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<小泉宰相論:番外編>

田中真紀子外相更迭騒動と政局を読む

  一国民として真偽をどう知るか の試みとして

   事の真偽と政治的問題点を考える

<趣旨>政局の危惧と真偽の判断
 アフガン復興支援国際会議での一部NGOの排除問題をめぐる田中真紀子元外相の発言に端を発した「言った言わない」の問題が、思わぬ大きな政局問題に発展してきている。小泉改革をめぐる問題が、単なる政治次元にとどまらない、戦後日本の経済・社会構造にかかわるだけに極めて注目してきたが、今回の田中真紀子元外相をめぐる政治の展開は、その根底をある意味で照らし出すものといえる。
 政治経済を構造的に変えるには、それ相当の強く安定した政治基盤を必要とする。うたかたのような世論調査による内閣支持率を充てにすることは本来できないはずである。力強さと将来への持続性がない政権による構造改革は、いかに進めようとも、その結果責任を誰も負うことができないからである。小泉政権が2年後にも存続している保障はどこにもない。恐ろしいことである。次の政権は果たして何を言い出すのだろうか。これまでの政権がそうであったように、小泉政権もうたかたの政権であると見たほうが現実的であるはずだ。にもかかわらず、政権成立の当初から、何か絶対的な真理や正義を遂行するような政権の構えが演出され、マスコミもその雰囲気づくりに精を出してきたと言っていえないことはない。が、ここに来て、小泉政権批判が噴出し始めたようだが、そして、田中真紀子元外相が一端ついえ去ったかに見えたもののあたかもヒーローのように脚色されてきているのを見るにつけ、日本政治の危うさを深刻に感じざるを得ない。
 あまりにもうたかたのような感情に流れていて、何が事実であり、何が虚偽であるのかさえわからない状態、また、我々国民は、何を持って事の真偽を確かめればいいのかさえ定かならざる状態にあることについて、一度じっくりと考えなければならないのではないか。時々の一時的な感情で理解できるほど政治というものは甘くない。世の中を変えるということは簡単なことではない。が、恐ろしいことには、世の中というものは、多くの感情的な風潮によって知らず知らずの間にとんでもない状態に変わってしまうものである。その変化に危惧するところがあれば、誰かがそれを指摘し、警鐘を鳴らさなければならない。世情の流れに掉さすことは容易なことではないが、世の識者には、本来その役割が期待されているのではないのだろうか。
 田中真紀子騒動とその後の政局は、こうした問題の本質を結果的に明らかにするものであり、また、それに対する認識とそれへの対応の仕方によって、日本は重大な局面を迎える事になる。そうした思いから、身の程をわきまえず、これに検証と考察を加えることにした。 我々国民が通常入手できる情報をもとに、いかに事の真偽を判断し、いかに理性的にあり方を考えるかということの実験として。

 この小さな私の生涯の生涯のテーマは、ホームページのプロローグにも掲げました以下の課題です。昨今の日本政治の現状を見るにつけこの思いは強くなるばかりです。

       ☆新しい民主主義のシステムを求めて −道徳律から 利害調整へ
       ☆個別利害から全体的利害へ=合意の形成
       ☆敵対関係から合理的調整機能の形成へ

       目     次
1.はじめに
2.田中真紀子外相更迭の経緯:何が事実か、本当は何をどう理解すべきか。
 <主な人物などについて>
◇NGOの大西健丞ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)統括責任者
◇外務省
◇鈴木宗男衆議院議員(自民党北海道比例代表)
◇田中真紀子外相
◇飯島勲総理秘書官
◇福田官房長官
◇小泉純一郎総理大臣
<検証ないし考察>
<更迭に至る「事の真偽」について>
◇NGOピースウィンズ・ジャパン統括責任者大西健丞氏の発言をどう理解するか
(1) 「お上の言うことはあまり信用していない」という表現について
(2) 外務省との関係及び鈴木宗男議員との関係並びに大西氏のスタンス
(3) NGOの理解とピースウィンズ・ジャパンについて
<NGOとPWJに対する若干の評価の紹介>について
[上坂 冬子]「未熟な人が起こした無用の混乱」(2/2産経「正論」)
[小米朝流]「NGOに税金使うな」(産経2/16「小米朝流 私的 國際学」)
◇田中外相の発言の真偽と意図
(1) 田中外相の発言内容とその真偽をめぐって
(2)田中外相の意図 野上次官更迭への執念
(3)菅民主党幹事長との「連携」
◇外務省の問題性
(1)NGO出席問題に関する外務省の責任性について
(2)機関としての外務大臣と外務大臣である一政治家との関係
(3)鈴木議員と外務省、そして官邸との関係
◇作為と小さな事実のなかで
3.内閣支持率とその後の影響
4.小泉政権の今後と併せて−結び

 

1.はじめに

 ブッシュ米大統領の小泉政権への対応は、ある意味で象徴的であった。本当は日本のデフレスパイラルを心から心配しながら、表向きは小泉政権の構造改革を全面的に支持し、何ら心配のない同盟関係を演出して見せた。日本への批判は、ほとんどなかった。これは、私自身の権力というものの理解からすれば、小泉政権は、もはや批判に絶えられない程度までの弱体化に陥っていることの証明といえる。アメリカが強い批判をすれば、政権は持たなくなるのである。事態は深刻である。

 さて、緒方貞子氏を共同議長として、成功裡に終わったはずの東京におけるアフガン復興支援会議。終わるや否や実に変な事件が発生した。一NGOの処理をめぐるトラブルが、しかもそのNGOも最終的には出席できたにもかかわらず、その蒸し返し議論が大きくなって、NGO問題をはるかに超えた次元の、小泉内閣の二枚看板の一枚、人気外相の更迭へと発展した。舞台演劇としては、一気に面白みが倍加してきた。本当の政治として、こうした世論の沸き方がいいか悪いかはともかく、事情に直接タッチしていない我々一国民は、何を基にして、それらのやり取りの真偽を判断していけばいいのだろうか。新聞解説にしても各種各様のなか、事実というものの不可思議さにたじろぎながらも、事の真偽を考察する訓練をしておかないと、いずれはとんでもない虚構性に落とし込まれかねない。そんな思いで、新聞記事をたどりながら、事の真偽に迫るとともに今後の政治的問題点を考察する試みをすることにした。今回の事件は、日本国民の今後にとって、それだけの重要性を持つものと考えるから。
 そこで、今回の事件を取り上げ、以下のような試みを実験してみることにした。
1.田中真紀子外相更迭にいたるやり取りの真偽の程を検証することを通して、小泉政権の政治的問題点を考察する。
2.真偽の検証は、新聞記事など、私たち一般国民が触れることのできる情報の比較考量に、一定の基礎的判断を加えることによって、あくまで一国民として知り得る情報の中で考察する方法を用いる。
 その理由は、これによって判断できないのであれば、国民に開かれた民主主義は根底から崩壊するし、新聞やマスコミの役割自体が、虚妄の上に成り立っていることになるからである。とはいえ、私自身は、この種の危惧をある種抱かないわけではないがゆえに、わざわざこうした手法をあえて採ろうとしているのかもしれない。


 問題は、まず、@更迭に至る「事の真偽」について考察する必要がある。ついで、A田中真紀子外相更迭による小泉内閣支持率とその後の影響をどう見るか、さらに、B田中外相更迭の背景と意味するもの、その後の国会を中心とした展開を考察するということになろう。


 流れはこうである。
 1月21、22両日、日本で開催されたアフガン復興支援会議にNGOのピースウィンズジャパン(PWJ)が外務省が出席を許可するNGOから排除されたが、そのことが新聞報道で明らかになったことから、田中真紀子外務大臣の指示で、外務省は改めて出席を許可し、最終日に出席できた。これが「NGO排除問題」ということであるが、このこと自体は、外務省にとって体裁の悪いことではあっても、通常であればよもや政局に発展するような類の事件ではなかったであろう。問題は、鈴木宗男議員の絡みの有無にあった。
 田中真紀子外相は、このPWJの排除に鈴木宗男議員の関与があり、そのことを野上次官や他の外務省幹部が自分に鈴木議員の名前をあげて指摘したと国会で答弁したことから、問題大きくなるとともに、政府与党内の矛盾として発展した。これについて、政府の調査報告書では、鈴木議員の介入はなかったということであり、田中外相は結果として「国会に虚偽の答弁」をしたことになった。
 この段階では、田中外相は、かねてから更迭したかった野上義二外務事務次官の更迭のチャンスとして、そこにねらいを定めて国会で発言していたが、そのことが、結果として、自分自身の更迭の条件になってしまった。直前には、鈴木議員は、自ら衆議院の議事運営委員長辞任を官邸に伝えていたし、野上次官も辞任の覚悟をもっていた。が、田中外相は、野上次官更迭が成功すると確信していたようであった。逆転である。

 次いで第二幕。田中真紀子外相更迭後の小泉内閣の支持率が急落し、世論調査の支持率の高さで政権を運営してきた小泉内閣の土台が揺らぎかねない状況が現出する。そして、田中前外相が国会の参考人招致質疑で、小泉総理を、総理自身が「抵抗勢力になった」というほどの厳しい発言が、多くの国民の共感をすら呼ぶという事態になってきた。一時は勝利の美酒を飲んだであろう外務省と鈴木議員は、いまや外務省改革の是非が問われ、鈴木議員は、自民党離党はおろか議員辞職にすら発展しかねない窮地に立ちつつある。小泉構造改革は、一方では、改革イメージの強化へ玉砕覚悟の突進をしかねない反面、基礎条件としてはもはや当初の改革路線は修正せざるを得ない状況下にあるといえる。デフレスパイラルとあいまって、まさにレイムダックの状況に陥ってきているとの評論は多い。

 第二章は、すでに第三章にないっているのかも分からない。「NGO排除問題」に端を発した騒動は、今や外務省をめぐる鈴木宗男疑惑全般へと飛躍していき、まさに政局へと発展した。鈴木議員一人がそれほど悪いのか、問題はもっと深い政府・自民党と外務省の体質から来ているのかがいよいよ問われだしたのであるが、その与野党の攻守をみていて、どちらに采配が上がろうとも、なにか救いのない状況に陥りつつある感はいなめない。


2.田中真紀子外相更迭の経緯:何が事実か、本当は何をどう理解すべきか。

 今回の田中真紀子騒動の直接の問題は、あくまでNGO排除にかかる鈴木宗男議員の関与如何に関する外務省及び政府の見解と田中真紀子外相の発言との矛盾である。これに端を発して、或いはこうしたことが発生する底流は、本来事柄の真偽とは別次元の問題ではある。目的が善であれば、嘘をいってもかまわないということにはならないし、国政というものは、理性的に真実を明らかにして進められていくのでなければ、かつて言われたように、「劇場国家」として「激情でもって」揺れ動いていくあり方は、21世紀にはもうやめてもらいたい、国民をばかにするやり方はごめんである、ということだ。
 しかし、いずれにしても、NGO排除をめぐる真偽と意味を探った上で、その底流及びその後の政局の展開についても考える必要がある。
 まず最初、ここでは田中真紀子外相更迭の経緯についてみていきたい。
 みていくに当たって、あらかじめ主な人物などについて触れておく必要があろう。

 <主な人物などについて>
◇NGOの大西健丞ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)統括責任者
  NGOというのは、non-governmental organizaitionの略で、非政府組織などと訳され、もともとは国連の場で、国連諸機関と協力関係にある政府以外の非営利組織を指すのに使われていた言葉が広まったもので、最近では、開発、経済、人権、人道、環境等の地球規模の問題に取り組む非政府・非営利の組織を指すのに使われています。 日本国内のNGOの数は400以上あるとされている。
  ピースウィンズジャパン(Peace Winds Japanese)は、国際的支援を必要とする戦争や貧困による難民対策を主にした外務省からの助成金も交付されている団体で、今回のアフガニスタンでも活躍していて、外務省とも現地でかかわっていた。
  NGOの活動は、日本そのものが対外的活動に関心が高くない中で、これまで一般的にはあまり知られた存在とはいえなかった。
  また、非政府組織や非営利組織といった捉え方も、阪神大震災でボランティア活動が大きく寄与するまでは、これまた一般的にはあまり目にすることもなく、市民運動そのものには長い歴史があるものの、これまでの市民運動は比較的政治に関係しており、こうした昨今の捉えかたによる政治と別次元のいわば自立したボランティア精神による市民運動に対する一般国民の認識と関心の高まりはこれからの課題であるといえよう。
  そこで、大西氏の1月18日朝日新聞での言葉であるが、民間と政府との意識の乖離というのはよく生じることであるが、公と私というものの立場の違いを承知しないとなかなかその真意はつかみにくいものである。一方的に、外務省サイドの狭量さとして受け止められているけれども、大西氏の政府に対するスタンスないし意識に問題なしと言い切っていいかどうかには若干の疑問は残る。

◇外務省
  外務省は、公金不正事件をはじめこれまでベールに包まれていたある種の聖域の官庁として、特別なステータスの中で実にぬくぬくとしていた信じられない体質が露呈されてきていた。そしてそれが、日本外交の権威見識にかかわる領域の問題にまで深まっているように見受けられるようになっていた。田中真紀子外相でなくとも、人事、会計を軸とした外務省改革は喫緊の課題である。しかし、外交は、国の利害がぶつかり合っている現在、一日も手を緩めることはできない。省内問題にのみ目を向けているわけにはいかない。外交本来の仕事をしつつ省内改革を実行しなければならないのであるが、田中外相と元々の小泉総理の意識には、そうした面は弱かったのであろう。
  さて、官僚は今や悪の巣のように思われているが、時の政権は、いかに責任を持つとはいえ、この10年来を振りかってみれば、変転の常にあり、ビジョンは示しても結果責任は全く果たせていない。官僚の弱体化と退廃は、政治の退廃から来ていることを忘れてはならないし、政治と政権が変転するとき、官僚をコケにして行政はならないといえよう。その意味で、外務省は、国家を担っているという強い自覚と規律にたって自己改革を果たす必要がある。
  今回の騒動が、単なる騒動を超えて政局にまで発展した一因には、外務省の行政官僚としての基礎的な資質の問題があった。鈴木議員と外務省との関係がいかなるものであれ、外務省が自らの責任で対処するべきときに、外部の有力者の言を利用するなどということは本来ありえないことである。恐らく他の省庁であれば、いかに有力議員の圧力を受けていようとも、外務省として執行するべき事柄は、執行の段階では自らの判断として発言し行為するのはあまりにもあたりまえのことであったであろう。これだけをみても、外務省が省としての責任を放棄している様がわかるのである。
  野上外務次官について言えば、田中外相と鈴木議員との関係が犬猿の仲であることは、あまりにも周知の事であり、田中外相の理解を得るために鈴木議員の名前を使うことなどあり得るはずはない。いかに外務省といえども、次官にまで上り詰める人物は、そこの心得なくしては絶対にありうるはずがないといえる。もし仮に、田中外相に鈴木議員の関与を言っていたとすれば、それは、何の益もないどころか、全てをぶっ壊す意図があったということで、正気の沙汰ではないことになる。

◇鈴木宗男衆議院議員(自民党北海道比例代表)
  自民党総裁選に出馬した後に自殺した故中川一郎の秘書を努めたのち、衆議院議員になり、橋本派にあって野中広務元自民党幹事長の傘の下でその手足としてよく活動していた。北海道選出ということから北方領土問題とのかかわりが深く、対ロシアとの関係も含め、外務省とは深い関係にあったようである。最近では、衆議院議事運営委員長という要職についていたが、今回の騒動で、党対外経済協力特別委員長の役職とともに辞任している。
  鈴木議員の外務省への関与と外務省の受け止めとは、極めて相対的な関係であり、このあたりの問題は、外務省の体質の理解との関係で一概には言えないものがあろう。外務省の体質が先か、鈴木議員の関与が先かの問題である。それとともに、鈴木議員の政治力が鈴木議員一人の力によるものではなく、自民党の要職を歴任し、しかも自民党最大派閥の橋本派の次代のホープとされていたことが根底にあるのは明らかであろう。
  今ひとつ、PWJのアフガン支援会議排除に至る以前から既に鈴木議員とPWJの大西氏が直接幾度か会っているということからすれば、両者の関係では互いに基本的な問題点についてはわかっているはずであり、主として問題は、外務省の対応姿勢にかかっているものと思われる。
  この人物は、田中真紀子外相とは対蹠的に、いわば地べたを這いずりながら努力に努力を重ねて今日の地位を築いてきたのであろう。その地位を築いた土壌が、自民党の古い体質の中であったところが不幸といえば不幸であった。
  かつての自民党主流派などが、小泉・田中政権誕生以来、「抵抗勢力」とのレッテルが張られ、また、小泉・田中政権の影響で、自民党に対する支持率も大きく高まることから、全体的に鳴りを潜めている中で、あえて「抵抗勢力」としての悪役を買って出ていたところは、人によって評価の分かれるところであろう。この辺りも、今回の注意すべき点である。

◇田中真紀子外相
  この人の解説は今や全く必要のないほどの有名人となってしまった。しかし、この人ほど、冷静に見なければならない人もまたないであろう。田中外相の父は、言わずとしれた故田中角栄元首相で、日本列島改造に代表されるいわばバブル期に頂点に達した土建国家の創始者である。政治家として頂点を極めるとともに、土建国家の領袖として財も成し、その財を田中真紀子は相続した。およそ庶民とは隔絶した生活にある。売りにしている主婦感覚に疑問なしとしない。
  人気を得るための演出と政治的執行能力との間には大きなギャップがあるようであるが、これは、父であった田中角栄の傍で、いっかどの政治家たちを小さく、侮って見ていたことからくるのであろうか。努力して権力を築き上げた父の基本的な側面には何ら学んでいないようである。
  人物的には、多分傍若無人の部類に入るのであろうが、この人が主婦層を始めとした多くの国民に受ける面は、実力ある政治家をコケ落とすところにあるのであろう。
  虚言癖は多分そのとおりと思われる。虚像と実像をきちっと判断することが必要であろう。
  いずれにしても、政治家たるもの、政治的執行能力抜きに、評価を下すことはできないが、そうした面とかけ離れた評価をこれほど受けた人物は他にないであろう。
  今日、先に見た鈴木宗男という地べたから這いずり回って苦労して地位を築いてきた人物が悪の象徴のように扱われ、かつてはより大きなスケールではあっても多分同様の方式で頂点に達した田中角栄を父として持った恵まれた人物が正義として扱われる状況に、矛盾のような何かを感じざるを得ないのはひがみからなのであろうか。

◇飯島勲総理秘書官
  小泉総理の演出は、多分この人がやっているのであろう。これほど代議士と一体の代議士秘書も珍しいのではないかと思われる。単なる総理秘書官というよりは、小泉総理そのものといえる程なのではないかとさえ思われる。が、田中外相更迭後、新聞や週刊誌にでて解説めいたことを述べるなど、秘書としての分をわきまえない面が現れたのは、それだけ小泉総理が窮地に立ったという認識があるからなのであろうか。
  講談社文庫で『代議士秘書』を出していおり、なかなかの役者と思われるが、日本の舵取りにかかわる政策的な見識はあまりないように見受けられる。

◇福田官房長官
  父は故福田赳夫元首相で、一見サラリーマン風で、ちょっととぼけた感じは父親似かもしれないが、強面の小泉総理の下で官邸を仕切っている状態や、田中外相とのやり取りを見ていると、なかなかに芯の強さを感じさせる。田中外相が、外務官僚とドタバタやっている状況のなかで、実質的な外交を官邸が行うことの役割を担っていたといわれる。
  淡々とした語り口や物事の進め方は、田中外相とは好対照の人柄のようだ。

◇小泉純一郎総理大臣
  日本の戦後外交史上でもかつてなく重要な時期にあって、外相がその任にないことが分かりながらも、そもそもの小泉内閣誕生の最大の功労者である田中真紀子議員の人気が内閣支持率の重要なファクターであることから、外相を更迭することなく、騙し騙し活用してきていたのが遂に限界に達したということなのであろう。外交に携わらない外相という不名誉な記録をつくった責任は、小泉総理自身にあるともいえよう。
  しかし、更迭による被害はまさに想像以上であったといえよう。なぜ、今まで更迭できなかったのかが改めて理解できると言うものである。

<検証ないし考察>
<更迭に至る「事の真偽」について>
 「お上の言うことはあまり信用しない」という言葉をどう理解するか、はそもそもの入り口だろう。表面的には、そこから「NGO排除問題」が起こり、それを捉えた野上降ろし、さては大逆転の田中真紀子更迭、さらにまたまた大大逆転の小泉内閣への大打撃と外務省と鈴木宗男議員への壮大なる疑惑へと発展した。常識的には何とも不可思議な大転回である。が、それにはそれぞれの大いなる思惑がぶつかり合っていたのであり、本当は、一言半句の言葉の問題ではなっかのだろう。けれども、目的は何であれ、嘘によって問題を進めるやりかたほど国民をコケにしたやり方はない。許されない。小さな嘘は、やがて大きな嘘になり、そして、国民は所詮は与野党に操られるだけの存在にされるのである。氾濫する情報の中から、数少ない真実の情報を見出す心得は訓練されなければできないものである。幾たびでも繰り返したいのは、政治は決して甘い、単純なものではないということである。
 まず、ピースウィンズ・ジャパン統括責任者大西健丞氏の発言の受け止め、次いで田中外相の発言、さらに外務省と外務省をめぐる諸々の関係を見た上で、田中外相更迭の経緯を検証していきたい。

◇NGOピースウィンズ・ジャパン統括責任者大西健丞氏の発言をどう理解するか
 この発言を理解するには、次の事柄が焦点となる。
焦点:・「お上の言うことはあまり信用していない」という表現をどう理解するか。
     ・PWJと外務省との関係及び鈴木宗男議員との関係並びに大西氏のスタンス
     ・NGOの理解とピースウィンズ・ジャパンについて

(1) 「お上の言うことはあまり信用していない」という表現について
 これは、1月18日朝日新聞「人」欄に掲載された記事の中で使われていた表現で、この表現は、3月4日の参院予算委員会参考人招致での答弁でも本人が認めているので間違いはない。この表現は、人によって評価が真っ二つに分かれている。民間人の自由な発言でそのことを問題すること自体が外務省や鈴木議員の専横であるという捉え方が大方であるが、他方で、NGOとはいってもPWJの場合は、政府(外務省)から相当なる資金援助を受けていて、政府を批判できる立場にないのではないかという見解である。が、参院参考人招致での本人の答弁では、そこでいう「お上」は、国連であったという。そうなると、この表現は寸足らずもいいところで、その紹介記事を書いた朝日新聞の記者ともども、あまりにも思慮に欠けているといわざるを得ない。朝日新聞について言えば、その紹介記事の見出しは「アフガン暫定政権とも渡り合うNGO代表」というのであり、これなど、お愛嬌として見過ごせばそれでいいのだろうけれども、当のアフガン政権がこれを見ればどう思うのだろうか。引っかかれば引っかかるあまりにも誇大な表現である。こうしたところからマスコミによる虚像というものが形成されるのであろうその見本のようなものである。
 参考人招致での大西氏本人の答弁からは、いわばこの問題は肩透かしを受けた感じがあるが、他方で、国連のことを「お上」といったのであれば、これこそが大問題である。
 NGOとは、もともと国連憲章によって位置付けられた各国政府から独立した民間団体なのであり、国連自体の内情にいろいろ問題があろうとも、とりわけ難民対策などは国連との関係抜きにはNGO活動はありえないのである。大西氏の個人的な動機や思いの中にいろんなものがあってもいい。けれども、マスコミに登場する以上は、社会的存在としての人物となるのであり、そうした面での未熟さは相当なものと言えなくはない。が、それはある意味で仕方のないこと、今回のような経験を通して成長していくものであろう。問題はそうなると朝日新聞にあるといえる。新聞は社会の公器であるという。記者には、当然のこと社会的な判断力がなければならない。ある人物を取り上げる場合、その人物が社会的に未成熟であればあるほど、その人物との接触の中で、結果的な教育というものがなされなければならないし、新聞に登場させるときには、誤解の生まれないように表現については慎重かつ的確でなければならない。単に本人が使った言葉であるからといって、短絡的にその言葉だけを強調して使うことはあってはならないのである。結果としてこういう事が分かった。
 大西氏本人の発言から「お上」云々は肩透かしに終わったとしても、それ以前から既に外務省や鈴木議員との接触があることから判断して、相当な意識のズレはあったのであろう。そうしたこれまでの経緯という文脈からすれば、「お上」は、外務省・日本政府を指していると見なしても決して不自然ではない。
 次に、復興会議出席拒否の問題では、大西氏は1月30日記者会見に臨んで、「鈴木代議士の圧力で外務省が政策をねじ曲げたことが最大の問題だと思う」(読売1/31)と述べ、外務省とのやり取りも披瀝している。参考人招致でも改めて繰り返されている。しかしそこには、外務省の局長といえば高官であるが、その辺りの立場の人の本来のあり方というものは理解されていないので、やり取りはやり取りとして、関与があったかなかったかの正確な証明にはならない。あくまで、大西氏本人の認識としてそうであったということに過ぎない。大西氏が、出席拒否の原因が鈴木氏にあると認識したこと自体は、当該外務省高官としては成功したということになるのだろう。この点については次に述べる。
 今日一つ大西氏の発言で取りざたされているのは「外務省はだれも北部同盟の有力者の電話番号を知らない」(読売1/31)というもので、これなどは雑談での自慢話しならともかく、報道関係者に言うべき事柄ではない。いざとなればいかな外務省でも、知り得る方法はあるであろうから。これについては実際は外務省も知っていたという説もある(上坂冬子『正論』2002.4)。これなども、未熟最上の何ものでもないが、こうした「お上」をあげつらう態度はあまり建設的な意識によるものとは思わないが、通常の社会システムのなかで働いていない、自由をモットーとした方々にはありがちな事かもしれない。

(2) 外務省との関係及び鈴木宗男議員との関係並びに大西氏のスタンス
 外務省は当初、他の幾つかのNGOとともに復興支援NGO会議の参加許可をPWJにも内示していたが、19日になって、宮原中東二課長から参加不許可の方針を伝えた。不許可を決定するにあたり、同日、重家俊範中東アフリカ局長は、1月18日朝日新聞のインタビュー記事で信頼関係が損なわれたと指摘し、会議への参加辞退を要請したが、受け入れられなかったという経過をたどった。(2/8「政府の調査結果」読売2/9要旨掲載)
 他の情報がないので分からないが、恐らくアフガンで活動するNGOが他にあまりなく、団体の活動上の性格も含めて外務省はPWJとの接触を深めたのであろう。大きな流れとしてはPWJもその要請に貢献してきていたものと思われる。が、節々に見える短絡した発言に代表されるような体質に外務省としてもそれなりの不和感を抱いていたのであろうが、その辺りは、外務省一般というよりは、接触するここの職員や政策レベルの高官などによって種々の違いはあるものである。したがって、大西氏も、「外務省内にも良心がある人を何人も知っており、その人たちと連携していきたい」(京都夕1/30)と述べている。その辺りが、外務省批判よりも鈴木批判に傾斜する要因となる面も考えられる。
 鈴木議員は、幾度か大西氏またはPWJを呼んで直接話をしている。そこで通常の常識で考えられることは、直接あって話しをするということは、極めて陽性かつ明瞭であるということである。圧力をかけるときには、通常の常識からすれば、自分は表面には現れないのである。その点、きわめて明快な態度を鈴木議員は取っていたことからすれば、指導的に直言はするが、排斥までは考えていないということになる。が、本当は、鈴木議員は相当な思い上がりがあると同時に、意識は相当な小人物であるということかも知れない。直接あってしかも排斥するということになれば、自分が不利になることぐらいは、ちょっとそれなりの経験のあるものなら常識的に分かっている事柄だから。
 そこで再び外務省の問題になるが、「鈴木さんが記事に怒っており、参加を認められない」と1月20日未明に外務省担当者が電話をかけた(読売1/30)ということ。こうしたことは、本当なら、漏らしてはならない内情を伝え合うほどの深く良好な関係が大西氏とその担当者に間にはあるということで、こうした内輪話は公の場では通常検証材料にはならない。真偽は不明なのである。外務省として公に伝えるときは、それが高官であろうと現場の担当職員であろうと個人の思いは抜きである。そこに外部有力者の意向を明示することなど本来ある筈がない。そこで考えられるのは、手っ取り早い説得材料として、鈴木議員の「意向」を活用するということ、こうしたやり方は、担当者が自分の責任を回避し、相手に悪く思われず、しかも結構勝負が早い場合が多いというそれなりの経験から、後先のことを考えずにその手法を使ったのかな、ということは私などの最初に気づくことである。兎に角、件の担当者には行政責任への自覚がないといえる。しかもその御仁がどうやら中東アフリカ局長であるというから驚きである。外務省や政府の公式見解から、鈴木議員の関与によって出席拒否を行ったというようなことは、どんな場合であってもあり得ない事柄である。それを認めたとき、それだけで外務省と政府は崩壊することになる。こうしたことは何も政府や行政に限ったことではなく、およそ組織というものは、組織の責任範囲では、どのような経過があろうともすべて結果責任を負うことによって成り立っているのである。ま、近年、こうした結果責任を負わない政治家や官僚が多すぎるようになったという情けない傾向にはあるが。

(3) NGOの理解とピースウィンズ・ジャパンについて
 ここで、NGOとピースウィンズ・ジャパン(PWJ)に関する一応の理解をしておきたい。
 NGOは、1945年6月26日に成立した国際連合憲章第71条で、社会経済理事会がその権限内にある事項に関係ある民間団体と協議、取り決めを行うことができるという条文を根拠として発展してきたもので、憲章の日本語訳で単に「民間団体」となっているが、英文ではそれは「non-governmental organizations」である。それを今日ではより正確に「非政府組織」と訳すようになり、またその訳にふさわしい実態を我が国も備える時代になってきたといえる。国連社会経済理事会では、1950年2月の288号決議によって具体的方向性が打ち出される。
 NGOの性格の第1は、国家利益に拘束されない、国家の束縛から自由であるということ、その意味で「非政府組織」であるということ。第2は、その「非政府組織」であることの意味がかかわってくるが、その活動は国境を越えた、すなわち国を超えた連携のもとで活動を行っているということ、その限りで、組織が国際的団体であると国内的団体であるとは問われていない。が、第3は、それには「営利組織」と「非営利組織」とがあるため、通常は営利を目的としない「非営利」組織ということである。
 こうした「営利を目的としない」「非政府組織」の国際的な活動は、国家間の矛盾の解消されない中で、時代とともに役割の重要性を備えるに至っている。「非営利・非政府組織」で国家利害に拘束されないということは、元来相当なボランティア精神と経済的基盤がなければ成り立たない、実際半端な組織ではないといえるが、日本国内に存在する400からのNGOの多くはその組織の身の丈にあった自立した活動を行っているようである。
 これに対して政府では、外務省がその支援を通じて、国家として容易に執行できないレベルの国際協力の実を挙げるために、資金的な援助も行っているようであるが、それが単なる資金援助から外務省の委託事業の受け皿化への方向も見受けられるようになってきているのではないかとも思われる。民間への外部委託の方向は、今の政府の基本方向であり、事の是非を越えて兎に角外注できるものは外注にという傾向の中に外務省もなければ良いがという気はするが、この辺りはまだ確証はない。
 そこでPWJの性格であるが、くわしいことはわからないが、PWJがHPで公開している2000年度会計報告によると、収入総額約7億6千2百万円の内会費収入が約3億6百万円、国連等助成金約2億3千1百万円、政府助成金・補助金5千3百万円となっている。そこで気になるのが、3億円の寄付金の恐らく大部分が一特定企業の関係者によるものであることと、国連等助成金も外務省からの資金の還流であろうということである。これについて、2000年1月22日の日経新聞で「官を超えるNGO外交」の表題でPWJを紹介している中で、「資金は草の根運動に支えられている。大阪に本社を置く化粧品会社の販売代理店の女性三千人が売上の1%を寄付する「1%クラブ」の活動を展開している。年間3億円をピースウィンズに寄付するパワーを誇る」とある。恐らくもとはこれによって支えられてPWJの活動は可能となったのであろう。また、政府助成金に関しては、1999年6月14日の毎日新聞で「政府 NGO補助、拡充へ 顔見える国際貢献の一環」という表題の記事で、ユーゴスラビア・コソボ自治州紛争の和平合意による難民支援が本格化するのを契機に、NGOの海外支援活動への費用補助制度を拡充する方針を紹介している。それまでの制度では、NGOが外務省に申請した事業費の4分の3で、1500万円以内、人件費は対象外であったが、欧米の政府助成も参考にして、人件費の一部も補助対象とするとともに、補助金額の上限も引き上げる方向で検討しているということ。また、当面するコソボ難民支援では、2億ドルの政府拠出を表明しており、初の試みとして、7000人収用の難民キャンプ運営計画を進めている「ピース・ウィンズ・ジャパン」に対して「この2億ドルの中から、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を経由して、活動費用を実質的に肩代わりする方針だ」と紹介している。恐らくこの二つが以後のPWJの性格を形作っていったのであろう。この二つの新聞記事は、共にPWJのHPに掲載されている。                                                               (2002.3.5)

<NGOとPWJに対する若干の評価の紹介>について
 NGOやその一つとしてのPWJは崇高な活動体である。が、何事もそうであるが、その実際上の実態を知らずして、個々のNGOやPWJをはなから正義の代名詞として使うことはできない。まして、そこから発せられる情報を無条件に正しいものとして受け止めることも正しいやり方ではない。ここでは、PWJのあり方に対する疑問を指摘している論評などを紹介することにした。

[上坂 冬子]「未熟な人が起こした無用の混乱」(2/2産経「正論」)
 雑誌「正論」4月号でも曽野綾子との対談「田中眞紀子外相更迭騒動をきる! “清く貧しい”NGO信仰にだまされるな」に同趣旨のものがさらに突っ込んで語られている。
 田中真紀子元外相に関して、「外相としては未経験すぎる」、「この人は組織改革を目指すといいながら、組織の何たるかについて無知だったことが決定的な欠陥だった」、「向こう見ずのキャラクターは、不況で停滞しがちな人々の鬱積を晴らし期待を抱かせたりもしたろうが、社会は無手勝流で動くものではないことくらい大人なら誰でもわきまえている。」、「要するに田中真紀子外相更迭の一件は、職業分野として未経験、人間として未成熟な人が不相応なポストに就くとどうなるかという好例で、日本をゆるがすような大問題であろうはずがない」となかなか手厳しい。
 そして、PWJの大西健丞氏について、「もし私が外務省の担当者だったら会議のオブザーバーとして、この人を除外するだろう」と、1月18日の朝日新聞の記事を読んだ上で断定している。その理由として、「彼は『外務省はだれも(アフガンの有力政治家の)携帯電話番号をしらなかったから』自分がお膳立てしたとか、『お上の言うことはあまり信用しない』などど発言している。/前者は現地NGOとして当然の役目だし、後者は政府に警戒心を抱かせる発言だ。しかも記事によれば彼が『官僚や経済人の背中を押して』政府拠出の資金プールをつくり、これがアフガン支援に活用されたとある。つまり彼はNGO活動をつづけるために、政府の資金をアテにしていたことになる。」、このように「一方で(政府に)資金を求め、他方で『信用しない』と公言するのは卑怯である。田中外相が官僚組織と対立してことを進めようとして失脚したのと同様、大西氏も政府と対立して活動を進めるのが正義であるかのように考えているとしたら幼稚すぎる。」と述べられている。
 雑誌『正論』の対談ではさらに具体的に問題が指摘されている。かの大西氏は、アフガン復興支援会議からPWJとともに排除されたジャパン・プラットフォーム(JPF)の議長でもあるようなのですが、このJPFは、NGOと経済界、政府が一体となった支援組織で、純粋なNGOではなく、政府や経済界などからの資金を集める組織で、その資金は傘下のNGOの活動に使われている。大西氏は、この資金を集め配分する側とその配分を受ける側との両方の代表者となっていることに対して、「こういうことは、常識のある人ならしないし、まわりも許しません。外務省も何をしているんでしょう。」(曽野)と大西氏の基本的なスタンスと外務省のNGOに対する対応姿勢の問題点を指摘している。
 すなわち、NGOの基本はあくまでボランティアであり、政府から自立したものであること。また、外務省も、JPFの大部分の資金は外務省からのものであり、そうである以上政府協力組織としての性格があるのであろうけれども、現実には、JPFの表決権の6人中の1人でしかないことに対して、現在の政府協力組織としての性格と純粋のNGOとしての活動との混在状況に対する整理を明確にするべき必要性が指摘されている。「人身事故が起きたり、殺されたり、誘拐されたりする」ような「ときは政府が補償することにして、海外で本当に命がけでやれるような組織をきちっとつくり直すべきだと思います。税金を使う以上、さっきあなたがいったGCO(政府協力組織)を発足させて現在のNGOのあいまいさを払拭しなきゃ無理だと思う」(上坂)と。
 また現実のNGOの堕落についての指摘もある。「NPOという組織をつくったときから堕落が始まったんです。」(曽野)。NPOというのは、ノン・プロフィット・オーガニゼーション(非営利組織)ということであるにもかかわらず、それが一種の職業のようなことになりつつある状況について、「この方(大西氏)、どうしてお暮らしなのか。どこから収入あるのか。」と、また、「昔、緒方貞子さんが、『NGOデモするか。NGOシカできない。そういうデモシカNGOが増えてきた』とおっしゃていた。……職がない。金がない。そんな人たちがアゴアシの面倒を見てくれて、小遣いをくれるNGOへ入った。当時はまだNPOがなかったの。いま猫も杓子もNPOよ。」(曽野)と、なかなか手厳しい批判が展開されている。「政府から一切お金をもらっていないNGOと、国民の税金をもらって資金の足しにしているNGOとはキッチリ分けなきゃいけませんね。」(上坂)。もっとも、これには先に触れたように外務省の対応の仕方という問題もあるが。

[小米朝流]「NGOに税金使うな」(産経2/16「小米朝流 私的 國際学」)
 『週刊ポスト』連載の「ビートたけしの21世紀毒談」(2月22日号)から「あの問題のNGO(非政府組織)の大西って代表、ちょっと太めじゃねえか…どうもいい生活してるんじゃねえかって思わせるものな…よけいなお世話だって叱られそうだけどさ」「NGOは、実際は持ち出しのボランティアじゃなく、しっかりと国民の税金を使ってる団体だってのがよくわかったんだよな」というところを引用し、次のように言う。
 「私は目からウロコが落ちた。NGOと言えば奉仕のイメージが強かったけれど、実情は経費の半分を外務省が出していたんだ。なのに、名前は非政府組織。何だかややこしいなあ。慈善だと思ったら、偽善だった?/もちろんNGOのなかにも的を射た活動をしている尊敬すべき団体はある。でも、それはほんの一部じゃないかな。だって、NGOと称する団体は六千を超えると言われているのに、問題は一向に解決しない。/この際、政府はNGOに金を出すのをやめようよ。そうすれば、どこの団体が真のボランティア精神で活動しているかが見えてくる。」
 乱暴すぎる言い回しではあるが、ことの本質は得ていて、NGOそれ自体の自立性、政府との関係、政府のNGOの活用の仕方など考えるべき点を提示していると言える。

[現地有力者が証言「NGO」大西代表 パキスタンで飛び交う「悪評」](週刊文春2/28)
 「総力特集 真紀子・宗男対決 全深層」の一翼として収められているが、なにかためにするようなねらいをもった記事の感じがしないではないが、これによってPWJの組織実態や性格は窺うことができる。
 ここでは、PWJは、もともと資金の潤沢な組織で、アフガンの現地では、必ずしも現地の実情とマッチしていない状況が指摘されているが、それらの点については他に情報がなくいかんとも判断しかねるが、極度に治安の悪い中での活動の仕方や政府の対応の仕方など考えるべき点を提示していると思われる。が、PWJ設立に際しての大阪に本社を置く特定企業「エルセラーン化粧品」との関係などはJWPの性格を知る情報である。
                                                                                                                                             (2002.4.8)

◇田中外相の発言の真偽と意図
 一NGOの取扱が大変な政局に発展していった原因は、田中外相の発言にあるが、その発言の何が事実で何が嘘なのか、またそれは単なる事実の指摘なのではなく、一定の意図があってのことなのか、そこのところが明らかにならないと、素朴に言葉だけを追うことにはならない。で、田中外相の発言の真偽と意図を明らかにするには、次の事柄が焦点となる。
焦点:・田中外相の発言内容とその真偽
   ・田中外相の意図 野上次官更迭への執念
   ・菅民主党幹事長との「連携」
(1) 田中外相の発言内容とその真偽をめぐって
 事の発端は1月24日衆議院予算委員会の質疑で、田中外相が、外務省がNGOを排除した問題について、『野上義二外務事務次官から鈴木宗男衆院議運委員長(自民)の意向に従った結果だったとの報告を受けている』(Mainichi INTERACTIVE1/24)と答えたことにある。さらに具体的には、菅直人民主党幹事長の『(NGOの出席を拒否した)諸般の事情は鈴木氏の『口利き』なのか』という質問に対して、「『21日の電話でも、今朝の予算委前にも、次官が具体的に名前を言って認めていた』と述べ、鈴木氏の関与を野上次官が認めていたことを明らかにした」(前掲同)ということ。これに対しては、当然野上事務次官も、鈴木議員も否定している。
 鈴木氏は記者団に対して、「『言及しただけで問題になるなら何もいえない』と説明したうえで、外相の言動を批判し」(前掲同)ている。
 野上次官は、「同日、記者会見し、『私から具体的な名前を挙げて、大臣に報告した事実はない』と否定。『参加をめぐって私をはじめ外務省の現場の人間もそういう形の接触を持ったことは一切ない。一部の政治家からの圧力で参加拒否したというのは全くの誤りだ』と、鈴木氏からの圧力を全面否定、逆にNGO団体による『信頼関係を損なう言動』が原因と、NGO団体側を批判した』(前掲同)のである。
 こうした外務大臣と外務事務次官との真っ向からの事実関係の違いに対して、自民党の大島理森国対委員長は翌25日午前に田中外相から事実関係をただすも、田中外相からの説明は国会での答弁の域をでなかった。が、そのあと、田中外相は、記者団の前で、「私は一生懸命仕事をしてるのに…」と涙した。その時にも「21日に重家俊範・中東アフリカ局長や野上次官と話した時も、特定の議員の名前を挙げ話しがあった』と主張。24日朝の打ち合わせについては『鈴木宗男さんのことで話をした。役所が言っていることが正しく、国会議員は正しくないんですか』と語った」(前掲1/25)。その夜、小泉首相は「涙は女性の最大の武器」といって、物議をかもしたが、これもその評価は分かれる。なお、この段階では、重家中東アフリカ局長は、この日の「(衆院)予算委で『多くの国会議員から会議について意見、照会はあった。これは通常のことだ。鈴木議員からもNGOについての全般的な意見はあったが、個々の参加、不参加について具体的な話はない』と述べ」(前掲1/25)ている。
 1月28日の衆院予算委員会では、田中外相が重家中東アフリカ局長と野上事務次官がともにNGO参加拒否問題で鈴木氏の名前を挙げたと答弁したのに対して、重家局長と野上事務次官はともにそれを否定した。が、重家局長は、一端否定した後に「大臣の答弁の通りかと思う」と答弁を修正、さらにその後には再び否定するなど答弁は二転三転した(前掲1/28)。
 こうしたことから委員会は、28日夕から夜にかけて空転し、野党が政府に統一見解を求める。政府は、福田官房長官が政府見解をまとめ、同日夜に衆院予算委理事会で示すが、野党はその内容に納得せずに反発し、景気対策のための平成13年度第二次補正予算案は野党欠席のまま衆院予算委で可決される。
 政府統一見解要旨は、(1)NGOの参加決定にあたり、特定議員の主張に従ったことはない (2)外相と事務当局の答弁の相違があるが、引き続き関係者の申し述べを聴取し、事実関係の確認に努める―などで(前掲1/28)、基本において、特定議員の関与はなかったというものである。
 政府は、翌29日朝、官房副長官の阿部晋三と古川二郎によって、田中外相のいう、1月24日の衆院予算委に臨む直前の外務省勉強会で野上次官から鈴木氏介入の言及があったかどうかについて、外務省の野上事務次官と関係職員から事情を聴取したが、「外相の答弁に沿う証言は確認できなかった」という。その調査結果を文書化し、同日夕、大島自民党国対委員長が野党側に示し、衆院本会での補正予算案の採決に応じるよう求めるが、野党は拒否し、補正予算案は、野党欠席のまま衆院本会議で可決され、参院に送付される。
 その間、田中外相は、菅民主党幹事長と接触、政府の外務省幹部の事情聴取について「全体として了解した覚えはない」と伝えていた。

 こうしてみると、当初田中外相と野上事務次官の見解の違いが、重家中東アフリカ局長の「大臣の答弁の通りかと思う」との答弁があったことで、外務省自身の発言に疑義が生じる事態となるが、官邸サイドの調査の結果、外務省事務サイドから田中大臣に鈴木議員関与の発言はなかったことになり、官邸と田中外相との見解の差となるが、政府見解には当然当該大臣の意見も含まれているものであり、その違いが生じることは、外務大臣としての適格性にかかわることになる。そこで、「綿貫(衆院)議長は29日、政府が与野党に示した調査報告書について渡辺恒三副議長と協議。外務省幹部がそろって鈴木宗男衆院議院運営委員長の介入は『なかった』と回答したとする報告書の提出は、『政府として、外相が虚偽の答弁をしたと認めたに等しい。衆院として閣僚の虚偽答弁は看過できない』との結論に達した」として、福田官房長官に「異例の『善処』要請を」するに至る。(京都1/30)

 以上のような田中真紀子外相と外務省事務当局及び官邸の見解の違いの分析は後のこととして、本来このようなことは政府内部の問題であり、それを外部的に拡散させるということは、組織の長たるものの基本的な資質や能力にかけるのみでなく、組織の長としての責任性にも欠けるものであるということは基本的に考慮しておく必要がある。なぜこのようになったのか。一NGOへの対応自体ではとてもではないが政局に発展する事柄ではない。にもかかわらずそうなったのは、そのことを意図して利用する考えがあったからであるといえよう。

(2)田中外相の意図 野上次官更迭への執念
 NGO一般論ではなく、あくまでPWJという特定の一NGOの取扱いが今回の問題であり、しかもすでにそれは解決済みであったことからすれば、通常の考え方からすれば何も問題化する必要のないものである。にもかかわらず、わざわざ委員会答弁で鈴木宗男議員の関与を「外務事務次官の発言」を利用して問題化することに、田中真紀子議員の思惑があったとするなら、以後の展開はすっきりと理解できる。
 鈴木宗男議員は、小泉―真紀子政権の異常なる人気の前に橋本派をはじめとする旧来の自民党主流派が沈黙化しているなかで、いわば悪役を買って出ていた存在であり、田中外相とは対立的な関係にあったといえる。また、田中外相の外務省掌握がままならない中で、野上事務次官や外務省幹部との関係もうまくなく、外務省人事を自分の思い通りにしたいという意思は元々明瞭にあった。そのための、格好の材料として、NGO出席拒否問題が使われたというのが、おおかたの新聞などによる解説から浮かんでくる田中真紀子外相の意図である。鈴木宗男議員の関与を顕在化させつつ、その実は、野上事務次官の更迭をはじめとする外務省人事の掌握である。
 1月30日の朝日は、「田中氏は、……参加拒否問題を突破口に、民主党と連携する形をとりつつ、野上義二事務次官の更迭機運を作ってきた。」「NGOの参加拒否は、明らかに野上事務次官ら外務官僚の判断ミスだった。対立関係にある鈴木宗男衆院議院運営委員長が絡んでいたことは、田中氏にとって勝負をかける格好の材料と映ったようだ。舞台づくりは成功したかに見えた。/ところが田中氏は、鈴木氏の参加拒否への関与について、特定の場を明示して、外務省幹部から話があったと言い切った。たちまち幹部からの反論にあい、国会の混乱とともに自民党の更迭工作も始まる。かけは失敗した。」とし、1月31日読売は、「小泉が田中更迭を決めた背景には、田中が野上の更迭をあくまで求める余り、民主党幹事長の菅直人と連携を深めた事情もあった」(「外相・次官 更迭 検証」)とし、1月31日の毎日は、「野上氏のクビを取ろうとした外相と、一気に『真紀子包囲網』を敷いた自民党、外務官僚の衝突が頂点に達した時、小泉純一郎首相や外相、自民党幹部ら主役たちはどう動いたか。」を追い、「田中氏は、対立を深める野上氏と黒白をつけるようと一気に賭けに出た」が、「『返り討ち』に遭った末の予想外の解任」(「検証 外相更迭」)、「(野上次官の対応は)『言語道断』――。田中氏は28日の衆院予算委員会で、これまでにない過激な表現でNGO排除問題での野上氏更迭に照準を絞った。同日の国会の混乱を受けて、田中氏の狙い通り、政府・与党内には野上氏更迭論が浮上した。勝利はほぼ田中氏の手中にあるように思われた。」などである。
 これに対して、野上事務次官のほうでも「今回の騒動について『鈴木さんとNGOとの戦いに名を借りた僕のクビ取り劇。真紀子さんの作戦だったが裏目に出た』と、田中氏への怒りを隠さなかった」(毎日1/31「検証 外相更迭」)ようで、自分が田中外相のターゲットとされてきたという認識であった。
 1月28日の衆院予算委員会での田中外相の答弁では、「『所掌事務に専念して実をあげるのに協力するスタッフを求めていくのは当然で、トラブルが多いのは好ましくない』と述べ、野上次官らは不適任だと示唆した」(Mainichi INTERACTIVE1/28)というように、この日に野上次官追い落としの最高潮に達し、現実に更迭の気運も一部にはあったということで、田中外相自身は功を奏したと考えていたようであった。それだけに、29日深夜の自分自身の更迭は意外かつ心外であったのであろう。

(3)菅民主党幹事長との「連携」
 単に事実を述べるだけならば、何も野党幹事長と連携する必要はないにもかかわらず、菅直人民主党幹事長と「連携」していたことも明らかになっている。28日の政府統一見解は、当然外相見解もそこに含まれるものであり、29日には一方では、政府「統一見解について『内容を了承している。自分の国会答弁と矛盾していない』と述べるなど、慎重な態度をとり始めた」(読売1/30)にもかかわらず、他方では「菅氏と接触。外相に不利とみられる外務省幹部聴取結果について菅氏が『了解したのか』とただしたのに対し、外相は『全体として了解した覚えはない』と述べた」(京都夕1/30)というように、菅幹事長との接触の深さを感じさせる。
 菅幹事長は、そのころ「ある戦略を練っていた」という。それは「外務省職員の一人が鈴木に必要以上の便宜を図っているとの情報をつかみ、この職員の個人資料を取り寄せ、田中とも連携して追及の準備を整えていた」(読売1/31)という。菅サイドでは、田中外相と連携して、鈴木議員と外務省を追及し、それを梃子に政局に発展させることなどは当然視野に入っていたのであろう。その動きは野上次官にも反映し、「野上の決意の背景には、外務省バッシングに向けた田中と菅との連携もあった」(読売1/31)ということで、野上次官のほうでは「田中を辞任に追い込むことが自らの務めと思い定めていたフシすらうかがえる」(読売1/31)というまさにバトルの状態である。ちなみにここでいう「外務省職員の一人」というのは、その後明らかになった佐藤優元主任分析官のことであろう。
 田中外相サイドからの菅幹事長との関係については、前項で1月30日の朝日や31日の読売の解説記事からすれば、あくまで野上次官の更迭を求めて提携したのであり、政局にする意思はなかったものと思われる。
 ここから明らかなのは、田中外相、菅民主党幹事長、野上外務事務次官それぞれに思惑を持っているということであり、鈴木宗男のみが大人しく静観しているという図である。第三者から見て誰が事実を語っているかが分からないのも当然であろう。語るものに最初から意図が働いているのだから。元々の食い違いである、田中外相と野上次官との発言の違いはなぜ生じたのか、そのことの理由が明らかにならないと本当のところは見えてこないのであるが、両当事者は見解を変えない限り、状況や環境、それぞれの人物、立場というものから判断せざるを得ないのであるが、すでにおおよその推測はできるにしても、お互いに根本的な弱点を持っており、官邸サイドの調査報告にしても、28日段階の報告の第1次案から最終案に至る過程で、第一次案にはあった「特定の議員と特定のNGOに言及したことはある」という部分が青木自民党参院幹事長の立場への配慮として削除されるというややこしい問題も生じさせている。
                                                                                                            (2002.5.7)

◇外務省の問題性
 今回の一連の経過を見て強く感じるのは、外務省という役所の特異性のようなものについてである。外務省が自らの仕事を遂行するにおいて、誰の、また何処からの関与や介入が在ろうとなかろうと、その仕事の遂行責任は外務省自身にあるのであるが、そうした点の責任性の自覚の問題、これはその後の展開にも強く表れている。また、外務省の責任と外務大臣の責任とは別個のような感じも田中外務大臣を見ているとするのであるが、では、外務大臣とは一体なんなのか、単なる一個人なのかというおかしなことにもなりかねない。外務省という行政組織とその組織の長としての外務大臣の関係がおかしいときには、それは政府の問題として総理大臣が何らかの指導や判断をしなければならないが、こうした問題についてはほとんど整理されることがなかった。
 元来、外務省の問題は、外務大臣の問題であり、外務大臣の問題は内閣の問題である。したがって、国民の立場からすれば、外務省の問題は時の内閣の問題にほかならないが、役人集団としての外務省と政治家としての外務大臣、そして官邸の三者をそれぞれ別個の問題としてマスコミでも取り上げている。およそ内部事情に過ぎない問題を、大げさに取り上げることが、結果として、外務省の問題から、外務大臣や官邸すなわち総理大臣の責任を回避させる役割を担ってしまっていることになっている。

 ここでは、外務省としての問題性を明らかにする上での主な点について整理していみることにした。

(1)NGO出席問題に関する外務省の責任性について
 まず、沢山あるNGOの内どのNGOを会議に出席させるかどうかという問題は、いうまでもなく外務省が自らの判断で決めることである。介入や関与があろうとなかろうと、それをどう受け止めるかは外務省自身の責任性の問題であり、よしんば介入を受け入れたとしても、受け入れた以上は、外務省は自らの責任においてその後の対処はしなければならない。
 政治問題化してしまったからそうではなくなったが、元来、NGOの出席如何の問題は、その団体自体に極めて特別な政治にかかわる問題があるのでない限り、いちいち外務大臣や官邸の指示を仰ぐというようなレベルの事柄ではない。ここでの問題は、いったん内定を伝えた後にそれを取り消したことによるその後の波及効果を十分測定できていなかったことと、その取り消しにあたって、鈴木宗男議員の名前が使われた節があること、さらに、それをこともあろうに、省の最高責任者である外務大臣が蒸し返したこと、加えて外務官僚の高官ともあろうものが、鈴木議員関与の如何について肯定するような答弁を一度はしたこと、などであろう。
 繰り返せば、いかなる関与があったにしても、出席問題を決めるのは外務省であり、外務省が諸々の条件を考慮して、最終的には外務省の責任で決定するものである。当然のこと、外務省が自らの判断で決定したということになり、それに伴う責任の一切は外務省自身にある。それに対し、仮に、外部圧力によって、出席問題を扱ったということになれば、その時には、外務省が自己決定能力と自己責任能力を放棄したことになり、外務省の省としての地位は崩壊することになる。したがって、外務省としては、仮に鈴木議員の強力な圧力があったとしても、それを公式に認めることは絶対にあり得ないという性質の事柄である。政府の調査結果で、そのことは明らかであり、そこでは鈴木議員の関与は否定されている。にもかかわらず、中東アジア局長が委員会答弁で、田中外相の発言に会わせてしまったのは官僚としては全くの失格で、自己責任能力の欠如を示すもので、事の真偽とは別に、こうした人物は信頼できないことになる。こうした文脈でいけば、鈴木議員の関与は、外務省の役人がPWJを手っ取り早く断る理由に使ったという見方に十分な信憑性があることになると同時に、そうした使われ方をしやすい鈴木議員の日頃の不徳の存在ないし脇の甘さも指摘することができる。この辺りの問題について、1月31日読売新聞の「外相・次官 更迭 検証」では、1月20日未明に、外務省担当者が「鈴木さんが記事に怒っており、参加を認められない」と大西氏らに電話をかけた、や「鈴木は今回、直接、外務省に掛け合った訳ではなかったが、重家らが鈴木の意向を忖度し、参加拒否を通告したのだ」、「もともと今回のNGO排除問題は、『ピースウィンズ・ジャパン』の統括責任者・大西の言動に反発する外務省内の空気を受け、重家らが鈴木の“虎の威を借りる”形で参加拒否を伝えた―というのが真相だ」、「重家の判断ミスで外務省が責められているのに、重家が保身に走っているように野上に映った」という分析にも端的に触れられている。
 そこで外務大臣の鈴木議員関与発言は、自分が外務省という行政組織の長としての自覚を持たない、組織の責任者としての不適格性を遺憾なく示すものであるが、しかもそこに十分なる思惑がもたれていて、外務省中枢部への攻撃が目論まれているということになると、あれだけのキャラクターである、省内はハッチャカメッチャカになるのはあたりまえで、その場合には、外務省対策は官邸、すなわち小泉総理の仕事となる。

(2) 機関としての外務大臣と外務大臣である一政治家との関係
 田中外務大臣と野上事務次官との見解の違い、厳密にいうとそれは見解の違いというような大層なものではなく、単に「言ったのか、言わなかったのか」、ただそれだけのことである。しかもそれは、外務大臣以下の外務省内の内部問題であり、それを国会の場で外務大臣自身が本来の建前もわきまえずに暴露的に発言してこだわる、こうした場合には、外務省内の幹部と第三者は一体どのような反応をすればいいのだろうか。マスコミでは面白おかしく対立を煽って囃し立てていたようであるが、当事者としては余りにも常識はずれの展開に、恐らく困惑と怒りの渦中に入ってしまったであろうことは想像に難くない。一度外務省内に身をおいてみて考えて見れば、今回の外務大臣の対応と、それをコントロールできなかった官邸の対応に、どうしようもないやり切れなさを感じざるを得ないことが理解できるはずである。
 さて、外務大臣は外務省のどういう位置にあるのであろうか。案外分かりにくいのが、政治家個人としての外務大臣と、外務省の最高責任者としての外務大臣という二つの面をどう理解するかがある。外務大臣は、最高責任者であるから、その人の発言には、何を置いても外務省の役人は従わなければならないのであろうか。外務大臣の発言は、全て、外務省としての意思を表したものなのであろうか。外務大臣に就任していても、政治家としての一代議士の発言には、個人的な見解や、選挙区向けの政治的発言など、いくらでも外務省にかかわらない発言はある。そこで必要となってくるのは、外務省の機関としての外務大臣と、外務大臣の肩書きを有している一政治家としての立場の整理された理解、自覚を当の外務大臣がいかに心得ているかである。その心得のない場合には、外務省の組織は組織としての体をなさないことになってくるし、そこのところを第三者は指摘しなければならない。閣僚の一員としてと同時に外務省総体の意思から離れた発言は、それは、外務大臣の肩書きは有していても、外務大臣としての発言ではなくなることになる。そして、そのことを理解しない場合には、外務大臣としては適格性を欠くということになる。
 外務大臣が外務省の意思を表さなくなったとき、事務次官以下はどのような態度をとっていくことになるのだろうか。恐らく、その実情を官邸に訴えるしか方法はないのであろう。そして官邸がそのことを理解し、然るべき手を打たない場合には、外務省は組織としては崩壊過程を歩むことにならざるをえなくなる。
 今回の外務省と外務大臣の対立劇を見ていて不思議に思えたのは、副大臣が全くといっていいほど組織的な役割を果たし得ていなかったことである。よくわからないが、省議というものが、外務省と外務大臣との間では、いかにも組織的に積み上げられているようには見受けられないことを証明しているのではないか。副大臣の顔が対外的には見えていなくとも、省内の意思形成には当然然るべき役割を果たしていなければならないにもかかわらず、大臣と次官以下との対立劇に対して、報道を通してみる限り、何らの役割も果たしえていないのである。

(3)鈴木議員と外務省、そして官邸との関係
 鈴木議員と外務省との関係は、実際のところ、小泉政権になってから微妙に変化してきていたのであろう。小渕政権から森政権にかけては、自民党内の有力外交メンバーとして自民党が認めていただけではなく、政権自身も鈴木議員を活用してきていた。外務省と鈴木議員との関係が深まるのは当然のことであり、そのこと自体に従来であれば何ら問題があるわけではない。
 しかし、役人の世界での最後の聖域とでもいうべき外務省にも、その閉ざされた世界ゆえの不正経理の実態が明るみに出、その実情把握と外務省改革が小泉内閣の課題ともなっていたことから、その辺りの問題から、小泉政権下の外務省と鈴木議員との関係にも変化が生じるようになってくる。また、小泉政権が、驚異的な国民支持率による小泉−田中内閣であったことから、橋本派を中心とした従来の自民党主流派幹部の小泉政権への態度があいまいにならざるを得ないなかで、鈴木議員が小泉政権への意見を明確に表明していたことも、政権と鈴木議員との関係として押さえておかなければならない。しかも、田中外相にもとでの外務省の対応に対しては、鈴木議員は多分に批判的であり、田中外相との関係は軋轢状態であった。こうしたことと、不正経理に表れた外務省の体質上の問題、そこには官邸への機密費上納問題もあるが、そうした問題の解明よりも、鈴木問題へ展開していったこととに何らかの意図的なものがあったとすれば、それこそ許せないことであるが、そこら辺りの問題は不明である。
 さてそこで外務省の問題であるが、NGO排除問題以外で鈴木議員が外務省から問題として指摘されているものの全ては、いわば外務省と鈴木議員との蜜月時代の産物である。外務省という組織を守るという大儀のためであろうとも、人間としての次元でこれを見た場合には、あまりのあさましさに恐ろしい気がする。同じ穴の狢の“裏切り”なのであろう。そうした中で、召還にも応じない東郷和彦前オランダ大使や佐藤優前国際情報局主任分析官の態度には、人間レベルでの信頼性を感じることになるといえば不謹慎なのであろうか。
 鈴木議員と外務省との関係は、つまるところ、与党自民党と外務省との関係、さらには政権と鈴木議員との関係ということに尽きるのである。そこには小泉政権の誕生が深くかかわっているものの、小泉政権そのものには、実際上の具体的な戦略も手立てもなく、全くの無策でありながら問題の暴露化への道を進んでいったことになる。そこには、組織の破壊はあっても新たなる構築への兆しは見えない。まして、本来の外交上の対露、対中、対韓国、北朝鮮戦略は崩れる一方に見える。鈴木議員問題によって、4等や2島に関係なく、ロシアとの関係は振り出しに戻った感がある。
 今回の問題を通して、外務省と外務大臣との関係は、その当事者に自浄作用がなくなっていることを白日の下に晒すことになったが、そのことに対する小泉首相とその官邸は、何らの指導性を発揮することもなく、外務大臣を更迭することだけに終わったのである。
◇作為と小さな事実のなかで
 既に指摘してきたことであるが、今回のNGO排除問題は、それ自体は政局に発展するような大層な問題でなかったにもかかわらず、結果的には一大政局に発展し、次々と役者が舞台から消され、遠からず「そして誰もいなくなった」という芝居がかった状況に本当になりつつあるが、そうなるには、やはりそれぞれの「思惑」があったからである。小さな事実に対する、「飽くなき思惑」とでもいおうか。
 それぞれの思惑を改めて振り返ると、重要なポイントは
・田中真紀子:野上次官が、NGOのPWJ出席拒否に鈴木議員の関与があったことを述べたということによって、それを否定する野上次官の更迭をもくろんだこと、
・小泉首相が、既に田中外相の限界を感じながらも人気の高さゆえにためらっていた更迭をこの事件をきっかけに実行すると同時に、鈴木議員に対して表裏の対応を見せ、鈴木議員追い落としの条件を作ったのではないかということ、
の2点に集約されるが、とりわけ、小泉首相の思惑が重要であったことが、時間の経過と共に明らかになってくる。
 すなわち、鈴木議員に対する官邸サイドのスタンスは、政府の二度にわたる調査報告に明らかなように、鈴木議員の介入はなかったと結論づけており、その点についてのぶれはない。今回の一連の経緯に対する鈴木議員の動きはほとんどなく静かに見守っているというスタンスであったが、結局、衆議院議事運営委員長辞任を表明することになる。そして田中外相の更迭となる1月29日夜、小泉首相は、鈴木議員に電話で「あなた一人をやめさせるようなことはしません。」と告げたという(毎日1/31「検証 外相更迭」)。しかし、田中外相更迭後2月1日には、参院予算委員会で、鈴木議員に関して「外務省は鈴木議員を気にしすぎた。そこを厳しく反省すべきだと外務省に強く指示しているから今後、鈴木議員の影響力は格段に少なくなるだろう」、「与野党共通にどんな意見を役所に言っても結構。見識を持ってそれを判断するのは役所だ」(日経2/2)と答弁しているだけでなく、さらに2月4日の衆院予算委員会では、「首相は『変な議員の変な声に田中前外相は気がついた』と鈴木氏批判をさらに強め」る(朝日2/5)のである。こうなると、NGO出席問題では鈴木議員の関与はないと一方では公式見解を出しながら、他方では、その根本要因は鈴木議員にあるといっているようなものである。問題を収めるのではなく、拡大しようとする意図が明確にあるとしなければならない。小泉首相のこうした姿勢が、単なるNGOの取扱問題を超えて、鈴木議員のその後の疑惑問題追及への誘いとなっていったということは振り返ってみれば明瞭なのではないだろうか。                                           (2002.6.24)
3.内閣支持率とその後の影響
 今回の田中真紀子外相騒動の結末は、骨格だけでいえば、外務省も官邸も「鈴木議員の関与・介入はなかった」として、それを政府の公式見解としているにもかかわらず、田中外相が「関与があった」と政府とは逆の発言に国会の場でこだわったことに対する田中外相更迭処分であった。野上次官と鈴木宗男議員はその余波に過ぎないといえよう。しかし、小泉首相は、田中外相が外相としての適格性を著しく欠いてきたこれまでの経緯の中でも更迭してこなかったのはその人気の高さゆえであったのと同様に、今回も更迭の理由をあいまいにした。すなわち、補正予算可決を前にした国会運営混乱を回避するためという理由で、しかも関係した当事者三人の「三方一両損」というような情緒的な対応であった。それは、一言でいって、更迭してなお、田中真紀子外相の人気に阿ねていたのであろう。そして、更迭となった田中真紀子の対応にも多少微妙なところはあった。しかし、個人的にも小泉、田中ともに世論の高支持率を受けていた小泉−田中政権が、単独の小泉政権になり、しかも権力争いでは敗れたものの、田中真紀子には更に「正義」の風が吹くことにより、小泉改革そのものの真偽にも疑問がもたれるようになるなどによって、小泉内閣の支持率は一気に落ち込むことになる。
 直後の各新聞社等による内閣支持率を前回と比較して示すと次の通りである。
              前回
1/31  テレビ東京  55.6%  85.6%(前年12月)  日経掲載
1/31-2/1 読売新聞   46.9%  77.6%(1/19,20)
1/31-2/2 産経新聞   48.0%  71.1%(前年7月)
2/2-3  京都新聞  58.0%  79.5%(前年12月)  日本世論調査会
2/2-3  朝日新聞  49%   72% (1月)
2/2-3  毎日新聞  53%   77% (1月)
1/31-2/1 産経Web   27.7%           産経HPから

 概ね20〜30ポイントの下落である。「超高率の支持が普通の高支持に戻ったと見ることもできる」(毎日社説)或いは「異常から『適正値』に」なったという見方はそれ自体としては一般的な見方であったろう。問題は、その後どうなるかであったが、2002年6月現在で概ね40%前後の支持率であることからすると、じりじりと漸減しているもののよく持ちこたえているとはいえよう。これについて、毎日新聞の社説(2/5)では、「支持率の急落は小泉改革に影響を与えざるを得ないだろう」、それは「自民党内には改革に強い異論があ」り、「中央省庁には『各論反対』が根強」く、したがって「改革推進の最大の原動力は世論の支持であったからだ。」とした上で、「世論の支持状況からも小泉改革は分岐点を迎えたといえそうだ」が、「改革が停滞するとの懸念が内外から出ている」と指摘し、「小泉改革は具体化の段階に入る。掛け声だけでは進まない。その過程で古い政治との妥協を続けるなら『消極的期待』は簡単に『期待はずれ』へ転じて、支持が先細りになることだけははっきりしている。50%前後の支持率をラストチャンスととらえた方がいい。」と述べているのは「小泉構造改革」の何たるかは別にして、一般的な見方を代表していよう。以後そうした見方に従うような経過をたどってきていると一応いえるだろう。
 すなわち、田中外相更迭後の小泉内閣は、当初の構造改革を毅然と進めること以外にその後の政権維持の保障はないということであるが、それに対して、青木幹雄自民党参議院幹事長が「国民の支持率と党内の支持率とが合わせて100%であることが政権安定の条件」であるというような趣旨から、小泉政権も国民世論の支持が低下すればその分自民党内の支持を高めなければならいと指摘していて、小泉政権を自民党内根付かせて融和していく意図を明示している。田中外相更迭から現在にいたるまでの数か月間は、まさにこの辺りをゆれながら進んできたといえるのであろう。
 

4.小泉政権の今後と併せて−結び
 小泉政権は、もともと内向きの政権で、国際的な視点や感覚を大切にしてこなかった。加えて、田中外相は、日本の国益を担った外交よりは、私的思惑と外務省の内部問題にのみかまけて、激動する世界の潮流の中で、日本がいよいよ取り残されていくような状況を生み出してきた。
 マスコミや国民世論にしても、旧来型の自民党体質と小泉政権の突出的な手法による乱暴な政権運営との軋轢に興味を持ちすぎ、事の本質の重要性を大切にすることを怠ってきた。改革か抵抗かといういかにも安っぽい二者択一論に日本中が沸いたのであるが、このような安っぽい政治論議は、高まれば高まるほど政治そのものがゆがんでくるのである。間違った関心なら、ないほうがましである。
 小泉内閣が掲げる基本課題は「構造改革なくして成長なし」という。実はここのところが一番問題で、「構造改革」とは一体なんなのかについて、小泉首相自身の思いは、当初自ら語っているところからすれば、「構造改革」そのものの理解は、橋本内閣のものと基本的には違いはなく、異なる部分は「郵政三事業の民営化」であるといっていたように、小泉首相自身の主張は郵政民営化でしかないのである。とすると、郵政民営化以外の政策は、橋本派などかつての自民党主流派との戦いを前提にしたなかでの多分に成り行き的なものであるといえる。
 この場は、日本の構造改革を論じる場ではないけれども、戦後高度成長を成し遂げていく過程は、同時にその成長に応じて世界に対して国を開いていく過程であった。しかし、経済的に国を開くということは、国内産業の激変をもたらすだけに、方向性としてはそうでなければならないのは当然でありながらも、実際上には、激変を緩和し、国内体力を築くなどそれへの備えを整えつつ進めていく、それが政治というものであった。中曽根内閣によって大きく舵は切られていたが、橋本内閣の「構造改革」によって政治改革と共に資本自由化へのかなり決定的な舵は切られたのである。以来今日まで、経済の落ち込みによって挫折したはずの橋本行革が敷いた路線を基本的には歩んできているに過ぎない。省庁再編成や官邸のリーダーシップ性、直接金融から間接金融への、すなわち資金調達の銀行から証券へのシフトの転換、財政投融資制度の漸進的な解消、さらにはペイオフ実施など現在それによって混乱の極みにある問題はほとんどが橋本内閣で打ち出された問題である。しかも、それらの問題は、自民党政権を倒した連合政権においても踏襲され、そして、小渕、森内閣を経て、今、小泉内閣が担っているのである。こうしてみると、「構造改革」そのものは、その是非を超えて、与野党共に担っていて、基本的には歯止めになるべき勢力は一部政党を除いては与野党ともにないといえる。あるのは政治的リーダーシップ争いである。
 考えてみるとあまりにも奇妙だったのではなかったか。民主党が小泉構造改革を支持し、改革の速さを競おうというかと思えば、与党である自民党の主要な勢力が「抵抗勢力」に擬せられて小泉政権とあたかも対立しているかのような図式化が図られてきた。これではまともな政治ができるわけがない。自民党の総裁が自民党の主要な勢力と対立関係にあり、「自民党をぶっ壊す」という。そういう言葉だけが踊るような政治からの脱却には、マスコミ界の冷静な分析が要求されるはずである。
 政治を預かるということは、とにもかくにも我が国の日常的な経済的社会的生活を安定、向上させることにその能力と責任が問われることになる。日常性は知らないが、とにかく将来のために激変承知で変革を進めるというようなことは、政治の世界では許されない。政治と経済との関係は、経済的激変を緩和するために政治があるといっても過言ではないのである。既得権益との関係で、改革者が「善」で、改革に対する抵抗者が「悪」というゆうような単純な善悪論で政治を進めるとき、そこには国民を愚弄したファシズムの匂いが漂ってくるのである。既得権益にしろ、新しい時代への転換に容易についていけなくなりつつある産業にしろ、そこのはそれによって生活している多くの国民があり、その現在ある姿を観念で否定して無視することはできない。現実を変えることの意味と困難さ、かえるに当たっての備えを考えるところにこそ政治があるし、時間はかかってもそこから初めて改革は地に付いたものとして進んでいくものである。
 現実に進行するデフレへの政策力のない内閣に、戦後50数年にして立ち向かうべき世界へ向かっての真の開国への構造改革などでき得るはずはない。小泉内閣になって特に感じるようになったことに、結論が先にあるということ。結論を導き出すに当たっての過去の経緯と十分なる現状分析に欠けていることである。アイデアを多用した結論についていけないものは全て「抵抗勢力」なのであろうか。与野党を含めて、今や我が国は大きく揺らぎだしている。舵取りがなくなってきたのである。
 改革路線の起点ともなった中曽根改革の時には相当な論議となっていたように記憶している。が、橋本行革では、その内容をめぐってはあまり議論は沸かなかった。橋本内閣は、経済を読み誤ったにしても、それによって改革路線を挫折させる選択をした。今思えば、賢明だった。しかし、現実にはそこで打たれた布石が、その時にはあまり気付かれなかったけれども今や大きな影響をもち、私たち国民はそれに振り回されている。小泉改革は、一見国民に語りかける姿を見せながら、実際上は問答無用の進め方であり、本当は日本の進路についても幾つかの選択肢があるはずであるにもかかわらず、選択肢は提示されず、国民の総意形成上の努力はない。民と政・官の対立を醸成して、民の一部の意見を、或いは結果として官の意向を生かす方向になっていて、民本来の状況把握やその全体的な意向は汲み取られていない。

 このつたない草稿は、新聞を中心としたマスメディアから、政治を中心とした事柄の真偽に何処まで迫れるかをテーマとした。かなりの不確かさを感じてはいたものの、結論的には、テレビなどと違って、新聞からは、丁寧に読めばまだまだそれ相当のことが分かり得ることが確かめられたように思う。しかし、構造改革を例にあげたように、事の本当の経緯や本質について理解するには、かけるところが多いのも事実である。その点では、総合月刊雑誌に期待しなければならないところは大である。
 我々国民が、愚民として扱われないために、心して、一つ一つの事柄について、表面的な“言葉”と、比喩に惑わされることなく、事実を事実としてきちっと認識することによってこれからのあり方を自ら判断していく訓練を一刻も早く始めることが寛容と考える。これが、田中真紀子騒動を通しての、そしてまた、小泉構造改革のもたらした教訓ではないのだろうか。劇場国家の政治的演劇をサッカーのW杯と同じようなレベルでみるのではなく、悲しい現実ではあるが、政治と経済は、つまるところ自ら考えるしかないということを、教えているのである。そして、それにはテレビとは違って、新聞類は、自分自身の視点を持って丁寧に読めばという前提条件がつくが、まだ十分活用に値するのである。(2002.6.29 了)


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