点と感じる。

 の42.5kmのエイドにたどり着くまでに約6回立ち止まり、 何度か歩いてしまった。もう走れない。ど
うにか、42.5km付近のエイドにたどり着いた。エイドにたどり着くと同時にエイドの前にしゃがみこんでし
まった。「やっと着いた」私はただそれだけの気持ちだった。このエイドで休もうか。どうしようか。給水をコッ
プ3杯のみ、塩をつまんで口に放り込む。暑い。暑い。暑い。走れない。次は何キロ先にエイドがあるのだろ
う。不安に思った私は水の入った紙コップを持ち、先へ進むことにした。体が熱い。足裏が痛い。膝も痛い。
腰もだるい。熱中症なのだろうか。以前、熱中症と脱水症状になったことを思い出し、まずいのでは?そう
危惧し始めた。主要道に入り、遠くまで直線の道を見て呆然とした。とりあえず休もう。その場にしゃがみこ
んだ。しゃがみこんでいると急に車(大会関係者車両)が止り、500CCの水が入ったペットボトルを助手席
の女性の人がさしのばし、「いりますか」そう話された。私は確か「ありがとうございます。」といったと思う。
頂いた水をいっきに一口分くらいだったかを残し飲んだ。先に進もう。そう決意し、先へと歩き始めた。次の
エイドはとても遠く、丹後庁舎のレストステーション(47.9km)までの5kmは何もない。空のペットボトルを
片手に持ち、もし公園等で水道があれば、水を汲んで飲もうという計画で公園を探したが、ここら一体は田
んぼばかりで、公園なんてものは全くない。100円もっていたので、自動販売機を探したが、安くても120
円ばかりで買うことができない。「一体、どこまで歩かせるのだろう。エイドはまだか?公園はないのか?」
などなど 考えながらとりあえず先へ進む。途中、小屋の近くであかんと思い、しゃがんで休憩をしていた。
すると先ほど止ってくれた大会関係車が止ってくれ、もうすぐレストステーションがあることを教えてくれた。
空のペットボトルを回収しましょうかと言われたが、私は途中どこかで水を給水できるかもしれないと思い、
ゴールまでもって走りますと答えた。とりあえず、丹後庁舎、そこまでは頑張ろう。と思い先へ進んだ。
 
 後庁舎手前500m地点に道の駅があり、嫁がお茶を片手に応援をしてくれていた。私は、お茶を貰い
、一気飲みほし、さらに歩いた。走れ〜と言われても走れない。歩いて先を進む。どうにか丹後庁舎に着く
ことが出来た。熱中症にかからないためには?どうすればいいのだろうか?考え給水をした。スポーツドリ
ンクと水を数杯のみ、アフリカのアスワンハイダム建設の歴史上のことを思い出した。CMでもやっていた
ので記憶にはよく残っていた。そうだ。塩を取ろう。塩を大ツマミで口に放り込み、水と一緒に飲み込む。
丹後産の塩は全く塩辛くなく、美味しい。バナナも1本食べ、空のペットボトルを差し出し、水を入れてくださ
いといった。すると新しくペットボトルを頂き、水を2回体に掛け、先へと歩き始めた。

 の後商店街の中らしきところを歩き続ける。疲れもかなり募り丹後庁舎で休めばよかったと、そう思う
ようになった。多くの女性ランナーに抜かされる。よく見るとゼッケンは100kmの部だ。丹後庁舎から次の
エイドまでは距離は短く、すぐに着いたイメージがある。エイドに到着し、とりあえず、目の前のタブレット等
を食べ、水分を給水し、先へ行こうかと思ったが無理で。数杯水分を取り、ブルーシートにて休憩をさせて
もらうことにした。途中、心配をしてくれ、毛布なのかな?そのほか水と濡れタオルを頂いた。20分近く休憩
し、もうこのままでいようかと思った。折角ここまで来たのだから最期まで行きたい、制限時間はまだいける
だろうか。歩いてもゴールできるかな。先へ進もうか?どうしようか?さまざまな思いが浮かぶ。とりあえず
、重たくなりきった体を起こし、通り過ぎるランナーを見ることにした。一人で走っていたなら、間違いなく辞
めている。しかし走り続けるランナーを見るとまだ走らなければいけないと、根をおろしかけたエイドを後に
することにした。体に氷水をかけ、コップに氷水を入れてもらい、それを片手に歩いて先を進んだ。休憩をし
たため、少しの余裕ができたのでジョグをすることにした。走れる。よし、遅くてもいいから走ろう。そう思い
走ることにした。海岸はとてもきれいなのだが、今はあまりきれいには見えない。むしろ前に続く道の方が
キレイに見える。50kmも走り続けてきたんだ。そう思うとすごいと思う。

 っていると、道路の隅に黒色の布切れが落ちているのが確認できた。なんだろう。しんどくなったので
とりあえず歩く。それがどうぶつの死骸と気付くのにはそう時間はかからなかった。ただ、初めに想像した
のが、犬。次に洗い熊?狸?なんか形が違う。んんんっ〜〜熊?まさか熊があるわけない。熊?熊?えっ
、やっぱりぷーさんだ! なんと小熊が車に引かれていた。可哀そうさ半分、驚き半分。親熊は近くにいな
いか確認するが、いないので安心。丹後の自然はすごいと感じた。

 りにも余裕が見えてきた為、1km当り、歩く距離は300mくらいと短くなっていた。海岸線にある小さ
なエイドで給水する。ちょうどランナーもおらず閑散としていたので、ゆっくりとすることができ、そのエイドか
らの展望を少し楽しんだ後に先に進んだ。エイドが設けられている三津小学校手前には500mくらいの上
り坂道があり、その坂をみて、「ここまで来てこんな坂道があるなんて!」そう思い、とりあえず歩いた。どう
にか徒歩にて、三津小学校(最期のレストステーション)に到着した。エイドにいるランナーは私だけとなり
、とても寂しいステーションで、何があるのか分からない。後から見るとスープがあるらしく、ぜひ飲んでみ
たかった。小学校を後にし、少しの坂道を走りきる。工事中のコースを車に注意しながら走ると、ラスト4km
地点エイド手前の大きな上り坂の下で、嫁が余りに遅い私を待っていた。私が遅い理由はエイドで寝てい
たからというとなんともいえないような表情を浮かべている。とりあえず、坂道なので、歩こうとすると走れ走
れという。仕方なく、重くなった体を腕振りを大きくして動かそうとし走り始めた。腕振りがこんなに走ることに
重要だということが足が弱ったときに改めて分かった。嫁は私を歩かさないように先導する。歩きたくて仕
方のない私は、腕をオーバーに振って、膝を前に出すようにして走る。私の丹後ウルトラマラソン紀行で最
期のエイドに立ち寄る。タブレットと、スポーツドリンク、塩を補給し、冷たく感じたが水浴びをし、背中を押さ
れるようにエイドを後にした。

 う4kmしかない。でも、足は動かない。私にとって全力疾走とも言える走りだが、嫁の背中に追いつく
ことができないどころか、どんどん話されていく。ラスト5kmは1kmごとに表示されている。1kmのラップを
見ると7分半くらいかかっている。どんなに頑張っても離されるわけだ。悔しいが体が動かない。また、息も
すえない。歩かせてほしい。空気を吸いたい。大きく息を吸うと肺が痛む。浅い呼吸で回数を重ねると肺に
痛みが少ないので その方法で持ちきろうと思った。前ではうるさいくらいに、頑張れといわれるので仕方
ない。歩きたいが走ろう。膝も疲れのため、痛み出している。特に痛みを感じる動きは、角を曲がるときで
ある。直線ではまだどうにかなるが、方向転換すると痛みが増す。おかげで、いっきにペースダウンしてし
まう。しかし、嫁は先導しながら頑張れと言う。振り出しに戻るようだが、歩きたいが走ろう。ラスト3km網野
町に入ったものの、なかなかゴール地点が見えない。1kmがこんなに長いものだと改めて感じる。いつま
でどこまで走っても次の距離表示の看板が見えてこない。歩きたい息を吸いたい。早くゴールしたい。ゴー
ル近くになると急に応援の人も多くなり、マイクでゴールをたたえる内容の放送が聞こえてきた。ゴールが
近い。ゴール手前のラスト2箇所目の曲がり角で歩道に上がるように指示されるが、歩道に上がるだけ膝
が上がらない。4cm足を上げれば、歩道に上がることができるが、その4cmに恐怖を感じる。もしつまずい
たらどうしよう。など思うと越えられない。上る瞬間に歩き、段差を越え、曲がり角を歩いて曲がる。次の角
を曲がるとゴールテープまでの直線に入る。長かった。このテープをきるためだけにここまで走ることになっ
た。足も痛く、体の調子もおかしくなってまで頑張るなんで、ほんとにバカだ。最期の角を曲がる。沿道で応
援する人がさらに多い。マイクで応援をしれくれている人は私のゼッケンを数100m手前で確認しているか
のように、私がラストの直線に入ると同時にマイクで声援を送ってくれた。「奥さんが前をリードしてだんなさ
んのOOさんが着ました。頑張れ。もう少し。頑張れ。ゴール。おめでとう。・・・奥さんに引かれてOOさんゴ
ールされました。お疲れ様でした。」(だったと思います。)

完走後
 りあえず無事完走することができた。完走と同時に完走メダルを掛けてくれる。また、完走証(ハガキサ
イズ)を持ってきてくれるが、とてもそれをもらえるくらいに元気はない。地面に座り込み、吸えなかった空
気を存分に吸った。肺は痛いものの、空気を吸えたことが嬉しかった。頭はくらくらし、足は棒のようだ。体
のそこらが筋肉痛となっていて、まるでロボットのような動きに変っている。先にゴールしている友人がゴー
ルおめでとうと言ってくれた。本当に自分におめでとうだ。40km地点で終わっていた大会。残りを歩くこと
でゴールすることができた。記録なんてどうでいい。ゴールできたことが嬉しかった。

 10分近く座り込み、落ち着いてからRCチップをはずす。着替えるため、体育館へ行くが、体育館へ上が
るには5段くらいの高めの石段があるのだが、足が上がらない。4つんばいになって体育館へ流れ込む。
体育館に入り、とりあえず、大の字で寝た。私のとなりには60kmをリタイアした年配の方がおり、今日は暑
すぎる。あかんわ。などなど会話をしている。私も今日の暑さはひどすぎる。と目をつぶりながら思った。31
度、32度というウワサが飛び交うが、私にはどちらでもよくただ暑い日だということだけが分かった。少し落
ち着いたので、着がえるが、この会場には水道がなく、本当に困った。とりあえず、べたべたした状態であ
るがこのままで着がえることにした。今までの丹後ウルトラマラソンの会場にはシャワーもあったそうだが、
アミティ丹後にはない。大会関係者に聞くと、温泉の無料チケットが入っているからそこへいってください。
そうきっぱりと言われた。私だけかも知れないが、ランナーは走った後は、とりあえず、汗を流したい。その
後、落ち着いてから温泉に入りたい。無料温泉チケットといっても、この会場からでは車がないと行くことが
できず、東急観光のバス往復で来られた方にとっては シャワーはおろか、風呂にすら入ることが出来ず
帰らなければいけない。また、制限時間ギリギリにゴールした場合だと 最終バスの出発時間まで20分く
らいしかなく、息つく暇もない状態だそうだ。高い費用を払っているのに、あまりに傲慢な扱いと感じる。せ
めて最終バスの出発を関門後1時間くらいにしておかないと、もし、関門が閉鎖後にゴールした場合バスは
もうないの?と思う。

 談は置いておいて、私達は、参加時に貰った飲食無料チケットでうどんとフランクフルト及び無料の豚
汁を食べてくつろいだ。まだ、友人の一人がゴールしていないのでゴールを待つことにする。私がゴールし
たのが、16時前、ごろごろと体育館で過ごし、歩けるようになったのが、17時半くらい。ゴール関門閉鎖ま
で1時間を切ったが友人が100kmの部の90kmをまだ通過していないという連絡を受けた。

 の大会は、参加する選手は指定したメールアドレスに通過記録をリアルタイムにて、メールで送信でき
ることが出来るが、そのメールがまだ来ないそうだ。どうしたのだろう。例年なら10時間くらいでゴールして
いるのだが、、、。するとラスト10kmの通過メールが入ってきたらしく、嫁と2人で応援に向かうということに
なった。私は歩くこともつらいので、体育館の隅に座って待っていた。40分くらい座って待っていたが、筋肉
痛になっていると一つの体勢で保持することがつらく、時折足がつりそうになる。こんなにしんどいとは想像
もしなかった。体育館で寝ていればよかった。しかし2人の荷物を預かっているので、移動するわけには行
かず、ころころと体勢を変えて座り帰ってくるのを待っていた。通りの向こうが騒がしくなったので、見ると友
人が帰ってきた。その姿を応援し、丹後マラソンがフィナーレを迎えた。友人がゴールし数分で競技終了の
放送が流れた。その放送が流れてから20秒程度遅れてゴールした方がいたが、後に大会結果を見るとき
ちんと完走者名簿載っていました。

 技終了後は、会場内の各店舗共急に閑散とし始めた。選手のほとんどは会場を後にし すでに帰って
しまっているのだろう。友人も帰り、私達は、アミティ丹後の売店にてみやげ物を購入し、帰途へ着いた。

 は会場から800m離れた位置にあるため、嫁がジョグにて車だけを取りに行った。競技終了後は大会
関係車専用駐車場が開放され、一般者も止めることができたので、そこまで車を運んでもらい、荷物を積ん
で、帰途へ着いた。2人共とても汗臭いので、帰りにお風呂へ入りたいと思い、宮津にて温泉入浴施設に入
ることにした。ここは10時まで開いているので安心だ。場所は176号線から500mくらい山に入ったところ
にある。宿泊施設と温泉施設がくっついたような施設で、風呂には、ハーブが沈められており、とてもいい
においがする。今日はラベンダーがお湯の中に入れられている。風呂はとても空いており、がらがらに近い
。普通の浴場、絹風呂、ラベンダー風呂、ハーブの匂いのするスチームサウナ、打たせ湯がある。露天風
呂がないことがタマに傷といえる。ゆっくりと1時間はいった後に風呂を後にした。その後、福知山でのんび
りした後、車を走らせ、春日ICにて高速で無事帰ることが出来ました。家に着いたのは午前2時でした。ウ
ルトラマラソンも大変と感じました。
(大会開催日:2005年9月18日)

  丹後100kmマラソンではなく、
  60kmマラソンなんですけどね。
2.5km 5km 7.5km 10km 12.5km 15km
10分36秒 10分27秒 10分34秒 10分20秒 10分31秒 11分4秒
17.5km 20km 22.5km 25km 27.5km 30km
13秒17秒 10分6秒 11分4秒 10分22秒 12分13秒 11分29秒
32.5km 35km 37.5km 40km 42.5km 45km
11分2秒 13分2秒 12分 15分17秒 17分16秒 26分9秒
47.5km 50km 52.5km 55km 57km 58km
19分10秒 44分48秒 19分4秒 26分41秒 20分38秒 7分20秒
59km 60km . . . .
7分37秒 6時間12分17秒 . . . .


投稿第十四号

  芦屋浜潮風ウルトラマラソン[ちょっと嬉しかった50km優勝]

                   
                                       2005年10月12日
                                     芦屋浜アスリートクラブ 
                                      準会員:中辻 豊彦氏

        今回は、2週間後の四万十川ウルトラ100kmの調整のつもりで50kmの部に出
        場させていただきましたが、気持ちよく先頭集団で走ってるうちに途中から「優勝
        できるな」と確信したため、四万十川のことを考えてペースを落とそうかなとも考
        えたのですが、「3時間台でゴールできるかも」と欲張り,最後まで一生懸命走りま
        した。

        結果は3:57:48。皆生トライアスロンに続きサブフォー達成です。
        四万十川ではサブテンを目指したいと思ってます。
        また最後のジャンケン大会でも、阪神優勝記念の阪神百貨店商品券を頂きまし
        たが、巨人ファンのボクとしては複雑な心境です。来年は原監督率いる巨人が優
        勝してくれるので、阪神百貨店社長さん、一緒にウルトラ走りましょうね。
        (大会開催日:2005年10月2日)


投稿第十三号

       芦屋浜潮風ウルトラマラソン不完走記

               
                        
                                       2005年10月10日
                                       (株)松村善進堂
                                   狂走会:
松村 若子氏


1回 芦屋浜潮風ウルトラマラソン大会(70kmの部)感走記 <2005年10月2日
(日)開催・芦屋浜アスリートクラブ主催>ウルトラビギナーの、若だすです。 走歴
4〜5年。10kmレース、ハーフ、フルと、初心者ランナーが歩む?ステップを順番に
歩み、かといって、スピード走とは、無縁のファンランナーです。 ウルトラって何や
のん?どんな刺激があるのん?興味津々な世界です。

年(2005年)5月に、武庫川ユリカモメ70kmにエントリーし、ドピーカンな天候も
災いし、自己最長記録は51kmに止まっていました。 51km以上の未踏の距離を
踏むべくチャレンジしたのが、今回の「芦屋浜潮風ウルトラ」70kmです。 本大会
が、ACC初の記念すべき大会とのことで、まずは大成功おめでとうございます。
そして、運営に携われたスタッフの皆さん、はじめ参加選手のみなさん、応援いた
だいた方々ほか皆様と素敵な時間を共有できたことに感謝いたします。ありがと
うございました。

てさて。。。感じるまま走日記です。
●ロケーション抜群!● コースは芦屋運動公園を拠点に、南芦屋浜と、北側の
芦屋浜を往復する10キロコース。 コース上の海面では、ヨットにカヌー、釣りやB
BQを楽しむ人などの姿が見られる、アウトドアアイランドです。 五感のすべてに時
間の移り変わりが心地よく刺激されます。

た、片道5キロの折返しコースなので、ランナーどうし、すれ違い時に会釈し合
ったり、励まし合ったり‥ フレンドリーな雰囲気にハマっちゃいました。
●エイドもサポートも、スマイル● am8:00。 50kmの部(25人)、70kmの部(18人
)がスタートラインに並び、 号砲はVメガフォン??(笑)。よぉ〜い。。ぽんっ♪ 
選手が一斉スタートしました。

10時過ぎ。。気温がぐんぐん上昇し、青空がでてきました。 エイドでは、オレンジ
・バナナなどが出され、ついつい立ち止まってしまいます。(時間もロスがちに‥)
脚がだんだん疲れてきて。。。浜側の岸壁コンクリートの固さが脚底に響きます。
痛い。固い。 氷を積み込んだ自転車スタッフがコース上を走り、配ってくださり感
激しました。

みんなのウルトラ物語● ここに参加されている、すべての皆さんに、それぞれ
のドラマがあり、マイペースで楽しんでおられます。 ネットアルバムを拝見しました
が、皆の笑顔がスゴク良い表情なので、きっと皆さん楽しんだんだと思います。
30キロ時点で、ベンチで休憩してるランナーさんがとても優雅で?うらやましく思
えました。 (後ほど真似しよう。今は前へ前へ)  

して、私たちのドラマは6往復目(50〜60km)に急展開することになります。 2時
20分ころ、5往復目を通過し、エイドでぱくぱく給食してると 「60kmの関門は3時半
だよ。これを突破しないと7往復目に行けないよ」って‥。 今、2時25分!迷うこと
なく飛び出しました☆ (50キロまで6時間半かかってるのに、今からの10kmを65分
で走られるんやろか?うーん、ビミョーだ☆) 7往復目に突入していたkuboさんにペ
ースメーカーになっていただき、キロ6分ペースで爆走しました。 驚くべきパワーが
発揮でき関門をぎりぎりクリア!!(初の60キロ超え〜)

関門突破後は、悠々ラン?● 関門通過すると。。余裕のよっちゃん。しばらく
歩いたりストレッチしたり写真撮ったり、憧れのベンチでプチリゾートしていると、、
と、、すると、、 脚が固まったのか。。(走られない。。おかしい、なんで?) 完走し
たいキモチと、(すでに満足してる)充実感と、最終走者となっている後ろめたさで
複雑な心境で、「早く走ってゴールしないと、みなさんに迷惑かけるやん」というキ
モチとは裏腹に、脚が動かないんだからどうしようもない。

にもかくにも、65キロ地点でもあるポイント(ゴールゲート&大会本部)までたどり
着くと。。 閉会式直前の皆さんから温かい拍手で迎えられました。  「ここで終わ
ってください‥」。(ラッキー☆) (65kmでDNFです。70kmの部としてフィニッシュす
ることはできませんでしたが、 私の65kmは、大きな意義ある65kmです。)
あとで、きけば、70kmの部の完走者はたったの6名とか? なぁんだ、わたしら結
構がんばったじゃん☆

して、ちょっとだけ分かったウルトラの世界とは、、フツウじゃない人の集まり?
ってことよね?(笑) そして閉会式&表彰式&お楽しみジャンケン大会。。。
楽しくもあり、あっという間の、長い1日に大満足です☆Thanksです。
今後とも、AACクラブがますます発展されることをお祈りしております。
(大会開催日:2005年10月2日)


投稿第十二号

             蒜山高原マラソン全国大会

               
                                           2005年9月20日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                           会員本地 敏行氏

        ●この大会は岡山県と鳥取県との間に位置する蒜山が会場のため、当初宿を取る方
        法と早朝に車を走らせて参加する方法の2案を慎重に考えた結果、会場までは高速
        道路のみで約3時間で到着することが分かったので、朝5時出発し、会場へ向かう計
        画を組むことにした。
        当日の朝はばたばたしないよう、荷物のほとんどを前日に用意し、朝は4時半に起床
        した。インターネット天気予報を確認すると今日は午後から雨天と書かれていたため、
        折りたたみ傘を急遽用意(この機転がよかった)し、車へ乗り込ん。
                                
        ●車は、軽自動車のレンタカー一日の利用価格が5000円のため、半月前にその車
        を予約をし、前日の夜20時に引き取り、近くの駐車場へ入れておいた。手荷物とクー
        ラーボックスを車に入れ まだ薄暗い早朝の中を走り出した。車の通行はほとんどなく、
        涼しく快適なドライブ気分でのスタートだった。
        甲山を横切り、西宮北有料道路を越え、西宮北ICから高速道路へ入る。下道も高速
        道路も車の通行はほとんどなく、快適すぎたため加西SAを過ぎるころから、少し眠気
        を覚え始めた。朝が早すぎたため、今になって体がだるく感じ始めた。もう一度寝るこ
        とが出来ればこのだるさもなくなるのだろうが、そのような時間もなく、今日はちゃんと
        走ることができるだろうかという不安が募る。運転にも疲れてきたので、勝央SAに入
        り休憩。
                                
        ●勝央SAは規模が小さく、加西に比べれば、トイレの広さは三分の一くらいで売店の
        広さも半分くらいだ。買いたいものもないのに、ブラブラと売店内をうろつく。売店には
        梨が売られていた。5個入りで1800円。1個300円強。なしの産地で有名な鳥取県
        が隣県というのにこのような価格が提示されていることに驚いた。(後の蒜山で売って
        いた全く同じなしは1500円だった。産地ではもっと安いのだろう。) 眠気覚ましにホ
        ットコーヒーとブラックブラックガムを買い、先を急いだ。ここから米子自動車道を走り、
        蒜山ICで降りる予定だ。走ってる最中改めて考えたのだが、蒜山ICで降りても一つ手
        前の湯原ICで降りても高速道路を下車後、会場までの所要時間はどちらも20分と大
        会案内に書かれており、また一つ手前で降りたほうが高速道路料金が少し安くなると
        いう理由で 急所湯原ICで降りることになった。しかし、その企画には一つだけ不安
        な点があり、それは当初蒜山で降りる計画だったので、蒜山ICから会場までの地図
        は用意していたが、湯原ICからの地図は用意していなかったことである。
                                
        ●湯原ICを下車後、とりあえず鳥取方向、蒜山方向へ向えばいいだろうと、俄仕込み
        の案を立てたが、そのような心配も要らずにすむことになった。それは早朝の割りに
        湯原ICで降りる車があまりに多いからでした。私達は湯原ICから出て行く車の後に続
        いていく方法を選んだ。もちろん 私達が追いかけている車は大会に参加するという
        保障は全くない。しかし、それら不安を払拭したのは先にも書いたように異常なほど
        下車する車の数だった。
                                
        ●313号線を車で約10分程度走ると会場へ案内する手書きの看板が見え、会場方向
        に向かっていることを確信し、ここで初めて安堵した。さらに10分くらい走ると道路中
        央に警備員が立っており、交通整理をしている。会場へ向かう人はこちらへ進んでく
        ださいと言っているようだ。その方向へ進むと会場らしきスポーツ公園に着いた。車は
        スポーツ公園内の野球グランドを臨時駐車場とし、消防署員がそのグランド内へ車
        を誘導してくれている。よく見るといたるところに消防署員が世話をしてくれている。普
        通は警察や警備員、もしくは一般の人が補助員をする場合が多く、今回のケースは私
        的にはきわめて稀な経験だったので、少し驚きました。
                                
        ●今年のこの大会は 2005年岡山国体が開催されるため、例年の開催日よりも 1
        ヶ月早い開催となったらしい。よく参加する人が言うには、例年は涼しい もしくは寒い
        のだが、今年は本当に暑いわ。たった1ヶ月早いだけでこんなに変るんやな。開催場
        所が高原のため気候変化が激しいのだろうと 私は思う。
                                
        ●消防署員のてきぱきした誘導に従い、グランド内に車を止め、歩いて会場へ向かっ
        た。野球場のすぐ下の体育館前の広場が会場となっていた。体育館内は男女別更衣
        室、救護室、記録証配布場所。体育館前にゼッケン受け渡し場所が設けられていた。
        道路を挟んで、向かいの舗装された広場にはスポーツショップ、ファイテンショップ、飲
        食ブース、特産物販売ブース(お酒、みやげ物)があった。私達が参加受付をしている
        と会場内に 突然フォークリフトが荷物を持ちながら乗り込んでくるのを確認できた。
        何なのだろうと見ていると大根の青空市場だった。とても大きな大根を1本100円で
        売り出している。会場の参加者は列を成し、大根に群がった。大根はフォークリフトで
        3往復したものの、30分くらいで完売したらしく、後から来た人には何があったのか分
        からないようだった。大根は普通の店で売っているサイズの2倍はあるので超徳と思
        います。また会場内の飲食店の一つはほかの飲食販売店のようなテントではなく、キ
        チンとした建物で、中ではうどんなどが振舞われており、その入り口にはなすびとピー
        マンが売られていた。そのなすびがすごく大きく、なんと長さが40cmくらいあるとて
        も普通では見ることができないサイズで、このなすびが2本100円で売れている。私
        達は受付終了後それら野菜の朝一を満喫し、車へと戻った。
                                
        ●今日は午後から雨という予報だが、今は晴天で暑いくらいだ。これから雨が降るな
        んてことは予想できない。もし雨が降るのなら、私が走っている途中で降ってくれれば
        涼しくなっていいのにと願った。あまり歩きまわると疲れるので車戻り、エンジンをかけ
        、クーラーを付けた。車内の気温が適度に下がり暑さをあまり感じなくなった辺りでパ
        ンフレットを見ることにした。参加者は10kmが多く763人、ハーフで537人。私はア
        ップを5kmの出発に合わせて始めることにした。5kmに参加する嫁が出走する姿を
        見送り、アップへ向おうと考えた。この大会は過去の記録が驚くほど低いので、嫁が
        帰ってくるのに大体23分くらいはかかるだろうという予想でアップを考えた。

        ●頭の中で自分がスタートするまでの予定を組んで、5kmのスタート20分前まで車
        の中で寝ることにした。最近の軽自動車は後ろの座席を前に倒すと平たい部分が広
        く出来るのでうれしい。快適ではなかったが、くの字になりながらも少し寝ることがで
        きた。
        5kmのスタート時間が迫ったので、だるい体を起こし、5kmのスタート地点へ一緒に
        向かう。スタート地点に並ばせ、スタート5分前にその場を離れ、スタート地点から少し
        離れたコースの側道に張り込む。嫁が通過時に応援したが、聞こえなかったらしく目
        の前を通過。後ろ姿を見送り私自身アップへ向かうことにした。
                                
        ●会場の山手側の野球グランドが駐車場となっており、その更に上の丘には温泉施設
        とテニスコートがあった。大会参加時に温泉割引券をもらったが、この温泉施設の割
        引券なのだろう。景色見物をしながらジョグをする。26度と気温も高く、2kmも走れば
        服の色が変るくらいに汗をかいてしまっている。汗の量を見、十分アップも出来たと思
        い、車へ戻った。ランパン、ランシャツに着替え、カメラを片手にゴール前300m地点
        に待機。5kmスタート後約20分経っていたので多くのランナーが次々と帰ってきてい
        る。嫁は練習不足のためか、重い足取りで帰ってきた。無事にゴールをする姿を見届
        け、カメラと車の鍵を渡し、私自身がスタートラインへ着いた。スタート5分前で多くのラ
        ンナーがスタートラインに立っていた。
        周りを見ると強豪が揃っているようにも思える。とりあえず、私は今回、1時間15分を
        切ることを目標に走るのだが、過去の記録を見ても 1時間15分をきっている記録が
        ほとんどない。一抹の不安を抱え、ホイッスルを待った。
                                
        ●ホイッスルが鳴り、一斉にランナーがスタートをした。トップランナーの速度は遅く1k
        mの通過が3分10秒程度だ。私は遅めで入ったつもりだったが3分18秒で通過して
        いた。今回は1時間15分を切るつもりで参加しているが恐らく無理で、その無理を承
        知でいけるところまで走る計画で参加している。1kmを通過した時点でラップを確認
        するとこの先の不安がイッキに膨れ上がった。1km地点はスタート後、400m地点
        からなだらかな上りとなっている。また、スタート直後の混雑も含めると、実質は3分8
        秒の通過タイムだったと考察した。最初の入りを誤算し速いペースではいったため 
        この先を考えるとなかなか飛ばすことが出来ない。しかし3分34秒以下にペースを落
        とすと1時間15分の記録をきることも不可能になる。かなり落としたペースで次の2k
        mの通過は3分29秒だった。この通過もなだらかな上りが半分以上続いたので、実
        際はもっとペースが速いとも思える。

        ●空は晴天で日差しがとても暑く、もちろん私自身このアップダウンがふんだんにあ
        るコースと気候で最後まで走りきることは私自身絶対に不可能とこの時点で確信した
        が、折角ここまで来たので、捨てレースでもいい最期までいけるところまで走りきろう。
        力尽きたらそのときは歩いてでもゴールしようと思った。2kmから4kmまでは一見平
        坦だが、なだらかな上り下りが続いており、その途中に2箇所エイドがあった。内容は
        水だが、とてもありがたい。スポンジも用意されており、私は冷たい水が含んでいるス
        ポンジを額に押し付けて疲れをごまかした。4kmから5kmには大きな丘があり、その
        丘を下った先に10kmの折り返し地点があった。私はハーフの部のため、さらに5km
        先へ進むことになる。内心 10kmにしておけばよかったと思いつつ、先へすすんだ。
                                
        ●この先は平坦はなく、微妙な上りがほとんどで見上げるくらいの丘が約2箇所くらい
        あった。私は、8km過ぎの道の駅の前でRCチップが外れかけたので、その場で立ち
        止まり、RCチップをキチンとくくりつけ、靴紐を結んだ。
        チップを付け直したのはいいのだが、ここまで無理して走り続けてきた緊張の糸が R
        Cチップをキチンと付け直し靴紐をくくっている間に5人のランナーに抜かれてしまった
        こと 靴紐をくくる行為(休憩してしまったこと)で体のだるさを感じ、ペースが上がらな
        くなってしまったことで 切れてしまった。体中をどっと疲労の塊が駆け巡るような気分
        がした。私の今回のハーフマラソンはこの地点で終わった。そう私自身確信した。
                                
        ●マラソンという自分との戦いのスポーツでは、どこで勝敗が決まるのだろう?私は
        分自身の気持ちの折れた地点と確信する。例えば競り合いで負ける場合も走る速さ
        を抜きで同じ力と考えた場合、「駄目だ」と頭の中で少しでも考えた時点で体はそれ
        相応の答えを出した動きになってしまっている。実際、私自身、この場で気持ちが折
        れてしまい、いままで頑張って走り続けた上り坂も今まで以上にきつく感じ、結果立ち
        止まり、歩いて上るという醜態をさらしてしまった。各沿道で補助員をされている消防
        士の方々はまだ半分にも満たない地点で歩いているランナーに対し、ゴールまでたど
        り着くことができるのだろうか。途中で倒れないだろうかと心配してくれていた。
                                
        ●とりあえず、最期まで進もうと思い半ジョッグで走ることにした。折り返し地点を越え、
        1km辺りのラップも4分から6分(歩いた為)に落ちていた。折り返してから多くのラン
        ナーに先を越され、私自身追いかける元気も足には残っておらず、ただ、上りの坂道
        がくれば歩き、平坦と下りでは走り続けるという情けない走りをしている。せめて最期
        まで走り続けてゴールをしてみたかった。行きでRCチップが外れてしまった場所で応
        援してくれていた方々が私が折り返して戻ってきたときに ほかの選手よりも大きく多
        く応援をしてくれてくれたことが嬉しく感じた。
                                
        ●エイドでは走りながら水を飲む理由もなくなり、それよりもその場に立ち止まり、ゆっ
        くりと水を飲むようにした。もう一杯ください。というと水の入ったコップを渡してくれた。
        ありがとうといい、水を飲み干し、ビニール袋へコップを入れた。スポンジを額と首の後
        ろへ押し付け、先へ進む。
        目の前に10kmの折り返し地点が見えた。その地点を横目に2kmのわき道へそれる
        。私を抜かしたランナーが私の前を1人歩いていた。疲れきったのだろうか。頑張れ。
        そう思い横を通り抜かした。トップは、この地点で入れ替わっており、私と3km過ぎま
        で並走していたランナーがダントツのトップを走っていた。
                                
        ●私は、歩きながら、走りながらで先をすすんだ。ラスト5kmを越えたところで、天満
        屋陸上部の泉有花選手に歩いているところを抜かされた。坂を上り歩き、坂の峠に差
        し掛かると泉選手は遠く向こうまですすんでいる。私は膝の痛みを感じたため、ペース
        をさらに落とし走ることにした。
        帰りは全体的にのぼり下りはあるものの、下りが多く、そのため膝に痛みが走る結果
        になったのだろう。膝の痛みを気にしつつ、どうにかスタート地点のバルーンが遠く丘
        の向こうにあることを確認できた。ペースは上がらないが、ラスト3kmを惰性で走るこ
        とにした。ラスト700m地点で多くのランナーに抜かされたので、せめて最期くらいは
        きちんと走らなければ。膝をかばい ラスト700m地点までさらにペースを落としてい
        たため、体には余裕はかなりある。
                                
        ●このまま走り終えるのではなく、少し刺激を与えた結果を見て、再来週の丹後60k
        mマラソンの手ごたえを確かめなければ、膝は走り終えてからじっくりと観察しようと思
        いラスト700mをダッシュし、前を走るランナーをごぼう抜きでようやくゴールすること
        ができた。ゴールタイムは1時間29分29秒と私的にはワースト記録の更新であった。
        しかし、このアップダウンコース(芦屋ではブリッジコースのきついバージョン)で 上出
        来の記録を出すことができたと思えた。話によるとトップはかろうじて14分台。2位以
        下は15分を切ることが出来なかったらしい。私は、このコースのきつさをあらためてま
        じまじと教えられた気分でした。

        ●ゴール後は、冷たいお茶を2杯 頂、蒜山産の水500CCをもらい、途中、参加賞の
        巨大大根一人2本。おこわ弁当、パック牛乳を貰い、くたくたの状態で車へと戻った。
        車に戻るととりあえず何もすることが出来ず、近くの水道にて水浴びをすることにした。
        蒜山の水道水は関西の市街地と違い、とても冷たくまるで冷水機の水を浴びている
        ようで、疲れきった体をひきしめるようなしみこむような気分になった。
                                
        ●ずぶぬれの状態で車に戻り、帰りの服に着替え、その後丘の上の温泉施設に歩い
        て向かうことにした。朝方 晴れわたっていた空もどんよりと難しい顔をしており、ポツ
        リポツリと雨がふっていたので、折りたたみ傘を持ち、改めて歩いて温泉施設に向か
        うことにした。徒歩約5分程度で到着。温泉施設は日ごろは今日のように満員で込ま
        ないのだろう。あまりに人が多く、靴箱ですら空きを探すことが難しい状況だった。料
        金を払い、更衣室に入るもスリッパは更衣室にあふれており、さらに廊下にまでもあ
        ふれている。更衣室はもちろん一杯で衣類を入れるボックスは一つも空いておらず、
        空きを待つことにした。私は運良く2分程度で空きができたので、中に荷物を入ること
        ができた。
                                
        ●風呂の中も人でごったがやしており、洗い場は行列。湯船は適度に一杯。ジャグジ
        ーは一瞬空いていたので、そこに入ることにした。露天風呂も適度に一杯でほかに風
        呂場で過ごす場所がなかったので、サウナに入ることにした。走った後の疲れた体で
        サウナに入るという変り者はいないようで、サウナは私一人のみでガラガラだった。
        とりあえず、サウナだけを満喫することにした。サウナから出て、露天風呂の休憩室の
        ようなところで休憩し、軽く露天風呂に入り、風呂を後にした。
        この温泉は限りなく水に近い温泉で、独特な温泉の匂いはほとんどしなかった。ただ、
        湯の出口には石灰のような付着物が少し着いており、また周りの石は独特な変色を
        していたので天然温泉なのだろうと感じた。出るときは私が入ってきた時よりも更に混
        雑しており、更衣室内には入ったときよりも待ちが出来ていたくらいだ。もっとゆっくり
        と入りたい。そう感じました。
                                
        ●風呂から出ると外はバケツの水をひっくり返したような雨に見舞われており、各雨よ
        け場所には逃げ込んだ方々が雨が小降りになるのを待っているようだった。私達は運
        良く傘を持って来たので助かり足元がぬれながらも、車に戻ることができた。私はビ
        ールを買うために大会会場へ向かった。大会会場は撤去に忙しいようで、雨の中、片
        付けに追われている。私は片付作業をしている飲食店でビールを1本購入し、飲み歩
        きながら車へ戻り ようやく帰途に着くことができた。
                                
        ●帰りは大会会場近くの道路は大会を後にする参加者の車で とても混雑しており渋
        滞は会場の出口まで約300mできていた。警備員の誘導に従い、10分程度で渋滞
        を越え、国道に出ると普段の田舎道と同じで快適なドライブをすることができた。途中
        野菜を売っている場所があったので、そこへ車をとめ、野菜を物色する。なすびは会
        場では2本100円だったが、ここでは5本100円だった。また巨大なすび(普通サイ
        ズで6個分)2個で100円、きゅうり(ウリ状)2本で100円(これが美味しい)、とうもろ
        こし1本100円(取れたては生でも甘みが口いっぱいに広がりました)、ピーマン(ピー
        マンとして買いましたが、実は巨大なシシトウでした。知らずに食べたため、口から火
        がでました。)、キャベツ、みずみずしいさつまいもを購入し 帰り道に着いた。
                                
        ●帰りも行きと同じように湯原ICから高速道路に乗った。帰りの高速道路での運転中
        、雨は、突然降ったかと思えば、突然やんだりという状態でした。私は助手席で寝てい
        るだけでしたが、運転に疲れているようだったので、加西サービスエリアにて休憩をし
        、無事に西宮北出口に到着。車にガソリンがほとんど残っていなかったので、どこか
        でガソリンを入れようと思い、ガソリンスタンドを探し、値段を確かめながら進むと面白
        いことが分かった。三田周辺ではガソリンの値段は122円だが、六甲山系を越え、太
        平洋側に来ると、ガソリンの値段は安くて123円、大体は126円から128円でした。
        私達は、ガソリンを太平洋側のセルフで入れようと決めていた為、またセルフのほう
        が安いのでは?と思い、期待に胸膨らませスタンドに到着した。しかし、2号線沿いの
        セルフというのに、リッターあたり126円もしました。近くの小さなスタンドでは、123円
        だったことがより悔しさを増大させました。セルフの方がガソリン代が高いなんておか
        しい。設備費に膨大なお金がかかってしまった結果、価格が逆転してしまったのでは?
        償却を急ぐあまり、そうなってしまったのだろう。とりあえず、今回の弾丸大会参加は
        レンタカーを時間どうり20時までに返却し一日が終わりました。
                                
        ●買い込んだ野菜達のその後
        蒜山近くの野菜売り場で買った新鮮な野菜ですが、まず、とうもろこしは 生で食べる
        のが一番甘みがありました。スーパーで買ったとうもろこしでは味わえない甘さでした
        。何しろ売り場に並んでいたとうもろこしは刈り取ってから10分くらいしか経過してい
        ない新鮮さでしたから。ただ、生で食べるにも限界があったので、残ったとうもろこしは
        塩煮して頂ました。
        長なすび(40cm)ですが、これは、うすあげをつけたし、砂糖と醤油とみりんのみで味
        付けをした結果、とても美味しい煮付けができ、残ったなすびは、後日 焼いた後に表
        面の焼けた皮を手でむき、手ごろな大きさにきります。皿に乗せ鰹節をかけた後に冷
        蔵庫で冷やす。なすびにかける出汁は、私が数日前にそうめん汁として作った、芝エ
        ビから出汁を取り、みりんと醤油で味をつけた汁を薄めてかけました。
        ピーマンと間違えるようなシシトウは すべて生で食べました。ピーマンはやはり生が
        一番美味しいと感じました。
        大根は、醤油とお酒と少しの塩、イカの足が冷凍室に残っていたのでそれをつけたし
        、1時間くらい煮つけました。
        ウリのようなきゅうりはもちろん酢の物にしました。塩と砂糖、醤油、出汁でかけ汁と
        造り、薄上げを水煮し、油を落とし、スライスし塩水につけたきゅうりをしぼった上に乗
        せます。その後かけ汁をかけていただきました。
        サツマイモですが、焼いてみようともおもいましたが、どうやって焼こうかと悩んだ後、
        簡単な煮物にすることにしました。醤油と砂糖と少しの出汁のみで煮付けました。これ
        も行き当たりばったりで 素朴な煮物ができたと感動しました。
                                
        ●また、機会があれば、新鮮な野菜を買いにいきたいと思いました。
         (大会開催日:2005年9月4日)
 

投稿第十一号

        05年アイアンマンコリア チェジュ大会完走記

               
                                          2005年9月16日
                                        静岡県トライアスロン協会
                                 
           石井 英機氏
        ◆00年、01年に、03年についで4回目になりますがチェジュ大会へ参加してきました。
        結果12°47′19″(前回比△
4′18″) 年代別2位/6人 総合300位/完走8
        01人/出場866人で、トップ選手には23分の大差をつけられハワイには届きません
        でした。しかし通算18回目になるアイアンマンレースを絶好のコンデイションに恵まれ
        気持ちよくフイニッシュでき旧友と再会、新たな出会いもあり大変充実した大会となりま
        した。かみさんはじめアドバイスや激励していただきました皆様方に深く感謝いたします。

                                 
        8月25日(木) 自宅1:30AM〜成田空港第1ターミナル〜プサン〜チェジュ〜コン
        ドーミニアム4:30PM成田空港7:30AM集合のため かみさんに送ってもらい夜行ム
        ーンライトながらに乗った。タバコの臭いや前席の人が咳をしていたので気持ちが悪か
        った。ほとんど眠られず。東京駅で一番の総武線に乗り空港に6:30AM着。静岡県勢
        に会い心強く思った。ツアーデスクからの連絡でバイクケースの重量制限は20Kgだっ
        たためケースを新調してのぞんだが重量チェックは殆んどなくしかも9Kgのバッグも貨
        物扱いにしてくれた。大韓航空ならではの扱いだ。
                                  
        10:20
AM離陸。横は政治学専攻の大学生。学校間の交流で韓国の仲間の所へ
        ホームステイするという。パン、寿司の軽食とバドワイザーと韓国ビールを楽しむ。1時
        間半でプサン着。ここから国内線に乗りチェジュ空港へ。バスは3車線を猛スピードで
        中文へ。ガイドさんからチェジュ島の概要を聞く。島民は55万人、韓国屈指のリゾート
        地。火山島で玄武岩のため水がすぐ吸い込まれてしまい水田はなし、川なし、滝はあ
        る。みかんで生計をたてている。小型の馬で有名、競馬が盛ん。ゴルフ場が多い。天
        気は変わりやすいなど。中文にあるコンドーミニアムに4:30PM着。ツアーデスクから
        人同室となることを知らされる。さしあたり当日は神奈川と熊本の選手と3人。彼らと
        近くの店に行き夕食をとった。本場の石焼ビビンバは辛かったがおいしかった。ビー
        ルは部屋に帰ってから飲んだ。
                                 
        8月26日(金) 晴れ 中文
        6AM起床。よく眠れた。ビーチまで石段を下り15分位で着く。波はかなりあった。水
        温を計ると21℃。500m位泳いで切り上げた。朝食は蒸した(15分煮沸)ご飯、ゆで
        卵、パン、バターや牛乳。ツアーに同行したメカニックのTさんにバイクのチェックをして
        もらった。いつもながら大変ありがたい。右側通行なので少々怖かったが10Kmほど
        試走し異常なしを確認した。10AM10Km先の会場へバスで出かけ、署名した宣誓書
        とパスポートを示し選手登録を済ませた。簡素化されてありがたい。昼食は部屋で缶
        ビール2缶とパンなどで済ませ付近を散策、天帝瀑布を見学した。新婚のカップルが
        多い。なぜか川には全く魚がいない。日本なら鱒など泳いでいるのだが。コンドーに
        戻るとTプロが到着していた。足底筋を痛めているという。フアンの期待があり簡単に
        不出場とはいかないようで気の毒だ。埼玉からの選手に次いで山口からG選手が
        到着した。彼は60歳歯医者さんだ。同エージでありすぐ仲良しになれた。訪問診療な
        ど活発にしており行政との厳しいやりとりを話してくれた。飲むのが好きのようで7PM
        からのカーボパーテイには一緒に缶ビールを用意して臨んだ。ハイアットホテルの庭
        先がパーテイ会場だ。眼下に海岸を望め素晴らしい雰囲気だ。いつものように日本語
        の堪能なウイット二―さんが司会をした。食事の前の挨拶が長く興ざめだったがビー
        ルを飲みながらしっかりとカーボローデイングをした。

                                 
        8月27日(土) 曇り 中文
        6AM起床。G選手と500m位泳いだ。昨日に比べ海は穏やかだった。コースを1周し
        たTN選手から沖合いでくらげがたくさん見たので注意するよう言われた。朝食はご飯
        (1Fの電子レンジ2分でOK)、卵、まぐろの缶詰、きゅうり、味噌汁などで満腹になっ
        た。レース当日への自信(?)がついた。競技説明会に出席。懐かしい愛媛の夫妻、
        滋賀のT選手などに会う。韓国選手750名に次いで多い250名の日本人にウイット
        二―さんが日本語で上手に話してくれた。ドラフテイングは4分のぺナルテイを課せら
        れ3回で失格となること、ランの周回チェックでは腕輪などなしタイミングバンドでの自
        動チェックによるなど。昼食は皆で海鮮鍋。辛かったが後はさっぱりする。コンドーに
        戻りバイクとギアーバッグを預託に行く。先立ってバッグ内を一度ひっくり返しお互い
        にチェックし合った。バイクのチェックでは以前は壊れそうなくらい力をかけて行われ
        ていたが常識的になっていた。G選手らと土産ものを見に近くのスーパーに出かける。
        海苔、ごまなどは軽くていい。夕食には再び石焼ビビンバと500ccのビール1本とした。
        狭い部屋だが4人が足を向け合いながら(1人はベッド)8PM床についた。
                                 
        8月28日(日) 曇り 中文
        AM起床。電子レンジでレトルトの赤飯を2つチン。バイクに乗せるむすびを小分
        けにし梅干を入れうまくつくれた。赤飯とまぜご飯で腹ごしらえができた。他の4人も
        それぞれのメニューでスムースに食事ができた。トイレも済ませ4:45AMいざ出発だ。
        幸い短パンと半袖でも寒くはなかった。バイクラックで同エージのNS選手やNE選手
        (豪)に会って挨拶をする。NE選手は過去3回ハワイに出場し昨年の西オーストラリア、
        今年はNZとオーストラリアの大会に参戦しているという。海は昨日と同じように穏やか
        でまことにありがたい。浜辺で韓国の若者(?)が話しかけてきた。40歳代で外科医
        をしている、アイアンマンは3回目、今回は15時間かけて完走を狙うなど言っていた。
        健闘を誓い合った。7AM号砲が鳴りいよいよスタートだ。後ろの方からゆっくりとゆく。

                                 
        スイム(3.8Km):1°13′03″(同上△6′36″) 
        コースは550m〜200m〜400m〜550m〜200m計1900
mを時計回りの2周回。
        水温は22℃位、波うねりは軽微、ブレッシング(息継ぎ)は往き右オープンで帰りは時
        々左オープンを交えて泳ぎ太陽光のまぶしさを避けた。バトルは一時激しかったが空
        いているポジションに向うなどして冷静に対処できた。大きなくらげや海底の岩棚も見
        られた。1周回後浜辺に上がり時計を見ると35分台、えらく早い。後半37分台でカバ
        ーしたがレース後皆さん10分位早かったと言っていた。300m位短かった或いはコ
        ース取りが良かったのだろうか?用宗の海でウエットスーツを着て数回泳いだことも
        効いたか?浜から急坂を登りトランジションへ。ジャパンと違い暖かいためスムースに
        着替えることができた。


        バイク(180Km):7°07′30″(▼2′10″) 
        26インチ、ショートクランクのキャフアでなく27インチノーマルクランクのラチードバイ
        クを使った。なぜか最近ではこちらの方が早く走れる(蛇行は少ない)。スイム上がり
        はいつもながら腹が張って食欲がおきない。どんどん抜かれる。20Km付近でNE選
        手が手を上げながら猛烈なスピードで駆け抜けてゆく。最初は右手に海を見ながらの
        平坦路を走る。道路はすばらしい。町中では3車線、郊外では1〜2車線で舗装がき
        っちりされておりごみなど全く落ちていない。要所にはお巡りさん兵隊さんやスタッフ
        の皆さんが立っていて車の規制をしてくれている。右側通行でもあり最初はとまどっ
        たがやがて安心して走ることができるようになった。歩道にはゴマ、唐辛子や海藻な
        どが干されており、ビニールハウスやみかん畑も多く見られた。大集団が通り過ぎた。
        明らかにドラフテイングだがマーシャルはチェックしないでいる。折り返すと山沿い道。
        丈が低い松や潅木が続く。50Km付近でトイレ。股下の痛みは我慢できるレベルだ。
        15Km毎のエイドステーションではペットボトルに入った水をもらい飲むばかりでなく
        首筋や大腿部にかけて冷やした。100Km付近で標高差450mの急坂。梅が島温泉
        の上りに比べ長い。バイクを押して歩いている選手もいた。大勢の応援者から熱烈な
        声援をいただきありがたい。140Km付近の町中の道路で幅10cm近くのひび割れに
        はまりこみ転倒し顔面を負傷した選手がいた。スタッフが付き添い救急車を待ってい
        た。冷静にレースをすることを再確認した。パンクや故障することなく無事に実質7時
        間をきってバイクフイニシュできて本当によかった。

        ◆
ラン(42.2):4°26′46 ″(▼8″) 
        東へ1.5Km ,西へ6Kmを3周回する。5つ位のかなりのアップダウンがあるタフなコ
        ースだ。NS選手とNE選手に会う。3Km以上先行されていることがわかった。懸命に
        追いかけた。2周回目でNE選手をパスできた。膝に痙攣をおこしていたと後で聞いた。
        NS選手との差は縮まらない。1.5Km毎のエイドステーションではボラの人達がよく
        サポートしてくれた。頭、首筋、膝や足を水で冷やしバナナ、パワーバーも少々頂いた。
        いつもなら仲間に積極的に声をかけ自分に気合をかけるのだが今回はやや元気が
        なく顎も上がってしまっていたようだった。それでも7:47PMウイットニーさんのお帰
        りのコールに応えながら元気良くフイニシュできた。

         ◆韓国の高校生がしっかり支えてくれ完走メダルをかけてくれた。車椅子も用意して
        くれたがご遠慮してスープを頂きながらストレッチをした。マッサージをしてもらってい
        る人、コールされながらフイニシュする人、対応するボラの人でおお賑わいだ。2位以
        下が確実なため速報を見ることなくバイクとギアーをピックアップしてシャトルバスでコ
        ンドーへ向かう。先着の二人は洗濯も済ませており食事にでかけた。自分が洗濯をし
        ているとG選手が戻ってきた。シャワーを終え皆がそろうと健闘を称えあいながらビー
        ルと焼酎で乾杯。遅くまでレースのこと、トレーニングの工夫など楽しく語りあった。
                                          
        ◆8月29日(月) 晴れ 中文
        9AMハイアットホテルへハワイ登録とロールダウンを見にゆく。同エージのNS選手、
        愛媛のS夫妻らは悠々とハワイを決めた。続くロールダウンではスリルがあった。50
        枠中11枠が残ったので皆さんの期待が高まった同郷のNG選手は滑り込んだ。中に
        は嬉しさのあまり号泣した選手がいた。辛い厳しいトレーニングをしてきたためだろう。
        気持ちはよくわかる。昼食はアマ鯛の煮付け、太刀魚のから揚げ、豚肉のキムチとご
        飯で800ウオン。うまかった。6PMからのアワードパーテイーに出かける。帰った選
        手が大分あり行列などになっていなかった。料理はカーボパーテイーとほとんど同じ。
        ビールは販売されておらず同室のN選手に買いにいってもらった。ソギポ市長の挨拶
        後 女子プロ選手からエージの若い順に各々3位まで表彰された。プロトップの賞金
        は5000ドルだ。少なくて気の毒だ。女子プロトップのI選手は用意したメモを読み上
        げたが前後に韓国語で挨拶しよかった。男子プロトップはプエルトリコの選手でこの難
        コースで8時間37分はすばらしい。大会関係者に感謝しながら上手に挨拶した。60
        〜64歳でまず3位のNE選手(豪)、次いで自分、最後に富士のNS選手がコールされ
        て表彰状や盾を頂いた。皆さんから盛んに祝福されありがたかった。席に戻るとプ
        ロがお祝いに来てくれて感激した。期待にこたえるため今後もしっかりトレーニングを
        してゆきたい。恒例のレースのVDを見て来年の再会を期し9PM閉会。コンドーに戻
        ってビールを飲みながら韓国最後の夜を楽しんだ。


        8月30日(火) 晴れ 中文〜チェジュ〜プサン〜成田〜帰宅
        5日間大いに満喫したコンドーを0:30PM離れた。来る時はぎこちなかったツアー仲
        間だったが共に競技した後ではすっかり打ち解けることができてレース回顧談、練習
        方法や次のレースなどに花が咲いた。荷物の紛失などなく8:30
PM無事に成田着。
        再び夜行に乗ってかみさんの迎えで31日(水)3
AM帰宅できた。課題だったバイクは
        大分粘れるようになったがバイクトップとはまだ40分差だ。メリハリのあるトレーニン
        グに取り組んでいってさらにバイク強化をめざしたい。


        ◆次年は寒いレースは避けて4月のオーストラリア或いは中国海南島などから始動したい。

                                                 以上

投稿第十号

       第8回立山登山マラニックを楽しみました

              
                                           2005年9月6日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                            会員岡本 暁氏

     ■8月にAACに入会させて頂いた岡本(宝塚在住60歳)です。
     827日に富山市で開催された第8回立山登山マラニックに参加(今年で3
        
回目)、思う存分楽しんできましたので報告いたします。
     
     ■まず、立山登山マラニックの概要を紹介します。

        本大会は、富山湾の海岸(海抜0m)から立山連峰の霊峰雄山頂上(海抜
     3003m)まで人間の
2本足だけで登ろうという大会です。走ろうとも歩
     こうとも自由ですが、制限時間は12時間と設定されています。
     この大会のすばらしい所は、実行委員長(松原和仁氏:富山市在住)の、「
     完走したことそのものがすばらしいことで、完走した人には皆同じくその
     努力を称えよう」というポリシーで、順位表彰がないことです。
     また、270人からなるボランティアの方々がそれぞれの選手の名前を呼
     んで応援してくださる、心通ったまさに手作りの大会です。

     
       ■次にコース概要を以下に紹介します。

         海抜(m) 距離  ○数字はエイドステーション      備考

     スタート   0  0km  浜黒崎(常願寺川河口のキャンプ場)AM
4

          200 19km @雄山神社 

          475 36km A立山駅前(富山地鉄)

          970 43km B称名滝レストハウス 

         1620 47km C弘法 

         1930 52km D弥陀ヶ原 

         2450 60km E室堂

     ゴール 3003 65km  雄山頂上           制限PM4時


      ■朝3時半、スタート地点の浜黒崎には全国からエントリーした選手(2
     15名)が続々と集合、あちこちで一年ぶりの再会を喜び、お互いに健闘
     を誓い合う情景が見られた。また、波打際では海抜0mを確認すべく、海
     面に手をつける人の姿も見られた。そうこうしているうちに、スタート時
     間が近づき、松原実行委員長の掲げる松明のもと、選手全員の安全と完走
     を誓って、「がんばろう」 の雄叫びと共に一斉にスタート。


     ■レースはスタートしたとは言え午前4時はまだ暗く、路面にゆれるペンラ
     イトの明かりを頼りに常願寺川の土手の砂利道をゆっくりと上流へ進む。
     まだ暗い中、ポイント、ポイントでボランティアの人と、「おはようござい
     ます」、「お世話になります」、「いってらっしゃい」の掛け声を交わしながら
     気持ちも晴れやかになっていく。約
10km進むと空も明るくなって来たが
     、生憎の天候で常願寺川の東に連なる立山連峰は雲に覆われたままであった
     (これが後で幸いな結果をもたらす)。 更に、常願寺川の土手(ここか
     らは舗装済み)を更に上流に向かうと、雄山神社(海抜
200/19km:第
     1エイド)に到着。手早く、バナナ、レモン、梅干等を補給、小休止。

     ■次のエイド立山駅前を目指して出発。この先も基本的には常願寺川沿い
     登っていくのであるが、土手ではなく山の斜面に沿った道路のため、そ
     の間数回のアップダウンがあり天気が良いと水を被りながらでないと走り
     づらい区間である。しかし、曇りで気温が
20℃と低くさわやかな風のお陰
     でいつになく快調に走れ、立山駅前(海抜
475/36km:第2エイド)に
     は昨年より5分程早く到着。エイドの数
100m手前よりボランティアの人
     が約
100m間隔位に立って、名前を呼んで応援してくれるのはいつもなが
     ら嬉しい限りである。

                     
     ■次のエイドは称名滝レストハウスであるが、標高差500/7kmの最後
     に急勾配の難関が待っている。過去
2回は、最後の急勾配は歩いてしまっ
     ており今年はどうにか走りきることを目標として来た。ここも天候が曇り
     というのが幸いし、朝8時の夏の直射日光を受けることなくへたばりなが
     らも、一度も歩くことなく称名滝レストハウス(海抜
970/43km:第3
        
エイド)に到着。ここでは、立山から流れ来る水で冷やした冷たいタオル
     、ソーメン、汁粉が待っておりホット一息つくところである。更に、昨年
     ここでお世話になって一緒に記念写真を撮った小学生ボランティア・倉林
     兄妹に再会、ご両親にもお会いでき感激すると共に、
1年の間にすごく成長
     しており頼もしい限りであった。今年も再会の記念に
3人で写真に収まった。

     ■倉林兄妹の「是非、完走してください」との激励を背に受け、「来年も必ず
     会えるように精進しよう」と思いつつ次のエイド弘法を目指し出発した。こ
     れからは全コースの中でも一番厳しい所である。日本一の落差350mを
     誇る称名滝のすぐ側にそそり立つ“八郎坂”と呼ばれる急峻な絶壁に取り
     付いた幅が狭い登山道を約
850m登らねばならない。ここまでにフルマラソ
     ンの距離を走ってきた足は思うようには動かず、また、
8月前半の雨の影
     響で崩落個所も多く、足を踏み外さぬよう一歩一歩慎重に足を運んだ。時
     には足を滑らせながらもまずまずのペースで乗り切り、弘法(海抜
1620
        /47km:第4エイド)には昨年より30分早く到着。ここまで来ると“後
     は黙々と走ればOK”と言う気持ちになりかなり気が楽になる。冷やしゼ
     リー、レモンを沢山食べエネルギー補給。


     ■これからは木道2kmの後、高原バス運行道路を走り、弥陀ヶ原(海抜
        1930
/52km:第5エイド)→室堂(海抜2450/60km:第6エイド)を
     目指す。今までは山にすっぽり被っていた雲も少しずつ切れ始め、走って
     いる視界には沢山の高山植物、緑の美しい木々、近隣の山々の頂きなどま
     さに大パノラマが目に飛び込んで来、それを楽しみながら走れるので疲れ
     も忘れるような楽しいペースをキープできることが出来た。弥陀ヶ原での
     補給後は、気圧の関係で呼吸は少々ゼーゼーといった感じであるが、走行
     ペースは落ちず室堂に昨年より
35分早く到着。名物の“温かいおかゆ”を
     いただき胃袋もほっと一息、7分程度の休憩をとって最後の雄山頂上に向
     けての山登りに備えた。この頃になると何と山を覆っていたガスがスーと
     抜け、今まで姿を現さなかった雄山頂上がパーと眼前に現れた。まさに私
     のゴールを待っているかのように。

     ■室堂エイドでボランティアの人々の「行ってらっしゃ−い」と言う温かい
     応援の言葉を背に、いよいよ雄山頂上を目指す。室堂から“一の越”、“
     雄山頂上”までは、沢山の観光客の方からもすれ違うたびに「頑張ってく
     ださい」と言う応援の言葉をもらい、富山湾からここまで走ってきた疲れ
     は殆ど忘れてしまうと言うのが正直なところだった。それでも、一の越か
     ら雄山頂上までのガレキ場の登りではさすがに足の疲労もピークを迎え、
     踏ん張りきれないケースもあり両手で補助しながらまさに
4輪駆動登坂と
     いった感じであった。そしていよいよ目の前に雄山神社の社務所が飛び込
     めば後は時間の問題。不思議なもので元気も出て一気にゴールとなった。
     ゴールタイムは9時間38分(昨年のタイムを38分短縮)と自分でも大
     変満足できるレースであった。ゴール後は頂上で温かいスープを頂き20
     分ほど休憩。いよいよ下山。


     ■下山の間も室堂の関門を制限時間内で通過した選手がどんどん登ってく
     る。下りの足を止め道を譲り、「がんばってください。もう少しですよ。
     足元に気をつけてください」と声を掛けながら下って行った。

    ■この大会のきついところは雄山山頂で終わるのではなく、自分達の宿泊
     先まで足を引きずりながら下山しなければいけないことである。即ち、参
     加者全員(完走できなかった人も含め)と実行委員会スタッフ、ボランテ
     ィアの人たちと一夜を共にする山荘“雷鳥荘”に向け約1時間
10分程度の
     下山完了によってやっと完結となるのである。

      ■“雷鳥荘”での温泉風呂が何と気持ちの良いこと、また、全国のランニン
     グ仲間との懇親会が何と楽しいこと、今年も沢山の夏の楽しい思い出を満
     載して第8回立山登山マラニックが終わった。

      ■ありがとう松原実行委員長、ありがとうスタッフの皆さん、ありがとう
     ボランティアの皆さん。来年も再会できることを楽しみに日々精進しよう。
                                       
                                 おわり

     追)立山登山マラニックに興味のある方は岡本に連絡ください。

          関連資料をお貸しするか、コピーをお渡しします。


投稿第九号

        AAC地獄のマラソン合宿に参加して!?

               
                                           2005年8月11日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                           会員中村 量哉氏

        私は、職場(京都府木津町学研都市)が、遠いため平日は7時前に家を出て、
        帰ってくるのは毎日夜中になってしまいます。そのため、家族とはほとんど顔を
        あわすことがありません。単身赴任とあまり変わらない日々をおくっています。
        周りの人からは、生活そのものがトライアスロンだと言われています。

        まず、中村家での会話から。
        (家族は専業主婦の嫁さん、夏休み中の小学校6年の娘と小学校3年の息子です。)
          息子「今度の土日は、どこに連れて行ってくれんの?」
          娘 「愛知万博へでも連れて行って。」
          私 「今度の土日はクラブの合宿で岡山へ行かなあかんのや。」
          嫁 「自分だけ楽しんでええなー。」
          私 「何言うてんのや、AACでは地獄のマラソン合宿て言われてて、朝から
             晩まで走ること以外せーへんのやぞ。楽しむなんてとんでもない。」
          息子「しんどいんやったら行かんかったらええのに。」
          私 「あほ、お父さんは目標に向かってがんばるんや。おまえらも遊ぶこと
             ばっかり考えんと土日は勉強しとけ。」
          娘 「ほんまかなー、まーがんばってきて。」
          私 「おー、がんばってくるわ。きっと猛練習のためだいぶ痩せて帰ってくる
             ことになるやろ。」
        ・・・と言うことで家族の了解のもと地獄のマラソン合宿に参加することになった。

        当日、芦屋を出発して、まず向かったのがアナゴ丼のおいしいニコニコ食堂。
        到着が少し早く、店が準備中であったため、近くの果物屋さんで安くておいしい
        岡山名産の桃をゲット。その場で丸かじり。アナゴ丼とビールで最高。

        次に向かったのは、中添乗員一押しの芸能人も立ち寄るジェラート屋さん。
        すごい人だかりでこれまた味は最高。 いよいよ、和気鵜飼谷温泉に到着。
        温泉に入っておいしい料理とビールで最高の一日を終えました。一応、ジョギ
        ングとプールで水浴びもしました。

        2日目は、まず朝はバイキング(ハイキングではありません。)から始まりました。
        そのあと、レンタル自転車で吉ケ原まで行き、洞窟を見学し、昼食はみんなで
        ラーメンと餃子を食べました。次に向かったのは大芦高原温泉。露天風呂が
        最高に気持ちよかった。その後のビールも幸せ。
        (ナンヤ、結局、食べたり飲んだりバッカリやんか・・・アッシャ−君も行ってみたいな!)
        帰りの車では、中添乗員が疲れているにもかかわらず、運転してくれている横
        でずっと寝てしまいました。おみやげに岡山名産きびだんごを手に、土日どこに
        も出かけずストレスいっぱいの我家へ帰りました。
         (ちなみに体重は1.5kg増えていました。)
        (家族の皆さんの反応はどうだった? 家族サービスも忘れないでね!)
        来年は、みんなで地獄のマラソン合宿に是非行きましょう。本当にいいところです。
        中添乗員、本当にありがとうございました。
        (片鉄ロマン街道/合宿開催日:2005年8月6〜7日)


投稿第八号

        第11回大阪城七夕駅伝大会参戦記

                
                                           2005年8月8日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                           会員本地 敏行氏
        
        この大会は、大阪の市内にとても近く、容易に参加できるため、市民ランナーの幅を
        越え、多くの職場集まりのグループも参加しているようです。今年は、3週間くらい前
        に参加の連絡があったので、急遽参加となりました。この大会の申込はほかの大会
        とは違い、開催日の3週間前まで申込ができる。そのため 先予定を組むことが難し
        い人々にとっては大変助かると思います。
        
        京都の10000人近く参加する某フルマラソン大会の場合、大会そのものは11月の
        末に開催されるだが、参加の期限は5月くらいです。その後も申込はできますが、8
        月くらいまでの間だと500円増し、9〜10月くらいでの参加申込では更に1000円
        増しという ひどいやり方を設定している。昨年台風のため急遽大会の開催ができな
        くなり、結果、大会参加費を返却し、また参加賞の帽子を大会申込者全員に贈った
        行為はとてもすばらしい。
        (アッシャー君も同感だ!給料は横ばいか減って来てるのに、何故参加費は上がっていくの???)
        しかし、今年は昨年の赤字を取り戻すためとも思える行為と勘違いされても仕方が
        ないと思う。この手記でその大会のやり方を非難したいという理由で書いたのはない
        ことを申し上げます。大会運営は大変かもしれないが、今まで出来ていた運営が今
        年からはできなくなることは私にとっては考えられないからです。それが理由に東京
        Aマラソンは参加者が15000人という大規模に膨れ上がったが、参加費の納める
        方法は変わっていないようだ。関西は商売上手というが、参加者の足元を見られて
        いるだけで よくよく考えると実は下手のようにも感じられる。
       
        今回は京都の大会を例にとって書きましたが、参加者は大会側が差し出す意見を
        理解して参加しているのだろうか?このような傲慢な大会には参加する側が淘汰す
        べきではないだろうか。きついことを並べて大変失礼しましたが、ぜひ初心のころを
        思い出してほしいという願いから書きました。
        (とにかく、豪華なメダルや参加賞は要らないから、参加費を安くしてチョウダイ!!!)
        さて この七夕駅伝のコースは対面通行で同じコースを区間が変わっても繰り返し
        行き来するため 参加する側、応援する側にとって とても便利と思う。ただ不便な
        点といえば、トイレが少ないため集中すること、雨天時は場所取りに大変苦労する
        ことだろう。大会は夕方の開催のため、朝や昼の酷暑時間を避けることができてと
        てもいい。しかし、今日は朝から雨模様。涼しいことはありがたいが、雨がやんでほ
        しい。時間も刻々と過ぎ、ただ家でゴロゴロとしていただけだが、15時ごろに仕方
        なく用意を始めた。会場へは家から30分強で着くことができる。

        同じ参加者の方と大阪駅で出会い、その後、大阪城公園駅で下車、傘を差し、一
        緒に会場へ向かう。例年では駅から会場まで向かう途中の広場にはバンド練習を
        している若者達が縦長の遊歩道兼広場に等間隔で場所を取り、それぞれが演奏し
        ている。さすがに今日は一人もいなく、とても静かだ。歩きながら、場所取りをどうし
        ようかを考えていた。過去に数度参加したが、雨避けの場所はない。皆どこに陣を
        張っているのだろうか。

        会場へはスタート40分前くらいにつくことができた。とりあえず、受付を済まし、辺り
        を見回す。多くの参加者はブルーシートを木々の間にくくりつけ上手く雨を避けてい
        る。私達は雨の降る中、陣の選択に苦労した。初め大阪城ホールの出入り口の屋
        根のある場所に陣を取った。しかし、入り口の警備員からすぐに立ち去るようにとい
        うきつい言動を言い渡され、なくなくその場を離れることになった。このホールは私
        達の税金で、また警備員も私達の税金でいるというのに、、、。実際に困ったときに
        は税金を払っているというのに市民に全く還元されないという現実を受けてすこし腹
        が立った。

        その場を離れ、雨の中、陣を探しさまようことになった。よく見るとホールの2階部分
        にあるヒサシには多くの人がいる。下の警備員室にいる警備員によると上のランナ
        ーの荷物も撤去されるらしいが、まったくそれらしい行為が見えない。ついに警備員
        も利用させてくれるような寛容な考えになっているのだろうか。軒下で雨宿りをする
        だけでなぜ追い立てられなければいけないのか。。。

        私達は、会場のスタート地点近くに知人がテントを張っていたので、そこに入らせて
        もらうことにした。ほんとありがたい。スタートまでは15分を切っていた。私はアップ
        に100mダッシュを2本行い、スタート位置に着いた。程なくスタートのホイッスルが
        なり、ランナーが一筋の帯となり、狭い公園の遊歩道を占有し始めた。

        折り返しのコーンではほとんど減速することなく、ランナーが折り返す。私はスピード
        練習を全くしていなかったため、スピードが上がらず、息ばかりが上がる。500m地
        点の1度目の折り返しをまだまだ余裕の気持ちで折り返す。この当りではほとんどの
        ランナーが元気だ。その後走ってきた道を戻りスタート地点を通り過ぎる。この部分
        でも少し弱気だがある程度元気だ。

        このコースは一区間が3kmで短いとも思えるが、実はここからがしんどいのだ。そ
        こから1km先の噴水に行くだけでありったけの体力を使い、最期たすきを渡すまで
        の1kmという距離はとても長く感じ、ジリ貧のゴリ押し状態で次へタスキを渡す。タ
        スキを渡す際、次の走者が現れず、私はタスキを両手に持ち、仁王立ちで次の選
        手を呼び続けた。30秒くらいでどうにか気付いてもらうことができ、たすきを切らす
        ことなく進めることができた。

        駅伝競技は厳密には個人競技である。個人個人が持てる力を最大限に発揮し、
        走りきることができればいいだけのことである。しかし、ただの個人競技ではなく、
        先に待っている人がいるという思いがあるからこそ、最期の1mまで頑張ることが
        できると思う。このような気持ちになることができる。だから駅伝はやめられない。

        走ったあとは、メンバーの応援を行い、元メンバーの応援も行い、私的に大会が
        終わったような気がする。チームのアンカーがゴールした後、最終ランナーのゼッ
        ケンを見せると参加者数と同じだけのビールもしくはジュースをもらうことができる。
        ビールは早くになくなるので、早めに引き換えにいくことが懸命と思う。全員の着
        替えが終了し、私達は雨が降る中、会場を後にし、梅田へと反省会にむかうことに
        なった。
        (大会開催日:2005年7月3日)


投稿第七号

       第12回四万十川水泳マラソン大会に行って来ました!

           
                                           2005年8月3日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                          会員小林 留美子氏                                                

       ランナーにとっては100kmウルトラマラソンで有名な四万十川ですが、この大会
       は四万十川の清流を上流から下流へ3.5kmと5kmのコースに分かれて泳ぐ
       大会です。

       昨年は台風のため中止。7回参加のうち3回を中止と言う経験をされた参加者
       もいるほどで(前日の雨で増水するなど・・・)、なかなか気難しい?大会です。
       全国から367名のエントリーがありました。

       私は今年初参加で3.5kmにトライです。今年は水量が少ないという声の中、
       10時にスタート。水深の浅いところもなるべく泳ぎたいけど、石でお腹を擦られる、
       立ち上がろうとすると速い流れで転がされる。
       (アッシャー君だったら、得意のイヌカキ出来たのにナァ・・・)
       流れの速いところでは、まるでジェットコースターのように流されて魚になった気分。
       淀みでは真剣に泳いでゴールの赤鉄橋の下まで58分47秒でした。水の中を泳ぐ
       魚や川エビを獲る仕掛けを眺めながら泳ぐ、こんな楽しい泳ぎが有ったのかと新た
       な発見でした。

       男性82歳、女性79歳が最高齢者。みんな思いおもいに四万十川の自然と触れ
       合った一日でした。帰りのバスの待ち時間に遊覧船に乗り、上流の山の緑・静か
       に流れる四万十川の清流などが今でも忘れられません。思いがけず船頭さんに
       ご馳走になった獲れたて鮎の塩焼きがなんと美味しかった事か・・・

       来年もまた行こう! 今度は5kmコースで!!
       (大会開催日:2005年7月31日)
        

投稿第六号

        第25回全日本トライアスロン皆生大会に参加してきました!

           
                                          2005年7月21日
                                        芦屋浜アスリートクラブ
                                         副会長:中川 隆二氏

      
鳥取県の西の方向に位置する米子市内の皆生温泉を中心にして、第25回全
       日本トライアスロン皆生大会が行われました。
                                             
       今年は1981年に国内で初めての、トライアスロンレースとなる皆生大会が始まって
       から、25回の記念大会、過去最大の773人が参加した。当日のスタートのときは
       曇りぞら、海は波はなく最高のコンデションでした。
                                                  
       スイム(3Km) 朝7時号砲一発全選手スイムスタート、私はバトルを避けるために
       ロープからはなれてスタートしたが、しらないあいだに海水の流れに押されて、ロ
       ープがわによってバトルの中にいた。沖合い350mの左折さえすれば、ばらけて
       バトルも少なくなるだろうと思い、そのまま泳いだが左折してからもバトルが多く、
       途中他人の手がゴーグルに当たって、外れるトラブルがあったが、スイム、ゴール
       することができた。
                                              
       バイク(145Km)空は曇り空、思い存分走るぞと意気込むが、スタートして10Km位
       から胸がむかむかする。今日は調子が悪いなと思いながら走る、走っている間に
       調子がよくなるだろうと、期待しながら我慢のレース。大山の登り道は、いつも は
       追い越してゆくが、今回はどんどんと追い越されていった。バイクゴールまであと
       約90Km位、走れるかなーと不安がよこぎる。こんなとき、勇気と元気を与えてくれる
       のは、友人、知人、ボランテイアの応援です。応援を受けるとなにがなんでもゴール
       してやると思う気持ちになり、バイクをなんとかゴールする。
                                          
       ラン(42.195Km)スタート時点で、青垣で合宿をしたときお世話になった、女将さん
       からガンバッテの応援、もうひと踏ん張りしてきますと返答して走り出す。スタート
       して10Km位で、トップの小原選手とすれ違う、いい走りをしていた。気温はだん
        だんと高くなりランナーを苦しめて行く、気温の高いのは皆生大会のシンボル。
        エイドごとに氷をもらい、帽子の中に入れて頭を冷やして走る。皆生のランは国道
       等使うために、赤信号に止められる。信号機にちかずくと信号を見ながらダッシュ
       する等、変則的な走りをしながら、何とか折り返し点までついた。

       体力の限界。これからも先が長い距離、思いきって5分間横になることにした、疲れ
       がどんどん取れる、そして、再度走り出した、日照も少し弱くなってきたので後半は
       いがいと元気に走れて明るいうちにゴールすることができた。
       「バンザイ」、総合タイム11時間58分56秒ゴール。
       勝利者(皆生大会ではゴールした人皆勝利者) となった。
                                           
       私がトライアスロン初めて出場したのが、第4回全日本トライアスロン皆生大会それ
       から21年間、第25回全日本トライアスロン皆生大会をむかえて、出場でき たことは
       非常に嬉しいことです。
       これからも、一年一年体に注意して走りますので、AACの皆様よろしくお願いします。
      (大会開催日:2005年7月17日)
                                

投稿第五号

             カヌーアスロンに参加して!  

           
                                             2005年7月4日
                                          芦屋浜アスリートクラブ
                                            会員今池 章仁氏

走り始めてから1年の計画をマラソン大会(ハーフ・フル)に合わせて組ん
でいる私ですが、ここ1,2年、何か新しい競技にも挑戦してみたいなとい
う浮気心をもっていました。かと言って、いきなりトライアスロンは難しいか
なと思っていたちょうどそんな時に、この大会のお誘いを受けました。
「カヌー・・・? なんか楽しそう!」


カヌーには、乗ったことはおろか、触ったこともなかったので多少の不安
はありましたが、本番前に講習会も開かれるということで、「何とかなるか
な」と参加させていただくことにしました。


二回の講習会を経て本番の日。天気予報では「曇り」と言っていたような
気がしましたが、準備が進む中、気が付くと晴天でした。

まずはB競技(ラン5km・カヌー2km・ラン5km)がスタート。そしてA競
技(ラン3km・カヌー1km・ラン3km)がスタートしました。
第一区間のラン3kmは、なかなか調子良く走れました。
第二区間のカヌー1kmは、漕ぎ出してすぐに右回転を起こし他のひとの
舟に接触してしまったり、折り返しを過ぎてからまたくるりくるりと意味もな
く舟を旋回させてしまったり、自分の思い通りにいかない楽しさを味わい
ながらなんとか無事に帰り着きました。
第三区間のラン3kmは暑さのためか、思っていたよりも疲れてしまいバ
テバテのゴールインとなりました。
レース後の「ランチタイム」と「参加賞選び」も盛り上がり本当に楽しいひ
と時を過ごすことができました。
今まで、このような手作りの大会に参加したことが無く知らなかったので
すが、人と人との距離がものすごく近くて、温かくて、楽しくて、いいなぁと
思いました。スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
カヌーアスロン、来年もがんばるぞぉー!!!
(大会開催日:2005年6月19日)

投稿第四号

     AAC岡山支部便り (『片鉄ロマン街道』のご紹介)  

             
                                            2005年6月25日
                                          芦屋浜アスリートクラブ
                                          岡山在住会員中 典生氏

        芦屋浜アスリートクラブ
(AAC)は地域密着型ランニングクラブで、会員のほとんどが
        阪神間在住でいらっしゃいます。

        私もかつては宝塚に住んでいましたが、1年前に仕事の都合で岡山へ赴任すること
        となり、今も岡山から月2~3回ほど芦屋に通って練習に参加させてもらっています。

        そこで今回は、現在の地元岡山のPRも兼ねて、こちらでよく行く楽しい練習コース:
        『片鉄ロマン街道』をご紹介します。

        片鉄ロマン街道とは、岡山県備前市西片上を起点とし、和気町・佐伯町・赤磐市旧
        吉井町を経て美咲町旧柵原町吉ヶ原へ至る、全長34.23kmにわたる旧片上鉄道
        廃線跡のサイクリングコースです。

        ここの面白いところは『鉄道廃線跡』というロケーションを存分に生かしている点で、
        トンネルや橋は当時のものを活用し、所々に鉄道時代のホーム・駅舎や信号機なども
        残されていて、鉄道ファンならずとも旅情を味わうことができます。
        また、100m毎に鉄道にちなんだ距離標があるので自由な練習距離を設定できるほか、
        沿線数か所に温泉施設があり、練習後はそのまま風呂に入って帰ることもできます。

        私は普段、10.3km地点にある『和気鵜飼谷温泉』をベースに北へ10~15km行って帰る
        コースで練習しています。

        春は山桜や藤を眺めながら、夏は最高のグリーンシャワーの中を、秋は美しく色づいた
        紅葉の中を走れますよ。是非一度お越し下さい。

        詳しくはこちらの『片鉄ロマン街道: フォトギャラリー』をご覧ください。


投稿第三号 

              ♪故郷は遠きにありて思うもの♪

                                            
                                                        
                           2005年6月1日
                                             妙高高原・ロッジサンバレイ
                                                尼子 勲氏

       62歳男性です。「かけっこ・COM」のリンクページで、偶然にも貴クラブと上下に並んで
          掲載されています「ロッジサンバレイ」と申します。スキー処・妙高高原でロッジ経営。
       スキーよりも古くからスキーオフの陸上・長距離準高地トレーニング対応ロッジとして、
          
それぞれの全日本を目指すチーム・アスリートのお世話をさせていただいています。

       この度、「芦屋浜」の文字をみて懐かしさがこみあげ、失礼ながら思わず一筆啓上。
       22歳まで(S・40)芦屋市月若町に在住。山手小・中 と過ごし、六甲山・ロックガーデン・
       城山・荒地山・お多福山・奥池、等、我が庭の如く駈けずりまわり遊んだ日々。
       高・大時代は本格的にテニスに没頭。今のように「科学的トレ」の言葉すら無き時代、
       ひたすら”根性・根性”と言われるがままに毎夜、毎夜黙々と自主トレJOGに打ちこんだ
       日々が懐かしく蘇ります。

       桜並木の芦屋川沿い〜松並木の芦屋浜堤防沿い〜打出浜が私のホームコースで
       ございました。今もロケーションはそのままでございましょうか?
       その後芦屋浜は埋め立てられ、当時からは大変貌したとはお聞きしていますが、
       世は移り街は変われど「あの美しい芦屋」は今も私の瞼に焼き付いています。
 
       ”故郷は遠きにありて思うもの”まさにその通りでございます。
       信越国境から、故郷「AAC」皆々様のご活躍を祈念致しております。機会があれば当地
       自慢の準高地クロカン・エリアへご来訪下さいませ。毎年4月には、長野五輪記念「長野
      
  マラソン」にも多勢の市民ランナーが参加されています。
       出湯の街、おいしいお米と地酒、山・海(日本海)の珍味、でおもてなし致します。
 

投稿第二号

                    ホームページ開設のご挨拶

                             2005年4月3日
                                                   芦屋浜アスリートクラブ
                                   
名誉会員 谷口 康雄氏

    春の暖かさが日ごと増す季節になりましたが、皆様方におかれましては、益々
    ご健勝の事とお慶び申し上げます。そして又日頃よりAACに対して、ご支援
    ご鞭撻を賜り、誠に有難く厚く御礼を申し上げます。さてこの度、AACのホ
    ームページ開設を記念すると共に今後のより一層の発展を、切に願っています。



投稿第一号

                                           ホームページ開設のご挨拶
                                                         2005年3月30日
                                          芦屋浜アスリートクラブ
                               最年長84歳 久保 進氏


    2003年1月南芦屋浜に芦屋総合公園がオープンしたのを機に、同志合い寄
    り「芦屋浜アスリートクラブ」を創設いたしました。マラソンのみならずトラ
    イアスロンやウルトラマラソンの愛好者、そして女子では国際女子マラソンの
    代表を務める精鋭も会員なら、私の様な最高齢鈍足のウォーカーも居り、非常
    にバラエティーに富んだ幅広いマラソン愛好者の集団です。
 

    阪神淡路大震災10周年を迎えた只今、芦屋市の再建復興もなり、特に南芦屋
    浜一帯は日々開発が進み、広々とした埋立地には立派な道路・新興住宅街・そ
    してヨットハーバー基地等々、快適な生活とスポーツの楽しめる新都市が誕生
    しつつあります。目を見張るほどの発展は遠からず東洋屈指のリゾート地帯と
    して名をあげる事必定。ごく最近その南芦屋浜に足湯温泉も誕生し楽しさも更
    に増してきました。私たちはこの様な恵まれた環境の下、マラソンで楽しく健
    康の増進に励んでおります。

    人生も中年を過ぎると生活習慣病に見舞われます。私はこの老いを防ぐ唯一の
    手段がマラソンです。マラソンで更に長寿が可能ならこれに過ぎる楽しみはあ
    りません。環境の整った我が芦屋浜一帯を、そして六甲の山並みを楽しく走ろ
    うではありませんか!

    毎週土曜日、午前10時(5月から10月までは9時半)に芦屋中央公園にお
    越しください。健康長寿を願う方々、好きなマラソンを楽しく走ろうではあり
    ませんか!気楽に参加して下さい。私たち一同皆様方のご参加を心からお待ち
    しております。