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日 付

   見 出 し

2016.12.12 外人観光客急増と街の急変
2016.03..27 文化庁の京都全面移転再考!
2011.07.27 国家統治と地方分権論再論
2011.11.08 許されない都市自治体の解体
2011.07.05 才と技術の政治を超えよう
2010.10.20 政党助成金の罠 不安定化する政党活動
2009.08.14 マニフェストと政権運営の危うさ
2007.06.23 戦後レジームを変えると年金問題は解決するのか!?
  −自民党は不思議な政党だ!−
2007.06.12 政治家の公務員叩き!
2003.10.19 不謹慎だが 面白すぎて 情けない!
  −道路公団総裁解任劇と小泉内閣−
2003.04.30 ほっとしたこと! ブッシュのイラク戦後で
2003.01.01 日銀の独立性  デフレ対策と政府の対応に関連して
2002.11.05 小泉内閣による衝撃 破壊かそれとも!
  不良債権処理加速策をめぐる激突とその後の展開
2002.10.15 今日の表情はよかった。小泉首相も!
2002.10.13 掛け値なしに 素直に喜べた「島津の田中さん」ノーベル賞受賞決定
2002.10.13 戦慄の小泉改造内閣
2002.10.05 デフレ 不良債権 イラク攻撃 北朝鮮:拉致問題

2016.12.12

外人観光客急増と街の急変

 この2,3年で、私の住んでいる界わいが急激な変貌を遂げている。一方では寂れ、他方では民泊などの急増。その界わいとは、東本願寺東側、烏丸通から東は東洞院通、五条通から南は七条通に囲まれた辺りである。
 これまで、烏丸通は、四条から京都駅にかけて、あまり人通りが多かったわけではない。なかんずく、五条通から南は、人の往来はあまりなかった。けれども、この10年近くの間に、人通りは徐々に増え、飲食関係の店なども増えだし、京都駅界わいと四条通界わいとが漸くにして連続、連坦してきた。京都の場合、街の中心部すなわち都心部は、三条通から四条通にかけてであり、京都駅周辺と都心部とは分離していた。京都駅界わいは、長い間、他所への出入り口であり、田舎のような認識であった。
 しかし、この10年余の間に、その壁が次第に薄くなって、都心部と京都駅とが連坦してきた。実際のところ、都心部から京都駅までの距離は2キロメートルに満たない。観光客が歩くのにさしたる距離ではない。そのため、観光客は、京都駅から四条へ、四条から京都駅へと往来するようになる。まず、国内観光客の増加があり、次いで外国人観光客の急増である。観光客の増加が、都心部と京都駅界隈とを連坦さすことになったのである。が、しかしである。この都市としての広がり、発展の喜びもここまでであった。
 この2,3年、人の流れは一気に増加し、街の様相は急激に変化してきた。東本願寺東の烏丸通を歩いていると、ほとんどが外国人で、地元の人たちは完全に少数派となった。地元の人間は、肩身の狭い思いをしながら歩かざるをえないようになってきた。
 従来は、外国の来訪者が、時折宿を探しあぐねて、我々に道を尋ねることがままあったが、近頃ではスマホの地図に従って、スマホを見つめながら歩いたり、止まったりして、地元の人間に道を尋ねることもなくなった。外国人観光客は、まだ少なかった頃には、すれ違うときには、地元の人たちと互いに会釈を交わすことが多かったが、今の外国人来訪者は我が物顔で、無遠慮に歩き回っている。狭い生活道路からも、数名の外国人が現われたりして驚くこともよくある。何となく物騒になってきているような気がする。
 では、街はどう変わったのか。私がこの地域に引っ越してきたのは、20余年前、平安建都1200年の年であった。それから10年余の間は、旧六条通・新六条通を中心に半径200mほどの圏内で、それまであった店などが数十軒以上なくなり、すたれる傾向を確実に示していた、風呂屋も2軒廃業した。また、烏丸通以東、間之町通以西にあった小さな旅籠の多くも、宿泊客の減少に見舞われていたようだ。それがどうだ、この数年で、その様相が激変した。宿泊客は増加し、外国人への対応が急増したこともあって、施設の整備、拡張新設に向かったのである。加えてゲストハウスや民泊の施設も増え、先述の半径の中におけるゲストハウスなどの類は、今や20軒程度に達しているのではないかと思われる。40軒程度の我が町内にも、少なくとも3軒程度、本格的なゲストハウス1軒、町家改装のゲストハウス1軒、民泊をしているらしいマンション1軒などがある。そのため、東洞院通は、1日中、夜遅くまで、キャリーバッグを引く音がガラガラゴロゴロと騒がしく鳴っている。時には、細い生活道路にもそれらの音は鳴り続けている。地元の人たちは、生活道路が今や「インターナショナル道路」になった、と自嘲気味に言ったりしている。
 そこで考えたいのは、国際文化観光都市京都のあり様の問題である。世界的な旅行ブームがアジアにも押し寄せてきた折に、日本政府の入国管理政策の緩和があり、外国からの観光客がどっと押し寄せることになった。観光立国をめざすには、それは当然の期待値であろう。しかし、今、どっと押し寄せてきている外国人観光客には、必ずしも来てほしくない人たちがかなりの数にのぼるようだ。毎日、多くの外国人とすれ違っていて痛感する。別に京都文化に憧れているわけでもなんでもない人たちが、海辺や山場で遊ぶのと同じような感覚であるようだ。京都文化が荒れていく危険性をすら感じる毎日である。もうこれ以上の観光客の受け入れは飽和状態であるともいえる。
 旅館やホテル、一部の店舗は活性化しているが、街の日常生活は停滞し、コミュニティは衰退の一途である。旅館やホテル、ゲストハウスや民泊は、町内のコミュニティへ過重な負担を強いるとともに、町内会の衰退に拍車をかける。今日、町内会では、町内会長をはじめとする役員へのなり手が少なくなりつつある中で、町内会への負担の拡大が深刻な問題として降りかかってきつつある。
 こうして今や、京都観光は、量から質へと転換させることが必要な時期に来ているといえよう。拡大から、京都の文化をともに享受し、将来に向かって発展させていく意識を共有できる観光客の受け入れに向かうことが必要である。でなければ、京都はいずれ、折角長年にわたって築いてきた歴史的文化遺産を食い潰してしまうことになる。
 1971年3月、当時、年間観光客が3千万人をこえるということで、その危機意識から、天野光三、上田正昭両教授をはじめとする学識者や産業界、行政などによる観光会議が議論を重ね、報告書「10年後の京都の観光ビジョン」をまとめたが、そのサブタイトルは「呼び込み観光からの決別」であった。また、同時期、舩橋市長が「マイカー観光拒否宣言」を発した。今や年間観光客数は5千万人を超え、まさに飽和状態以上である。過去の危機意識はどこへいったのだろうか。一時の儲けにかまけ、浮かれるのではなく、これまでの京都が続いてきたように、これからの京都も永続的に発展させていくことが大切である。保存と開発とのバランスは、京都永遠の命題である。
 京都に責任を有する方々の、長期の見通しの上に立った深い洞察を期待したい。今や必要なのは、アクセルではなく慎重なブレーキなのではないだろうか。激変は、いずれの場合にも好ましくない結果をもたらすことになる。穏やかに、穏やかに。


2016.04.04

文化庁の京都全面移転再考!

 文化庁の京都全面移転、政府はよくぞ決断したものと思う。いろいろ言っていても結局政府機関の全面移転などできるものではないと考えていただけに、最近の動向を見ていて、ひょっとして、という思いを持つにいたり、3月22日、遂に政府は決断するに至った。政府の「地方創生」の目玉商品である。と同時に、京都にとっては大変なプレゼントとなった。そして、これには、石破地方創生大臣や馳文部科学大臣、安倍総理大臣らの京都に対する善意や、伊吹元衆院議長など地元国会議員の努力などがあったものと思われる。昨今の世界的な京都ブームにも助けられたこの状況は大変ありがたいことである。が、しかしである。こうした今回の事態は、はたして手放しで喜んでいていいのだろうか。

 そこで、中央省庁など国機関の地方移転は何のために行うのかという問題の根本にさかのぼって考えてみたい。中央省庁の地方移転には、わが国の東京一極中心の中央集権体質を改め、分権型の統治体制にしていくという考え方と、地震国日本では、統治機関の立地そのものを地域分散型にしていく必要性があるという考え方があった。それに対し、今回急速に具体化の可能性が浮上してきたのは、「地方創生」の目玉としてであった。国機関の地方移転に当たって、その受け皿を地方公募に求めたのであるが、それは果たして妥当だったかということである。
 国機関の地方移転は、国家統治のありようの問題であり、国レベルで考えるべき問題である。したがって、まず、国の国家統治のあり方としての基本的な戦略・構想がなければならない。そのうえで、移転先としての地方の受け皿を考えるということがことの順序であろう。地方に応募を募り、それに応える形での地方移転は、国家統治のあり方としては倒錯しているといえないだろうか。したがって、地方の要望に応える移転であるから、移転に当たっては、その費用の応分の負担を地方に求めるということが伝えられたりするするのである。まず、国家として、国機関の分割配置がなぜ必要なのか、分割配置をするには、いかなる機関をいかなる地域に配置するのがいいのか、その場合の国家統治のあり方はどのように変化するのかがあらかじめ明らかにされていなければならないのである。地方に要望があるとかないとかという程度の問題ではないはずである。

 今回の、文化庁全面移転をはじめとする国機関の地方移転に対する新聞各社の論説を見てみると、文化庁の京都全面移転には概ね評価をしているものの、はたしてそれだけでいいのかという指摘が多い。ここで、各新聞社の社説(産経は「主張」)をみてみよう。

 読売は、表題「文化庁京都へ 地方創生に役立つ移転なのか」のもとに、「地方創生にとって、東京の役所の移転が本当に必要なのか」と疑問を呈している。「文化庁の仕事は、文化財保護だけではない。音楽、美術から映画、アニメまで幅広い文化芸術振興、著作権保護、日本語教育、宗教法人の認証など、多岐にわた」り、京都移転による文化庁の機能強化といっても、現実には、京都と東京の二元体制になり、組織の肥大化など行政効率の低下を招きかねない。「中央省庁の移転は、東京を離れた場所でも行政機能を維持できることが大前提となる」と指摘する。

 日経は、表題「政府機関の移転にとどめるな」のもとに、移転機関をもっと増やすべきで、「地方への移転は政府内の仕事の進め方や職員の働き方を見直すきっかけになるだろう」と、政府機関の移転を積極的に捉えている。しかし、出先機関の強化などは、下手をすれば「行政の肥大化」を招き、地方分権にも逆行しかねないと、今回の政府機関の地方移転に関する基本方針への危惧を示し、地方創生には、政府機関の移転にとどまらず、「活性化の障害になる規制を見直し、地方に権限や財源を移すことにも、もっと力を入れるべきだ。」と指摘する。

 朝日は、表題「省庁移転 骨太の理念が見えない」のもとに、急務とされた東京一極集中の是正策としての政府機関の移転は尻すぼみとなった。」その最大の原因は、時代に合った政府機構や、「政府全体のあり方を見直すという視点」に欠け、「省庁を地方に移しても、現状の機能が維持できるかにほぼ終始し、組織や業務の在り方を改革する方向に踏み込まなかった」と指摘。そうした中で、「唯一移転する文化庁は、京都政財界の強い働きかけが実った」ものとして、「伝統文化の集積地」としての京都に立地することのメリットを生かして「移転が豊かな文化行政につながるよう、制度設計を丁寧に進めてほしい」と肯定的である。

 毎日は、表題「京都に文化庁 東京集中正す突破口に」のもとに、文化庁の京都移転には肯定的であるものの、これでもって「国機関の見直しを打ち止めにしてはならない」と、今回の基本方針では、そもそもの東京一極集中の構造にメスを入れた」ことにはなっていないと指摘。「文化庁移転を突破口として、国の行政組織のあり方についてさらに踏み込んで見直しを求めたい」としている。「国機関の移転は本来、国」の「危機管理として取り組むべき課題だ」で、「地方から要望がなくても、移転にふさわしい機関が他にもあったはず」なのである。そして、文化庁については「文化財保護にとどまらず、著作権や宗教法人など幅広い領域の行政を所管するため、東京に残す機能の確定などに万全を期す必要がある」としている。「文化行政全般の拡充に京都移転をつなげていく発想が欠かせない。政府は移転を機に、地方文化の多様性を従来以上に尊重していく」という「視点を実際にに反映できるかで、移転の意義がためされる。」としている。

 産経では、表題「政府機関の移転 地方創生とは切り離しを」のもとに、「政府機関の移転は地方創生とは根本的に異なる政策」で、創生本部は、今回決まった文化庁の移転以上の「深入りは慎むべき」だとしている。政府機関の移転は、「人口減少社会を迎え、あらゆる社会の仕組みがその在り方を見直す時期に来て」いて、中央省庁もその例外ではなく、「公務員の働き方や地方分権を含め」て、「本来、行政改革推進本部などが主体と」なって、「地方創生とは切り離して検討を進める大きな政治課題である」と指摘する。そして、文化庁の京都移転にしても、「360人ほどの規模で、大都市を抱える京都府に与えるインパクトは限定的であろう」と、あまり積極的には評価していない。

 以上の全国紙に対して、地元紙京都新聞では、表題「文化庁京都移転 新しい価値の発信こそ」のもとに、まず、文化庁の京都移転は「自然な流れ」ととらえ、「東京一極集中を是正する地方創生のモデルケースにしてもらいたい」としている。それには、京都の伝統的な特性だけではなく、「新しい文化資源」も活用し、日本各地に養われた独自の文化との連携が必要で、「東京以外の場所から、日本全体の文化を考え、画一性より多様性、集中よりネットワーク化を目指す」必要性を指摘。「京都府、京都市に課せられた責任は重」く、「行き過ぎた京都中心主義を戒め」ている。今回の政府機関移転の全体像に対しては、文化庁以外にみるべきものがなく、「地方創生戦略の柱としては看板倒れと言わざるをえない」としている。

 ここであげた主要新聞の社説からは、地方創生のための国機関の地方移転の主要な問題点は次のように理解できる。
@政府機関の地方移転と地方創生とは別次元の問題だ(産経)
A今回の国機関の地方移転は、文化庁の京都移転以外に見るべきものがなく、地方創生戦略は看板倒れで、その効果はほとんどない。(読売、産経)
B地方創生には東京一極集中の是正が必要で、国のあり方としてもっと根本的に政府自身が検討するべきだ。国機関の移転だけではなく、規制の緩和や地方への権限、財源の移譲が必要。(日経、毎日)
C国機関の全面移転ではなく、地方出先機関の拡充などでは、行政肥大化などの非効率をまねき、逆効果となる。(読売、日経)

 文化庁の京都全面移転に関しては、次のようである。
@地方に及ぼすインパクトはあまりない。(産経)
A全面移転とはいっても、実際には、京都と東京の二元体制となり、組織の肥大化や行政効率の低下をまねく。(読売)
B東京一極集中の突破口となる。(毎日)
C伝統文化の集積地としての立地を生かし、移転を豊かな文化行政につなげるように努めよ。(朝日)
D伝統文化にとどまらず、新しい文化資源も活用し、幅広い文化行政を。(読売、朝日)
E「行き過ぎた京都中心主義」を戒め、全国各地の文化との連携を大切に。(京都)
F総合的な文化行政には、東京に残す機能も大切。(毎日)

 以上のことから総合的に判断すると、
・地方創生には、国機関の地方移転以上に、日本が人口減少社会に向かっている中で、東京一極集中是正のための本質的な検討を政府として行う必要があること。 
・国機関の移転問題は、地方の要望からではなく、国の統治機構のあり方の問題として、政府自身が根本的な方策を検討すべきこと。
・文化庁の京都への全面移転は、実際上は京都と東京都の二元体制にならざるを得ないが、京都の特性を生かした豊かな文化行政の実現に、政府と京都の両者が努力するべきこと。・その基本的な行政責任は、政府機関である以上あくまで政府にあり、そのことを誤解してはならないが、京都の府・市も立地自治体として最大限の協力をしなければならないこと。
・それには、全国の自治体との連携の結節点としての役割を果たさなければならず、その責任は重いことを自覚しなければならないこと。などが重要なこととして指摘できるのではないだろうか。何はともあれ、地方創生策の象徴として、文化庁の京都への全面移転は決断された、政府とともに、これを誘致した地元京都の責任は重く、喜んでいる場合ではないのかもわからない。

 最後に、権力機構の一端としての問題に触れておきたい。国レベルであれ地方レベルであれ、行政機関は、その権力中枢から物理的距離が離れれば離れるほど、権力中枢からの政治行政的距離も遠くなるという現実がある。お叱りを受けるのを承知の上で、わかりやすくするために端的に言うと、文化庁は行政機関としては三流の役所である。現在でも権力中枢との距離は遠く、政治行政的な緊張の度合いやわが国が直面している政治行政に対する認識は疎い。施策体系をきちっと確立するよりは、多分に担当の専門官個人の認識に負うところが多く、下手をすれば個人の恣意に流れる危険性も高い。文部行政がそうであるように、文化という人の精神に関わる仕事であるにもかかわらず、仕事の流れは上意下達であり、そこには地方自治に対する理解の度合いは低い。地方自治に対する理解は、国土交通省のほうが現実には高い。それは、常に住民運動や政治の波に洗われているからであろう。担当専門官と有識者による検討によって施策はつくられ、その施策は上から下へと地方自治体に降りてくる。また、国民や有識者も、文化に関わる問題は、文化庁にやらせるという意識が強く、地方自治を否定しかねない土壌が根強く存在している。文化庁の京都移転が、権力中枢からさらに遠くなり、恣意的な行政体となる危惧の念は強い。財政に恵まれない文化庁は、本来誘導的な手法を講じるべき施策であっても、規制的手法の行使に陥る場合が多いのである。
 文化庁の京都移転が、こうした危惧を克服する契機になれば、それこそ願ってもないことである。その一つは、全面移転とはいっても、行政機構としては複雑化するが、やはり、東京には権力中枢の一角を占めるために、政治行政に関わる機能を残すということ、いま一つは、文化行政を上から下への施策ではなく、地方自治の積み上げの上での施策体系化の道、すなわち下から上への逆転の発想に転換することであり、これこそが、文化庁京都移転の積極的な意義であり、地元京都が貢献できる道である、と考えられる。
 筆者は、昔、岡崎公園内の京都会館に置かれていた文化観光局の文化財保護課に所属したことがあり、市役所機関が、河原町御池の市役所本庁舎(市会議事堂)ないにあるのと、岡崎公園にあるのとの政治行政的緊張感の違いの大きさを痛感した経験がある。それと同時に、文部省の外局としての文化庁による文化行政の限界に対する問題も強く感じていた。この経験が、本コメント作成の動機となったものである。東京の権力中枢との距離感をどうなくすか、全国各地からの積み上げによる文化行政の新たな体系化にどう挑戦するのか。地元京都府と京都市の役割は重いが、やり方次第で新たな可能性に満ちているといえる。心して臨んでほしい。


2012.07.27

国家統治と地方分権論再考

 今のわが国は、突き詰めれば、国家として解体過程にはいりつつあるといえないことはない。一国内のみで考えれば、国家が用をなさなくなった場合には、しかるべき地方が力をつけて既存の国家に取って代わるということがあるのかもしれない。しかし、グローバル化の進展が、いいことも悪いことも含めて、地球上をまさしく一体的なものとし、国家間のせめぎあいと軋轢が高まっている現実の中ではそうもいかない。国家の役割は、わが国の場合、戦後65年にして最もその重要性を持つにいたっている。まさにそのときに、わが国は、国家として空洞化、弱体化への道を歩みつつある。
 今世界は、第二次世界大戦後の世界秩序から新たなグローバル化の中での本当の意味での地球規模での新たな世界秩序の構築を前にして苦しんでいる。その流れは、欧米の文化と政治・軍事力による世界秩序から、世界各地の国家や民族がその力を形成してきたことによる新たな世界秩序の模索である。突出した一国による世界秩序の形成ではなく、多数の異なった価値観を有する国々による世界秩序の形成は、まさしく人類の歴史上初めてのことである。この初めての壮大な模索の歩みは、国家間や民族間、宗教間の対立や激突を伴い、現実には血みどろの戦いとしてそのいく末の見えない様相すら示している。国家は今、かつてない重要性を持ってきている。
 戦後、われわれは、戦争時代の反動とアメリカ主導の戦後体制の中にあって、自らの国家統治の重みを置き去りにしてきた。国家統治をあたかも「悪いもの」と認識し、民主主義というものは国家統治に抵抗するものであるかのごとき思いを持つにいたってしまったのではなかったか。仮に日米安保体制を脱して、アメリカやロシア、北朝鮮・韓国、中国に台湾というわが国を取り巻く諸外国の中で、国家として自らの力で自立しようとするとき、それがいかに大変なことか。ましてや、今やアジアや中東、アフリカに南米、オーストラリアなど世界各国・地域は特に経済関係において切っても切れない関係にある。そのなかで、各国・地域、民族に加えて宗教がその存立をかけてしのぎを削っている。さらに加えて、世界経済は、その資源獲得ばかりでなく、金融や為替支配をめぐって高度な主導権争いのまっただ中にある。国家として優位の人材を持たないところは没落し、他のところに吸収されざるを得なくなる。人類の歴史は、ユートピア的な理念の歴史ではなく、力と利害の凌ぎあいのなかで作られてきたし、これからもそうである。ただ、これまでとこれからの違いは、世界の主導権争いが地球規模というかつてない規模に行き着いたということである。それだけに、一国だけの力の行使はもはや通用しなくなる反面、新たな世界秩序の構築には壮大なエネルギーや犠牲と時間が必要となってくる。
 こうしたとき、国内における地方分権論議を見ていると、そこには国家統治の重みがなく、地方あって国家なしの感さえ見受けられる。今見た世界の状況、近現代における国家の重要性を省みるとき、地方自治といえども、国家の中にあるものであり、国家統治の中での行政の重要な仕組みとしてとらえる必要がある。国家の基本構図は「国家−国民」である。その「国家の中の国民」が自らの居住する地域を一定の範囲で自立的に治めようとするのが地方自治である。わが国の地方自治制度は、中央集権的で不十分なものであると教わってきたが、今や十分すぎるほどの自治制度となっているのではないだろうか。昨今の「地域主権」などという主張は明らかに行き過ぎであろう。主権者である国民の意思による民主的な手続きでもって国家の統治機能が形成され、その一環として地方自治制度が置かれているのであり、地域に主権が移行すれば国家統治の主体はいったいどこへ行くのであろうか。早くには、欧米などにならって、「地方政府」(ローカル・ガバメント)といういい方が紹介され、私などもそのときにはなるほどそうか、と思ったものだが、これもわが国にはなじまない。地方自治体は決して国のような統治機構ではない。あくまで、地域住民の公共的団体であり、言ってみれば「私」の集合体としての「公」である。国家機能の一部を担うことがあっても、その「分権」を主旨とする団体ではない。まして、昨今の「分権」論議の主張者が、府県中心であり、府県や道州制論議が中心の分権論議には、肝心の地方自治の基礎的な担い手である市町村ではないところにも根本的な問題がある。そして、国土や国の文化や経済の形成には都市こそが重要な役割を果たしているのであり、都市をないがしろにする文明は洋の東西を問わず存在しないのである。ま、こうしたことの深入りは避けるとして、要するに国の仕組みとしての地方自治制度は、わが国の場合、基本的には現在の程度でほぼ十分なのではないかということである。不足するのは、仕組みの問題ではなく、能力上の問題である。すなわち自治を担う人材の問題なのである。
 国家が、その統治能力を弱体化させるとき、必要なのは国家への全国民的な参加と寄与の拡大であろう。狭い国土で、しかもグローバル化の波に洗われている時に、国土を分割し、統治の権能を分割することがいかに国家を弱体化し、国家間のせめぎあいのなかで陥没し、それによっていかに不利な立場に立たされることになるかは、世界へ進出している企業なら身にしみてわかっているはずである。世界の中で伍していく国家として、全国土の統一性と地域の自主性との程よいバランスによって世界に開いた国家形成を図ることこそが肝要である。
 今のわが国の喫緊の課題は、「分権」ではなく、国家としての統治機能・統治能力の再構築である。国を壊してはならない。今、日本国自体が、世界の荒波の中で危機を迎えている。その時に、国家としての統治機能を空洞化、弱体化してはならない。「地方分権論」は害となる。言いたいのはこのことである。


2011.11.08

許されない都市自治体の解体

 昨今、地方自治を巡る地方自身のやり取りが喧しい。従来には見られなかった、保守派にしろ、革新派にしろ、それなりに前提条件としていた仕組みや物事自体を覆すような首長の発言が多発するようになった。ブログ市長の異名を持った鹿児島県阿久根市の竹原市長、市民税減税の河村名古屋市長、そして橋下大阪府知事たちである(いずれも当時の肩書き)。共通するのは“やんちゃもん”であること、既成のものごとを否定ないし無視することなどであろうか。これらの元祖をたどれば、国政レベルにおける小泉総理にたどり着く。ま、こうしたことの分析はまたの機会として、こうした既成の仕組みの破壊の一つに橋下前大阪府知事の大阪市や堺市など基礎的自治体の解体による大阪都構想がある。ここでは、その大阪都構想を取り上げようとするものではなく、基礎的な地方自治体、とりわけ都市自治体行政の大切さを考えてみたい。
 地方自治法による「市」は、通常「都市」と呼称したりする。しかし、地方自治法による「市」は、あくまで行政領域としての「市」であり、都市そのものではない。都市の難しい定義はここでは置くとして、都市というのは、人口や産業経済文化などが集積した地域であり、それらが相互に有機的な関係をもった地域的広がりということができよう。京都には都市・京都としての一定の地域的広がりの中での有機的関係があり、大阪には都市・大阪としての有機的関係を持って存在している。この有機的存在としての都市と行政領域として都市とは本来一体のものである。
 ギリシャの都市国家を引き合いに出すまでもなく、日本以外の古代から中世にかけての都市というものは城壁に囲まれていてその地域範囲は明確であった。しかし、日本の場合には必ずしもそうでない点があったとしても、近代に至るまでは都市は実態としては明確であった。
 京都を例に取ると、明治以降周辺の農村地帯を編入していくが、それは、将来の工場や都市居住地の拡大を前提としたものであった。しかし、戦後の幾たびかの合併のなかには、そうした都市開発を前提としない農山村の編入もあり、今になると、京都という政令市は、都市部と農山村部との両方を含んだものとなっている。現在の京都は、地方自治法上の「政令市」ではあっても、大都市とのみ言い切れないのである。都市には都市行政が、農山村には農山村の行政が必要であり、ここで、行政領域としての都市と実態としての都市との乖離現象が生じることになった。我々は、京都市を大都市行政体として一応とらえているけれども、この都市としての範疇ではとらえられない「田舎」の行政の必要性をも理解しておく必要がある。実は、この点が都市自治体の問題のひとつの弱点として存在する。
 さて、「政令市」いわゆる大都市には、行政区が置かれている。大阪には24、京都には11、東京都の旧東京市は区部として23の区が置かれ、東京のみが公選区長制をとるようになった。区の人口規模は、最小と最大の概数を見てみると(2009現在)、東京では最小が千代田区で4万5千人、最大が世田谷区で86万人、大阪の最小は浪速区6万人、最大が平野区の20万人、京都は最小が東山区の4万人、最大が伏見区の28万人、ちなみに神戸市は最小が長田区の10万人、最大が西区の25万人 で、神戸市が比較的平準化しているようである。
 東京、大阪、京都は近世以来の大都市であり、その地理的範囲には歴史的な蓄積がある。その中に行政上の便宜性から「区」が置かれているとはいえ、あくまで都市としての総合的な実態は「区」を超えたところにある。昨今、「区」に地域行政の実質を担わせようとする動向は普及してきているとはいえ、都市としての基礎的なインフラ整備や各種行政の統一性はその都市全体にかかわるものとして、「区」行政を超えたところにある。また、現在の「区」の固定化は、生き物としての全体的な都市の成長にとっての障害となる場合もある。「区」というものの有為性と限界性とを十分わきまえないと、「区」を独立した一個の都市とみなすと大きな過ちを犯すことになる。他方、東京や京都、大阪など歴史の古い都市の「区」は、人口の大小の差が大きいが、神戸市など比較的新しい都市の人口格差が比較的小さいことは、「区」自体にも一定の歴史的有機性が存在していることを示している。
 さてそこで、橋下前大阪府知事の主張する大阪を概ね人口30万の行政体に分割する構想である。これは、一時期の政治的都合によって、歴史的に形成されてきた都市を解体するものに他ならない。都市は、一時の人為的都合によって、解体されるべきものではない。都市には、その時々の為政者の思惑を超えて、都市それ自体の自律的な展開によって発展し、時には衰退もする。
 大切なことは、文化は、都市によって作られてきたものであり、農山村といえども、都市との何らかの関係によって成立し、発展してきたものである。ひとたび都市を解体したなら、その都市のみではなく、その都市周辺の農山魚村も衰退することになる。東京、大阪、京都、名古屋はそれぞれ広範囲の地域的な中心都市として日本の経済文化の発展を担ってきた。これら歴史的に形成されてきた日本の代表的な都市は、実に複雑にして奥深いものを持っていて、その全てを解明することは容易なことではない。歴史的、文化的、自然・風土的な条件を無視して、人口規模のみで行政領域を分割するのは、実態としての都市、そしてそこに住む都市民を無視することになるのではないだろうか。古来、画一性は、統治者の都合でしかないのである。いずれそれは是正される。無用な破壊は無駄であるばかりか、害悪ですらある。止めるにしくはない。
 しかし、昨今思うのは、我が国自体が今や大変な時期を迎えていて、しかも政治自身が混迷している中で、住民の暮らしにかかる問題は別として、地方自治の制度論を云々している場合ではないのではないかと。根本である国家そのもののあり方を総力を挙げて考え、対処するべき時期なのではないのだろうか。地方の問題はその中に含まれるものである。


2011.07.05

才と技術の政治を超えよう

今のわが国は、戦後築いてきた多くのものが解体しつつあるように思われる。戦後、世界の国々に受け入れられようとして、また、欧米並みの豊かな生活を夢みてひたすら走ってきた我々は、一体なんだったんだろうかと。政治をはじめとする昨今の我が国の状況を見るにつけ、そうした虚しいような思いに落ち込んでいく。そして、この思いは、今般の東日本大震災とそれへの対応状況を見て頂点に達した。
 東日本大震災、とりわけ福島第1原発の事故とそれへの政府と東京電力の対応は目を覆うべき状態である。なぜ、日本の政治と経済はこれほどまでに劣化してしまったのか。よくよく考えてみれば、分からないでもない。
 その兆候は、1980年代後半のバブルとその後のバブル崩壊とともに歩んだ1990年代の日本政治に現れていた。バブルは、我が国経済社会の倫理観を喪失させ、それは、やがて行政と政治にまで及ぶことになった。自民党政治は崩壊過程に入り、多様な野党は自己主張を強め、政治が行政をコントロールする能力を失うようになった。
 日本のバブル崩壊過程に急速に成長したITさらにはインターネット関連産業は、アメリカの金融業界と結びついて虚業として世界経済をコントロールするようになり、それにつながる日本の若手ベンチャーがもてはやされるようにもなった。金融やインターネットは、それ自体は手段であった業としては「虚業」である。人間の衣食住は、製造業や農漁業などの第1次、2次産業によって生み出される。しかし、これも戦後教育の結果であろうが、知や才や専門技術の育成に過度に重きをおいた結果、もっとも大切な人間総体としての育成が忘れ去られてしまっていた。記憶の勉強は進むが、総合的な思考能力の形成、人間それ自体を考えるゆとりがなくなってしまっていた。
 我々は一体何をなすべきか。それは、その時代、その社会にあって、その実際上の問題を認識するところから自らの課題を見い出すべきものであろう。今の時代には、知的技術は欧米、とりわけアメリカには満ち溢れている。その知的技術を深い分析も加えないままにいたずらに才走って使おうとする昨今の風潮は、政治、経済、社会のあらゆる分野で横行する。その知的技術は、これがダメならあれで行こうというような軽いのりで駆使される。そこでは、社会の実際は、実験されるべき対象でしかなく、したがって、人間存在自体の重さが認識されていないのである。こうしたことに疑問を持つことこそが、有為の教育というもののはずである。
 物事を成そうとする場合、まず、現状を正確に認識する必要があるのはいうまでもない。ついで、では、そういう現状がなぜもたらされたのかという過去の経緯を把握する必要がある。いいも悪いも、現に存在するからにはそれ相応の理由があり、それ相応の重みがある。その現実存在は、単なる好き嫌いの観念で処理することは出来ない。その現実存在の理由、根拠を理解することによって、はじめて事態を建設的に前へ進めることができるのである。
 小泉内閣の改革は、当時私もかなりの程度それを勉強した。そこで最も強く感じたのは、そこには過去の歩みに対する十分な総括がなかったということであった。小泉改革は、アイデア勝負でしかなかった。政治には、過去があり、現在があり、そして未来がある。そのとき限りでは、たとえいいことであっても、かえって悪い結果となる。継続性、継承性というものは変革を考えれば考えるほど重要であることがやがてわかるはずである。
 ところが、今回の民主党政権になって、そうした過去を顧みない、過去を総括しないアイデア勝負の度合いはさらに高まったようである。戦後日本を築いてきた自民党政権を超えるには、自民党政権が何をなし、どこに問題があったのかの基本的な総括が必要である。政権交代は、これからの日本の進むべき道を指し示すために、これまでの歩みを分かりやすく総括して提示する必要があった。自民党が、自らを超えるにもそのことが必要であるが、小泉構造改革を取ってみてもそのことは難しかった。政権交代は、戦後日本の総括の絶好の機会であり、そこにこそ民主党の明日への政権としての可能性があると思っていた。私もそれに期待していた。しかし、それは虚しいものでしかなかった。なぜそうなったのか。
 それは、今の若い政治家は、頭脳明晰で、一見政策能力にも秀でていると思われるものの、人間としての総合的能力、魅力、国家・国民に対する帰属意識に弱いものがあるからである。国を知り、国民を知るには、己の弱さを自覚しなければならない。己の知識や腕試しのために一国の政治を預かるのではない。一国の政治を預かる責任の重さに、身を震わせるほどの恐怖とも言うべき恐れを感じることがなければならない。自己の身を国家・国民に捧げるのである。そうすれば、俺こそは、俺が俺がという国民そっちのけの権力争いはなくなるだろう。
 知的技術は官僚の領域である。政治家が官僚と同じレベルの領域で官僚と競い合うのが政治主導ではない。政治家は、知的技術の素人であっていい。国家と国民、そして世界を総合的に把握する能力、それは教養的能力とも言えよう。そして身を挺する勇気、これがあって始めて官僚と行政を使いこなすことが出来るのである。
 今般の原発事故でも大きな教訓のひとつに、専門家集団の限界というものがあった。専門家は常に与件を設定して考える。確かに物事の設計にはそのことは不可欠である。しかし、現実は、専門家の設定した与件の範囲内で収まらないのは当然である。そこで、専門家でない素人の素朴な思いというものが必要となる。素人は、過去現在未来の実際上の経験や思いから考える。そうした思いは。専門家の陥る罠から救うのである。政治家の役割とは本来そういうものであろう。国家国民人類の未来に対する責任に身を委ねることなのである。
 他方で、1990年代以降、政治家や公務員に対する扱いが軽くなってきた。人数が多過ぎる、身分が安定している、報酬が高すぎるといった類である。諸悪の根源が政治と行政にあるかのごとき状況が連日新聞紙上をにぎわしている。はたしてそうなのだろうか。では、民間企業の経営者者の報酬はどうなのだろうか。総理大臣ですら年間報酬は数千万円にもいたらないのに、年間億円単位の報酬の社長が幾人もいる。しかもその報酬額の開示すらがこれまでほとんどなく、その算出根拠すら明らかではない。しかも、これとて、世界の趨勢の中では日本はまだ低いほうなのである。自己の収益のためにのみ尽くす一企業人に対して、国家国民に対する責任を担っている総理大臣以下の政府、行政関係者の報酬が著しく低いということに対する疑念はないのだろうか。こうした報酬の著しい民高官低は、公共性を軽んじる風潮に他ならないといえる。現在の政治や行政が時代の要請に十分応えることが出来ていないからと言って、その地位を軽んじていいというものではない。現在の風潮は、公への過度の期待と、公への蔑みとも言うべきあい矛盾した感情論の中にある。これでは、政治や行政に、有意の人材が集まることは不可能となるであろう。このあたりの問題は、少なくともマスコミ関係者には理解してほしい根本的な問題である。
 考えてみれば、かつて戦前の政治家には、「井戸・塀」しか残らなかったという。政治活動は資産家でなければできず、その資産家すら資産を使い果たして最後には井戸と塀しか残らなかったという象徴的な表現である。しかし、戦後民主主義の進展の中で、政治家の報酬も次第にアップし、国会議員、都道府県や政令市議会議員辺りまでならその報酬だけで一応の政治活動と生活ができるようになってきた。このことの持つ意味の大きさは強調されすぎることはない。なぜなら、議員報酬の上昇によって、それまで資産家の領分であった政治家の世界に、我々庶民もはいることが可能となったからである。資産を持たないサラリーマンや小零細企業家たちなど誰もが議員活動を行うことが可能となってきたのである。
 政治や行政を蔑視し、その人数や報酬を下げる風潮は、政治や行政の質を低下させるばかりでなく、政治を再び資産家のものにし、戦後築いてきた民主主義の基礎的な芽をつぶすことになる。そして、有為の人材が政治や行政から離れ、国家の基盤を揺るがすことになる。
 政治家や高級官僚の不正は、それを厳格に罰すれば足りるはず。その厳格性をあいまいにして、政治や行政全体を蔑視することは間違いである。不正は、どのような仕組みのもとでも起こりうるし、事前にそれを防止することは至難の業であるともいえる。ゆえに、不正をただす唯一の方法は、厳罰に処し、その情報を明らかにすることに尽きる。
 政治や行政を軽んじ、蔑視する一時の風潮に惑わされることなく、国家・国民にとって有為の人材が集まり育つ方向に向かうこと願う。これは、企業であれ、個人であれ、私的利益の追求の上にあることなのではなく、公に身を捧げる崇高な志があってはじめて可能なことである。国家・国民のために身を挺して活動する有為の人材には、それ相応の地位と報酬をもって応えなければならないのではないだろうか。
 さて、以上で言いたかったことを要約すると
@「公」というものは、いかなる私企業や私的個人では代行できない。
A政治家は、知的技術に溺れることなく、人間としての総合的な能力と国家・国民に対する責任感が求められている。
Bそれを全うしようとする政治家や行政には、それ相応の敬意と報酬で応えなければならない。
C政治と行政を軽んじ、蔑視することからは、国の発展は望めない。
ということになる。一方では過度の行政への依存と他方における政治・行政に対する蔑視というあい矛盾した風潮から早く卒業しなければ。マスコミや言論界の役割に期待したいものである。


2010.10.20

政党助成金の罠 不安定化する政党活動

 今回の政権交代劇での大きな出来事の一つに、国家財政による各政党に対する助成金(交付金)の急激な増減問題があった。昨年8月の衆議院選挙の前となる2008年度分と選挙後の2010年度分との政党助成金(交付決定額)を比較すると驚くべき結果となる。おおざっぱに見て、自民党では交付を受ける額がほぼ3分の2に激減し、民主党ではほぼ3分の1増と急増している(次表参照)。自民と民主の政党助成金収入額はほぼ入れ替わったのである。
           自民党      民主党
 平成20年分
  議員数     390人       223人
  決定交付額 158億42百万円   118億78百万人
 平成22年度分
  議員数     200人       423人
  決定交付額  103億75百万円   172億97百万円


  注:@議員数は各年1月1日現在で、衆参合計数
   A決定交付額は、各年4月1日現在(総務省発表)

 得票数や議員数が、逆転しているのだから、この結果は当然といえば当然なのであるが、問題はここから何を考えるかである。民主党は、一夜にして54億円の収入が増え、自民党は、55億円の収入減となった。民主党の収入はバブルのような増え方であり、自民党の収入減少は政党経営の危機をもたらすことになった。こうした政党収入の急激な増減は、これからの政党活動を極めて不安定なものにすると同時に、政党活動の希薄化を促進するように思えてならない。

この政党助成金の額は議員一人あたりでは、議員数400人程度の場合では4千万円程度、議員数200人程度の場合には5千万円程度となるが、こうした助成金は、議員に当選することによって得られ、当選しなければ、たとえ当選者に接近した票数を獲得していても全くのゼロなのである。これは当然のことではあるものの、この当然のことが、実は政党活動にとってひいては今後の政治にとってゆゆしい状況を生み出してくるように思われる。その危惧するところは次の3点である。
 一つは、政党活動が不安定となること。二つには、政党活動が希薄化するということ。三つには、政治家がサラリーマン化しかねないということ、であろうか。そしてこれらのことは、いずれも政党助成金が、政党活動の最大の成果としての「成果主義」とでもいうべき状況によってもたらされるということである。
 政党活動は、現代民主主義のもっとも基盤となる活動である。その成果は、数値や収益で単純にはかれるものではない。が、その政党活動を支える財政基盤が、公金による政党助成金で、しかもそれが当選者数によってきまるというところの問題である。ここから帰結する問題は、政治家としての政治基盤や政治的主張よりも、いかに当選するか、小選挙区制であれば、いかに51%の票を確保するかという、選挙に当選することが自己目的化することになる。その時々の世論調査に過敏となり、少数者の利益は代表されにくく、長期的な視野は持ちにくくなる。選挙民を一人一人の生身の人間としてではなく、類型化された数字として把握するようになり、そこから生まれる政治には、人間としての痛みを感じる心が失われてくる。
 政党活動に限らず、すべての活動には財政的裏付けを欠かすことができない。そのため、なにか活動を始めようとするとき、その財政確保が最初からの永続的な課題となり、苦労を重ねることになる。その苦労こそが、その活動に深みと厚みを加えることにもなる。寄付を要請するのも生やさしいことではない。それが浄財であればなおさらのことである。こうした自らの地道な財源確保の努力があって、はじめて、地に着いた活動とその成果も現れるものであろう。政党活動もその例外ではなく、政党活動こそが、国民の浄財としての寄付行為のうえで成り立つものなのではないだろうか。ここでいいたいのは、公金による政党助成金は廃止し、資金集めの努力を政党の基礎的な活動として大切にしないと、政党と政治家が、政治行政システムのなかの一こまとして埋没し、本当の意味での政治が日本の国からなくなってしまうおそれがるということである。利益誘導のための企業や団体の政治献金や賄賂など不純なカネが「政治とカネ」の問題を否定することになったのはわからないでもないが、そこでの問題は、実は、事実の情報が隠されているということである。献金の公明性において厳格でなく、甘すぎたのである。利益誘導も、裏でやれば不正汚職となり、表でやれば利害調整の一環となる。一団体の献金が巨額となって問題が生じるようであれば、上限を設けてもよい。何らかの仕組みは工夫する必要はあるだろう。けれども、政治活動の根本において、その資金集めに汗をかかずして、まともな政治感覚は形成されることはない。
 政党活動としての資金集めも必ずしも安定したものとはいえないが、しかし、その努力によってある程度安定的な収入を確保することはできる。少なくとも、公金による助成金のような急激な増減の変化はない。
 政権交代後の民主党や自民党などの混乱の根底には、こうした政党助成金に依存した党財政とそれに縛られた政治家・政党人の狭量さが見て取れる。今後、自立心旺盛な政治家が育つためにも、政治家の政党助成金からの解放は不可欠に思われる。政治家には、個々の人々に対する温かい血をベースに、国家を担う、国家の統治者としての能力形成が要求される。今の日本には、国家統治能力の段階的な形成の場がなくなってきたのではないだろうか。


 

2009.08.14

マニフェストと政権運営の危うさ

 自民党から民主党への政権選択の是非を問う衆議院選挙がいよいよ開始直前である。そこで問題なのは、政権公約と訳されているマニフェストである。マニフェスト選挙は2003年に始められて以来6年を経過し、それなりに定着してきたようであるが、これに対する過度の依存には、昨今の政権運営をみるにつけ多くの問題や危険性があるといわざるをえない。
 マニフェストは、政権を担った場合の公約ないし選挙民との契約とされ、その具体性と数値目標が評価の対象とされている。しかし、これには二つの根本的な問題がある。一つは、選挙では立候補者と政党を選択するのであり、マニフェストが具体的で詳細になればなるほど、個々の問題に対する選挙民の意思を問うことができなくなるという問題。二つには、政権とは、それを選択した選挙民だけではなく、全ての選挙民、全ての国民を代表するのであって、政権はそれを担う与党のみに帰属するのではないということである。
 今回のマニフェストでは、各団体やシンクタンクの評価が数値で示されたりしているが、これなどは、個々の問題に対する評価の積算の上での総合評価点が明らかにされている。数値を示すとあたかも客観的な評価をしたように思えるが、単純な事業でない限り、何をもって100点とし、何をもってゼロ点とするのかには主観的なさじ加減抜きにはありえない。加えて総合評価点が例えば50点としても、今度はそれをどう評価するというのか。点数の多い少ないを競えということなのであろうか。そうではあるまい。事柄には、多分カギとなる事柄がある。そのカギとなる事柄をどうしようとするのかについての評価が問題なのである。そして評価には、公正中立にして客観的な評価というものが果たしてあるのだろうかという問題もある。評価とは、利害から出てくる問題であるからだ。こうして、マニフェストとそれに対する評価が、具体的で詳細になればなるほど、ことの本質から離れていく危険性が高くなる。
 そもそも選挙で問うべきは、国の舵取りの方向性につてである。与党が、従来からの延長線上で政権運営を行おうとするのに対して、野党はその舵取りを変えようとする。その是非をめぐって選挙民の選択が行われるものであろう。個々の具体的な政策や事業に関していえば、政権につくことによってはじめて国政全般の具体的かつ詳細な実際が把握できるのであり、野党がマニフェストの段階で詳細な数値や工程表を示すことには無理がある。特に、1990年代前半の極く一時期を除いて50年を超えて自民党政権が続いてきたなかでは、自民党以外の政党が政権を担うことは容易ではない。自民党以外の政党が政権につくことによって何が出てくるか分からないという問題がある。行政組織を掌握することによってはじめて政策の具体化が可能となるのである。マニフェストをその現実味で評価するならば、与党のマニフェストが上回るのは当然のことである。選挙で問うべきは、そうしたことではなく、あくまで国の舵取りの方向性である。
 さて、二つめの政権の問題である。政府・与党が一体で取り上げられることが多いとはいえ、政府と与党とは本来別物である。政権は、与党の主張を超えて、野党の主張も折り込み、国民全体の代表としての役割を果たさなければならない。然るに昨今の政府は、与党と渾然一体となって野党批判を繰り広げている。与党が野党を、自民党が民主党を批判するのは当然のこととはいえ、各閣僚が民主党の主張にいちいち批判的な見解を述べている、そのコメントを求めて報道するマスコミも当の閣僚も政府というものの立場と責任をあまりにもわきまえていない。いかに議院内閣制であるとはいえ、行政府と立法府との立場の違いをわきまえず、与党と行政府とが渾然一体となった運営が行われる場合、政権は、与党を通しての特定利害をしか代表しないこととなる。政権というものは、与党を支持した選挙民だけではなく、野党を支持した選挙民も含む全ての国民を包み込んだ政権運営をしなければならない。こうしたことから、マニフェストは、政権を担って具体化する段階では、改めて再調整されなければならないものであり、、マニフェストがその通り実施されるかが硬直的に評価されるべきものではない。
 マニフェスト選挙が、政策論争を活発にし、政党の政策力を向上させることはいいことではあるが、それが、必要以上に具体化・詳細化し、そして数値化していくことは、かえって政党間の基本的な対立軸を不明確化し、国の根本的な舵取りの方向性に対する問題意識を薄めることになるとするならば、大いに心しなければならない問題である。政権を担った場合の政権運営の責任の重さと広さが希薄化している昨今、短絡的なマニフェスト論議に対する危惧の念を示してみた。
 もっとも二大政党制による本格的な政権交代が起こりうる今回の衆議院選挙の経験の上で、政権交代が今後常道化することになれば、その経験の蓄積の上で自ずからマニフェストも地についたものになってくるであろうし、自民党長期政権下の政府・与党と官僚(行政組織)の一体的な関係も変化してくるであろうことは考えられる。


2007.06.23

戦後レジームを変えると年金問題は解決するのか!?
 −自民党は不思議な政党だ!−


 1週間程前だったろうか、テレビをつけたら丁度安倍総理が街頭演説で絶叫していた。いわく「戦後レジームを変える安倍内閣だけが年金問題を解決できる」というのである。いやはやびっくりした。今問題になっている年金問題は、なぜこれ程までの信じられない事態を生んでいるのか、ということについての具体的な問題・原因究明がまず行わなければならないにもかかわらず、あたかも「戦後レジーム」が年金問題の原因であるかのように断定し、「戦後レジーム」を変えなければ解決しないかのように決めつけることで国民に対する説得力を発揮できるとの判断があるのであろうが、これでは国民の意識をあまりにも軽んじていることになりはしないか。
 そもそも「戦後レジーム」とは何で、それを築き担ってきたのは誰で、一体何が問題なのか。変えるとは、一体何をどう変えるのかが明らかでなければならない。安倍総理の「美しい国づくり」は、「レジーム」(体制や制度)の問題ではなく、抽象的、一般的な課題に過ぎない。
 一般的に、戦後体制と言われるものは、「戦後民主主義」や政治の「55年体制」のことである。「戦後民主主義」という言い方には、民主主義一般に対するのとは違って、日本の戦後独特の民主主義の特徴的傾向を批判的に示すために使われる場合が多く、これに対する言及はここでは避けておきたい。しかし、政治の「55年体制」は、いまやほぼ崩壊しているが、生き残っているのは左右の政党である自民党と共産党のみである。自民党と共に「55年体制」を築いてきた社会党は今はなく、公明党は「55年体制」のなかで育まれてきた政党である。しかも、自民党は、1990年代の一時期を除いて、一貫して政権を担ってきた政党であり、「戦後レジーム」を問題にするのであれば、主としてそれを担ってきた、また、現在も生き残っている唯一の政権党である自民党を問うことから始めなければならないはずである。民主党は、誕生して間もない雑多な寄り合い所帯のまだ未熟な政党であり、戦後体制の責任は持っていない。すでに、「戦後レジーム」から離れた新しい政党である。ところが、「戦後レジーム」の唯一の政権党である自民党安倍内閣が、「自分こそが戦後レジーム」を変えるといっていることの矛盾というか、おこがましさというか、こういう変なことを平気でいえるということは、一体どこからくるのだろうか。
 そういう意味では、自民党はまさしく反省や自己批判のない、無原則の鵺のような政党になってしまったのかも分からない。そして、それは、決定的には、小泉内閣から始まったのである。自民党を批判し、「自民党をぶっ壊す」といって拍手を受けた自民党総裁である小泉総理は、政権にあった5年数カ月の間、自民党との距離を巧みに演出しながら、最終的には衆議院の圧倒的多数を自民党議員で占めるにまで至ったのである。そこには、政党人としての自己の政党にかかる国民に対する責任性はまさに皆無といえる。と同時に、国民の多くはそれに賛同してきたのである。自民党は、実に不思議な政党である。自分がやってきたことを、国民に謝罪することなく、あたかも他人がやってきたことのように否定できるのである。自己否定になることに気づかずに過去を否定できるのである。
 安倍総理の「戦後レジーム」でおかしな点はまだある。安倍総理にしめる祖父・岸信介のウエイトは非常に高い。父親である安倍晋太郎以上であるかのようである。あたかも祖父の時代に復帰するかのような感じさえする。現実の時代を超えて、過去への回帰志向が強いともいえよう。でありながらの「戦後レジーム」の転換である。そこには、ここでは言及しないとした「戦後民主主義」の理解に関わる問題があり、その辺りの問題は、いずれ機会を改めて触れてみたいと考えている。
 さて、目下問題になっている年金は、本当に言語を絶する問題である。あまりにも根本が抜けてしまっていて、論評すらできない。社会保険庁のお粗末さは、あまりにもひどいが、今問題になっているような事柄は、社会保険庁のそこそこの地位にある職員であればおそらくもともと分かっていたことであろう。となると、社会保険庁の労働組合は、そうした問題をこれまでからどのように問題として捉えていたのかいなかったのか。ことここに至れば、その実相を明らかにする責務があるのではないだろうか。労働組合が、自己の地位の保全のみを目的に組織されているのであればともかく、わが国の労働組合の多くは、社会的地位や社会的正義の実現もその役割としてきた、これも「戦後民主主義」の一つの担い手であった筈である。労働組合が、国民の害になるようでは、労働組合と労働者の地位の保全も難しいといえよう。
 また、政治と行政の責務としては、そもそも国民皆年金を「保険制度」として掲げる以上、賦課方式という理解に苦しむような方式はもともと適切ではなかった。賦課方式は、税に準じるような考え方としてあったのであろう。であれば、国民皆年金の部分は、税制のなかで対処するべきであった。保険料納付と給付とがうまく連動していない保険制度などはあってはいけないのである。しかも、賦課方式の行き詰まりは、多分相当に早くから予測されていたはずであり、今日に至るまで然るべき手を打ってこなかった官僚もそして政治家も、本来その責は免れないはずのものである。先見性を示すことのできない国家官僚は、官僚としては不要である。政治家はどうしていたのであろうか。
 この際、時々の政治家の言動に惑わされることなく、われわれ国民は、一人ひとり、真実を見極める眼を培う以外に生きていく道はないのであろうか。時代が、何もかもがどんどん変なようになっていくようで恐ろしい。


2007.06.12

政治家の公務員叩き!

 最近、はたしてそれでいいのだろうか、と思われる事柄が多すぎるようだ。政治家による公務員叩きもその代表例だ。
 かつて、わが国の官僚は、世界一の優秀さを褒めそやされていた。また、政・官・財界は、戦後日本経済発展をもたらした「鉄のトライアングル」と称された。そして今、「官」すなわち官僚は、その能力を低下させ、腐敗し、「政」すなわち政治家によって諸悪の根源のようなものとして叩かれ、処遇を悪化させられ、官僚群の規模縮小が図られている。そして、こうした場合の常として、「財」すなわち経済界からも「官」に対する批判と民間に見習うべし、その官業を民間に開放するべしとの提言が喧しい。
 なるほど、1990年代半ば頃からの当時の大蔵省の接待汚職をはじめ、高齢化社会への対応を進めるゴールドプランを舞台にした旧厚生省事務次官の汚職事件や同じく厚生省とミドリ十字による薬害エイズ問題など、この10年を振り返ってみても官僚による汚職事件は枚挙にいとまがない。が、よく見てみると、官僚の倫理性の低下もさることながら、そうした汚職の根底には、必ず、政治家や民間企業家が絡んでいるのである。官僚の問題は、実は「政」と「財」(業界)の問題でもある。その意味で、官僚の乱れは、政界と産業界との乱れの結果であるともいえよう。民間企業家の倫理観の欠如も著しいし、政治家の腐敗も甚だしい。いわば総崩れのなかで、自己保身のために、官僚叩きが横行しているといえよう。
 考えてみれば、政治家は特定利害の代表者である。個々の民間企業は、個別の私的利益の追求者である。国家国民の全体としての利益を本来的職分として担っているのは公務員である。問題は、その公務員が、特に高級官僚が、弁護の余地のない私的利益に溺れている事件が頻繁と跡を絶たないことである。けれども、それをもって公務員を否定すれば、わが国は今後一体どうなっていくのだろうか。
 なぜ、公務員、とりわけ高級官僚の汚職が横行するのか、その原因をよく見極めたうえでの対策を講じる必要がある。圧力に屈しない身分と経済生活の保障、それが故の厳しい罰則が科されるべきではあるが、全体として公務員をよりよく活用するための方策を考えることこそが国民の利益にかなうことであろう。
 国家を私的利益追求の坩堝にしてはならない。国家を経済的利益の追求の手段に化してはならない。ここ一番、よくよく考えることが肝要であると思う。
 それにしても、年金問題にかかる社会保険庁の杜撰さには言語に絶するものがある。当面の応急対策と共に、なぜこのような事態を生んだのか、社会保険庁という役所機構がなぜこのような杜撰な組織となったのか、こうしたこと解明しないままに組織や仕組みをいじっても決して抜本策とはならないであろう。事の本質を明らかにすることが不可欠だ。厚生労働省という役所は、薬事・医療や福祉問題など、はたして真実国民生活の立場に立っていたのかさえ疑わしくなってきている。一体誰の利益のために運営されてきていたのであろうか。当事者である役人と共に、政治家の責任も考えるべきであろう。


2003.10.19

不謹慎だが 面白すぎて 情けない!
  −道路公団総裁解任劇と小泉内閣−

 10月17日、藤井日本道路公団総裁に対する解任に当たっての聴聞が行われた。そこに至る前の石原国土交通相による藤井総裁への事情聴取があった。日曜日の5日のことで、5時間に及び、設定された日もこれほどの長時間であったということも異常というほかない。 が、石原国交相は、事情聴取後総裁解任を即決し、小泉総理に報告、小泉総理も了承した。石原国交相は、翌朝(6日)には藤井総裁が辞表を持ってくるとの発言をしていたが、藤井総裁からのそうした動きはなく、石原国交相は、解任の手続きに入る。これに対して、藤井総裁は、解任手続きの一貫としての「聴聞」を公開して行うことを要求したことを14日に公表。本来聴聞の公開制限は、聴聞を受ける側のプライバシー保護のためであるが、これが逆に公開要求となったことも今回の異例さを物語っている。
 この総裁解任劇をめぐる石原国交相のテレビでの発言を見ていると、かつての田中真紀子騒動を思い出す。また、道路公団民営化委員会のハッチャカメッチャカな舞台演芸も記憶に新しい。小泉内閣では、茶番という領域を越えてなぜこれほどまでの感情的なやり取りに終始するのか。昨今のいうに言われぬ重苦しく深刻な世情にあって、見ているものとしては余りにも面白い芝居を見せられているようだ。不謹慎だとは思うが、最近のドタバタしたテレビの娯楽番組よりははるかに面白い。でも、これは情けないことと思う。政治と行政が、奈落の底に落ちつつある姿を明示していると思われるからである。
 では、なぜこういうことになったのか。それは、政治・行政を、あまりにも私的な思惑で操作しようとしたからではないのだろうか。物事はすべからく善悪や正邪で割り切れるものではない。それを、事実関係を抜きにして、良い方と悪方に峻別し、誰かを悪の見本として叩くことによって、その他のものは全て助かるという簡略な無責任体質というものがあるのではないだろうか。怖いのは、こうしたことで世情が大きく動かされていることである。
 今回のことをたどると、道路公団という「悪の巣窟」と、現政権にとって意のままにならない「悪の巣窟」の総裁の存在というものがある。と同時、道路公団民営化委員会の運営そのものが醜態をさらして機能不全となりながらも無理に出した民営化の「結論」がある。小泉内閣の「民営化」というテーゼに対して、道路公団の民営化それ自体の是非に関する本質的な議論のないままの「民営化」と既存計画のどんぶり勘定としての棚上げ的な否定論がまかり通っていくことに対して、実態はそれにそぐわないことから来るところの燻りや矛盾は多い。特殊法人全体、なかんずく、道路公団の胡散臭さはなるほどなかなかのものであるのだろう。だが、それは、藤井現総裁の個人的は意図からきたものかといえばそうではなく、実際はそれにかかわる政治家がそう仕向けたのであろう。政治と行政との癒着の問題である。一般的に、第三セクターが、行政と無関係に根本的な、また政治がらみの事柄の対応をできるわけがない。行政が請け難い政治家からの注文を、行政が第三セクターに請けさすということはよくあることであろう。直接的な行政からの距離が離れれば離れるほど実は、政治の恣意的な介入は深くなるという現実を一切捨象して、その責任を一人の個人の属性として処理しようとすることの危惧が潜在している。小泉首相が、「自民党をぶっつぶす」と叫ぶことによって、自民党政権の責任者である小泉首相の責任性が回避され、自民党自身も、実際にはぶっつぶされずに復権するというトリックのような事態からくる本質的な問題認識が考慮されない事態の深刻さがある。これをもって、政治家の恣意という。これまでの政権にも多くの問題はあった。だが、これほどまでに、ものごとそれ自体に基づく検討が行われなかった政権はなかったのではないかと思われる。
 恐らく、日本道路公団総裁の首などいつでも切れるというように小泉首相とその周辺は思っていたのであろう。最高権力とはそういうものでる。行革担当相の石原氏をその所轄省である国土交通省の大臣に任命するときに、首切りを命じたことは想像に難くない。しかも、衆議院解散と総裁選挙とをセットで企画したのであるから、その首切りを、民主党と自由党との合併大会の日にぶつけることは当然意図したことであろう。なぜなら、大臣による総裁の事情聴取や解任の決定は行政行為であり、突発的な大事件でない限り、こうしたことが日曜日に設定されることは常識としてはあり得ないからである。新聞報道などの解説にもあるように、総選挙向けの作為であることは明らかであろう。だが、藤井総裁の立場でこれらのことを考えれば、恐らく、はらわたが煮え繰り返る思いであろうし、しかも、内閣改造を期に、大臣が交代するや否やの解任である。少しでも骨のある人間であるならば、以後の展開は余りにも当然の成り行きである。政治と行政に対する最後の糸が切れるのである。道路公団に問題があるとするならば、それは誰の責任から生じてきているかという本質問題である。
 藤井総裁に解任の意思を伝える前に、すでに後任者をめぐる話題が流されていくこと自体にその恣意と甘さが現されている。それにしても、石原国交相の軽さはどうなんだろう。「私を納得させることができなければ、国民の疑念を払しょくできない」(11/11共同通信)という物言いにはあきれるばかりである。彼には最初から納得しようとする意思はないはずで、自己の絶対化以外の何ものではない。納得は、双方の具体的事実に基づく解明からくるものである。そう簡単に自分と国民一般とを都合よく一体化してもらっては困るのであるが、こうした政治家のセリフが今の政治状況をいかんなく表しているのであろう。表面に現われていない道路公団職員や国交省役人、政治家、地方の政治・行政の担い手などの苦労や苦しみからくる矛盾葛藤を内に内在させた深みが全く感じされない。軽い。政治家があまりにも軽すぎる。小泉改革と道路民営化の旗手たちのある種の超合理性に共通するところである。
 事の本質に迫らず、何かの象徴をつくりだす。それを方便として、必要悪として使用するのはあくまでことの本質に迫るためにのみ許される手法である。恣意的な策の度が過ぎ、生贄が生まれ、描かれていたものが破たんないし変形していくそのさまは見ていて面白い。が、それが、我々の政治の世界であることを振り返るとき、救いのない情けなさに襲われるのである。
 今や、石原国交相の切り捨ても小泉内閣の視野には入っているのだろうか。突っ切れば良し、突っ切れなければ石原国交相とその親である都知事に批判の矢が向けばいいと。小泉首相は他人事のようだし、10月19日、山崎自民党副総裁は、政府の解任手法に強引ではとの疑問を示したようだ。情のない、手前勝手な時代になったものである。
 国民よ心せよ!の時代となっている。

 


2003.4.30

ほっとしたこと! ブッシュのイラク戦後で

 4月26日付日経新聞の「リーダーたちの戦後13」でブッシュ米大統領が「ブッシュ外交現実よりに」と題して掲載されていた解説を読んで、心から安堵感を持った。近頃こうした安堵感はなかなかなかっただけに、正直なところ“ほっとした”うれしい気分にさえなった。ブッシュ大統領の心の中の真実は、その立場からして、実際のところ窺い知ることは不可能であろう。でも、である。仮にも、署名記事である同解説が、14日に米英軍がイラク全土を制圧してからのブッシュ大統領の心境はむしろ穏やかではなく、その後の外交では、ネオコン(新保守主義)に象徴される強硬路線から協調路線へと修正してきているとするが、そういう分析が成り立つこと自体がうれしいことである。
 巷間いわれてきたように、あたかもキリスト教原理主義としてのブッシュ外交と武力行使の直線的な世界戦略が本当なら、いずれは世界の破局が懸念されることになる。が、アメリカの、と同時に世界の頂点に位置するリーダーが、それほど単純であるはずがないことを日経解説は示している。イラクのフセイン征伐とその後の対策では、強硬路線と国際協調へのシフトの微妙なる修正はあり得ることであろう。思いを固定せずに動向を注視しなければならない。


2003.1.1

日銀の独立性  デフレ対策と政府の対応に関連して

 日銀の速水優総裁の任期は来年3月19日までという。任期満了の日が近づいてくるに従い、後任人事の取りざたが騒がしくなってきている。そうした中で、一貫して政府サイドから流れてくる情報は、日銀への積極的なデフレ対策の要求であり、デフレ対策を強く勧める後任総裁を期待するというものである。
 そもそも日銀の通貨政策に対してはこれまで疑問をもってきた。バブルの醸成期において、また、バブル崩壊期において、はたまた日本経済の構造改革への強い意向に対して。いかにも後手後手で、加えて、構造改革への執拗ともいえる主張を続けることなど、日銀本来の役割である通貨政策に対する責任を感じないかのような状態をみるにつけ、日銀への不信はつのる一方であった。日本経済の危機的状況をわざと創出することによって、それを梃子としたアメリカ向けの構造改革へ追い込むことを企図しているのか、とさえ勘繰りたくなるような状況として認識してきた。デフレを前にしてなおかつ、インフレへの恐れを述べてきたことなどはまさにそうした線上のものである。
 1990年代末から21世紀初頭にかけての政府の過剰ともいうべき財政投資も、日銀の通貨政策の錯誤によって無駄となり、今やデフレに対する打つ手はなくなってきているといっても過言ではない。加えて小泉内閣の構造改革路線である。目下の急務はデフレ対策にあるにもかかわらず、相変わらずの構造改革路線で、今や日本経済の危機から、日本そのものの破局が語られようとするほどの状況を生みつつある。
 1990年代後期以降の政府の財政政策は、過剰なほどの景気対策であり、過剰すぎるがゆえに問題化していた。が、経済政策の結果としての効果が生まれるには、それなりの時間を要する。小渕に続く森内閣の「じゃぶじゃぶ」の財政投資を小泉内閣においてもある程度継承していたならば結果はどうであったであろうか。橋本内閣以降小泉内閣に至る政府の財政経済政策は、アクセルとブレーキを交互に踏み、中長期的な経済の動向を見極めることなくチグハグな政策を繰り返し、結果として、バブル崩壊による傷を一層深め、さらにはデフレへの道へ落とし込んでいったのではなかった。これは、政府自身の財政経済政策の責任性の範囲の問題である。
 それに対して、政府のそうした経済財政政策と日銀の通貨政策との関連を見た場合、政府が必至に経済の浮揚を図っているときに、日銀の通貨政策では引き締め気味であるなど、政府の経済財政政策の効果を無にするが如き政策をとっていたのではないかという指摘もあるように、日銀と政府との政策協調は必ずしも見られなかった。これを好意的に語るとすれば、政府のあまりにも政治的な経済政策に対して、日銀は、あくまで中央銀行としての通貨政策の専門的な領域を出ることがあってはならないものとしてその役割を果たしてきたということはできるのかもしれない。
 しかし、政府にしても日銀にしても、これまでデフレに対する強い認識はなかったように見受けられた。が、我が国は既に数年前からデフレに突入し、しかも年々それは深まりつつある。経済政策にかかるエコノミスト等の諸見解を見るにつけ、インフレに対する有効な政策はまだ樹立することは可能のようであるが、一端デフレにはいった場合の政策の有効性には確実性はほとんどないようである。すなわち、デフレへはいってしまった場合には、一般的には、もはや打つ手はないのである。これは深刻な問題である。その上でなおかつデフレスパイラルから恐慌への破滅の道を手をこまねいて進むのではなく、必至でそれを食い止め、より浅い程度で克服しようとするならば、非常時としてのなし得るあらゆる手段を講じるべきなのであろう。デフレ克服と言う強い目標のもとに、あらゆる分野の政策を総合的に集中するべきでなければならない。しかもその結果は不明なのである。
 こうしたデフレに対する強くかつ深い危機意識があれば、政府と日銀の政策協調は有効であるし、かつ不可欠のものである。しかし、双方が、互いにデフレの責任を押し付けあうが如きこと状況のもとであれば、特に政府のデフレ対策に意気込みが感じられない中でデフレへの責任を日銀に負わせるための日銀と政府の政策協調、そのための日銀総裁の人選となれば、日銀という通貨政策の専門性の高い分野にことさらに政治性を織り込むことになり、これは結果として、日本経済を破局におとしめる一里塚になりかねないことになる。
 日銀の独立性の確保は、日銀が大蔵省の監督下にあったときの状態を考えれば確かに必要なこととは思われるが、独立後の日銀の責任制は、いったい誰に対して、どこで、どのようにしてとられるのかについては極めてこころもとない面がある。アメリカのFRB(連邦準備局)のかのグリーンスパン議長の場合、日本がデフレへ落ち込んだ教訓を、日本以上に学び、目下のところ、デフレに陥らないための通貨政策を機敏かつ積極果敢に撃つことによってそれを阻止している。日本の日銀にそのようなしっかりしてかつ機敏な政策はこれまでのところは期待できない。そこに本当のところは政治が働いていたのかもしれない、常に後手なのである。通貨政策や経済政策は、一にタイミングと強い意思を必要とする。
 もはや政府の財政政策も、日銀の通貨政策も、通常の政策ではその効果が作用しない段階に入っているというデフレへの強くかつ深い危機感を政府と日銀が共有することなくして現下の日本経済の危機からの脱出は困難であろう。日銀総裁の任期切れにしか、政府による日銀のコントロールが効かないという状態の中で、新しい日銀総裁の選考をめぐって水面下でのえもいわれぬ駆け引きが繰り返されるのであろうが、そうした政府対日銀というレベルを超えて、政府自身が、自らもデフレへのつよい責任制を自覚することによって、国民への責任を共に担う日銀と政府との協調を切実に期待している。


 

2002.11.5

  小泉内閣による衝撃 破壊かそれとも!
    不良債権処理加速策をめぐる激突とその後の展開

 いよいよ来るべきときが近づいてきた感がある。戦慄の小泉改造内閣の誕生は、早くも衝撃的な経済政策となって現れてきた。小泉内閣は、日本の破壊者なのか、それとも創造者なのか、その答えは直近に迫っている。
 戦後数十年、奇跡とも称された高度成長を成し遂げてきた日本経済も、もはや同じスタイルでは立ち行けなくなっているのは明らかである。それはスタイルやシステムの問題なのか、ただ単に高度成長からバブルを経ることによって倫理観を欠如してきた各界におけるリーダー層の人間性の問題なのか。ともかく、現状では立ち行かなくなってきた。にもかかわらず、一大利権構造の中枢としての自民党橋本派は今もって大部隊であり、その主導による自民党政権では、国民の信を得ることができなくなってきていることが先ず根底にある。従来の常識ではとても成立するはずのない小泉政権はそれゆえ誕生した。しかし誕生した小泉政権は、果たして自民党の一時的な救世主に終わるのか、それとも日本の救世主に大化けするのか、或いは日本の破壊者になるのか、今もって分からない。
 考えてみれば、小泉政権はその誕生以来、自己矛盾もはなはだしい。自民党をぶっ潰すといって誕生した「自民党政権」である。自民党総裁が自民党をぶっ潰すというのであるから大変なことである。野党の出る幕はもはやない。でありながら、それに引きずられてか、自民党の支持率も上昇し、昨年の参議院選挙も圧勝し、今般の衆参統一補選でも結果としては圧勝した。自民党の救世主となった。これが現在の日本政治の本質であり、すべてはここから発生してくる。

 政治家としての小泉純一郎は、自民党内にあって橋本派に対抗し、郵政三事業の民営化を主張していた。小泉首相の課題は、従ってこの二つになる。あとは恐らく成り行きから来るのもであろう。小渕、森政権と続いたじゃぶじゃぶの公共投資に対して、それとは逆の改革と民営化を掲げたのはそのゆえであろう。改革は同時に財政再建とほぼ同義語に扱われているのも、恐らく矛盾や混同とは考えられていないものと思われる。しかし、首相就任以来の小泉首相の言動や諸々の解説を見ていると、小泉首相に国の明日を導いていく理念や構想力、また国民への説得力があるとは思えない。そうしたなかで、デフレは進行し、中東とイラクを巡る国際情勢は風雲急を告げ、アメリカやヨーロッパにおける経済にもデフレの影が漂いはじめる。その時期に、小泉首相は北朝鮮を訪問する。アメリカとの提携なのか、アメリカの意に反するやり方なのか、解説記事を見ていてもよく分からない。が、テロ戦争で過熱気味の国際関係のなかで、世界経済は落ち込みの様相を見せるとき、世界はそれぞれ国益を背負って厳しいやり取りを交わしている。我が国の外交は、あたかも拉致問題一辺倒のような様相を見せ、国内経済との関係にはほとんどみるべきものはない。国内は国内、外交は拉致問題といった構図であり、これも小泉首相が結果として誘導したものっである。

 さて、国内経済の問題。先般の内閣改造によって、竹中経済財政担当相に金融担当相を兼務させ、経済財政政策は民間学者の竹中平蔵担当大臣に丸投げするところとなったというのが大方の見方であり、事実そのように見える。小泉首相の口から、日本経済の危機的状況と課題についての見識ある見方は聞いたことはなく、日本経済の根本的な舵取りそのものを学者大臣に委ねたような解説が多い。その学者大臣も最近ではかなりの政治家となってきているように見受けられるものの、うめき苦しんでいる実際の企業、国民、すなわち血の通った生活者としての人間の問題をどれほど心情として理解しているかははなはだ心もとない。小泉首相にしても、竹中大臣にしても、反対意見とのやり取りとしてしかものをいっていないようである。「抵抗勢力」にも一定の根拠が生まれるのはそのためである。
 そして遂に来るべきときが来た。10月22日である。不良債権処理を加速する策の中間報告の発表が予定されていた日、その内容が伝わるや、与党内部でも蜂の巣をつついたような状態となり、あのものをいわない銀行も、大手行がそろって反対ののろしを上げることになる。当然のことであろう。デフレの深みが何処までのものか窺い知れない中で、日本はおろか世界経済まで同じような状況になりつつあるときに、不良債権処理を国の手で加速させ、民間大手銀行の国有化を狙うという策が、突如として出てくるとなると、その衝撃たるや素人の我々では諮れないほどの大きなものであるといえよう。守旧派=「抵抗勢力」とかつての日本経済の枢軸であった銀行団による反撃が遂に開始されたのである。
 結果は、22日の発表は見送られ、すったもんだの調整の後、10月30日に、極端な策は先送りされた不良債権処理加速策とっともに、待望の「総合デフレ対策」が固まった。一応の妥協は図られたのであるが、今後施策の具体化とその実施をめぐって戦いは繰り広げられていくことになる。

 今回の不良債権処理加速策と、「総合デフレ対策」は、これからの日本経済のあり方を根本的に左右するものであると考えられるため、場を変えてその問題点の説明はしたいものと考えており、ここでは、今回の一連の経過の中で感じた主要な問題点について指摘してみたいと考える。
・まず第一は、いよいよ覚悟のときが来たのではないかということ。
・第二は、デフレ対策が真剣に講じられていないのでなないかということ。
・第三は、小泉内閣の政治システムの狭隘さ。
・第四は、破壊者か、利権派か、国民は何に依存すればいいのかという問題。
・第五は、日銀と政府との関係。

 とにかく、多少の経過をたどってみよう。
 小泉改造内閣が発足したのが9月30日。竹中金融担当相が兼務で誕生するや否や10月3日には竹中担当相主宰の不良債権の処理を加速させるためのプロジェクトチームが「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」という名称で金融庁に設置される。その5名のメンバーの多くは竹中人脈といわれているが、その一人である木村剛・KPMファイナンシャル社長がメンバーであることが分かったときには、金融界の衝撃が走ったようだ。そして、半月ほどの精力的な検討、それは秘密裏に進められたといわれているが、その結果としての中間報告が10月22日に行われる予定であったけれども、与党と銀行業界を中心とした大反撃によって妥協が図られ、極度に過激な策は一応修められた形で10月22日に、発表される。発表されたのは、金融庁の「金融再生プログラム−主要行の不良債権問題解決を通じた経済再生−」と、経済財政諮問会議で決定された「改革加速のための総合対応策」である。この日にあわせて、日銀政策委員会も追加的な金融緩和策の実施を決めている。
 そこで第一の問題、日本経済はいよいよ破局のときを迎えるのではないかということ。それは、不良債権処理を加速させることは、小泉前内閣当時は、柳沢金融担当相のもとで、銀行自信の自主性を促しつつ進めるソフトランディング方式で進められてきた。しかし、金融担当相が交代することによって、政府の手による強い加速策が銀行に強制され、結果大手銀行の国有化も視野に入れるハードランディング方式に政策転換されたが、これに対する政策転換の理由や根拠はおろか、政策転換であるということすらメッセージされていない。ただこの間、アメリカからの日本政府に対する不良債権処理への期待は幾たびも表明されてきており、G7での表明も含めて、不良債権処理の促進は、日本の「国際公約」のようなものとなってきていた。中長期的には不良債権処理は達成しなければならない課題ではあるが、現在の不良債権はすでにバブル崩壊期のものではなく、不況の長期化とデフレの進行過程で発生してきているものであるだけに、その処理には、単なる一時的な、いわば強制排除的なやり方では解決できない、デフレの克服によって解決していかなければならない面がある。しかも、不良債権処理を加速させた場合のデフレへの影響には強いものがあり、UFJ総合研究所の試算では(10/11発表)、2004年度までに165万人の失業者が増加する増加し、GDPも2%弱押し下げるとされる。バブル期やその崩壊過程における銀行の不正行為や弱者切り捨ててきなあり方には許せないものがあったとはいえ、大手銀行をこの経済の難局時に一気に追い込み、不良債務を抱える企業を本来淘汰されるべきものとして潰しに出るということが果たして日本経済の再生につながるのか、果たして、体力的にも底をつきつつある日本経済を破滅に追い込むことになるのかは極めて際どい問題である。今回の対策が、金融システムと日本経済再生のための主要な阻害要因をなしているとはいえ、不良債権処理が多分に目的化され、しかも銀行の国有化へ意図して追い込むことが先に結論としてあるとも分析されていることも含めて、デフレ対策やその他のセーフティーネット施策は、不良債権処理を進めるための施策として考えられており、現在只今の日本経済に対する危機感は必ずしも十分ではない。それだけに、最終策としえは緩められたとはいえ、基本的には、メッセージ無き政策変更による日本経済の負の部分に対する容赦のない切り捨て策であり、その影響には計り知れない危険性がある。「負」の部分、「成長産業」ともくされない「停滞産業」、競争に弱い「弱者」、そして生活者はいよいよ覚悟してかかる必要性がある。経済は、理屈でいけば、すばやく徹底的に負の要素を切り捨てれば、自ずから新たな成長路線に転化する。しかしそれには多くの犠牲が伴う。ソフトランディングは、問題の本質を承知しつつも、生ける人間を前提として、先に社会的セーフティーネットを構築しつつ、問題を漸進的に解決しようとする。企業の自律性に期待しつつということになる。時間はかかるし、下手をするとより深みにはまることもある。いよいよ最後の岐路である。

 第二のデフレ対策の弱さについて。これは、第一と表裏の関係にあるが、今回のデフレ対策は、新聞等では「総合デフレ対策」と表現されているが、先に紹介したように経済財政諮問会議が策定したのは「改革加速のための総合対応策」である。あくまで改革の加速である。総合デフレ対策ではない。内容的にもそうである。今の日本経済に対する喫緊の課題はデフレ対策である。デフレの克服なくして不良債権の解決もない。デフレの中で、不良債権は日々拡大しているのである。アメリカにしても、アメリカ資本の商売の対象である不良債権の処理を迫っているとはいえ、それ以上に日本のデフレ対策が本気で実施されることを注視している。でないと、不良債権を買い付けても商売にならないばかりか、対イラク戦争を前にして、アメリカ経済自体が株バブル崩壊の様相を深めてきている時にあって、日本とヨーロッパに景気回復への期待を強く要求しているのである。ところが、今回の策は、決して総合デフレ対策ではなく、あくまで小泉改革を進めるためにやむなく必要とされるセーフティーネットをそれなりに整えようとするものにほかならない。「総合デフレ対策」は、2002年度補正予算の編成に関わるものであり、「国債30兆円」枠の問題と合わせて、小泉首相のもっとも嫌っている問題ということであるらしい。日本経済の危機対策よりも、自己の政治的主張のほうが大切のようだが、そこにこそ日本政治と経済の深刻な問題がある。
 今や、竹中平蔵経済財政・金融担当相は「抵抗勢力」から袋叩きにあっている。あまりにも見事なアメリカを手本とするハードランディングの手法を、異なった意見と調整することなく秘密裏に確立しようとするやり方からはそれもまた当然とも思えるが、問題の根源はそこにはないようでる。小泉首相が竹中担当相に一見丸投げしているようではあっても実はそうではなかったのだ。財政を含む総合策についてはその策を委ねなかった事情は、10月19日の朝日新聞の記事に出ている。見出しにはこうある。「消えた『30兆円枠』外し」、「竹中改革案首相受けず」。そのため、当然痛みのみの政策となり、竹中担当相が批判の矢面に立たされる結果となった。11月1日の日経新聞の「デフレ対策の舞台裏」の記事でも、竹中担当相に小泉首相が任せていたのは、金融に関してであり、新規国債発行「30兆円枠」を崩すことになるような大型の財政出動を伴うデフレ対策ではなかったという。しかもその任せた中身には、与党との調整も含めていたという。恐らく竹中担当相は、不良債権処理の加速には相当なデフレ要因を生じかねないことは分かっていたと思われるが、その方面への抜本的な対策は予め封じられていたことになる。その結果が、不良債権処理の突出した対策となってしまったのである。しかも与党との調整などの政治的駆け引きは、政治家ではない学者大臣が十分こなせるものではない。この日経新聞の解説記事がその通りであれば、今回の不良債権処理加速策とそれに伴ういわば善後策としての「総合対応策」は、基本的には小泉首相の枠組みの中で固められたものであり、竹中担当相への攻撃は的を射たものではないことになる。こうしたことから、小泉首相とその内閣には、根本的にデフレへの危機意識はないことになる。本当に恐ろしいことではある。同様の記事は、

 第三の小泉内閣の政治システムの狭隘さである。リーダーシップというものは、本来、異なった意見や立場のものをも包み込んで誘導していくものである。狭い同好の志だけで物事をまとめ、進めるものではない。異なった意見や立場のものとの議論によって潰れる程度の政策であれば、それはその程度のものであろう。今や我が国を壊すのか再生させるのかの瀬戸際である。密室での作業で進路を決められたのではたまらない。オープンな議論と説得の熱意がなければ今の大事は乗り越えることが困難である。今回の不良債権処理加速策の策定は、まさしくそうした悪い例にほかならない。根本となる理念作りにはいわゆる同士が集まって練り上げることがあってもいいだろう。しかし、公的な場における政策作りには、当然相対する意見の所有者を同等に配置するのが民主主義のやり方である。それをしないということは、公的な場の私物化ということになるし、また、元々反対意見を包み込むだけの度量や器量がないことになる。政治的には許されないことであろう。
こうした傾向は、結局小泉内閣の基本的な運営手法が、自民党多数派との対決状況を作り出すことのよって、「抵抗勢力」と戦う姿を演出し、それでもって国民の支持を得ようとするやり方であることから自ずと生じてくるのであろう。経済の現実を直視するのではなく、硬直したテーゼを看板に、それとの対比で政治を進めようとすることにある。

 第四の問題は、そのことに強く関わる。こうした、硬直したテーゼを掲げ、それに対して与党内から異論が顕在化すると、その「抵抗勢力」と必死で戦う小泉首相の姿が鮮やかになる。当然野党の存在意義はなくなる。与党と小泉首相との戦いも半端なものではなくなってくる。が、先にも述べたように結局自民党の支持率も高くなり、選挙では小泉人気がものをいう。自民党の勝利となる。青木参院自民党幹事長がそうした小泉首相と自民党との矛盾し助け合う姿を遺憾なく表している。すなわち、現実の日本経済がどうなるかはともかく、今の小泉内閣と自民党とのえもいわれぬ矛盾した関係が、それはそれで意味を持っているのである。文句をいい、批判しながらも小泉首相に依存している関係は、こと選挙を前提に考える限り合理的選択なのである。こうした事情をよく示す例として、青木幹雄参院自民党幹事長の国会質問とその後の小泉首相との「手打ち」によく表れている。10月22日の参議院代表質問で、小泉首相に「トップダウンにしても一方的過ぎる手法には批判が出ている」、「首相に一番欠けているたのは経済問題へのリーダーシップだ」(日経10/23)とまさに与党にあるまじき厳しい指摘をしている。この経済の難局にあって、経済問題に対するリーダーシップの欠如は首相としての致命傷であるが、どうもそれはあくまで国会質問上だけのことらしい。その翌日の夜には青木幹事長ら参議院の与党幹部と小泉首相とが会食して「手打ちを演じ」(時事通信10/24)、席上、小泉首相は青木氏に「いいたいことを言われて、すっとした」と声をかけ、「けんかできるのは信頼関係があるから」と蜜月ぶりが強調されていた(朝日10/24)という。まさに国民を馬鹿にした話ではないか。
 こうした芝居じみたやり取りを見ていると、一方では改革の名のもとでの破壊行為、他方ではそれに抵抗する橋本派に代表される旧利権政治の継承者。国民は一体誰に、何処に依存すればいいのだろうかということになる。自ら立つ以外にないことを逆説的に強制されてきていると捉えるべきなのだろう。

 最後に日銀と政府との関係である。日銀の通貨政策上の疑問については既に各所で触れてきた。日銀が政府から独立している今、日銀が責任を負うところは極めて抽象的である。日銀の独立は独立で問題があるが、政府の政治的恣意に通貨政策が左右されるのもまた問題がある。今回の不良債権処理策がまとめられる過程では、10月11日に日銀が提言した「不良債権問題の基本的な考え方」もそれなりの重みを持っていたのであろう。これに対してかどうか、政府サイドからは竹中担当相から政府と日銀との「政策協定(アコード)」が提唱されている。今、日銀が構造改革や不良債権処理を政府に迫り、政府からは、金融緩和やインフレターゲット導入によるデフレ対策を日銀に振るかのような状況が見える。大きくは日銀の通貨政策も何らか政治のコントロールのもとにおかれるべきだとは思いつつも、政治にその見識のないときいたずらに通貨政策が政治に左右されることはかなり危険の伴うことである。過去の日銀の通貨政策をめぐっても、大蔵省のもとで、公定歩合の上げ下げで相当な問題があったようであり、バブルに至る過程やその崩壊後のあり方の失敗の一因にもなっているとの指摘もある。今や、小泉内閣の経済政策の失政が日銀に転化されかねない面もないわけではない。日銀の責任性のあり方と、日銀のコントロールのあり方はなかなかに難しい問題である。政府との距離のとり方、国会との関係、国民に対する情報開示と責任など検討を要する問題である。


2002.10.15

  今日の表情はよかった。小泉首相も!

 多言は必要なし。北朝鮮から一時帰国の5人の方々、それを迎える家族や知人の方々の表情。そして小泉首相の表情と言葉も、今日はよかった。いつも小泉首相の批判ばかりしているので、今日はよかったと感じたことを記しました。
 そして一言、憶測や推定ではなく、実際に対面することの大切さがよく表れていました。感激です。


2002.10.13

  掛け値なしに 素直に喜べた「島津の田中さん」ノーベル賞受賞決定

 いらつき、病気になりそうな昨今の状況の中で、これほど素直に、自分自身のようにうれしくなった。それは、田中耕一さんの飾らない率直な物言いと表情からくるものであろうか。或は、隣の“おに−さん”のような雰囲気からなのだろうか。考えればいろいろある。
 これまでのノーベル賞の受賞者は、既に名のある学者であり、それなりの地位も権威もあった。田中さんは、サラリーマン研究者で「田中さん」なのだ。権威の埒外ということが大きな要因の一つだろうか。
 島津製作所というのもよかった。我が京都の明治以来の近代化を担ってきた近代京都の代名詞の企業。一企業でありながら広大な裾野を形成する地場産業群のチャンピョン企業。いかに優秀な企業であっても、点として存在している企業ではなく、京都そのものの企業、そこでノーベル賞受賞者が誕生したことの意味は、京都にとってははかりしれないものがある筈だ。常に日々の最大限利潤を追及し、競争や合理性、絶えざるスクラップアンドビルドの中におかれた企業の中で、よくは分からないが、京セラやロームなどにはない、ある種のゆとりのようなものが島津製作所にはあったのだろう。失敗によって成功が生まれたとは田中さん本人が強調されていることだが、現実の職場ではなかなかそうした心のゆとりは持ち得ないものだ。ご本人の努力や才能がまず第一には違いないが、その環境を島津製作所が有していたこともうれしいことだ。
 そのことは、競争関係を大前提とする小泉構造改革とは対極関係にある。ある種の“変人”という意味では、もうひとりの受賞者の小柴さんと小泉首相の三人は、「三人の変人」としてカメラにおさまったのかもしれないが、小泉首相と田中さんとは本質的に違いすぎる。田中さんは、研究没頭型なのに対して、小泉首相は世論調査支持率気にしー型で、集中性が高いとは見えない。田中さんは、ご自身で指導者タイプではないと自覚されているが、小泉首相も本来孤立型でリーダータイプではないのに一国の首相という最高の指導者の役割に自らを置かれているが、そこのところの自覚をもたれているのだろうか。小柴名誉教授や田中さんが、小泉首相に、基礎研究には国の支援が必要で、その成果は二年や三年で求めるのではなく、十年以上のサイクルで考えなければならないという意味のことをいわれていたが、これなど小泉内閣の教育改革とは全く対極にある考え方ではないのか。
 これまでの我が国のノーベル賞受賞者には京都大学ないし京都大学出身者が多く、ために自由な精神というものが強調されていたように思うが、民間企業の中にもそうした要素があったのだろう。なんでもかんでも民間の経営に学べという今の功利主義的な風潮の中で、遠い先を見通した自由で創造的な精神は、改めてその価値を認められることになればいいのだが。
 会社として、田中さんの処遇をどうするのかなと興味を持っていたが、やはり役員待遇にされるようだ。あくまで待遇であって、仕事自身は、ご本人の自発性に待つ現場の研究が継続されることが大切だろうし、ご本人にはそこにぶれがないのも好感の持てるところである。人生は確実に変わらざるを得ないだろうが、会社も周囲もこれまで通りの研究生活の継続ができるように心することが大切なのではないだろうか。
 それにしても、小泉首相はご満悦で、「日本も捨てたものではない」、「いや大したものだ」といわれていたが、これなど一国の首相の言葉とは思えない。日本の最高責任者が、では、今回のノーベル賞受賞がなかったら「日本は捨てたもの」だったのかと反射的に反論したくなった。と同時に、「大したものだ」という日本は、小泉構造改革による日本ではなく、これまでの日本であることに気付かなければならないのではないか。
 それにしてもうれしさはこみ上げてくる。田中さんを、昨今の風潮にみられるように、過剰人気で「殺してしまう」ようなことにならないように、マスコミ関係者には十分注意願いたいものである。

 


2002.10.13

  戦慄の小泉改造内閣

 小泉改造内閣の顔ぶれを見て、正直なところ戦慄がはしった。はたせるかな、改造内閣誕生とともに株価はさらに下落を続け、10月7日現在、バブル後の最安値を記録した。これは、小泉改造内閣の評価を現実が遺憾なく示したものといえよう。
 今回の改造劇の目玉は、なんと行っても柳沢金融相の更迭と、竹中経財相の兼務である。そしてその狙いは、不良債権処理を、アメリカの要請により、一気に進める。それによる銀行や「不良」企業の潰れはいとわない。が、一般国民の動揺を和らげるために、つい先日まで、あれほど完全に実施すると言い切っていたペイオフの完全解禁を延期するというのである。これについての小泉総理のまともな弁明はない。小泉総理の頭の中はどうなっているのだろうか。つい感情的になってしまいたくなるほどの展開であったが、ここでは、「冷静」に今回の改造劇を振り返って、今後の心構えを作りたい。

 今回の内閣改造劇での最大の問題点は、大臣登用にあたっての踏絵である。構造改革断行という基本方針に従わないものは登用しないということ。その基本方針は、9月27日に小泉首相から与党3党に示された(内容は後掲)。その中で目に付くのは、デフレの克服が取り上げられているけれども、主眼は今後2年間で、すなわち「2004年度には不良債権問題を終結させる」ということと、来年4月に発足する郵政公社を「郵政民営化の第一歩として位置付け」るというものである。これらの問題は、デフレ対策が、あたかも不良債権処理の手段となっていることと、現在から今後の経済状況の中ではたして不良債権処理の期間を予め2年間という機械的な期限を切って進めることの是非の問題、また先般の国会答弁で結局、郵政公社を民営化の第一歩とするという意思表示をしなかったにもかかわらずまたぞろここで表示したことにある。
 さて、内閣改造そのものは、構造改革一点張りの小泉内閣に対して、与党・自民党の多数派からの経済財政政策の転換と新たな入閣期待からかねがねその声があがってきていたことに対して抵抗しつつも自民党の党役員改選期に合わせる形で、直前には極めて「小幅」で果たして内閣改造といえるのかとの予想の下に実施されたのものである。結果は、そこそこの数が入れ替わっていて、それはそれなりの問題をかもしたようだ。入れ替わりの目立ったところでは、柳沢金融相は別格として、武部農水相と中谷防衛庁長官であった。この二人はBSE狂牛病問題と防衛庁リスト漏えい問題でともに通常の内閣であれば更迭されていたであろう方々であったが、大木環境相は、川口氏が田中真紀子外務相更迭の後任に就任したことにともなって就任してまだ日も浅いにもかかわらず今回更迭されたのは、もともと数合わせであったのか、「一内閣一閣僚」の趣意からしておかしなことではある。
 今回の改造劇は、竹中経済財政担当相が金融担当相を兼務するという非常にショッキングな面とともに、総じてその評価は芳しくない。中曽根元首相を始め「人事べた」という評価や、イエスマンを揃えたという評価、二世、三世議員内閣だという評価などがそうである。そうした面もさることながら、私には、次の二点が強く感じられた。
 1点は、基本方針という「踏絵」、もう1点は、経済問題に対する認識の欠如である。
 内閣改造にあたっての「基本方針」では、本来政策上の問題を人事でもって従わせるやりかたはとんでもないことである。ましてやこの「基本方針」は、小泉首相が単独で作成したという。そこには、リーダーシップ性に対する誤った理解とともに、党の総裁や政府の総理大臣というものは一体何なんだという本質的な問題を孕んでいる。また、政策は、議論を尽くすことによってたてられるべきもので、如何に最高責任者といえども、人事でもって従属させるものではない。そこには、度量の狭さがある。また、政治はいうまでもなく異なった見解の存在を前提とするものであるが、金融庁に設置された竹中金融相の「金融分野緊急対応戦略プロジェ口チーム」にしても、朝日新聞を始めとする新聞解説を見る限り、不良債権処理に対する強固派で固めるという同類者が集められていて、結論が先にわかっているようなプロジェクトであるがゆえに、すぐさま市場が反応して銀行や危惧される企業が中心となって株の下落が進行している。
 リーダーシップというものは、本来異なった意見を包み込んで束ねていくものでなければならないにもかかわらず、同類を集めて他を排除し、政策を人事に従属させるやり方では、経済や社会の本当の実態を把握することは困難であろう。党の総裁、国家の総理というものは、機構の上に存在するもので、純然たる個人ではない。如何に問題を抱えていようとも、機構を活用し、機構を動かすことによって、権力者の内実を形成していかなければ、単なる個人の恣意的な遊びに帰してしまう。膨大な、気の遠くなるような情報と組織の中で、単なる一個人の如何にはかないものかを知らなければならないのである。権力機構というものは、ある意味で、そこに君臨すれば誰でも当座は君臨できるものであるようである。
 2点目の経済問題に対する認識の欠如には目を覆いたくなるものがある。いろいろ批判はあったものの、柳沢前金融担当相は、銀行経営の体質改善について、時間をかけたソフトランディングを考えていたようでる。これに対するに、竹中経済財政担当相は、不良債権処理を一気に進めるハードランディングの主張者である。経済学者や経済評論家としてのスタンスならばともかく、政治責任を預かる立場になったとき、果たしてハードランディングの手法が講じられるものなのだろうか。小泉首相のスタンスは基本的にはハードランディングではあるが、柳沢金融相の時代にあっては両者どちらの立場にも軍配を上げず、ペイオフ全面解禁の実施と決済性預金の全額保障に見られるように、銀行対策では柳沢金融相のサイドに立っていた。そのことが小泉内閣の矛盾点として存在していたが、それはある意味でのチェックアンドバランスの機能が働いていたともいえた。しかし、今回の柳沢金融相の更迭とあろうことか竹中経財相の兼務によって、不良債権処理の加速化への舵を一気に切ることになった。つい先日まで、小泉首相自身がペイオフ完全解除はやると言い切っていたにもかかわらず、その完全解禁実施も2年間延長を早々と決定した。これなどは、明らかに小泉首相の180度の政策転換であるにもかかわらず、そうした認識は首相にはなさそうである。不良債権処理という従来課題の加速化が全てで、ペイオフ問題はそのために生じる単なる処理問題なのであろう。そこには、悪化の一途をたどる現在の日本の経済事情やその国際的環境そのものが同様に景気後退とデフレへの傾斜を深めつつあることに対する危機意識というものはないのでは、とさえ思えるのだが。
 そこで、ペイオフに関する小泉内閣の最近の動向を振り返ってみよう。
 3月15日 金融庁、ペイオフ前の破たん処理終了
 3月18日 ペイオフ準備ほぼ完了(森金融庁長官)
 7月30日 決済性預金の保護策を柳沢金融担当相に指示(小泉首相)
 9月5日  金融審議会が、決済性預金の保護策を答申
 9月20日 金融庁、ペイオフ完全解禁を5ヵ月延期し、来年9月にする方針を全国銀行協会に伝える
 9月30日 内閣改造
 10月4日 ペイオフ全面解禁を見直す考えを表明すると共に、不良債権処理の加速策を竹中金融・経財担当相に指示(小泉首相)
 10月7日 小泉首相がペイオフ全面解禁の2年間延期を言明、経済財政諮問会議で延期決定
 10月7日 ペイオフ全面解禁延期は「政策転換ではない」(小泉首相)
 10月8日 ペイオフ全面解禁延期は「政策転換なのではないか」(石原行革担当相)
 10月8日 「政策転換ではなく、政策強化」(福田官房長官)
 この経過を見れば、小泉首相が正直でなく、問題の核心を明らかにしていないことが分かる。
 かつて、小泉首相は、株価の下落に対して、一喜一憂しないといっていたが、今日10月12日のニュースでは、深刻な株価の下落の続く中、補正予算をめぐる記者への答弁で、景気対策としての補正は組まない、「様子をみてから」と発言しているが、経済状況の先行きに対する分析というものはないのだろうかと心配になる。結果でしか策を打てないようではどうしようもなくなるのではないだろうか。
 ここまで深刻となってきた経済問題に対する処方箋は容易ではなく、またその対策も必ずしも直線的な唯一の策があるわけではない。ある意味であらゆる手だけを行使し、政府としてのデフレを克服するという明快な意思を示すことも必要だろう。スローガンではなく、率直に問題点を明らかにし、異なった見解とも議論を重ねなければならない。同様のことは、北朝鮮との国交正常化問題にもある。いかに首相とはいえ、ひとりの決断だけでで物事が達成されるわけではない。正常化交渉にいたる諸問題、正常化そのもののあり方の問題、正常化後のあり方の問題、これら全ては日本国民全員の問題であり、一小泉首相だけの問題ではない。経済やこうした問題の対処の仕方を見ていると、それは政治のあり方のゆがみの問題であることが分かってくる。それは、小泉首相ひとりの問題ではなく、小泉首相、首相になる前からこういうキャラクターであることは分かっていたはずなので、問題は、抵抗勢力に擬せられている橋本派を中心とした自民党多数派の姿勢に根本的な問題があるのかも分からない。
 世論調査というものがどれほどの意味を持つのかについては種々の意見があるものの、小泉政権が世論調査の支持率の支えられ、その結果、自民党をぶっ潰すと叫ぶ小泉自民党総裁の下で、奈落の底に落ちかかっていた自民党の支持率が大きく復元しているのも現実である。自民党内が敵味方に分かれ、闘うような擬似行為が、結果として野党の存在意義そのものを否定してしまっている。与野党共に、政治家たるものの主義と行動の難しさはかつて例を見ない状況となっている。必要なのは、経済の構造改革ではない。経済は基本的には企業に任せておけばいい。政治、行政からの下手な介入はかえって問題を複雑にし、規制緩和や自由主義経済を掲げながら、やっていることは国家統制のようなものになりかねない。政府の責務は、セーフティーネットの整備にこそあるはずだ。本当に必要なのは、政治の構造改革である。その道は長く平坦ではない。その根本は、本当の意味での国民一人一人の自立にあるのだろう。小泉政権が構造改革で掲げるほど、「自立」や「自己責任」という問題は生易しいものではない。極論すれば、明治以来今日にいたるまで、国家統制の下でのお利口な国民であることが要請されてきていた。「情報公開」はそれなりに進んできたとはいえ、いまもって、肝心要の核心にふれる問題については明らかにされない。にもかかわらず、財政的に困難になってきたから、突如として「自己責任」である、というのでは、あまりにもご都合主義であろう。「自立」や「自己責任」の問題は政治家にもいえることである。“日本の民主主義いまだし”の感はぬぐえないが、まだまだ数十年の時間は必要なのであろう。模倣や、ひとりの人間の頭脳からの改革ではなく、今ある状況を大切にしながらの、漸進的な成長を試みる、それが政治というものではないのかと思うことの多い最近である。また述べる機会があるとは思うが、「私」と「公」、「民」と「公」これらの関係が今や混乱の極みにある。アメリカを見ていると、「私」の集合としての「公」なんだな、とつくづく思うようになった。日本の場合とはやはり大分違うようである。単純な比較からの模倣は止めなければならないように思う。

[参考1]
  小泉首相・内閣改造の「基本方針」(毎日9/27)
 昨年4月以来1年5カ月にわたり構造改革に取り組んできたが、これまでの経験と成果を踏まえて「改革なくして成長なし」との路線を確固たる軌道に乗せていく。このため以下の方針に基づき、構造改革を進めていく新たな体制を構築する。
1 経済の活性化 これから半年間で構造改革を加速させるための政策強化を行う。日本経済を取り巻く不確実性を除去し、政府・日銀一体
となってデフレ克服に取り組み、04年度には不良債権問題を終結させる。
2 行財政改革 肥大化した公的部門の抜本的縮小に引き続き取り組み、「官から民へ」「国から地方へ」の流れを一層加速することにより、活力ある民間と個性ある
地方が中心となった経済社会を実現する。道路公団改革については道路関係四公団民営化推進委員会の最終意見を尊重する。郵政公社を郵政民営化の第一歩とし
て位置付け、その準備を進める。
3 外交 国際協調を重視し、わが国の平和と安全を確保する。特に北朝鮮との国交正常化交渉を再開し、地域の不安定要因の除去に努める。

[参考2]
  内閣改造後の株価動向に対する新聞紙上での主な解説記事のタイトルを見るだけで、小泉改造内閣の状態が分かるようだ。以下にタイトル部分を紹介したい。
・「市場、問題企業狙い撃ち 一週間でダイエー半減、UFJ4割減」(毎日10/8)
・「ペイオフ延期 首相の説明責任浮上 『宣言』せずどう転換?」(朝日10/4)
・「『竹中路線』おびえる市場」(京都10/8)
・「竹中発言に翻ろう 破たん処理 大手行も例外扱いせず いらだつ市場」(読売10/8)
・「ペイオフ2年延期 不安誘う迷走金融庁」(毎日10/8)
・「市場に竹中ショック 発言先行で混迷 具体的針路示さず」(毎日10/8)

竹中担当相の金融庁プロジェクトチーム10/3発足に対して
・「荒療治?震える市場 資金注入へ“竹中色” 倒産不安銀行お手上げ」(朝日10/4)
・「企業淘汰の強硬路線 前途多難 市場警戒、株価急落 首相無策のツケ大きく」(毎日10/4)


2002.10.05

 デフレ 不良債権 イラク攻撃 北朝鮮:拉致問題

 過日の9月17日の夜、テレビのスイッチを入れると同時にニュースに現れた小泉首相と金正日総書記の「平壌宣言」調印時の表情があまりにも硬く、なぜに、と思ったのだが、果たしてそれが予想もしなかった拉致被害者の多くの死亡に起因してのものだった。それにしても直前のマスコミ報道の甘さはなんだったのだろうか。と同様に、小泉首相と外務省の甘さも指摘されよう。そもそも私たちは、北朝鮮について、いかほどに知っていたのだろうか。アメリカが「悪の枢軸」に北朝鮮を加えていることのその実態について、いかほどにその内情を承知していたのであろうか。
 現在の日本は、この北朝鮮との国交正常化とそれに関わる拉致問題に加えて、デフレ対策、不良債権処理=公的資金投入問題=金融システムの安定、そしてアメリカのイラク攻撃問題が差し迫った問題となっている。さらに加えて、おろそかにできないのは食品と生活の安全問題もそうである。
 これらは、ある意味で全てつながっている面があるが、それに対する政府の対応の仕方というか政府の体質において共通するものがある。それは何かというと、真相が容易にはわからないということ、政府の対応が、オープンなようで決してオープンではないということである。しかも、アメリカの意向によって余りにもあからさまに左右されるというのもいただけない点ではある。構造改革などは喫緊の課題ではない。

 目下のわが国の最大の問題は、デフレである。1990年代の半ば頃から進行しだしたデフレ現象は、今やスパイラル化しつつあるが、かろうじて自動車産業とアメリカのコンピューターとそれにかかわる情報産業の活性化によって破局を免れてはきたものの、最近のアメリカ経済の低迷によって、その条件も失われつつあり、今や極めて危険な状態に陥りつつある。デフレに対する認識を持とうとしなかった小泉内閣も、さすがにここに来て、アメリカやヨーロッパ、更には途上国からのデフレ対策への強い要請を受け、先ほどのG7では、国際公約としてデフレ対策を講じなければならないことになった。
 さて、そこで不良債権問題と銀行に対する公的資金注入問題である。アメリカがかねてから不良債権の早期処理を督促していた理由の大きなものとしては、アメリカ資本によるその買い付けとその処理後の売却などによって商売が成り立つといういわゆる外資の要請があったが、それも昨今のデフレの中ではそうした商売自体が成り立たなくなってきていて、デフレへの対応を要請するようになってきている。しかし、小泉内閣の看板は今もって「改革なくして成長なし」である。今の我が国の差し迫った課題は、デフレに対していかにストップをかけるかだ。「改革、成長」は次の段階のはずだが、そこに、「痛み」というものを感じない何かが今の小泉内閣にはあると思わざるを得ない。
 デフレと不良債権問題と金融システムの危機とは密接に関係しているものの、そしてまた、今日のデフレ現象が、バブル崩壊後の政策ミスによるところが大きく、バブル崩壊後の問題を継続させているとはいえ、いわゆるバブル崩壊に起因する不良債権の大方は既に解消されていて、今日抱えている銀行の不良債権なるものは、バブル崩壊後の不況とデフレ現象の中で拡大してきたものである。したがって、不良債権なるものは、デフレが進行するかぎり今日から明日へと止めどなく膨らんでいく。
 バブルとその見事なまでの崩壊、崩壊後の止めどなきデフレは日銀の金融政策による急ブレーキが大きく作用したようであるが、目下のデフレのスパイラル化は、急激な公共投資削減を中心とした財政の引き締めにあるのは明らかである。バブルの経験は、経済全般のみならず、個々の企業活動においても、政府、行政にあっても、また一人ひとりの国民にとっても弛みや退廃をもたらすことになり、そうした体質の悪化が今日なお尾を引いている面も多いには違いないが、最大の原因は、橋本内閣下での財政構造改革によるブレーキ、その失敗を受けての小渕内閣と森内閣による豊満財政、そして今度は小泉構造改革内閣による再度の急ブレーキと、経済の実態よりも、政策の反作用的な振れの中で、極めて政治的な思惑からの対策がとられてきたのがここ十年近くの状況である。
 なるほど構造改革は「痛み」を伴う。小泉総理はそのことを明確に述べてきた。世論調査ではその小泉内閣を今も高い支持率で支持している。果たして国民はわかっているのだろうかと疑問を抱きたくなるような気持ちになる。「痛み」は、デフレとして、企業を壊し、それまで基金で運用されてきた多くの公益的な財団法人の経営を破壊し、個人の生活を破壊する。しかし、健康保険や失業保険、年金、失業対策や雇用促進などいわゆる社会的なセーフティーネットはアメリカから指摘されるほど弱体であるにもかかわらずさらに弱体化されつつある。多くの国民は果たしてそれらを了解しているのだろうか。
 金融システムの安定を確保するという表現は、もう一つ分かりにくいのかもしれない。要するに金融システムが危ない現状すなわち銀行経営が困難となり、つぶれる銀行が出るばかりか、銀行融資そのものが機能しなくなる現状をいかに救うかが「金融システムの安定」というのであろう。ことの是非はまだ分からないが、柳沢金融担当相が、公的資金の直接的な注入に同意せずに更迭された今回の小泉内閣の改造劇は、最大のポイントであったし、そこに、批判を受けていた柳沢金融担当相の「痛み」を感じる信条と小泉総理の「痛み」感じない心情との違いを見たような気がした。風評が銀行を潰すことになるのは過去の歴史が示している。
 銀行業界はどうしているのだろうか。新聞等においても銀行業界の声は見えてこない。銀行業は今や預金の出し入れや決済などの為替業務だけになってしまうのだろうか。いかにバブルで悪行があったとはいえ、この経営の困難な時期に、さらに政府の手立ては、間接金融から直接金融へ、すなわち、銀行融資から証券への金融シフトの変更である。このように銀行業務の総量を減少させながら、銀行が多すぎるともいっているのは全く逆転した言い方である。銀行業界はこうして破壊されても、バブルの「悪行」から当然のこととして見過ごしていいのだろうか。その結果は、庶民の生活をも直撃しつつあるし、郵便貯金の民営化はまさにその延長にあるものなのである。
 まず銀行と弱体企業の淘汰から始めるのではなく、とにもかくにもまずデフレ対策が喫緊の課題である。この順序を逆にするわけには行かない。それは、政治は、すべからく「痛み」を和らげ、ソフトランディングするためにあるからである。政治が破壊に追い討ちをかける必要はない。強者は、インフレで設けるばかりではなく、デフレでも設ける。デフレに、さらにその先の恐慌に生き残るもののみが正義であるかのような政治は間違いであろう。ただ、国民がそれを支持するのであればそれも一つの選択ではあるが。弱者を淘汰することが完了すれば、やがて再び成長は始まるのだから。
 我が国のこうした経済の状況は、いうまでもなくアメリカの経済の影響を受けている。そのアメリカの経済も今やITと株価のバブルが崩壊過程にある。加えて、イラク戦争である。アフガン戦争は一応終結したような状態にあるとはいえ、アフガン国内とその周辺国の安定にはどれだけの時間を要するものか見当もつかない。パレスチナ問題もある。テロ戦争はフィリピンやインドネシア、その他の国にも波及している。戦争の拡大は、同時に世界恐慌への道ともないかねない。日本に要請される支援費なるものもいかほどのものに膨れ上がるか見当もつかなくなる。北朝鮮との国交正常化は、そうした意味ではきわめて重要な意味をもつには違いないが、それだけに、秘密裏の交渉の積み上げがいかほどの意味を持つのだろうか。新聞を丹念に読めば、外務省と官邸のそれぞれ数名程度しか関わってなかったようだが、いかに隣の国とはいえ、その中枢部の内情が全くわかっていない国との国交が、しかも現実には多くの関連する諸問題に取り巻かれている中で、国民的な議論をせずに果たして成り立つのであろうか。
 金総書記との会談と宣言調印にいたる瞬間は、小泉総理自身が考えもしなかった厳しい局面での日本国のただ一人の総理として、極度の孤独と威厳との狭間に直面し、それを乗り越えられたものと考えられる。調印それ自体の判断は是とするべきだと考える。が、訪朝に至るまでの過程は賛同できるものではなかった。秘密裏にことを進め、拉致問題を正常化交渉の条件に設定したのは小泉首相自身であった。あまりにも北朝鮮問題を甘く見すぎていたのであろう。正常化交渉後の北朝鮮の安全保障にかかる動向や具体的な国民間の交流など、経済支援に関わる産業界の動向などよりも、日本の安全を確保しつつ北朝鮮を国際社会に参加させる具体的な道筋は、数名の知恵ではなく、大多数の国民や国際社会との具体的協議の中で定まってくるものである。拉致問題に見られるように、国民一人ひとりの覚悟を必要とする問題なのかも分からないのである。
 小泉内閣に必要なのは、断定的な言葉ではなく、本当のところを率直に語りかけ、問い掛けることではないのだろうか。自分の意図を貫くための方便ではなく、国民の総意を形成することに努力することではないのだろうか。「抵抗勢力」と称される政治家のほうが、庶民の利害を代表している場合が多いような気がしたりするのである。物事はすべからく黒か白か、正義か邪かというのではなく、灰色や正邪どちらでもないということのほうが多く、白は白なりの、黒は黒なりの進め方というものがある。手遅れとなってしまったデフレ対策にはもはや決め手はないといわれる。考えられるあらゆる手立てを講じるべきであろう。常に対立者をつくりあげるというような安物の芝居仕立てで政治的評価を得ようとするのではなく、日本のために本当に捨て身になるのなら、一部分の学識者にではなく、大多数の国民に耳を傾けるべきだろう。そのためには、国民に対して、本当のところをもっともっと公開すべきではないだろうか。日本の国は、単純な用語の中にあるのではなく、今や深刻な迷いの中にある。構造改革は為政者の心の改革から始めなければならないものとつくづく思う。


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