投稿第二十九号 雪の残る中、第1回宝塚ハーフマラソンに参加! 2005年12月30日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:岡本 暁氏 12月23日(天皇誕生日)に阪神・淡路大震災復興10年を記念して 第1回宝塚ハーフマラソン大会が開催された。種目は、ハーフ、クォー ター、3kmの3種目である。私はハーフにエントリーした。ハーフの コースは、宝歌劇場前の“花のみち”の東終端をスタートし宝塚大橋 を渡り逆瀬川沿いに走り、末広公園より武庫川河川敷を南に向かい阪 神武庫川駅手前で折り返して末広公園がゴールである。 最近では稀な前日からの大雪の為、当日、私の住んでいる中山五月台 (標高300m)にはバスが登って来ず、阪急中山まで徒歩にて下る羽目と なったが、歩道はツルツルですべる為、車が来ない車道を威張って歩 いて下り8時半に無事宝塚歌劇場西の“花のみち会場”に到着した。 その会場も一面雪で覆われており、寒い中、大会スタッフがスタート 地点の“花のみち”の除雪作業を慣れない手つきで一生懸命されてい るのに感謝すると共に大変印象的であった。因みに、大会を実施する かどうかについて関係者は前日の22時まで検討、最終的に当日の8 時に実施を決めたそうである。 レースは11時にスタート、武庫川河川敷に出るまでも大きな混雑もな くスムースに流れた。コースとしては往路は雪の状態で残っている状 態の部分もあったが、復路はその雪が解けてベチャベチャの状態の部 分もあった。しかし、足元が大変と言う状態ではなく、風も横風であ ったが全体的にはコンディションとしては良い方であった。 私は時間33分を切って自己ベストを狙うべく、22分30秒/5kmの ペースで入り後半にスピードアップの予定であったが、結果的にはペ ースを上げることが出来ず、全くのイーブンペースの1時間34分42秒 でのゴールであった。 宝塚市民として第1回大会に参加でき、それもめったに経験の出来な い雪の残る中でのレースを体験できたことは貴重であり、それを支え て下さった大会関係者、ボランティアの方々のご苦労に大いに感謝す る次第である。 今年は、1月1日に富山市民として富山元旦マラソン(3km:神通川) でスタートし、12月23日に宝塚市民として宝塚ハーフマラソン(21.0975 km:武庫川)で締めくくることが出来、又、その間にAACメンバー と出会い、仲間に入れていただき、本当に幸せな1年だったと思う次第 である。皆さん、来年もよろしくお願いいたします。 完 (大会開催日:2005年12月23日) |
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投稿第二十八号 残念無念 I 第17回加古川マラソン 2005年12月30日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:野口 嘉郎氏 前日の雪で開催が心配された大会でしたが、時間を20分遅らせてのスタートと なりました。 会長とJR三宮での待ち合わせを阪神打出駅と勘違いし、電車一本 遅れでJR加古川駅に到着。駅前にはシャトルバスを待つ長い列。岡山から来 たと思われる3人組の会話を聞きながら25分程たってから係員が『フルマラソン に参加される方は間に合わないのでタクシーで行ってもらえますか!』。 気にせずバスを待つことにする。 会場に着き先ずは受付へ行くと『スタート時間を20分遅らせてます』とのこと。 別に予定通りでよかったのに・・・と思いながらAAC横断幕で無事なかまと合流。 そして走ったんだが・・・・疲労骨折のため25kmでリタイヤしたんだヨ〜ン。 残念無念! だから・・・間に合わなくっても、走れなくても良かったのに・・・・・・ かくして、私の加古川マラソン初参加は終わりました。 ちゃんチャン!!! (大会開催日:2005年12月23日) |
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投稿第二十七号 2005年の総決算『加古川マラソン』! 2005年12月27日 芦屋浜アスリートクラブ 岡山支部会員:中典生氏 私にとって加古川マラソンは、昨年初めて参加し初めてサブスリーを達成した、 縁起のいい大会です。今年は長いこと体調に恵まれませんでしたが、10月下旬 からようやく少しずつ走れるようになり、福知山で思い掛けず3時間ひと桁でゴー ルできたので、今回は来年へつながる走りを目指しての参加です。 しかし、最終調整として週前に予定していた岡山でのレースが雪で中止になっ た上に、前日もドカ雪で、関西への移動が4時間立ちっぱなし。実家に着いた時 点で既にレース20km分くらい消耗した気分でした。 当日は晴れてどうにか中止2連続は免れたのですが、準備に手間取って後方か らのスタートを余儀なくされました。団子状態の中でなかなか自分の走りができま せん。さらに、気温の上昇とともに雪が溶け出してきて、足下はもはや泥田同然 です。できるだけ水の少ないところを選んで、イレギュラーな走りになります。 5km過ぎからばらけ始め、ペースを上げます。の折り返しで南に向いたとこ ろで風が出てきたのですが、5〜15kmが41分。これなら挽回可能か?と思った 矢先に・・・。 18km付近から突然体が重くなり、みるみるペースダウン。完全にエネルギー切れ でした。人と水たまりを避けながら走った始めの5kmと、焦ってオーバーペースに なった次の10km。理由はあまりにも簡単でした。どんどん周りに抜かれてゆく。 このままではゴールすら危うい。ここでやむなく完走に目標を切り替え、走りなが ら体の回復を待ちます。チョコレートやバナナを鷲掴みに頬張りながら辛抱します が、15〜20kmが22分、再度北に進路を取った20〜35kmは、追い風なのに73分 も掛かってしまいました。でもまた徐々に体が動くようになり、ラストの南向きは 頑張ろう、という気分になってきました。 35km付近からペースを上げ、南に方向転換しますが、『いつの間にこんなに強く なってたの?』というほどの強烈な風が正面から立ちはだかります。36, 37km4分 『台』を懸命に死守します。 38, 39km・・・もう泥田コースなんて関係ありません。 40km地点で3時間4分。これは3時間15分いけるかも!という思いがよぎります。 最後に南に向いてからは、まだ誰にも抜かれていません。 ところが41.5kmで橋をくぐると、緩やか〜で長〜い上り。普段なら全く気になら ないですが、ギリギリの体に超強力な向かい風です。ここでついにギブアップでし た。結局3時間15分も切ることはできませんでしたが、今の自分を認めることがで きて、心はとても晴れやかでした。 昨年のサブスリーからちょうど1年。浮き沈みが激しく、天国も地獄も見ましたが、 悪いときは無理せず悪いなりの走りができるようになった良い1年だったと思いま す。AACの基本理念である『生涯スポーツ・健康スポーツ』を心に刻み、来年も楽 しく汗を流せればと思っておりますので、今後ともよろしくお願いします。 皆様、どうぞよいお年を! (大会開催日:2005年12月23日) 追伸: AAC岡山支部便りVol.2 1) 来年3/25(土)〜26(日)の日程で、『第2回片鉄ロマン街道合宿』を催します。 ご参加お待ちしてます。 2) 今年の岡山国体ではお世話になりました。来年の兵庫国体の成功をお祈り します。 こんなバスが岡山/倉敷〜神戸三宮を結んで走っています(岡山駅前にて) |
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投稿第二十六号 夢にみた大阪国際女子マラソン出場資格を獲得! 2005年12月8日 芦屋浜アスリートクラブ 準会員:前垣 泉氏 ハーフを初めて走った39歳のとき阪神大震災があり、今を大切に生 きようと思い立ち、ヨロン島で初めてのフルを走ったのです。4時間 40分でした。その後は週末10kmランニングで、年に1度フルマ ラソンを完走するのが目標でした。 同居していた両親が次々と弱り、義母が痴呆症で徘徊をはじめだした。 義父は膀胱ガンの摘出手術後半年後に脳血栓で半身不随になり、自宅 療養と入院を繰り返し、5年の看病後2004年5月に亡くなりまし た。義父の身の回りの世話をする一方で、毎週土曜日は施設に入所し ていた義母への訪問が続いていました。私が毎週義母のところへ笑顔 で訪ねることができたのは、その前にランニングをして、汗を流すこ とで気持ちを切りかえられたからです。母の訪問は7年におよび、2 003年3月の日本海マラソンに誘ってもらうまで、週末ランで月間 100kmの市民ランナーで満足していた私でした。 しかし2004年夏、義父の逝った後始末をしながら、看病に要した 時間を有効に自分のために使うことを考え、まずランニングを週3回 に増やしました。そして9月の武庫川くすのき駅伝に誘っていただき、 タスキをつないだ皆さんとの楽しい時間が私に新たな目標を与えてく れました。山下さんのスピードのある走りも刺激になりました。 その後、私のホームグランドの白鷺公園で以前から助言を下さるおじ さまから、所属クラブの駅伝に欠員があり、助っ人を頼まれて走った のです。その後、弁当を食べながら私は軽い気持ちで、『毎年38k m地点で声を嗄らして、一人一人の名前を呼んで応援しているあの中 で、自分も一度でいいから走ってみたい!』と遠い夢を話すと、大阪 国際女子マラソンを走った先輩の方が『まだ40代なら間に合う。挑 戦せなあかん』と進言されたのです。冗談かと躊躇していると、みん なで応援するからと、クラブのメンバーが初対面の私に、アルコール の勢いも手伝って、陸協登録やら日程やら説明してくださったのです。 50代後半から60代のメンバーですが、年齢に関係なく努力すれば、 競技者としてスポーツを楽しめる姿をみて励まされました。4月に今 のクラブのメンバーに『毎日10km走れ』と進言され、4時30分 起床の生活が始まりました。10月の半ばから毎朝5キロを走リはじ め、11月はフルとハーフを走り、12月の30kmにトライしたけ どタイムオーバーでした。 2005年5月には元気だった義母が突然逝って「看病のために健康 でいなければ」という当初の走る理由はなくなりました。しかし両親 がプレゼントしてくれた「走る楽しみ」と、残してくれた「貴重な時 間」を目標達成のために使うことにしました。 月間走行距離は250kmへ少しずつ伸びていきました。でも、週末 は疲れて30〜40kmの練習が出来ませんでした。10月は隠岐の 島100kmウルトラマラソンを半分走り、半分歩いてゴールするな どして、月間400kmを超えるランに。11月の吉野川ハーフマラ ソンでは1時間30分のタイムをまたオーバーして失敗。クラブのメ ンバーがペースランをしてリードしてくれたのに残念で、申し訳なく 落ち込みました。 そしてこの度、長居公園での大阪女子30kmロードレースでやっと 2時間12分41秒で完走して、大阪陸協の事務局の方が『上手にゴ ールした』と誉めてくださる結果がでました。去年の10月から今日 まで見守ってくれたメンバーが、涙ぐんでゴールに待っていてくれま した。目標が達成できたのは、寒い雨の中3時間近く周回道路に立っ て、応援してくれたおかげです。芦屋ACの皆さんにも感謝の気持ち でいぱいです。皆さん本当にありがとうございました! (大会開催日:2005年12月4日) |
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投稿第二十五号 第15回福知山マラソン参戦記! 2005年12月6日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:岡本 圭右氏 先日、福知山マラソンに出場してきました。昨年も出場する予定であったが、自分 としては、今年が初参加となった。この大会は関西地区でのビッグイベントでもあり、 この大会に向けてまだ暑い8月から取り組んできた「大一番」の大会である。10月 のシーズンイン後、ハーフのベスト更新を狙った10月23日の和歌浦ベイマラソン で撃沈し、精神的に落ち込んでいたところ、10月下旬に風邪をこじらせ、元々弱い 気管がやられ、11月3日の丹波高原30kmでは5kmでDNF。その後、風邪は治っ たものの風邪で奪われた体力、気管の調子を3週間弱で上向きにする必要があ り、福知山は正直走ってみないと何とも言えない状況であった。 スタート時は、早朝の霧が嘘のように晴れ上がり、寒がりの僕にとってはフルを走 るには最高の気象条件だったと思う。スタート後、最初は1km以上下りが続く。 とにかく飛ばさない事を心掛け、下りであるにもかかわらず入りの1kmは3分55秒。 そこから「キロ4」くらいの良いペースランナーを探 し、自分の調子を探った。丹波 では5kmでリタイアしたので、とにかく最初の5kmが不安だった。最初の5kmを19 分32秒で通過し、その後数kmも気管、足とも問題なく走れ、それからはキロ3分 50〜55秒くらいで推移する。15km過ぎても快調で、「今日はこのまま行けるので は!?」と思うくらいで、中間点も1時間21分48秒で通過したので、「2時間45分も 切れるか!?」と思う程、快調であった。 25km地点も1時間36分52秒で通過。しかし、この辺から少し脚に疲れを感じ始め ていた。と同時に25km手前で折り返してから、微妙に向かい風となった。26km以 降、集団がばらけ、これまでの集団走が出来なくなり、向かい風も受けラップも落 ち始める。ついに29km地点で1kmのラップが4分00秒と、4分台に乗ってしまう。 30km通過が、1時間56分43秒。小刻みなアップダウンがジャブのように効き、足 は既に「棒」状態に近くなってきた。ここからは抜かれたランナーに何とか付いて いき、ペースダウンを防ぐ作戦を取る。3分台には戻せないが、4分5秒以内でこら え、35km通過が2時間17分00秒。35kmで2時間45分以内、45分台も無理と判断。 残り7kmちょっと。かなり限界に近い。油断するとあっという間にペースダウンして しまう。残り5kmを切って、何とかペースアップを心掛けるも、伸びない。39km、40 kmは、少しペースアップ出来、40km通過が2時間37分54秒。「キロ4以内」の貯金 もかなり食いつぶし、残り2.195kmを迎える。 ラスト2.195km。40kmを過ぎたら噂の「坂」が待っている。自分では気付かなかっ たが、41km手前からじわじわと上りが始まっていたのだろう。気付かない内に4分 23秒もかかっていた。で、最後の坂!頂上付近にある歩道橋が見えるのだが、 全然近付いてこない。長い坂の頂上付近が42km地点。4分44秒もかかった…あ とは、右に折れたらゴールが待っている。さほど無理にペースアップせずにゴール! 「2時間47分51秒」(=Gross)で、Net Timeでは、2時間47分46秒だった。30km以 降、失速したが、自己ベストはグロスタイムベースで、2分9秒短縮。目標にしてい た「キロ4」以内も達成出来、かつ、3週間前の丹波の状態を考えると、現状では 満足の結果でした。 と、長くなってしまいましたが、自己ベストを出せて嬉しい反面、自分の課題も良く 見えてきました。「30km以降のスタミナ」この一言に尽きると思います。9月下旬か ら30kmペース走を5回実施しましたが、「30km走」ではフルは持たない事がよくわ かりました。今後はペースを落としてでも35km以上のロング走の必要性を痛感し た次第です。 また、福知山の大会は、運営もしっかりしていて、雰囲気も華々しく、コースも走り やすく個人的には気に入りました。来年も必ず出て、最後の坂を気持ち良く走破 出来るよう、これからも頑張って行きたいと思った次第です。次は2時間45分をカ ットする事を目標に頑張りますので、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。 (大会開催日:2005年11月23日) 完走タイム 2時間47分51秒 (キロ3分58秒7) 5km 19.32 10km 38.51 (19.19) 15km 58.14 (19.23) 20km 1:17.33 (19.19) 中間 1:21.48 25km 1:36.52 (19.19) 30km 1:56.43 (19.51) 35km 2:17.00 (20.17) 40km 2:37.54 (20.54) 42.195km 2:47.51 (9.57) 前半ハーフ 1:21.48 後半ハーフ 1:26.03 |
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投稿第二十四号 様々な思い出のある東京国際女子マラソン! 2005年12月1日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:西川 加代氏 2年ぶり7度目の東京国際。2000年には初50分切りを達成。しかしその翌年に は30キロで自ら初リタイアの苦い経験(>_<) そしてリベンジを誓ったその翌年に 自己ベスト更新。(^o^)v 現在のベストがこの2002東京国際の記録です。 ・・・と様々な思い出のある大会。 昨年は夏に膝を故障し、内側が治りかけたと思ったら、今度は外側と、自分の中 ではこれほど長期に渡って全く走れない日々を送った経験は初めてでした。 そして7月やっとスピードに乗って走れてきたかな?と思った矢先、AACの練習 会に向かう途中に道路で思い切り転倒し、今度は肋骨を負傷。(*_*) もうあちこちゆるゆるになっていくのを感じました。 しかし、まだあと3ヶ月ある!と思い、なんとか8月から距離をのばしていきました。 間に合うの?それともまた故障してしまうの?といった状況でしたが、迷いながら も東京国際の申し込みをした事が、自分の中でいい目標になったようです。 o(^_^)○ そして当日、スタートラインでは体調も気象条件も良く、またこの舞台に立ててる 事が嬉しかったです。(^-^) しかし15キロ過ぎでもうすでに後半の足になってて 一瞬、(--;) 血の気が引く思いでしたが、水かけながらまぎらしごまかし、何とか 2時間58分01秒で無事ゴールできほっとしました。 まだまだですが何かひとつクリアできたような感覚です。色々と激励の言葉を掛け て頂き、本当にありがとうございました。 また次の目標にチャレンジしたいと思います。\(*^^*)/ (大会開催日:2005年11月20日) |
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投稿第二十三号 楽しい一日でした福知山マラソン! 2005年11月28日 芦屋浜アスリートクラブ 準会員:原田 敬三氏 3月のABC篠山マラソンで初フルに挑戦しフラフラになりながらも目 |
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投稿第二十二号 8回目の東京国際女子マラソンを完走して! 2005年11月24日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:三枝 恵美氏 東京国際女子マラソンは今回で8回目の参加になります。 初めての東京は91年。東京を走った友人から『100名限定なのですごく走りやす いし、エリートマラソンって感じがするわよ!』と言われワクワクしながら参加しました。 その頃は走るたびに記録が良くなっていたので、楽しくて仕方ない時期でした。 それからは東京、大阪と走るのがお決まりになっていきました。 94年には付録としてですが招待選手で参加させて頂き、夢のような数日を過ごさ せて頂きました。その頃は44分位で招待されたのですから、この10年間で女子 の記録は飛躍的に伸びたと思います。 95年は名古屋で40分を初めて切れたので、気合十分で先頭集団について行き ましたが、5キロ過ぎから遅れ始めみごと撃沈!長い長〜い42.195キロでした。 苦い経験でしたが、身の程を知る良い経験にもなりました。 96年にも招待選手で参加させて頂き、今度はプログラムに写真が載り一生の思 い出になった大会でした。99年に走ったのを最後に仕事が忙しくなったり故障をし たりでしたが、今回は6年ぶりに参加を決意! 1週間程前から気温が下がり、寒いのが苦手な私は困っていたのですが、思って いたより暖かく前半はとても走りやすかったです。しかし、後半は向い風と名物の 坂にやられました。最後は足の感覚がなくなり動かなくなりました。2時間43分21 秒で完走!まだまだ修行が足りないなぁ〜と痛切に感じました。 いつまで目を△にして走れるかわかりませんが、もう少し頑張っていこう!・・・・・ と思っています(^^)v (大会開催日:2005年11月20日) |
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投稿第二十一号 アイアンマン/ハワイ 『GOOD JOB!』 その声援に後押しされて笑顔でゴール! 2005年11月17日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:久保田 早紀氏 10月15日、私はハワイ出場権を得てから、この日のために練習を積んできました。 トライアスロンをはじめたのは大学に入ったときからで、もうかれこれ6年が経ちま したが、その当時はロングなんて自分には全く無縁の世界であると思っていました。 そんな私がまさかハワイに出てしまうなんて・・・本当に驚きです。今ではショート よりロングの方が自分には向いているのではないか?とさえ感じてしまうくらいです。 さて、前置きはこのくらいにして、5月のジャパンで運良く(試合前に食中毒にかか っていました)出場権をとれた日以来、私の目標はエイジ別で優勝することでした。 私の所属しているテイケイ八尾監督にそのことを公言しましたが、ハワイレース後 に、『当初、エイジで優勝するなんて、こいつなにいってんだ!って思ってたぞ』 といわれました。それくらい、まだまだそんなことを口にできるレベルではなかった みたいです・・・ただ、本人だけはいけると思っていたのですから、のんきですよね! (笑)同じチームの田山君も初ハワイということで、同じような練習メニューで夏場 は頑張ってきました。 仕上がりもそこそこ順調で、やる気も高まってきた9月終わり、ここで私は痛い落 車をしてしまいました。もう頭の中が真っ白になりましたね。その日は何ともなかっ たのですが、次の日に鞭打ちの症状が首にあらわれ、こけた側の左腕が上がら なくなりました。それでも練習していないと不安だったので、スイムをしました。 すると、終わってからさらに痛みが増す悪循環。バイクに乗るのも落車の感触が 思い出されて怖かったです。もう3週間きってこの状態、精神的に追い込まれてい きました。しかし、いつまでもめそめそしている私に今まで励まし続けてくれていた 八尾監督から一喝入れられて目が覚めたんです。『もうどうこういってても仕方 ないんやから、自分を信じてくよくよするな、いままでやってきたことに自信も て。当日にはすべてうまくいくんやから』と。そこからはこれが自分にとってレー ス前のいい休養だと思い直し、ハワイコナへ向けて出発しました。 コナについてからは全てが新鮮でした。本当にどの大会ともまた一味違った雰囲 気で、選ばれた人たちがここに集結したのだと思うと、ここにおれることにほんとう に喜びと感謝の気持でいっぱいになりました。レースまでは全く緊張もありません でした。ハワイ1年生、チャレンジャーという立場でしたから、怖いもの知らずだっ たんですね。前日も9時には就寝。私、試合前に緊張して眠れないということが全 くない人なんです。 ぐっすり休めました。 そして当日の朝は3時半に起床して、まだ薄暗い海辺へ散歩に行きました。そこ で、 『今日一日宜しくお願いします』と手を合わせてお願いしました。これが効 くそうです。おためしあれ!そしてなんだかんだ準備しているうちにスタートがきま した。ほんと、レース前はあわただしいですよね。私は結局最後まで全く緊張する ことがありませんでした。 スイムは得意ですのでまずまずのタイムであがることができました。ただ折り返し あたりまでバトルが続いたので、それにはさすがに参りましたね。外人選手は大 きいので、頭をたかれたら痛い痛い・・。 バイクでは予想通り、どんどん抜かされていきました。ここでも驚いたのが、60才 のおばさんに抜かれたこと。一瞬自分の目を疑ってメーターをみたら、35キロ・・・ 私はいつも通りでした。ほんとみなさん速いんですね。もっとバイク強化しようと心 に誓いました。また横風がきついなと感じたのですが、今年は無風だったとか。 これにもショックでした。いつもはどれだけすごい風がふいているのでしょうか?? ランでは逆に、バイクで抜かれた以上に抜き返すことができました。とにかく、よく 足が動いて走れました。いつもなら、30キロ過ぎるとバテるんですが、そこからの 方が今回は元気になっていくような感じでした。『GOOD JOB!』その声援に 後押しされて、笑顔でゴールすることができました。 結果は10時間22分53秒で完走。エイジ別2位(女子20−24)(日本国内女子 2位)と、優勝はできなかったのですが、これは神様が「まだまだ優勝させてしま っては、私が天狗になってしまうから、だめだ」といってたんだと思います。ここま でこれたのは本当に多くの方々の支えがあってのことだと、改めて感じ、感謝して おります。来年もハワイ目標に頑張って精進していこうと思っていますので、どう ぞ皆さん宜しくお願いします。そして、みなさんもそれぞれの目標に向けて頑張っ ていきましょう☆ 距離:スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km 合計:226.2km (大会開催日:2005年10月15日) |
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投稿第二十号 楽しい思い出いっぱいの青垣マラソン! 2005年11月12日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:広井 泰二氏 11月5日13時芦屋を出発、高源寺に16時頃着きました。故水上勉氏<作家> は『ここは鬼気せまる禅機がみなぎり、身をおいただけで、胆を洗われる精気が あるように思える。』と。水上氏の言われたとおり、苔むす山門と調和する楓、三 重塔そして鐘、この素晴らしい景色の中で我々AAC会員ランナーは明日の健闘 を祈りました。 宿泊先の大原邸宅に17時頃着き、ダーツをしたり体脂肪率測定をしたり、夕食 までくつろぐことができ、ビールを賭けたダーツ大会で盛り上がったのでした。 私と本地さんが合計200点をオーバーし、ただ酒を飲めることになった。\(^O^)/ 参考までにダーツの説明をしますと、3本の矢を投げ合計得点を競います。 ダーツボードは1〜20点の20等分になっています。 *シングル・・・・・No.そのままが得点 *ダブル・・・・・・・No.の2倍が得点 *トリプル・・・・・・No.の3倍が得点 *ダブルフル・・・・「中心点」が50点 *シングルフル・・・・「中心点の周り」が25点 11月6日朝から雨が降って、10時スタート時も雨だった。昨夜の酒が効きすぎた のか体が思うように動かない。小さな坂がボディーブローのようにきいてきた。復路 は向かい風に悩まされて青息吐息、体が冷えて思うようなレースが出来なかった が、昨年より1分程遅い1時間37分12秒のタイムでゴールできました。 残念ではあったが、自分なりに頑張れたと思っている。大原邸までジョグで帰り風 呂に入り、くつろぎ、昼食後、昨日の続きで体脂肪測定をやり、昨日より2%程多く なっているのが分かりました。 1泊二食で3000円のこの旅は、私にとって新鮮な刺激が沢山あった旅でした。 来年は大勢で、また騒いで盛り上がりたいですね。+(^-^)+ (大会開催日:2005年11月6日) |
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投稿第十九号 美しい芦屋の自然を楽しむ! 2005年11月7日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:城 佳子氏 晴れたある10月の土曜日の朝、芦屋浜アスリートクラブのランニングに初参加し ました。私はずっと芦屋で育ったのですが長い間芦屋を離れており、仕事の関係 でつい最近こちらに戻って来ましたので、ぜひ地元でランニンググループやランニ ングパートナーを見つけたいと思ったからです。 私が子供の頃には未来都市のように見えたシーサイドタウン。その街もすっかり 芦屋の顔になり、そこにある中央公園に集合し、この日は高座の滝を目指しまし た。シーサイドの潮風を背に、多くの人が芦屋の中で一番好きな場所としてリスト アップなさるであろう芦屋川沿いに上流に向かいました。芦屋川も防災のために すっかり整備されてしまいましたが、まだまだ自然の姿が目につきます。 この日はススキの穂が銀や金色に光り輝いており、そこから見える六甲山系は 非常に美しいものでした。およそ6キロほど走り高座の滝に到着。たくさんのハイ カーの方もいます。そこからもう少し足を伸ばして、芦屋ロックガーデンもかじりま した。見晴らしのいい所から街を眺めますと、自分たちのスタートした地点が小さ く見えました。 マラソントレーニングをしている普段には5−6キロという距離は、非常に短い距 離単位として捉えているのですが、なんのなんの5キロでかなり移動できるもの なんですね。この日移動した距離を高い所から確認できて、ちょっとした発見でし た。 走っている間はメンバーのみなさんと楽しく会話。みなさん、気さくな方たちばかり で話も弾みます。それから、非常に健脚揃いでおられます。翌週は芦屋浜から甲 山の方へ往復17キロということで楽しみにしていたのですが、雨で流れて残念で した。季節は移り変わりますが、土曜日ごとに美しい芦屋の自然を楽しみ色々な 方との出会いを大切にしながら走行距離を伸ばして行きたいと思っています。 |
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投稿第十八号 アイアンマン/ハワイで完走しました! 2005年11月1日 芦屋浜アスリートクラブ 準会員:村田 里美氏 こんにちは、村田里美です。 2003年5月にトライアスロン練習を始め8月珠洲大会Bタイプでデビュー完走しま した。その年の10月3日誕生日で49歳を迎え、当時の私にとっては、途轍もない 誓願をしました。 「40代の思い出としてアイアンマン完走する。」と決め、2004年のアイアンマン/ コリア完走をめざし、2004年6月徳之島完走、7月皆生でバイク大転倒しました が背中すり傷打撲、8月念願の49歳でコウリアン完走しました。 しかしこの時は 台風の為スイム中止なので、事実上はアイアンマン完走ではありませんでした。 9月伊良湖完走。 2005年宮古島完走、皆生を制覇し、ついに正規のアイアンマンコウリアンを完走 し、ハワイの権利を獲得出来ました。私には各大会の完走が目標で、ハワイには 行かなくても言いと思っていましたが、沢山の方達からの祝福を頂き内心戸惑う ほどでした。ハワイレースの意味すら知りませんでした。 でも今は、行って良かったと心からそう思います。熱帯魚を見ながらのスイム、無 限大に広がった大地走るバイク、絵画の中を走っているようなラン。鳥たちの透き 通った合奏のようなさえずりなど目を瞑るとその時に舞戻って行きます。それから バイク、ランでは選手と目が遭うとニッコリ微笑ん出くれると、希望と勇気が湧き出 るようでした。 改めて生きてるって素晴らしい、人間って自然に遭遇するとこんなにも力が出る んだと実感しました。又こんなに健康に生んでくれた両親に感謝します。そしてこ の2年半トレーニングは勿論フルマラソンをはじめ全てのレース(10レース)を伴 走してくれ、ハワイに導いてくれた渡辺さんに心から感謝を致します。 ハワイレースでのはじめての一人での出場は本当に不安でしたが、一人で完走 する事が恩返しだと思いました。 来年は2人でハワイに出場する事を目標に頑張りたいと思います。 (大会開催日:2005年10月15日) |
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投稿第十七号 ITUエイジグループトライアスロン世界選手権ホノルル大会に参加! 2005年10月29日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:岡本 裕行氏 スタート10分前から同じエイジの選手が海岸に並び始める。私と森下さんは一番前に
並んで、志気を高める。スタートの海へ向かう砂浜に、両サイドに応援者の通路ができ ている。なぜか不思議なことに、スイム海上の隣の海でアップを終えて、海を遠く眺めて いると今回のこのレースは過去に一度走ったことがあるように思えてきた。もうすでに自分 はこのレースを経験したように感じた.。スタートラインのマークの間に選手が詰め始めた。 スイム状況 750m×2周回を海岸にあがらないで周回するコース。自分のカテゴリーの前にハンデ
ィキャップ、オーバー60がスタートしている。スタート時間が遅くなるにつて波が大きくなって きた。海岸側も護岸があるため、戻しの波もきつい。ペースを乱さないことが最重要ポイ ントであったため、スロースタートで後半にペースアップする計画でスタートした。 思った以上にスタート直後が混雑し、なかなか自分のペースがつかめないまま折り返しま でくる。折り返してからは、海岸近くを泳ぐため、リーフが気になる。最初は丁寧に泳ぎ切 る計画が、ペース配分の誤りで起きる痙攣が気になる。気になりすぎて、ペースがあがら ない。2周回目に一人前を泳ぐ選手をとらえて平行して泳ぐ。 しかし、自分よりも少しペースが遅いため、泳ぎは楽なまま。折り返し手前で、この選手 から離れ、前にあがる。折り返し後にまた別の選手をとらえるが、この選手も少しペースが 遅い。ラスト300mあたりでこの選手から離れ、スイムフィニッシュへペースを上げる。しかし 前半の心が自分に勝てなかったので、楽なペースのまま泳ぎ、結果26分という遅い結果 に終わった。レーススタートの入りであるスイムを丁寧に行くということが、結果びびってしま った。 バイク状況
スイムからバイクラックへ到着。スイムアップが遅いため、残っているバイクは少ない。ここま
で遅いと、結局バイクでペースを上げるしかない。身体全体を使った回転はしっかりとでき た。ハイウェイを走る高速コースで、時速40kmで飛ばし続ける。それでも軽く抜いて行か れる。焦らず、自分のペースを見つけそのまま回す。日本のレースと違い、ドラフティングは 厳しい。何度もオートバイがついてくる。折り返し手前で、急激な坂が出てくる。海外の 選手は登りで意外にも落ちてくる。ここで順位を少し上げる。 後半に入っても高速レースは続く。前半はだいたい同じメンバーが確認できたが、それら の選手がじわりじわりとペースを上げる。こちらも時速40kmで走っているがどんどん離され ていく。こちらは左側追い越し。DHポジションで走っていると、左の上のほうからから声がか かる。海外の選手はデカイ。 30kmポイントぐらいで結局彼らは小さくなり、見えなくなった。ラスト5kmになり細かな アップダウンが続くなか、ペースはいい。Uターン後にバイクフィニッシュ。バイクを降りるとき に左足太股の裏がピキッときてやばかった。 ラン状況 ゼッケンをつけてランコースへかけだしていく。公園とワイキキ通りを使った2周回のコースだ。
時間差スタートのため大勢の選手が周回を走っている。今、自分が何位ぐらいを走って いるのか全く分からない。それでもペースいい。走りも丁寧にいけている。抜く選手は多い が、抜かれる選手は少ない。抜かれても、このままちぎられるか追いつくかはその選手の走 りを見るとわかる。 あせらず、あわてず、あきらめず、ピッチを保って行く。メキシコ、US、UK、NZ、カナダ、 スイス・・・様々な国のユニフォームが交錯する折り返し。ワイキキ通りを折り返しラスト2 km。少し早い目のスパートをかける。前を走る選手がどんどん近づく、パスする。長い・・ 苦しい・・ もうすぐフィニッシュのはず・・まだゲートがない・・こんなに長かったかな・・八尾監督の教え 通り、さらにスピードを上げる。最後は一気に駆け抜ける。あまりの苦しさにその場に立っ てられない。 2時間17分39秒 87位/124人中 (S26:30 B1:09:16 R39:32)
結果は満足のいく記録でない。今回は本当に世界の壁を知らされた思いだ。国内戦だ けでは感じ取ることのできない緊張感や迫力、エネルギーなど、この身体に感じてきたこ とは自分にとって想像を超えた世界であった。今感じていることや今回の経験を糧にして さらに躍進したい。(大会開催日:2005年10月9日) |
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投稿第十六号 四万十川ウルトラマラソン完走記! 2005年10月25日 芦屋浜アスリートクラブ 準会員:中辻 豊彦氏 今まで何度かウルトラを走ってきましたが、100Kmというキリの良い距離はまだ2回目で、 やはり100kmとなると記録が気になるわけでして、これはもうサブテンを狙うしかないわけ です。 2週間前の芦屋浜潮風ウルトラマラソン50kmの部を、3時間37分で完走できたので、 何となく自信はあったのですが、最初から100kmということで自重気味に50kmを4時 間半で走りました。タイムはどうであろうと50kmも走ると結構疲れるもので、Kmあたり5: 00→5:30→6:00→6:30→7:00と素直に落ちて行き、最後は気を取り直しても う一度6分前後でがんばり、9:37:16でゴールしました。ちょっとガッツポーズ! やっぱり100kmも真剣に走ったらしんどいわ。もう当分ウルトラはごめんです。 (と言いながら来年の計画をしていますが) 下記は来年、四万十に行く人へのアドバイスです。 @10〜21kmの上りは大したことありません。それより56km付近の上りがきついです
が、距離は短いので頑張りましょう。 A80km地点の施設エイドでは、鰹のタタキや生ビールがありますので、記録を狙わな い人はお腹をすかして走りましょう。 B前泊は素泊まりで。カーボンパーティで鰹のタタキ(少々)、鯖寿司、たこ焼き、焼きち
くわ、おでん、おにぎり(いっぱい)がでますので、満腹になります。ボクは最初に生ビー ルの列に並んだので鰹のタタキはあたりませんでしたが、生ビールは最後まで飲み放題 ですので、先ずは鰹に突進しましょう。 C往復は近鉄の夜行バスが便利です。レース当日も20時40分発に乗れれば、月曜 日の仕事に行けます。(体力と気合があれば・・・) D安く泊まりたい方は、駅前に1泊2食で5000円代で民宿があるようです。 (大会開催日:2005年10月16日) |
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投稿第十五号
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投稿第十四号 芦屋浜潮風ウルトラマラソン[ちょっと嬉しかった50km優勝]! 2005年10月12日 芦屋浜アスリートクラブ 準会員:中辻 豊彦氏 今回は、2週間後の四万十川ウルトラ100kmの調整のつもりで50kmの部に出 場させていただきましたが、気持ちよく先頭集団で走ってるうちに途中から「優勝 できるな」と確信したため、四万十川のことを考えてペースを落とそうかなとも考 えたのですが、「3時間台でゴールできるかも」と欲張り,最後まで一生懸命走りま した。 結果は3:57:48。皆生トライアスロンに続きサブフォー達成です。 四万十川ではサブテンを目指したいと思ってます。 また最後のジャンケン大会でも、阪神優勝記念の阪神百貨店商品券を頂きまし たが、巨人ファンのボクとしては複雑な心境です。来年は原監督率いる巨人が優 勝してくれるので、阪神百貨店社長さん、一緒にウルトラ走りましょうね。 (大会開催日:2005年10月2日) |
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投稿第十三号 芦屋浜潮風ウルトラマラソン不完走記! 2005年10月10日 (株)松村善進堂 狂走会:松村 若子氏 第1回 芦屋浜潮風ウルトラマラソン大会(70kmの部)感走記 <2005年10月2日 |
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投稿第十二号 蒜山高原マラソン全国大会! 2005年9月20日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:本地 敏行氏 ●この大会は岡山県と鳥取県との間に位置する蒜山が会場のため、当初宿を取る方 法と早朝に車を走らせて参加する方法の2案を慎重に考えた結果、会場までは高速 道路のみで約3時間で到着することが分かったので、朝5時出発し、会場へ向かう計 画を組むことにした。 当日の朝はばたばたしないよう、荷物のほとんどを前日に用意し、朝は4時半に起床 した。インターネット天気予報を確認すると今日は午後から雨天と書かれていたため、 折りたたみ傘を急遽用意(この機転がよかった)し、車へ乗り込ん。 ●車は、軽自動車のレンタカー一日の利用価格が5000円のため、半月前にその車 を予約をし、前日の夜20時に引き取り、近くの駐車場へ入れておいた。手荷物とクー ラーボックスを車に入れ まだ薄暗い早朝の中を走り出した。車の通行はほとんどなく、 涼しく快適なドライブ気分でのスタートだった。 甲山を横切り、西宮北有料道路を越え、西宮北ICから高速道路へ入る。下道も高速 道路も車の通行はほとんどなく、快適すぎたため加西SAを過ぎるころから、少し眠気 を覚え始めた。朝が早すぎたため、今になって体がだるく感じ始めた。もう一度寝るこ とが出来ればこのだるさもなくなるのだろうが、そのような時間もなく、今日はちゃんと 走ることができるだろうかという不安が募る。運転にも疲れてきたので、勝央SAに入 り休憩。 ●勝央SAは規模が小さく、加西に比べれば、トイレの広さは三分の一くらいで売店の 広さも半分くらいだ。買いたいものもないのに、ブラブラと売店内をうろつく。売店には 梨が売られていた。5個入りで1800円。1個300円強。なしの産地で有名な鳥取県 が隣県というのにこのような価格が提示されていることに驚いた。(後の蒜山で売って いた全く同じなしは1500円だった。産地ではもっと安いのだろう。) 眠気覚ましにホ ットコーヒーとブラックブラックガムを買い、先を急いだ。ここから米子自動車道を走り、 蒜山ICで降りる予定だ。走ってる最中改めて考えたのだが、蒜山ICで降りても一つ手 前の湯原ICで降りても高速道路を下車後、会場までの所要時間はどちらも20分と大 会案内に書かれており、また一つ手前で降りたほうが高速道路料金が少し安くなると いう理由で 急所湯原ICで降りることになった。しかし、その企画には一つだけ不安 な点があり、それは当初蒜山で降りる計画だったので、蒜山ICから会場までの地図 は用意していたが、湯原ICからの地図は用意していなかったことである。 ●湯原ICを下車後、とりあえず鳥取方向、蒜山方向へ向えばいいだろうと、俄仕込み の案を立てたが、そのような心配も要らずにすむことになった。それは早朝の割りに 湯原ICで降りる車があまりに多いからでした。私達は湯原ICから出て行く車の後に続 いていく方法を選んだ。もちろん 私達が追いかけている車は大会に参加するという 保障は全くない。しかし、それら不安を払拭したのは先にも書いたように異常なほど 下車する車の数だった。 ●313号線を車で約10分程度走ると会場へ案内する手書きの看板が見え、会場方向 に向かっていることを確信し、ここで初めて安堵した。さらに10分くらい走ると道路中 央に警備員が立っており、交通整理をしている。会場へ向かう人はこちらへ進んでく ださいと言っているようだ。その方向へ進むと会場らしきスポーツ公園に着いた。車は スポーツ公園内の野球グランドを臨時駐車場とし、消防署員がそのグランド内へ車 を誘導してくれている。よく見るといたるところに消防署員が世話をしてくれている。普 通は警察や警備員、もしくは一般の人が補助員をする場合が多く、今回のケースは私 的にはきわめて稀な経験だったので、少し驚きました。 ●今年のこの大会は 2005年岡山国体が開催されるため、例年の開催日よりも 1 ヶ月早い開催となったらしい。よく参加する人が言うには、例年は涼しい もしくは寒い のだが、今年は本当に暑いわ。たった1ヶ月早いだけでこんなに変るんやな。開催場 所が高原のため気候変化が激しいのだろうと 私は思う。 ●消防署員のてきぱきした誘導に従い、グランド内に車を止め、歩いて会場へ向かっ た。野球場のすぐ下の体育館前の広場が会場となっていた。体育館内は男女別更衣 室、救護室、記録証配布場所。体育館前にゼッケン受け渡し場所が設けられていた。 道路を挟んで、向かいの舗装された広場にはスポーツショップ、ファイテンショップ、飲 食ブース、特産物販売ブース(お酒、みやげ物)があった。私達が参加受付をしている と会場内に 突然フォークリフトが荷物を持ちながら乗り込んでくるのを確認できた。 何なのだろうと見ていると大根の青空市場だった。とても大きな大根を1本100円で 売り出している。会場の参加者は列を成し、大根に群がった。大根はフォークリフトで 3往復したものの、30分くらいで完売したらしく、後から来た人には何があったのか分 からないようだった。大根は普通の店で売っているサイズの2倍はあるので超徳と思 います。また会場内の飲食店の一つはほかの飲食販売店のようなテントではなく、キ チンとした建物で、中ではうどんなどが振舞われており、その入り口にはなすびとピー マンが売られていた。そのなすびがすごく大きく、なんと長さが40cmくらいあるとて も普通では見ることができないサイズで、このなすびが2本100円で売れている。私 達は受付終了後それら野菜の朝一を満喫し、車へと戻った。 ●今日は午後から雨という予報だが、今は晴天で暑いくらいだ。これから雨が降るな んてことは予想できない。もし雨が降るのなら、私が走っている途中で降ってくれれば 涼しくなっていいのにと願った。あまり歩きまわると疲れるので車戻り、エンジンをかけ 、クーラーを付けた。車内の気温が適度に下がり暑さをあまり感じなくなった辺りでパ ンフレットを見ることにした。参加者は10kmが多く763人、ハーフで537人。私はア ップを5kmの出発に合わせて始めることにした。5kmに参加する嫁が出走する姿を 見送り、アップへ向おうと考えた。この大会は過去の記録が驚くほど低いので、嫁が 帰ってくるのに大体23分くらいはかかるだろうという予想でアップを考えた。 ●頭の中で自分がスタートするまでの予定を組んで、5kmのスタート20分前まで車 の中で寝ることにした。最近の軽自動車は後ろの座席を前に倒すと平たい部分が広 く出来るのでうれしい。快適ではなかったが、くの字になりながらも少し寝ることがで きた。 5kmのスタート時間が迫ったので、だるい体を起こし、5kmのスタート地点へ一緒に 向かう。スタート地点に並ばせ、スタート5分前にその場を離れ、スタート地点から少し 離れたコースの側道に張り込む。嫁が通過時に応援したが、聞こえなかったらしく目 の前を通過。後ろ姿を見送り私自身アップへ向かうことにした。 ●会場の山手側の野球グランドが駐車場となっており、その更に上の丘には温泉施設 とテニスコートがあった。大会参加時に温泉割引券をもらったが、この温泉施設の割 引券なのだろう。景色見物をしながらジョグをする。26度と気温も高く、2kmも走れば 服の色が変るくらいに汗をかいてしまっている。汗の量を見、十分アップも出来たと思 い、車へ戻った。ランパン、ランシャツに着替え、カメラを片手にゴール前300m地点 に待機。5kmスタート後約20分経っていたので多くのランナーが次々と帰ってきてい る。嫁は練習不足のためか、重い足取りで帰ってきた。無事にゴールをする姿を見届 け、カメラと車の鍵を渡し、私自身がスタートラインへ着いた。スタート5分前で多くのラ ンナーがスタートラインに立っていた。 周りを見ると強豪が揃っているようにも思える。とりあえず、私は今回、1時間15分を 切ることを目標に走るのだが、過去の記録を見ても 1時間15分をきっている記録が ほとんどない。一抹の不安を抱え、ホイッスルを待った。 ●ホイッスルが鳴り、一斉にランナーがスタートをした。トップランナーの速度は遅く1k mの通過が3分10秒程度だ。私は遅めで入ったつもりだったが3分18秒で通過して いた。今回は1時間15分を切るつもりで参加しているが恐らく無理で、その無理を承 知でいけるところまで走る計画で参加している。1kmを通過した時点でラップを確認 するとこの先の不安がイッキに膨れ上がった。1km地点はスタート後、400m地点 からなだらかな上りとなっている。また、スタート直後の混雑も含めると、実質は3分8 秒の通過タイムだったと考察した。最初の入りを誤算し速いペースではいったため この先を考えるとなかなか飛ばすことが出来ない。しかし3分34秒以下にペースを落 とすと1時間15分の記録をきることも不可能になる。かなり落としたペースで次の2k mの通過は3分29秒だった。この通過もなだらかな上りが半分以上続いたので、実 際はもっとペースが速いとも思える。 ●空は晴天で日差しがとても暑く、もちろん私自身このアップダウンがふんだんにあ るコースと気候で最後まで走りきることは私自身絶対に不可能とこの時点で確信した が、折角ここまで来たので、捨てレースでもいい最期までいけるところまで走りきろう。 力尽きたらそのときは歩いてでもゴールしようと思った。2kmから4kmまでは一見平 坦だが、なだらかな上り下りが続いており、その途中に2箇所エイドがあった。内容は 水だが、とてもありがたい。スポンジも用意されており、私は冷たい水が含んでいるス ポンジを額に押し付けて疲れをごまかした。4kmから5kmには大きな丘があり、その 丘を下った先に10kmの折り返し地点があった。私はハーフの部のため、さらに5km 先へ進むことになる。内心 10kmにしておけばよかったと思いつつ、先へすすんだ。 ●この先は平坦はなく、微妙な上りがほとんどで見上げるくらいの丘が約2箇所くらい あった。私は、8km過ぎの道の駅の前でRCチップが外れかけたので、その場で立ち 止まり、RCチップをキチンとくくりつけ、靴紐を結んだ。 チップを付け直したのはいいのだが、ここまで無理して走り続けてきた緊張の糸が R Cチップをキチンと付け直し靴紐をくくっている間に5人のランナーに抜かれてしまった こと 靴紐をくくる行為(休憩してしまったこと)で体のだるさを感じ、ペースが上がらな くなってしまったことで 切れてしまった。体中をどっと疲労の塊が駆け巡るような気分 がした。私の今回のハーフマラソンはこの地点で終わった。そう私自身確信した。 ●マラソンという自分との戦いのスポーツでは、どこで勝敗が決まるのだろう?私は 分自身の気持ちの折れた地点と確信する。例えば競り合いで負ける場合も走る速さ を抜きで同じ力と考えた場合、「駄目だ」と頭の中で少しでも考えた時点で体はそれ 相応の答えを出した動きになってしまっている。実際、私自身、この場で気持ちが折 れてしまい、いままで頑張って走り続けた上り坂も今まで以上にきつく感じ、結果立ち 止まり、歩いて上るという醜態をさらしてしまった。各沿道で補助員をされている消防 士の方々はまだ半分にも満たない地点で歩いているランナーに対し、ゴールまでたど り着くことができるのだろうか。途中で倒れないだろうかと心配してくれていた。 ●とりあえず、最期まで進もうと思い半ジョッグで走ることにした。折り返し地点を越え、 1km辺りのラップも4分から6分(歩いた為)に落ちていた。折り返してから多くのラン ナーに先を越され、私自身追いかける元気も足には残っておらず、ただ、上りの坂道 がくれば歩き、平坦と下りでは走り続けるという情けない走りをしている。せめて最期 まで走り続けてゴールをしてみたかった。行きでRCチップが外れてしまった場所で応 援してくれていた方々が私が折り返して戻ってきたときに ほかの選手よりも大きく多 く応援をしてくれてくれたことが嬉しく感じた。 ●エイドでは走りながら水を飲む理由もなくなり、それよりもその場に立ち止まり、ゆっ くりと水を飲むようにした。もう一杯ください。というと水の入ったコップを渡してくれた。 ありがとうといい、水を飲み干し、ビニール袋へコップを入れた。スポンジを額と首の後 ろへ押し付け、先へ進む。 目の前に10kmの折り返し地点が見えた。その地点を横目に2kmのわき道へそれる 。私を抜かしたランナーが私の前を1人歩いていた。疲れきったのだろうか。頑張れ。 そう思い横を通り抜かした。トップは、この地点で入れ替わっており、私と3km過ぎま で並走していたランナーがダントツのトップを走っていた。 ●私は、歩きながら、走りながらで先をすすんだ。ラスト5kmを越えたところで、天満 屋陸上部の泉有花選手に歩いているところを抜かされた。坂を上り歩き、坂の峠に差 し掛かると泉選手は遠く向こうまですすんでいる。私は膝の痛みを感じたため、ペース をさらに落とし走ることにした。 帰りは全体的にのぼり下りはあるものの、下りが多く、そのため膝に痛みが走る結果 になったのだろう。膝の痛みを気にしつつ、どうにかスタート地点のバルーンが遠く丘 の向こうにあることを確認できた。ペースは上がらないが、ラスト3kmを惰性で走るこ とにした。ラスト700m地点で多くのランナーに抜かされたので、せめて最期くらいは きちんと走らなければ。膝をかばい ラスト700m地点までさらにペースを落としてい たため、体には余裕はかなりある。 ●このまま走り終えるのではなく、少し刺激を与えた結果を見て、再来週の丹後60k mマラソンの手ごたえを確かめなければ、膝は走り終えてからじっくりと観察しようと思 いラスト700mをダッシュし、前を走るランナーをごぼう抜きでようやくゴールすること ができた。ゴールタイムは1時間29分29秒と私的にはワースト記録の更新であった。 しかし、このアップダウンコース(芦屋ではブリッジコースのきついバージョン)で 上出 来の記録を出すことができたと思えた。話によるとトップはかろうじて14分台。2位以 下は15分を切ることが出来なかったらしい。私は、このコースのきつさをあらためてま じまじと教えられた気分でした。 ●ゴール後は、冷たいお茶を2杯 頂、蒜山産の水500CCをもらい、途中、参加賞の 巨大大根一人2本。おこわ弁当、パック牛乳を貰い、くたくたの状態で車へと戻った。 車に戻るととりあえず何もすることが出来ず、近くの水道にて水浴びをすることにした。 蒜山の水道水は関西の市街地と違い、とても冷たくまるで冷水機の水を浴びている ようで、疲れきった体をひきしめるようなしみこむような気分になった。 ●ずぶぬれの状態で車に戻り、帰りの服に着替え、その後丘の上の温泉施設に歩い て向かうことにした。朝方 晴れわたっていた空もどんよりと難しい顔をしており、ポツ リポツリと雨がふっていたので、折りたたみ傘を持ち、改めて歩いて温泉施設に向か うことにした。徒歩約5分程度で到着。温泉施設は日ごろは今日のように満員で込ま ないのだろう。あまりに人が多く、靴箱ですら空きを探すことが難しい状況だった。料 金を払い、更衣室に入るもスリッパは更衣室にあふれており、さらに廊下にまでもあ ふれている。更衣室はもちろん一杯で衣類を入れるボックスは一つも空いておらず、 空きを待つことにした。私は運良く2分程度で空きができたので、中に荷物を入ること ができた。 ●風呂の中も人でごったがやしており、洗い場は行列。湯船は適度に一杯。ジャグジ ーは一瞬空いていたので、そこに入ることにした。露天風呂も適度に一杯でほかに風 呂場で過ごす場所がなかったので、サウナに入ることにした。走った後の疲れた体で サウナに入るという変り者はいないようで、サウナは私一人のみでガラガラだった。 とりあえず、サウナだけを満喫することにした。サウナから出て、露天風呂の休憩室の ようなところで休憩し、軽く露天風呂に入り、風呂を後にした。 この温泉は限りなく水に近い温泉で、独特な温泉の匂いはほとんどしなかった。ただ、 湯の出口には石灰のような付着物が少し着いており、また周りの石は独特な変色を していたので天然温泉なのだろうと感じた。出るときは私が入ってきた時よりも更に混 雑しており、更衣室内には入ったときよりも待ちが出来ていたくらいだ。もっとゆっくり と入りたい。そう感じました。 ●風呂から出ると外はバケツの水をひっくり返したような雨に見舞われており、各雨よ け場所には逃げ込んだ方々が雨が小降りになるのを待っているようだった。私達は運 良く傘を持って来たので助かり足元がぬれながらも、車に戻ることができた。私はビ ールを買うために大会会場へ向かった。大会会場は撤去に忙しいようで、雨の中、片 付けに追われている。私は片付作業をしている飲食店でビールを1本購入し、飲み歩 きながら車へ戻り ようやく帰途に着くことができた。 ●帰りは大会会場近くの道路は大会を後にする参加者の車で とても混雑しており渋 滞は会場の出口まで約300mできていた。警備員の誘導に従い、10分程度で渋滞 を越え、国道に出ると普段の田舎道と同じで快適なドライブをすることができた。途中 野菜を売っている場所があったので、そこへ車をとめ、野菜を物色する。なすびは会 場では2本100円だったが、ここでは5本100円だった。また巨大なすび(普通サイ ズで6個分)2個で100円、きゅうり(ウリ状)2本で100円(これが美味しい)、とうもろ こし1本100円(取れたては生でも甘みが口いっぱいに広がりました)、ピーマン(ピー マンとして買いましたが、実は巨大なシシトウでした。知らずに食べたため、口から火 がでました。)、キャベツ、みずみずしいさつまいもを購入し 帰り道に着いた。 ●帰りも行きと同じように湯原ICから高速道路に乗った。帰りの高速道路での運転中 、雨は、突然降ったかと思えば、突然やんだりという状態でした。私は助手席で寝てい るだけでしたが、運転に疲れているようだったので、加西サービスエリアにて休憩をし 、無事に西宮北出口に到着。車にガソリンがほとんど残っていなかったので、どこか でガソリンを入れようと思い、ガソリンスタンドを探し、値段を確かめながら進むと面白 いことが分かった。三田周辺ではガソリンの値段は122円だが、六甲山系を越え、太 平洋側に来ると、ガソリンの値段は安くて123円、大体は126円から128円でした。 私達は、ガソリンを太平洋側のセルフで入れようと決めていた為、またセルフのほう が安いのでは?と思い、期待に胸膨らませスタンドに到着した。しかし、2号線沿いの セルフというのに、リッターあたり126円もしました。近くの小さなスタンドでは、123円 だったことがより悔しさを増大させました。セルフの方がガソリン代が高いなんておか しい。設備費に膨大なお金がかかってしまった結果、価格が逆転してしまったのでは? 償却を急ぐあまり、そうなってしまったのだろう。とりあえず、今回の弾丸大会参加は レンタカーを時間どうり20時までに返却し一日が終わりました。 ●買い込んだ野菜達のその後 蒜山近くの野菜売り場で買った新鮮な野菜ですが、まず、とうもろこしは 生で食べる のが一番甘みがありました。スーパーで買ったとうもろこしでは味わえない甘さでした 。何しろ売り場に並んでいたとうもろこしは刈り取ってから10分くらいしか経過してい ない新鮮さでしたから。ただ、生で食べるにも限界があったので、残ったとうもろこしは 塩煮して頂ました。 長なすび(40cm)ですが、これは、うすあげをつけたし、砂糖と醤油とみりんのみで味 付けをした結果、とても美味しい煮付けができ、残ったなすびは、後日 焼いた後に表 面の焼けた皮を手でむき、手ごろな大きさにきります。皿に乗せ鰹節をかけた後に冷 蔵庫で冷やす。なすびにかける出汁は、私が数日前にそうめん汁として作った、芝エ ビから出汁を取り、みりんと醤油で味をつけた汁を薄めてかけました。 ピーマンと間違えるようなシシトウは すべて生で食べました。ピーマンはやはり生が 一番美味しいと感じました。 大根は、醤油とお酒と少しの塩、イカの足が冷凍室に残っていたのでそれをつけたし 、1時間くらい煮つけました。 ウリのようなきゅうりはもちろん酢の物にしました。塩と砂糖、醤油、出汁でかけ汁と 造り、薄上げを水煮し、油を落とし、スライスし塩水につけたきゅうりをしぼった上に乗 せます。その後かけ汁をかけていただきました。 サツマイモですが、焼いてみようともおもいましたが、どうやって焼こうかと悩んだ後、 簡単な煮物にすることにしました。醤油と砂糖と少しの出汁のみで煮付けました。これ も行き当たりばったりで 素朴な煮物ができたと感動しました。 ●また、機会があれば、新鮮な野菜を買いにいきたいと思いました。 (大会開催日:2005年9月4日) |
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投稿第十一号 05年アイアンマンコリア チェジュ大会完走記! 2005年9月16日 静岡県トライアスロン協会 石井 英機氏 ◆00年、01年に、03年についで4回目になりますがチェジュ大会へ参加してきました。 結果12°47′19″(前回比△4′18″) 年代別2位/6人 総合300位/完走8 01人/出場866人で、トップ選手には23分の大差をつけられハワイには届きません でした。しかし通算18回目になるアイアンマンレースを絶好のコンデイションに恵まれ 気持ちよくフイニッシュでき旧友と再会、新たな出会いもあり大変充実した大会となりま した。かみさんはじめアドバイスや激励していただきました皆様方に深く感謝いたします。 ◆8月25日(木) 自宅1:30AM〜成田空港第1ターミナル〜プサン〜チェジュ〜コン ドーミニアム4:30PM成田空港7:30AM集合のため かみさんに送ってもらい夜行ム ーンライトながらに乗った。タバコの臭いや前席の人が咳をしていたので気持ちが悪か った。ほとんど眠られず。東京駅で一番の総武線に乗り空港に6:30AM着。静岡県勢 に会い心強く思った。ツアーデスクからの連絡でバイクケースの重量制限は20Kgだっ たためケースを新調してのぞんだが重量チェックは殆んどなくしかも9Kgのバッグも貨 物扱いにしてくれた。大韓航空ならではの扱いだ。 ◆10:20AM離陸。横は政治学専攻の大学生。学校間の交流で韓国の仲間の所へ ホームステイするという。パン、寿司の軽食とバドワイザーと韓国ビールを楽しむ。1時 間半でプサン着。ここから国内線に乗りチェジュ空港へ。バスは3車線を猛スピードで 中文へ。ガイドさんからチェジュ島の概要を聞く。島民は55万人、韓国屈指のリゾート 地。火山島で玄武岩のため水がすぐ吸い込まれてしまい水田はなし、川なし、滝はあ る。みかんで生計をたてている。小型の馬で有名、競馬が盛ん。ゴルフ場が多い。天 気は変わりやすいなど。中文にあるコンドーミニアムに4:30PM着。ツアーデスクから 人同室となることを知らされる。さしあたり当日は神奈川と熊本の選手と3人。彼らと 近くの店に行き夕食をとった。本場の石焼ビビンバは辛かったがおいしかった。ビー ルは部屋に帰ってから飲んだ。 ◆8月26日(金) 晴れ 中文 6AM起床。よく眠れた。ビーチまで石段を下り15分位で着く。波はかなりあった。水 温を計ると21℃。500m位泳いで切り上げた。朝食は蒸した(15分煮沸)ご飯、ゆで 卵、パン、バターや牛乳。ツアーに同行したメカニックのTさんにバイクのチェックをして もらった。いつもながら大変ありがたい。右側通行なので少々怖かったが10Kmほど 試走し異常なしを確認した。10AM10Km先の会場へバスで出かけ、署名した宣誓書 とパスポートを示し選手登録を済ませた。簡素化されてありがたい。昼食は部屋で缶 ビール2缶とパンなどで済ませ付近を散策、天帝瀑布を見学した。新婚のカップルが 多い。なぜか川には全く魚がいない。日本なら鱒など泳いでいるのだが。コンドーに 戻るとTプロが到着していた。足底筋を痛めているという。フアンの期待があり簡単に 不出場とはいかないようで気の毒だ。埼玉からの選手に次いで山口からG選手が 到着した。彼は60歳歯医者さんだ。同エージでありすぐ仲良しになれた。訪問診療な ど活発にしており行政との厳しいやりとりを話してくれた。飲むのが好きのようで7PM からのカーボパーテイには一緒に缶ビールを用意して臨んだ。ハイアットホテルの庭 先がパーテイ会場だ。眼下に海岸を望め素晴らしい雰囲気だ。いつものように日本語 の堪能なウイット二―さんが司会をした。食事の前の挨拶が長く興ざめだったがビー ルを飲みながらしっかりとカーボローデイングをした。 ◆8月27日(土) 曇り 中文 6AM起床。G選手と500m位泳いだ。昨日に比べ海は穏やかだった。コースを1周し たTN選手から沖合いでくらげがたくさん見たので注意するよう言われた。朝食はご飯 (1Fの電子レンジ2分でOK)、卵、まぐろの缶詰、きゅうり、味噌汁などで満腹になっ た。レース当日への自信(?)がついた。競技説明会に出席。懐かしい愛媛の夫妻、 滋賀のT選手などに会う。韓国選手750名に次いで多い250名の日本人にウイット 二―さんが日本語で上手に話してくれた。ドラフテイングは4分のぺナルテイを課せら れ3回で失格となること、ランの周回チェックでは腕輪などなしタイミングバンドでの自 動チェックによるなど。昼食は皆で海鮮鍋。辛かったが後はさっぱりする。コンドーに 戻りバイクとギアーバッグを預託に行く。先立ってバッグ内を一度ひっくり返しお互い にチェックし合った。バイクのチェックでは以前は壊れそうなくらい力をかけて行われ ていたが常識的になっていた。G選手らと土産ものを見に近くのスーパーに出かける。 海苔、ごまなどは軽くていい。夕食には再び石焼ビビンバと500ccのビール1本とした。 狭い部屋だが4人が足を向け合いながら(1人はベッド)8PM床についた。 ◆8月28日(日) 曇り 中文 3AM起床。電子レンジでレトルトの赤飯を2つチン。バイクに乗せるむすびを小分 けにし梅干を入れうまくつくれた。赤飯とまぜご飯で腹ごしらえができた。他の4人も それぞれのメニューでスムースに食事ができた。トイレも済ませ4:45AMいざ出発だ。 幸い短パンと半袖でも寒くはなかった。バイクラックで同エージのNS選手やNE選手 (豪)に会って挨拶をする。NE選手は過去3回ハワイに出場し昨年の西オーストラリア、 今年はNZとオーストラリアの大会に参戦しているという。海は昨日と同じように穏やか でまことにありがたい。浜辺で韓国の若者(?)が話しかけてきた。40歳代で外科医 をしている、アイアンマンは3回目、今回は15時間かけて完走を狙うなど言っていた。 健闘を誓い合った。7AM号砲が鳴りいよいよスタートだ。後ろの方からゆっくりとゆく。 ◆スイム(3.8Km):1°13′03″(同上△6′36″) コースは550m〜200m〜400m〜550m〜200m計1900mを時計回りの2周回。 水温は22℃位、波うねりは軽微、ブレッシング(息継ぎ)は往き右オープンで帰りは時 々左オープンを交えて泳ぎ太陽光のまぶしさを避けた。バトルは一時激しかったが空 いているポジションに向うなどして冷静に対処できた。大きなくらげや海底の岩棚も見 られた。1周回後浜辺に上がり時計を見ると35分台、えらく早い。後半37分台でカバ ーしたがレース後皆さん10分位早かったと言っていた。300m位短かった或いはコ ース取りが良かったのだろうか?用宗の海でウエットスーツを着て数回泳いだことも 効いたか?浜から急坂を登りトランジションへ。ジャパンと違い暖かいためスムースに 着替えることができた。 ◆バイク(180Km):7°07′30″(▼2′10″) 26インチ、ショートクランクのキャフアでなく27インチノーマルクランクのラチードバイ クを使った。なぜか最近ではこちらの方が早く走れる(蛇行は少ない)。スイム上がり はいつもながら腹が張って食欲がおきない。どんどん抜かれる。20Km付近でNE選 手が手を上げながら猛烈なスピードで駆け抜けてゆく。最初は右手に海を見ながらの 平坦路を走る。道路はすばらしい。町中では3車線、郊外では1〜2車線で舗装がき っちりされておりごみなど全く落ちていない。要所にはお巡りさん兵隊さんやスタッフ の皆さんが立っていて車の規制をしてくれている。右側通行でもあり最初はとまどっ たがやがて安心して走ることができるようになった。歩道にはゴマ、唐辛子や海藻な どが干されており、ビニールハウスやみかん畑も多く見られた。大集団が通り過ぎた。 明らかにドラフテイングだがマーシャルはチェックしないでいる。折り返すと山沿い道。 丈が低い松や潅木が続く。50Km付近でトイレ。股下の痛みは我慢できるレベルだ。 15Km毎のエイドステーションではペットボトルに入った水をもらい飲むばかりでなく 首筋や大腿部にかけて冷やした。100Km付近で標高差450mの急坂。梅が島温泉 の上りに比べ長い。バイクを押して歩いている選手もいた。大勢の応援者から熱烈な 声援をいただきありがたい。140Km付近の町中の道路で幅10cm近くのひび割れに はまりこみ転倒し顔面を負傷した選手がいた。スタッフが付き添い救急車を待ってい た。冷静にレースをすることを再確認した。パンクや故障することなく無事に実質7時 間をきってバイクフイニシュできて本当によかった。 ◆ラン(42.2):4°26′46 ″(▼8″) 東へ1.5Km ,西へ6Kmを3周回する。5つ位のかなりのアップダウンがあるタフなコ ースだ。NS選手とNE選手に会う。3Km以上先行されていることがわかった。懸命に 追いかけた。2周回目でNE選手をパスできた。膝に痙攣をおこしていたと後で聞いた。 NS選手との差は縮まらない。1.5Km毎のエイドステーションではボラの人達がよく サポートしてくれた。頭、首筋、膝や足を水で冷やしバナナ、パワーバーも少々頂いた。 いつもなら仲間に積極的に声をかけ自分に気合をかけるのだが今回はやや元気が なく顎も上がってしまっていたようだった。それでも7:47PMウイットニーさんのお帰 りのコールに応えながら元気良くフイニシュできた。 ◆韓国の高校生がしっかり支えてくれ完走メダルをかけてくれた。車椅子も用意して くれたがご遠慮してスープを頂きながらストレッチをした。マッサージをしてもらってい る人、コールされながらフイニシュする人、対応するボラの人でおお賑わいだ。2位以 下が確実なため速報を見ることなくバイクとギアーをピックアップしてシャトルバスでコ ンドーへ向かう。先着の二人は洗濯も済ませており食事にでかけた。自分が洗濯をし ているとG選手が戻ってきた。シャワーを終え皆がそろうと健闘を称えあいながらビー ルと焼酎で乾杯。遅くまでレースのこと、トレーニングの工夫など楽しく語りあった。 ◆8月29日(月) 晴れ 中文 9AMハイアットホテルへハワイ登録とロールダウンを見にゆく。同エージのNS選手、 愛媛のS夫妻らは悠々とハワイを決めた。続くロールダウンではスリルがあった。50 枠中11枠が残ったので皆さんの期待が高まった同郷のNG選手は滑り込んだ。中に は嬉しさのあまり号泣した選手がいた。辛い厳しいトレーニングをしてきたためだろう。 気持ちはよくわかる。昼食はアマ鯛の煮付け、太刀魚のから揚げ、豚肉のキムチとご 飯で800ウオン。うまかった。6PMからのアワードパーテイーに出かける。帰った選 手が大分あり行列などになっていなかった。料理はカーボパーテイーとほとんど同じ。 ビールは販売されておらず同室のN選手に買いにいってもらった。ソギポ市長の挨拶 後 女子プロ選手からエージの若い順に各々3位まで表彰された。プロトップの賞金 は5000ドルだ。少なくて気の毒だ。女子プロトップのI選手は用意したメモを読み上 げたが前後に韓国語で挨拶しよかった。男子プロトップはプエルトリコの選手でこの難 コースで8時間37分はすばらしい。大会関係者に感謝しながら上手に挨拶した。60 〜64歳でまず3位のNE選手(豪)、次いで自分、最後に富士のNS選手がコールされ て表彰状や盾を頂いた。皆さんから盛んに祝福されありがたかった。席に戻るとプ ロがお祝いに来てくれて感激した。期待にこたえるため今後もしっかりトレーニングを してゆきたい。恒例のレースのVDを見て来年の再会を期し9PM閉会。コンドーに戻 ってビールを飲みながら韓国最後の夜を楽しんだ。 ◆8月30日(火) 晴れ 中文〜チェジュ〜プサン〜成田〜帰宅 5日間大いに満喫したコンドーを0:30PM離れた。来る時はぎこちなかったツアー仲 間だったが共に競技した後ではすっかり打ち解けることができてレース回顧談、練習 方法や次のレースなどに花が咲いた。荷物の紛失などなく8:30PM無事に成田着。 再び夜行に乗ってかみさんの迎えで31日(水)3AM帰宅できた。課題だったバイクは 大分粘れるようになったがバイクトップとはまだ40分差だ。メリハリのあるトレーニン グに取り組んでいってさらにバイク強化をめざしたい。 ◆次年は寒いレースは避けて4月のオーストラリア或いは中国海南島などから始動したい。 以上 |
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投稿第十号 第8回立山登山マラニックを楽しみました! 2005年9月6日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:岡本 暁氏 ■8月にAACに入会させて頂いた岡本(宝塚在住60歳)です。 8月27日に富山市で開催された第8回立山登山マラニックに参加(今年で3 回目)、思う存分楽しんできましたので報告いたします。 ■まず、立山登山マラニックの概要を紹介します。 本大会は、富山湾の海岸(海抜0m)から立山連峰の霊峰雄山頂上(海抜 3003m)まで人間の2本足だけで登ろうという大会です。走ろうとも歩 こうとも自由ですが、制限時間は12時間と設定されています。 この大会のすばらしい所は、実行委員長(松原和仁氏:富山市在住)の、「 完走したことそのものがすばらしいことで、完走した人には皆同じくその 努力を称えよう」というポリシーで、順位表彰がないことです。 また、270人からなるボランティアの方々がそれぞれの選手の名前を呼 んで応援してくださる、心通ったまさに手作りの大会です。 ■次にコース概要を以下に紹介します。 海抜(m) 距離 ○数字はエイドステーション 備考 スタート 0 0km 浜黒崎(常願寺川河口のキャンプ場)AM4時 200 19km @雄山神社 475 36km A立山駅前(富山地鉄) 970 43km B称名滝レストハウス 1620 47km C弘法 1930 52km D弥陀ヶ原 2450 60km E室堂 ■この大会のきついところは雄山山頂で終わるのではなく、自分達の宿泊 ■“雷鳥荘”での温泉風呂が何と気持ちの良いこと、また、全国のランニン ■ありがとう松原実行委員長、ありがとうスタッフの皆さん、ありがとう |
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投稿第九号 AAC地獄のマラソン合宿に参加して!? 2005年8月11日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:中村 量哉氏 私は、職場(京都府木津町学研都市)が、遠いため平日は7時前に家を出て、 帰ってくるのは毎日夜中になってしまいます。そのため、家族とはほとんど顔を あわすことがありません。単身赴任とあまり変わらない日々をおくっています。 周りの人からは、生活そのものがトライアスロンだと言われています。 まず、中村家での会話から。 (家族は専業主婦の嫁さん、夏休み中の小学校6年の娘と小学校3年の息子です。) 息子「今度の土日は、どこに連れて行ってくれんの?」 娘 「愛知万博へでも連れて行って。」 私 「今度の土日はクラブの合宿で岡山へ行かなあかんのや。」 嫁 「自分だけ楽しんでええなー。」 私 「何言うてんのや、AACでは地獄のマラソン合宿て言われてて、朝から 晩まで走ること以外せーへんのやぞ。楽しむなんてとんでもない。」 息子「しんどいんやったら行かんかったらええのに。」 私 「あほ、お父さんは目標に向かってがんばるんや。おまえらも遊ぶこと ばっかり考えんと土日は勉強しとけ。」 娘 「ほんまかなー、まーがんばってきて。」 私 「おー、がんばってくるわ。きっと猛練習のためだいぶ痩せて帰ってくる ことになるやろ。」 ・・・と言うことで家族の了解のもと地獄のマラソン合宿に参加することになった。 当日、芦屋を出発して、まず向かったのがアナゴ丼のおいしいニコニコ食堂。 到着が少し早く、店が準備中であったため、近くの果物屋さんで安くておいしい 岡山名産の桃をゲット。その場で丸かじり。アナゴ丼とビールで最高。 次に向かったのは、中添乗員一押しの芸能人も立ち寄るジェラート屋さん。 すごい人だかりでこれまた味は最高。 いよいよ、和気鵜飼谷温泉に到着。 温泉に入っておいしい料理とビールで最高の一日を終えました。一応、ジョギ ングとプールで水浴びもしました。 2日目は、まず朝はバイキング(ハイキングではありません。)から始まりました。 そのあと、レンタル自転車で吉ケ原まで行き、洞窟を見学し、昼食はみんなで ラーメンと餃子を食べました。次に向かったのは大芦高原温泉。露天風呂が 最高に気持ちよかった。その後のビールも幸せ。 (ナンヤ、結局、食べたり飲んだりバッカリやんか・・・アッシャ−君も行ってみたいな!) 帰りの車では、中添乗員が疲れているにもかかわらず、運転してくれている横 でずっと寝てしまいました。おみやげに岡山名産きびだんごを手に、土日どこに も出かけずストレスいっぱいの我家へ帰りました。 (ちなみに体重は1.5kg増えていました。) (家族の皆さんの反応はどうだった? 家族サービスも忘れないでね!) 来年は、みんなで地獄のマラソン合宿に是非行きましょう。本当にいいところです。 中添乗員、本当にありがとうございました。 (片鉄ロマン街道/合宿開催日:2005年8月6〜7日) |
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投稿第八号 第11回大阪城七夕駅伝大会参戦記! 2005年8月8日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:本地 敏行氏 この大会は、大阪の市内にとても近く、容易に参加できるため、市民ランナーの幅を 越え、多くの職場集まりのグループも参加しているようです。今年は、3週間くらい前 に参加の連絡があったので、急遽参加となりました。この大会の申込はほかの大会 とは違い、開催日の3週間前まで申込ができる。そのため 先予定を組むことが難し い人々にとっては大変助かると思います。 京都の10000人近く参加する某フルマラソン大会の場合、大会そのものは11月の 末に開催されるだが、参加の期限は5月くらいです。その後も申込はできますが、8 月くらいまでの間だと500円増し、9〜10月くらいでの参加申込では更に1000円 増しという ひどいやり方を設定している。昨年台風のため急遽大会の開催ができな くなり、結果、大会参加費を返却し、また参加賞の帽子を大会申込者全員に贈った 行為はとてもすばらしい。 (アッシャー君も同感だ!給料は横ばいか減って来てるのに、何故参加費は上がっていくの???) しかし、今年は昨年の赤字を取り戻すためとも思える行為と勘違いされても仕方が ないと思う。この手記でその大会のやり方を非難したいという理由で書いたのはない ことを申し上げます。大会運営は大変かもしれないが、今まで出来ていた運営が今 年からはできなくなることは私にとっては考えられないからです。それが理由に東京 Aマラソンは参加者が15000人という大規模に膨れ上がったが、参加費の納める 方法は変わっていないようだ。関西は商売上手というが、参加者の足元を見られて いるだけで よくよく考えると実は下手のようにも感じられる。 今回は京都の大会を例にとって書きましたが、参加者は大会側が差し出す意見を 理解して参加しているのだろうか?このような傲慢な大会には参加する側が淘汰す べきではないだろうか。きついことを並べて大変失礼しましたが、ぜひ初心のころを 思い出してほしいという願いから書きました。 (とにかく、豪華なメダルや参加賞は要らないから、参加費を安くしてチョウダイ!!!) さて この七夕駅伝のコースは対面通行で同じコースを区間が変わっても繰り返し 行き来するため 参加する側、応援する側にとって とても便利と思う。ただ不便な 点といえば、トイレが少ないため集中すること、雨天時は場所取りに大変苦労する ことだろう。大会は夕方の開催のため、朝や昼の酷暑時間を避けることができてと てもいい。しかし、今日は朝から雨模様。涼しいことはありがたいが、雨がやんでほ しい。時間も刻々と過ぎ、ただ家でゴロゴロとしていただけだが、15時ごろに仕方 なく用意を始めた。会場へは家から30分強で着くことができる。 同じ参加者の方と大阪駅で出会い、その後、大阪城公園駅で下車、傘を差し、一 緒に会場へ向かう。例年では駅から会場まで向かう途中の広場にはバンド練習を している若者達が縦長の遊歩道兼広場に等間隔で場所を取り、それぞれが演奏し ている。さすがに今日は一人もいなく、とても静かだ。歩きながら、場所取りをどうし ようかを考えていた。過去に数度参加したが、雨避けの場所はない。皆どこに陣を 張っているのだろうか。 会場へはスタート40分前くらいにつくことができた。とりあえず、受付を済まし、辺り を見回す。多くの参加者はブルーシートを木々の間にくくりつけ上手く雨を避けてい る。私達は雨の降る中、陣の選択に苦労した。初め大阪城ホールの出入り口の屋 根のある場所に陣を取った。しかし、入り口の警備員からすぐに立ち去るようにとい うきつい言動を言い渡され、なくなくその場を離れることになった。このホールは私 達の税金で、また警備員も私達の税金でいるというのに、、、。実際に困ったときに は税金を払っているというのに市民に全く還元されないという現実を受けてすこし腹 が立った。 その場を離れ、雨の中、陣を探しさまようことになった。よく見るとホールの2階部分 にあるヒサシには多くの人がいる。下の警備員室にいる警備員によると上のランナ ーの荷物も撤去されるらしいが、まったくそれらしい行為が見えない。ついに警備員 も利用させてくれるような寛容な考えになっているのだろうか。軒下で雨宿りをする だけでなぜ追い立てられなければいけないのか。。。 私達は、会場のスタート地点近くに知人がテントを張っていたので、そこに入らせて もらうことにした。ほんとありがたい。スタートまでは15分を切っていた。私はアップ に100mダッシュを2本行い、スタート位置に着いた。程なくスタートのホイッスルが なり、ランナーが一筋の帯となり、狭い公園の遊歩道を占有し始めた。 折り返しのコーンではほとんど減速することなく、ランナーが折り返す。私はスピード 練習を全くしていなかったため、スピードが上がらず、息ばかりが上がる。500m地 点の1度目の折り返しをまだまだ余裕の気持ちで折り返す。この当りではほとんどの ランナーが元気だ。その後走ってきた道を戻りスタート地点を通り過ぎる。この部分 でも少し弱気だがある程度元気だ。 このコースは一区間が3kmで短いとも思えるが、実はここからがしんどいのだ。そ こから1km先の噴水に行くだけでありったけの体力を使い、最期たすきを渡すまで の1kmという距離はとても長く感じ、ジリ貧のゴリ押し状態で次へタスキを渡す。タ スキを渡す際、次の走者が現れず、私はタスキを両手に持ち、仁王立ちで次の選 手を呼び続けた。30秒くらいでどうにか気付いてもらうことができ、たすきを切らす ことなく進めることができた。 駅伝競技は厳密には個人競技である。個人個人が持てる力を最大限に発揮し、 走りきることができればいいだけのことである。しかし、ただの個人競技ではなく、 先に待っている人がいるという思いがあるからこそ、最期の1mまで頑張ることが できると思う。このような気持ちになることができる。だから駅伝はやめられない。 走ったあとは、メンバーの応援を行い、元メンバーの応援も行い、私的に大会が 終わったような気がする。チームのアンカーがゴールした後、最終ランナーのゼッ ケンを見せると参加者数と同じだけのビールもしくはジュースをもらうことができる。 ビールは早くになくなるので、早めに引き換えにいくことが懸命と思う。全員の着 替えが終了し、私達は雨が降る中、会場を後にし、梅田へと反省会にむかうことに なった。 (大会開催日:2005年7月3日) |
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投稿第七号 第12回四万十川水泳マラソン大会に行って来ました! 2005年8月3日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:小林 留美子氏 ランナーにとっては100kmウルトラマラソンで有名な四万十川ですが、この大会 は四万十川の清流を上流から下流へ3.5kmと5kmのコースに分かれて泳ぐ 大会です。 昨年は台風のため中止。7回参加のうち3回を中止と言う経験をされた参加者 もいるほどで(前日の雨で増水するなど・・・)、なかなか気難しい?大会です。 全国から367名のエントリーがありました。 私は今年初参加で3.5kmにトライです。今年は水量が少ないという声の中、 10時にスタート。水深の浅いところもなるべく泳ぎたいけど、石でお腹を擦られる、 立ち上がろうとすると速い流れで転がされる。 (アッシャー君だったら、得意のイヌカキ出来たのにナァ・・・) 流れの速いところでは、まるでジェットコースターのように流されて魚になった気分。 淀みでは真剣に泳いでゴールの赤鉄橋の下まで58分47秒でした。水の中を泳ぐ 魚や川エビを獲る仕掛けを眺めながら泳ぐ、こんな楽しい泳ぎが有ったのかと新た な発見でした。 男性82歳、女性79歳が最高齢者。みんな思いおもいに四万十川の自然と触れ 合った一日でした。帰りのバスの待ち時間に遊覧船に乗り、上流の山の緑・静か に流れる四万十川の清流などが今でも忘れられません。思いがけず船頭さんに ご馳走になった獲れたて鮎の塩焼きがなんと美味しかった事か・・・ 来年もまた行こう! 今度は5kmコースで!! (大会開催日:2005年7月31日) |
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投稿第六号 第25回全日本トライアスロン皆生大会に参加してきました! 2005年7月21日 芦屋浜アスリートクラブ 副会長:中川 隆二氏 鳥取県の西の方向に位置する米子市内の皆生温泉を中心にして、第25回全 日本トライアスロン皆生大会が行われました。 今年は1981年に国内で初めての、トライアスロンレースとなる皆生大会が始まって から、25回の記念大会、過去最大の773人が参加した。当日のスタートのときは 曇りぞら、海は波はなく最高のコンデションでした。 スイム(3Km) 朝7時号砲一発全選手スイムスタート、私はバトルを避けるために ロープからはなれてスタートしたが、しらないあいだに海水の流れに押されて、ロ ープがわによってバトルの中にいた。沖合い350mの左折さえすれば、ばらけて バトルも少なくなるだろうと思い、そのまま泳いだが左折してからもバトルが多く、 途中他人の手がゴーグルに当たって、外れるトラブルがあったが、スイム、ゴール することができた。 バイク(145Km)空は曇り空、思い存分走るぞと意気込むが、スタートして10Km位 から胸がむかむかする。今日は調子が悪いなと思いながら走る、走っている間に 調子がよくなるだろうと、期待しながら我慢のレース。大山の登り道は、いつも は 追い越してゆくが、今回はどんどんと追い越されていった。バイクゴールまであと 約90Km位、走れるかなーと不安がよこぎる。こんなとき、勇気と元気を与えてくれる のは、友人、知人、ボランテイアの応援です。応援を受けるとなにがなんでもゴール してやると思う気持ちになり、バイクをなんとかゴールする。 ラン(42.195Km)スタート時点で、青垣で合宿をしたときお世話になった、女将さん からガンバッテの応援、もうひと踏ん張りしてきますと返答して走り出す。スタート して10Km位で、トップの小原選手とすれ違う、いい走りをしていた。気温はだん だんと高くなりランナーを苦しめて行く、気温の高いのは皆生大会のシンボル。 エイドごとに氷をもらい、帽子の中に入れて頭を冷やして走る。皆生のランは国道 等使うために、赤信号に止められる。信号機にちかずくと信号を見ながらダッシュ する等、変則的な走りをしながら、何とか折り返し点までついた。 体力の限界。これからも先が長い距離、思いきって5分間横になることにした、疲れ がどんどん取れる、そして、再度走り出した、日照も少し弱くなってきたので後半は いがいと元気に走れて明るいうちにゴールすることができた。 「バンザイ」、総合タイム11時間58分56秒ゴール。 勝利者(皆生大会ではゴールした人皆勝利者) となった。 私がトライアスロン初めて出場したのが、第4回全日本トライアスロン皆生大会それ から21年間、第25回全日本トライアスロン皆生大会をむかえて、出場でき たことは 非常に嬉しいことです。 これからも、一年一年体に注意して走りますので、AACの皆様よろしくお願いします。 (大会開催日:2005年7月17日) |
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投稿第五号
カヌーアスロンに参加して! 2005年7月4日 芦屋浜アスリートクラブ 会員:今池 章仁氏
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投稿第四号 AAC岡山支部便り (『片鉄ロマン街道』のご紹介) 2005年6月25日 芦屋浜アスリートクラブ 岡山在住会員中 典生氏 芦屋浜アスリートクラブ(AAC)は地域密着型ランニングクラブで、会員のほとんどが 阪神間在住でいらっしゃいます。 私もかつては宝塚に住んでいましたが、1年前に仕事の都合で岡山へ赴任すること となり、今も岡山から月2~3回ほど芦屋に通って練習に参加させてもらっています。 そこで今回は、現在の地元岡山のPRも兼ねて、こちらでよく行く楽しい練習コース: 『片鉄ロマン街道』をご紹介します。 片鉄ロマン街道とは、岡山県備前市西片上を起点とし、和気町・佐伯町・赤磐市旧 吉井町を経て美咲町旧柵原町吉ヶ原へ至る、全長34.23kmにわたる旧片上鉄道 廃線跡のサイクリングコースです。 ここの面白いところは『鉄道廃線跡』というロケーションを存分に生かしている点で、 トンネルや橋は当時のものを活用し、所々に鉄道時代のホーム・駅舎や信号機なども 残されていて、鉄道ファンならずとも旅情を味わうことができます。 また、100m毎に鉄道にちなんだ距離標があるので自由な練習距離を設定できるほか、 沿線数か所に温泉施設があり、練習後はそのまま風呂に入って帰ることもできます。 私は普段、10.3km地点にある『和気鵜飼谷温泉』をベースに北へ10~15km行って帰る コースで練習しています。 春は山桜や藤を眺めながら、夏は最高のグリーンシャワーの中を、秋は美しく色づいた 紅葉の中を走れますよ。是非一度お越し下さい。 詳しくはこちらの『片鉄ロマン街道: フォトギャラリー』をご覧ください。 |
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投稿第三号
♪故郷は遠きにありて思うもの♪ 2005年6月1日 妙高高原・ロッジサンバレイ 尼子 勲氏 62歳男性です。「かけっこ・COM」のリンクページで、偶然にも貴クラブと上下に並んで 掲載されています「ロッジサンバレイ」と申します。スキー処・妙高高原でロッジ経営。 スキーよりも古くからスキーオフの陸上・長距離準高地トレーニング対応ロッジとして、
それぞれの全日本を目指すチーム・アスリートのお世話をさせていただいています。 この度、「芦屋浜」の文字をみて懐かしさがこみあげ、失礼ながら思わず一筆啓上。 22歳まで(S・40)芦屋市月若町に在住。山手小・中 と過ごし、六甲山・ロックガーデン・
城山・荒地山・お多福山・奥池、等、我が庭の如く駈けずりまわり遊んだ日々。
高・大時代は本格的にテニスに没頭。今のように「科学的トレ」の言葉すら無き時代、 ひたすら”根性・根性”と言われるがままに毎夜、毎夜黙々と自主トレJOGに打ちこんだ 日々が懐かしく蘇ります。 桜並木の芦屋川沿い〜松並木の芦屋浜堤防沿い〜打出浜が私のホームコースで ございました。今もロケーションはそのままでございましょうか? その後芦屋浜は埋め立てられ、当時からは大変貌したとはお聞きしていますが、
世は移り街は変われど「あの美しい芦屋」は今も私の瞼に焼き付いています。 ”故郷は遠きにありて思うもの”まさにその通りでございます。
信越国境から、故郷「AAC」皆々様のご活躍を祈念致しております。機会があれば当地
自慢の準高地クロカン・エリアへご来訪下さいませ。毎年4月には、長野五輪記念「長野
マラソン」にも多勢の市民ランナーが参加されています。 出湯の街、おいしいお米と地酒、山・海(日本海)の珍味、でおもてなし致します。
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投稿第二号 ホームページ開設のご挨拶 2005年4月3日 芦屋浜アスリートクラブ 名誉会員 谷口 康雄氏 春の暖かさが日ごと増す季節になりましたが、皆様方におかれましては、益々 ご健勝の事とお慶び申し上げます。そして又日頃よりAACに対して、ご支援 ご鞭撻を賜り、誠に有難く厚く御礼を申し上げます。さてこの度、AACのホ ームページ開設を記念すると共に今後のより一層の発展を、切に願っています。 |
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投稿第一号 ホームページ開設のご挨拶 2005年3月30日 芦屋浜アスリートクラブ 最年長84歳 久保 進氏 2003年1月南芦屋浜に芦屋総合公園がオープンしたのを機に、同志合い寄 り「芦屋浜アスリートクラブ」を創設いたしました。マラソンのみならずトラ イアスロンやウルトラマラソンの愛好者、そして女子では国際女子マラソンの 代表を務める精鋭も会員なら、私の様な最高齢鈍足のウォーカーも居り、非常 にバラエティーに富んだ幅広いマラソン愛好者の集団です。 阪神淡路大震災10周年を迎えた只今、芦屋市の再建復興もなり、特に南芦屋 人生も中年を過ぎると生活習慣病に見舞われます。私はこの老いを防ぐ唯一の |
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