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2023.1.2
 はやいもので、次期市長選挙は来年春に迫ってきました。どうやら激動の予感がしてきているようですね。そこで、「市長選挙の推移」に前回の市長選挙を追加しました。どうぞ参考にしていください。

2022.11.14
 一年余前には、歴史都市京都への危惧の念を抱きながらも、もはや齢82歳となった今となっては、遺憾ともしがたく、世の推移を見守りつつ、静かに与えられた余生を過ごそうと思っていました。しかし、今年に入って、それまでの新型コロナ禍に加えて、2月にはウクライナ戦争が勃発し、また、国内では、思いもしなかった安倍元総理の銃殺事件が起こり、しかもそれによって旧統一教会と自民党政治とのずぶずぶの関係が明らかなるなど、深刻な問題が生じてきました。加えて、昨年開催の東京五輪が、これまた汚職の温床となっていたという、世界に顔向けできない事態も明らかになってきた。さらに加えて、閣僚など政府要人の政治資金のごまかしや不用意発言なども生じ、世界もわが国も一体どうなって来ているのかとの、持ち前の心配性が高まってきたのです。
 振り返りつつ考えてみると、これらは戦後世界やわが国の大きな転換点であると思われます。知識上の問題だけではなく、自らの戦後体験の上で、こうした思いに立ち至るのです。
 わが国の政治は迷走し、世界は、ウクライナ問題に見るように、「価値観を共有する」国同士が寄合って、そうでない国とは対立するという、第1次、第2次大戦の前夜に似た状況を呈するようになってきています。内も外も、不寛容で、異なった価値観や存在とに対する不寛容な態度が一般化しつつあるという、極めて危険で、情けない時代となってきています。民主主義の基礎は、異なった意見同士の対話から始まるはずですが・・・。仲良し会と、その中での親分子分の関係が一般化してきているので花でしょう。これには、西洋の衰退とアメリカの国力低下が影響しているのかも分かりません、一部の巨大資本がその収益を極度に高め、世界中の貧富の格差を拡大しているという、資本主義経済の負の側面が拡大していることもその要因となっているのかもわかりません。国家と市民との関係もまた問われるようになってきました。
 こうした思いから、これから、どれほどの役に立つ考察が用意できるか分かりませんが、可能な範囲で、このHPをゆっくりと続けたいと思うようになりました。その第一歩が、福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」です。現代における意味を考えていただければと思います。

2021.7.26
  京都市政に対する分析、紹介という私の役割は、『20世紀後半の京都市政を顧みて』で、一応のけじめとなりました。もはや、歳も歳で、また、先日には心臓もやられたりしたので、このあたりが潮時かと思いつつあります。ただ、「歴史の京都」に対する京都市の認識に対して、かなりの弱さを感じてきており、その点について、最後の最後としての、思いを披歴しておきたいと思いました。
 京都は、「歴史の京都」として、その歴史遺産を受益することによって、それを糧に生活してきているものの、では、自らは、次なる歴史への貢献をどれほど行っているのかについては極めて不十分ではなかったのか、という思いです。このままでは「歴史の京都」は消費しつくされてしまうでしょう。京都市行政は、そのことについて、もっと危機感を持ってほしいし、それには、市の行政組織そのものの見直しも必要となってくるのです。現状では、とても危機意識の生まれることにはなりにくいのです。
 歴史資料館は、こうした「歴史の京都」を今日から明日にかけて、さらに育てていく核になってほしいのです。狭い枠を超えて、明日の歴史に立ち向かう核になってほしい、そうした思いが切実なのです。
 この後、筆者がどういう思いをさらに持つことになるかはわかりませんが、以上のようなことが筆者の最終的な思いとなってきたのです。
 いずれまた。

2021.4.29
 戦後京都市政半世紀の想いで語り、とうとう終わりました。結局6年がかりとなりました。もはや、改めてこれを推敲する余力はありません。が、「語り」は論文ではありません。たとえ間違っていても、私はそう感じていた、ということが大切なのですね。ともあれ、歴史には終わりはありません。歴史は永遠の過程なのですから。加えて、これは私の経験ですから、私の時間軸で始まり終わったのです。これからの方々に何らかのお役に立てれば幸いです。

2021.118
  ようやく最終章に入りました。私自身、こうまで年を取るとは思いませんでした。今は、体調との戦いです。ワーキングが全く思うようにできなくなり、いたずらに時間が経過するのですが、これは仕方のないことで、一歩一歩で、何とか完遂できそうです。
 それにつけても、今の世の中全くどうなっているのか、いかんともできないのはわかっていながらも気になって仕方がありません。このHPはまだまだ続けたいと思っています。
 本日、国会が久方ぶりに開会され、総理大臣の施政方針演説が行われました。国会論戦が軽んじられてきたとの昨今の国会ですが、その責任は、第一義的には政権側にあるのであって、野党側は、その反面を映しているのです。今一つ、政権側は、答弁を通して、国民に語りかけてほしいものです。単なる与野党の駆け引きではなく、政府は、特に総理大臣は、事実を丁寧に国民に語り掛ける姿勢をこそ大切にしてほしいと思います。国民への語り掛けを大切にする政治家が減ったのではないでしょうか。フェイクをではなく。ちょっとひとこと。


2020.11.9
  体験的京都市政論は、今回のデフレ下の市政の動向を記すことで、一応私の体験に基づく記載は終えたことになります。残るは、21世紀初頭の動向を多少考察することと、私自身の感想めいたものを加えてまとめにしたいと考えています。現在の体調などを考えると、来春となるのでしょうか。
 それから、昨今のアメリカや日本の政界に関してひとこと言わせてもらえば、「ウソはいけないよ」ということです。どんな目的であれ、嘘でもってたぶらかすことは許されることではありませんね。インターネットの時代になったからでしょうか、あまりにも多く平然と横行していることに、現代社会の危機を感じています。いろいろ競い合うのはいい、ただしそれは正々堂々とするべきで、「ダマシ」はいけません。しかもそれが、立場のある人ほどそうであるらしいことに、危機感を覚えます。この歳になって、こんな風な社会や政治の劣化を見ざるを得ないことを大変悲しんでいます。人間をロボット化し、そして操作する、そんな時代が近づいてきているのかもわかりませんね。人間の行為をロボットが代替えする領域が急速に広がってきています。便利さだけに溺れることのない、自ら考える人間であり続けたいものですね。

2020.9.22
 今回は、京都市歴史博物館建設構想が、いかなる力学で棚上げになったのかについて、政策形成過程の参考として、少し詳しく記すことにしました。これには、民主政治にける京都市長の位置というものについての理解の問題が根底にあります。識者や実力者における、市長というものの地位に関する敬意の不足があるように思えてなりません。このことについては、体験的京都市政論の最後に触れてみたいと思っています。

2020.8.25
 体験的京都市政論はでは、平安建都1200年記念事業にまでたどりつきました。次には、「京都市歴史博物館建設構想」についての経緯を少し丁寧にたどってみたいと思います。京都市にとって、或いは権力一般についての、政策決定システムのあり方について、大いに参考になるものと思います。

2020.7.24
 「Go To」というのを眼にしたとき、何を意味しているのかさっぱりわかりませんでした。その後、これに「トラベル」というのがついているのがわかったのですが、それでも理解不能でした。若者であれば即分かる用語なのでしょうか! いずれにしても、政治・行政で国民向けの用語は、日本語で、政策内容が、初めて目にした者でもすぐに理解できるようにしてほしいものです。ここは、どこの国なのでしょうね!
 体験的京都市政論も、いよいよ終局が近づいてきました。ナメクジの歩みでも、なんとかあと一歩のところに来たようです。ただ、21世紀に入ると、近すぎて取り上げにくい思いです。加減を考えながら、全体の取りまとめも考慮して、楽しみつつ参りたいと思います。

2020.6.23
 体験的京都市政論もとうとう桝本市政までこぎつけました。現在の門川市政については、私はほとんど知りませんので、体験的という意味では桝本市政で完了です。桝本市政は20世紀から21世紀をまたいだ、まさに歴史的な市政で、ふり返ってみると、戦後の京都市政は意外と一貫していたように思われました。桝本市長の「新景観政策」は、まったく無謀な政策のようなのですが、これこそが、戦後京都市政の行き着く先であったのでしょう。今の市政は、理念が見えず、なにか崩れゆくような様に見えて仕方がないのですが!

2020.5.23
 為政者の志の高さ、今切実に求められています。個人の私的思惑や利益は、為政者たるものの最も忌むべきものです。前例のない危機にあるとき、このことが切実に求められています。「公」とは何かについて、すべての人が真剣に考えるべき時ではないでしょうか。いま、人類が試されています。
 体験的京都市政論もいよいよ終盤に向かいます。何とか最終までたどり着けそうです。まったく、青息吐息です。頑張ります。

2020.3.29
 2020年の年明け早々から徐々に展開しだした「新型コロナ問題」、最初はインフルエンザの一種で、そうたいしたものではないというような受け止め方がなされていましたが、このウイルス、何とも不可解な面が多く、いまだにその実態が把握できていないようで、今や、人類的な試練となってきています。が、それと共に、EUをはじめ、国家の仕組みにまでも問題が広がってきて、今や、近代から現代にかけて展開してきた、西洋文明の到達点とそのあり方にまで、問題は広がりつつあります。加えてわが国では、総理大臣に起因する公文書の改ざん問題がいまだにくすぶり続けていて、文書でもって意思決定やその形成過程を明らかにしてきたはずの国家行政組織の存立基盤そのものが揺らぎかねない事態となってきています。主張や利害の対立を言論で競うのは当然のことですが、そのために、嘘をつくのはだめですね。ただ、ネットの発達による情報過多が、逆に情報の虚実をわからなくしているのも事実でしょう。表面的な便利さに溺れることなく、人間としての見識をいかに深めるかに、もっと精力を傾注したいものですね。
 今回は、田辺市政の誕生経緯を中心に掲載しました。

2020.2.21
 今は、世界的にも大きな時代の曲がり角に来ているのかもしれませんね。その渦中にいる時には、なかなかその本質はわからないものなのです。心して、体験していくしかないようです。「第3節 都市建設の本格的始動」を計上しました。今川市政の「功」の部分です。

2019.11.29
 今回は、古都税問題を書きました。これに関しては、今から振り返ってみても、私自身が可なり詳細な記録を『京都市政調査会報』に残しています。ただ残念なことに、こうした京都市の記録は、京都市のどのセクションにもないのです。京都市政に関わる記録や図書類を一元的に収集して市民の閲覧に供するセクションが、これだけ情報公開や参加問題が進んでいるように見えて、実は、最も基礎的にして肝心な情報の収集とその市民への提供がなされていないのは残念なことですね。残念なことに、『京都市政調査会報』は府立の京都歴彩館にしかないのです。私は、この調査会報を編集していた当時、この会報を、京都市政の基本に係る政策の記録保存としての思いをもって編集していたのです。1973年から1988年までの京都市政の歩みは、この調査会報を見ていただければ、客観的な視点から理解できるはずです。
 それから、昨今の為政者の情報隠しとウソには、ほとほと嫌気がさいます。主義主張の違いはあっても、与野党ともに、堂々と渡り合ってほしいものですね。

2019.10.16
 今川市政滑り出しにおける二つの躓きの一つ「同和行政」について書きました。つぎはもう一つの古都税です。
 それから、現在の地方自治についてですが、京都市も含めて、やはり、ネーミングライツ(命名権の販売)はやめるべきです。公共財の名称を、一企業の名称にすることは、原則的にはやるべきではないでしょう。
  地方公共団体は、住民の自治組織です。その意味では民の集合体です。ですから、公共団体に民間の名称を冠した施設があってもいいではないかという意見も分からないではないが、それはあまりにも短絡的な見方ですね。施設からその名前を切り離して命名権を売ると、その結果は、金のある一部のものの名称になり、公共財の私物化になりかねないのです。そして、せっかくの公共への愛着が遠ざかり、そこに従事する公共的職員の創意性も弱体化することになります。誰のために・・・と。いらざることを書いてしまいましたが、いずれきちっとしたことを書くつもりです。本来、資金力のある企業は、もっと公共団体に、自己の狭い利益にとらわれない、純粋な寄付行為を積極的にするべきなのでしょうね。地方公共団体はそのことを顕彰すればいいのです。

2019.9.8
  第2節を終え、1980年代の第3節に入りました。まず、舩橋市政から今川市政への移行期の諸問題を扱います。
 さて、世界は今や、他の意見を寄せ付けない強者の時代に入ったようですが、その内実は、数世紀にわたる欧米の世界支配の揺らぎにほかありません。我が国も、弱者への敵意でもって動かす政治から、自らの主体的な生き方を、一歩一歩進めていくべき段階にきているのでしょうね。
 強大なものと敵対するのは意味のあることですが、強者が、弱者への敵対感であおる政治の仕方はやめるべきでしょう。敵対的憎悪から、融和的協調へ、をモットーにしたいものですね。

2019.8.12
 今回は、市政と「闇の帝王」との関係について、触れることにしました。私の知りえたところは、ほんのごく一部にしかすぎませんが、それなりの実相も多少は承知しています。しかし、ここに改めてこの問題をふり返ると、当時の京都信用金庫などの実相はともかくとして、大きく京都市を含んだ京都全体の支配網のようなことを考えると、本当のところはどうなんだろうかという思いが強くなってきます。「闇の帝王」は多分に虚像だったのではなかったかということです。京都市のトップをはじめ、主要幹部のほとんどがかかわっていた、或いはかつての大物幹部のOBがかかわていた、ということの反面は、「闇の帝王」の強いリーダーシップがあって、ということではなく、これを京都市政のほうが利用していたのではないかという思いも捨てきれないのです。そして、これらのことは、後の時代の方々にその判断は委ねられるのです。今の私に言えることは、これは、オール与党形成当時の”真夏の夢”だったのではなかったかということです。いずれにしても、「帝王」なるものには、虚像と実像がないまぜになって大きく膨らんでいくものでしょう。
 今、お盆のさなかにあります。
 

2019.7.17
 今回は、京都市にとっての初の総合計画(基本構想・基本計画)の策定問題を取りまとめました。語りつくせないほどの苦労があり、また犠牲者も出した、なかなか大変さ作業でした。現在の基本構想は、そうした積み上げの上で成立していることを吟味してください。
 国政の方も気になりますが、なかでも韓国とのあり取りです。互いに「心」のないお仕事は、実りませんね。悲しい思いでいっぱいです。

2019.7.3
  ナメクジの歩みですが、6月14日には「世界文化自由都市宣言」に係る経緯をまとめ、今回は「空きかん条例」問題をまとめました。どちらも舩橋市政の根幹をなす政策です。
 最近の政治で痛感するのは、政治は所詮は票取り合戦だと言ってしまえばそれまでですが、その票が一人ひとりの国民の痛切な生活であるということを考えるならば、政治家や、まして官僚たちには、その場しのぎのごまかしではない真実の言葉を堂々と発してほしい、その結果負けても、明日のためにはそのことが大切なのではないでしょうか。まして勝者は、堂々とした真実をこそ語ってほしいもんですね。その時の自分のためではなく、明日明後日の次の時代のために。


2019.5.7
  何をどこまで書くかということは、本当に難しいことです。ことの本質にアタックしていただくためのきっかけになれば、との思いで、この「想いで語り」は書いています。当時のことを思い出しながら、ときにはその中に沈殿しながら、牛の歩みならぬ、ナメクジの歩みで書いています。
 京都の現在ただ今のことにも触れたいのですが、なかなかそこまで手が回らない状態です。歳甲斐もなく焦りを感じますが・・・・・。

2019.4.8
 今回は、「想いで語り」の第2章第4節の4に「マイカー観光拒否宣言」の項目を追加しました。
 今回の大阪の強引なダブル選挙、大阪都構想が気になります。いずれ触れたいと思います。

2019.3.13
 「想いで語り」、今回は、第2章第4節の3〜4を追加しました。まことにポツポツですが進んでいきます。内容も山あり谷ありです。次は、世界文化自由都市宣言に触れます。
 それから、隣の大阪では、今、「大阪都構想」ですったもんだですね。何百年或いは千年を超えて築かれてきた都市を、わずかな時間で解体していいものなのでしょうか。大阪は首都ではないのです。しかもかつての大阪経済は、政治に頼らず、自立した経済を実践することで、政治に依存した関東の経済界との違いを誇りにしていたのですが・・・・。近く、大阪都構想について触れてみたいと思います。

2019.2.23
 戦後京都市政主要年表を2008〜18年分を追加しました。最小限度の事項でそれぞれの時期を的確に表すことは骨のいることで、かつて、自分自身がその渦中にあったときには、ことの重要度の違いは言わずもがなでわかっていたのですが。いまは、記録でしか把握していないので、なかなか苦労をしました。その割には、十分絞りきれたものにはなりませんでした。

2019.2.9
 大分ずぼらをしていましたが、市政略年表を追加しました。2018年までの3年半分です。
 昨今の政治や経済界を見ていて強く感じるのは、その職や地位にあるものは、現在ただ今の任務を果たすのは当然のこととして、さらに現在を超えた将来への役割に留意すべきであるにもかかわらず・・・?。である。端的に言って、ポスト自己にこそ、真剣に立ち向かってほしいものである。己の価値が、今だけであるのであれば、その結果としての明日への災いが大きすぎるのではあるまいか! こうしたことを強く感じる昨今です。

2019.1.27
 基礎的な調査の軽視が問題となっていますが、その最大のものが、経済企画庁の廃止でしょう。調査に基づく客観的な分析よりも、時の政権の政策に都合のいい数字や分析がこれによってやりやすくなったのです。特に、小泉政権下での経済財政諮問会議のもとでの竹中平蔵担当相による『経済財政白書』がそうですね。経済企画庁の『経済白書』のような客観性はこれによりなくなったのです。『経済財政白書』は、時の政府による宣伝媒体となったのです。経済社会に対する科学的な調査とそれに基づく客観的な分析がなければ、先進的な近代国家とはいえないでしょう。この際、政治から独立した済企画庁的な行政機関の復活を期待したいのもです。
 さて、今回は、市長選挙の推移の補充をしました。来年2月が市長選挙なのですね。

2018.12.27
 今回は、「福祉の舩橋」市政のエッセンスの部分を述べました。思わせぶりなところがありますが、これは何だと思われるところがあれば、そこからそれぞれに解明作業をしていただければ幸いです。
 世情は、今や国内はおろか世界が揺るがされています。自らの立ち位置をしっかりと意識することが大切です。京都の今も重大な局面に立っています。一時の稼ぎよりも、長期的、本質的な考えを持ちたいものですね。「知恵」は小賢しさに流れます。愚鈍でもよい、長期を眺めましょう。

2018.11.4
 熱狂的な富井市政から舩橋市政への移行について、語りました。意を含んだ書き方が多くなりますが、それなりのきっかけや糸口を示すことはしているつもりですので、意のあるとこをはくみ取ってください。それなりの立場でさらに具合的に深めていかれることを期待しています。ナメクジのような歩みですが、とにかく全文を全うする覚悟です。それにしても、昨今の世界の指導者たちは、我が国を含めて強権的な人物によって占められるようになってきましたね。私たちは賢くあらねばと心底思います。

2018.6.18
  「思い出語り」は、遅々としてなかなか進めませんので、どのようなことを語ろうとしているのかについて、先にお示ししておいたほうがいいのではないかと、今回、全体にわたっての詳細な目次を添付することにいたしました。このように、頭の中ではおおよそのものが出来上がっているのですが、何分、眼の調子が悪いために、少しずつしか作業ができません。今や、寿命との戦いになってきましたが、これは時間がかかってもやり遂げるつもりです。また、これは、生きがいでもありますから。

2018.6.3
 京都市政の「想い出語り」は、第2章第2節の富井市政が漸く終わりました。つぎは第3節、富井市政から舩橋市政に着手します。
 それにしても、世界もわが国も、事実を事実として語られない時代になろうとは夢にも思いませんでした。事実か、真実かなどを議論していた時代が懐かしく思います。若い人たちは、フェイクニュースに惑わされない、きちっとした総合的な知識を身につける必要性がありますね。

2018.5.14
 遅々たる歩みですが、京都市政の「想い出語り」またわずか書き足しました。あと一息で舩橋市政にはいります。とにかく、完走するつもりです。

2017.12.30
 書きたいことは山ほどあるのですが、頭と目の調子が悪く、筆は遅々として動かず、という日々が続いています。そして、それはそれなりの作業を少しでも進めていこうとしています。ということで、京都市政の「想い出語り」わずかですが書き足しました。「富井市政の市政運営メカニズム」の7割ほどです。とりあえず、これで年を越させていただきます。
 今日の政治状況についても、それなりに記したいことがありますが、それはまたの機会とさせていただきます。

2017.10.4
 違憲であるか否かは知らないけれど、首相によるいたずらな衆議院解散は憲法の想定している範囲を逸脱しているのは明らかです。政策論争を云々するのであれば、闇討ちのようなやり方ではなく、まず国会において審議を尽くした上で、場合によっては解散で民意問うということがあってもよいかも知れない。そもそも、憲法では、衆議院は任期を全うするのが大前提で、それ以外の解散は例外中の例外である筈。”解散は首相の専権事項”などというのも、憲法の想定していることではない。時の政権党がそのように運用し、最高裁も憲法判断を回避してきたものに過ぎない。そもそも、行政府が、立法府をいつでも好きなときに解散するなどというものは、法治を基礎とした民主主義国家とはいえないではないか。と、このように思っています。と思っても、今更どうなるものでもありませんが、今や、政治は混迷期にはいったのではないでしょうか。我々一人ひとりの国民がしっかりしなければならないときなのでしょう。
 ところで、「想い出語り」第2章の革新市政の誕生を掲載します。粗いものですが、時間がかかりすぎるよりは、とりあえず、粗いものでもいいから早く出すほうがいいのではないかと思ったところです。いずれまた、精査してみるつもりです。とにかくどういうものかということをできるだけ早く出すように心がけます。

2017.8.21
 「想い出語り」は、何とか第1章の高山市政を一応終えることができました。具体的なエピソードめいたものはきりがないほどでてきますが、それはそれ、誰もが持っておられるものです。今度は、第2章の富井革新市政の誕生に移ります。多分、その熱気は、高山市長誕生時のそれに共通するものがあったのでしょう。歴史は複雑です。

2017.6.29
 二十世紀後半の京都市政の「想い出語り」は、ようやく、「第1章第4節農政局の誕生と消滅」を掲載することができました。これは、私の市役所生活の原点で、良し悪しはともかく、以後の私の市役所生活の生き方はここで形成されたと思っています。
 ところで、加計問題での最近の前川文科省前事務次官の日本記者クラブでの会見は、実に見事なものでした。気負わず、政治的にも偏らず、中立公平で、あくまで日本の官僚として、国民に奉仕するものとしての立場からのしっかりとした発言には、感心しました。権力の横暴に対する効した毅然とした立場を貫く官僚が存在したことに対して、改めて、日本はまだまだ捨てたものではないとの思いを強くしました。しかも、官僚として、個人の尊厳も大切にした視点は、見事としかいいようがありません。
 それにつけても、安倍政権側の面々の自己弁護、虚偽答弁のむなしさには余りあるものがあります。民主主義手続きを経た後の政権担当者は、特定利害の、特定主張の代弁者ではなく、国民全ての代表であるという根本が肝に座ってないのでしょうね。「公」というものの理解がないか、あっても極めて薄いのではないでしょうか。

2017.4.27
 今日、京都駅前へ行って、平安京羅城門復元模型を撮影してきました。やはりこれは、写真を掲載しなければと思った次第です。今は亡き二人を偲ぶために、やむにやまれずなれない写真を撮影しました。吟味してください。
 二十世紀後半の京都市政の「想い出語り」は、目をはじめとする体調の関係で、時間ばかりがいたずらに過ぎていますが、構想はできていますので、ゆるゆるとではありますが、進行させていきます。

2016.12.12
 10年ほど前からの国内観光客の増加は、大変喜ばしいことでした。が、ここ2,3年の外国人観光客のあまりにも急激な増加は、京都の街の、とりわけ生活環境にとって、明らかに悪作用をもたらしています。何か、街そのものが変わってしまいつつあるようです。その危機感を、時事コメントで記すことにしました。お考えください。

2016.11.24
 11月21日、羅城門復元模型が京都駅北口広場の西隅に設置され、その式典がありました。設置したのは、「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」です。平安建都1200年の記念展覧会「甦る平安京」展に展示された後、京都駅西側のメルパルクで展示されていたものの、昨今は展示もされないままにその地下に眠っている状態でした。こうして再び陽の目を見ることになり、かってこの模型製作に夢と情熱を注がれた、今は亡き一人の人を偲び、コラム欄に一筆をしたためざるをえなくなりました。お読みいただき、その実物を是非鑑賞していただくことを心から願うところです。いつの日にか、実物大の羅城門が建築されることを夢見て。

2016.11.10
   トランプ・ショック、米大統領選挙のトランプ当選の衝撃波が世界を揺るがしました。その波は、当然日本にも、そして京都にも及んできます。それはそれとして・・・・。
 京都市自身の問題、それは、1000年の歴史都市として、一時の変化に動揺することなく、自らの歩むべき歩み方を心得ることが慣用です。ということで・・・。
 書きたいことは山ほどあるのですが、ワーキングが思うようにいかず、残念ながら、ポツポツと参ることにいたします。いろいろ悩みましたが、今回から、新たに、「想い出語り 戦後京都市政を顧みてー体験的京都市政論ー」をはじめることにいたしました。京都市政が目指すべきものを求めて、それなりに、打算を超えて自己を投入してきた者の、また、それなりに旗振り役を務めてきた者の、最後の努めのつもりで、できうる限りで纏め上げたいと考えています。時代が変わっても、京都市政を担うこれからの若い諸君、京都市政に興味を寄せられている市民や研究者の方々の多少ともの参考になるものになればいいのですが。この一文がきっかけとなって本格的な考察が進められることを念願するところです。不易流行・・・・とはいえ、「現代」をいきるに教科書はありません。歴史を学ぶ、歴史に学ぶ、歴史に求める、といいつつも、その問いの難しさに、今更ながらに悩み続けています。

2016.04.13
 今回、本ホームページのプロバイダーをkyoto-inetからeonet.ne.jpに変えることになりました。そこで、多少の気分一新をと思い、HPの表紙の構成を変えてみました。わかりやすくした心算です。
 これからのHP制作についても、私も老境に入った現在の状況から、長年の経験を元とした参考情報の提供を旨としたものにしていく心づもりを示したところです。

2016.04.04
 このところずーっと気になっていたことがあります。一つは、18歳選挙権付与の問題、いまひとつは、文化庁の京都への全面移転の問題です。いずれの問題も、本当にそれでいいのか!ということです。今回は、京都に関わる文化庁移転の問題を考えてみることにいたしました。文化庁は京都に全面移転しても、その責任はあくまで政府にあるという本質的な問題は忘れてはならないことだと思います。

2015.08.27
 略年表に2015年の前半期を加えました。この略年表は、実はかなり詳細な手作りの年表から抽出しているんですが、いずれは、この詳細な年表も掲載しようかとも考えています。
 それにしても昨今の内外の動きは、世界と国内、政治と経済、国政と地方自治、それらの全てを一体的に捉えなければ、的確な方策を考えることすらできない状況になってきています。大変な時代ですね。心しなければなりません。

2015.08.9
 略年表に2014年を追加しました。その大略を概観すると、京都市政も、時代の要請に適応しながら進んでいるのがよく分かります。それにつけても一昨年辺りからの観光客の増加はおよそ桁違いの感じです。私の居住する東本願寺門前の烏丸通近辺は、外国人の往来でこれまでとは全く様相が変わってきています。地元民は、少数者になってしまいました。
 この数年間、いろいろ感じ、思うことは多いものの、それを表現することに気後れするようになりました。現場を離れてきたせいでしょう。これからは、少し距離おいた見方で考えていきたいと思っています。

2014.07.22
 先に、本年3月31日をもって本ホームページを閉鎖することとしていましたが、継続することが可能となりましたので、このまま継続することにいたします。移行する予定のホームページも併せて同内容で進行させます。
 さて、今回は、略年表に2013年を追加しました。
 このところ、諸種の事情でHPの更新が滞っています。その間、地方自治に限らず、国政や世界の状況も激しく動いています。それなりのワーキングはしておりますので、そのうちに追々と記述していきたいものと考えていますが、何分いろいろと大問題がありすぎますので・・・・。
 とにかく、今は、個別の問題よりは、世界の中の日本の立ち位置をどう築きなおしていくかが最重要の課題ですね。ある意味、地方自治の現在の制度は基本的にはほぼ十分であって、制度やシステム問題にエネルギーを消耗させるのではなく、具体的な課題そのものに対処するべきときなのでしょう。

2013.09.14
 略年表に2012年を追加しました。
 橋下大阪市長の「大阪都構想」も正念場を迎えています。乱暴な改革は、決していい結果を生まないでしょう。国政が今や世界の激動の中で揺らいでいるときにあって、地方自治が過剰に自己主張をすることの危うさには怖いものを感じます。いずれ、今日の地方自治の問題について、コラム欄で、いささかの考えを述べてみたいと思っています。

2013.04.22
 以前からの日銀の対応の仕方には大いに疑問を持っていただけに、黒田日銀の大胆な政策転換には大いに賛同できます。批判の多い副作用については当然飲み込み中のはずで、デフレへの果敢な挑戦の前に、その後の問題を論じてブレーキをかけるのは所詮は現実を直視していない「理屈」の領域の問題と思っています。金融政策は、基本的には常に右に左に微妙なる舵取りをするのもでしょう。久方ぶりに“さすが”という思いです。
 今回は、略年表に2011年を遅まきながら追加しました。近く2012年も追加します。
 

2013.04.18
 このところ、思いは山ほどあるもののワーキングが進みません。時代は急速に変化し、現実認識をじっくり考察する風潮はなくなりつつあります。表面的な現象を追いかけて世の中は推移します。危機感はあります。危機感の中からいずれは何かが生まれてくるでしょう。地方自治の世界も、今や、国際的な荒波の中にある国家のありようの中でしか生きていくことはできないでしょう。まず、わが国家そのものの再生が最優先ではないのかとの思いにかられています。
 なにはともあれ、地域の自立心なくして国家の自立もないというのは、明治以来の命題です。自立とは、制度やシステムではなく、究極的には精神の問題なのではないでしょうか。
 今回、昨年、2012年2月の市長選挙の結果を「京都市長選挙の推移」に加えました。

2012.09.30
 8月29日、「大都市地域における特別区の設置に関する法律」が参院本会議で可決、成立しました。いわゆる「大阪都」構想を実現するための法律を、さしたる深い検討を加えないまま、いずれの中央政党も、橋下大阪市長の影響力にあたかもおびえるような風潮の中で、大都市に一般化させた形で成立させたものです。政令市における行政区は、あくまで大都市行政総体の中での地域的な市民の日常生活にかかわる行政体であるのに対して、議会も備えた特別区は、中規模的な都市行政体であり、大都市を分割するものです。「分権」という心地よいことばによって、分割し、権限を委譲していくことが果たしてどういう結果を生むことになるのでしょうか。都市は、その都市総体として形成されてきたものであり、これからも生きていくものです。大都市とその行政区、そして新たな特別区問題を考えるに当たって、大阪市の行政区の再編成の歴史的研究を一度は省みてほしいと思い、本HPの「関連諸論稿」で紹介することにしました。大阪市や京都市の図書館、国立国会図書館などにあるはずです。

2012.07.27
 久しぶりに、「気軽な時事コメント」を記しました。昨今の動向に溜まっていたものを吐き出したような書き方ですが、その気持ちを察してください。このHPに改題する前のHPでは、「世界的分権の潮流の中で・・・・」を問題意識として有していましたが、それは、ヨーロッパが欧州共同体としての歩みを進める中での、欧州における地方自治の状況を見てのことでした。しかし、EUは、国家の主権をそのままに共通通貨体制の下で、苦しんであり、その弊害面は、ギリシャなどの財政危機として世界経済にも重大な影響を及ぼしています。その問題の根源は、国家主権が解体できないことです。ことほど作用に、今の世界状況は、かつてなく国家が重要になってきています。世界平和も、世界経済も、国家主権のせめぎあいと調整でしかそれは実現することができないようです。こうした時、素朴な「地方分権論」はもはや卒業する必要があると考えるに至りました。地方自治問題も、国家統治との関連において考えなければなりませんが、今は、地方自治問題以上に国家の統治問題を考えなければなりません。世界の中における日本国家そのものを、です。国家の自立という問題を真剣に考えたいものです。

2011.07.05
 かねてから、あたかも崩れ行くような日本政治の状況に対する憂いのような思いを抱いてきましたが、その思いの一端を「才と技術の政治を超えよう」という一文として、「気軽な時事コメント」の中に掲載しました。思いのところを少しでも理解いただければ幸いです。

2011.06.18
 「京都市長選挙の歩み」に、2008年2月の選挙結果を追加しました。大分遅くなってしまいましたが。
 以前からそうでしたが、このところほとんど筆が動かなくなってしまいました。政界や経済界のあまりな状況にはかない思いがつのる一方です。でも、これからの人たちのために、何か出来うることがあるとすれば、少しでも全うな見方、考え方をする場合の参考を提示することではないかと考え、自分自身を鼓舞していきたいと思います。
 3.11の大震災以降、それが自然災害だけではなく、それに適切に対応できなかった人災面も加わっているだけに、改めて、なぜこれほどの事態を招くことになったのかについての戦後日本の歩み方を振り返ってみなければなりません。政治家や評論家の指摘には、政治行政のシステム上の問題を指摘する向きが多いが、本質はシステムの問題であるとは考えません。人間育成の問題であると考えます。こうしたことも少しは考えていきたいものだと思っています。タイムコメントやコラムで少しずつ歩んでいければと考えています。

2010.10.20
 政権交代後の民主党の動向というか混乱を見ていると、国家統治というものの困難さ、重さというものを今更ながらに思い知らされます。未熟ではすまされない現実があります。国民との同質性よりも、遙かに高く重い見識と勇気が必要とされます。そうした政治家が今後どのように形成されるのでしょうか。自民党的な国家統治と政治家、行政を否定した場合、どのような過程を経て、政治家や官僚は育成されていくのでしょうか。政治主導とは、それを可能とする政治家の見識と指導力、そして勇気にかかっているのであって、決してシステムの問題ではありません。政治、行政、経済界を循環して育っていくアメリカ型の政治家形成ではなく、日本独自の国家統治能力を有する政治家形成の場の展開を考えなければならないのではないでしょうか。

2010.2.7
 政権交代は事前に予想されていたことではあっても、やはり戦後我が国の歩みのなかでは衝撃的であった。そこには、期待と不安と危惧が混ざり合っている。そのあたりのことを少し久しぶりのコラムで書いてみました。それにしても、民主党代表と幹事長の政治資金問題は、自民党的な残渣を民主党も引きずっていることを如実に示していますね。ともあれ、早く与野党が健全に競い合い、政権交代が普通のこととして行われる時代がくることを願っていますが、権力奪取というものは、民主主義制度のもとであっても昔からの国盗り物語なのでしょうか。そうでないことを願っています。

2009.6.26
 京都市政の大枠理解のための雑文が当初の一筆書きのつもりがそうでなくなり、その後諸種の事情も重なり息切れしてしまいました。とりあえず端折って一応のけじめをつけることに致しました。多少とも大枠の理解の手助けになれば幸いです。タイトルは「近現代都市京都と都市行政の歩み」と致しました。

2008.10.21
大分ブランクがあきました。多少気力も戻りつつありますので、京都市市政大枠理解の雑文作成の作業をボツボツと再開します。詳細のものを記すことはできませんが、念頭にある基本的な事柄を記すようにしたいと思います。今日から明日への京都と京都市政のためを念じて、今少し努力してみます。
 国や経済の事柄に関する時事的な問題を記してみたいことは山ほどありますが、今はそのことを可能とする条件を持っていません。残念なことですが・・・・。
 一ついいたいことは、流通している情報を超えた目や基本的考え方を、私たち自身がいかに身につけるかということです。与えられた情報の中でのみ考えることは、常に悪しき罠に陥るからです。日本にしてもアメリカにしても、世の中はいかに情報操作に満ちあふれているかということです。このことは、指摘することは簡単ですが、一人一人が実際に心がけ続けることは必ずしも容易なことではないでしょう。それ故になおさら大切なことです。

2008.5.11
戦前戦後をとおしての京都市の大枠の歩みが3カ月も中断しました。2月中頃に眼球出血をし、その頃から右手指の腱鞘炎、4月初旬には資料の整理中に左手首の肉離れなど身体のあちこちが故障して、しばらく静養せざるを得なかったからです。どうも積年の弊と老化現象が一体をなして現れたようで、こうしたホームページでの作業も大分限界にきつつあるような感じです。が、多少とも余力のある限り、少しずつでも続けていきたいものと考えています。
 思い、感じるところはまだまだあります。気まぐれなテンポとなりますが、今後ともよろしくご購読くださいますように。

2008.2.10
 この頃は、気軽なはずのこのコメント欄にも気後れがするようになり、ずいぶんとご無沙汰してしまいました。それでも、なんとか、京都市都市行政の大まかな歩みを綴ることになりました。
 当初は、ホンの2,3週間で書き上げるつもりであったのが、半年はおろか1年がかりになってしまいそうで、雑用が多いとはいえ、ずいぶんと遅筆になってしまいました。
 趣旨は、現在ただいまの京都をいかに詳しく分析しても、近代から現代を通しての京都の展開の中で現在の都市・京都の位置を基本的に認識しておかないと、良かれと思ってなしたことがかえって禍となることにもなりかねないという危険性を訴えたいということです。事実をどう認識するかはそれぞれの主観によりますが、大局的な京都の位置関係を理解した上での判断が極めて大切なことなのです。
 書き始める時には、戦後をかなり丁寧にと思い、わりあい詳細な章立て構成を紹介していたのですが、改めて考えてみて、やはり今回は、都市京都の近現代の大きな歩みをいかに掴むかという趣旨に照らして、それを理解しやすい構成に思い切って再構成しました。これからの京都と京都市政を考える基礎的な参考にしていただけるものになるよう、ボチボチですががんばるつもりです。今しばらくお付き合いください。

2007.7.28
 この数年、本当にいろいろありすぎました。2001年5月に「新世紀京都市政論」をものしようとしたのですが、結局挫折しました。問題意識は今も変わりませんが、替わって、今回新たに京都市政の戦前戦後にかけての大まかなポイントと考えられる流れをまとめてみることにしました。明日の京都を考える一助としてのつもりです。何とか全うしたいと考えています。

2007.1.27
 2006年の京都市政年表を追加しましたが、やはり、地方自治に関わる国などの動きを加えないことには市政の基本的な動向も把握できないので、新たに地方自治に関わる主な動きを2006年分から加えることに致しました。本当をいえば、各年の特徴的な解説を加えれば更に良いのですが、今のところは時間的なゆとりがなく、いずれそうしたものも加えていきたいものと思っていますが・・・・。

2007.1.1
 明けましておめでとうございます。
 小泉構造改革内閣も5年という長期間を経て、ついに安倍晋三内閣へと交代しました。1昨年の郵政選挙からすれば、郵政民営化法案が通れば、再度国会を解散してその後の国政運営の在り方を問うのが本来であったはずでしょう。ましてや内閣が代わり、国政運営の基本的な方向性に変化があっても、郵政国会のままで何でも圧倒的多数で進めるということには怒りを禁じ得ませんが、他方で、野党もしっかりしないことにはどうにもなりません。はたして、安倍内閣では圧倒的多数によることからくるおごりというか、ゆるみが見え、我々国民も今一度郵政国会の位置に立ち返って、問題の所在を考える必要があるようです。
 タウンミーティングのヤラセ問題が顕在化してきましたが、こうしたことは、大小を問わず、権力のある種常識であったのかも分かりません。そして、それは官民をとわずです。「説明責任」ということがよく言われますが、説明というものは所詮説明者の都合による一方通行のものです。基本は、情報開示でしょう。結局、小泉構造改革でも、こうした体質改善については全く進んでいなかった、というよりも、真実の情報や、本当の問題の所在については明らかにされることはなかったという面が多かったようです。
 21世紀に入ってからの、私の経済政策がらみの勉強も現在一段落しつつありますが、以上のような点のある種実証であったのかも分かりません。民主主義という建前のなかでの実相を明らかにする作業はいよいよ重要になってきているようです。
 今回「コメント」欄で紹介した伊東光晴京都大学名誉教授の『日本経済を問う』は、一読して、先生も大分気が短くなられたような気がしました。それは、ご年齢の問題もさることながら、やはり時代に対する切迫感から来るところの苛立ちがあるのでしょう。それだけに、反論のある人もあるでしょうけれども、わかりやすさからすれば、難しい経済政策の話を極めて分かりやすくなっています。今日の政治経済の根本を考えるもっとも適切な分権として推薦したいと考えています。
 小泉構造改革については別文をこのホームページに掲載していますが、いずれ、その続編のようなものをまとめたいとも考えています。また、地方自治の問題も取り上げたいのですが、わが国の問題が根本のところで激変しつつあるだけに、なかなか局地的な問題に向かうことができず、その兼ね合いに苦慮しています。それは、「地方分権」というものの理解の仕方の本質に関わりますから。
 2007年もいよいよ大変ですね。年齢を考えながら進みたいと思っています。

2006.11.2
 シンクタンクというものは大変難しいものです。というのは、表面的にはともかく、実際上の問題として、スポンサーとの関係はその活動内容に強い影響を与えます。そしてまた、シンクタンクがスポンサー抜きで成立するかというと、それは不可能に近く、不特定多数の協力を得る場合、やはりそのためのサービスが大切で、活動はその協力者の期待に影響されます。その意味では、世のシンクタンクというものは、すべからく、そのスポンサーに貢献するために設けられたもので、国民一般のためのものではありません。しかし、シンクタンク所属の研究員の中には、純粋であろうとする人たちも多く、そこに経営と活動との緊張関係があります。「金を出しても口を出さない」というスポンサーは理想ではありますが、現実にはほとんど存在しないと言っていいでしょう。政府や大企業関係で無数のシンクタンクがありますが、その成果物は、その意味では、鵜呑みにせずに、冷静に見つめる必要があります。
 京都市政調査会に従事していた十数年、そのあたりは極めて慎重に判断してきましたし、腹の底では、いざというときには、全頁赤文字での『市政調査会報』を最終号として発刊する覚悟をしていました。が、現実にはそういう事態が生まれることなく、貧しくとも自由に活動できたことは幸せであったと思っています。
 本来難しいことを、少しでも可能ならしめる一つの事例として「解説・京都市政調査会のあゆみ」をお読みくだされば幸いです。京都市政調査会は、結果として、京都市政がオール与党体制下で活動し、オール与党体制の崩壊とともに終えんしました。その間(1976年から1988年)の比較的公平な京都市政の記録でもあるということはいささかの自負するところではあります。

2006.6.20
 昨秋以来、日銀の独立性については気になっていたが、それを記すことがなかなか出来ないままにきましたが、ようやく久しぶりのコメントとして記すことが出来ました。それにしても、国家権力の横暴というか、怖さは、昨今の世界中にあふれているようで、いずれまた記してみたいと思います。

2006.1.31
 京都市政略年表に、2005年分を加えました。

 昨年来、全くの寡黙に陥ってしまいました。時代状況といってしまえばそれまでなのですが、出口が見つからず、困惑の日々です。
 それにしても断定口調の書籍が多いこと。政治や経済界も同じですね。将来に対する責任感はどこへ行ってしまったのでしょうか。大多数の国民、庶民としての視点から、ポツポツとでもことの本質を明らかにしていかなければと思いつつ日々が過ぎています。情報収集や思考は怠っていないのですが、・・・・それ相当の活力を必要とするようです。もう少し、充填期間が必要なのかも分かりません。

2005.5.19
 ADSLを導入したのが2年前、今度は光ファイバーを導入しました。技術の進歩とその商品化の速度の速さに驚きつつも、そのありがたさを享受することにしました。関西電力系のケイ・オプティコム=「eoホームファイバー」です。
 ただ、導入した瞬間の一瞬の間隙を縫ってウイルスが侵入したようで、ほぼひと月、パソコンの復旧修理の繰り返しで振り回されていました。

 さてこのホームページですが、2年前に停止し、OCNに移行させていたのですが、今回、改めて、その分も補充することで、当分継続することにいたしました。いずれ、「eonet] によるHPも開設するつもりですが、当分の間は、この「kyoto-inet」のHPでよろしくお願いいたします。とはいえ、このごろは、各界、各分野ともに、あまりな領域に達していてほとほと論評する気になれない状態が続いているのですが、そのことの問題も明らかにする必要があるのでしょうね。元気を蓄積しなければと思っています。

2004.12.19
 戦後京都市政の各種計画や主な構想をまとめました。時代とともに京都市政の移り行く姿がよくわかると思います。

2004.10.23
 このたび、京都市政関係の年表の補正をしました。精度の高い年表づくりはなかなか大変だということがよく分かりました。100パーセント正確な年表は容易ではありませんので、あくまで参考に活用していただければと思っています。今回の補正の特徴は、一つは、戦後京都市政の大枠の把握が可能なようにしたこと、今ひとつは昭和40年代以降の充実を図ったことです。
 書きたいことは山ほどありますが、あまりにも度を超えたことが多く、かえって何も書けなくなってしまっているようにも思います。気を取り直して、ぼつぼつとでも歩まねばとの思いです。そのうちに、ということで、よろしくお願いします。 

2004.4.30
 身の程もわきまえず金融行政の問題に関心よ寄せるのは、情報過多の時代にあって、真実の情報がいかに流されていないかの象徴的な世界であるからです。本当は、動揺し、迷走していても、為政者からは、「大丈夫」「問題はない」、「これが唯一の正しい方策である」といった類の断定的な発言は現在の枚挙に暇がないほど為されている。我々国民は、単純に思いこまされ、情報操作され、事を単純な善悪で判断させられ、時には過激となって、本当に大切な動向を潰しているように思えてならないのです。いかなる情報でもって判断するのか、その情報をいかに入手するのか、不必要な情報が過剰に氾濫する時代のこれからの長い長い命題なのではないでしょうか。

2004.1.30
 とにかく、深刻すぎて言葉のない日々が続きます。日本もアメリカも、リーダー層はどうしてこうも本当のことを言わないのだろうか。明治の政財界の有力者であり初代京都市議会議長であった中村栄助が、その子息である戦後の名京都市長であった高山義三に語っていたキリスト教信者となった動機によれば、石油の買い入れの契約をめぐって外国人と裁判沙汰になったとき、外人側は自己にとって不利益な点も損得にかかわらず正直に陳述したことは、キリスト教徒として神に誓いをするからであろうと、深く感じたからであったという(高山義三『わが八十年の回顧』1971)。こうした、「神に誓う」ということが日本と西欧との違いであるとはいえ、今のアメリカの政権を見るとき、誓いの空洞化を感じざるを得ないのではないでしょうか。
 京都市政略年表に、2003年分を加えました。

2004.1.1
 例年、新年にはこのホームページにも「新年おめでとう」の表示をしてきましたが、今年はどうもその気になれず、止めました。どう考えても、世の中も世界も良い兆しは見えず、また、私自身も、新しい未来への兆しを発見することができなかったからです。しかし、悲観ばかりしているわけにはいかず、ボツボツと多少とも役に立ちそうな何かを積み上げて、このHPに掲載していきたいものと考えています。多少の愚痴もいれながら。
 ま、年が変わること自体は、無機的な時間の経過にしか過ぎませんが、「年が改まる」という言い方には、その人の何らかの意思が働いているのでしょう。その意味では、私たちは、例え難しくとも、それぞれに何らかの意思をもって新しい年を迎え、立ち向かうべきなのでしょう。
 暮れから正月にかけて、野中広務元自民党幹事長の『老兵は死なず』を拝読しましたが、やはり時代の流れのむなしさを感じざるを得ませんでした。こうした時代、意思は深く内在させて進むべきなのでしょうか。それでも、年は改まり、私たちは自らの意思を持つべきでしょう。来たれ!2004年。

2003.12.13
 「『失われた十年』と構造改革を考える」は一応稿を終えることにしました。事態は際限なく続きますが、事の本質はおおよその検討がついたような気がしたからです。具体的な事柄の検証はまた一つひとつ手がけていくべきことだと思っています。また、時の課題とともに、今度は地方自治と京都市政についてもボチボチと触れてまいりたいと思っています。とにかく、問題のあり過ぎる時代ですね。長いお付き合いをありがとうございました。2年半も継続してしまいました。

2003.9.1
 政治の世界は、自民党総裁選挙と衆議院解散・総選挙をめぐって風雲急を告げてきました。心配なのは、政策が政争の具にならなければいいのだがということです。
 長い時間かかりました「小泉構造改革」の分析ももうすぐ終わらせたいと思います。そのあとは、京都市政そのものにも触れていきたいのですが、他方、もう一度、素人でインサイド情報を持たない者がどこまで真実に迫れるかの実験をアメリカのイラク戦争問題で追ってみたいという誘惑に駆られています。日本とアメリカとの関係を考えるにつけ、これは必要なことではないかと思うようになりつつあります。

2003.8.25
 技術的な問題もあり、やはりこのホームページは、8月をもって停止することにいたしました。新ホームページは、先にお知らせしておりましたとおり、NTTのOCNの 
http://www12.ocn.ne.jp/~mt10s4y/ です。これからもよろしくお願いいたします。
 世の推移に対して、あまりにも頭の中が飽和状態です。つたない一文を表すにしても、頭の中を振りほどいていくのに苦労をしています。世界も、日本も、わが京都も風雲急を告げています。何とか頑張らねばという心境です。

2003.7.11
 このつたなく文字ばかりで愛想のないホームページに対しても1万を超すアクセスをいただいてしまいました。おかげで、やはりうれしい気持ちをいだきましたが、同時に内容に対する責任を感じます。新ホームページとは別に当分の間、同様の内容で継続させていただくことにしました。よろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。

 気軽なコメントといっても何もかもが気軽ではなくなってきました。構造改革問題をはやく一定の結末をつけなければと思いつつも日時は過ぎ去るのみです。今や株価は驚異的に復活し、総選挙も具体的日程に上りつつあるなかで、小泉改革のボルテージも一段と上がっているようですが、それにしても株の世界とは恐ろしいものですね。政治の世界と一緒で明日が分かりませんから。過剰反応もまた政治の世界に似ています。

2003.5.17
 ようやく、ADSLを導入しました。いろいろパソコンショップで聞いたり、経験を振り返って見た結果、京都のIT戦略の一つ、kyoto-inetも当初はよかったのですが、やはり京都独自の市場や仕組みというものは、これだけのネット社会の普及の中では、そろそろ卒業の段階を迎えているのではないかと思うようになり、ホームページやメール・アドレスを変えることを避けたいと思いを捨て、全国ネットに切り替えることに致しました。
 このホームページは、今年度いっぱいは存続いたしますが、本日から、NTTのOCNに新に開設したホームページに移行し、更新は、新ホームページで行うことにいたしました。
 1999年8月から4年近くでしたが、お付き合いくださいましてありがとうございました。新ホームページのアドレスは次のとおりです。今後ともよろしくお願いいたします。

http://www12.ocn.ne.jp/~mt10s4y/

2003.3.10
 世の中、何もかもが風雲急を告げてきた。最近日本語訳が発行された『ブッシュの戦争』を読めば、アメリカの対イラク戦争への動機と機運が理解できる。9.11同時多発テロの心情への深い衝撃は、経験していないものにはその深部にまでは容易に理解はとどかない。アメリカにはアメリカの動機と経緯がある。今やアメリカあってこその世界のそれなりの安定もある。が、同時にそれが次の不安定要因にもなってきている。互いに不信を懐く相手には、互いに意思は通じない。結果は激突しかないのか。次は北朝鮮であるが、日本と日本政府、そして私たちの無力感は相当なものである。せめて、真実を見抜き、下手な言説に惑わされないだけの目を養いたいと思うや切なるものがあります。どのような選択にもばら色の明日はもはやないようです。覚悟の上の選択が必要となってきているように思われます。恐らくどのような選択にもリスクがあり、リスクの種類や性格が異なるのでしょう。良いだけ、悪いだけというものではないのでしょう。

2003.1.13
 現在の状況把握を試みるための、正月新聞各社の社説を丹念に読むことを心がけようとしました。多分力を入れているはずだから。そのためか、あまりにも力が入り過ぎて現実から離れすぎの感のあるものもあったように見受けられ、理解に苦しんだりしました。簡単なつもりが、やってみるとなかなか大変な作業になりました。荒いものですが、その結果をコラム欄に掲載しました。ゆとりができれば、手直しするかも分かりませんが、これが、日本の新聞界を代表する知性の実際です。参考にしてください。

2003.1.1
 兎に角ありすぎる。いろんなことが。一つの時代が崩れゆくということはこういうことなのか。時々刻々の成り行きを追うことで精一杯。それも遅れ遅れになる。一国の総理たる人の大変さはいかばかりかと思うが、リーダーたるもの、こうした時代には自意識をいかに超えるかが大切なことなのでしょう。言葉上ではなく、本当に私心を捨てて国事に、政事に身を挺する人が必要なのでしょう。このごろ、政治や行政よりも、なるべく自然に任せるほうが、日本もうまくいくようになるのではないかという感じがしてきます。経済政策や構造改革をみていて、結局のところ、日本の企業や国民自身が明日のへの新たなあり方を自ら築いていくということなんだな、と思うようになりました。改革といい、抵抗勢力といい、そうした根底からの新しい動きには邪魔をしないことが大切で、新しい時代は、政治や行政よりも、もっと深いところから育っていくのではないでしょうか。
 兎に角、色々ありすぎて、逆にものが言えなくなってきつつあります。
 新しい年といえどもそうした中での日常に過ぎない今日この頃です。

 実は、11月中頃に、「国が滅びるとき」というタイトルで一文を書いたのですが、あまりに過激だったので没にしました。年齢の加減か、大分気が短くなったのでしょう。以来、自分自身の中である種の停滞感が生じました。やはり、気長に考えなければならないのかな、と教訓にしています。自然の成り行きと制御との関係を間違わないような政治を期待したいものです。

 今年の主題は、デフレと戦争ですか。それにしても、地方自治と京都市政も大変で、いよいよ正念場ですね。もちろん市民生活も。

2002.10.13
 素直に、客観的に見ようとするのですが、どうしても政権批判になってしまう。その主たる要因は、小泉首相に、本当の意味での国民への語りかけがないことです。質問に外形的に応えるだけで、物事の認識の中身がほとんどなく、啓示されるものがない。しかも、喧嘩腰で、異なった意見の意味を考えようとしないことに加えて、政策変更につながることでも、一貫した従来路線の発展であるとの強弁が目立つ。なるほど一貫はしているのかもしれない。政策変更ではなく、異論を若干は取り入れる程度のことなのかもしれない。では、デフレの深刻な状況はどう認識しているのだろうかという疑問が湧く。すべてが「抵抗勢力」との戦いに収斂されてしまっているのだろうか。現実認識はどうでもいい、ということになっているのでは、と心配になってくるのです。国民の程度をよほど低く見ておられるのではないのでしょうか。そこに苛立ちを感じています。
 ノーベル賞の田中さんのように、新鮮で、素直で、勉強家であってほしい。私たちが啓発されるような未来に対する見識を語りかけてほしい、国民の悩みを感じる人であってほしいと思っているからでしょうか。

2002.10.5
 内向きの小泉内閣も、北朝鮮との国交正常化問題に手をつけて、いよいよ内向きだけではすまない状況となってきました。それにしてはあまりにも手薄は布陣ではありますが、これは、一内閣の問題ではなく、私たち国民全体の問題です。デフレ状況も待ったはなく、アフガンで「成功した」アメリカは、今度は対イラク戦争ということで、パレスチナ問題を横目で見つつ、差し迫った状況となってきていますが、否応なく我が国も巻き込まれます。中国も、ロシアも、他の国々もそれぞれに国益根底にして厳しいやり取りをしていますが、我が国はどうでしょうか。内外情勢を一体として捉えた視点からの対応策が問われていますが、為政者からの率直な課題の提起はありません。
 構造改革もいいけれども、大局的な視点からの歩みをたがうことなく、苦しくとも心を合わせた歩み方をしたいものです。小泉内閣の単純話法はそれとして、私たちは、本当のところを問題点を考える努力を重ねないと、今や我が国は破局に向かいつつあるとも言えそうです。国民一人一人の「自己責任」を小泉内閣やとりわけ竹中経済財政・金融担当相に強制されるまでもなく、自分自身で考え、対処していかなければならない状況に追い詰められつつあるようです。
 今年の2月以来もたもたして停滞したままになっていました「『失われた十年』と構造改革を考える」の仕上げにかかろうとしていますが、あまりにも日本の岐路に関わる重大事がこともなく展開している中で、その時々の時事問題についてのコメント気軽にさせていただこうと、今回新たに、「気軽な時事コメント」の欄を設けました。考えるヒントにしていただければと思っています。

2002.7.27
 小泉改革もいよいよ佳境に入ってきつつありますが、それにしても問題の捉え方や対応の仕方が問題それ自体を丁寧に扱うよりは、あまりにも政治的に扱われているのが気になります。そして、自民党の総裁である小泉総理と自民党のやり取りがあまりにも派手で、野党の存在価値がなくなってしまっていることも大変な問題でしょう。政治的劇場での正邪の戦いに幻惑されることなく、私たちは、自分自身の利害をしっかりと見つめ直して、物事それ自体のあり方から政治を見ることを心がけたいものです。あまりの問題の多さと大きさに、逆に筆が進まなくなってきつつあります。

 

2002.6.29
 田中真紀子騒動を捉えた草稿も2月に着手して以来5ヵ月も経過してしまいました。その間の政治の展開にはめまぐるしいものがありますが、基本構図に変化はないようです。本当に、与野党共に政治の世界からのメッセージにはなかなか信頼はおけません。また、小泉構造改革に対する識者の見解にもなかなかまっとうなものが少なく、世の中、本当の意味での議論を深め合うという状況にはないようです。何を基に物事を判断していけばよいのか、ということを常に念頭におきながら、政治と経済の構造改革問題の考察にこれからも取り組んでいきたいと考えています。今日でもって、とりあえず真紀子騒動は終わることにしました。大分はしょりましたが。
 それにしてもワールドカップ、自治体レベルで考えると、一体FIFAという団体はどうなっているんだ、といいたいですね。オリンピックの商業化が問題となっていましたが、オリンピックの比ではない利権の構造があるのではないかとさえ思えるのですが。近く、ワールドカップについても少し触れてみたいと思っています。

 

2002.5.7
 筆の遅さというのは、今ではパソコンのキーをたたく遅さと言うことになるのでしょうか。いずれにしても、なかなか現在只今の状況に追いつけません。そこで、ほとほと考えさせられるのは、政治や行政のあり方です。構造改革や規制緩和を唱えつつも、結局は全てが国家行政主導の現実をどう考えるか、私たちは心しなければならないのではないでしょうか。どういう社会、どういう国家にしていくかについて、実際には成り行きというものが大切なのですが、経済の仕組み一つ取ってみても、企業自身が対処すべき事柄までも結局のところは国家行政で仕組みかつコントロールしている現状。いつも言うことですが、完全なる自由社会や自由市場などはじめからないのですから、そこのところの程度問題を明確に意識して議論をしないと、結局はその時々の政権によって、これまでもそうであるように、これからも振り子のように左右にゆれるだけで消耗する一方になってしまうのではないかと心配です。仕組みの変化は常に新しい利害関係をつくります。利害や利権の存在しない社会などないのですから、リーダーや議論を提起する方々は、もっと正直になってほしいと思いますね。下手にばら色のイメージを撒き散らさないこと。それには、アイデアではなく、現状分析をきちっと明らかにすることこそが大切なのではないでしょうか。最近、国も地方も、現状分析よりもアイデア優先になってきているのではないでしょうか。
 ま、いずれにしても、一人一人個人に立ち返ったときには、既に十分鍛えられてきていますが。

 

2002.4.13
 うっかりしていたのですが、「上田作之助論稿集」を掲載するときに、既に「戦後京都市経済行政年表」についてもおおよそ作成していたのですが、それを忘れていて、年表づくりはなかなか大変だからなーと気になりつつも工事中のままにしていました。でも、おおよそできていたのを発見して、若干手を加えて今回掲載することにしました。今後順次補正していきますが、とりあえずご参考にしていただきますように。

 それにしても、我が国の政界の忙しいこと。事態は動かないのに、政情だけはめまぐるしく、真紀子−上野−宗男から、辻元、加藤、さらにまた真紀子に今度は小泉総理、さらにさらにとどう展開していくことやら。元をただせばアフガン支援会議のNGOに端を発したものですが、今や与野党問わず、日本の政界の体質そのものの醜態をさらけ出し、深刻なる国状解決は二の次三の次なのでしょうか。「真紀子騒動」も古くなったのかもしれませんが、やはり元の展開のところをじっくりと攻めていきたいと考えています。

2002.2.11
 昨年の春以来、自分の専門領域以外の、直接触れることのできない世界の事柄についての考察はいかにして可能か、ということにとらわれてきました。自分が直接知りえない事柄、世の中はそこで動いているにです。民主的な政治というものは、その構成員一人ひとりが、物事を知り得るし、またまっとうな判断ができ得る、ということを前提としています。そこで、通貨政策とそれを取り巻く政治について、一国民として、真偽織り交ざった情報の錯綜する中から、多分こうだろうという辺りについて、見当をつけるように努めてきました。こうした作業から言えることは、専門家の理論といえども、それは一定の仮定された条件の中での見解であり、現実世界それ自体に対する見解ではないということ。当事者の発言も、極めて多用にして錯綜しており、本当のところは何が事実であるのかさえ定かではなく、多くの情報の、それも一見相反する事実であってさえ、その全てが現実を構成していることもあるということ、と同時に、その全てが事実ではないことさえあり得るということを考えざるを得ませんでした。
 小泉内閣の田中真紀子外相更迭騒動は、まさに虚実織り交ぜた見本のようなものであり、私自身の経験的判断力を基にして、解析してみることにしました。情報開示や情報公開がいかに用意されていようとも、こうした本当に判断のために必要な事柄の真実は、決して直接話法としてはどこからも明らかにされないものです。もちろん、小泉総理の話も全面的に信用するわけにはいかないし、田中真紀子前外相の話に至ってなおさらのことでしょう。
 ま、いずれにしても、私の場合は、京都市政に関しては、過去インサイド情報も含めてかなりの情報を蓄積していましたが、いざ書き、話すとなると、その数パーセントにも満たない情報量で、しかも誰もが入手できるレベルの情報でもって、それらを為してきたのです。私の専門外の、また直接接触し得ない世界の情報について、その真偽錯綜する中から、「ここまでなら本当のところであろう」というところを見出す、この作業はなお当分続けざるを得ないのでしょう。この作業は、一国民が政治を判断する基礎となるものですから。

 

2002.1.1
 恐ろしい21世紀が幕開けし、はや一年を経過しました。生きるということは、所詮未経験な明日の世界に踏み込むということですが、それにしてもこれまでは一定の経験的な思考が活用できてきました。しかし、今や過去の経験が必ずしも有効に作用しない領域に入ってきたのですが、日本人にとってその最大の問題はやはり世界との連関という視点とその情報、論理でしょう。世界で儲けることはあっても、あくまで自国一国主義できた日本が、バブルの進行過程とともに急速に世界の中に吸収され、今や世界との連関の中で考えることなくして、1京都市の明日をすら考えることのできない時代となりました。内向きの京都、内向きの国政、早くこうした状況から脱していかなければならないことはいうまでもないことです。
 昨春の小泉政権の誕生はまさに衝撃的でした。あまりにも旧来型でありすぎた自民党政権への国民の不信がおよそ常識では考えられなかった政権の誕生でした。一見民意の反映と映ったのもやむを得ないものがありますが、その意識は、自国内のみを問題とした国民の意識と内向きの政権でしかなかったのです。そこへ例のテロ事件の発生。日本は、過激な世界情勢の中へ一気に翻弄されていきます。経済財政の窮地にあるときに。
 今からでも遅くはない。少しでも早く、一度、自己のエゴを捨てて、世界と日本の状況を冷静に見詰めることができないのでしょうか。政権にある人々は、捨て身になる以外に今の日本の窮状は見えてこないし、また救えないのではないでしょうか。
 熱い魂を持って、かつ冷静に、世界と日本と我が京都を見つめ考えていきたい、これが、昨春通貨政策への疑問に触発され、その延長線上から再度戦後の歩みを点検しようとしてきている私の心構えとしていきたいと考えています。

 

2001.12.16
 この欄は、当分の間は“愚痴欄”になりそうです。こうも次から次へと、「改革」をめぐる問題が出されてくると、それを追って理解するだけでも大変な作業となります。全く消化不良のまま次々と追いかけようとしているのですが段々に負うことにすら疑問を感じるようになってきました。通貨や金融などの経済に関することはいくら勉強したところでひとつも楽しいものではないのです。学べば学ぶほどに、いてもたってもいられないほどの焦燥感に襲われてきます。いまさら世の中への行動のできない年寄りにとっては、これほど不健康なことはないようです。ではあっても、昨今の政治、経済の状況を知らずして、安穏と生活をエンジョイできるような時代ではなくなったのですから、いつの日か優雅な意識で生活ができることを夢見て、まだまだ当分の間は、経済動向を中心とした世の中を見ていきたいと考えています。経済は、普通の生活者である私たちにとっては本来よりよい生活のための手段であるはずなのですが、どうも今の小泉内閣を見ていますと、経済こそが生きがいの世の中になりそうに思われます。経済的成功には永遠はありえないのですが。
 こうしたことがコメント欄や本論の方が停滞しがちな一因にありますので、未成熟な問題意識レベルのことについて、この欄であれこれ愚痴ってみたいのです。以前から「役人・公務員の位置や使い方について」、「刑事的な犯罪ではないにしても、ときにはそれよりはるかに重大な“責任”というものについて」頭の中を去来しています。

 数年以上前からの大蔵省と銀行業界との入り乱れた汚職、薬害エイズ問題で顕在化した厚生省役人の国民の命をすら軽んじるあり方以降、国民の官僚への不信感は極限にまで達した感がありましたが、地方自治体のほうでも負けず劣らずの状況が続き、しかも、最近の狂牛病に見られる農水省と厚生省の対応は、今なお行政が誰のために、何を目的として進められるものなのかに強い疑問を抱かせるに十分なものがあります。小泉内閣の「官から民へ」の構造改革への世論調査に見られる支持も、こうした官僚の腐敗状態に起因するところがあると見なければなりません。しかし、果たしてそれでいいのでしょうか。官僚の腐敗構造を分析すれば、そこには当然政治が関与しているし、政治の背景には民間の業界や有力企業団体の利害があります。根は、経済活動にあるのです。官僚の腐敗は、官を軽んじることでなくなるものではないのではないかという問題があります。国民各層にかかわる公平、公正、安全といった問題が、私的利益を第一義とする民間企業活動によって実現するということを信じるほど素朴な自由主義思想には立てないことは明らかですが、行政不信が、自由市場主義という言葉に素朴な夢を植え付けたのでしょうか、下手をすれば資本主義の歴史をもう一度繰り返しそうな趨勢にあります。歴史を振り返ってみれば、全くの自由な経済活動などあるはずもなく、何らかの国家的、社会的なコントロールが必要なのですが、そこのところの機軸の取り方に、時代による振幅があるのでしょう。国家や社会を考えるとき、国や地方共にその業務を担う役人の使い方は重要で、そこは大変なる情報の宝庫でもあるのです。役人を正常にして使うというスタンスはこれからの国や地方行政にとって不可欠でしょう。民間にはないその地位に対する法的な保障も、元を正せば、それは個々の役人が政治権力や外部圧力に屈せず正義を守り貫くために必要だったからであり、そうした地位に対する保障なしに、正義を貫くことは実際のところ容易ではありません。それだけに、役人の犯罪は、民間人以上に厳しいものでなければならないのも当然のことで、こうした視点からの見直しが本当は必要なのではないかと考えています。

 責任というものにはいくつもの種類や正確があります。が、その多くは、形式的な犯罪というものではなく、優れて実態的なものであるだけにわかりにくいものですが、法的に明確な刑事事件以上に本当は重大な問題だと考えています。政治や行政を担うもの、社会的リーダー層には、それ相当の発言や行為についての責任があります。国や国民を間違った方向にリードすれば、その責任は重大です。会社を危機に陥れたり倒産させる場合も同様でしょう。状況の悪化だけではなく、状況の中での舵取り如何がリーダーたり得るものの見識にかかっているのであり、それに対処できなかった場合、全力を尽くしたが力及ばなかったというだけで責任が果たせるものではないのです。その処方箋に対する結果は問われます。
 また責任には、時間の問題があります。何らかの結果が出るには時間がかかり、結果の明らかになる頃には、その責任者はもはやそこにはいないという問題です。この変転極まりない時代に、10年後はおろか5年後の責任を誰が取るというのでしょうか。日本の政治は、一部のケースを除き、特に最近では首相の交代は早く、長期的な責任を取れない状態です。だから誰でもいいから首相の任期は長くしなければならないということは本末転倒であり、後退が早いは早いなりの原因があり、その原因への対処抜きに長くすればいいというものではありません。政治家たるもの、自己の責任の程度範囲というものを十分心得るべきでしょう。役人の身分保障や報酬と責任制の問題も検討する必要があるでしょう。

 こうしたようなことをこの欄で愚痴りながら、いずれは“愚痴らん”(愚痴らない)ようになりたいと考えています。 

2001.12.10
 高度に発展した都市機能、はりめぐらされた都市の神経系統(交通、情報網)、それは高度であればあるほどちょっとした衝撃にも弱くなる。今時のテロ事件でそれはいかんなく証明された。このたびのアメリカの規制緩和の旗手としての大手エネルギー会社・エンロンの破産もこの文脈にある。
 世界の流れは自由化の流れであるには違いないが、あからさまな競争原理の展開は、自由競争とはいいじょう所詮は同一の条件のもとでの競争などありうべくもなく、不平等の中での競争原理の横行になる。つい最近まで経済大国とはやされた日本ですら、その要因には種々のものがあるにしても今や七転八倒の苦しみの中にある。一時的に経済的成功を収めることはあるにしても、発展途上国が今後も良好な進行が保証されるされるとは到底考えられない。地球規模での何らかの安定的システムが備えられてこないことには、規制緩和と市場主義だけではこの先とんでもない状況がもたらされよう。国の内外を問わず政治はそのためにあるものと思う。
 小泉改革にしても、そうした世界の流れに遅ればせに乗ろうというだけで、その先には地獄が待っていることの予見は示されていない。加速度を加える技術革新が、そのまま競争原理に生かされるとき、世界中がいずれ不眠症になってしまうのではないかとさえ思える。すべからく「適度に」ということ、或いは必ず同時にアンチテーゼが用意されるという心の広さ、深さを持つことはかなわぬことなのであろうか。こうした思いが渦を巻くばかりです。
 金融証券債権の世界は複雑怪奇、知れば知るほど恐ろしい世界です。エンロンも中堅ゼネコンの青木建設もその深みにはまってこけたともいえるでしょう。小泉改革のシフトが、間接金融(銀行融資)から直接金融へ、銀行から証券へ、の流れにあるのは明確であり、お年寄りの蓄えも庶民の年金もこの恐ろしい証券の世界に含みこもうとしています。その危険な世界のセフティーネットは、安全といわれたMMF(マネー・マネージメント・ファンド)ですら元本割れするという時代、基本的にはないといえるのではないでしょうか。難しいには違いないにしても、庶民に対する安全策にこそ政府の工夫がいるのではないでしょうか。成長産業への諸資源の配分など、ほっておいてもいずれはその方面に流れていくものです。ハードランディングには政治は必要なく、ソフトランディングにこそ政治の役割はあるものと心得ているのですが。
 それにしても、改革派対抵抗勢力という安直な、前近代的なキャッチコピーはなんとかならないものでしょうか。善と悪、正義と悪人といった問題の立て方から早く卒業し、要因をきちっと説明する合理的政治を組み立てていかないと、日本の政治はいつまでたっても前近代的な状況から抜け出ることはできなくなります。この点の解決こそが、私の根底にある問題意識です。今や戦後56年目にして、時代は後戻りをしています。

2001.12.02
 グローバル−ナショナル−ローカルの連関の中で地方自治を、或いは京都市政を考えるということは現実には大変な苦労と時間を要することです。京都市は、これまでから各所で触れてきましたように、その蛸壺的な体質からはなかなかに脱却できないのですが、そのためにナショナルレベルからの視点を強調することを旨としてきたのですが、昨今の状況は、この日本のナショナルレベルそのものが世界から大きく遅れつつあるように見受けられ、末端にいる我々自身がいやがうえにもグローバルな視点を持たざるを得ない時代となってきました。が、それには、素人が、どこまで真実かわからない数多の情報の中で、しかも肝心要の核心に触れる情報が容易に手に入らない中での、自らの思考の基礎をどう築くかが問われてきます。少しの時間を使ってと思っていたのが、目下そのあたりで苦しんでいて、なかなかに京都市政の方に手が回らなくなっています。
 年が変われば、京都市政に回帰したいと思っています。
  それにしても、昨今の経済やビジネス関係の書籍出版の多いこと。しかも明日の日本、明日の経済はこうなる、と断定的なものの多いこと。いかに専門家とはいえ、ある種の仮説、仮定、前提条件の上でのことであるにしても、明日の問題に断定は禁物と思うのですが。

2001.9.24
 通貨政策をきっかけとして戦後日本の政治経済の歩みを振り返ることをこのところの課題としていますが、今日の状況と照らし合わせて、国民の極度の政治不信の原因が、政治家、官僚、財界人の責任の取り方にあることを痛感せずにはいられません。そのことはいずれまとめて述べてみたいと思いますが、今回の狂牛病発生にいたる経緯は、まさにそれにあたります。EUがその報告書の中に、日本における発生の可能性に言及することを農水省が強く反対したこと、にもかかわらずこのたびの発生となり、しかもその対策が後手と緩みになっている。これで責任を取るものがないというのであれば、結局政治行政不信がつのるばかりとなります。ドイツではしかるべき国内対策を講じなかったということで担当大臣が辞職しているというではありませんか。この違いはあまりにも大きすぎます。
 加えて、今回の世界的危機の発生に対する小泉内閣の状況を見るにつけ、責任の取り方よりもむしろ責任が担えるのだろうかというところに危惧を抱くようになりました。内閣は、誰のためにあり、誰に対して責任を担いかつ責任を果たすのかというあまりにもあたりまえのことに危惧の念を抱かざるを得ないような感じなのです。
 公職につく場合の「器」、「器量」といったものの重要性が今問われています。選ばれるもの、選ぶものがともに問われているのです。

2001.9.22
 怖い、恐ろしい。自分がそれに対して何もできないことがさらに恐ろしい。これまでの甘い人生観が変わりそうにさえ思えます。先に『円の支配者』から我が国の通貨政策の恐怖を感じ、今また、アメリカでの信じられない衝撃的なテロで。しかもそれは、一回きりではなく、これが今の時代だということなのです。一回きりであれば、その衝撃は非常時のものとなりますが、そうした事態が今の時代の産物として理解するとき、その非常時は日常化します。まさに戦時体制の覚悟と意識が必要なのでしょう。考えれば考えるほど、この愛すべき日本の今の姿は、世界史的にも特異な存在に見えてきます。構造改革の方向が、実は違うのでは、との思いが募ります。この「気軽なコメントのページ」が、少しも気軽にはならなくなってきました。

2001.8.16
 このたび『円の支配者』に衝撃を受けて、経済金融政策にのめりこんでいますが、問題意識は今や戦後史全般に広がりつつあります。こうしたことから、うめきにもにた心のつぶやきが出てきますのは、やはり心のどこかに、“戦後史は歴史ではない”、“歴史は古いほど価値がある”といったような思いがあったのではなかったのかということです。戦後などは、自分の日々の体験で分かっていると。しかし、今回の作業は、自分の生きてきた時々をまさに検証する作業であり、いかに物事に無理解できたのかを思い知らされました。いっかどのようなことを人に言い、また書いたりしてきたのが恥ずかしい思いだけではなく、間違いを犯してきたのではなかったのかとの思いも生じたりしています。
 今生きている時代に対する自覚と認識、そしてその場合の経済政策に対する理解の重さというものを痛感しているところです。

2001.7.9
  『円の支配者』の内容があまりにも衝撃的にして恐ろしかったために、その後通貨政策にかかわる本を結構乱読しました。その結果、漸くにして、戦前から戦後にかけての我が国を分析する私自身の視点のようなものができそうな気がしてきました。
 同書に触発されてこれまでの自分を振り返ってみると、結構自分自身の意見や考えを述べてきたつもりではあったものの、本当にそうだったのか、惰性や世間流通の考えに従っていただけではなかったのかと、ふと恥ずかしくかつ恐ろしい気がしてきます。自分が直接知りえない事柄について、いかにして事実それ自体、真実を知りうるのか、大変難しいことですが、このことの一定のわきまえなくしてものを考えることはできないのでしょう。

  ただ、ある種のジレンマはあります。私の場合、書き、話すということは、それ自体として純粋に独立したものではなく、それにしたがって何らかの行為と責任をとるということと無関係ではありえないという考えをもっていました。純粋に書くためにのみ書くというのではなく、現実に対する自らの行為としてでなければならないということ。しかし、今や現実への行為を及ぼすべき年齢からは離れつつある中で、改めて、書きかつ述べることの意味について、再整理しなければならなくなってきています。
 何のために。次なる時代へのささやかなる記録として! 

2001.6.4
  先に紹介した『円の支配者』にこだわりつづけています。今回のコラム欄では、当時の日銀の通貨政策に関する他の書籍からの検証をしてみました。この関係は、まだ続くかもしれません。

2001.5.28
 3月から4月にかけてまたまたパソコンがクラッシュしてしまいました。一生のつもりで導入した自作のパソコンでしたが、システムを安定させるためにWindows Meと2000を併用することにしたのですが、そのときのちょっとした予期せぬ事態で、2台目のバックアップ用のハードディスクまでだめになってしまったのです。物理的にも精神的にも参ってしまいましたが、ようやく一月ほど前からMe並びに2000ともに機嫌よく動いてくれています。なるほどWindows2000は安定しています。が、そのときに、1月下旬から3月下旬までのデータ−を一瞬にして喪失してしまいました。深い痛手です。
 精神的な立ち直りの第一歩として、コラムで取り上げた『円の支配者』を一週間前に読んだのですが、これがまたパソコンなどとは比較にならない衝撃を受け、いよいよ大変な精神状況になってしまいました。それでいささかのコラムとなった次第です。

2001.3.5
 今の私は、迷いつつこのホームページを作成しています。それは、これからの時代に対して、本当に何らかの意味のあるコメントが私自身に可能だろうかということです。
 京都市政の戦後の一定の時期に対しては、確かに自分自身でも何らかの語り部として貢献は可能だし、その役割を果たすべき責任のようなものは心に抱いてきました。それが、次の時代にどう生かされるのか、或いは生かされないのかは、それは私自身の問題ではなく、受け止めるべき次の世代の問題なのでしょう。しかし、次の時代に対する私自身が意図する貢献となってくると、話は異なってきます。
 かねがね私は、人それぞれに時代を生きていく中で自己の価値体系を形成していくにあたって、青少年期から20代がすべてであるとの思いを強くもってきました。そうした時期を、戦争期に迎えた人、敗戦直後に迎えた人、経済の高度成長期の入り口で迎えた人、さらには高度成長後の人、バブルとその崩壊期に迎えた人、そうしたそれぞれの時代の中で形成されてきた人格と価値観は、おそらく学問などを超えた人間存在としての重みの中に深く沈んでいるものだと思います。
 私などは、戦後復興と経済の高度成長期に人格と価値体系を形成し、日本の国のあり方に根本的な不満をもちつつも、それがゆえに逆によりよい日本を願って、ある意味で自分自身をあまり考えることなく走ってきた層ということになるわけですが、こうした層が、果たして戦後のあり方や、明治以来の日本のあり方を根本から転換できるような生き方が果たして可能なのかという深刻な問題があります。
 人間というものは、生涯を通して、青少年期に形成した価値観を貫きとおすものではないのでしょうか。ということは、次の時代を同様に生きることは不可能に近いことなのではないのでしょうか。次の時代の新しい価値体系は、また新しい価値観を形成してきた時代の人々によってしか担われることができないといっても差し支えないでしょう。高名で、通常偉い人々は、何歳になってもいつも次の時代に対する啓蒙的な発言をされることも多いのですが、自分と時代を真剣に対峙させて考えたとき、それでもいえることとはいったいどのような範囲のことなのでしょうか。
 こうしたことを考えつつ、新世紀の京都市政のあり方についての何らかのコメントをしようとしているのですが、もはや自分には実践できない、その意味では責任のとれない世界に対して、どのようなスタンスで立ち向かおうとするのかに苦しんでいます。一度はあきらめていたことなのですが、この歳になって、ようやく見えてきつつあることもあり、そのあたりを少しでも一語り部の役割に付加できればとも思っています。当分、いやずーと、迷いつつ迷いつつホームページの製作を続けることにいたしましょう。

2001.1.1
 あけまして新年おめでとうございます。
 折角の新しい千年の始まりですから、このホームページも格好よく更新して、と思ってはいたのですが、ちょっと手付かずになってしまいました。
 その訳は、年末に一心発起して、自分なりの好みに合ったパソコンを組み立てることにし、四苦八苦はしたものの、何とか完成させたのですが、その後の整理に手間取っていることと、その過程で、とうとう風邪を引いてしまって、まだちょっと本調子でないことです。
 もともと、このホームページの開設にあたっては、「幸いにして、まだ私は健在です」なんて元気ぶっていたのですが、この一年めっきりパワーが減少してしまいました。問題意識は背負いきれないほどあるのですが、それを表現する課程での元気が少ーし衰えてきているようです。
 加えて、昨今の地方自治や京都市政を巡る諸状況は、そう軽々に論評でき得るものではありません。それなりに、ここ十数年のわが国及び京都市政の変貌とこれからの展開の可能性については勉強して来ていますが、これからの一筆には私自身も問われることになるのでしょう。ここ一番真剣に考えてみたいと思います。

 とうとうこのほーむぺーじの表題の時期を迎えました。このほーむぺーじの開設にあたっては、新世紀に入るまでのものとの思いも当初にはなかったわけではありませんが、表題の意味するものからすれば、21世紀初頭まではこのままでいけるのではないかとの思いも生じ、現在は、そのつもりで進めています。2001年1月1日の前後数年間の論稿にしていきたいと思います。
 というわけで、目下進行中の論稿の更新にすいては、いま少し時間を頂戴したいと考えています。

 各位にとっていい年でありますように。

2000.11.28
 いやー、京都市の21世紀グランドビジョン(基本構想)に対する解説には、当初気軽に考えていたのとは違い、大変苦しんでいます。それは、こうした作業にかかわる人の苦労が分かるからであるといえば偉そうに思われるでしょうけれども、本当に、市政全般、市民生活全般に対する作業というものは、結果の如何にかかわらず、種々の異なった利害や考え、立場の相違などの全てを織り込んだ上で、しかも先見性に基づくものを提示することが要求されるのですから、作業過程そのものが大変な苦労なのです。加えて、物事の評価に当たっては、大概の偉い方々にあってさえ、自分が加わった作業の産物に対しては例え何らかの難があったとしても、それを基本的には積極的に意義付け、評価し、その作業に加わらなかった場合には、極めて冷静に、時には冷ややかに、批判的にコメントすることが多いのです。
 今回のグランドビジョンの解説に当たっては、私はもちろんその作業にかかわっていませんが、あくまでその産物を受け止める立場から客観的に見つめることに努めました。かかわった方々の中には、多くの知人はありますが、あくまで、純粋に産物としての結果を見てみようとしたのですが、起草委員長の鷲田清一大阪大学教授の「都市ビジョンー「京都市基本構想」(案)ができるまでー」(京都市総合企画局「都市研究ー京都」2000年3月 第12号所収)を読むにつけ、その苦労の程がひしひしと感じられるのです。であるだけに、そう軽々に論じることはできないし、また、基本構想の文章自体が極めて練り上げらたものだけに、その前提条件を理解してしまうと、全くもって文句のつけようがなくなるものなのです。
 ま、そうしたことで、いろいろ悩みましたが、やはり、感じるところは率直に書いてみるのが、壮大な作業の結果としてのグランドビジョンの今後のためにも役立つことになるのであろうと思い決め、なんとか仕上げにかかることに致しました。文章というものは、いい意味でも悪い意味でも、行間や裏があるものなのです。またそれが面白いのかもしれませんが。

2000.10.29
    感動を覚えずにはおられなかったこと。一人の人物史でありながら、戦後の韓国史と我が国の戦後史のうめきを改めて痛感せずにはおられない。ひるがえって、自己を時代や社会に投入することの意味を深く考えさせられました。その本は、小学館文庫の角間隆著『金大中大統領−民族の誇り 指導者の資質』(2000.3刊)です。リーダーたるものの資質と責任にとどまらず、自己のために時代や社会を利用するのではなく、時代や社会にいかに生きるかを我々自身も改めて考えねばならないことを教えてくれています。あまりにも厳しく、あまりにも強靭であるがゆえに、遥か遠い存在ではあるのですが、そこからの教訓を我々なりに汲み取る必要があるのではないでしょうか。隣国におけるこのような英雄の存在を誇りに思います。

 京都市の21世紀グランドビジョンの記述に併行して、今回から新たに、「世紀末から新世紀初頭にかけての京都市政」と、「京都市歴史博物館構想を考える試み」を開始することにしました。そうでなくともなかなか進まないのに、あれこれ併行して手がけるのは良くないことですが、ま、頭の中がごちゃごちゃしていますので、ぼちぼち進めさせていただきたいと考えております。ご意見を頂戴できれば幸いです。  

2000.10.08
  この歳になってなおかつ、やりたいこと、読みたいものがありすぎで、結局何から手をつけてよいのか、あれやこれやで、取りとめもなく日々が過ぎていっています。絞らねば、と自分に言い聞かせつつこの状態が続いております。諦めが悪いのか、問題の多すぎる今の時代が悪いのか、と、何事によらず時代のせいにする癖は治りませんが。

2000.8.31
  今から20年前、京都市でははじめての「自治体の基本構想」(総合計画)を策定していました。京都市政調査会では、これに対して、2度にわたる提言をしていましたが、また、当時存在していた全国革新市長会の情報センターともいうべき「地方自治センター」を通して、この「自治体の基本構想」に対するアンケート調査を実施し、その分析をとうして、新しい基本構想のあり方を模索し、「地方自治通信」に1980.3月号から9月号まで連載しました。
 今、20年ぶりに京都市は新しい第2次の基本構想策定を終え、そのもとでの基本計画を策定している時にあって、改めて読み返してみると、結構今でも参考になるのではないかと思いましたので、ここに紹介することに致しました。
 直接的には私の手によるものですが、その当時の市政調査会の先生方の日頃の意見交換がその根底にありました。自治体の基本構想とはそもそも一体なんなのか、といった根本的なあたりを考える参考資料にしていただければと思っています。

2000.8.12
 京都市政調査会報の総目次を項目別に掲載しました。
 昭和51年(1976)から昭和63年(1988)までの12年間、舩橋市長から今川市長までの京都市政の歩みの記録です。なかなか京都市政の記録はトータルなものとしては残りにくいので、将来のための記録保存としての意識をもって編集を心がけてきたものです。こうして、目録を整理していると、当時の思い出や執筆を願った一人一人の先生方のお顔や人となりも思い出され、懐かしい思いにふけります。こうした編集作業のおかげで、青少年期に憧れていた先生をお訪ねして、1時間、2時間とお話しいただいたことなど、本ではうかがえない教えをこうことなどもできました。一度きりの出会いとなった方々も多く、少し感傷的になっています。しかし、こうしてみると、本当に大変な先生方から貴重な論稿をいただいたものと今更ながら感心しています。これからの京都市政を考えるにおいて指針となるものが多くあります。若干ですが、残部のあるものもあります。

2000.7.3
  時代の価値観とあらゆるシステムが揺らいできている中で、この10年いや20年来の経緯を理解することが極めて重要であり、そのために目下読書読書。久しぶりに少しは大局的にものごとを考えるようになれたかなとは思いつつも、自分の身の処し方を自覚しながら、いろいろ思いあぐねる今日この頃です。この辺のところは、いずれまた何らかの形でお示ししたいと考えています。
 というようなわけで、京都市の「21世紀グランドビジョン」に関する記述がなかなか進まず申し訳ない気持ちです。
  元京都市経済局長の清水武彦氏がこのたび著書「自治の時代のパートナーシップ」を出版されました。氏は、京都市退職後も市政のあり方を求めて研究を続けられてこられた敬愛する先輩です。これまでにも多くのことを学ばせていただきました。感謝の気持ちを込めて「関連諸論稿  関連する他の方々の論稿など」のところで紹介させていただきました。京都市の「21世紀グランドビジョン」理解のためにも大いなる参考となるものです。

2000.4.24
  少しスランプ気味であったのかもわかりません。
 4月から地方分権整備法が施行されましたが、精神的にも実質的にもそう大きな変化はまだ生じてきてはいません。元来が、制度よりも機能性の方を重視するタイプですから、制限された自治制度においても、自治の精神は生きてくるものと考えています。
 時間をかけて、じっくりと自治を育てていきたいものです。
 今回は、京都市の21世紀グランドビジョン(京都市の基本構想)について書くことにしました。完成原稿としてではなく、未定稿の途中のものを掲載しています。作成過程そのものを見ていただければと考えました。

2000.1.1
 あけまして おめでとうございます。
 情緒性の世界のみならず、理性的な世界においてもいよいよの時代の幕開けです。答えが順次出てくるのが恐ろしいような気がいたします。
 ミレニアムにふさわしく少しはホームページを改めるつもりをしていたのですが、とうとう何もできずじまいとなりました。
 何はともあれ、今年も恐れずに、このあとは、やはり普通のペースで参りますのでよろしくお願いいたします。
 

 

1999.8.7
 このホームページは、大分硬い内容ですが、あくまで必要なことを必要応じて展開していきたいと思います。
 しかし、それは完成品としてではなく、色んなご意見を頂戴しながら一歩一歩作り上げていきたいという思いです。
 また、私のパソコンの技術はあまりにも未熟です。ですから、ホームページの体裁自体がなんともちぐはぐで、整っていません。
 内容と体裁ともに未熟ですが、それを色んな方のご協力を得ながら作り上げていく、そうした双方向性の作業こそ、インターネットの時代にふさわしいものと考え、あえて未成熟なままに兎に角ホームページを開設しました。
 これから、急かず慌てず、一歩一歩、しかし着実に歩んでいきたいと思います。そのための勉強もいたしますので、どうかよろしくお願いいたします。
 このページは、こうしたことを、素直な形で述べる場所といたします。

1999.8.23
  特に年表の表示では、打ち込んでおいた行内の状況とホームページに現れた表示とに違いが出て、ポジションや行が、いわゆるぐちゃぐちゃになるなど、なかなか技術的に大変で、目下のところ非常に苦労をしておりますが、当分の間は、ホームページの綺麗さよりは、内容面の充実に力を注ぐつもりですので、その点どうかご容赦を願います。
  近く、経済行政に関して、大変重みのあるものを掲載するつもりですのでご期待ください。

    

1999.9.1
  元京都市経済局長、故上田作之助先生の論稿集を掲載します。文字が小さすぎて、またなにやかやとうまくいってなくて、大変読みづらいことになっていますが、その内容の価値に免じてどうかお許しを。おいおいと、読みやすくするように努めます。
 とにかく、じっくりと読んでいただきたいと思います。

1999.9.18
 コラム欄を新たに設けました。 この気軽なコメント欄がどうも履歴のような形になってきたので、少しは硬いものをその都度書き足していきたいと考え設けたものです。おいおいといろんな問題について追加していくつもりです。     

1999.11.23
 ホームページの製作がこのところ停滞しています。手探りのまま試みて、kyoto-inetからスタートして
gooやNTT DIRECTORへも登録するようになりました。そうすると、京都市政のあり方を考えることを主題としているにもかかわらず、知らず知らずのうちに「普遍的な」ものを求めようとする意識が芽生えてくるようになってきたようです。もとより、私に、普遍的な原理を説き明かす能力はありませんが、インターネットを通して全国各地とまた場合によれば世界のどこかで見ている人が、ということを意識すると、ややもすればそれに応える素材を用意しなければならないのではという気持ちが生じます。そうなると、「京都市政」は一つの事例として取り上げるに過ぎないことになります。少しですが、こうしたジレンマを感じました。
 そのことと、体調を多少崩したこと、崩しついでに、ここ十数年の我が国の推移を、政治・経済面を中心に、最近出版された幾つかの出版物から勉強することに充てていました。
 まだ体調はそう芳しくありませんが、インターネットの持つ普遍性への誘惑ははっきりと絶つことにし、また、前記の読書からは、改めて自分自身のスタンスについて意を強くすることになりました。
 
 このホームページでは、今後とも、あくまで特殊京都市政のあり方を求めていきたいと考えます。多くは申しませんが、特殊京都の問題を論じることが、普遍的な問題にも結果としてつながってくるものと考えるからです。京都の問題を、京都の方々と考えながら、そのことを全国各地の方がいかに汲み取っていただけるか、また京都を論じるにおいて、京都の外の人たちと京都の中の人々との意見の交換もまた必要でしょう。こうした視点に立っていくつもりです。

 また、ここ十数年の我が国の激動をどう汲み取るか、そしてこれからいよいよ迫りくる21世紀にどう望んでいくか、これらはまさしく教科書のない、お手本のない思考です。問題は、可能な限り具体的、合理的分析によって明らかにしなければならないし、いかに汚職や腐敗があろうとも、全ての問題を倫理観に還元してしまっては、ことの本質と明日への政策は生まれてこないでしょう。この難局の中で、政治も行政も、経済界も腐敗と堕落、そして能力低下に見舞われているときに、封建時代の勧善懲悪的な視点によって、既存の組織を瓦解することにのみ精力を費やすのではなく、我が国と地方自治そして京都市政にとって本当に何をな