コラム

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   日付    見 出 し      
2022.11.12 「一身独立して一国独立す」
2021.07.26 「歴史の京都」と京都市歴史資料館の今後
2016.11.24 平安京 羅城門復元模型 製作逸話
2010.02.07 政権交代の衝撃〜期待と高まる不安〜
2007.07.02 郵政選挙によるバブル国会のツケ
2007.01.01 『円の支配者』から伊東光晴『日本経済を問う』へ −読めてくる政治からの経済政策−
2006.06.20 日銀の独立性について
2004.07.24 アメリカの現実的知性 絶えざる「事実・現実の認識」から−「賢さの罠」と必要な「志の高さ」−
2004.04.30 新生銀行にみる恐ろしさと責任の所在
2004.04.19 為政者たちの殺伐たる精神状況を憂う  イラクでの人質解放から
2003.04.13 なぜ、なぜなんだ! 対イラク「武力征伐」から
2003.03.10 選択と心得ないし覚悟  国際関係−日本の進路−地方自治−生活
2003.02.09 気になる京都の地下水の活用−覆水盆に帰らず!−
2003.02.09 京都市職員頑張れ!京都市職員−故人・前市長への返還命令に悲しみつつ
2003.01.13 2003年初新聞社の社説から −デフレと日本経済の危機を考える  2003.1.18補足
2002.10.26 責任ということについて−その1
2002.08.22 日本のデフレを防ぐことは可能だった! 米FRB研究論文から
2002.08.11 生活者の精神構造までゆるがす改革の真髄 証券金融改革
2002.08.06 改革と破壊の間 一国民の手による小泉宰相論への試み−その2
2002.07.27 医療費自己負担増に思う!−改革、競争、安心?
2002.02.11 京都からの文化庁長官誕生に思うこと
2002.02.03 2001年「論壇回顧」と2002年初の新聞社説から
2002.01.01 一国民の手による小泉宰相論への試み・その功罪 −その1
2001.12.17 小泉首相と自民党との不思議な関係−責任の所在について
2001.11.06 成り切る覚悟−自治労不正経理事件に思う
2001.10.06 市町村合併はアメとムチで!−自治の発想は何処へ
2001.09.22 非常時と日常 または 日常と非日常 −アメリカの大規模テロ事件から
2001.09.03 「柔肌の…」宰相考−リーダーの条件を考えつつ−
2001.06.04 日銀の作為?さもなくば無能?−失われた10年について
2001.05.28 地位と無知と罪と
2001.05.08 リーダーシップと結果責任について−参加と負託の狭間で−
2000.11.20 稲盛財団の京都賞に思う−公と私の狭間で−
1999.09.18 歴史的思考について −過去からと現在からとの間で−

 

歴史的思考について −過去からと現在からとの間で−

 歴史的思考という表現でいいのかどうか多少のためらいを持つが、歴史を学ぶ、或いは解明する目的といったことを考えると、やはり、結論的には、歴史を単に知るために知るというのではなく、現在の現にある姿の根拠を理解し、それによって明日への課題なり方向性を見出すということにあるのであろう。
 歴史を学ぶということは、現在から過去へ過去へとたどるという手法と、過去から現在へと接近してくるという手法とがあるが、多くの場合、過去のある時期、ある遺産と現在とを直結することも多い。しかし、現実の歴史というものは、過去があって、その蓄積のうえに、良かれ悪しかれ現在がある。過去のいずれの時期もパスすることなく現在につながっているものである。

 具体例を述べよう。
 8世紀末に、今の京都の地に平安京が碁盤目状の区画でもって築かれた。この平安京の形態と現在の京都市の形態との比較によって、今の京都の何らかの根源を理解することが可能かも分からない。しかし、現在の京都の都市形態の理解は、その後の幾多の変遷をたどることなくしては不可能である。
 また、京都では、京都の活力ある伝統的な自治的市民を称して「町衆」と呼ぶことが多い。はなはだしくは「町衆選挙」ということもあった。これも、厳密に考えれば、「町衆」という用語は、京都の中世における自治的な町共同体とその連合体としての京都の社会組織を形成していたその当時の京都の商工業者を中心とした住民に対する歴史的な学術用語であり、現在の京都市民を表す用語ではない。現在の京都市民を歴史的に表現しようとするのであれば、中世に形成された「町衆」が、近世の幕藩治下にあっては「町人」として理解され、近現代にあっては「市民」として理解されるほうが適切であるはずである。この場合、町衆がどのように変遷して現代の市民にいたり、町衆としての要素がどのように変化し、または伝えられてきたのかを明らかにしなければならない。
 また、歴史は、身近なここ100年、或いは数十年前ぐらいのごく近いところに興味がもたれる反面、遠く古代に遡れば遡るほどロマンを掻き立てるものでもある。これを日本人の源流を探して、弥生から縄文時代へ、そして大陸へ大洋へと夢と研究は進んでいく。しかし、ここでも忘れてはならないことは、原始や古代から一足飛びに現代の日本に至ったのではないということである。歴史の研究は、時代や分野に分解されて興味と研究は進んでいくが、もっとも必要なことは、そうしたかこの時代や諸要素が、その後の時代の変化や諸要素との絡み合いの中で、いかにして現代の日本をつくり上げてきたのかということの解明である。

 歴史や現在の世の中には、良いこともあれば悪いこともある。その良いことにも悪いことにも、すべて原因があって結果としての良いこと悪いことがある。そのことの解明なくして、問題解決は図れない筈であろう。良い面だけを伸ばそうとしても、他の面を知らずしてそのことは不可能である。都市のあり方はいうに及ばず、世の中すべてについて、現にある姿は過去を因として結果である。過去と現在とは因果関係にある。そしてその過去は、現在から過去へ過去へと行くだけではなく、過去から現在に順序良く帰ってこなければならない。そのことが歴史的解明或いは歴史的思考というものではなかろうかと考える。

 すこしくどいようなことを書いてしまったが、これは、同時代における他地域との比較といういわば水平的思考(空間軸)とともに歴史的な垂直的思考(時間軸)が合わされなければ、物事の解明と今後のあり方を導き出すことができないと考えるがゆえに、このホームページではきわめて重要なモチーフにしたいと考えているからである。


稲盛財団の京都賞に思う−公と私の狭間で−

 今年も、稲盛和夫京セラ会長が理事長をされている稲盛財団による京都賞の授賞式が11月10日に、国立京都国際会館で高円宮ご夫妻の出席も得て、晴れやかに行われました。今年で16回を数えていますから、この賞が創設されたのは昭和60年(1985)ということになる。
 この賞は、先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門それぞれから世界の英知を選びその業績をたたえられるもので、京都からの、いや日本からのノーベル賞とでもいいうるものかもしれない。
 ノーベル賞は、スウェーデンのノーベル財団による世界最高権威の賞であるが、こうした顕彰の場合の権威は、そう簡単に形成されるものではない。顕彰する側、賞を授与する側の資格、権威が問われるからである。京セラといえば先端技術の世界的な企業である。そして16年の歳月の中で、今やそれなりの権威を確立し、京都の誇りともなってきているものと思われる。しかし、創設の当初から、何か引っかかるようなものを感じてきたのは私だけであろうか。それは、主として「京都」とという名称にかかわる。
 「京都」とという名称は公称である。京都の全てのひとびとの共有財産である。いかに立派な人であってもこれを私的に使うべきものではなく、また、いかに有意義なものであっても、それが私的な領域である限り、そこで「京都」とという名称は本来使われるべきものではないだろう。
 「公」と「私」の関係はそう峻別すべきものではない。また「公」は、「私」の存在のうえに成り立っているもので「私」が「公」のベースである。といった考え方もないではない。しかし、公共性は、個々人の勝手な振る舞いの集積ではなく、異なった利害や考えの調整の上に形成されるものである。いかに有能にして優れた頭脳から生み出されるものであったとしても、またそれがいかに意義深いものであったとしても、私的領域の行為はあくまで「私」の範囲を超えるものではない。
 公共性の確保は、全ての人の同意によってはじめて可能となる。その手続きが、政治、行政の場である。
 京都市はいうまでもな地方公共団体である。利害や考えの違う全ての京都市民の同意の上で「公共的」なしごとを進めている。国家統治の機関とは異なり、地域住民が相互に自らのくらしの環境を整備するための組織体としての「公共団体」であることが本来の役割である。
 公共性の確保はなかなかに容易ではないかもわからない。それは、異なった利害や考えの調整というものが必要だからである。そのために、発想すればすぐに行動に移せる私的領域とはおよそ異なる。しかし、利害調整を無視した私的行動のみがはびこった場合、そこには弱肉強食とトラブルによる混乱が渦巻くことになる。手間隙がかかり、しかも個人の思い通りにはならないにしても、民主的手続きによる行政の推進が大切な所以である。
 ノーベル賞は、周知のようにダイナマイトの発明などで巨万の富を形成したスウェーデンのノーベルの巨大な遺産を活用したものであり、私的領域に属するものである。けれども、その賞の選定に当たっては、部門ごとにスウェーデン科学アカデミーなどのしかるべき機関に設置された委員会がその責任をもっているという。平和賞にいたっては、ノルウェー議会に選考委員会が設置されている。そしてその授賞式は、国王の臨席のもとに行われる。人類への貢献という崇高な目的のみではなく、こうした公的な備えと公正かつ水準の高さがノーベル賞の権威を形成してきているのであろう。ちなみにノーベル賞の創設は1901年であり、今年で丁度一世紀の歩みとなる。
 稲盛財団の京都賞をはじめて新聞で見たときに感じたのは、稲盛財団の賞なのにどうして稲盛賞にならなかったのだろうかということだった。稲盛賞であれば何の疑問もなく、さすがに世界の京セラだな、との感慨を受けたのみであっただろう。京都賞ということになると、京都市に稲盛財団から基金が寄付されたのだろうかと、一瞬思ったりしたものであった。
 ノーベル賞と比較したとき、名称の公共性と、運用の私的領域性とのギャップに必ずしも疑問なしとしないのではないだろうか。稲盛財団の京都賞が、長期低落傾向にある京都の地位向上を考えてその名称にされたのであれば、さらに一歩進めて、京都市にその財団を寄贈され、今後数十年、百年と歩むことになれば、文字通り、東洋におけるミニ・ノーベル賞ともいうべき権威を形成し、崇高な意思も果たされるのではないだろうかと思うのである。
 地方自治からの発想として、公共性と私的領域の狭間の問題として象徴的な事象を捉えましたが、市民の自発性や市民とのパートナーシップ、NGOの活動といったこれまでとは異なった行政と市民との関係が生じてきている中で、改めて公共性について考える必要性があると思いところである。このテーマは、また別の事象でも展開してみたいと考えている。


リーダーシップと結果責任について−参加と負託の狭間で−

 今回の自民党総裁選挙では、多くの問題が顕在化した。そのひとつに、かねがねこのコラム欄でも取り上げようかと思案していたリーダーシップ性の問題がある。
 リーダーシップとは一体何なんだろうと改めて考えると、これが案外難しい。かつて、今川市長が市政の執行能力の弱さと、その原因の一つとしての市長自身のリーダーシップのなさを指摘されたとき、自らの反省の上に立って「これからは自分自身が決断する」といった答弁をされていたことが、以来私の頭から離れないのである。リーダーシップとはこの程度のことを言うのであろうかと。が、これに対する更なる追及はなかったようである。

 政策決定が、トップの意思と無関係に行われるなどということは本来ありうるはずがないのであるが、これがまた案外あやふやなのである。それは、一面では民主的手続きとも関係していることを考えると、なおさら一概にどうこう言えない面がある。
 かつて、市民参加が地方自治の大きな課題として登場した頃、それは、美濃部東京都知事に代表されるような都民と知事との“対話”であった、その後対話から参加へ、或いは参加から参画へといったいわば概念の展開はあったとはいえ、行政システムの中へそれらが具体化される途上で停滞してしまうことになったが、その頃から今日を見ると、まさに隔世の感があるほど参加の仕組みが出来上がりつつある。が、ここからも逆に、リーダーシップとは何かが問われることになりそうである。
 権力の横暴に対する歯止めとしての市民参加にはもちろん積極的な意義がある。がしかし、大多数の意見の集約の中から、本当に新しい時代の芽が出、そして育つのであろうか。多くの場合、新しい予見に基づく見解は、大多数の意見集約による合意形成の中からは消し去られてしまうのではないだろうか。市民、国民の合意形成というものは、多くの場合、その時々のそれぞれの利害の集約と衝突であり、新しい時代への進歩を目指すものには容易にならない。ここから、次のような課題が生じる。
 リーダーは、民主的手続きの中では、自己の思いよりも、大多数の利害と意見の赴くところをその組織の意思にまとめ上げることがその任務である。しかし、それだけではその組織の新しい時代への適用力はなくなってくるため、リーダー個人の見識と責任による課題の設定とその実現が要求されることになる(この要求は、組織の構成員からではなく、リーダーたるべき者への本質的な役割をいう)。このギャップをどう理解し、どう解決するのか。ここのところに、リーダーに対する、“負託”という行為があり、また、負託を受けたものの実践力とその結果に対する“結果責任”という問題が生じる。情報公開・開示は、参加が具体化されるにあたっての大前提ではあるが、リーダーシップの遂行過程では、必ずしもすべてが開示可能なわけでもなく、そのためにも結果責任というものは重要な意味をもってくる。リーダー不在を嘆く前に、リーダーシップとは一体どのようなもので、リーダーが生まれる条件とはどういうものなのかを一度根本的に考えてみるべきではないだろうか。

 そこで、今一度小泉総理と今川京都市長の問題に戻ってみよう。
 小泉総理は、自民党の総裁選挙に臨んで、党内よりもむしろ国民への訴えを重視した。自民党は、変えなければならない対象である。にもかかわらず、小泉総理は自民党総裁として、自民党の総意を代表する。となると、小泉総裁には、自民党員は何を負託したのであろうか。自民党の組織的運営と小泉総裁の党内のこれまでの主導的勢力との戦いは、民主的手続きからすればいかように理解すればいいのだろうか。
 また、今川市長の例に対しては、リーダーシップとは、先見性に裏付けられた、しかもその実行の結果責任は自らが取るという、明日に向かっての責任ある進歩性は明らかに欠落している。総意の形成にしても、組織の手順に従って形成された意思というものは、その組織の長が責任を負うのは当然であり、決定には常に責任が付随しており、責任のないリーダーシップというものもまたないのである。

 以上のことを考えるとき、市民主体という言葉を単純に理解し、市民自治とは、その主体者である市民が自ら判断し、自ら実行することであり、そのために一切の情報は開示され、市民は行政のあらゆるレベルに関与していくことが正しいとする考えかたが成立してくることに対して、一定の危惧の念を抱くのである。小さな団体の、きわめて原初的な民主主義の段階であればともかく、大きなマンモス組織ともなれば、当然のこととして代議制が必要となってくる。この組織の構成員から一定の任務を負託された代表者と組織の構成員とのそれぞれの役割と関係をこそ極めなければならないのではないか。

 端的に言って、今日では市民の平準化は物心両面できわめて進んできた。突出したリーダーが生まれにくくなるのも当然である。他方、市民参加にしてもそれが深まっていけば、現実には世の中で多忙な役割を果たしている現役世代にはそのための物理的な時間はないはずである。そこで考えるべきは、リーダーの不在を嘆き、リーダーが生まれないように生まれないようにするのではなく、リーダーをいかに生むかという、そのための条件をこそもっと考えるべきではないのだろうか。その場合のリーダーの条件には、結果責任が不可欠であることも強調しておかなければならない。「参加」問題も、理念的なものから、市民の実相をもとに考える必要があるが、これまでのところ、理念型的な市民として仮定されすぎているのではないだろうか。


地位と無知と罪と

 これほどまでに興奮し、しかも読み進むほどに恐怖感深めていった書籍はかつてなかった。書名は『円の支配者』。著者はドイツ人エコノミストのリチャード・A・ヴェルナー氏。日本銀行金融研究所や大蔵省財政金融研究所にも在籍したことのある人物。
 どう興奮し、どう恐怖感を抱いたか。それは、バブルの演出とその後の日本経済破局の真犯人が日本銀行の通貨政策と銀行の窓口指導を通しての信用創出のコントロールにあったという、この時代にしてまだ我々の知りえない、国を破局に導くような闇の世界が明るみに描き出されたことである。古今東西の通貨と信用創出(銀行貸出)を検証しつつ、戦前から戦後のわが国の中央銀行(日本銀行)の実態を明示していく過程は、なまなかな推理小説を超える興奮と空恐ろしさを覚えずにはいられない。
 さて、問題なのは、通貨発行と信用創出のコントロールによって今回だけではなく、1970年代の列島改造時代のバブルを創出したばかりか、1990年代のバブル崩壊とその後の破局的な進行を日本銀行のプリンスと称される数名のエスタブリッシュメントによって演出され、しかもその目的とするところが日銀の政府からの独立と日本経済をアメリカ的自由市場主義に基づく構造改革に追い込むことであり、しかもそのことについて、大蔵省はおろかわが国の政府並びに民間のエコノミストたちが知らなかったということである。我々一般の人間からすれば、日本銀行を支配していた大蔵省や政府がそうした実態を知らなかったということなど考えられないことであるが、なぜそうなったかについても詳細に検証されている。本当に恐ろしいことである。さらに恐ろしいのは、そうした日銀の一握りの人間によるわが国経済、ひいては社会や政治のコントロールは今も、また将来にわたって続いているということである。日銀を民主的にコントロールする手段は1998年の日銀法の改正によってなくなっている。
 日銀のそうしたあり方が本当に『円の支配者』で明らかにされているとおりであるのかどうかについては、今後さらに検討しなければならないが、同書は相当丹念に論述されており、同書を読む限り検証できていると思われる。その前提に立てば、もっとも問題となるのは、現代のミステリーともいうべき日銀のそうしたあり方を許し、見過ごし、後世にまで及ぶ無用の財政投資と企業や国民生活を混乱かつ困窮に陥れた行政と政治家、そして世のエコノミストの責任のあり方が問題となってくる。政府や大蔵省に代表される行政の省にあるものとして、そうしたこととは知らなかった、ということですむのだろうかという問題である。国政の責任は、一切の事象に対して負わなければならないはずである。まして今回のケースは、日銀に明らかな意図、作為があったということである。その地位やセクションにある者の認識不足は、時として犯罪となるのではないだろうか。その地位やセクションにふさわしい見識や判断能力を備えずして地位、セクションに就くこと自体が犯罪なのである。
 地位やセクションとそれに必要な見識や情報、判断能力の欠如が如何に組織の判断を狂わせることになるかについては、いずれどこかで述べてみたいと考えていたのではあるが、今回のケースがあまりにも重大なだけに、多少の紹介を試みたところである。問題は、昨今の地方自治や京都市行政にも見られる現象であり、その地位とセクションの過去の経緯、現在の課題、同時代における横断的な問題、そして明日への展望の中で任務は果たされなければならない。今現在知らないならば、すぐにでも知るための努力をなすべきであろう。物事は、否定するも肯定するも、知った上でなされなければならないのである。知らなかったでは許されない。
 『円の支配者』が明らかにしたものは、あまりにも重大であり、それを許したもののひとつに、先にふれた世のエコノミストの不明さの問題もある。その問題は、一面ではあまりにも賢くなりすぎて、経済の最も原初的なセオリーが軽視されてしまったこと、そして理論や事象の外形を追うことだけではなかなか真実は明らかにならないということであろう。昨今の、いかにもわかったような経済関係のハウツーものの書籍の氾濫にいまさらながらに腹立たしい思いがする。
 失われた1990年代の10年とは一体なんだったのだろうか。ここ3年ばかり、私もそれなりに勉強してきたつもりではあるが、所詮素人、よもやこういうことが進行していたとは、という無念の思いが、衝撃として目下続いている。連立内閣とはいわば素人内閣であった。そして橋本内閣以降の内閣はさらに茶番に見えてくる。現在の、改革を声高に叫んでいる小泉内閣も誰の、何のための、どういう国づくりをするための改革なのかを考えたとき、同書によれば、すべてが日銀によって踊らされていることになる。
 まず知ろう。知るための努力をしよう。
 地位やセクションにあることは、権限をふるうためにではなく、その地位やセクションにふさわしい見識と情報をもとにその権限を活用するためにこそあるということを肝に銘じてもらいたい。それには、自らの情報網を努力してつくりあげるしかない。そして、断定するには謙虚であるべきで、物事には常に複数の選択肢があるということを忘れてはいけない。


日銀の作為?さもなくば無能?−失われた10年について

 先に紹介したヴェルナー著『円の支配者』の意味するところが余りにも衝撃的でかつ重大な意味をもつものなので、手元にあるこの間の日銀の通貨政策にふれられた書籍を点検してみることにした。日本銀行に果たして作為があったとみなせるのか。また、バブルとその崩壊過程における日銀の通貨政策はどのように理解されていたのか。
 手元に所持している「失われた10年」を対象とした書籍のうち、数点がこれに該当していたが、面白いことに、端的に整理すると、日銀の通貨政策に疑問を提起したものと、通貨政策は結果であると断定したものとの両極があったが、結果として間違いを犯していたとするものの3類型が存在した。以下で、そのエッセンスを誤解を恐れずに摘出した。詳しくはそれぞれの書籍をご覧いただきたい。しかし、ここで浮かび上がってくるのは、犯罪的ともいえる責任回避の論理のように思える。その省にあるものの結果責任なくして、政策責任というものは本来ありえないのではないか。残念で、かつ難しい問題ではあるが。よしんば作為がなかったにしても、これほどの重大なる誤りや政策ミスを犯したかたがたが、バブルの過程、その後の「失われた十年」、そして今後のわが国のリードをしていくことが果たして可能なのか。一体何を教訓とし、何を克服してきたのだろうかが問われている。それぞれの個人の応じ方の問題として。
 なお、最近出された『日本経済の宿題 「失った10年」を超えて』(土志田征一 2001.5ダイヤモンド社)では、金融の量的緩和について、「一本のわらを大木と言う」がごとしと、その主張の虚実性を解説されている。ことほど左様に、素人にとっての経済問題、とりわけ通貨、金融問題は難しいが、素人としては、やはりそれなりの原初的なセオリーを大切にしつつ諸説の立場とその具体的な分析から学んでいきたいと考えている。

吉冨 勝 『日本経済の真実』1998.12 東洋経済新報社
 経済企画庁経済研究所長などを努めた著者は、バブル発生のメカニズムの解明、すなわち株価インフレと地価インフレそれぞれの発生メカニズムを明らかにしたうえで、資産インフレと通貨需要との関係を考察し、80年代後半のバブル期について、「資産インフレが通貨の『需要』を膨張させたのであって、通貨「供給」が原因で資産インフレが生まれたわけではない」と断定されている。
同書p92から
「通説では、この年々3%弱の通貨の供給過剰が、年率20%以上もの資産インフレ(株価と地価インフレの平均)を生んだと主張していることになる(ただし、通説がこうした量的関係を明示的に問うたことはほとんどない)。これに対し本章では、両者の間に数量的な(3%弱の過剰な通貨供給が20%以上もの資産インフレを生むという)因果関係を見いだすことは無理で、因果関係そのものの逆転があったとみる。つまり資産インフレが通貨の「需要」を膨張させたのであって、通貨「供給」の「過剰」が原因で資産インフレが生まれたわけではない。……(中略)……資産インフレが追加需要として「過剰」なマネーサプライを吸収してしまったがゆえに、財貨・サービス市場での一般インフレが発生しなかったのである。」

原田 泰 『日本の失われた十年』1999.12 日本経済新聞社
 著者も経済企画庁に勤めていたが同書刊行時点では大蔵省財政金融研究所次長。 「『失われた十年』の前には、バブルの時代がある。過大な金融緩和によって誤った投資需要が生まれ、地価、株価を暴騰させ、雇用状況を逼迫させ、ブーム的な景気拡大状況を作った。」と、吉富氏とは逆の指摘となっている。以下同書から関連するところを摘出した。
p9
 「十年をうしなった直接のもっとも大きな理由は、金融政策の失敗である。一九八〇年代の後半、八〇年代央の不況と円高に対応するための金融緩和政策が行き過ぎてバブルを引き起こしてしまった。土地価格の暴騰に怒った人々に応える形で、金融引締めが続いた。バブルを潰すのは当然であるが、物価上昇率がマイナスになるような金融政策を続けるのは引き締めすぎである。しかも、後述するように、金融引締めを継続しながら、銀行の不良債権処理の先送りを奨励していた。」
p30
 「これまで日本の金融行政と貨幣政策は、銀行は一行たりとも潰さないという護送船団行政を行ってきたのだが、バブル崩壊後の貨幣政策は、すべての銀行を経営危機に陥らせる沈没船団政策になってしまったようだ。」
 「金融政策の失敗は、1980ねんだいまつから九〇年代が初めてではない。70年代初頭にも過大な金融緩和によって地価高騰、消費者指数が25%も上昇するというインフレーションを引き起こした。日本銀行は七〇年代央には七〇年代初期の失敗を明確に認めて70年代後半から八〇年代央まで、マネーサプライを安定するという正しい金融政策を実施してきた。」
p63
「九〇年以降も、景気対策のために効率の低い公共投資がなされているこは明らかと思われる。それまでの公共投資は、まがりなりにも道路や橋のようなインフラであって民間では建設できないものであったが、温泉施設やスポーツ施設のような民間企業でも建設できるものが増大し、民間企業と直接的に競合しているようなものが多数建設されるようになっているからだ。民業圧迫方の公共投資がなされれば、公共投資の増大によって、民間投資はむしろ減少し、経済全体の支出も増加しないことになる。」
p64
「問題は、マネー(サプライ)と公共事業と、どちらを拡大させることが容易な政策手段かである。公共投資を名目GDPの5%分も増大するということは考えにくいが(バブル崩壊後の不況期で景気対策で伸ばしたと考えられるのは最大で2%)、マネーサプライを5%伸ばすのはどうということもない。
 実際にバブルの時代、マネーサプライの伸びは13%、バブル崩壊時にはマイナス、その後は3%で伸びてきた。大きな効果があり、実際に大きな変動をしてきた変数にこそ着目すべきというのが本書の主張である。また、公共事業を拡大してもマネーサプライを増大させなければ効果が小さいのであるから、最初から、マネーサプライを重視して景気対策を考えるべきである。さらに、マネーサプライの増大策には、公共事業のように非効率を拡大させる効果はない。」
p65
 「これまで述べたように、貨幣政策によって不況から脱却することは可能である。」
「九三年には金利はプラスであり、金融緩和は可能だった。九五年から九六年にかけて、景気がなんとか回復したときも、マネーサプライをさらに増加させることが可能だった。  (中略)  中央銀行が国債を購入して直接ハイパワードマネーを増やせば、マネーは増大する。銀行部門を通じなくてもマネーを増大させることができる。
 日本銀行政策委員会の篠塚英子委員も、日本銀行がハイパワードマネーを増やすことは『日銀の才覚でやれるんです。でもやらないんです。やると大変なことのなると思ってるからです』と説明している(「最近の金融経済情勢と金融政策運営」『ECOレポート』一九九九年十一月、統計研究会)。大変なことになるとは、インフレになるということだが、現実にはデフレ気味で大変なことになっている。」
p66
 「マネーを増大させるべきであるという提案に対して、貨幣政策は有効であるとしても、貨幣政策による不況からの脱出策はまやかしであって、日本経済の抱える根本的な問題を解決するものではないという意見があるかもしれない。
 しかし、日本経済の構造問題は、九〇年代になって表れてきたものではなく、第4章で示すように、七〇年代以来、徐々に日本を蝕んできたものである。構造改革がなされなければ、日本が長期的に停滞するのは明らかだが、構造改革がなされなかったことが九〇年代の日本経済を失わせたわけではない。」
p76
 「金融政策の失敗と構造改革とは本来、別々のものである。不況が、経済効率と人間の幸福を向上させるという観点で正しい政策をもたらすと考える根拠はない。九〇年代の不況がこれほど長く続いたのは、むしろ、貨幣政策の失敗が非効率は公共事業の拡大や、金融不良債権処理の先送り政策、株価・地価の維持政策などの誤った政策を誘発し、その結果、経済構造が非効率になったからだと解釈できる。」
p77
「日本の『失われた十年』は、アメリカの大恐慌と同じように、貨幣政策の失敗によって生じたものであるという基本認識が重要である。」

日本経済新聞社『犯意なき過ち−検証バブル』2000.9 日本経済新聞社
 同書は、バブルの発生について、作為はなかったものの重大な過ちを犯したという趣旨で構成されているが、なかなかそうともいえないような状況も描き出されており、同書それ自身に対する次のような覚悟も明らかにされている。
 「日銀も大蔵省もその「弱さ」ゆえに問題をえぐりだすことに失敗した。だが、その後の巨大なツケが「弱さ」の帰結だったとすれば、「善意」であれ、「悪意」であれ、大蔵省と日銀の責任は取り返しがつかないほど重い。責任の所在を覆い隠したまま、当時の振る舞いを「悪意はなかった」と総括するのは「悪意ある歴史の書き換え」と後世から指弾されるかもしれない。」(p101)
 以下同書の関連するエッセンスを少し長いが摘出する。

p85元日銀総裁・澄田智のインタビューから(当時の政治、産業界の円高阻止一色の中で、公定歩合の引き上げはできなかった。が−引用者)「今思えば、もっとマネーサプライを重視して金融政策を決めるべきだった。私見ではあるが、日本は高度成長を続け、発展していかねばならないという立場に立てば、マネーサプライは少し多めにしてそれを後押ししたほうがいいという考え方があったと思う。追いつけ追い越せのキャッチアップ型経済のときはそれでいいが、当時の日本経済はすでに転機を迎えていた。だが、それを十分に認識できなかった。マネーサプライは少し多めの方がいいという発想から抜けていなかったかもしれない。」
 「結局、八九年五月に利上げするまで、二年以上、公定歩合を2.5%のまま据え置いた。後にバブルを助長したと批判を受けたが、引き締めに転じれば円高が進む。宮沢喜一蔵相が『一五〇円を死守する』と主張するなど政治も経済界も円高阻止一色だった。利上げは難しかった。八七年十月のブラックマンデーで利上げの機会を逃した面もある」
p91-92
「見えてきたのはバブルによるカネ余りが作り出した「不気味な姿」(日銀幹部)だった。日銀は脅威を感じ、金融引締めに走る。これ以上、野放図な信用創造を放置しては危険だと感じ取った。八九年五月からわずか一年三カ月の間に五回の利上げに踏み切り、2.5%だった公定歩合は6%台に乗った。」
「もっともリスクの少ない方策を描かねばならないたぐいの事態だったのに、日銀は一直線に引き締めに走った。案の定、度重なる金融引締めの副作用が噴出し始めた。
 それでも、日銀はなかなか政策の軸足を変えられなかった。バブル退治はそれほど日銀にとって大事だったのだ。八〇年代後半の「長すぎた金融緩和」がバブルを生む一因になったことへの悔悟。経済のプロを自認する集団が予想外の事態に遭遇し、冷静な判断力を失ったのだろうか。日銀の政策はかたくなまでの「引き締め堅持」だった。確かに政策は劇薬のように効いた。前年比二ケタの伸びを示していたマネーサプライは急速に鈍化、株価も急落した。」
p93-94
「多くの日銀首脳部は「バブルつぶしの正義感」によってしまった。後に「最後の利上げは余計だった」と内部からも批判が出るようになる。
 バブルは一度はじければ、加速度的にしぼむ。穴の開いた風船は二度と自力で膨らむことはない――。米連邦準備理事会(FRB)の幹部はこう語った。グリーンスパンFRB議長は八九年半ば、バブルが崩壊すると直ちに金融緩和に転じた。公定歩合やフェデラルファンド金利の下げは二十回以上に及んだ。急速にしぼむ風船に空気を補充し、バブル崩壊のショックを少しでも和らげようとしたのだ。米国が金融危機から脱した後の九二年、来日したグリーンスパン議長はこう語っている。『資産価格の変動は金融システムに大きな影響をもたらす。対策は早ければ早いほどよい』。だが、含蓄のあるこの言葉を深刻に受けとける日銀幹部は数えるほどで、日本のマスコミもグリーンスパン発言を報道しなかった。
 一方、日本は穴のあいた風船に針を刺し続けた。九二年に実質経済成長率は0.2%に落ち込んだ。相次ぐ“鬼平利上げ”から緩和に転換したのは九一年七月になってからだった。早い段階から資産価格の激変に警鐘を鳴らしたエコノミストの高尾義一は「資産価格が上がるときも下がるときも状況変化を読み誤り、政策が後手に回った」と指摘する。高尾は既にこのころ、株価チャートが一九二九年の大恐慌に酷似している事実を指摘、まったく独自に不良債権を推計するなどして各方面に金融システム対策試案を働きかけたが、ほとんど無視された。日銀幹部は今でも「あのとき、高尾さんの提案をもっと真剣に受け止めていれば」と悔やむ。
 大蔵省や日銀はおぼろげながらも問題の所在を認識していたという意味で、「無辜(むこ)の民」ではなかった。政策手段を有している彼らが問題の処理を誤ったツケはやがて、国民全体に跳ね返ってくる。
p101
 「『日銀は狂っている』
 水曜日の午前十一時から正午まで開く秘密の日銀幹部会。日銀金融研究所長の三宅純一が声を張り上げた。
 八七年二月二十日。日銀は公定歩合を0.5%下げ、年2.5%にすると決めた。三日後、七カ国蔵相会議はドル高是正は十分との認識で一致。通称「ルーブル合意」だ。三宅の発言はその直後。『すでにカネ余りが目立ち、一段の緩和は不要』と主張したという。」
p251
 「資産価格が急落したらどうなるか。バブル期にその問題意識が大きくならなかったのは「土地神話によるところが大きいのではないか」と日銀金融研究所長の翁は語る。」

加藤 寛『座して死を待つのか日本経済』2000.6 ビジネス社
 同書では、日銀の金融政策の重要性をいわば説明されていた。
p58
 「金融政策というのは、中央銀行の日銀が決定し運営するマクロ経済政策のひとつです。マクロ経済政策の最終目標は、雇用の確保、物価の安定、経済成長の維持、為替の安定、国際収支の均衡などです。これらを実現するために、中央銀行たる日銀は、公定歩合を操作したり、公開市場操作などの方法によりマネーサプライや各種金利のコントロールをするということになっています。
 ですから、日銀の行なう金融政策というのは、経済にとっては文字通りの伝家の宝刀です。それにもかかわらず、日銀自らが『金融政策はもう効果がない』などと言ってしまったならば、経済にとっての伝家の宝刀を自ら否定することになります。」
p60
「日銀が、円の量的緩和になかなか踏み切らないのは、バブル経済の失敗が頭にあるからでしょう。いま金融を緩めたら、土地が値上がりして、またかつてのような状態になりえないから、ここは我慢しようということでしょう。」


「柔肌の…」宰相考 −リーダーの条件を考えつつ−

 小泉総理が2週間の夏休み明けに短歌を披露された。与謝野晶子の短歌を「本歌どり」して、これからはじまる改革への心境を表した、とはご本人の言。歌のことはよく分からないし、小泉総理の人柄についての実際を知っているわけでもない。けれども、我々の総理が、国民向けに態々披露されたのだから、それについての受け止め方を率直に発言するのもまた必要なことであろう。歌についてのご本人の解説はなく、また意外と新聞やその他でもこれを真正面から取り上げたものを見受けていないのは、総理の軽い“のり”程度にしか受け止められていないのが大方なのであろうか。
 けれども、どうも日が経つにつれてこれを見過ごしにできない思いが私の中で強くなってきた。それは、単なる軽い“のり”なんかではなく、実は総理は得意げに披露したのであって、その歌を通しての人柄が明瞭に浮かび上がってくるからである。歌は、次のとおりだ。よく吟味してほしい。

   「柔肌の熱き血潮を断ち切りて仕事ひとすじわれは非情か」

 歌のことは分からないので、「柔肌の熱き血潮」をなぜ持ち出したのか、あまりにも不可解であり、かつそれを「断ち切りて」というに及んでは、何をいっているのかという感じで、与謝野晶子も恐らく苦笑しているであろう。また「仕事ひとすじ」の人間は、この日本には多い。仕事ひとすじに、いちいち「非情」と、大層たらしくいうほどのことはない。
 結論的なことを先にいうと、一国の総理、しかも我々の総理としては、こうした歌を自慢下に披露すること事態大変情けないことではないのか。それは、国民への思いを歌に託しているのではなく、自分がいかに健気に頑張ろうとしているかを歌ったに過ぎないもので、国民からの同情を期待したものであるからだ。「非情」は、自分に対する自分の非情さとして歌われており、「犠牲を伴う構造改革」の犠牲者である国民への苦渋が歌われたものではない。総理としての本当の仕事の中身を真剣に考えれば、そういう甘い歌はとてもではないが歌えないはずなのではないだろうか。血を流し、大量の犠牲者を出してもやり遂げなければならない改革という課題を引っさげて総理になるということは、当然のこととして、一身を捨ててかからねばならない。自分では及ばないかも分からないほどの大きくかつ重大な課題を承知して総理になるということは、はじめから個人的な普通の家庭の幸せは捨ててかからねばならない。人気の時代に深刻なスタイルは似合わないかも分からないが、国民の前での明るい顔はそれとして、覚悟は心中深くするものと考える。大体、一国の総理が自分の幸せを考えること事態が、理解のできないことである。自分の生活を心配するのではなく、国民の幸せを心配しなければならないのであり、歌は、まったく逆である。
 そもそも、一国の総理に限らず、組織のリーダーたるものは、規模の大小にかかわらず、その構成員に責任を持つ。構成員に責任を持つということは、リーダーたるものは、少なくとも己の個人的欲望を捨てなければならない。自分の個人的欲望を果たすためにリーダーになるということは、その組織を私物化する事に他ならない。現実の世には、そうしたリーダーも決して少なしとはしない。政治家にしても、政治家になる動機に私的利害の実現を内包する人も多いことだろう。しかし、政治家としての公的活動領域が拡大するにしたがって、私的利害から離れていかなければならない。ある段階に達したとき、国民の利害を自己の利害に置き換えることが必要となる。つまり、内閣の一員となったとき、100パーセントの公人となる。命は国民に捧げなければならない。国民に君臨するのではなく、国民に己を捧げるのである。その覚悟ができた場合、下手な人気取りに気を奪われることなく、国民の立場からの信ずるところを目指せばいい。総理にしろ、各種のリーダーにしろ、そのもっとも必要なる条件は、自己の欲望を実現するための手段にその地位を使うのではなく、その構成員の利害を自己の利害に置き換える覚悟の有無に尽きるといえる。地位はあこがれの対象ではない。地位は、その構成員のために自分しかできないであろう何かを実現するための己を捨てるべき対象である。覚悟なくして求めるべきものではない。
 戦前の世界大恐慌以来はじめてのデフレスパイラル的状況に陥りつつある現在、さらにそれに拍車をかけることになる構造改革の実行には、その被害を受けつつある国民に対して血の涙を流すような痛切なる思いとそれでもの決意と覚悟の有無が、今の小泉総理には必要なのではないのか。犠牲者が生じるのは或いは当然の帰結かも分からない。しかし、当然生じる結果に対しても、その犠牲の重みに悩み、苦しむことが政治の世界ではないのだろうか。学者の世界は、理性的論理の範囲で収めることができるのかも分からないが、政治の世界、現実の世界というものは、当然の事柄に対しても、そこから生じる犠牲や苦しみがあれば、そこに心を投入し、悩み、逡巡するべき領域なのである。
 「柔肌の熱き血潮」の歌が、一国民として読んだ場合に以上のようなことをいわざるを得ないということは、繰り返せば、極めて情けないことである。リーダーというよりは、あまりにも凡庸で、あまりにも自己中心的で、あまりにも甘えの精神構造である。
 冒頭にも述べたように、私は小泉純一郎総理の実際については何も知らない。その歌については、小泉総理も読んだものが解釈をすべしという趣旨のようだ。そのためにこうした一文になってしまったが、一国の総理として世界に恥ずかしくない見識と国民への思い入れをもってほしいとの願いを込めつつ、以上のことが誤解であることを願わずに入られない。あわせて、世の各種リーダーたる人々への自戒への一文となることを期待している。


非常時と日常 または 日常と非日常−アメリカの大規模テロ事件から

 実際、物心ついてからこれほどの衝撃を受けたことはなかった。9月11日のアメリカにおける大規模な同時多発テロ事件である。第2次世界大戦中はまだ小さく、敗戦直後の動乱期も時代を理解するような年齢ではなかったから。単なるテロではなく、「戦争行為」として認識された、「アメリカにとっての21世紀最初の戦争」に突入する。世界が自らの流血覚悟のもとでのテロ根絶への意思が構築されるとき、我が国のあり方にえもいわれぬはかなさ、むなしさを感じる。
 今回の事件は、その手段、ターゲットといいあまりにもあってはならないことであるとともに、その被害も世界的な規模となる想像を絶したものではあったが、結果から振り返ってみたとき決してありえないことではなかった。テレビからの映像を凝視したとき、もはや国家間の戦争はありえないと感じるとともに、ある意味でそれ以上に恐ろしい桁外れのテロとそれとの戦いが21世紀の戦争なのかもわからないと思わざるを得なかった。国家間の戦争には少なくともそれぞれに国家に対する責任を有しているが、テロにはその責任性がない。人間は善なるもの、人間は悪なるもの、そのいずれもを観念でもってあらかじめ仮定することはできない。現実をもって考えていかなければならない。
 それにしても日本の我々はいかにノー天気なものか。さしたる努力もなく、あたかも願いでもって平和が恒久的に続いていくような錯覚に陥ってきた。戦後の秩序が冷戦構造の崩壊とともに崩れ、東西冷戦の解消が逆に民族対立や国家内外の矛盾を激化させることなどかつての我々の意識の中にはなかった。極東の有史以来の島国の日本であってみれば、世界の動勢を気にすることもなくただ自分の幸せを追い求めることに汲々としているのもまたやむをえないのかも分からない。
 しかし、日本の経済がすでに一国内の意識で成り立たないのと同様に、国家そのものも一国内の意識だけでは成り立たなくなってきているのだろう。今回のテロは、我が国だけは例外であるとは到底いえない問題状況を孕んでいる。それが歴史的な中近東を軸とした西洋と東洋との関係、アメリカを頂点とした西洋による支配の構造にその根があるとはいえ、日本もそうした世界の構造の中で経済立国を果たしてきた。アメリカとの関係、アラブとの関係、ともに無関係ではありえない。
 今回の事件そのものを論評することはできないが、西洋と東洋との矛盾を背景に、とてつもなく無秩序な「神をも恐れぬ」事件の発生は、ある意味で否応なく世界を一つにしていかざるを得ない予兆も示している。今回ほど世界がつながっていることを感じさせられたこともまたなかった。これほどのテロは、もはや世界のどこであっても起こさせてはならないというその一点は、世界各国共通の連帯を生み出してきている。報復ではなく、テロ撲滅の世界的戦いでなければならないのであろう。
 それだけに、日本のあり方も衝撃的に問われることになった。戦後の平和憲法、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約をめぐる激論の経緯を吹き飛ばすような雰囲気さえ感じられるなかで、政府の対応も「主体的」という殊更の表現が使われているにもかかわらず、今日から明日への世界秩序構築への日本の戦略が明らかでないままに、直面する今の衝撃的状況への例外的対応として「7項目」の対策が示されたに過ぎない。

 さて、そこで考えたいのは、アメリカ本土のまた世界経済の中枢部の破壊という衝撃は、一瞬にして世界を非常時におくことになった。アメリカによる「報復」とテロ根絶への戦争が世界を覆うだけではなく、今回のテロそのものがこれで終わりかどうか、しかも世界各地への拡散という恐れすらある。しかもその難しさから、この戦争は10年は覚悟しなければならないともいわれている。非常時が日常化するのである。もはや受益一方の安穏とした生活はあり得ないとの覚悟を要する時代となったといえよう。
 平和を享受する日常性から、平和を築く非常時へ我々はそのシフトを変えなければならないのであろう。

 小泉構造改革も、今回のような世界の激動を経験するとき、構造改革とはいうものの、「痛みの覚悟」を唱えながらも、その意識はあまりにも自国内にとらわれた日常的な感覚ではなかったのかと思える。政治の目標は、平和で豊かな日常生活の実現ではあっても、その実現のためには、非日常的な覚悟と緊張が不可欠である。別稿の「日本の『失われた十年』と構造改革を考えるにあたって」をどう展開させるか、自分自身に緊張感を課して考えようと思っている。


市町村合併はアメとムチで!−自治の発想は何処へ

 やはり気になるので書かざるを得ない。本音のところでは地方自治は、国の行政区画に過ぎないのであろう。そう思わざるを得ないのは、さる9月11日に開催された全国知事会議における小泉総理の発言である。9月12日付けの朝日新聞によれば、小泉総理は、その挨拶の中で市町村合併について『アメとムチをどう考えて市町村合併を進めていくか、考えていかなければならない』と述べたという。同紙は「財政支援などの優遇策だけではなく、強制的な手法を用いても合併を勧める可能性を示したものだ。」と解説している。全く由々しいことで、地方自治に身をおいてきたものとして怒りを禁じえない。
 分権法の精神は、中央政府と地方政府との関係を役割の違いによる対等の関係として認識することにある。先の小泉内閣による「骨太の7大改革の方針」でも、6番目に「地方自立・活性化プログラム」があり、「『個性ある地方』の自立した発展と活性化の促進」をうたい、「自立した国・地方関係の確立」が目指されている。が、実際のところはそれらは単なるうたい文句に過ぎず、総理の頭の中には国家主導のもとにおける地方行政としての「地方自治体」しかないのであろう。それは、国家財政の負担にならないという意味での「自治体」なのである。でなければ、対等の関係に置こうとする相手に、「アメとムチ」などという家来か服従者に対するような発想が生れるはずがない。
 地方の自立には地方自治体としての一定の「規模」が必要とされ、その規模は人口規模すなわち財政規模である。それはこれまでの市町村合併がそうであったように、都市や地域の経営ではなく、地方行政体経営の適正財政規模なのである。自然的、地縁的地域経営としての住民自治の形成上における地方自治行政とはどうも少し違うのではないだろうか。自治体の単位が小さすぎることが地方自治運営の障害となるのであれば、その構成員としての住民がそれを自覚することによって自ずから近隣の自治体同士の提携や合併問題が生れてくるはずである。自治にとって必要なのは、国から与えられる画一的な「アメやムチ」ではなく、諸条件を主体的に受け止め対応していこうとする精神である。自治は、たとえそこに危うさがあろうとも、信頼して委ねるところからしか育たない。何かにつけて欧米先進国のノウハウを輸入することが好きな国家運営にしては、地方自治行政に対しては、根本においてそうはなっていないようだ。すでに、市町村など基礎的自治体の数は欧米に比べて少なくなりすぎているし、未だに実質的な国家統制が強すぎるのである。地方は、小泉総理の頭の中よりはるかに成長している。
 それにつけても、全国知事会議が政府の主催で開かれているのを見るに付け、戦前までの地方長官(国家行政機関としての知事)会議を未だに引きづっているようで、こうした思考様式の構造改革こそが不可欠なのではないのだろうか。
 自治は、制度ではなく、それを担うものの精神でなければならない。地方自治が、国政を使いこなす日が来ることを夢見たい。



成り切る覚悟−自治労不正経理事件に思う

 我が国の最大の労働組合である全国の自治体職員によって組織された全日本自治団体労働組合略して自治労の今回の不正経理事件は、単なる経理支出の不正さにとどまらず闇の世界との関係において生じていることからも、まことに残念な事件である。地方自治に身をおき、自治労にも関係してきたことのある筆者としては、残念というよりはなんともいえない無念の思いを抱かざるを得ない。しかし、残念や無念を口走っていたところで何の役にも立つものではなく、なぜこうした事態が発生するのかについて筆者なりに考えるのである。このことは、単に一自治労における問題にとどまらず、国会議員や国家官僚その他各種団体の幹部層についても考えなければならない問題であろうと思われる。もっといえば、日本社会そのものに内在する問題なのかも分からない。「悪をなすかも分からない」ということは、かなり本質的なものなのであろうか。打ち続く官民挙げての汚職事件を見るに付け、とてもではないが単純な「性善説」には立てない今日この頃といえる。

 戦後もしばらくの間続いてきた労働組合運動の思想的な問題はしばらくおくとして、労働組合の本義は、その構成員である労働者の職と待遇を守り改善することにあり、労働組合の役員は、専らそのことを目指した活動に従事するために役員に就任する。就任するにはおおむね選挙で選出されるという手続きを経る。その活動が認められるに応じてより上位の役員となり、やがて全国組織の専従役員となる。問題は、そうした役員としての上昇過程で、その一人の人間にどういう変化をもたらすのかということである。
 現場の職員、労働者の所得や生活は、為替相場の問題もあって、国際比較の計数に表されるほどの豊かさにはけっしてない。しかし、上級幹部になればなるほど、現実には生活は豊かになる。報酬にはさほどの開きはなくとも、結果的には活動費が労働組合費から支出されるからである。このことは、本来必要なことである。しかし、上級幹部になればなるほど社会的にもステータスは上がり、付き合いの範囲も社会的ステータスの高い層との関係が深くなる。勢い、労働者でありながら労働者の生活とは離れた生活環境に置かれることになる。となると、自らが労働者であって、その労働者の代表としての立場にたちながら、その生活環境は労働者のものではなくなってくる。かつて、労働貴族という言葉が頻繁に使われたこともあった。実際、やっている仕事は「労働運動」という「運動」ではあっても「労働組合経営」という「経営」であり、「経営者」であるといえる。もはや労働者ではないのである。交渉の相手が付き合いの相手となり、政治家、官僚、経営者といった層との関係が多く、ちょっと油断すると、そうした社会的ステータスの高い層と、もともとの出身である職場労働者とどちらに属するのかさえ分からなくなってしまうことになる。下手をすれば、労働者の代表というのは形式面で、意識の中では、日本のステータス層の一員として労働者を支配するという逆転した立場になりかねないのである。

 さて、闇の世界との関係は、株取引か不動産取引か知らないがゴルフ場経営に絡んでいたとの報道もあり、いずれにしてもバブル崩壊後なおかつそうした危険な世界に手を出していたというようなことは、労働者の感覚からはかけ離れたものである。億、兆というお金を数字としてなぶっていると、お金は物でしかなくなる。生活上の金銭ではない。これは銀行マンとて同じことで、生活上の金銭感覚の麻痺をもたらすことにもなる。こうした状況を日々いかに自戒して過ごすか、これは健全な労働組合運動の指導者としては必要不可欠なことである。現場の労働者と同じ労働をしていたのでは労働組合経営は成り立たない。当然「経営者」として有能でなければならない。しかしその目的は、あくまでその構成員の待遇改善であるはずで、その現場感覚を忘れては本来の役割は果たせなくなる。清貧に甘んじよとはいわないが、社会的ステータスの向上に伴う報酬も、その基本は当該組織からのものでなければならない。投機まがいの行為による所得がいかに労働者と乖離した世界へ向かわしめることになるのか、そこに思いが至らない指導者は不適格となるのである。このことは、リーダーたるものに必要な自らの環境整備の問題である。
 社会的ステータスの上昇に応じて、確かに出費も多くなる。自分を見失うことになる誘惑に取り囲まれることにもなる。しかし、リーダーが、何のためのリーダーであるかの役割に徹しようとするとき、自ずから、自らの条件、よって立つ基盤の問題が見えてくるのである。100万自治労のリーダーは、全国の自治体職員100万の代表者として、その組織力を担ってはじめて影響力を行使しうるステータスを持つのである。個人の力量による差はあるものの、決して一個人としてステータスがあるわけではない。その役割に立ち切り、その立場に成り切ることの大切さを痛感する。同時に、組織の構成員は、自らの代表のステータスの向上に応じた報酬の上昇についても十分考える必要性があろう。このことは国家官僚についてもいえるのである。
 国家のキャリア官僚は、若くして一人で全国にまたがる一つの業務を担当する。産業政策であれば一人で一つの業種ないし業界を担当する。接触する対象業界の相手は、業界を代表する有力企業家である。若い官僚であっても指導的立場にたつ。ここから間違いが発生する。知らず知らずの間に有力企業家ないしそれ以上の社会的ステータスが自分自身にあるように錯覚してくる。実際は、一個人の力量ではなく、国家行政体の一員としての国家行政の機能なのである。したがって、キャリア官僚といえどもその報酬は安いものである。報酬や生活の水準には相手である業界の代表者などとは天地の差がある。このギャップの広がりの中から汚職の魔手は忍び込んでくるのではないだろうか。

 考えてみれば、日本の場合、明治以来このかた、星雲の志を抱いて東京にで、まづしさに耐えつつも志を高くして立身出世にまい進してきた。貧農の子弟であっても国家官僚として、学者として、或いは政治家として大成することが不可能ではない社会構造にあった。ヨーロッパなどと比較して、はるかに階層間の流動性があり、低位の階層から上位の階層への階層間の上昇機会の多い国であった。しかし、その報酬を取ってみた場合、労働組合の役員にしても国家官僚にしても、その役割と責任、ステータスにふさわしいものではなく、結果として、その地位にあるが故の便宜上の効用によってその経済的裏づけを得ることになっていた。各界各分野ともに、その上位者になればなるほどに便宜を得る度合いも高く、本来の給料に依存しない状態が生れてきていたのではないだろうか。今でこそ贈収賄が問題となっているが、かつては、便宜を得る度合いの高さが、ステータスの証明でもあったのである。

 官僚にしても労働組合の役員にしても、己が投機の世界の利害にはまってしまった場合には広く社会を見ることができなくなる。構成員や国家のことよりも、自分自身の利害の中に落ち込んでいく。これを避けるには、本分を貫くための環境を自らに課し、私的利益を絶ってその立場に成り切る覚悟が必要であが、同時に組織は、そのリーダーや役割を担う者に対して十分ふさわしい報酬を用意することが必要となる。報酬の安さと、志の高さや清潔さは決して同義語ではないからだ。


小泉首相と自民党との不思議な関係−責任の所在について

 どうもすっきりしないのは小泉首相の立場である。自民党総裁であることによって総理大臣に就任しているにもかかわらず、自民党との関係が抵抗勢力との関係として映し出されていることである。自民党の体質を悪いということでありながら、その総裁が自民党についての責任を持たないばかりか、マスコミも自民党と小泉首相との関係を対立的関係としてあたりまえにとらえている。しかもその結果は、先の参議院選挙では、野党のふがいなさがあったにしても、自民党の圧勝に終わっている。小泉内閣に対する国民の支持といっても、それは単なる世論調査の結果に過ぎず、政治の仕組みからは国政選挙による政党の選択を基に国会で首相が選出されるので、国民の直接的な支持ではない。
 政党活動を基とした代議制民主主義の議員内閣制をとっている現行制度にあっては、総理大臣についても政党が責任を持っているのは明らかである。ところが総理が所属する政党と総理との間に矛盾があるとき、国民はどのようにそれを見、また判断すればよいのであろうか。極めて異常な状態の下に今の自民党と政権与党があるといえる。しかも繰り返すと、小泉総理は自民党の総裁として自民党の全責任を有している。が、自民党との対立的関係をいわば演出しているのか、結果として、自民党の体質を批判しながら自民党の支持率を上昇させているのである。明らかに歪である。この点について少し考えてみよう。
 先に結論的にいえば、小泉首相の責任は、自民党総裁としての政権党党首の責任と総理大臣としての責任とがあり、自民党総裁としての責任性を回避しているのではないかということである。極めて単純化するので少々の誤解はご勘弁願うとして、自民党最大派閥の橋本派は抵抗勢力の本丸としてマスコミもとらえている。今回の特殊法人改革にしても新年度国家予算の政府案編成作業においても、小泉首相自らが「いやー抵抗勢力の抵抗は強かった。しかしこれからも負けずにうやる」という意味のことを述懐している。「抵抗勢力」に問題があるのであれば、その抵抗勢力が自民党内部にある限り、その責任者はほかならない自民党総裁としての小泉首相その人である。自民党総裁自身が抵抗勢力ということである。機関としての自民党総裁の責任を個人としての小泉自民党総裁が取らないとき、自民党という組織は組織の体をなさず瓦解することになる。総裁の地位にあるものは、個人としてその組織にいかに問題を感じていようとも、組織の外に対しては、この場合は国民に対してということになるが、自民党という組織の一切の責任を持つべきものであろう。小泉首相はまた「抵抗勢力は協力勢力だ」とも言っている。それは、抵抗勢力があってはじめて、それに対して戦っている自分の人気が生じているということを認識しているからであろうが、このことがさらに問題をややこしくしている。改革推進者である小泉首相=総裁とそれに対する自民党内抵抗勢力との関係は、一方では敵対関係に模されながら、他方では協力しあう関係なのである。その協力し合う目的は、ほかならない小泉人気の上昇とその余得としての自民党の支持率の向上である。であるならば、小泉首相の構造改革は、その実現性自体が目的ではなく、抵抗勢力との闘いを演出すること自体が目的となっているということになる。国民への許しがたい欺瞞である。小泉首相は、その順序から言えば、首相である前に自民党総裁なのである。自民党に問題があるのであれば、まず自民党総裁として、自民党の党内改革に自分をぶつけなければならないし、自民党の現状の責任者自分自身であるという自覚と国民への態度が必要である。
 1億人を超える人口規模の国家の運営を、このグローバル化した時代に預かるということは、単なる一個人としてなしうることではない。個人の見識やリーダーシップ性という問題は避けてとおることはできないにしても、その個人を取り巻く組織的活動の所産として運営は可能となる。そのリーダーを取り巻く人的資源の豊富さと組織のすばらしさがあって初めて国家運営は可能となる。国家行政機構としての各省庁をとってみても、一大臣が個人としてなしうることを具体的に考えれば、およそ何もできないに等しいことは、いろいろ物議をかもしている田中真紀子外務大臣がいみじくも身をもって証明してくれている。いわんや総理大臣おや、ということになる。個人に代表されてはいても、そこには組織的活動の集約があり、国家行政機構の代表者として、自民党の総裁としての、政権与党の頂点にあるものとして、少なくともこの三者の上に小泉首相は成立しており、この三者の責任者である。抵抗勢力との闘いを演出することによって、それらの責任を回避することは本来許されるべきことではなく、こうした組織責任があいまいになるとき、国家としての形態すらが崩壊することになる。
 問題の具体的抽出とそれへの解決策の検討という地道な努力から離れて、単純なる類型化で世の中や組織を割ってしまうやりかたは、早く卒業しなければ、この国家国民の非常時に大変な間違いを犯すばかりでなく、当分の間、打つべき手立てのない国になってしまうのではないか。公共という問題は、単なる個人の自由のみでは成り立つものではなく、そこには組織と責任という問題が不可欠なのである。組織というものはいったん出来上がると「安定退廃」の危険があるとはいえ、それでもなお、組織への懐疑があってはならない。絶えざる蘇生を図りつつ、常に組織を通して、組織への参加を通して、世の中や国家は運営されていかなければならない。本当は、1個人ではいかんともしがたい時代となっている事実をリーダー的立場にある人も、マスコミ界もしっかりと押さえて、建設的な問題のとらえ方と解説を願いたいと考えている。単なる破壊や崩壊からは何ものも生まれてこないという思いを強く感じている。



一国民の手による小泉宰相論への試み・その功罪 −その1

 感情論で言えば、正直なところ小泉純一郎首相は全く好きなタイプではない。しかし、小泉政権誕生以来、歴代首相の中でこれほど身を入れて自分なりに考察してきた首相はかってない。人間としての好き嫌いで言えば、宮沢喜一元首相は好きなタイプではあるが、政治の混乱期の首相には向いていないと思う。過去、もっとも注意してみてきたのは中曽根康弘元首相であった。目が離せなかったという記憶がある。
 小泉首相というひとは、これまでの私の目には、いうならば“きゃんきゃんイヌ”のような政治家としてしか映っていなかった。とにかくしゃべり方が喧嘩腰であり、自分の気のある問題ではよく相手に噛み付いていた。郵政三事業はその最たるものであろう。自民党の総裁選挙に打って出たといっても、それは相手を認めないということと、郵政三事業の民営化への戦いであったのだろう。それが、今回は、「今度出て負ければ政治家としてつぶれる」というような意識をもっていたというから、それはそれなりに総裁選挙に出るということは大変なことなのだなと思い知らされた面もあった。北海道の故中川代議士の総裁選敗退後の自殺という過去も思い出させられたりもした。しかし今回は、田中真紀子代議士の勧めもあって二人三脚で挑戦し、結果は圧勝。それには、小渕、森と続いた飽和状態とも言うべき自民党政権の大判振る舞いの政治に対する危機感と嫌悪感が充満していて、東京都の反乱などもあって、党員選挙となりそこに国民や裾野の党員の声が反映したのであろう。森政権の延長ではだめだと。
 以後の政権運営を見ても、首相就任以前と以後とで、現在の小泉首相に対する意外感は私にはない。小泉個人にとって興味のある問題とない問題とでの対応の差が歴然とみえるのも正直といえば正直である。しかし、今日にいたるまでの日本の経緯の評価や、現在の日本の総合的な評価、明日への総合的なあり方への模索という一国の首相としての基本的な見識や備えという次元で見るとき、極めて大きな不安感を抱かせられる。これまでも自民党総裁選挙に出ていたとはいえ、本当に総裁になれるとは本人も考えてはいなかったであろうし、またそのような訓練や備えもしてこなかったであろうことは想像に難くない。したがって、郵政三事業のような自分とのかかわりのある問題への執念というものはあったとしても、日本総体、日本国民総体を本気で考えるというようなことは多分なかっただろう。現実問題として、自民党の派閥の領袖で、総裁すなはち首相となるべき射程距離にある人物がそのための備えを営々と積み重ねてきていた。小さな個人的な団体を運営するのではなく、一国の、しかも世界第2位の経済規模を要する日本の舵取りは、いかに優れた人物であろうとも、単に一個人の能力で可能なものではない。政界にあっても閉鎖的で、総合的な視野を備えているようには見えない小泉首相にいったいどれほどのことが可能なのかは極めて怖いことである。しかし、小泉純一郎が首相の座を戦い取ったというよりは、時の状況が小泉純一郎を首相にしたのであろう。であれば、小泉首相個人の問題は、同時に日本国民自身の問題でもある。こうした認識から、入手できる情報は極うわべのものしかないが、ことの本質はそこからでも伺うことが可能と考え、また一国民が一国民としての情報からどう考えるのかの実験をしてみようと考える。今は、それほど大変な時代であるとの認識である。
 好きではないタイプであることあって、批判的な面が強くなるが、それでも政治の問題がこれほどまでに国民の前に明らかになってきた功績はあるし、肝心要の問題はいざ知らず、情報公開も相当なところまできている。ポピュリズム批判もあるが、国民に語り掛ける政治家は過去少なかった。永田町や霞ヶ関が一場の大舞台と化してきた。ことの良し悪しはまた考えるとして、小泉改革の痛みも含め、結局は国民自身が覚悟を持ってかからなければならないことを、逆説的な面を含めて指し示してくれている。
 こうしたことから、戦後日本の本当の総決算期の小泉首相とその政権についての功罪両面の評価を進行過程の中で試みてみようと考える。以後、このコラム欄で、随時掲載したいと考えている。


2001年「論壇回顧」と2002年初の新聞社説から

 アフガン復興支援会議での日本のNGOの扱いをめぐる事後の混乱が拡大し、まさかの政変劇にまで発展した。小泉内閣の重要な成立条件でありながら、同時に最大のアキレス腱でもあった田中真紀子外相の更迭である。直後の読売新聞の世論調査では、内閣支持率46.9%と劇的に急落した。となると、小泉内閣とは一体なんであったのかが改めて問い返されなければならない。小泉内閣は、その金看板の構造改革とは別に、田中真紀子という特異な政治家の人気に支えられていたのであり、それは、政治の内容よりも、舞台における登場人物の感情的なやり取りの面白さであったのであろうか。政治には、そうした何もかもの一切を包含した世界があり、結果的に政治への関心の高さが、より良い政治を築き上げる方向に収斂されていくといいのだが、なかなか選挙民の実態というものは、建前とは裏腹な状況にもあり、困難な面も多い。
 こうしたことから、小泉内閣は一大転機に差し掛かってきた。改めてその何たるかとともに今後のあり方を考えるために、年末から年始にかけての新聞紙上での「論壇回顧」と社説を丹念に見ることにした。小泉内閣の誕生から9.11テロとテロへの戦争を主軸として、日本も世界も大きく変容しつつある。加えて、小泉構造改革の是非を超えて、デフレスパイラルの危機と日本経済の再生が最大の課題となってきている。論壇と新聞各社の論説の紹介は、久しぶりに大変参考になりまた興味深いものである。引用文は「 」内に、見出し、中見出しは[ ]内にいれた。

2001年「論壇回顧」から
 主要全国紙上等における「論壇回顧」から紹介する。

●京都新聞「文化 回顧2001 『1 論壇』」2001.12.11
見出し:[内外で『対立と痛み』  超大国意識への視線]
・「9月11日は世界を変えた。米中枢同時テロは『強まるグローバリゼーションと、それへの強烈な反発』として論じられ、……内外で『対立と痛み』が目立った一年だった。
・「米国が主張する『正義』や『新しい戦争』の定義に対して疑念を投げかける論考や、「テロリズムを批判しつつもイスラム社会の論理や現状から事態をとらえ直そうとする論考が少なくない。」 「底流には、…京都議定書からの離脱に象徴される、米国の“超大国意識”に対する各国の不満と共通する視点がありそうだ。」
・日本の米国への不満: ハワイでの米原潜衝突事故
・テロ報復軍事行動に伴う対米支援問題
 ショー・ザ・フラッグの要請=米の外圧か国際貢献かが焦点となる
 憲法9条や集団的自衛権、日米同盟についての激しい論議
 戦後初の戦時下での自衛隊の海外派遣−「時間切れの感がぬぐえないまま実施された。」・「首相の靖国神社参拝は、歴史教科諸問題とともに、アジア諸国から『ナショナリズムの復活』として警戒され、日本の歴史認識や戦争責任を問う声が再燃した。」
  近隣諸国との関係修復  新慰霊施設案の検討  東アジア外交のあり方
・経済
 深刻なデフレ不況
 テロ以前は、経済危機説や金融再編が主要なテーマだった。
 グローバリゼーションの波の中で、経済システムをどう立て直すのか
・小泉純一郎首相の「小泉フィーバー」
 構造改革や不況脱出への国民の期待感が高揚した結果。
 一方で、「ワイドショー内閣」や「小泉改革」の具体性、可能性を問う声が盛んに出された。
・失業、雇用不安による自殺者の急増を背景にリストラの過酷さを語る論壇誌の企画も目立った。
・狂牛病の到来も、新たな脅威として各方面に深刻な影響を与えている。
・「不安は当分消えそうにない。」

●朝日新聞夕 論壇「回顧2001」(中島鉄郎)2001.12.12
見出し:[9.11以後、何が変わったか  『黒か白か』でなく独自性を] 
[問い直された『米国』]
・9/11は、NYだけではない。 1973.9.11チリのサンティアゴの米国の後押しによる軍事クーデター(仏の国際評論誌「ル・モンド・ディプロマティーク」編集総長)があった。「世界には米国が関与した無数の9・11があったかもしれない。」
・「富と繁栄のニューヨークでさえ『暴力の前で平等』であることがはっきりした9・11をどう考えるのか」
[テロ防止と日本の選択]
・「冷戦終結」を手近かな問題としてテロ克服の起点にする。
 日本は、カンボジアの経験を生かし、自衛隊の後方支援より、「紛争地域における復興」とアフガンの「国際秩序への再参入」に貢献できるのに、「小泉政権は、あっという間にテロ対策特別措置法を成立させ、自衛隊を海外へ派遣した。」
・小泉内閣の、「当初は『90%』も記録した支持率」
 日本に<社会>が消滅している証拠(酒井隆史「失われゆく『社会』」(世界10月号))。「独特の『公正』さに気を配ってきた野中広務氏の『守旧派のワルそうな臭み』のほうが、『残酷』で『無慈悲』な竹中平蔵氏より、<社会.>を代表してきた」
・ネオリベラリズムの改革で「国家がサービス部門から撤退している」
 「社会の分断とセキュリティの再編」
 「日本はますます内向きになるのか」
・「『先見的枠組みを優先し、単一システムへの収束を是とする』欧米や国際機関に対し、アジアの一員として『白黒の二元論』にくみしない日本の独自性を出すべきだと主張(大野健一「提言・ODA二分論」(論座12月号)」
[「正義」の語りに抗して]

●夕刊読売新聞 論壇「回顧2001」2001.12.17
見出し:[経済システム見直す動き  米同時テロ、狂牛病 文明の病に戸惑う]
 「大きな変化に揺さぶられた1年だった。不人気の森内閣退陣後、構造改革を掲げる小泉内閣が誕生、80%の高支持率を背景にニューモードの政治を模索した。その熱狂冷めやらぬうち、アメリカを襲った同時テロ事件が、今度は世界を一変させた。事件の翌日、日経平均株価は17年ぶりに1万円を割り、経済の混迷も深まるばかりだ。今進行していることの意味を論壇はどこまで的確にとらえることが出来ただろうか。」
[「二者択一」を超えて]
・「二者択一」を超えて日本の経済システム自体を見直す機運が高まってきた。
[小泉政権の「ねじれ」指摘]
・小泉政権のねじれ
 「日本が立ち直る最後の機会」(小林良彰)
 「ワイドショー政治」
 「宰相の小泉の空虚なる語法」(高村薫)は、「小泉首相の語り口の危うさを示し、『政治と言葉』の問題の本質に迫った」
 小泉改革のネオリベラリズム=「多くの人々に『痛みの永続化』を強いるものと原理的に批判」(酒井隆史)
 小泉政権は従来の分類軸ではとらえきれない「ねじれ」を指摘(佐藤俊樹)
・今年検定に合格した「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書についての論争
 「執筆者の歴史観を検定で問うことはできない」(町村文部科学相=当時)という一定のコンセンサスが醸成された。
・「戦争が記憶される仕組みの再考」
[日本の言論は逃げ口上]
・狂牛病の中に、現代文明の病を読み取った「熟成した論考」:「狂牛病の教訓」クロード・レヴィ=ストロース)

●毎日新聞夕刊 「論壇この1年」(橋爪大三郎/御厨貴/斎藤環)2001.12.17
見出し:[二元論際立つテロ事件  欠けた当事者意識と長期対策]
[テロと国家]
・イメージの「戦争」という要素も強く、作戦名も「無限の正義」や「高貴な鷲」という首をひねりたくなるような正邪二元論(斎藤)
 「米国は善悪二元論で成り立っているところがある。孤立主義の間なら無害だし、冷戦体制下でも大丈夫だった。しかし、…今回は旧ソ連進行に対抗して支援したアフガンゲリラと戦う羽目になるなど、善悪二元論に自分がつまづいている。」(橋爪)
・「日本人は、湾岸戦争の時に多国籍軍を支援し損ねたという反省ばかりで、問題の違いが分かっていない。」(橋爪)
・「軍事論と国家論は不可分一体」だが、「戦後は軍備を持たない建前できたから、軍事が分からなくなってしまった」(御厨)
・「右」からの国家論:「国家について考えたことがないから、『右』から来ると案外弱い」(御厨)
・「日本人の多くが真実を知りたいのではなく、物語を消費したがっている点を突いた」(赤坂真理「『障害』と『壮絶人生』ばかりがなぜ読まれるのか」中央公論6月号)=「中産階級の闇」(斎藤)
[歴史と記憶]
・90年代は「歴史が政治化した時代」(御厨)
 「歴史が語りにくく政治化する背景に、戦後の飽和がある」(橋爪)
・「誰も『痛み』の実態なんか分かっていない。痛さを感じられない知覚の断絶がある。」=酒井隆史「失われゆく『社会』」
 「小泉内閣に代表される『粗野なネオリベラリズム』が進行する素地として、感覚の断絶がある。」(斎藤)
 「米国人は『スフィア(球)』に住んでいて、外部の出来事は切り捨ててしまう。切り捨てられるのは3K労働者のような底辺の人たちだ。その『スフィア』を飛行機が破壊した。」(S・ジジュク)
[首相と国民に奇妙な一体感]
[支持率80%]
・「小泉氏は、コミュニケーション能力が低い人が首相になった稀有な例」「首相はウルトラマンタイプだ」(斎藤)

●読売新聞 解説と提言「潮流2001-2002」2001.12.19
見出し:[市場主義経済に予想外「コスト」  広がる貧富の差]
「効率化を追求する市場主義経済は2001年、米国の同時テロによって、予想外に「コスト」がかかるシステムだという事実を思い知らされた。 解説部 河合 敦」
[米同時テロ]
・「市場主義経済が取り組まなくてはならない最も大きな課題は『グローバルなセーフティネットの構築にも力を入れ、貧困などテロを生む環境を改善すること」(杉浦哲郎)
[不安定要因]
・「貧富の格差が、テロを含めた世界の不安定要因であるとの認識は深まっている。」
・市場主義経済は、「コストを抑えるのに最も適していると思われたシステムだが、同時テロは、持たざる者の不満が噴出すれば、とてつもないコストを支払わされる可能性を突きつけたといえる。」
・「市場主義経済システムには、支援などを通じて格差を縮める柔軟なバランス感覚も求められている。それが、結果的にはコストを最小限にする道だ。」
・「21世紀は、新たな市場主義経済システムを構築できるかどうか、世界が試される時代だ。」

●夕刊読売新聞 「論壇2001 12月 文化」(天日隆彦)2001.12.26
見出し:[テロ事件と西欧近代を問う  神排除のやましさ突く(佐伯啓思)/狂牛病と類似した病根(中沢新一)/歴史と文明 逆流の時代(坂本義和)]
・大きなテーマ「西欧近代に根ざした『自由と民主主義』の正当性の問題」
・米同時テロ
 「西欧近代に内在する『やましさ』を突かれたことが、今回の事件の本質」(佐伯)
・「非対称」をキーワードに、狂牛病とテロ事件を関連付け
 「ここでも問われているのは『圧倒的非対称』の世界を生み出し、これを容認してきた『西欧近代』そのものであろう。」が、「一体これに代わるビジョンが見出せるのだろうか。」
 「『テロの根には貧困がある』という発言は無数にあるが、『それは長期的な課題』とされ、将来ではなく、今の自分たちの生き方としての『文明』の在りようを自問する、痛みのこもった言葉は、私の目にはとまらなかった。これは、どういうことだろうか」(坂本義和)
・「日本では、この一年、構造改革に伴う「痛み」について論じられてきた。世界の『圧倒的非対称』を解体していく作業は、さらに苦渋に満ちたものになるに違いない。」
 「『西欧近代』を受け入れつつも、極端な原理主義には走らない文化もある。そうした個性を生かしながら、閉鎖性を克服し、世界に開かれた日本をどのように構築していくか。」
・「世界が、近代の歴史と文明に対する逆流の時代に入っている。」(坂本義和)

●朝日新聞夕刊 「論壇時評」(京大教授 間宮陽介 経済学者)2001.12.27
見出し:[倒錯する改革  手段が自己目的化・美学に  批判論も不況の分析に弱く]
 「寒々とした年の瀬である。失業率はとうに5パーセントを超えた。高卒予定者の就職内定率はわずかに50パーセント、2人に1人はまた就職が決まらずにいる。このような貧寒とした日本経済をしりめ尻目に、政治家の口をついて出る言葉はまことに景気がいい。企業の倒産は構造改革の成果だ、新規国債発行額も30兆円内に抑えた、来年度の緊縮予算については、増やすべきは増やし、削るべきは削ったメリハリの利いた予算だと自画自賛。これまでの景気優先策が失敗したのだから、ともかく構造改革を見守ろう、というのが大半の国民なら、よく痛みに耐えてくれた、感動した、というのは小泉首相の率直な感想であろう。
景気対策が失敗したから構造改革を、というのはどこかおかしい。まず、景気対策は失敗したというが、景気対策を行わなかったら、日本経済の落ち込みは現在の比ではなかったかもしれない。一歩退いて、過去の景気対策にまったく効果がなかったとしても、効果がなかったのは景気対策一般ではなく、地域振興券に象徴されるような景気対策のあり方だったということもある。」
[中身とタイミング重要]
 「さらに、構造改革なくして景気回復なしという命題は、論理的には、構造改革を敢行すれは必ず景気はよくなるという命題と等値ではなく、それは高々、もし経済が回復したとしたらそこには何らかの構造改革があったにちがいないという、ほとんど自明のことをいっているだけである。ひょっとしたら特殊法人の統廃合や不良債権の整理以上に、景気対策の手法における構造改革のほうがよほど効果があるかもしれない。だが、このような可能性は端から排除されている。」
・小泉改革にあっては「改革」が自己目的化している(S・ヴォーゲル「小泉改革、ここが本当のジレンマ」NEWSWEEK日本版12月19日号)
「改革(手段)というよりは美学(目的)であり、この美学の前に、手術は成功したが、患者は死んだということにもなりかねない。」
[「インフレ起こせ」の声]
 「構造改革は経済改革を素通りした、政治改革になっている」(P・クルーグマン 中央公論1)
 「デフレ容認論は瀕死の患者にさらに過重の重荷を背負わせるもの」で、「『日本経済を本格的に破壊して、失業率を二桁に近づけ、そこで賃金をまさに破壊して、次の創造過程に乗せようという意図』(浜田宏一 中央公論1)にちがいない、と皮肉っている。」
[政治も人間の視点必要] 
・対症療法としての自覚
「構造改革は『構造改革』であって、対症療法とは違うという人もいようが、不良債権問題等、日本経済の抱える諸問題を経済システムにとっての状態と見るのでなく、天から降った災害のように見なし、その災害を除去すれば経済の再生がなると考えている点で、処方としての構造改革はやはり対症療法的である。むしろ対症療法の意識にかけるぶん、政策としてはインフレ・ターゲット論よりも問題が多いとさえいえよう。」
・「手術は成功したが患者は死んだという、手段と目的の転倒は、経済だけでなく、政治の世界にもみられるのである。」

●毎日新聞社説2001.12.31
見出し:[2001年総括  グローバル化への三つの回答  小泉改革が色あせてきた]
・「21世紀最初の年は20世紀を十二分に背負ったまま、同時に未来もちらっと見せてくれた。」 それは、9.11という「夢とは違う現実の21世紀の幕開けだった」
・冷戦時代の東西イデオロギーの対立に代わる、新しい価値観の分裂と対立
 象徴的に三つの出来事に表れる
  ・同時多発テロ
  ・地球温暖化に対処する京都議定書の合意騒動
  ・巨大な人口を持つ中国の世界貿易機関(WTO)への加盟
 この三つは、「更なる豊かさを求めてやまない拡大主義、調整を模索する共存思考、異なるものを排斥する拒否反応と、全く方向性の違うグローバリゼーションに対する三つの回答であった。」
・小泉政権の改革断行の宣言 「中途半端があまりにも多い」
 「目に余る結果の遅さ、変われない日本が、株価急落と円安を招いている。」
 「世界のこれだけの大きな流れの変化の中で、小泉改革の内容もそれに対する抵抗や結論も、あまりにも国内的に過ぎることが目に付いてきた。」
 「これだけ激しい政界の動きと無関係にいることは今や誰もが難しい。旧態依然として希薄な危機感の中で族議員と利害調整を図るだけに血道を上げ、両方がうまくいったと井の中の蛙をやっているばかりが政治家の能力ではあるまい。」

             2002年年初社説から
2002.01.01
朝日社説
見出し:[「『果断』な言葉とその先へ  今日より明日を1」
 「ゆくえ定まらぬ時代である。」
[強い調子で二者択一迫る]
 「日本ではかつての『変人』総裁選候補が、いまや『最後の切り札』だ。」
[異常人気の不安な側面]
 ・「問題解決への道筋が見つからない時代には、人々は確かにリーダーの果断さにすがりつきたくなる。2人(ブッシュ大統領と小泉首相-引用者)の異常なまでの人気の高さは、簡潔な言葉で端的に言い切る、その語り口調によるものでもあろう。
 しかし、振り返れば、現実への果断な取り組みの積み重ねが、進路を誤らせた歴史も枚挙にいとまがない。」
 ・「先行き不安な時代には、とかく『自由でなく統制を』『協調ではなく武断を』などと、『力』に頼る社会的気分が強くなる。複雑な現実と格闘する粘り強さより、短兵急な解決を目指す強さを求めがちになる。」
 ・「真の課題は「果断」な言葉の先にある。」「日本は何で生きる国をめざすのか。そのために、何を改革し、どう再生に結びつけるのか……。」
[「米国こそ世界化を」の声]
 「国際機関や他国をとかく自国の利益追求の道具とした見ない、この超大国の振る舞いが根本的に変わらない限り、今後の世界は前進しようがない。」
 「夢や展望があれば、人々はかなりの痛みでも耐えられる。しかし、小泉改革も国民に『日本をこう変える』という未来像や展望を示してはいない。」
 「『果断』な言葉はもういい。そろそろ世界も日本も、新世紀のあるべき姿や構想づくりに知恵を結集し、肉付けしていくステップへと踏み出す時期ではないか。それはむろん、やみくもな行動よりはるかに複雑で、期間のかかる困難な作業である。」

毎日社説
見出し:「手応えを楽しむ時代に  『要求型』超えて足元から」
 「長期不況といっても平均所得は相変わらず世界でも屈指で、教育レベルも高い。一方、少子高齢化、環境問題を考えれば、高度成長の延長に未来がないことも確かだ。」
 「自分自身が確かなものを作っていかなければならないことに気づいたのが『失われた10年』だった。」
[変わった国民意識]
 「『痛みを伴う改革』を掲げる小泉純一郎内閣が空前の支持を集めているのも、これ以上の物質的豊かさより、未来をめちゃくちゃにしないでほしいという願いがあるからだろう。」
 「日本でもこの3年で5000を超すNPOが法人格を取り、さまざまな問題に取り組み始めている。必要なものを外の求めるだけでなく、自分たちで作ろうという点で、手打ちそばブームと通底するものがあるのだろう。」「時間だけ考えればプロ任せの方が能率的かもしれないが、効率を超えた本来の住民自治が動き出しているのだ。」
 「自分たちの手で問題を解決していこうといううねりは、いまや環境、福祉、教育など、さまざまな分野に広がっている。」
 「混迷の10年で、問題解決には自分たちが主体的に取り組まなければならないことに気がついた。。そして、小さいが確かなうねりがいたるところで起こっている。構造改革の中で、この力強い流れを大事にしていかなければならない。」
    *構造改革という日本の破局的状況に対して、はたしてどのような効果があるのか、今求められているのは、巨大なる対応ではないのか。(山添)

読売社説
見出し:「『テロ後』に臨む日本の課題  政策を総動員して恐慌を回避せよ」
[国際政治の風景が一変]
・米、中、露の軍事三大国が急接近したことは「それぞれに国内事情を抱えてのことでもあるが、三国の当面の思惑を超えて、新たな世界秩序形成への一歩となるかもしれない。」
[憲法解釈の変更が必要だ。]
・「日本もテロ包囲網の一端を担う国として、国際テロ勢力の攻撃対象になったのだという現実を率直に認めて、早急に組織テロとの“新しいタイプの戦争”に即応できるような態勢を整えなくてはならない。」
[急速に悪化する日本経済]
・「日本経済は、このままでは、いつ本格的なデフレスパイラルに落ち込み、恐慌が発生するかしれない、という危機的な状況にある。」
[大型財政出動に踏み切れ]
・「小泉政権は、デフレ下でさらにデフレを促進するかのような対応をしている。」
 「小泉首相は、まず、『三十兆円枠』へのこだわりを放棄し、大胆な財政出動へと政策転換することを表明すべきである。」
[『インフレ目標』の導入を]
[ライオン宰相の轍を踏むな]
 小泉首相がしばしば比較される昭和初期の浜口雄幸首相も「ライオン宰相」といわれたが、「金解禁という緊縮政策を採用し、昭和恐慌を招いた。二人目の「らいおん」が同じ轍を踏むことで歴史に名を残すことのないよう、強く望みたい。」

日経社説
見出し:[行動力は危機直視から  日本再生 残された時間@]
・「行き過ぎた『引きこもり』現象がいろいろな分野に現れている・」
・「日本が直面しているのは単なる循環的な不況だけではない。不況の深化に加え、長期・構造的な調整圧力を受けている。
 日本は明らかに、戦後で最大の経済的な危機に直面している。にもかかわらず、現状をうち破る積極的な行動を引き出す『危機意識』が希薄で、もうだめだという『悲観主義』から抜け出せずにいる。」
[複合的な『大停滞』]
・「バブル景気崩壊後の経済を『十年不況』だという人がいる。これは間違いだ。むしろ十年を超す経済の『大停滞』が続いていると見るべきである。」
・「問題は、景気循環を重ねるたびに需要刺激策による景気の回復期間が短縮し、下降が厳しくなりがちなことと、91年以降の年平均経済成長率がわずか1%でしかないことである。」
・「経済構造改革は、まさにこの1%にまで落ち込んだ成長トレンド線を、日本経済の潜在的な成長能力である2%とか3%に押し上げることである。」
・「小泉構造改革路線は、この構造的な側面に対応しようとしている点で評価できる。だが、問題もある。
 第1は、循環的な下降局面に対処するマクロ経済政策が弱いことだ。
 第2は、構造改革についても、税金の無駄遣いをなくすという改革に重点があり、富を生みだし、成長トレンドを押し上げる政策が弱体なことである。」
[単なる節約からの脱皮]
・「富と文化を生み出すのは政府ではなく、民間部門である。」「政府の機能は民間セクターから生まれる富の『分配』であり、民間セクターが富を生みやすい環境を提供するかそれを妨害しないことである。」
・「民間セクターには、真に富と文化を生み出すのは自分たちだけだとの自覚と覚悟が必要である。」
・「そこで心配なのが『引きこもり』現象である。」「(リストラにしても単なる節約になるのではなく-引用者)節約し身を縮めて、十分な“ため”をつくり、エネルギーを爆発させるという発想が肝要である。それには、何のための節約かを問いつめなければならない。戦略、目標の曖昧な節約では、縮んだ身はもとに戻らない。」
・「大競争時代にあり各国が懸命に走っている時、ゼロ成長目標は静止でなく後ずさり、失速を意味する。危機の現実を直視することが行動への出発である。」


京都からの文化庁長官誕生に思うこと

 少し遅くなったが、このたびの河合隼雄文化庁長官の誕生は、京都からの文化庁長官の誕生といえ、京都にとっては大変めでたいことだといえる。氏について、ユング派の臨床心理・児童心理学者で京都大学教授を努められ、最近では国際日本文化研究センター所長に就任、退官後も京都市教育行政やその他に幅広く活動されている、専門分野を超えた文化人で、フルーツの演奏もされるという以外にそう実際的なことを存じ上げているわけではないが、権力の中枢である東京に対する、権力からの自由な発想を基にされている京都大学の自由主義学派を継承している方であろうことは間違いなく、それだけに、権力の担い手たる文化庁長官への就任を要請されたということ自体に意外感を持ったのは事実である。小泉内閣として、京都の自由主義の流れを汲む人材を文化庁長官に就任させてもいいんだろうね!と。覚悟は、ご当人よりも、文化科学省と小泉総理の方に必要だと思うからです。ご当人の発想するところに着いて行けるように文化庁をできるかどうか。私の知り得る限りの文化庁というのは、文化すなわち「人」を相手にするところですが、政府各省庁の中でももっとも近代的でない遅れた役所であるからです。というのは、民主的な、個々人の自発性から最も遠い所なのである。
 文化の担い手であるからという建前があるからなのか、各地方には基本的に上意下達である。文化そのものは元来権力がタッチするべき性格のものではないために、誘導的指導的な行政が多いが、それは反面その担当官の任意の裁量による幅が多く、その任意性が権力的に下達される仕組みは文化には程遠いものである。恐らくこうした文化庁の体質は、京都からの人材であれば、よほどの権力志向の強いものでない限り基本的に合わないところであろう。
 そこで気になるのは、京都の方の問題である。京都人というのは、日本の多くの地方が最近まで田舎であったのとは異なり、平安時代以来1200年に及ぶ都市としての歴史を歩んできた。そこからは洗練された姿が浮かんでくるが、たしかに洗練された伝統的な文化は職人さんの世界にも継承されている。しかし、権力との関係では、けっしていい面ばかりではなく、物取り的な面も強い。明治以来、戦前までは、京都も国政の重要な拠点であった。ために、京都への国家財政の投下も他都市の例とは別にあったといえる。戦後は明らかに一般諸都市と横並びになった。が、国に何かをしてほしいという思いは、今もって根強くある。近い例は、野中元自民党幹事長に対してである。同氏が国政で実力を形成する度合いに応じて、同氏に依存しようとする度合いが、京都のリーダー層にも高まったのである。「野中さんにお願いしたらできる」といった類の話は方々で聞かされてきた。市民や国民を教導するような立場を自認されているような方でさえ、結局のところ国に、中央に依存する、言い換えれば、国・中央にやってもらうという考えが強い。「独立自治」という考えは、根底においては実際のところ薄いのである。こうしたことは誠に恥ずかしいことといわねばならない。
 野中元自民党幹事長が国政で実力を構築してきたのであれば、国政を発展させるために、京都もいかに貢献するのか、そのチャンスとして捉えるべきが本来のはず。野中さんに京都の利益で負担をかけるのではなく、中央で十分な活躍ができるように支援することが本来のはずではないのかと思ったものである(政治的な立場云々はまた別次元の話として)。今回の河合隼雄文化庁長官の誕生にしても、これによって京都が何かを益するというような考えが仮にあるとすれば、そうした考え方は、いうところの各界の「偉い人」には取ってもらいたいものである。そうではなく、日本の文化行政に、京都から貢献できるチャンスとして、京都自身が身を引き締めて、河合文化庁長官に協力していくことこそが求められているのである。京都の伝統的な文化と自由を基とする精神性を国家レベルにまで波及させることこそが、求められているのであり、そのことを京都と新文化庁長官が進めようとするとき、小泉内閣には本当の構造改革への覚悟が必要となってくるのではないだろうか。くれぐれも、京都からの文化庁長官誕生を、物取りの足場にすることのないように願いたいものである。



医療費自己負担増に思う!−改革、競争、安心?

 人員削減のリストラは進んで失業者は増大し、所得は減少の一途で、この傾向に当分の間は歯止めがかかりそうにはない。そこへ加えて、痛みの共有というのであろうか、7月26日ついにサラリーマンの医療費自己負担を3割に引き上げる健康保険法改正案が野党が欠席するなかでの参院本会議で可決、成立した。多少のドタバタはあったものの、これほどの法改正が、これほど簡単に可能とは、これまでの戦後の歩みを知っているものとしてはただ驚くばかりである。それは、小泉改革に対する国民の賛同の中にはすでにこれらのことは折込済みであるからなのだろうか。
 しかしよくよく考えて見れば、構造改革なるものの行く末とはそもそもどのようなものなのであろうか。だれが、どのような必要性から主張しているのであろうか。各人各様に現状を変えるべき視点は持っているだろうが、それを「構造改革」という言葉で全て包み込みながら、実際には、必ずしも各人各様の集約ではない一定の方向へ進められている可能性がある。減税にしても、公共投資の削減と新たな財政投資にしても、そこには、それによって不利益を受けるものと、大きく受益するものとの両者が生じ、それらの間に財源、すなわち具体的には「カネ」が流れるのである。昨日までと今日からの受益対象が変わり、昨日までの受益者が迫害されることになる。昨日までについてもそれは国家がやっていたことであり、今日からの転換も国家がやることなのである。市場経済といい、規制緩和といっても、現状を見る限り、政府が全てをコントロールしていて、言葉とは裏腹に決して自由ではなく、取り残され、切り捨てられるところが「自己責任」を担わされているのではないだろうか。
 「官から民へ」という言葉も、それだけをみればなるほどそのとおりだが、汚職の構造を見れば、民との官とのかかわりの中で全て発生しているのであり、官が悪で、民業が善、という前提は成り立たず、銀行は言うまでもなく、巨大企業になれば、その倒産は社会的に影響するところが大きいからと救済策が講じられる。民業は、基本的に自由である代わりにあくまで自己責任の上にたつ。にもかかわらず、銀行や巨大企業になれば結局は最終的には国家の関与するところとなる。官には能力がないといわれつつも、民にも能力がなく国家統制下にはいる。大雑把に考えると、今日の我が国の状況が全く理解できない。
 ここの企業を見た場合、企業自身の中に、経済の好不況にかかわらない問題によって経営危機に陥っているところも多いし、また逆に企業の経営のたくみさでもって発展しているところもまた少なくない。もちろんデフレ状況下でのマクロ経済的な問題はあるにしても、企業自身の責任による経営危機が多いのである。企業の再建はやはり基本的には企業の自己責任のもとに個々の企業に則して対応されるべきものであろう。成長する産業や企業を国家が支援し、成長しない産業や企業を国家が切り捨てるというような必要性がなぜ生じるのか。これまでの日本の産業政策が、国家による基幹産業を中心とした産業の育成にあり、そのことの反省の上にたった国家と産業のあり方を論じるのであれば、基本的には国家は、産業政策から手を引くべきであろう。市場の公正さの確保や国民の安全性の確保、安全保障を中心とした国家利益の侵害などの面からのコントロールのみにとどめ、少なくとも時代から遅れて苦労しつつも存続している企業を蹴倒すことはするべきではないし、成長していく企業や産業に追い銭を注ぐ必要はない。そこに国家がかかわるのは、突き詰めれば官業と民業との境界がいつまでたってもなくならないことになる。国家の支援を得ることをあたかも正義であるかのように発言している経済人は、政治的経済人であって本来的な経済人ではあるまい。
 そこで、国家のあり方で本来考えられなければならない選択肢は、国家は企業活動を育成することを旨とするのか、それとも国民生活の安定を旨とするのか、の問題である。不況とデフレの最中になるためにやむをえない面もないではないが、企業への支援なくして国民の生活はないというような雰囲気の中で、国民生活の安定や保障は否定され、企業や産業への支援が最大の課題となっている今の状況は、あまりにも歪ではないのだろうか。なるほど国民生活は、国民の中核層がサラリーマンであることから、その働き先の企業の浮き沈みが生活に直結しているのは言うまでもないが、そこが自由主義経済であるがゆえのやむを得ざるところである。国家が、企業に手出し、口出ししてはいけないのである。しかし、国民生活上からは、国民の健康や生命、失業の場合の生活の一定の保障と就業への支援、さらには将来的な生活の安定などには、財政投資を含む可能な施策を講じるべきであろう。極論を言えば、国家は、国民の生活の安定のために税金を注ぐことを第一義とするのである。健康保険制度や年金制度などが大問題になっているが、そこに税金を投入することに何ほどの問題があるのだろうか。産業育成や大型公共事業はそれこそ大胆に削減すればいいのではないか。健康で健全な国民の成長が、国家も産業も豊かにするはずであるが、そうした国民の育成を自己責任の美名の下に今や省みなくなっている状況を愁うのみである。にもかかわらず、道路族の代表でもある自民党の古賀誠前幹事長は、7月27日の徳島県内での講演で、小泉首相が指示した来年度予算の削減について、社会保障費に切り込むのなら賛成であるとの趣旨を述べているという。改革派も改革派なら、守旧派も守旧派だということになる。
 グローバル経済のなかでの国際的な競争、そして国内における自由化・規制緩和の動きの中で、政府自らが企業の淘汰と合併を進めている今日、デフレ下であることを差し引くとしても、例えばタクシー業界の値下げ競争、マクドナルドに見られる驚異的な価格引き下げなど多くの分野で消耗戦が戦わされている。消耗戦、体力戦のなかで、結局体力のないものが淘汰される時代から、はたして新しい夢のある時代が生まれてくるのだろうか。自由や競争といっても、そこには多くの不平等や競争阻害要因がある。これまでの政官と民との癒着とはまた違う新たな政官業の結びつきが生じてくる。アメリカのエンロンやワールドコムといういずれも自由化の花形企業の無残な姿は遺憾なくそのことを示している。
 世界のトップを走らなければならない理由は必ずしもない。我が国の健全な生き方が先にあり、その結果として世界の国々のなかでどのような位置をしめるのかが定まってくるというのも一つの生き方であろう。オリンピックにしろ、先般のサッカーW杯にしても、下手をすれば全てが国策として振興しなければならないような前近代的な国家のあり方はもうそろそろ止めにしたほうがいい。企業は企業自らの責任で成立しなければならない。企業活動というものは、好況時には好況時の、不況時には不況時の稼ぎ方をするところも多い。基本は、時代の変化と新しい需要をどう読み取っていくかが企業活動の本来であるからだ。
 間接金融から直接金融へ、すなわち銀行から証券へのシフトの変更は、通常の国民にとってはとんでもないことだ。資本主義経済にとっての活動主体は株式会社であることには違いはないが、その株式の在り方、資金の流れ方にはバラエティーがあるはずで、突如として間接金融から直接金融へ転換することは、国民生活を一気に不安に陥れることになる。株や為替市場の複雑怪奇な世界は、通常の国民に理解できるはずはなく、まして戦後一貫して間接金融中心できた我が国では、そうして世界へのトレーニングは全くできていないのである。政治というものは、目的が正しければ、いつ、いかなる場合でも一気に進んでいいというものではなく、激変による被害を最小限に食い止めることにこそある。その意味では、今の小泉内閣の構造改革は、あまりにも短絡的で、杜撰であるといわざるを得ないし、たどり着く将来に対する嘘がありすぎるのではないか。競争原理の幅を利かす世の中に、安心や安定はありえないし、まして「持続的な経済成長」の保障など何処にもない。しかも、政権の安定しない国家において、将来に対する責任は、誰にも取れないのである。橋本内閣の改革の挫折と小渕、森内閣の過度の財政投資、その反動としての小泉内閣の構造改革、早晩またその反動が出てきるのであろう。2年先は読めないのである。
 政治家の読みに待つことなく、私たち国民は、自らの知見でもって先々を考え、行動することが要求されている。小泉改革はそのことを強制しているというべきか。


改革と破壊の間 一国民の手による小泉宰相論への試み−その2


 小泉内閣の支持率は田中真紀子外相の更迭によって急落したとはいえ、7月に入って持ち直してきている。その原因は、道路関係4公団民営化推進委員会の委員に自民党道路族の意向に反し、作家の猪瀬直樹氏を強引に就けたことによって、「抵抗勢力」との戦いを演出したことによるようだ。しかし、サラリーマンの医療費自己負担を増加させる健康保険法改正案の国会成立後の世論調査でも、支持率は落ちることなく逆に漸増している。国民は、本当に痛みを承知して「小泉改革」を支持しているのだろうか。
 小泉改革の具体的な分析は別の場に譲るとして、正直なところ、本当にまともな改革なのだろうかということについて、当初から疑問を感じている。改革を叫びながら、結局は「破壊」をしているのではないか、と。或いはまた、改革は改革なんだけれども、つまるところ誰のための、何のための改革で、結局のところどうしようとしているのかというところが、必ずしも正直には語られていないし、改革後の姿はおよそ言われているような「持続した成長路線」にはならないのではないか。ご本人の意識では、これからの日本のための改革ということを本気で考えておられるのではあろうけれども、改革というものの行く末を考えると、その結果責任は誰が取るのかは不明であるし、極めて無責任である。
 小泉総理がこれまでの総理と大きく違う点は、国民への語りかけにあると思ってきたが、よくよく見てみると、記者の質問に対して怒ったような表情や、薄ら笑いを浮かべて応えている内容には、国民への語りかけはほとんどなく、「抵抗勢力」とのやり取りの領域内に終わっているケースがほとんどで、「なぜそうなのか」という国民への説明はほとんどない。
 我が国が、バブル崩壊後10年にして、政治経済の重大な転換点にあることは、国内的状況からだけではなく、世界の現況からも明らかである。ではあるが、その構造改革の中身が、間接金融から直接金融へのシフトの変化を単純に追うだけでは、バブル崩壊後の経済の混迷により拍車をかけることにしかならない。改革というものは、より本質的なものであればあるほど周到な準備と改革の過程が大切となる。しかも長期間に及ぶ覚悟も必要だ。それには、安定した長期政権が不可欠となる。が、我が国の最近の政治風土は、長期安定政権など望むべくもない。2年後の小泉政権の存在など誰も保障できないはずである。そうした条件のもとで改革者たろうとした時、まず考えるのは、自分に与えられた時間と条件である。その条件の中でなし得ることとその結果責任を何処まで真剣に考えているかで改革者の程度が分かるのであるが、小泉総理にはそうした面が全く見えない。自分が倒れたあとは、国民がその精神を継承してくれるであろう事を願いながら、常に国民に語り続けるのでない限り、本物とはいえないであろう。
 銀行にしても、郵便貯金にしても長く国民生活に定着した歴史がある。その歴史を変えるには、その経緯を振り返り、分析し、だから変えていかなければならないのだという具体的な説明を必要とする。そして、新しいシステムへの国民の訓練をつんでいかなければ、証券や株式の世界など通常の国民には容易にかかわることのできる世界ではない。為替や株の世界は、恐ろしいほどの作為と込み入った仕組みの中にあり、十数年前の日本のバブル期や今日までのアメリカの株バブルの中であればともかく、変動期のなかでは素人の及ぶ世界ではない。しかも、株式資本主義といわれたアメリカの新興花形企業の株や会計の不正操作が明るみに出てアメリカ経済そのものをゆるがせている状況を、小泉改革はどのように教訓として取り入れようとしているのかは全く見えていない。世界の趨勢から、運動場を一周遅れ、二週遅れで先頭集団の教訓も得ることなく、先頭集団の失敗を同じように継承していくような改革になると、深刻さを通り越して「喜劇」ですらある。
 小泉改革は、あまりにも政治的駆け引きとして扱われすぎている。小渕−森政権と続いた過剰な財政投下の政権への反動からの改革路線であるだけに、小泉改革に疑問を持つからといってもそれが即「抵抗勢力」支持とはなりえない。国民としては行くべき場がないのである。国民としては、小泉構造改革が「善」で、それへの抵抗勢力が「悪」であるという単純で思考停止のような捉え方ではなく、日本の状況を的確に分析し、そこから出てくる課題に国民と共に丁寧に進めていく行き方が必要とされている。
 長期安定政権のない我が国において、いかなる構造的な改革の仕方があるのか、その内容と方法論が等価値を持って私たちに迫ってきている。必要なのは一にも二にも政治改革であり、経済改革は、企業自身の自己革新に待つことも重要な選択肢であり、結果的には政治や行政がいかに笛を吹き踊ろうとも、経済の自己運動のようなものに修練していくのではないのだろうか。



生活者の精神構造までゆるがす改革の真髄 証券金融改革(2002.8.11)

 小泉構造改革が始まって既に1年数か月、改革は矛盾を拡大させながらもいよいよ佳境に入りつつある。が、これまでから指摘しているように、小泉改革はその突出した小泉首相の性格に現れているような突出したものではなく、進め方に極めて短絡した無謀な面があるものの、日本経済の高度成長と共にその時々の政権が進めてきた経済政策の延長線上に、とりわけ、中曽根、橋本政権の政策の上にある。証券金融改革をみればそのことは明らかだるし、また、証券金融改革こそが小泉改革にいたる構造改革の中核なのである。
 小泉首相は、もともと、郵政三事業の民営化以外は橋本内閣の改革と基本的には同じだといっていた。郵政三事業の民営化こそが小泉首相自身の思い入れによる改革なのであろう。そしてその三事業の中でも特に郵便貯金と簡易保険事業の民営化こそがその真髄である。
 戦後経済の高度成長がアメリカ経済の傘の元での輸出主導によって実現したのは既に知られているとおりで、そうであるがゆえに、高度成長の伸展と共に貿易と資本の自由化が問題となり、漸進的に自由化に向かってあゆんできた。が、戦後アメリカ経済の地盤低下が世界通貨としてのドルの弱体化となって現れ、1971年のドルショックすなわち兌換紙幣としてのドルの終焉と対ドル為替レートの変動性への移行となって、以来1ドル380円の対ドルの円レートは急激に上昇し、一時は80円程度にまで達する(1995年4月)。なんと円は5倍近くにまで上昇したのである。国内的にはともかく、対外的には5倍の経済力を有する国になったということであり、日本の資金はだぶつき、国内ではいわゆるバブルへ、国外へは主としてアメリカへの投資となって流れていく。アメリカからの日本への資本自由化の要求は一気に強まり、バブル後の対応も併せて証券や金融の自由化への改革にはいっていく。橋本内閣の金融ビッグバンである。
 橋本内閣の「日本版金融ビッグバン」は、これまでの日本の特性であった「護送船団方式」を脱して、国内外及び、銀行、保険、証券業界の垣根を取り払って、基本的には自由な競争状態をつくり出そうとするもので、経済の根幹である金融界の改編であるだけに、日本経済と国民生活を根本から揺るがすものとなる。今大問題になっているペイオフに関しても、ビッグバン構想発表前とはいえ、橋本内閣の下で1996年6月に成立した預金保険法改正によって、それまで全額保障されていた預金が、2001年4月以降、1人元本上限1000万円までとなったものである。これが、小渕内閣の2000年5月に1年先送りとなり、普通預金を除き今年2002年4月に実施され、残る普通預金のペイオフ実施が来年4月となっているのである。
 金融ビッグバンは、私たちの身近な関係では、取扱の手数料や金利の自由化ですでに実施されているが、関係業界の垣根の撤廃は、まだ完全ではないものの、基本的には、間接金融から直接金融へとシフトを変えていくことと、それに伴う条件整備であるといえる。。すなわち、これまでの護送船団方式による銀行団の融資体制から、株式による企業の資金調達への金融の中軸の変更です。これまでの日本の銀行は、その大小にかかわらず国のコントロールの下で、均一・横並びの条件によって戦後の日本経済と国民生活を支えてきたが、バブル崩壊後の証券、金融危機の中で、政府は護送船団方式から自由競争へと大きく舵を切り替えたのである。高度成長期を通して日本の企業も成長し、すでに自己資本の調達を株式市場を通して行うことのできる企業も多く、また、国際的にも日本の経済的地位の向上に比例する形での国内保護政策重視のあり方への批判(貿易、資本の自由化への日本の取り組みの遅れに対する)が強まってきているとはいえ、この間接金融から直接金融、すなわち銀行から証券へのシフトの変更は、一国民からすればまさに驚天動地の大変化である。銀行間の横並びがなくなるばかりでなく、個人の資金運用までが株式市場に放出されるのである。
 先般一応の決着をみた郵政公社化の問題にしても、ことの本当の争点は郵便貯金と簡易保険の株式市場への参入にある。すでに批判の対象にはなっているが、国家予算とは別に存在する財政投融資計画は、郵便貯金や簡易保険、さらに厚生年金などいわば国民の準公金をプールして、それを政府や地方自治体の公共投資への融資として運用し、その運用利息を郵貯や年金資金に還元していたのであるが、すでにその一定部分は、所管省で自主運用として証券市場で運用され、財政投融資計画は、公共投資を必要とする特殊法人などが財政投融資債を証券市場から調達する方向となっている。その結果は、既に年金基金がその運用で赤字を出し、また郵便貯金等の分野でもうまくいっていない状況を生んでいる。デフレ下で、なまじな資金運用をするよりも現金や利息はほとんどなくともマイナスのリスクのない銀行預金が普通の個人の知恵ではあるが、国民の生活上の資金を預かっている貯金や年金の分野でこうしたリスクが既に生じている責任は一体どこにあるのだろうか。 郵便貯金残高だけを取ってみても、二百数十兆円規模で、優に全銀行預金残高の半数を超える規模であり、考えようによれば、これほどの利権はないといえる。資本主義経済というものは、その経済主体を個々の株式会社においているとはいえ、その具体的な様相は必ずしも一様ではない。これまでのヨーロッパ資本主義は、資本主義経営の基礎にというか、それを担う人にというか、その根底には必ずしも利益第一主義ではない人間的価値観があった。現在のアメリカでは、それが株式資本主義といわれるほど株価第一主義の極限にあり、遂にエンロンやワールド・コムのような不正会計による株価操作の結果としての破局をもたらすにまで至った。ヨーロッパでは、EU統合の過程で、人と資本の域内自由交流が進む中で、従来の国家を超えた新しい動きとしての規制緩和が進行し、一見アメリカ型のような自由競争市場が現出しつつある感がある。
 こうしてみるとき、日本の経済が発展し、しかも輸出主導の形で今日までやってきた日本の場合、貿易の自由化はもとより、資本の自由化も進めなければならないことは理の当然であるのは明らかだが、その進め方、そのあり様にはある意味で無限の幅があるはずだ。既に株式資本主義と称されたこの十数年来のアメリカ流のあり方は反省の段階に入っている。その教訓を先取りしつつ、国民生活の実相、各業種各層の企業の実相を把握し、そこに存在する具体的な課題解決との関係を十分踏まえつつ、我が国なりの国の開き方を考えるべきであろう。一説には、貿易の自由化は当然としても、国家というものがそれぞれの歩みによる異なった存在をしているなかで、単純な資本の自由化を図ることは間違いであるという考え方もあるほどこの分野はまだまだ未解明の分野である。
 一国民として考えるとき、株式や為替の世界ほど不確かで恐ろしい世界はない。コンピューターを駆使し、金融工学なる分野で新しい仕組みや商品が常に生み出され、それがこれまでならなだらかな起伏に過ぎなかった株式価格の変動を極端な波動に変えることもままあるばかりではなく、そこには恐ろしいほどの策謀が渦巻いている。と同時に、十数年前の日本のバブル、今や弾けようとしているアメリカの株バブルは、一種の時代的な風潮としての市場形成をもたらせていた。戦後高度成長期までの株式市場は、多少のリスクがある代わりに銀行定期よりは少し上の配当がある、というものであったが、今の株価は、その配当ではなく、株の売り買いによっていかに利益を売るかの世界になっている。このような世界に、一生活者が、いかに情報開示をうるにしても太刀打ちできるものではない。なまじ運用資金のあるものは、睡眠不足と神経症に悩まされるに違いなく、それは、深く精神構造をゆるがすものとなろう。その結果は、およそ、昨今いわれるようになった「共生」社会とは無縁の、協調性の欠落した、強迫観念に満ちた社会への道となるのではないだろうか。
 ある意味で、国家管理、国家の庇護の下で、多少の不自由さを我慢すれば一応安定した生活と企業活動ができ、しかもその方式で世界第二といわれる経済大国にまで成長した。この道は、一国民が選んだ道というよりは、誤解を恐れずに分かりやすくいえば、戦後与えられた道であった。にもかかわらず、突如として、国家レベルから、「その道は間違いである」、本来、自由で、「頑張ったものが報われる社会でなければならない」、国民「自己責任」を持たなければならないという。こうしたことは、一体、誰が、いつ、どのようなレベルで、どのような形で決めたのであろうか。決める前に、内向きの国家から、外に開かれた国家への道に歩むことのできる訓練の場を提供する必要があるのではないのだろうか。外圧、外の刺激に切磋琢磨されながら、長い時間をかけて国民は独り立ちしていくのである。
 国民の自立をいう前に、為政者の自立がまず必要なことはいうまでもないが、今もってなお、アメリカでの発言と国内での発言とに違いがあり、国内における国民へ向かっての発言よりは、アメリカでのアメリカの要人に対する発言の方に本音が示されているように感じられる日本の為政者から国の自立精神というものを身につけてほしいものである。ことほど左様に、自立や自己責任といったものは、それ自体は当然のこととはいえ、その精神は、やはり長い時間を要するものである。教育面を一つ取ってみても、これまでの日本の教育には自立心の育成というものはなかったではないのか。
 以上のようなことは、いずれ別の場で検証するつもりであるが、昨今の小泉改革の「改革」たるものの意味を考えるにつき、強い危機意識を抱かざるを得ず、すこし、思うところを記してみたものである。



日本のデフレを防ぐことは可能だった! 米FRB研究論文から(2002.8.22)

 読めば読むほど衝撃的な研究論文である。今年6月に発行されたアメリカFRB(連邦準備制度理事会)の『国際金融問題研究論文』(Internationa Finance Discussion Papers Number729 June 2002)である。この論文の訳文は、『エコノミスト』(2002.8.20)にほぼ全文が特別リポートととして掲載されている。題して「デフレ防止策について 1990年代の日本の経験からの教訓」(Preventing Deflation:Lessons from Japann's Experience in the 1990s)。以下はこのエコノミスト掲載の訳文を読んだ結果によるが、多少、原文等も参照している。引用は同訳文である。

 1990年代は日本では「失われた10年」として既に言い古された言葉となった。しかし、この「失われた」という語彙からは、その時期の政策の欠如ないし1990年代の10年間自体があたかも欠落した無為の時代であったかのような情緒的な受け止めとなる危惧がある。私もその「失われた10年」を早く取り返さねばという思いに駆られてきた一人であったが、事実は失われた時代ではなかったのだ。バブルが崩壊し、株と土地その他の資産価値が下落し、不況が進行し、そしてデフレの深みにはまってきた経済的には極めて深刻な激落する10年であったのだ。その10年のとりわけ前半、すなわち1990年代前半のデフレに直面しつつある日本の金融、財政政策の限界を率直かつ具体的に明らかにしている。これほどの整理された論文は、残念ながら国内では見聞しなかった。
 この論文は、株価崩壊の危機に直面する目下のアメリカ経済に生かそうというグリーンスパン議長の政策意図によるもので、すでにFRBの大胆な金融政策にその教訓は生かされているようである。その点はともかくとして本論に入ろう。

 実に衝撃的なのは、1990年代前半にバブル崩壊の後日本はデフレの危険性を内包しながら経済は下降するが、日本の政策担当者や関係するエコノミストにはデフレへの危険性に対する認識がほぼなかったために、その政策如何では回避できたであろう現在経験しつつあるデフレに陥ってしまったということである。ただ、デフレの認識やそれに対する政策は決して容易なものではなく、やむをえない道を歩んできたという慎重な分析と表現になっているだけに、逆により厳しい受け止め方を必要とするようである。
 国内でデフレに対する認識が行き渡ってきたのは1990年代どころか2000年代にはいってからで、しかも最近に至るまでデフレというものの深刻さに対する認識は薄い。デフレ防止策以前のこの認識の悪さというものが、日本の政策当局と関係するエコノミストにはあるようである。いわんや政策おやということであるが、デフレの恐ろしさは、デフレそれ自体の問題だけではなく、一端デフレに陥ると、金融政策も財政政策も打つ手がなくなってくることであり、座して破局を待つばかりになりかねないことである。政策というものを必要とする時期と、政策がその有効性を持たなくなる時期という点についても明快に指摘がなされている。後手後手の日銀の金融政策に対する具体的な問題性がこれによって読み取れるのである。

 さて、論文の要点を簡潔に紹介しよう。
 まず<論文の目的>は次のとおり。
・一国の経済がいつデフレの段階に入っているかを認識すること(後日ではなくその当時において“今がデフレだと”)は可能か
・金融政策及び財政政策でデフレを防止することは可能か
・以上の問題を、1990年代前半の日本の経験から詳細に検討
 <日本の経験>から
・日本のデフレは1992年頃にはその兆しが現れ、1995年頃にはそうした状況に陥った。
・デフレを伴った不況について、日本の政策担当者も企業も金融証券業界、エコノミストもほとんど認識することがなかった。
・デフレの危険性をはらみだした段階では金融政策は有効に作用するが、物価上昇率がマイナスに転じ、短期金利がゼロに接近すると、金融政策で経済を活性化することは困難となる。
・1990年代前半は、日本の金融、財政両政策ともにまだ有効性を持っていた。が、そのチャンスを逸した。
 <結論>
・デフレを事前に予測することは難しいことであり、そのため物価上昇率と金利がゼロ近くにまで低下し、デフレに陥る危険性が高い場合には、常識的な通念を超えた景気刺激策を、金融、財政両面で取るべきだ。(その結果刺激策に行き過ぎが生じた場合には、引き締めを行うことによって修正できる。デフレに陥るよりはコストは低い。)

日本の長期不況とデフレについて
・バブル経済が絶頂に達したあとの景気の減速は戦後の景気循環の標準的なパターンにならうものであるが、それだけではない、過剰投資からくる問題や住宅価格の急落、銀行の不良債務処理と体質強化の失敗、驚異的な円高など、成長抑止のための異常に強い力が作用していた。それでも、1994年半ばからの経済成長の一時的な回復がみられたものの、97年の消費税の引き上げと、97年から98年にかけてのアジア地域における金融危機によって長引く不況に陥り、以後今日までの低迷となる。消費者物価上昇率は95年にはマイナスとなり、その後一時的に持ち直すものの99年以降は継続してマイナスのままとなり、この95年を境に政策的に実質金利を下げる余地がなくなったために、金融政策の有効性は大きく損なわれることになる。

日銀の金融政策について
・日銀は厳しい引き締め政策を取り続けすぎた。より緩やかな金融政策を取っていればデフレは防ぐことができたのではないか。それは、インフレへのリスクを気にしすぎたからであろう。「91年から95年までの間の日銀の政策スタンスが引き締めすぎだったことは明らかだ。しかも、この時期を過ぎると、政策金利は既にゼロ近くまで下がってしまっていたから、金利を下げるだけでデフレを回避する機会は失われた。」
・日本は今や「流動性の罠」にはまっているのかもしれない。
・「1990年代の日本において、追加的金融緩和の潜在的な有効性が機能しなくなっていたわけではない。」

財政政策について
・相当多額の財政による景気刺激策が取られたものの、民間投資にかかっていた強烈な下降圧力を克服し、経済を押し上げることはできなかった。
・その理由は、財政による総合経済対策が、需要を支えることのできるほど大がかりなものではなく、また、的確な狙いを定めたものではなかったことにある。
・すなわち、労働者支援などの社会安全ネットと消費に焦点を当てた減税(消費税減税)などが大胆に講じられていれば、有効であったと考えられる。この点について、日本の財政当局には、将来にまで持続するような予算措置を極度に嫌う体質があり、「後に転換することができるような施策、つまり公共事業と減税に依存する傾向があった。」
・結果として日本の財政政策(それによる財政赤字)は、民間支出の減少分の穴を埋める程度の域を出なかったが、少なくとも一時期GDPの成長率をプラスにしたのであり、消費税率の引上げによって97年に景気が下降したこととも合わせて、財政政策に景気を左右する力があることを示している。

ポリシーミックス
・結論として、金融政策にも、財政政策にも、デフレと長引く不況に対する有効性はあった。
・金融政策と財政政策のポリシーミックスは、より的確な有効性を持つと同時に、それぞれの政策から生じるリスクについても軽減することができる。
・しかし、1990年代の初期にあっては、ポリシーミックスは、金融緩和政策に傾斜すべきであった。「とくに、94年に一層の金融緩和政策を取っていたならば、その年に起こった実質長期金利の急騰と、強烈な円高は避けることができたかもしれない」のである。

 さて、以上のようなFRB論文を参考にして、わが国の問題点を考えてみると、先ず第1に日本の認識能力の問題、第2にバブルの恐ろしさに対する不理解、第3に日銀の政策能力不足、第4に経済政策主体の欠如などの問題に気付く。
 第1のデフレに対する認識がなかったという点に関していえば、日本の政策当局者と関係するエコノミストの認識力には絶望的にならざるを得ない。的確な認識なくしては、そこから発生してくる一体の政策が意味をなさなくなるばかりか、時には害悪となる。なぜそうなるのかについて類推すれば、認識の以前に政治的判断に傾斜しすぎること、固定的な観念にとらわれやすいこと、欧米の経済政策手法に対する模倣性が高すぎることなどによって、実態分析力に弱さが生じてくるのではないかと考えられる。循環的、或いは一時的な経済現象の場合であればそれでいいのだが、特に、構造的な深みになってくると、将来に対する価値観なども作用するが、その場合の経済史的な考察力や国際的(アメリカ一国的という意味ではなく文字通りの)視野からの考察力に弱さがあるからであろう。
 第2のデフレの恐ろしさへの不認識については、いかんともしがたいようない憤りすら感じてきた。デフレの深みに入りつつある状況のもとにあってもなおかつ、「インフレが恐ろしい」というような感覚は理解することができないが、日銀やエコノミストにはこうした人が多い。それにはもともと、バブルが崩壊することの恐ろしさについての認識が甘すぎたのではないかと思われる。あれほどのバブルである。崩壊すれば、単に数値がバブル以前の段階にゆり戻るという程度で済む訳がないという思いは、素人ですら感じることである。数字上の問題もさることながら、バブルによるあらゆるものの飽和状態から生じる矛盾のうえに更にその崩壊による歪が加わって、経済だけではすまない社会経済上の予測を超えた問題が展開していくのである。
 バブルの崩壊も景気循環的なレベルでしか捉えていなかったのであり、そのことが、通常の景気対策の量的拡大でしか、しかもインフレを気にしつつという形でしか進めることができなかったのであろう。
 FRB論文が指摘している恐ろしさは、デフレに陥った場合には、もはや打つべき手立てがなくなってしまうということである。にもかかわらず、最近になってやっと小泉内閣もデフレ対策に若干の手を打ち出してはいるが、基調は「構造改革」である。破局に向かう患者に体力を付けることなしに大手術をしようというのである。日本の経済のある種底力がなおあるからこそまだは局には至っていないものの、有効なデフレ対策を講じることなく現状のまま進むとすれば、社会経済的な一大混乱期に突入していく可能性がいまや大であると考えられる。
 第3の日銀の問題。日本の通貨金融政策の問題の恐ろしさから、昨春以来通貨、経済政策上の勉強を始めることになった私としては因縁の対象である。日銀の金融政策が、1993−4年に適確に打たれていさえすれば、デフレの危機は回避できていた可能性が高いのである。日銀の金融政策は、バブルにあっては緩和策をなお続けることによってそれをより促進し、引き締めにかかるや一気に急ブレーキを引くことによって「故意」と考えられるようなその崩壊をもたらせた。バブル崩壊は避けがたいにしても、それをなだらかにして、バブル後遺症を可能な限り残さないようにするのが政策というものであろう。そうした日銀は、橋本内閣の下での日銀法の改正によって今や政府から独立した機関である。通貨金融政策というものは、タイミングが命である。常に後手後手の政策を取り、90年代を通して政府の経済政策とあい矛盾するような結果をもたらしてきた日銀の金融政策と政府の財政政策とのポリシーミックスは、これまでの日銀の体質からは極めて困難である。 日銀の通貨政策が、時の政府の恣意に影響されないようにはしなければならないにしても、政府には国民による選挙の洗礼があるが、日銀は一体どういう形で社会責任を取るのであろうか。日銀のコントロールと責任制について検討しなければ、金融と財政政策とのポリシーミックスは現実には容易でない。
 第4の財政政策であるが、これはその基盤を旧大蔵省すなわち財務省に負っている。財務省は常にそうであるが、経済政策のプロ集団ではなく、限られた範囲での財政の健全性を追求するいわば守旧集団である。これまでから、経済関係閣僚会議などで経済政策は樹立されるもののその基本は変わらない。小泉内閣のける経済財政諮問会議にしても、その本当のところの位置付けはよく理解できない。いずれにしても、財務省の権力の強い現状に合っては、総合的な経済政策は首相のリーダーシップに委ねられるのであるが、経済政策のリーダーシップ制ほど難しいものもまたなく、はやくそうした内閣の誕生を待つしかないのであろうか。
 最後に、FRB論文でさえ、日本の経済政策における社会保障や労働者支援の社会的セーフティーネットの構築の遅れが指摘され、それが、日本の景気対策における財政政策の有効性を弱めているとある。目下の企業減税のみの減税への検討や、この経済危機にあって殊更に弱者の自己責任を強調する「構造改革」を叫ぶ方々に心してもらいたい点である。
 


責任ということについて−その1

 「責任」ということばに関して、最近二つの事例があった。一つは、竹中金融担当相に対するもの、今ひとつは小泉総理に対するものである。
 竹中平蔵金融相が主宰する金融庁の不良債権処理に関するプロジェクトチーム「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」の中間報告は10月22日に発表されることになっていたが、その日になって見送られることになった。その原因となった自民党役員会と竹中金融相とのやり取りの一こまである。金融不安を招きかねない衝撃的な中間報告の内容に対して、青木参院自民党幹事長が「また株価が下がっても、何がどうなっても、あんたがその全責任を取るのかね」(毎日夕10/23)と怒りを爆発させ、それに対して、竹中金融相は「(責任を取ることになっても)構いません」と応じたという。
 また、小泉首相は、今臨時国会の10月23日における質疑で、経済再生に係る責任を問われ、「責任は総選挙で取る」といった趣旨の答弁をしている。
 「責任」には種々のものがあるが、今回はこの二つについて考えてみたい。

 政策の失敗に伴う責任とはどういうものか。これには、大きく二つのケースがある。一つは予期せぬ自体によって所期の目的が果たせないばかりか、マイナスの効果がもたらされたという場合。もう一つは、予め障害があることが指摘され、その障害は予知できたにもかかわらず、見識のなさか何らかの意図でもってその障害を認識せず、または無視した結果失敗するケースである。後者の場合は、法的な問題はさておき、立派な犯罪である。
 竹中金融相の「責任」の問題である。強引に大手銀行の国有化を目指したともとれる今回の不良債権処理加速策は、極度のハードランディングを狙ったものである。当然血を見ることになる。問題は、策が功を奏するまで日本経済の体力や国民の生活が果たして耐えられるのかという点にある。下手をすれば破壊するだけに終わってしまうことになりかねない。青木幹事長が「株価が下がっても、何がどうなっても」というのはその意味で、その場合の責任とは、恐らく、もはや復元できない状況をもたらせてしまったならば、誰もどうすることもできない事態に陥ってしまうということをいっているのだろう。もはや誰も責任を取ることすらできないのである。ところが、竹中金融相は、自分が責任を取ることになっても構わないという趣旨の応え方をいている。ピンとは完全にずれている。竹中金融相は、大臣としてのそれを理由とした辞任を「責任」としているのかもしれないが、担当大臣が辞任したところで、破壊された日本の経済は復元できないのである。「責任」とは、復元できない事態をもたらせた場合の痛みを、どれほど深刻に考えて対処するのかということなのであろう。この場合の「責任」は、事後にはもはや取れないのである。

 次に小泉首相の経済再生にかかる「責任」である。10月24日衆議院予算委員会のやり取りを聞いていないんで分からないが、翌日の朝刊で見ると何の責任かよく分からないところがある。どうも小泉首相が興奮して、総選挙の脅しをかけたのではないかというような受けとめ方もできるが、新聞によって二通りの見方ができる。質問者は自由党の達増拓也氏で、ペイオフ全面解禁の2年間延期の責任をただしたことに対してで、ペイオフ解禁の延期に対する「責任」が一つ、もう一つは、毎日新聞にみられる、経済再生を果たせない場合の「政治責任」で、「『責任はいつ取るか。(そう問われたら)総選挙で責任をとる』と述べ、自らの経済政策について衆院の解散・総選挙で国民に信を問う場合もあり得ることを示唆した」という。前者のペイオフ解禁延期責任は、小泉首相が例のごとく紋切り型のいい方で、来年4月のペイオフ全面解禁の延期はしないと断言しながら、決済性預金は全額保障するとし、内閣改造による金融担当相の交代があるや否や2年間の延期を決めたことに対する、前言を翻した「責任」である。わずか1月程度の短い時間で、かつ基本的な状況の変化がない中での、変更であり、前言に対する政治家としての責任を意味するのであろう。変更それ自体は、経済、金融事情からして延期の声が多かっただけに政策として実態に即してきたということができるが、では、延期しない、予定通り来年4月に全面解禁するとごく最近までいっていたのは一体なんなのかという意味で、首相の発言が問われることになる。が、まあこれは罪の軽いものであろう。しかし、その変更が、小泉内閣の金融政策の根本的な変更の結果によるものというのであれば、政策変更の理由となぜ、どのように政策を変更するのかを国民に明確に説明する必要がある。実際は、竹中金融担当相が実施しようとする過激な不良債権処理策の結果銀行の統廃合が急速に進められることから、その過程とペイオフ解禁とが同時に進行することによる金融不安の増大を避けるためであると見られている。こうなると、小泉内閣の説明責任が重大なる問題として発生していることになる。
 さらに大きな責任は、経済再生に失敗した場合の「責任」である。小泉首相は「総選挙で責任をとる」というが、それは明らかいに違うはずだ。失敗の責任は、国民に対して「信を問う」ということではない。総選挙はこれからの政策を進めるに当たって国民からの「信を得る」ために行うものである。結果責任を果たすということは、政治家であれば退任、ないし何らかの償いをするということであろう。とはいっても、経済失政という結果に対する責任は、現実にはとることは不可能なのである。その失政の罪を、その後の原罪として生涯背負って生きていってもらうほかないものである。取り返しはつかないものであるから。小泉内閣の恐ろしさは、「かもしれない」、「一つの選択肢としては存在する」、「ひょっとして間違っているかの知れない」という選択肢を、「これしかなく、これが絶対に正しい」と断言して他を寄せ付けないやり方にある。それだけに、軌道修正も難しく、多様なる意見の活用もできず、結果として間違った方策として失政となる可能性が高い。そうした危険性が多く指摘されるにもかかわらず、指摘されればされるほど意固地になって、その意固地さがさらに世論の支持を高めるかのごとく錯覚されているように思えるのであるが、いずれにしても、危うさの指摘はものかは、いいだしたら聞かないという形で突っ走るやり方はまさしく確信犯であり、それによる失敗は許されるものではない。経済再生に関していえば、日本経済を破局に進める悪魔の役割である。いうまでのなく政治家の責任は国民に対するものである。法的な罪は法によって裁かれるが、政策の失敗は、法的に裁くことができず、本質的には政治家その人の政治家としての、また人間本来の「良心」に帰一する。償い方は、全てそこから湧き出てくるものであろう。首相は国家最高の権力者といえどもそれは行政機関である。「やむを得なかった」ということもある。であったも、失政の責任もまた最高権力者であるがゆえに追わなければならに立場にある。ましてや確信犯であればなおさらのこと。こうした認識が、結果をもたらす前に、政策作成の前に、あらかじめ心得られていなければならない。そうでなければ、責任ある立場に立つべきではなく、また、国民もそうした人を責任ある政治的立場に立つことを許してはならないのである。結果責任は大切ではなるが、問題が大きければ大きいほど、所詮結果責任を負うことできないのである。(2002.10.26)



2003年初新聞社の社説から

T はじめに
U.社説に対するコメント
   〜デフレと日本経済の危機に際して〜
 1.はじめに
 2.基本的な課題認識について
 3.デフレについて−認識と対策−
  (1) 小泉政権の経済政策に対して
  (2) 日銀に対して
  (3) デフレ・日本経済の問題点と対策について
  (4) 構造改革とデフレについて
 4.課題認識について
V 各社の社説からの紹介
 1.各社の社説の表題
 2.経済関係の要旨紹介

T はじめに

 今年の年初の各新聞社の一面や社説には華やかなものはなかった。暗く、重い課題に直面した日本と世界の状況をいかんなく表していた。正月1日から5日までの各社の社説を見ることによって今年の課題を考えてみることにした。
 やはり際立つのはデフレであり、日経は経済紙らしくデフレ克服と日本経済の再生を「2003年の実践」として連続的に取り上げ、読売も経済恐慌への危機感を明示していたが、産経も3日の社説でその克服を提起していたものの、朝日と毎日はやや抽象的な社説となっていた。日経と産経は、いずれも実践の年との主張を強く出している。
 デフレ以外では、やはり中東紛争とイラク、及び北朝鮮をめぐる世界的な戦争とテロへの危機意識が特徴であるが、「まず日中の改善を急げ」(毎日)は貴重な指摘だ。この他「発想の転換」(朝日)や「国に頼らぬ自立時代の幕開け」(京都)、原発問題にかかる電力の重要性に対する警鐘としての「停電回避に総力をあげよ」(産経)などが注目される。
 京都新聞の12月31日の社説「平凡な生活も壊されていく 02年の終わりに」は、我々庶民の置かれている状況を素直に表していて、全てはこの辺りからスタートして欲しいという気がする。
 以下では、主に1月1日から5日までの各紙の社説の大見出しを掲げたが、必要に応じてその前後のものも含めることにした。特徴とする内容については、デフレ問題や経済再生策を中心としたものに限定して紹介することにした。

U.社説に対するコメント
   〜デフレと日本経済の危機に際して〜

1.はじめに

 読売や日経からは、デフレへの強烈な危機意識が提示された。が、朝日や毎日は、比較的緩やかな危機感とでもいうような印象を受ける。この二つの視点の差が鮮明である。危機意識には、デフレもさることながら、日本のバブルから今日にいたる過程が、世界の構造変革期にあることから、世界の中の日本の危機としても強く意識されることになる。
 こうしたことから、読売と日経、それに加えて産経がデフレ対策の差し迫った必要性を説くが、他方で、デフレ対策というものの難しさの指摘もある。1930年代の世界戦争に至るデフレとその後の恐慌は、現在の政治家や政策担当者の経験にはないため、その認識や対策そのものに不確実なものがあるものの、また一方で、デフレに対する特効薬はないとの指摘もなされるものの、1930年代とあまりにも近似した道を歩みつつある状況の中で、果たして手をこまねいていていいものか。危機迫る非常時との認識は、通常の常識を超えた大掛かりな政策執行も必要となるが、その辺の問題に関しては、デフレへの危機派と緩やかな危機感派とでは対応は自ずから異なるようだ。
 しかしながら、日本経済の再生に対しては、最終的には、政も官も民の企業も一般市民も、結局は自らを恃み、自らの役割と覚悟でもって対処することの不可欠性については各社説ともに共通していたようだ。政府は、自助努力に対する的確なる支援をなすべしと。とはいうものの、デフレ対策そのものは、デフレへの危機を強く主張する立場からは、政府の責任を強く問うことになる。
 改革とデフレとの関係では、まず直面するデフレへの政府対策の緊急性が指摘され、改革はやはり中長期的な課題とされるものの、必ずしも両者を対立関係には捉えられているわけではない。根本において、個の力や覚悟が指摘されており、その動向こそが改革であるからである。
 現実の小泉内閣の改革に対しては、後でも触れるが、改革の旗を立てて議論をしているだけで、まだ具体的なものとなっていず、緊縮財政と不良債権の処理加速策がデフレを促進しているとの認識となっている。これに関しては、社説ではないが、元経済企画庁長官の堺屋太一が、これほどまでに指摘するかと思うほど明確に小泉総理の改革路線は、それまでの内閣には存在した本当の改革までも骨抜きにした、およそ本来の改革とはいえない代物であることを危機感をもって論述していることなどは、真剣に考慮すべきことであろう(「小泉総理は官僚に汚染された」文芸春秋平成15年2月号)。「痛みすら覚悟した」国民の本当の改革に応えていないばかりではなく、むしろ反対に悪化させているというように理解できる主張が、多くの社説から伺えるのである。
 こうした小泉構造改革内閣に対して、国民世論はなぜ高い支持率を提供したのか、国民の当初の期待と今日の現実とのギャップをどう理解するのか、新聞の社説が意図的すぎるのか、今後の小泉内閣の評価はどうなるのか、国民の覚悟はどれだけのものなのか、など今後の問題はありすぎるようである。
 今ひとつ、次元が異なるが、最近の私は、経済問題と政治問題のみに気持ちを傾斜してきたが、それには経済問題の重要性があまりにも高いということがあったからではあるが、その結果が、きわめて視野を狭くし、ギスギスした心境を醸成してしまったことに気付かされたことにふれておきたい。
 例えば、民営化問題、経営的な採算性も問題。道路関係4公団の民営化問題のあまりにも子供じみたように見受けられた民営化推進委員会の運営。そこには、金銭計算至上主義の切羽詰ったやり取りしかなかったのではなかったかということ。根本的な国民と日本国家との関係における国家としての地域戦略のあり方を多様なゆとりの中で考えるという視点は見受けられないし、私自身にも、経済的視点からの検討に対する有効な対案はなかった。けれども、「現代」2月号の作家・塩野七生に対する新春ロングインタビュー「塩野七生 ローマ、日本そしてアメリカ」を何気なく読んで、深く教えらることとなった。ローマの世界とアメリカの世界支配との違いは同氏の本を読まれるべきだが、「いまだに世界第二の経済国」なのだから、「地方分権を徹底的にやったらいい……多くの日本の空港は国際空港であってしまるべきだ……イタリアの場合は観光客を招聘するために全部國際空港なんです……九州の人は、なにも東京へ出てきて海外へ行くのではなくて、九州からアメリカへ行く ほうがよっぽど近い……われわれはいくつもの道を使ったらいい」と。「本四架橋だって発想を変えればいい。……とにかく3本も橋をつくってしまったのだから、それをどうやって利用するかを考える。……本四道路なんていっそタダにすればいいじゃないですか」「四国に三つも橋をかけた以上は仕方がない。活用すればいいのです。20世紀に四つの島を繋いだことは、この国の歴史にいつまでも残る偉大なことですよ」(以下同誌を参照されたい)という素直な発想。そこには、国家というものの本来の役割と国民の期待、国と地域の生き方が示されているように思われた。今の日本の経済力で可能だし、地域や国のこれからの発展にも通じていて、下手な経済計算よりははるかに未来への可能性を生むような気がした。

2.基本的な課題認識について
・京都新聞の12月31日の社説「平凡な生活も壊されていく 02年の終わりに」は、我々としては全ての出発点にしたい気持ちだ。
・日経と産経は、もはや議論の段階ではなく、2003年は「実践の年」と主張。
・読売は、世界は今、デフレから恐慌につながる「恐怖の道」を再び歩みかけているように見える、とデフレから恐慌への強い危機感を提示し、恐慌回避への決然たる政策転換を迫る。今年は長期不況から脱出の糸口をつかむ最後の機会であると。
・産経は、「非行動主義」からの決別を掲げ、デフレ脱却に全力を注げと注文。
・毎日は、バブル崩壊のプロセスは長くて深いが、それは経済のニューバージョンへに向かっての苦悩のプロセスと説く。1400兆円の金融資産を背景にした個人が日本再生のための大きなパワーであり、個人の活動を自由にする規制緩和を主張。
・朝日は、日本経済再生に対する具体的で安全確実な処方箋は見あたらないという。したがって、いま一度、これまでの処方箋を、力を振り絞って実行してみるべきではないかという。朝日の経済に対する社説は1月6日になってやっとでた、という感じで、各社の先行する論説をとの関係からもこうした主張になるのだろうか。「魔法の薬を追い求めても、副作用ばかりが残ることになりかねない」と。そのうえで、日本経済再生の主役は民間企業であることの再確認を行っている。これに関しては、京都も、企業の自助努力に対する政策の後押しの必要性を指摘する。
・京都の、経済政策は最大の社会政策だという指摘は、痛みばかりが顕在化する現状から来るこれからの社会不安にに対する警鐘として大切で、平凡な生活が、人々の責任を超えて壊されていくという危機感から出されてきたのであろうか。

3.デフレについて−認識と対策−
(1) 小泉政権の経済政策に対して
[日経]
・小泉政権下で経済政策は迷走を続け、デフレ脱却の政策がおざなりになっていると、小泉政権の経済政策を断定している。
・そして、不良債権処理はそれ自体デフレ圧力をもち、不良債権とデフレの悪循環を食い止めるためには脱デフレ戦略はよほど強力でなければならないが、小泉政権のデフレ策は貧弱すぎると指弾する。
[読売]
・不況下で緊縮財政政策を進めて恐慌を招いた(昭和恐慌)当時の手法と、デフレ不況下でさらなるデフレ推進策を継続しようとしている小泉内閣の経済運営手法が酷似していると指摘し、小泉緊縮財政路線はすでに破綻していると断罪。このまま「デフレ下のデフレ政策」を続ければ日本は異例の長期不況に突入しかねない。小泉首相の責任は限りなく重い。当面は財政再建よりも「景気回復」を優先すべきで、小泉首相は、ただちに経済政策を転換すべきだ。事態は切迫している、と緊迫した指弾を行っている。
・そして、竹中流の不良債権処理策は金融恐慌の引き金を引きかねない、とこれこそ正に指弾である。
[産経]
・さすがの小泉政権も昨秋の内閣改造を機に、政策の軸足を動かした。「デフレ克服なくして、改革なし」だと、小泉内閣の「事実上」の政策転換を好意的に指摘したが、小泉首相自身は、改革路線は微動だにせず、「政策強化」という強弁をはいたりしており、こうした指摘には皮肉も入っているのか。読売や日経はこれらを「迷走」として受け止めているのであろうか。政策転換を「明言」すること自体の好影響を読売は指摘しているが。
[朝日、毎日]
・民間自身の問題としてか、小泉政権の責任制には触れていない。

なお、小泉政権の財政政策に対しては、読売が、日本経済の問題が需要不足であるのに対して、来年度当初予算と税制改正はいかにも力不足であること、京都は、本年度補正と来年度予算案は、メリハリがない従来型予算に逆戻りし、税収減から国債発行は36兆円を超す史上最大となり、改革内閣の看板はすっかりはげてしまったと指摘する。

(2) 日銀に対して
 日銀に対しては、バブルの加速、そしてまた急激なる崩壊へのきっかけ、また長期不況など通貨政策の失敗を指摘する意見はすでに多い。また、現在の対応に対しても、インフレターゲットの導入を期待する声は、政府をはじめとして多い。この3月の総裁任期切れに当たっての次期総裁の選考には、小泉首相をはじめ竹中金融・経財担当相などもインフレターゲット(目標)の導入などデフレ対策に積極的な人材を期待する声が大きくなってきているし、竹中担当相などは盛んに日銀との政策協定(アコード)を呼びかけている。こうした問題に対して各社はどうか。
 日経は、「小泉首相は次の日銀総裁にデフレ脱却の期待をかける。脱デフレに政府、日銀が協力すべきなのはいうまでもないが、それには政府がなすべきことをなすのが先決だろう」と、まず小泉首相がデフレ克服への本当の決意を固め、デフレ克服と金融再生の統合戦略を実施するべきだと主張する。
 インフレ目標の導入には、読売と産経とが積極的で、読売は、日銀は「インフレ目標」の導入による、緩やかな物価上昇を目指すことに踏み切らなければならない」、産経は、「インフレ目標」の導入を急ぐべきだとするとともに、日銀と政府とは、広範な政策協定を結ぶべきだとしている。

  1/18補足 つい紹介するのを忘れてしまったが、中央銀行のデフレに対する政策に関し、1930年代のアメリカの大恐慌は当時の連邦準備制度の誤った金融政策によって引き起こされたことを、昨年11月に連邦準議制度を代表してバーナン理事が公式に認めて謝罪したという。これは、1月11日の日経「大機小機 新日銀総裁の条件」(桃季)に紹介されている。日銀と日銀総裁を考えるうえで是非読まれたい。
 
(3) デフレ・日本経済の問題点と対策について
[日経]
・日本がバブル景気に自己陶酔し、次いで経済停滞でもがいたこの十五年間は、世界が戦後最も根本的な構造変化を見せた、直接投資が世界規模で爆発的に拡大した時期であった、と国内と世界とのギャップを危機の根底に据えている。そして、直接投資では、各国は、対外投資ではなく、自国への呼び込みであったが、日本は外資の受け入れに対してどこよりも消極的であったと指摘する。外資アレルギーによる競争力の低下であろうか。
・金融システムについては、今の日本経済は間接金融体制下にあり、直接金融化をめざすのは当然であるにしても、この間接金融体制という現実を前提とした上での打開策を探るしかない。求められるデフレ脱却と金融再生の統合戦略にしても、「金融の論理」を追及するだけではなく、「経済の常識」に配慮しなければ統合戦略は成功しないと、一直線に、単純に直接金融化へまい進することへのまずさを指摘する。
・そして金融行政そのものについては、金融行政は世界中どこでも実務的な公僕が担っていて、中立的で公正な実務能力こそが求められるとして、それなしに議論が迷走し金融行政に不透明感が強まれば、金融危機の火種にないかねないとの危惧を示しているのは、金融行政への政治の介入に対する危険性をいうのであろうか。
・今求められているのは、デフレ克服と金融再生の統合戦略であるとし、中でも脱デフレ戦略の柱は、大胆な減税であるとする。

[読売]
・読売の危機感は大変なもので、元日の社説「分岐点にさしかかる日本経済 恐慌回避へ決然たる政策転換を」の表題と社説スペースの大きさにもそれは端的に現れている。
・小泉内閣は、デフレ不況下でさらなるデフレ推進策を継続しようとしていると断罪するが、その主たるところが、竹中プランによる不良債権処理策で、その先行加速策が深刻なるデフレ圧力を及ぼし、ひいては金融恐慌の引き金となりかねないとの危険性を説いている。
・したがって、小泉首相は、当面は財政再建よりも「景気回復」を優先することを「明確に宣言すべき」で、その意志を明確にすることが、そのことだけでも、世の中の空気が大きく変わり、企業行動、消費動向にも好影響が出ると見ている。小泉内閣が、景気回復とデフレ脱却に不退転の決意をもつことの重要性、逆にいえば、ひとたび掲げた改革の看板にこだわって、政策転換への意思を示さないことへのことの重大性に警鐘を乱打しているのであろう。
・デフレ対策としては、財政、税制、金融政策を統合した強力なデフレ脱却策が必要とする。
・また、経済政策の基調は、現在の日本経済の問題は、主として供給ではなく、需要の不足にあるため、政策の手順を間違わず、まず、デフレ脱却のめどをつけたうえで、構造改革を仕上げることを説く。

[産経]
・不良債権処理の外科手術には、デフレ圧力を和らげる輸血が必要だが、大幅な需給ギャップなど複合的要因が絡み合うデフレの克服に特効薬はないとの認識を示したうえで、デフレ脱却には、財政政策、規制改革、金融政策を組み合わせ、政府と日銀の協調で同時に実施することに全力を注ぐべしとする。
・そして、緩やかな物価上昇をめざす「インフレ目標」の導入を急ぐべきだとし、その達成時期を明示し、外債の購入など資金供給の窓口を広げて、「人々にインフレ期待を」抱かせることの大事さを説く。

[朝日、毎日]
・朝日は、デフレから脱却し軽いインフレになるのが、いまの日本経済にとって望ましいことには異論はないが、だが、どうやってそれを実現するのかと、ある意味で、いろんなデフレ脱却のための提言や方策に対する懐疑を示す。ある意味でそれは当たっているともいえるが、そのように断言してしまっていいのだろうかという疑問も生じる。朝日のいうような、具体的で安全確実な処方箋などは、経済政策に関してのみならず、今後将来に対する計画にはそうあるものではない。将来への見通しはそれ自体がある種の賭けであり、ましてや政策はそうである。そこに、多数の人々の心の結集と覚悟や役割分担もまたあるのではないのだろうか。また、魔法の薬を追い求めても、副作用ばかりが残ることになりかねない。というにおいては、そこを分析するのが役割ではないのかとさえいいたくなる。
・そして、いま一度これまでの処方箋を、力を振り絞って実行してみるべきではないかというが、そのこれまでの処方箋に問題があったのではなかったか。
・結論は、日本経済再生の主役は民間企業なのだということを再確認したいという、そのこと自体に異論はないだろうが、では、精神論だけでいいのだろうかという疑問は生じる。というように、朝日のデフレに対する捉え方は疑問だらけであるが、現実の政府の政策や新聞紙上に現れる大企業の醜態等を見るにつけ、結局、どのような状況であれ、最終的には一人ひとりが誰の助けを得るわけでもなく、自己努力で難局を潜り抜けていくものはいくし、現に成長する企業、しのぎつつある企業も多く、そうしたものが新しい時代を切り開くのであろうということは、客観的にはいえるのではないかという面はないわけではない。でも、渦中にあってこれではあまりにも寂しいではないか。
・毎日は、バブル崩壊プロセスとしての捉えかたで、デフレとしての捉え方は明示していない。これも見識なのかどうかは判断するすべをもたない。

(4) 構造改革とデフレについて
 さてそれでは、構造改革とデフレとの関係を各社はどのように捉えているのだろうか。構造改革とデフレ対策とは相反するものなのか、同時併行可能なものなのか、或は相乗関係があるのだろうか。必ずしも整理された答えが出ているわけではないが、それなりの文脈での理解はできる。
 ここから見えることは、構造改革は方向性だけで、具体策が見えないままに迷走し、構造改革とデフレとの関係というよりも、緊縮財政政策と不良債権の先行処理加速策がデフレをより促進しているということ、特に、デフレに対する不良債権処理策の弊害が強く意識されていることが分かる。

 1/18補足 なお、構造改革の定義めいたものは今回の各社社説からはうかがえなかった。

[読売]
・構造改革は短期的にはデフレに対してマイナスの影響を及ぼすとみる。
・したがって、まずデフレ脱却を図り、その後に構造改革の仕上げをと説く。

[日経]
・小泉政権は、現時点では「改革も成長もない」と断定。大胆な改革の方向は示したものの、もみくちゃくされて成果はあげていない。ということは、改革にも景気回復にも結論的には何もしていないから、矛盾もないということになるのか。
・改革には具体的な公約が必要で、方向性のみでは、再び抵抗勢力との不毛の対立に陥り混迷が続くだけとの危惧を示している。

[産経]
・多くの国民が凍れる経済に一条の光を託したのが小泉純一郎首相の登板であったが、あれから3年目の年明け、郵政改革につまずき、先行きは波乱含みの道路4公団の民営化案にいたる構造改革の旗色はあせてみえる、と。産経においても、構造改革策とデフレ対策との矛盾問題を考えるような段階に構造改革は至っていないことになる。


4.課題認識について
 さて、それでは各社は、今後将来の課題についてはどのように考えているのだろうか。デフレ問題を超えた部分も含めて紹介したい。
[日経]
・世界的な制度改革競争の中での日本の立ち遅れ、中でも外資導入に対する及び腰の問題は先にふれたが、国内のみに目を奪われて停滞している間のこのような立ち遅れに対する危機感は、今や日本の自信喪失を生むに至っているが、個別企業は雪崩を打って中国に進出している。小泉改革にこうした視点は当初からなかったことは、改革の基本的弱点であろう。日経の指摘の意義は大きい。
・危機に対処するのに必要な資源は、人材、技術力、貯蓄などほとんど国内にあるが、ないのはそれらをフルに活用しようとする政治の意思、官僚の使命感、企業家精神、一人ひとりの決意である、とはまさにそのとおりだが、そうなるとバブルで緩んだ日本の精神構造をもう一度高めることは並大抵のことではないだろう。
・企業は、規模を圧縮する引き算ばかりのリストラではなく、伸ばすところは伸ばすという足し算を視野に入れた改革に転換し、潜在的に持てる力を引き出すことが大切で、企業再生は自らの手でやり抜く強い意志の形成を訴える。これなどは、目先からいかに将来への展望に経営の軸足を移すか、それに対する経営者自信の責任性が問われるのであろう。将来に絵を描けない人は去れということか。経営改革の競争の時代だと。
・ノーベル賞ダブル受賞は、日本の科学技術の研究水準が堂々と世界の先端にあることを示したこと。それに関し、受賞者に関わっている浜松ホトニクスと島津製作所がいずれも収益性を少し棚上げにしても、愚直に開発し、その成果を需要家に提供してきた積善が世界の評価を生んだという指摘は貴重である。が、島津の田中さんの言葉から、日本には埋もれた研究がまだいっぱいある、それを陽の目に当てるようにするべきだということ、また、過日のノーベル賞受賞者のテレビ懇談で話されていた、日本には優れた基礎開発があっても、それを実用化するための技術が欠しい、田中さんの開発もその実用化はドイツに依存せざるを得なかったというような点、また、優れた開発には、それを可能とする十分な準備がなければ、偶然の発見もできないというような諸々の指摘は、いずれもつんのめったような競争原理のもとでの現在の改革路線にはなじまないものであることを指摘せざるを得ない。
・経済政策もつまるところはそれは政治家が担う。それを選ぶのは有権者である。有権者が目先の地元利益を優先すれば、日本全体がますます低迷の袋小路に陥ることを忘れてはならないと、有権者の意識改革を訴えているのは重要である。それだけに、日本の構造改革は、なお道遠しということなのかもしれない。

[読売]
・読売は、強い危機意識のもとで、いったん恐慌の罠に落ち込んだ経済を立て直すのは至難の業で、なんとしても避ける必要があると、「歴史の教訓を今こそ生かす時だ」とする。その歴史の教訓は、1030年代の昭和恐慌の失敗の教訓だ。再び失敗の轍を踏むなということだろう。
・デフレから恐慌への転落の危機、それを回避する最後の時期か。今年は長期不況からの脱出の糸口をつかむ最後の機会になるかもしれないというのも危機意識ではあるが、もはや危機意識から覚悟への転換点にあることを示したものであろう。
・そのため、小泉首相には、ただちに経済政策の転換を迫る。21世紀初頭を「新たな十年不況」の時期にしないためにも、小泉首相は、ただちに経済政策を転換すべきだ、事態は切迫している、と。

[朝日]
・日本経済の主役は民間企業であり、経済の活力回復には、私たち自身も必要な負担を引き受ける覚悟が求められるという。が、覚悟で再生は果たせるのか、政府の役割は何なんだろうかという疑問が残る。
・私たちの親の世代は戦後の焼け跡の中から世界で最も豊かで平和な社会の一つを築き上げた。そのDNAを受け継いだ私たちにも、日本を再生する力があるはずだ。これは、あまりにも上面で、考えるとあまりにも多くの問題が浮上する。簡単には理解の及ばない締めくくりではある。何を持ってそれが言えるのかを明示してもらわないと何ともいいようがない思いである。

[毎日]
・バブルとその崩壊の過程を否定的にではなく、肯定的に捉えようとしている。そもそもバブルは経済衰退のシンボルでも兆しでもない、本来は一国経済がさらに大きな高みに立とうとする時に見舞われる一種の麻疹のようなもので、それは歴史が示している、と。視点を変えればそうとも取れるのかという思いだが、その渦中にあるものはどうすればいいのか。手当が悪ければ麻疹とて一大事となるではないか。結果論とその過程を歩むことの違いがあるはずだが。自信をもとうという意味で理解したい。
・そこで、個人金融資産はむしろバブル崩壊の13年の過程で増えているという指摘、91年に1000兆円だったのが今や1400兆円に達したと。これを資産は個人に、その分の負債は「簿価と時価」との関係で企業(銀行)部門と政府部門に負わされたことを示すという。その結果として、個人が日本再生の大きなパワーとなるとする。個人金融資産については、高齢層が大きく寄与しているという説明も見られるものの、金融資産を所有する「個人」のより具体的な分析が必要だろう。
・したがって、いまは個人がその金融力で再生の自画像を描くべき時だとして、個人の活動をより自由にする規制緩和の必要性を指摘し、そこから全く新しい「ポストバブル経済」はそこまで来た、という。毎日はなぜ、デフレに触れなかったのか、デフレではなく、いまはなおバブルの崩壊過程であるというのであれば異論があるのだが。

[産経]
・如何なる政策もつまるところ、政策への国民の信頼があってこそ果実を生むという、政治行政上の最も大切なところを指摘する。
・政官業が自らを恃む精神を発揮し、それぞれの立場で次代を開く経済社会の再構築に歩を進めるときだ、とする。本来はそうあれかしと願うが、政治行政、さらには財界はそうしたことに果たして応えれくれるだろうか。願うのみである。

[京都]
・信頼と自立を課題とする京都ではあるが、これは最終的に各社とも帰結するところであろう。しかし、「『不信の時代』を乗り越えて」を掲げているように、不信としのぎ合いの時代にあって、信頼を築くことは用意ではない。小さな善意が大きな社会全体、国家全体の善意と信頼に結びつくには途方もない時間を必要とする。現実はそうでない現実として、日本経済の再生を果たさなければならない。その辺りを我々は、結局一人ひとり自分自身の考え、対処していくのであろう。しかし少なくとも、京都の社説がいうように、言行不一致では政治への信頼は低下するばかりである。いまこそ政治家一人ひとりが、「国民のための信頼の国づくりを実践する覚悟が必要である」との指摘は大切にせねばならない。特に、政府と政権党がそれに応えていないときには、野党こそがその見本を提示する必要があるのだろう。最小限度そこに期待したいのだが。
・つまるところ、朝日がいうように、日本経済の再生は企業自身の問題だ。難局打開へ与野党も知恵と覚悟を備え、危機意識を共有し、企業の自助努力を政策で後押しする、そうした責任と果たすべき役割の自覚と謙虚さを京都の社説は訴えているのだと理解した。

V 各社の社説からの紹介

1.各社の社説の表題
日経
1/1 2003年の実践1 「ただ待つだけでは再生できない」
1/3 2003年の実践2 「デフレ克服と金融再生の統合戦略を」
1/4 2003年の実践3 「企業の遺伝子を生かす経営改革競え」
1/5 2003年の実践4 「今度こそ政策と政権を選択する選挙に」
1/6 2003年の実践5 「世界の安定に日本の行動が必要だ」

読売
12/31 生保の安全網 次の課題は「逆ざや」の解消だ
    電力・ガス  現実を重視した二段階自由化案
1/1 分岐点にさしかかる日本経済 恐慌回避へ決然たる政策転換を
1/3 新平和秩序構築へ試練の年 切迫する二つの脅威
1/4 日米欧中の連携で対応せよ 忍び寄る世界デフレ
1/5 デフレ脱却へ正念場の年だ 深まる経済危機

朝日
1/1 「千と千尋」の精神で 年の初めに考える
1/3 とんがってみよう  03発想転換
   北朝鮮の核 米韓の調整を急げ
1/5 求む、60歳以上の方 03発想転換
   教える力が問われる 法科大学院
1/6 自らを信じて、もう一度 日本経済再生

毎日
12/31 この1年 視野を広げ、果敢に動こう 日本の良さ、底力を今こそ
1/1 自然体を身に着けよう 素直になれば解決できる
1/3 再生の自画像を描け バブル崩壊後の13年の軌跡
1/4 政党再生で混迷脱却を ヒントは地方の新構想
1/5 盤根錯節を切り開く覚悟 まず日中の改善急げ

産経
1/1 大いなる選択の年に思う 「非行動主義」からの決別を
1/3 デフレ脱却に全力注げ 活力ある明日を開く転換期 日本経済
1/4 戦後の歪みを正そう 尊敬される日本人育成を 教育基本法改正
1/5 停電回避に総力あげよ 健全性評価は感情抜きに

京都
12/31 平凡な生活も壊されていく 02年の終わりに
1/1 「不信の時代」を乗り越えて 信頼の国づくり
1/3 国に頼らぬ自立時代の幕開け 京滋の行政課題
1/4 閉塞うち破る選択肢を示せ 希薄化する政党
1/5 自助努力補う政策を素早く 経済危機の打開


2.経済関係の要旨紹介

日経
1/1 2003年の実践1 「ただ待つだけでは再生できない」
・実践と行動の年である。議論の段階は過ぎた。単に待つだけでは事態は改善しない。むしろ悪化する。
・歴史的な大試練に積極的に立ち向かおうとする気力、気迫が欠如している。
・日本がバブル景気に自己陶酔し、次いで経済停滞でもがいたこの十五年間は、世界が戦後もっとも根本的な構造変化を見せた時期だった。
・直接投資が世界規模で爆発的に拡大した。各国にとっての重点は対外直接投資ではなく、自国への直接投資への呼び込みであった。
・日本の場合は、外国資本の受け入れに対して、どの国よりも消極的である。
・バブル崩壊後、残念ながら目先的な“ストップ・アンド・ゴー”政策の繰り返しでしかなく、本格的な構造改革は議論ばかりで実行されていない。
・「改革断行」を掲げた小泉政権(は)、現時点では遺憾ながら「改革も成長もない」のが実態である。改革の議論と「工程表」づくりにばかり時間を使っている。
・新年を迎え、まず、世界的な制度改革競争の時代にあることを確認したい。
・危機に対処するのに必要な資源はほとんど国内にある。人材、技術力、貯蓄…。
・ないのはそれらをフルに活用しようとする政治の意思であり、官僚の使命感であり、企業家精神である。一人ひとりの決意である。

1/3 2003年の実践2 「デフレ克服と金融再生の統合戦略を」
・小泉政権下で経済政策は迷走を続けている。最大の問題は、不良債権処理の加速という旗を掲げながら、デフレ脱却のための政策がおざなりにされていることだ。
・求められるのは、デフレ脱却と金融再生の統合戦略である。
・直接金融化をめざすのは当然だが、間接金融体制という現実を前提に打開策を探るしかない。
・金融行政の領域は世界中どこでも実務的な公僕が担う。中立的で公正な実務能力こそ求められる。それなしに議論が迷走し金融行政に不透明感が強まれば、金融危機の火種になりかねない。
・不良債権処理はそれ自体、デフレ圧力をもつ。……不良債権とデフレの悪循環を食い止めるためにも、脱デフレ戦略はよほど強力でなければならない。にもかかわらず、小泉政権のデフレ対策は貧弱すぎる。
・日本は戦後「真正デフレ」に突入した唯一の先進国である。
・脱デフレ戦略の柱は、大胆な減税である。
・小泉首相は次の日銀総裁にデフレ脱却の期待をかける。……が、それには政府がなすべきことをなすのが先決だろう。

1/4 2003年の実践3 「企業の遺伝子を生かす経営改革競え」
・マクロの痛みはほかでもない、ミクロの痛み、産業や個別企業の痛みの積み重ねだ。
・個別企業の立て直しが進まなければ、最終的に経済の再生はあり得ない。
・やるべきことは分かっている。激しい国際競争と不断のデフレの中を切り抜ける経営改革の徹底だ。
・今年は確実に、企業内に新しい事業の仕組みを定着させるときだ。
・規模を圧縮する、引き算ばかりのリストラではなく、伸ばすところは伸ばす足し算を視野に入れた改革だ。
・ノーベル賞ダブル受賞(は)、日本の科学技術の研究水準が堂々と世界の先端にあることを示した。
・潜在的な企業の力をどう引き出すかが課題である。
・企業の再生は自らの手でやり抜く、という強い意志を形成した経営改革の競争で活路を拓くべきだ。

1/5 2003年の実践4 「今度こそ政策と政権を選択する選挙に」
・日本再生をめざした「小泉改革」が迷走しかけている。大胆な改革の方向は示したものの、族議員や官僚、業界の抵抗でもみくちゃになり、目に見える成果をあげるには至っていない。
・問題は改革案のとりまとめを民間人に「丸投げ」したような印象を与え、首相の明確な意思やリーダーシップがよく見えなかったことである。
・小泉首相は衆院解散に踏み切るなら、与党をまとめ上げて具体的な公約を示すべきである。
・公約があいまいなら、選挙に勝っても再び首相と抵抗勢力の不毛の対立が始まり、政治の混迷が続くだけである。
・有権者の意識改革も必要である。
・有権者が目先の地元利益を優先すれば、日本全体がますます低迷の袋小路に陥ることを忘れてはならない。

読売
1/1 分岐点にさしかかる日本経済 恐慌回避へ決然たる政策転換を
・不況下で緊縮財政政策を進めて恐慌を招いた(昭和恐慌)当時の手法と、デフレ不況下でさらなるデフレ推進策を継続しようとしている小泉内閣の経済運手法が酷似している。
・「構造改革なくして成長なし」という小泉首相のスローガンも、「改革」の後にくるという「成長」の具体的ビジョンは、はっきりしない。
・(不良債権の先行処理の)竹中プランには、経済運営全体についての政策的統合という姿勢が欠けている。
・いま問題となっている不良債権は、デフレ進行の結果として、次々と湧き出てきているものである。不良債権問題の処理は、財政、税制、金融政策を統合した強力なデフレ脱却策が前提となる。
・小泉緊縮財政路線がすでに破たんしているのは、明らかである。
・小泉首相は、「構造改革」の意味はどうあれ、当面は財政再建よりも「景気回復」を優先することを、明確に宣言すべきである。差し当たり、それだけでも、世の中の空気が大きく変わり、企業行動、消費動向にも好影響が出るだろう。
・日銀は、「インフレ目標」の導入による、ゆるやかな物価上昇を目指すことに踏み切らなければならない。
・小泉首相が現在の経済運営手法を続ければ、国民が長期にわたり痛みを強いられることになる恐れが、極めて大きい。小泉首相の責任は限りなく重い。

1/4 日米欧中の連携で対応せよ 忍び寄る世界デフレ
・世界は今、デフレから恐慌につながる「恐怖の道」を、(1930年代と同様に)再び歩みかけているように見える。
・いったん恐慌の罠に落ちた込んだ経済を立て直すのは至難の業だ。何としても避ける必要がある。
・歴史の(失敗の)教訓を今こそ生かす時だ。

1/5 デフレ脱却へ正念場の年だ 深まる経済危機
・このまま「デフレ下のデフレ政策」を続ければ日本は異例の長期不況に突入しかねない。・今年は長期不況からの脱出の糸口をつかむ最後の機会になるかもしれない。
・21世紀初頭を「新たな十年不況」の時期にしないためにも、小泉首相は、ただちに経済政策を転換すべきだ。事態は切迫している。
・年明け後の日本経済は、三つの試練に遭遇する恐れが強い。
 第一は、不良債権処理の加速が深刻なデフレ圧力を及ぼしかねないこと。
 第二は、イラク攻撃。原油価格の上昇や米国株の下落が懸念され、日本が株価急落などに見舞われる公算もある。
 第三のリスクは政治だ。政治の不確実性が増す。
・構造改革は短期的にはマイナスの影響も及ぼす。
・現在の日本経済の問題は、主として供給ではなく、需要の不足にある。政策の手順を誤ってはならない。首相はまず、デフレ脱却のめどをつけ、そのうえで構造改革を仕上げる必要がある。
・とりわけ、竹中流の不良債権処理策は金融恐慌の引き金を引きかねない。
・日本経済の需給ギャップの大きさを考えると、来年度当初予算と税制改正はいかにも力不足だ。
・日銀にとっても正念場の年だ。金融緩和とともに円安の効果も期待できる外債購入に踏み切るべきだ。
・小泉首相が、恐慌の引き金を引いた人物としてその名を歴史に残したくなければ、今こそ大胆な“豹変”が必要だ。

朝日
1/6 自らを信じて、もう一度 日本経済再生
・デフレから脱却し軽いインフレになるのが、いまの日本経済にとって望ましいことには異論はない。だが、どうやってそれを実現するのか。具体的で安全確実な処方箋は見あたらない。
・魔法の薬を追い求めても、副作用ばかりが残ることになりかねない。いま一度、これまでの処方箋を、力を振り絞って実行してみるべきではなかろうか。……地道な、苦しい作業である。
・そのうえで、日本経済再生の主役は民間企業なのだということを再確認したい。
・経済の活力回復には、私たち自身も必要な負担を引き受ける覚悟が求められる。
・私たちの親の世代は戦後の焼け跡の中から世界で最も豊かで平和な社会の一つを築き上げた。そのDNAを受け継いだ私たちにも、日本を再生する力があるはずだ。

毎日
1/3 再生の自画像を描け バブル崩壊後の13年の軌跡
・バブル(空景気)がはじめて13年目に入った。その崩壊のプロセスは長くて深い。だが、日本経済に災厄ばかりをもたらしているのではない。経済のニューバージョンに向かっての苦悩のプロセスである。
・そもそもバブルは経済衰退のシンボルでも兆しでもない。本来は一国経済がさらに大きな高みに立とうとするときに見舞われる一種の麻疹のようなものである。歴史がそれを証明している。
・バブル処理とは見誤った過剰投資を速やかに清算するのが本筋だ。
・日本のバブル崩壊にはこれまでにない大きな特徴が見られる。個人金融資産はむしろこの13年で増えていることだ。91年に1000兆円だった個人金融資産はいまや1400兆円に達した。難しく言えばバブル崩壊の「簿価と時価」の負債は企業(銀行)部門と政府部門が受け持っていることを示している。
・個人は日本再生のための大きなパワーになる。……個人がその金融力で再生の自画像を描くべき時だ。
・個人の活動をより自由にする規制緩和が要る。全く新しい「ポストバブル経済」はそこまで来た。

産経
1/3 デフレ脱却に全力注げ 活力ある明日を開く転換期 日本経済
・多くの国民が凍れる経済に一条の光を託したのが、小泉純一郎首相の登板だった。あれから3年目の年明け。郵政改革につまずき、先行きは乱含みの道路4公団の民営化案にいたる構造改革の旗色はあせてみえる。
・さすがの小泉政権も昨秋の内閣改造を機に、政策の軸足を動かした。不良債権処理と企業・産業再生を加速させる。金融システム改革を円滑に進めるためにデフレ対策に力を注ぐ。「デフレの克服なくして、改革なし」だ。事実上の政策転換である。
・不良債権処理の外科手術には、デフレ圧力を和らげる輸血が必要だ。大幅な需給ギャップなど複合要因が絡み合うデフレの克服に特効薬はない。……財政政策、規制改革、金融政策を組み合わせ、政府と日銀の協調で同時に実施していくことだ。
・日銀は政府との間で広範な政策協定(アコード)を結び、緩やかな物価上昇をめざす「インフレ目標」の導入を急ぐべきだ。
・人々にインフレ期待を抱かせることが大事だ。
・いずれも政策への国民の信頼があってこそ、果実を生む。
・政官業が自らを恃む精神を発揮し、それぞれの立場で次代を開く経済社会の再構築に歩を進めるときだ。

京都
1/1 「不信の時代」を乗り越えて 信頼の国づくり
・めでたさを祝いにくい新年を迎えた。いうまでもなく長引くデフレ不況とイラク攻撃の影がもたらす重苦しい不安が原因だ。……閉塞感が国民を覆う。
・最悪なのはバブルが招いたモラルの低下だ。
・「不信の時代」を乗り越えて、日本人が自身と信頼を取り戻さなければ展望はない。
・絶望が国家レベルに達した時、パレスチナのように自爆テロさえ生む。
・国民が小泉改革に求めたのは、さまざまな利権でがんじがらめになった戦後社会のしがらみを一刀両断し、再び自由で活力のある社会につくり替えることだった。そのために「痛み」さえ忍ぶ決意を示した。だが期待は裏切られつつある。
・言行不一致では政治への信頼は低下するばかりだ。
・いまこそ政治家一人ひとりが、(信頼の国づくりを)実践する覚悟が必要である。

1/5 自助努力補う政策を素早く 経済危機の打開
・日本経済が泥沼にあえいでいる。
・国の借金が膨れ上がる中、政策面で打つ手は限られている。だが日本経済の回復への手をこまねいている余裕はない。…… (あらゆる)政策を総動員し、迅速な対応で景気回復を図らねばならない。
・社会不安を少しでも鎮めるためにも、経済政策はいま最大の社会政策といえる。
・本年度補正と来年度予算案は、メリハリがない従来型予算に逆戻り。税収減から国債発行は36兆円を超す史上最大となった。与党内の求心力も衰える一方で、改革内閣の看板はすっかりはげてしまった。
・難局打開へ与野党も知恵と覚悟が必要だ。危機意識を共有し企業の自助努力を政策で後押しするべきだ。
(2003.1.13了)(補足1.18)


京都市職員頑張れ!京都市職員−故人・前市長への返還命令に悲しみつつ

 2月6日、大阪高裁の武田多喜子裁判長は、田辺朋之前京都市長に対して、ポンポン山ゴルフ場予定地の買い取り額が不当に高いとして、「適正価格」との差額約26億1千万円を京都市に返還するよう命じる判決を下した。法律論はともかくとして、新聞を見た瞬間、唯驚きで呆然とした。どう理解し、市とご遺族はどうされればいいのだろうかと。
 田辺前市長は、1989年8月に、それまでの市政の刷新を掲げて初当選、医師出身市長として「健康都市構想」をすすめ、再選を果たして1994年の平安建都1200年記念事業を無事に終えた1年後の1996年1月に病気辞任をした。実に温厚篤実、汚職など無縁の人であった。日本のバブル末期からその崩壊過程にその任期はあり、背景に何があったかなかったかは知らないが、結果としてこと志とは全く違う事態に陥ったのは、不幸というにはあまりに不幸で、悲しい思いに陥らざるを得ない。
 事実関係の詳細を知らないものが兎角のことがいえないが、行政過程の手続きが裁判所や議会を含めて一応の手順を踏んでいてなおかつの今回の判決は、現実に行政に身を置いてきたものとしてはあまりにも“恐ろしい”結果であるといえる。司法的な知識を全くもっていない者として、簡易裁判所の調停が意味をなさないということはそういうことなのだろうかと不審に思われる。そして、田辺前市長はすでに故人である。
 唯一つ、田辺前市長に対して危惧の念を持たないわけではなかったのは、行政というものと京都市政の実情とに対してほとんど予備知識がなかったと見受けられたことである。市政の刷新ということも含めて、必ずしも成果が上がっていたとはいえなかった。多分、行政や京都市政というものの深みや幅広さに内心「これほどまでとは」という思いが強かったのではなかったかと思う。誠実であるだけに、実情に合わせようとし、誠実であるだけに対面する相手には誠意を持って当たっておられた。が、行政の他面は政治である。何もかもが一筋縄でゆくものではない。そこら辺りが、ご本人にとっては誤算であったのではなかったかと思われてならない。
 バブル後の政治や行政、なかんずく社会の価値観の変化は凄まじく、それまででは問題とならなかったものがどんどんと問題視されるようになる。バブル崩壊過程では、あらゆる世界で倫理的な問題がクローズアップされてきた。組織的な社会もその内実が問われ出し、要求されるリーダーシップの発揮そのものが困難にもなってくる。一人ひとりの行政職員にとっても個人と組織との関係は難しくなってきた。今、これらのことに答えを出すことは困難である。ひとりの人間として、現在の行政に身を置いて考えるとき、自らの処し方は慎重にならざるを得ないであろう。20年前、30年前、40年前と比較して考えるとき、国家行政であれ、地方行政であれ、また民業であれ、教育界その他その他のいずれも分野でも内外の透明性が求められ、結果よければ全て良し、という時代ではなくなってきたのがわかる。よりよき結果を求めてする無理が、無理であるがゆえに結果と無関係に問題ともなる時代になってきたのである。ということは、これまで以上に知識を備えた、オープンで度量の広くかつ深い人物像が求められていることになるが、現実には容易ではない。
 しかしである。戦後、いつの時期にあっても「今が曲がり角」「今が転換期」とその時その時に思われてきたが、今まさに本当の歴史の転換期にある。過去を学びつつ過去を越えていく、新しい行政職員像を創り出すことは、大いなるやりがいではないだろうか。政治、行政はいまや下降線をたどっているが、市民が自主性を持ち多様化すればするほど、本当はより強力なリーダーシップ性が求められることになる筈である。都市と都市を構成する市民にとって、行政体は市民の結節体である。そこを軽視して都市も都市民を明日への希望は生まれない。個々の市民運動の発展が、自動的に都市行政を健全に育てることになるというほど今日の都市行政は甘くない。今は、精神論しかいえないが、「下降する時代こそやりがいがある筈、頑張れ!京都市職員。」と激励したい。自らの働きが、新しい前例と仕組みを生む出すのだから。(2003.2.9)


気になる京都の地下水の活用−覆水盆に帰らず!−

 もうすぐ世界水フォーラムが開催される。COP3に続く、大規模な国際会議だ。しかも京都は水の都であり、世界水フォーラムにちなんだ「京都の水」に関する企画ものが昨年来新聞各社で連載されてきている。大変うれしい思いで眺めてきた。が、年明けしばらくして気になる記事を目にした。時間とともに気になる度合いが高くなり、少しここで触れておこうと思った。
 1月8日付朝日新聞の「水に浮かぶ都」シリーズの5で、「巨大『水盆』技術が解明  琵琶湖に匹敵する地下水がここに」のタイトルで、タイトルだけを目にしたときは、ショッキングではあっても「やっぱりそうか」と、多少はうれしい気分であったが、「地下水の全体量が明らかになれば、くみ上げすぎによる地盤沈下を起こさないような利用の仕方ができる」とはあるが、結論のほうでは「この水を今後にどう生かすのか」とある。そこのところが心配でならない。
 京都盆地の地下水は、恐らく、戦前、戦後そして今日に至る過程で、確実に減少してきているであろうことは、河川の水量減少や地中のボーリングなどから私自身が体験的にも感じてきているものである。京都盆地の地下水量を正確に測定することができることはすばらしいことには違いないものの、それによる危惧は、大方の理解が水量の大きさに驚くことになろう。けれども、この山城(京都)盆地に1200余年前に平安京が築かれた以来、人口の増大とともに一貫して減少の一途をたどってきたものと思われる。
 そこで考えなければならないことは、京都盆地の地下水量を現在時点でのみ捉えるのではなく、過去、現在、未来の流れの中で捉えることの大切さである。京都の地盤は、その地下水量によって支えられているのがう裏付けられたのであるが、それは、過去の利用水量を越えて利用した場合の地盤の変動に対する危険性を提示したものともいえる。
 豊富な地下水量の発見は、これまで以上の地下水の活用を勧めるものではなく、山城盆地の地盤を支えてきた地下水量の保全に警鐘を鳴らすものであるといえるのである。
 科学的な計測は重要ではあるが、自然界は人知で計測した範囲をはるかに超えた存在であり、しかも長い時間軸の中での現実としての地下水と河川の水位の低下をこそ重要視しなければならないのではないだろうか。逆説的にいえば、山城盆地を支えるには、膨大なる地下水量が必要とされているのである。そこらか生じる課題は、節度ある利水と水質の保全の大切さではなかろうか。
 昨今のホテルをはじめとする地下水活用の増加傾向の中で、大規模な商業的活用に走ることがないことをひたすら願っている。地下水利用制限は只今からでも始めてよいのではないだろうか。(2003.2.9)


選択と心得ないし覚悟  国際関係−日本の進路−地方自治−生活

 とにかくいろいろあり過ぎる。
 バブル崩壊からデフレ、そしてよもやの小泉内閣誕生から日本の「構造改革」、その「構造改革」たるものの何たるかが明確になる前にすでに失速し、更なるデフレの深刻化。企業と国民生活の難渋のさなかに、アメリカの対イラク戦争の緊迫と朝鮮情勢の緊張。とにかくあり過ぎる。
 これまではまだしも、地方自治に限らず、それぞれの分野は分野なりにその範囲での専門的な分析や対応が有効でなかったわけではなかったが、皮肉なことに、地域生活をめぐる市民活動がようやく各方面で自主的なものとして育ちだしたこの時期に、そうしたこつこつとした地域や市民の自分たちの活動範囲をはるかに越えたところから、構造的な激変がやってくる。事態は、市民のこつこつとした成長を決して待ってはくれないようだ。
 対イラク戦争と北朝鮮関係問題とは、とにかく理解できないことだらけだ。加えて、デフレ問題も含めて、ことごとに異なった見方や分析が横行する。しかも、政府の見解は、相変わらず、戦後日本政府がアメリカでは本音をいいつつ、日本国内ではあいまいにするという伝統を踏襲する。国のまさしく根本にかかわる問題であるにもかかわらず、対外関係に関する国民との協調は見られない。が、危機は今まさに直面している。その真実を我々一般国民は知らずして。
 平和や戦争反対という一般論だけでは事態は見えてこないし、有効な対処もできない。遠く離れたイラクへのアメリカの軍事行動に対して、日米同盟のもとにある日本が国際協調という建前を重視しつつ、かつその狭間で揺れつつも、その是非はともかくとして結論的にはアメリカを支持せざるを得ない状況下にあることはある。だから、真実はどうか、本当はどうすればいいのか、一体その後はどうなるのか、日本の今後の歩むべき道はといったことを議論せずして、「その状況下」にしたがってアメリカを支持、支援すればそれでいいのだろうか。とはいえ、支持しないということになれば、戦後の日米関係を軸とした日本の国際関係を根本的に見直すべきことになる。その場合の、日本自身の防衛を含む国家としての自立性の確保はどうするのかという最も根本的な問題に直面する。
 イラク問題は、アメリカ経済のみならず、世界経済を直撃するし、とりわけ石油をめぐってはそれがイラク攻撃の背景にあるといわれるほど重大な問題となっている。テロ問題を含めて、また、中東の液状化的な混乱状態の展開を含めて、日本にもその影響は直撃することになる。さらに、北朝鮮との関係は深刻である。表面的には、「外交的努力による平和的解決」を各国ともに主張しており、北朝鮮自身も武力衝突を目的とするのではなく、あくまで「アメリカとの直接交渉による安全保障」を要求している。が、北朝鮮はあまりにもその実情が知られていない国であり、またアメリカの真意も不明である。理解しあえない国と国との関係は、今のように危険なゲームを展開していく場合、その結果に対する安全性の保障はどこにもない。アメリカに依存するしないにかかわらず、日本の安全保障が問われている。「平壌宣言」をどう活用するのかしないのかという問題とともに、他方で国防というすぐれて具体的な問題が喫緊の課題として生じてきた。今や戦争は、かつてのような軍隊と軍隊との肉弾的なぶつかり合いをはるかに超えて、長距離ミサイルが、一瞬にして相手国の中枢部に到達する。しかも、北朝鮮は核をすでに1,2個は有していて、なおこの数カ月の間にかなりの数の核を有する可能性があると指摘されている。北朝鮮との有効な交渉機能をもたない日本政府が、北朝鮮に対して「絶対に核兵器を持つことは許さない。そのことを彼らに分からせないといけない」とさも高圧的に日本国内向けに発言している意味はどの程度あるのだろうか。それを実現する手段は持っているのだろうか。
 こうした事柄は、一人ひとりの国民の日々の小さな努力を一瞬にして無にしてしまうのである。
 そこで思うのは、この数か月、小泉内閣に対する批判が強まる一方にあることである。2年近く前に誕生したときの熱気は冷めている。それは、小泉首相とその内閣が変質したからなのだろうか。必ずしもそうとはいえないのではないか。確かに内閣は改造で変化した。しかし、小泉首相がそう変化したようには思えない。変わったのは、世の中のほうではないのか。国民やマスコミの移ろいやすさとでもいうのであろうか。勝手に過大な期待をし、そして勝手に裏切られてきているのではないか。
 今や、じっと静観していても被害を受けざるを得ない時代である。積極的に行動するか、じりじりと被害を受けつつ耐え忍んで時期を待つか。寄らば大樹の陰でとりあえずは安心を仮定しておくのか、それとも孤立無援の覚悟でわが道を築く努力をしていくのか。一人ひとりの生活から地域のあり方、国の、世界のあり方に至るまで、自分自身で真実の情報を嗅ぎ取り判断していく努力をしていかなければならない時代に来てしまったようだ。建前だけの議論や、先々のまっとうな分析のないなかでは、本当の判断はできない。情報化社会とはいっても肝心要の情報はまだまだ政府、企業ともに開示してくれない。けれども、10年前と比較してみれば、基本的な情報はかなりの程度公開されるようになってきている。それらを分析すれば、時々の言説に左右されない根本的な判断力は多分つくはずである。が、それを個人個人、誰もがするということは困難かつ不可能であるし、またそのような政府などの判断に依存できないような国家は結局総体としてコストが高くつく不合理なものである。その意味では、日本はまだまだ未成熟な民主国家なのであろうか。にもかかわらず、今の日本では、一人ひとりが自分自身で状況を分析し、判断するという課題をいったん身につける必要があるのだろう。
 テレビとインターネットをはじめとするデジタルの時代は、何事によらず傾向を過大かする。状況変化が極端から極端に移りやすいのである。これには、情報技術というすぐれて技術的な問題もあるのだろうけれども、情報を仕入れるということと、考えや判断を受け入れるということの大きな違いが意識されなくなってきていることもあるのではないだろうか。これには小泉内閣の責任も大いにある。なぜ改革なのかという分析がほとんどなく、結果としての「構造改革」の幾つかがあたかも問答無用の正義として展開されるからである。そこには、分析と議論が元々なかった。
 戦後、1970年頃までは、日本の国論は概ね二分されていた。いろんなレベルで天下国家が議論されてきたといってもいい。そうした表層政治面での議論とは別に、議論を抜きにした高度経済成長が進展し、やがて経済至上主義とも言うべき国民となった。枠組みは、東西冷戦構造の中である。そして、東西冷戦構造が崩壊し、アメリカ1国がスーパー強国として世界に君臨し、日本経済がバブルからその崩壊さらにその後のデフレへと後退するなかで、ようやく、日本にも地域地域での自立性の芽生えがでてきたのである。が、先にもふれたように、これはあまりにも皮肉である。今問われているのは、日本の国際関係である。日米同盟のあり方である。近隣東南アジアとの関係である。国内産業が空洞化するほど日本企業は中国その他の近隣諸国へ進出している。小泉内閣の「構造改革」には当初からその対策はおろかそれに対する深刻な問題認識はなかった。
 身近な問題も大切だし、自分を大切にするところから民主主義はスタートするのかも分からないが、同時に、自分を超えた市民、国民共通の課題に我を捨てて立ち向かうことも大切である。それが、他の人々と、結果としてその一員としての自分にもその益するところが返ってくるのである。身の回りもいいが、目を大きく見開こう。制約された時間の中にあるとはいえ、今やそうとしかいえないのが残念である。便法はない。一から積み上げるしかないという思いを強く持つ。一人ひとりの自立から。それは、明日への覚悟と心の備えであると思う。(2003.3.10)
 


なぜ、なぜなんだ! 対イラク「武力征伐」から

 湾岸戦争時からの宿題であったイラクの大量破壊兵器に対する国連の査察は、大詰めを迎えた段階で、アメリカがそれを見切って遂に武力行使に突入した。その結果を見れば、一方で指摘されてきたように、やはりアメリカの武力行使の結論は最初から決まっていたということになる。それは、戦争というよりも、どこも対抗できない強大なアメリカ国家による「ならずもの国家」の「武力征伐」である。誰がどう考えようとも、現在のアメリカ相手の戦争で勝てる国などあり得ない。にもかかわらず、イラクのフセイン政権は、アメリカの武力行使が最初から決まっていたと同じように、アメリカに屈っしないということも最初から決まっていたようである。なぜなんだろうか。常識で考えれば、恐らく壊滅される以外にないにもかかわらず、なぜ、フセインは屈服しなかったのだろうか。なぜなんだろう。こうした、なぜなんだろうは、今回の対イラク「武力征伐」には多々あり、理解の領域を越えている。しかし、こうした「なぜなんだろう」を少しでも理解できるようにしていかないと、民主主義の根底を支える一人ひとりの国民は、結局操られ、従うだけの存在になりかねない。戦争というものの情報が、全くもって事実の捏造をはじめとする演出度合いの高いものであるだけに、このことの重要性はなおさらである。
 ・ブッシュ政権の対イラク武力征伐への情念のようなものは理解できるような気がしていたが、それが見事なまでに実際に行うことができたのはなぜなんだろうか。・その対極のフセイン政権は、イラクという国自体が壊滅的打撃を受けることを承知してなおなぜアメリカにさからったのか。フセイン政権を解体し、国家を残す選択肢はなぜなかったのか。・対イラク「武力征伐」の山場が過ぎてなおかつ、武力行使以外にイラクの武装解除に対する有効な方策は果たしてなかったのだろうかという思いは募る。フセイン政権の崩壊があっけなかっただけになおさらである。・フセイン政権が国連査察に対して恭順の姿勢を示し、ミサイルの廃棄にも応じ、戦うべき術をもがれてなおかつ戦い崩壊したのはなぜなんだろうか、フセイン政権は何を考えているのだろうか。・フランスのシラク大統領が、ある種予想を越えて頑強にアメリカの武力行使に抵抗したのはなぜなんだろうか。「物知り」の大方の方々は、「フランスは実利第1の国だから、適当なところで実利に走って、アメリカに同意する。」いわば、実利を稼ぐための条件闘争をしているだけだと論評されていたが、なぜ、不利を承知でなぜここまで抵抗するのか。・アメリカとしては、周到に用意し、練り上げられてきた武力征伐ではあったが、どうも戦後復興をめぐっては、実際上の状況を読みきれていないように思われる。ラムズフェルド国防長官は極めて怜悧な人物であるというが、なぜなんだろうか。こうしたことを考えていくと、本当はどうなんだという疑問が際限なく沸いてくる。一面の動機や狙いについては、様々な人が様々な指摘をされている。ある面ではそうなのであろうが、これだけの問題を進めるのに、一面の理由だけで可能なはずはない。本当のところはどうなんだろうか、が問題となる。一面的な知ったかぶりほど怖いものはないのである。

 他方で、まごうかたなき事実、現実というものがある。超大国アメリカの世界における君臨である。その存在が、世界における戦争の抑止力として作用していて、そのアメリカのパワーと権威が失墜したときの世界的混乱は創造に難くない。そうしたアメリカの突出した軍事・経済力の行使に対して、それが強引になればなるほど中東に限らず世界各地での反発は強くなる。今回のイラク征伐でもそれは顕在化した。にもかかわらず、アメリカを否定して世界の平和や秩序維持はできないという現実がある。考えて見れば、今や「民主帝国」(毎日新聞)とも称される世界に君臨するアメリカと「同盟」関係にある日本は幸せなのであろう。しかし、問題はこれから先にある。
 そうした現実を承知しながら、またその現実が生み出す矛盾を的確に把握し、世界の今後のあり方を考えなければならない。そうしたときに、結論は最終的にアメリカ支持にあるにしても、そのことの持つ意味や影響、マイナスをも含む効果というものを把握し、それに対する日本の役割や日本自身の今後のあり方を考え方向付ける過程を踏む必要があるのではないだろうか。主要な国の今回の対応の仕方を見て、一面的は批評はできるだろうが、各国ともに、ある種国運を賭けて必至の対応をし、国民とも議論を重ねているように思えたが、ひるがえってわが日本を見たとき、具体的な情勢分析とそれに基づく我が国自身の考え方を政府から聞くことがなかったのはあまりにも寂しいかぎりであった。

 それにつけても、政治というものの恐ろしい面を強烈に印象付けられたのは、政治は、数であり、パーセントであるということである。そこには非情なる判断しかなく、その中に具体的に存在する一人ひとりの人間の悲しいドラマは無視されるということである。戦争であれば人的被害者が出るのは当然のことである。より本質的な被害を防ぐためにそれは尊い犠牲であるという以上に、「有意の犠牲」、ときとして死は「生きる」ことをすら意味する。その個々の「犠牲」にとらわれたとき、より大きな本質的な被害を防ぐことはできなくなる。しかし、通常の人間には、一人ひとりの犠牲を平気で乗り越えることはできない。が、政治家はそれを乗り越えなければ、社会や国家や世界の平和と秩序を構築することができない。被害の数量が少ないと予測されれば、武力行使は決断される。これは、経済政策についてもいえるだろう。
 ただそこで問題なのは、平気で一人ひとりの犠牲を無視できる人と、その犠牲に胸をいためつつも大局的は判断を下し実行する人との違いである。結果そのものに大きな違いがない場合もあるかもしれないが、政治に血が通うかどうかの別れがそこに生じるのではないかと思われる。根っからの非情と泣く泣く非情に立つという政治家の見分けはしなければならない。政治家とは大変な器を持つ人たちである。一切の責任を背負い、愚痴を言わず、国家と国民に自らを捧げる人、それを尊敬しないわけにはいかない。政治家とそうではない人との違いというものを今回の対イラク武力征伐に関連して考えさせられざるを得なかった。
 近代の政治というものは、国民各層の利害の調整過程であると認識して今日まで来たけれども、人の死という最高の犠牲を払う事態を考えたとき、そうした利害調整をはるかに超えた次元での役割が本当の政治家には要求されるものなのだということである。政治家自身、政治家に即物的な利益を要求する我々国民自身が自戒しなければならないことである。この積み上げなくして、一見利口そうな方法論や手段をいくら行使し、積み上げても進むべき道は決してよいものにならないであろう。(2003.04.13)


 為政者たちの殺伐たる精神状況を憂う −イラクでの人質解放から−


 今回のイラクでの3人の人質解放は本当にうれしかった。そして続く2人の解放も。ほっとした。この一週間余、何もできない自分が実にもどかしかった。
 4月8日の夜、イラクで人質事件が発生したとのニュースを聞いたときは、ついに来るべきものが来てしまったという思いと、この危険な時に何をしているか、との人質に対する批判的な思いが瞬間的に去来した。が、人質になった人たちの輪郭が分かるにつれ、イラクのために献身してきた、彼女や彼らが人質となったことの皮肉さに、自分の精神が動揺せざるを得なくなった。自分の日常を楽しむことができなくなってしまった。
 今回の事件は報道で連日大きく取り上げられ、いろいろな問題が指摘されている。しかし、今回の解決をめぐっては、真相はなお不明確である。そうした中で、確実なことは、人質となった彼女ら、とりわけ彼女の路上少年たちに対する献身それ自体が解決に大きく作用していたということと、イラクのイスラム教スンニ派の宗教指導部「イラク・イスラム聖職者協会」の呼び掛けに武装グループが応じたということである。そして、それこそ八方手を尽くしたとはいえ、とうとう最後まで、日本政府は直接交渉ができなかったということ。そしてまた、アメリカのイラク攻撃が、今回の人質事件発生の根本にあることと、また、今回の人質解放の時期がファルージャにおける一時停戦などの影響を受けたようであること。これらの意味は今後のために、十分かみしめておく必要がある。
 また、人質家族に対する心ない非難が多くあったらしいことも今回の特徴で、そうした風潮の上であろうか、敢えて危険な国に乗り込んだことに対する「自己責任」を求める政府、政党関係者の発言があった(これらはどちらが先であったのか分からないが)。一方では、その献身性に対する評価と支援があり、他方には、国に対して迷惑をかけているという趣旨での非難が生じたということ。その非難のなかには、登山の遭難と同一視し、解放のために要した費用を賠償させよというような発言まであった。政府や政党のリーダー層のそうした発言は、昨今の小泉改革にみられる「自己責任性」からもきているのかもしれないが、こうした為政者の発言を聞いたとき、何とも殺伐たるものを感じざるを得なかった。個人の献身的な行為であっても、その無謀さが国家に負担をかけることがあるかもしれないが、そうした個人の献身的な善意に対して、国家が賠償を求めるような発想が出てくること自体に、寒々としたものを感じる。うまくはいえないが、今回の自衛隊のイラク派遣には根本的な憲法上の問題と共に、イラク問題でありながらその実、アメリカと日本との関係こそが根本であるという問題がある。そこでは、当面の対北朝鮮問題を指摘する意見すらあった。国家として自衛隊を派遣しているとはいっても、なかなか一概には云々できないこうした状況がある。「責任」ということでは、自衛隊を敢えて派遣したことに対する今後の責任は、極度に高いものがある。イラク戦争に関する十分な情報開示の上での国民合意としての自衛隊派遣であったとはそうは簡単にはいえないであろう。小泉内閣の説明責任がとみに問われている昨今である。
 にもかかわらず、政府の方針に逆らうような個人のイラク入国は、断固として認めず、もしそれを犯した場合には、国家としてはその救済の責任は負わない、仮に救済行動をとる場合には、それに要する費用はその個人に負わすということなのであろうか。なにか、次元が違う気がしてならないのと同時に、強権的な「ファシズム」に通じるような圧迫感を感じるのである。民主的な国家を「構築する」ことよりも、国家意思に従わすことの方により力点が掛けられているのである。また、世論調査で示される国民の考えも、そうした傾向に大きく左右されているようで、はなはだ心許ない状況にある。
 自衛隊のイラク派遣は、イラクは支援を必要としているにもかかわらず危険な状況にあるがゆえになされたのであるが、本当に危険となれば撤退するという。危険を押してということではない。そしてその危険性は、イラク国民との衝突なのである。今やアメリカは、イラクで誰と戦っているのだろうか。旧フセイン政権との戦いよりも、「武装せる」イラク国民との戦いになっているのではないのだろうか。地球規模でのアメリカのリーダー性が崩壊したときの混乱状態を想像することは恐ろしいことではあるが、アフガン−イラクと続いたアメリカの戦争は、今その際に立ちつつある。ブッシュ政権成立以来の“野望”の存在が本当にあったかどうかは我々には分からないことではあるにしても、ブッシュ大統領の元側近の最近の証言や出版物からは「きな臭さ」は払拭できなくなりつつある。
 全体主義的な傾向に陥りやすい日本人が、政府に頼らず、NGOという組織にも所属せず、ただ一人の個人としてイラクのさまよえる子どもたちを、自分のできる範囲において支えてきた人が実在していることの意味は大きいはずだ。小泉内閣以前の対イラクとの親善関係が今なおそれなりに存続していることも今回の事件解決の根底にはあったと見なされているが、より根本は、こうした民間サイドでの信頼関係が築きあげられていたということであろう。解放への呼びかけと解放の実現を果たしてくれた聖職者は、善意の日本国民とアメリカ支援の小泉政権とを分けて、小泉政権には「非難」をよせている。自衛隊には撤退を要求している。これにはサマワとファルージャとの地域的な違い、自衛隊はサマワ以外にはその援助の手をさしのべていないから、という問題もあるが、要するにイラク国民が帰ってくれといっているのに、イラクに留まることの根拠が改めて問題となってくるのである。
 今のイラクを一応支配しているのはアメリカ占領軍である。しかし、イラク全土を実効支配できているわけではない。また、イラク国民自体の統治機能はまだ働かず、第2次世界大戦敗戦後の日本の状況とは事情がおよそ異なっている。統治や政治機能、地域の運営というものがますます混沌としてきている中で、地域地域が武力を備えて自らを維持しつつあり、全国的な統合よりも、下手をすると国家の分解となりかねない。そこに、政治に代わる宗教界の役割がその重要度を増し、今やイラク国家の統合と統治に不可欠の存在となってきているようだ。政府の情報からは、イラクの実相はほとんど理解することはできない。今のイラクは“ならず者国家”ではない。フセイン体制崩壊後の新生イラクに向かっての苦しみの中にある。占領下の国家として、極めて複雑な混乱の中にある。外国人人質問題も、小泉首相のいう「テロに屈して日本の国策を変えるわけにはいかない」というようなピンとの外れた国会での答弁は、日本国民として恥ずかしい。イラク武装勢力を、「テロ勢力」として認識していいのか、イラクへの自衛隊派遣は、そもそもイラクからの要請があって始めて成り立つものであるが、国家としての統治能力に欠ける現在のイラク国家の意思そのものの理解が難しい中で、「日本の国策」とはこの場合何をもっていっているのか、まことに不可解である。
 日本の基本的スタンスは、イラク国民と戦うのではなく、あくまでイラクの復興支援に協力することである。イラク南部の一都市ファルージャの復興支援に一定の貢献をしているとはいっても、今のイラクの諸地域が分立した状態のなかでは、他の地域からすれば、日本はアメリカ占領軍に対する協力で自衛隊を派遣しているという理解になったとしても無理からぬことで、それをもって日本がイラクに文句をいうべき筋合いにはない。
 人質問題があろうとなかろうと、イラク国民から自衛隊の撤退が、しかも今回の人質解放を実現し、イラク中西部での指導力の存在を示した「イラク・イスラム聖職者協会」の幹部自らが要請しているのである。日本が、純粋にイラク国民のために支援するのであれば、この際自衛隊は一旦撤退し、改めて、イラク全体の理解と要請を受けることによって再度派遣するという決断をするべきであろう。そうした形で派遣する場合には、危険だから派遣しないのではなく、危険覚悟の上での派遣継続をするべきであろう。目下のイラクの戦乱状態は、誰と誰との戦いなのかが我々には分かりにくくなっている。繰り返せば、アメリカのフセイン元大統領潰しのはずが、段々イラク各地域のイラク国民たる「武装勢力」との戦闘に変わってきていて、その背景には広範なイラク国民の反米感情の高まりがある。しかも、大量破壊兵器云々のアメリカのイラク戦争の動機付けには、ブッシュ政権の“虚偽”に近い情報操作があったことが明らかになりつつある。日本としても、ここは、これまでの行きがかりをこえて、実態の把握と的確なる認識の上での謙虚なる今後の対応策を検討するべきであろう。行きがかりの上での居丈高さは、国を誤らすことになる。その責任が問われる前に、為政者は、国民と共に考え、歩む根本的な姿勢を大切にしてもらいたいものである。為政者であればあるほど、賢しげな、狭い自己の考えに固執してはならないのである。これは与野党を問わない、最近の傾向への警鐘のつもりである。(2004.4.19)

 


新生銀行にみる恐ろしさと責任の所在


 衝撃的であった。1999年2月に、国有化されていた旧長銀を買い入れた外国資本が、本年2004年2月19日に東京証券取引所に上場し、5年にして一挙に2000億円の“儲け”を得たというニュースが大きく報じられた。多分、外国資本が旧長銀を買い取った当時、こうした状況は想定されていなったのであろうが、当時は当時なりに種々の経過があったようだ。それはさておき、やはりこうした金融問題は、複雑に入り込んでいて、情報がきわめて不十分にしか流されていないこともあり、素人には問題の本質は結局のところ分からない。新聞紙上でも問題の突っ込みはあまりにも不十分である。ために、週刊誌上の問題ともなり、ますます訳が分からなくなり、疑心のみが嵩じることになる。
 が、最近、月刊誌『財界展望』4月号で、新生銀行の内情等に関する二つの記事があった。私たち素人でも分かるように問題点が紹介されている。そこからは、外国資本、すなわちハゲタカファンドの冷徹さと日本の無防備さが浮かび上がっている。しかもそこにある問題は、あらかじめ分かっていたはずのものであったにもかかわらずである。となると、今度はその責任はどうなるのかということが本来はクローズアップされてくるはずなのであるが。
 二つの記事は次の通りである。
伊藤博敏(ジャーナリスト)『「新生銀行」の“課税なき上場”の全内幕』(以下A記事という)
天野隆介(フリーライター)『「新生銀行」7000億円訴訟でひきずる旧長銀処理の“傷跡”』(以下B記事という)

 A記事では、膨大な税金を注入しながら株式上場で多額の利益を上げたにもかかわらず、日本にはそれに対する課税権がないその実情と経緯が明らかにされており、B記事では、株式上場を急いで多額の株式売却益を手にした新生銀行には、旧長銀処理に関わる重大な瑕疵が年内にも現実化する可能性があり、情報開示上の重大な問題があるということが明らかにされている。また、旧長銀を買収したファンドは、政府のいわば金融顧問役(ファイナンシャル・アドバイザー:ゴールドマン・サックス)ともつながっていたという驚くべき事実である。長銀買収のために組織されたファンドの形式上の本社所在地がオランダであり、日本の課税権が及ばないことは、ある種自明の事柄でありながら、それに対する政府の金融顧問役の助言もなく、政府も気づかなかったということになっている。A記事では、「結局、金融面において日本は150年前の鎖国状態と同じ」なんだという民主党の岩国哲人代議士の言を紹介している。
 この新生銀行の株式上場益に対する非課税問題については、去る3月3日の衆議院予算委員会での参考人質疑で、その当時金融再生委員会の事務局長であった森昭治前金融庁長官は「税制上の問題は脇に置こうというのが金融再生委員会の認識だった」と述べている(日経3/5)。
 いったい新生銀行の問題とはどういうものなのであろうか。突如としての株式上場益のみが問題としてショッキングにとりあげられるマスコミの現状からは、本当の問題性は容易に理解できない。それで、長期開発銀行の破たんと国有化、そしてその売却の行われた当時の長銀をめぐる金融行政の解説本をみることにした。
 
  藤井良広『金融再生の誤算』2001.12日本経済新聞社
  日経新聞社編『金融迷走の10年』2000.8.日本経済新聞社
  日経新聞社編『犯意なき過ち 検証バブル』2000.9日本経済新聞社
  西村吉正『金融行政の敗因』1999.10文春新書
  箭内昇『メガバンクの誤算』2002.7中公新書

 これらから問題を整理すると一応次のように理解できる。
1.長期信用銀行は、日本の戦後復興と高度成長を支え、企業が拡大発展することによって自ら資金調達が可能となるに従って、事実上その役割を終焉させてきていた。政府の政策による特殊な銀行で、自ら金融債を発行(政府の財政投融資計画を適用するなど)し、それによって産業振興に投資してきた。
2.バブルの過程で、リゾート開発のイー・アイ・イーインターナショナル(EIEI)などバブル型企業に対する過剰な融資行動をとった結果、バブル崩壊とともに不良債権の山を築くことになった。
3.長銀の破たんとその国有化、そして外国ファンドへの譲渡は、日本の金融システム崩壊が世界恐慌への引き金となりかねない深刻な瀬戸際のなかで進行していた。当時の状況を振り返ってみれば、今でも空恐ろしい感じに襲われる。
4.「護送船団方式」と称される日本の金融行政が行き詰まり、世界的な競争の荒波の中へ行政、金融機関がともに船出してゆかざるを得ない時期にあり、金融行政自体に「護送船団方式」から脱却しきれていない中での動揺と矛盾があり、加えて、連合政権の時代という政権の不安定さと、橋本内閣の財政経済政策の失敗の最中にあった。
5.それは、バブルとその崩壊という戦後未曾有の体験の中で、日本のすべてが混乱状態に陥っていたことでもあったが、とりわけ、銀行、証券、生保業界にその問題性が突出し、接待疑惑など大蔵省自体への不信も極まっていた。
6.経営破たんに直面しつつある長銀について、金融行政も、政治も有効な策を講じることができず、長銀自身にも再建能力が欠如していた。
7.最終的には、長銀の再建問題よりも、金融界全体の危機回避が優先するところとなり、長銀の破たん処理と国有化が決定された。それは、政治(与野党ともに)と金融行政、長銀の三者に共に責任があった。
8.長銀国有化後の長銀の譲渡先選定では、最終的に国内資本には適確な受け手がなく、外国資本においても、最終的には実際に譲渡を受けたニュー・LTCB・パートナーズ(NLP)以外にはなかった。
9.しかし、NLPも、実際には、銀行の譲渡を受けるにはその適格性に重大な疑問があり、これが前例となることによる日本の今後の金融行政のあり方に不安が生じる可能性がある。すなわち、NLPは、リップルウッドが長銀を買い取るために設立した投資ファンドであり、銀行買収の受け皿としての適格性を判断できる実績のある「銀行」ではないということである。銀行ならざる「投資ファンド」にすぎないものである。これは、銀行の親会社の適格性についての国際的な基準(既存の銀行業務を為すものを前提としている)からもはずれたもので、世界で、韓国に続く2番目の国となったというものである(藤井良広『金融再生の誤算』p184)。
10.外国ファンドがオーナーとなった長銀は名称を新生銀行と変更するだけではなく、それまでの護送船団方式、すなわち「横並び」行政の体質を保ちつつ金融システムの危機に対応しようとする金融行政と金融機関の中にあって、他の金融機関との連携よりも、自己の直接的な営業利益を求める「異質性」を発揮することとなり、それが、瑕疵担保条項の執行をはじめとするその後の新生銀行の再生が明らかになるに従って、日本的な非難を受けるもととなった。
11.NLPは、多額の上場益をあげたが、長銀時代のEIEIに対する詐欺的ともいえる手法、すなわちEIEIの再建を掲げて20名を超える行員をEIEIに送り込むと同時に、他の金融機関に追加融資をさせながら、実際にはEIEIの解体処分による抜け駆け的な債権回収を行ってきた(B記事)、そのことが現在の訴訟沙汰として重大な瑕疵を有することになっている。新生銀行(旧長銀)敗訴の可能性が高く、その賠償負担がまたもや日本政府にかかるのかどうかにもよるが、かなり際どいかつ深刻な問題を抱えているといえる。
12.投資先企業を食い尽くす長銀のえげつなさ、これは銀行というもののえげつなさでもあるのだろう。EIEIの高橋治則元代表といえば、東京協和と安全の両信用組合に対する背任容疑で既に2審での有罪判決が下っている(現在上告中)人物であるが、その人物相手にさらにその上前をいく恐ろしさである。
13.NLPの上場時期に対する疑惑もないわけではない。EIEIの破産管財人が今年の1月下旬に新生銀行に対する損害賠償請求訴訟を提起することを発表するが、その直後の2月19日に新生銀行はその株式を上場したのである。金融行政は、その実態を承知した上で、どのような画を描こうとしているのだろうか。
14.ちなみに、5年前にNLPが旧長銀を買い入れた投資額は1210億円。2月19日上場による株式売却額は約2200億円。残りの保有株式には約6800億円の含み益が発生。新生銀行の株式時価評価額は1兆1235億円でりそなナホールディングに次ぐ6番目の位置となる(日経2004.2.20)。投入された公的資金の額は7兆8000億円(最終的な国の損失額は未定)。瑕疵担保条項による債権買い取り額は8530億円である。

 思いつくままに問題を列記していくと以上のようになるが、そこから浮かんでくる問題は、本稿冒頭のショックを遙かに超えた根深い問題が存在することをうかがわせる。金融問題の表面で喧伝される通り一遍の問題の背景を我々は手探りでも理解していかないと、我々自身とんでもない誤った考えに陥る危険性がある。
 いまなお進行中の新生銀行=旧長銀問題は、バブル崩壊後の金融危機の深刻さとそれに対する政府、金融行政の遅れと迷走、それに翻弄されながらの銀行自身の解決能力の弱さとえげつなさ、さらには外資の営業利益至上主義の恐ろしさとそれに対する日本の無知、無責任性が顕わにされているのである。実相と本当のところを知るための我々自身の努力もなかなかに大変ではあるものの、政府や金融界からの通り一遍の情報で操作されないためには、やはり知るための努力は続けなければならないのであろう。

 なお、以下の解説は理解に有用である。
  「新生銀=RCC密約説を追う」(『エコノミスト』2004.4.27)
  「新生銀の訴訟案件 巨額賠償のリスク残る 負担巡り国と対立も」(日経編集委員・藤井良広 日経2004.2.21)
(2004.4.30)


アメリカの現実的知性 絶えざる「事実・現実の認識」から
  −「賢さの罠」と必要な「志の高さ」−

 ブッシュ米大統領が、イラク戦争を開始する前に、ボブ・ウッドワードの『ブッシュの戦争』(日本経済新聞社)を読み、ブッシュ大統領によるイラク戦争を確信した。だが、ブッシュ大統領がイラク戦争を仕掛けるだろうことをいくら確信したからといって、何の役にも立たず、憂鬱になるだけだった。強引な戦争は、結局引くに引けない泥沼となり、今に至るも犠牲者の増加とテロの拡大を生んでいる。この後、世界とアメリカは、そして小泉内閣率いる日本はどうなるのだろう、と危機感は募るばかりであった。
 が、今月にはいって、『忠誠の代償−ホワイトハウスの嘘と裏切り』(ロン・サスキンド 日本経済新聞社)を読んだ。ネオコンに象徴されるような現在のアメリカの原理主義的な政権に対して、「事実」をもとに政策を考える怜悧な人物が、政権誕生当初からブッシュ政権の主要閣僚ポストに就任していたこと、それこそがアメリカの合理的知性であり、あくまで「事実・現実」を政策の基盤とする揺るぎない信念に裏打ちされた人物の存在に深い感動を覚えずにはおられなかった。しかし、ブッシュ政権が問答無用にイラク征伐の戦争を仕掛ける頃には、この人物は更迭される。当然といえば当然のことであろう。その人物は、オニール前財務長官である。
 同書では、「自分という人間とそのファミリーに忠実であることを相手に求める」ブッシュ政権と、その中にあってあくまで「事実に基づく」政策を信条とする異分子オニール財務長官とのぎくしゃくとした葛藤が詳細に明らかにされている。特に事実に基づくという点で全く同じ立場に立つFRBのグリーンスパン議長との時々における金融財政経済状況の認識のすり合わせとそこから生まれる合理的な政策には救いを感じる。が、ブッシュ政権はそうした事実に基づく政策よりは、思いやあらかじめ用意された意図を貫く度合いを強め、そのギャップがオニール財務長官の更迭となる。そこには、オニール前財務長官のような徹底した事実を大切にする政権スタッフの存在が本来大切であるにもかかわらず、現実にはそれを政権の意図を貫くための障害物として排除する姿が浮き彫りにされている。

 ひるがえって、我が国の小泉政権をみた場合、閣僚の小泉首相への忠誠とそれを求める小泉首相の姿は、ブッシュ政権のそれといかに似通っているか。日本の現状の徹底した現実分析の中から政策が生み出されるのではなく、小泉首相の思いに賛同しその指示に従うか否かが人材登用の物差しにもなっている。
 時代が難しくあれあるほど、一人の思いこみからではなく、過去の経緯と現実分析の上での徹底した検討の中で将来課題を見いだすのでなければ、本来の指針は生まれてこないし、また、国民の共有課題とはならない。
 アメリカの大統領であればなおのこと、日本の首相にしても、その地位に付くには、その個人にとどまらない周辺をも含んだ、政権を担うための営々とした努力が本来必要である。物事を変革するにしてもこれまでの経緯を十分わきまえなければ、単なる目先を変えるだけか、あるいはとんでもない破壊をもたらすことになる。国家のリーダーには、それ相当の備えがあらかじめ必要とされよう。国家権力を握るということは、アメリカの大統領であれ、日本の首相であれ、相当なる独裁力を持つことになるのは、昨今の状況から明らかである。そのため、心の弱さやためらいさえなければ、誰でもその権力を行使することは可能である。しかも恣意的に。それだけに、最高権力者には、個人の欲望を超えた国家に殉ずる意思と見識が要求されるし、またそのための基盤がなければならない。

 視点を変えて、このたびの7・11参議院選挙での民主党の躍進と自民党の党的基盤の弱体化には目を見張るものがあった。二大政党制と政権交代も現実のものとなりつつある。しかし、その二大政党を構成する個々の議員の実際をみた場合、政策的にどれほどの違いがあるのだろうか。二大政党制とは、もともと根本においてそうたいした違いがないことが前提であるかのようなことがいわれてもきたが、その意味では、小選挙区制の効果によるだけではなく、議員の意識や基盤にも同質性が育ってきたのであろうか。そこでかつての古典的ともいうべき議員との違いをみると、昨今の若手議員は政策を得意とする「賢く」「スマートな」議員が増えてきている。それらの議員の多くは、主義主張よりは、己の知恵と政策的アイデアをその売りとしているようだ。その政策は、自民であれ、民主であれ、どちらにでも通用するものである。たとえば、小泉改革の初期において、自民党よりは、民主党の若手の支持が強かったのはその現れであったろう。
 そこで感じるのは、戦後政治が定着してくる中で、政治家の多くは、各利害集団の指導者たちのなかからその実績を背景にして登場するようになってきたが、それらの政治家は、必ずしも各利害集団のトップリーダーではなかった。そのことが、政治家というものの地盤沈下をもたらせた一つの要因ともなったが、昨今の若手政治家は、そうした既成集団での成功の上にではなく、最初から自己の可能性を求めて政治家への道を歩んでいるようである。松下政経塾などはその代表例である。そこからは、たたき上げではなく、頭脳明晰な若い政治家が誕生してくる。が、そこに一抹の不安を感じているのは私だけなのであろうか。その不安というのは、「賢さの罠」のようなものである。
 政治は、多数国民の幸福を追求するものでなければならない。多数国民を前提とする限り、一人の知恵で政治は行われてはならない。「賢さ」は捨てなければならない、一人の知恵は、捨てなければならないのではないだろうか。政治家は、その己の自己実現のためにあるのではなく、国民全体の国民の自己実現のためにこそあるのであり、その国民の幸福追求、そのための「国民の国家」に殉ずる志が求められるのである。「賢さ」や「知恵」は、政治家個人の自己実現に陥ってしまう危険性が多分にあり、それが「賢さの罠」というべきものである。それは、我が国と世界の大道を見失い、危険に陥れていくように思われてならない。
 過去の経緯を知り、現実を十分分析し、そこから課題を見いだした後に先験的な頭脳を働かせる、そうしたことの大切さと、それが欠如した場合の恐ろしさを、冒頭に紹介したオニール元財務長官を記述した『忠誠の代償−ホワイトハウスの嘘と裏切り』は教えているようである。政治家や官僚は、自己実現ではなく、本当の意味での高い志が要求されているのではないだろうか。それに応える人材が輩出してくることを心から願っている。「志の高さ」を求めたい。(2004.7.24)


日銀の独立性について


 ホリエモン・ライブドアから村上ファンドに展開した株価操作にかかる事件は、福井日銀総裁の村上ファンドへの投資というインサイダーまがいの問題を明るみにさらした。政府から独立し、もっとも公平かつ公正であらねばならない日銀の最高責任者が、村上ファンド創設当初から今年の2月まで1000万円を投資し続け、その運用益は実に1473万円に上っていたという驚くべき事実が、6月20日福井総裁が国会に提出した資料で明らかになった。当然のこととして、福井総裁に対する批判、非難は激しく、野党からは辞任を要求する声が上がっているものの、小泉首相や政府与党は辞任するほどの問題ではないとする見解が示されている。肝心の第164通常国会は、すでに6月18日に閉幕している。

 ここでは、こうした株式市場に関わるそれ自体の問題ではなく、これに関連して生じる危険性のある日銀の独立性の問題を取り上げることにした。そこで、先に断っておかなければならないことがある。それは、日銀の独立性に関しては、筆者は、日銀に対する不信感からその独立性に疑問を持っていた。政府権力から離れて独立した日銀は、その直接的な責任を誰に、どのように負うのか、という問題が担保されていないからであり、政府権力は、それが良かれ悪しかれ国民に対して責任を持っているからである。が、昨今の動きからは、そうした政府権力に対する一般論的な認識がいかに甘いものであるかということを思い知らされるようになってきていた。それは、日銀が政府に埋没することへの怖さを、昨年来の小泉政権で見せ付けられたからだった。

 さて、“福井スキャンダル”とされる今回の問題は、日銀の独立性に影を落とすことにならないかという危惧がある(「“福井スキャンダル”噴出で手足縛られる日銀の金融政策」週刊ダイヤモンド06/0624)。問題がぐるぐる展開していく間に、結局ことの本質からはずれて妙な副産物が生み出されることがままあるが、ホリエモンや村上ファンド問題は、今の段階ではまだ局地的な領域の問題であるが、日銀の独立性が脅かされることになると、それこそ将来に及ぶ根本的な禍根を残すことになる。そこで、日銀の独立性の大切さとは何かを考えなければならないが、それは、同時に政府権力というものの負の面の怖さを知ることでもある。

 その誕生以来、有効なデフレ対策を講じる意思を持っていなかった小泉政権は、デフレ対策の責任をほとんど日銀に押しつけてきた。それでも昨年来、多くの犠牲をうんだ極度のリストラなどによる産業界の自律的な回復による景気回復を「小泉構造改革の成果」と断定する。そしていよいよデフレ脱却を前にしての昨秋来の微妙な時期に、日銀の量的金融緩和政策解除への動きに対し、政府サイドの反対は常軌を逸したものとなった。政策論をはるかに超える政府サイドの日銀に対する強圧的な態度は、昨年11月の中川自民党政調会長の言で極まった。要するに、政府、自民党の主張に合わさなければ、日銀法を改正して再び政府の監督下に戻すという趣旨である。日銀が財務省傘下にあったならばひとたまりもなかったであろう。この時ばかりは、よくぞ日銀が独立していたものぞ、と思った。この前後、小泉首相を始め、安倍官房長官なども福井総裁が量的緩和への意欲を示していることに関して、デフレ脱却に向けて、政府・与党へ政策協力を求める日銀への牽制が盛んに行われていた時期であった。
 中川秀直自民党政調会長は、昨年11月13日、京都市内で、「政策目標について日銀に独立性なんてない。それが分からないようであれば、日銀法改正を視野に入れる」と日銀を強くけん制し、「中央銀行は、常に国民が選んだ政権と政策目標を合致させていく責任がある」と指摘した(日経2005.11/14)。政権と日銀との政策協調は当然そうあるべきではあるが、この当時の政権と与党の言い分は、日銀が政権の政策目標に合わすことが当然である、自民党の政権公約である名目経済成長率2%以上という「政策目標を(日銀が)共有しているか」を問うという一方的なもの(日経2005.11/19)である。通貨政策は、時の権力の恣意に左右されることなく純粋に通貨、物価対策として進めなければ間違いを犯すことになるというのが欧米の中央銀行が独立するに至った教訓である。「日銀に独立性なんてない」という政権党の態度はまさしく前時代的な強圧的態度で、自己の政治的都合に従えばいいというもので、国民主権や民主性を云々する資格はない。
 小泉政権になるまでの日銀は、政府の経済財政政策に対して事毎に逆を行き、足引張りをしてきた。けれども、小泉政権下で就任した福井現総裁になって、小泉政権が現実にはデフレを促進するがごとき政策をとっていたにもかかわらず、デフレ克服のための超金融緩和策を継続し、その政策には、大蔵省出身の前任者と違う安心感があった。経済状況を見極めながら、量的金融緩和策の終結に向かって、昨秋以来見解をオープンにして着々と進めてきた。市場もおおむね肯定的に受け止めてきたのである。通貨の量的緩和とゼロ金利という超金融緩和策は、長期デフレという異常な経済状況のもとでの最終的な通貨政策であるだけに、他方におけるその歪みは、一部における資産バブルや急激な株価上昇などに現れていた。FRB(米連邦準備委員会)議長であったグリースパンの軌跡をたどると、通貨政策がいかに経済状況に対する具体的な状況把握による先見性を必要とするものであるかが分かる。問題が顕在化する前に、いかに的確に早く問題を把握し、通貨政策を緩やかな段階で実行するかである。数年前のアメリカのデフレへの危機の回避は、政策の遅れが日本のデフレを深刻化させたという教訓に学んだものであった。アメリカでも、FRBを政府の統轄下に置こうという動きはなく、その独立性は保障されており、それが故に有効な通貨政策を実施することが可能であったと言える。ただ、通貨政策は、常に実態経済に対するものであり、一本調子でいくものではなく、過去の日銀がそうであったように、後手後手になることなく、先手先手を永遠に続けなければならないものであり、そこに政治の介入は許されないといえよう。こうしたことに言及すると問題は深く、また専門的にも際限のない広がりを持つが、今回の量的金融緩和解除をめぐる問題は、次の点に要約されよう。
 一つは、景気が回復軌道に乗り、デフレが解消しつつあること、二つは、バブルの再来とまではいかないが、超金融緩和策の弊害が生じつつあること、従って三つには、日銀の量的金融緩和策解除は時間の問題となりつつあったこと、四つには、緊縮財政を一貫して続ける政府としては、累積する国債の金利問題もあり、デフレを日銀の問題としてその責任を日銀に転嫁してきたこと、五つには、今回に関しては、日銀に非は見られず、市場も肯定的ですでに適応していた、ということであろうか。

 さて、ここで発生した“福井スキャンダル”である。政府・与党としては、福井総裁をかばうことによって日銀をコントロールしようとするのは、当然の成り行きであろう。3月の量的緩和解除決定の時に、インフレ目標ではないが中長期的な物価安定の理解として「0-2%」の数値を示したのも政府に対する妥協であったというのが大方の見方であることからも、日銀の独立性が実態的に空洞化する危険に差し迫っているといえよう。世界に通用する福井総裁というある意味で最後の有為の日銀プリンスが、この舵取りの微妙な時期に退任し、或いは日銀が政府・与党権力の恣意に下ることになるといかにも残念なことである。しかもその原因が、福井総裁自身のまさしく身の不徳にあるだけに何ともやりきれないものが残る。

 そこで問われるのは、公的権力を担うものの身の潔白性である。今、規制緩和や自由化、官から民への事業の移行と人材の交流が激しくなってきているが、その根本に、民と公との違いというものがどれほど理解されているのかという問題が存在する。一人の人間が気軽に民と官(公)とを行き来することで、本来の公平、公正というものがどこまで確保出来るのかは重要な問題である。私的利益を追求して一定の立場に立った者が、次の瞬間、公すなわち、全ての人の利害をわきまえて公平かつ公正な立場に立ちきることは困難なことである。同時に、私的利益の追求には身ぎれいでなければならない。それだけではなく、身内や周辺の縁者に対する利益擁護も避けなければならない。公に集まる情報は金に換えようとするならいくらでも可能である。それを断つ覚悟やいかに、ということになる。総理や大臣、国会議員、政府高官はいうに及ばず各種審議会や委員会への参画も「公」である。規制改革の総本山である「規制改革・民間開放推進会議」議長の宮内義彦・オリックス会長についても規制緩和と利権との関係でとかくの噂があるが、今回の村上ファンド事件では、福井日銀総裁以上に村上ファンドの産みの親ともいうべき実態が明らかになってきた。公的立場を私的利益に活用しないということ、発想や思考を「私」から「公」に高めること、それらが自然に出来るというように考えるほど、「公」というものはなまやさしいものではない。が、今や「公」自身が内から崩壊しつつあるように見受けられるが、実はその多くは、政治家による責任転嫁であり、政治が正常になれば、官も自ずから正常になる要素が多い。そうした問題は、また別の機会を待ちたい。ここでいいたいことは、要するに、公に立つ者は、政策樹立やその実行力を云々する前に、まず、自らを厳しく律する覚悟を持つことが不可欠の条件となることを、今回の“福井スキャンダル”は明示したのである。

 なお、日銀の独立によって担保されなければならない責任性については種々のことが考えられるが、少なくとも、アメリカFRBの例も参考にして、四半期毎程度に、日銀総裁による国会報告を行うことは有効なものと考えられよう。

(2006.06.20)


『円の支配者』から伊東光晴『日本経済を問う』へ
 −読めてくる政治からの経済政策−

 2001年春、リチャード・A・ヴェルナー著『円の支配者』に衝撃的な触発を受け、通貨政策を中心とした戦後と現在の経済問題に関する出版物を読みあさった。時あたかも小泉内閣の誕生があり、その直後9.11米同時多発テロとブッシュ政権の対テロ戦争の開始など、これまでの世界やわが国のありようがどんでん返しをするような衝撃が同時に進行する。それらをいかに読み解き、これからをいかに考えるのか、「非常時」的な心理状況の中で、その作業の基礎に経済問題を置いて今日までのほぼ5年間を来た。少なくとも、小泉政権が終わるまでには自分なりの答えを持とうとして2,3年の間は必至に勉強して相当に疲れたが、小泉政権終了までには何とかおおよその見通しを持つことができるようにはなった。しかし何分、自分の専門領域のことではなく、また同時に総合的な思考を必要とするがゆえに確信を持って断言できうるところまでは来ていなかった。が、今回、これまでからそれなりに注目していた伊東光晴京都大学名誉教授の『日本経済を問う』(岩波書店2006.11)を拝読し、こうではないかと考えていた多くの事柄に結論が与えられていて、ようやく2001年以来5年にわたる作業に一応の段落をつけることができたようだ。また、同時期の出版に、これもこれまでから注目していたノーベル経済学賞受賞のジョセフ・E・スティグリッツ コロンビア大学教授の『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』(徳間書店2006.11)もあり、大いに確信させられるものがあった。
 対イラク戦争は泥沼化し、世界秩序は揺れ動き、かつてアメリカ一国主義のもとで自明の理のように語られた「グローバルスタンダード」そのものが一体どういうものかも明らかになりつつある。世界は今、アメリカの威信と力量が低下しつつある課程で、ヨーロッパや中・ロ、さらに台頭しつつあるインド、さらには中近東一帯の石油と民族問題、そして世界各地の発展途上国問題など多種多様な問題状況の中での他文化、多国間秩序の新たな構築が、苦しみつつ模索されている。その一部には、北朝鮮やイランの核開発問題などもあるが、これとても単にその国一国の問題というよりは、アメリカを軸とする国家間の軋轢という相対的な関係の中での問題であるのは明らかである。そして、それらの問題の根底には、常に経済的利害が伏在している。
 外交というものはもちろんのこと極めて複雑にして難しい。しかし、外国との関係を国内の政治問題として利用する、すなはち、時の政権が国民の求心力をつけるために悪利用するのは洋の東西を問わず、国家権力というものにはつきもののようである。一面的な愛国心、ナショナリズムを煽ることによって時の政権は強力となる。その最近の例はアメリカのブッシュ政権による対テロ戦争そのものであったし、現在のわが国もそうした危惧の中にあるといえる。
 政治の世界と経済の世界とは別であり、発展した民主主義国家では「政教」分離だけではなく、「政経」分離もまた確立しているはずなのに、実際は必ずしもそうではない。小泉内閣の「構造改革」は、経済的利害を政治上の課題としていたし、安倍内閣における予算編成や税制改革論議をみていると経済的利害の実現をめぐる調整作業ともいえそうである。こうなると、政治の絵解きは、経済からしなければならない。しかし、政治がすべて経済に包み込まれるものではもちろんなく、それだけに政治からの経済への認識の深さは強く要求されるものである。
 おおざっぱに見て、いま、自民党で改革を叫んでいる層と民主党の政策活動に意欲を持つ若手層を見た場合、両者の間に大きな隔たりはあまり無さそうである。それが、小泉改革に対する民主党の対応の仕方の分かりにくさとなっていたし、根本的に自民党と野党である民主党との違いを分かりにくくしている面でもあり、それはいかにも当然のことであるのかもしれない。。
 いわゆる怜悧な頭脳や賢い頭は、得てして直面するその時々の問題に目を奪われ、遠く、大きな流れを見失いがちとなる。混迷する時代、経済的なパイが拡大しない時代にあって、「智恵」の必要性が盛んに喧伝されてるが、今必要なのは私たちはいま、どういう位置にあるかという基本的な枠組みの理解ではないだろうか。「策」ばかりが横行して根本的、本質的なことが見失われているのではないだろうか。21世紀に入ってこの方、あまりにもじたばたし過ぎてきたのではないか。いったんデフレに突入した場合には、もはや政治的に有効な手だてはないにもかかわらず、「構造改革」でデフレが打開できるような錯覚を与えられ、かえってデフレを長引かせてしまったことなどもその一例である。
 私自身は、経済をベースにしたこの数年間の勉強に一段落をつけ、元気さが少しでも残っている間は、地方自治や都市政策を念頭に置いた課題についてこれから考えていきたいと思っている。21世紀初頭の上記の検証も、いずれやってみたいと考えている。

 なお、伊東光晴『日本経済を問う』のごく一端をいかに紹介します。
  (*印は、筆者のコメント。p・・は同書でおおむね記載されているページを指す)
・まず、サブタイトルは「誤った理論は誤った政策を導く」で、昨今のアメリカの市場原理主義的な経済理論は実証的裏付けはなく、イデオロギーであり、それを鵜呑みにした若い日本の研究者を活用した日本の経済金融政策は当然のこととして間違いを起こしてきたという厳しさが全体を貫いています。
・アメリカは「回転ドア」で、政治行政界と経済金融界とが行き来していて、経済金融界と政治とが融合している。p2
 *日本の官僚制との違い。行政の公平性の確保はいかになされるのか。
・日本の経済政策は、現実に必要なこととは全く逆をとってきた。p75
  *意図的にか、或いは不明からか!
・1970年代から80年代の金融行政は、規制緩和の名の下に日本の銀行の最大の顧客先である優良企業を銀行から奪おうというものであった。不思議なのは経済界の中心にいて経済団体の中で強い発言力を持っている銀行業界が自らの経営基盤を崩すこうした間接金融から直接金融への政策転換を傍観していたこと。p80
・1990年代不況の要因は、金融の規制緩和とバブル発生をもたらせた規制緩和にあるp86
・株式自由化と規律の遅れが、アメリカでは違法行為である株式の「空売り」で拓銀と山一が破綻した。p101 過度な投機を発生させたのは、市場主義の時流に政策当局がおもねたためである。投機の弊害を予防するには、それに即応する規制が必要p143
・歴史の教訓は、大不況を発生させない予防策を講じること。大不況になってしまえば解決策はない。p103 1990年代から2000年代にかけて、意図せざるリフレーションせいさくのなかにあったが、激しい不況には効果を持たない。「激しい不況」には治療よりも予防が必要で、予防の段階で食い止めなければならない。p136
  *アメリカFRBのデフレ予防策は、まさに日本のデフレから学んでいた。
・投機や短期所有株式の促進、擁護ではなく、長期所有の安定株主が大切p104 
  *村上ファンドやホリエモンはまさにこの売却による収益を目的とした短期所有株主であり、それによる投機であった。(経済や企業の長期的かつ健全な育成が目的ではない)
・バブル崩壊後の不況に対して有効な政策がなかったのは、企業の経費削減(人件費など)額が80兆円にも達していて、政府の30兆円の国債発行では追いつかなかったから。1990-94年のキャピタルロスは100兆円以上であった。p111
・今回の景気回復は、輸出による有効需要の増加と、古典的景気循環があったからであるが、古典的景気循環はまだ本来的なものにはなっていない。p114
・「シュンペーターは、理論と現実を結びつける経済政策は、よほど能力のある者でなければ行ってはならないとして、少数の人だけにこれをすすめたという。」p120
  *仮説を現実に実行することの恐ろしさを自覚しない、また将来に対する本当の責任感を持たない、断定的な言動を弄する現在のエコノミストや経済学者はもって反省するべきであろうし、我々も「経済専門家」の言動を単純に信用することには慎重でなければならないことを示している。
・消費支出の増大がなければ不況は緩和されない。p123
 これに対して減税や低金利政策も有効ではない。副作用が大きすぎることもある。
 政府の政策投資は、所得減少を食い止める役割を果たした。p130
  *減税や低金利政策に惑わされていることを知る必要があると同時に、政府の公共投資をいかにも有害視する主張にも幻惑されないようにしなければならない。
・小泉内閣は、生活や消費行為に北風を当てるとともに、「経済白書」をつぶした。p133
  *経済白書は、戦後わが国の経済活動の客観的な指標として活用されてきたものであるが、これが小泉構造改革の一環として「経済財政白書」に変えられた。ところが、「経済財政白書」は、「改革なくして成長なし」という表題が示すように、もはや政府の宣伝媒体となり、その客観性を喪失した。これなどは、本当は、国民に真実の経済分析と評価を委ねるという情報開示の本来の姿を否定したものであり、ことは重大であるはずなのだが。
・日銀の「量的緩和政策は、観念の産物であって現実に有効な政策ではない」。また、「規制緩和と景気上昇との間に論理の架け橋がない」。「量的緩和政策、インフレ目標値設定の功績は・・・・不況の責任を日本銀行にあるとして、政府の責任を免れさせる点にあった」「それゆえに、誤れる理論が利用された」。「この説の主張者たちは、批判に耳を傾けることなく、現実にも、歴史に学ばない憶測経済学をふりまわしている」p135
  *「量的緩和」も「規制緩和」も、景気対策には直結しないにもかかわらず、小泉構造改革では、規制緩和を柱とする「構造改革」が、「経済成長」をもたらすと「断定」して実行されてきた。
・インフレや通貨量の増加は中央銀行の金融政策で抑えることができるがが、貨幣通貨量を増やしたり、デフレを解決することは中央銀行の政策によって実現することはできない。イギリスの経済学者の間では、このことは立場をこえて「貨幣政策の非対称性」として共通認識になっている。が、日本の政策当局のとった政策は、この考えの逆であった。
・経済政策はタイミングが適当でないと有効性がない。「古典的景気循環」の上昇過程を迎えるまでは有効策はない。p144
・赤字国債の発行の止めどがなくなったのは1996年度以降、とりわけ小泉内閣からである。p151
  *小泉内閣の最初の国債発行額「30兆」には、その本質的な意味説明はなかった。
・税による所得の再配分機能は現実にはほとんどない。p155
・高齢化社会への所得の再配分効果は社会保障給付に移らざるを得ず、それには付加価値税の活用が必要。p156
  *日本の現行消費税制は、必ずしも西欧で実施されている付加価値税ではなく、税の公平性に欠ける。
・所得格差は、1980年代−90年代にかなり拡大し、90年代不況が20代の若年者の雇用を直撃している。p170
・規制緩和はイデオロギーで、重大な問題として職場を崩した。おいしいところをつまみ食いしている。p176労働者派遣法は、ダーティーな二重構造を持った大企業の多くが利用した。p178戦後の労働政策は、「規制緩和」というイデオロギーによって崩壊しだしている。「同一労働同一賃金の原則」という面の国際化を拒否する日本の政財界は、戦前の尾を引いている。180
  *規制緩和は、都市公共交通でも儲かる路線でまさに「おいしいところ」のつまみ食いが行われようとし、京都市でも大問題となった。
・1980年代以降の歴代内閣がやったことは、戦後積み上げてきた老後の安定の基礎を崩すことであった(高齢化が進展する中で)。p184
・わが国財政が今直面する二つの問題は、高齢化の波と放置し続けた財政赤字の累積の重圧で、その解決には、増税以外にない。しかし、日本は、「タックスパラダイスの国」であり、税収調達機能の減退がある。p190
・会社は誰のためにあるのか。ヨーロッパでは、「ステイクホルダー・カンパニー」(利害関係者の社会責任を持った会社)であり、現在のアメリカでは「ストックホルダー・カンパニー」(株主資本主義)である。p39,211
  *株主資本主義は、アメリカでも近年の産物であり、その弊害は顕在化し、修正されつつあるが、日本では未だにその弊害を修正することなく導入しつつある。グローバル化し尽くした世界経済にあっては、ヨーロッパ型の社会責任を持った会社が今後の主流とならなければならないであろう。

                                                       (2007.1.1)


郵政選挙によるバブル国会のツケ


 奇策はどこまで行っても奇策に過ぎず、その時はうまくいっても結局は将来に対して禍根を残す。
 一昨年の小泉総理による無謀なる郵政解散で、衆議院はまさしく与党・自民党のバブルとなった。未曾有の与党絶対多数の国会勢力であってみれば、所詮は何でも与党・自民党の思いのままで、基本的には議論も何もあったものではない。逆から見れば、野党の無力感たるや全く甚だしい限りである。いかにまっとうな追及を行ったところで、与党に無視されればそれでおしまいである。
 が、それにしては今国会はもたつきすぎていた。結果、強行採決のオンパレードが続いた。そこには、予期せぬ事態が諸々発生してきたとはいえ、与党の気のゆるみのようなものが見えている。絶対多数の勢力を背景に、何でも意のままであることからくる我欲の高まりが根底にあるのであろう。国民との本当の意味での意思疎通に大いなる怠慢が生じているに違いない。
 郵政選挙は、あくまで郵政民営化を争点とした小泉元総理の一発逆転の選挙であった。郵政民営化法が成立してしまえば、その後の政治のあり方は、改めて国民に問うのが郵政選挙の筋というものであろう。参議院での否決を理由に衆議院を解散するなど憲法上の疑義まで生じた選挙であって見ればなおさらのことである。にもかかわらず、政権は小泉内閣から安倍内閣に交代した。明らかに小泉内閣のスタンスとは異なった政権となっていて、その是非は別にして、小泉内閣ではやらなかったであろう郵政反対者の復党や教育基本法の改正、憲法改正への手続き法の制定など多数を頼んでの強行続きである。二度と再びないであろう圧倒的多数の国会勢力のある間に、通せるものは何でも通せと励んでいるように見える。まさに国会与党勢力のバブルである。郵政選挙で、国民はこうした状態を選択したのであろうか。郵政民営化を争点に勝利するや、あとは何でも行け行けでは、あまりにも国民をたぶらかしたことになりはしないか。しかし、政治とはそうしたものだ、といってしまえば、今度は、郵政選挙で与党を勝利させた国民が馬鹿だった、その報いを今受けているということになる。
 いずれにしても、郵政選挙によって、国会は与党バブルとなり、政治のタガは弛緩し、野党は無力となり、結果、今やはっちゃかめっちゃかの様相を呈してきている。我が日本は、何を主軸としてこれからの国のかたちを構築していくのかの根本を問わないままに、それぞれが、相手叩きや、当面の利益を求めてのぶんどり合戦をしているようだ。
 当面する参議院議員選挙は、マニフェスト(政権公約)選挙などではなく、要するに与党を勝たすのか野党を勝たすのか、それだけの選挙となってしまっている。
 郵政選挙は育ちかけたマニフェスト選挙をむなしいものにした。今時の参院選挙も、こまかな政策など問う選挙ではない。これが政治の現実であってみれば、マニフェストという技術的な問題で政治を矮小化することの無理さ加減も相当に明らかになってきたといえるであろう。国政選挙は、もっと国政の基本的な枠組み、方向付けをめぐって行われるべきものであろう。
 いったんは小泉元総理に乗せられた、というよりもうまくはめられた国民の反乱がどう出るか、国会バブルがどうはじけるか。最高の頂点は、過去の経験に照らしていえば、奈落への出発点である。社会党解体もそうであった。「山が動いた」その直後から凋落を開始した。
 政治には理性が不可欠である。政治的リーダーシップにはいささかの疑問なしとはしなかったが、戦後わが国の知的政治家の頂点にあった宮沢元総理の逝去が、理性を欠く現在の政治状況と重なっているのは残念なことである。
 政治には、最近はやりの「鈍感力」といった低次元のものではなく、また、小賢しさや個々の知恵ではなく、根本的な本質をとらえて揺らがない、国家、国民に殉じる志の士が必要なのだが。
 政治に裏切られ続けてきた国民の反応がどう出るのか、その後の国会がどう揺らぐのか、我々も、今や生活を賭けて見守らざるを得ない。
                                             (2007.7.2)


政権交代の衝撃〜期待と高まる不安〜

  自民党の衰退と小選挙区制

 今回の政権交代の衆議院選挙は、前回の小泉政権による郵政選挙の裏返しのような形であったといえる。この結果からしても、奇策としての郵政選挙は奇策でしかなかったことが証明されたといえよう。前回の自民党の圧勝に対して、今回は民主党の圧勝となったのである。これは、小選挙区制の恐ろしさであるが、このように選挙結果が大きく振れることは、政治や社会のこれまでの仕組みが崩れ、動揺していることの結果でもあるといえよう。

 今回の自公政権から民主党を中心とした3党連合政権への政権の交代劇を明治維新に匹敵する変革とする見方もあるが、ここは少し冷静に考えた方がよい。
 確かに、現在の時代的な位置は、明治維新以来、また、戦後改革以来の変革期を迎えている時代であるということはできよう。しかし、明治維新や、戦後改革と決定的に異なるのは、明治維新や戦後改革は、内乱や敗戦という破壊の中からの新しい国の構築であった。それに対して現在は、それなりに定着し、発展した民主主義のなかでの政権交代に過ぎない。自民党一党(後半はそうではなくなっていたが)体制が長く安定して続いていた政治が最終的に崩壊したという意味では、劇的であり、今後の日本政治が大きく変わる条件となる。しかし、その変化は、すでに時代の変化と共に、1990年代を通して、さらにいえば、1980年代から徐々に生じてきていたものである。時代の変化と政治の変化とが互いに因となり果となる因果関係のなかで、その変化は拡大し、遂には、日本の経済・社会の低迷と政治の転換をもたらせたのである。その良否の判断はなかなかにむずかしいものがある。
 政権交代をどう見るかは、現在の日本の課題をどう認識するかにかかっている。それには、現在の日本の抱えている諸問題と戦後日本の総括が必要である。それに対して、政治がどう応えようとしているのかである。民主主義のもとでの政党に対する評価は、これまたなかなかにむずかしい。与党対野党との関係で、互いにあい異なる主張を展開する。民主党は、自民党と異なる主張を国民に訴えて勝利した。そこには、妥当なものやそうでないもの、或いは軽々には即断できないものなどがある。ながく続きすぎたが故の自民党政権の悪弊を打ち破るには大いなるチャンスではあるが、何を変え、何を継承するかの見極めは大切である。

 今回の政権交代は、自民党の衰退と小選挙区制という選挙の仕組みが結びついて生じたものである。おそらく小選挙区制でなくとも政権交代は起こったであろうけれども、これ程の劇的な交代は小選挙区制のおかげである。それだけに、小選挙区制というものの恐ろしさを改めて認識せざるを得ない。民主政治が、必ずしもまだ成熟した段階を迎えているとはいえないわが国において、党と政権との関係が十分整理されておらず、そのために、これまでの自民党による政治体制から、民主党による政治体制へと転換するだけであれば、ある意味での一党独裁体制という政治システムは変わらないことになる。成熟した民主主義の段階では、政治システムは、政党との関係では中立的でなければならない。政党は、国民の特定利害を代表することが可能であるが、政権は、全ての国民の利害を代表しなければならない。党運営と政権運営とは、この点で根本的に異なる。党の公約も、政権としてそれを実行するには、全国民的な利害実現の上に立って、改めて検証することなくして実行することは許されないのである。

 戦後日本は、あたかも変わることのない「自民党永久政権」のもとで政治行政のみならず社会のシステムも形成されてきた。この仕組みが瓦解してきているとはいえ、基本的にはなおこの仕組みの存続するなかでの政権交代は、新たな政権運営が容易ならざるものであることを示している。しかも、新政権は統治経験がないのである。そこで想起されるのは、今や半世紀も前の1960年代に大都市部を中心に誕生した革新自治体である。中央集権の強いわが国で、しかも自治体議会は保守勢力が優位を占めているなかで、首長だけが革新化して果たして自治体運営ができるのかということであった。が、応えはイエスであった。ほとんどの革新自治体は、押し寄せる都市問題の荒波を受けながらもそれまでに勝るとも劣らない自治体運営を果たしていた。今回の政権交代は、国家レベルでの革新政権の誕生といえる。が、その困難さは、かつての革新自治体の比ではない。それだけに、今回の交代政権は、自民党政権以外でも政権運営は可能であるということを示すのがまず第一の課題である。このことは、成熟した民主主義というものは、政権交代が特別のことではなく行われ、かつ政権運営が正常に行われる状態があってはじめて実現されるものだからである。

 今回の政権交代は、瓦解してきているとはいえ、戦後形成されてきた自民党政治体制のもとでの本格的な政権交代である。議会では与党が多数を占めたとはいえ、行政組織は従来のまま、経済界をはじめとする各種団体は動揺しつつも様子見の状態、地方議会も大きな変化はみられないことに加えて、当の党自身が少数のベテラン議員以外は議員経験すら短く、未成熟である。本当に並大抵のことではない。昨夏の衆院選での民主党の地滑り的な勝利による政権交代は早くから予想されていただけに、民主党自身もそれなりの準備を調えているものと思っていたが、現実にはそうではなかったように見受けられる。自民党にはもはや国政運営の能力は失われ、民主党にはまだその力量が備わっていないというこれからの国政の歩む道は、ほとんど予測のつかない領域に踏み込んでいくかのようである。

  政治の仕組と政策の転換−新政権の課題

 さて、新政権の課題である。これには大きく二つある。一つは政治の仕組みの問題であり、二つには政策内容の問題である。
 政治の仕組みでは、これまでの官僚依存を脱して、政治主導の政権運営を図るとともに、地域主権を確立するということが主要なポイントとなる。
 政策内容としては、これまでの産業界との関係重視から国民生活を第一とする施策の展開がポイントとなる。
 そして、外交問題は、国内問題に後れを取るか、国内問題に従属させられるのは、こうした政権交代が起こる場合の常であろう。

 では、鳩山政権発足4か月の実際をどう見ればよいのであろうか。これまでの政治行政秩序を否定していることに加えて、統治経験のなさや人材不足などから、政権を担うことの未熟さが方々で露呈している。はじめて政権を担うわけであるから、十分な構えと準備に1年間程度かけた上で、任期4年間の計画をつくるのではないだろうかと思っていたが、今夏の参議院選挙があるためか、一方では全てをそこに焦点を当てるような性急さ、他方では、衆議院選挙での勢いをそのまま今夏まで持ち込むための先送り姿勢のような二つの相反する傾向が見られる。しかし、予算編成や景気対策、米軍普天間基地移転問題など待ったのない重要課題の現実処理もあり、これらを鳩山政権らしく対処することに苦悩している。その苦悩する姿を国民の前にさらすこと自体は、政治の実際を国民に見せ、共に考えるためには有用である。
 こうしたことから、政策内容は、結局のところ、与党の公約を直線的に実施するのではなく、政権として改めて従来の政策の総括や国民の総合的な利害調整の上に立って実施して行かざるを得ないことから、今後も試行錯誤が続くであろうし、それが当然であるともいえよう。問題は、政権運営の能力と政治行政システムの問題であろう。

 政治行政システムの問題では、「政治主導」を掲げて、「脱官僚」を試みつつ、政権運営の力を発揮しようとしている。同時に、政府と与党との政策決定の一元化を目指して苦労をしている。さらに、政党と各種利益団体との関係の再編成の問題もある。そして、「地域主権」を掲げる地方自治能力の向上の問題である。これらはいずれも、従来のあり方の大きな転換であり、それによる政策内容の変化が自ずと生じることになる。そしてその具体的な姿は多様であり、まだ固まったものはなく、異論も多い。そのため、政治行政システムの転換には、大胆な決意が必要であるのはいうまでもないことであるが、その結果がもたらすその後のあり方に対する責任も自覚し、その検討と準備には衆知を集め、極めて慎重でなければならないのである。
 そこで「政治主導」の問題である。今は、政治主導では、かなりつんのめっているように見受けられる。気負いがありすぎる。「政治主導」とは、政治行政の仕組みの問題である前に、それをなし得る政治家の能力の問題である筈だ。すでに指摘しているように、誕生したばかりの政権には十分な統治能力はまだ備わっていない。今回の衆議院選挙で急増した勢力であるだけに、経験のない、未成熟な政治家集団である。その将来的な可能性はあるにしても、現在時点では、これまでの政権とは異なる民意の反映が最大の武器である。そして、それをいかに政策、行政課題にしていくかが、これからの任務となるのであろう。発足した鳩山政権では、経験の蓄積がなくしかも層が薄いなかで、しかも行政組織が政権に対して受け身とならざるを得ない状況のなかでは、内閣を軸とした政府の担い手が文字通り一つのチームとして一丸となって戦略を練り難局に対処していくものと考えてみていたが、一人一人は実に良く健闘しているとはいえ、必ずしもまとまりの良いチームではなさそうである。

  「政治主導」の問題点

 「政治主導」には次の4点の問題がある。一つは、官僚組織をどう使いこなすかという点。今一つは、政府と与党との関係であっても、内閣と党とでは当然その立場は基本的に異なるという点。そして第三に、民主主義の基本的ルールとして生じる政権交代が通例のこととして行われる場合、政治行政システムは中立的でなければならないのではないかという問題がある。さらに次には、個々の政治家が余ほど心しないと、「政治主導」は、政治家の恣意に陥りかねない点である。

 考えてみれば「政治主導」というのはごく当たり前のことである。この当たり前のことをことさらに強調するには、これまでの政権が官僚行政に従属していたという認識のうえに立っていることになる。そうなると、これまでの自民党政権は、官僚に従属して主体的でなかったところに根本的な問題性があったということになるが、果してそうなのだろうか。元来、官僚というものは政治権力に適応しやすいものであり、これには経緯と共に十分な総括が必要なのではないだろうか。官僚の政策形成能力の育成と政治家の力量の向上とは、本来、共に相乗効果を生むものではないかという思いが筆者には強い。

 さて、第一の官僚組織をどう使いこなすかという点である。これまでの官僚組織は、長期にわたる自民党安定政権のなかで、政・官・業(財)一体の有機的な政治行政システムを構築していた。いかにその体制に緩みが生じ、既存の政権が転覆したとはいえ、その体質はまだ旧政権時代のものである。その官僚による行政組織も、本格的な政権交代に対面しては、当然のこと現政権側に向く。しかし、新たな交代政権との関係においてすぐさま既存の官僚組織が十分適応するとは考えにくい。新政権への適応、多少の距離を取る中立性、旧政権へのしがらみなど官僚組織内の実相は複雑であるはずである。筆者の経験から分かるのは、行政の筋よりは政治的思惑を優先して新政権にすり寄る官僚よりは、行政の筋をもって新政権の出方を見守る官僚の方が有用であるということである。民意を吸収し、政策形成に預かるのは、何も政治家に限られることではなく、政策形成とその実施過程とは必ずしも明確に分離されるものでもない。政治家としての政策形成集団が独占的に政策を策定し、官僚の行政組織はただそれをひたすら実施すればいいというとき、政策も実施プログラムも極めて問題の多いものとなる。実施過程において、行政組織(実施の担い手たる行政担当者)には、多くの実際上の情報が集まるものである。現実に各省の正副大臣と複数の政務官だけで、所管業務の一切を仕切ることは不可能である。まして現政権の人材は未成熟で、しかもその層は薄い。官僚組織との関係では、「政治主導」につんのめるのではなく、政権の責任制を自覚したうえで、まず、官僚組織を掌握し、使いこなす努力をすることが必要なのではないだろうか。その過程で、現政権は、政治や行政上の利巧な小技ではない、政治家としての幅広い、大局的な思考様式を身につけ、政治権力を担っていることの自覚と責任感を高めることが大切なことであろう。ひたすら実施のみを担う行政組織には進歩がなく、早晩マンネリと停滞を生じ、退廃するであろうことはあまりにも明らかなことである。

 第二の政府と与党との関係である。前政権の時から当たり前のごとく行われてきたことであるが、各閣僚が与党のことについて記者会見でよく発言している。現政権でも同様である。与党といえども、数ある政党の一つであり、政権をつくり、それを支える立場にあるのであって、与党と政府とは一体ではない。自民党政権時代、自民党には法案などの先議権のようなものがあったことに対して、民主党では、政府と党との一元的な仕組をつくろうとしている。しかし、ここで考えなければならないことは、国家を代表し、行政権力の行使に責任を持つ政府と、与党といえども政党活動とは自ずから立場が異なるということである。まして、連立政権ともなれば、政府と与党各党との政策にも当然ズレはあり、そこに党活動と政府とのある種の緊張関係が働くことはむしろ健全な姿ではないだろうか。根本において、与党は、政府の支援活動に徹するべきであるが、同時に、政府の行政執行を健全にチェックする機能も備えなければならないし、また与野党間の健全な討論も必要であろう。その意味で、民主党の国会質問の自粛には疑問がある。

 第三の政権交代と行政の中立性の問題である。確かに、一人の大臣が各省庁を指揮することは至難のことである、と同時に、行政組織がしっかりしているからこそ、その行政に素人の大臣が就任してもそれはそれなりに機能してきたのがこれまでである。それは、自民党政権下では、党と政権と官僚組織とが一体として機能していたから可能であった。今回、初めての本格的な政権交代が実現してみると、自民党政権時代では可能であったこのシステムでは新政権としての政権運営が極めて困難であることに気づく。そこで、官僚依存から脱して、政務三役を配して新政権のリーダシップを確立しようとするそのこと自体は当然のことであろうと思われる。そして、「政治主導」を実現しようとするのも理解できる。しかし、「政治主導」が行き過ぎると、与党とその政治家に恣意が芽生える危険性が生じる。行政組織のなかでそのチェックが行えるのは行政官僚である。公務員の身分が公務員法で保障されているのは、ただ権力に従順であれば間違ったことをしても良いということでない責務を公務員に課しているからである。これは、官僚の上下関係においても当てはまる。これによって行政の公平かつ公正性が保たれることになっている。であってもなおかつ、官僚組織の現実は、政治の実際には弱いのがこれまでの現実であった。時の政権は、自己に都合のよい官僚組織をつくりたくなる。それは、自己の政権が永続することを願うからである。しかし、政権交代が通常のこととして行われる成熟した民主主義の時代に入った場合、その都度行政組織が大きく変わるようでは、わが国の国家行政は、積んでは壊す積み木細工のようになってしまうのではないだろうか。その意味で、政権交代を超えて存続するある種安定した行政組織は必要である。そして、それを担う官僚群に何を期待し、それらの人材をどう養成するのかを慎重に考える必要がある。これには、行政の継続性と発展性の両面がある。そして、政治におもねることのない専門家=学識経験者の参画と協力のあり方を検討する必要がある。

 第四の「政治主導」と政治家の恣意の問題である。
 政治家による特定利益の誘導は、選挙地盤にかかわるものであるだけに避けがたいものがある。そして、古今東西の経験則からいえば、権力的な地位というものは、そこに就く人間・政治家を魔物に変えてしまう恐ろしさがある。それだけに、政治家には、公平かつ公正な行政を担うには余ほどの自己制御を必要とする。対して、行政組織は、公平・公正を原則とするものであり、政策の実施組織であると同時に、政治に対して、或いは特定の政治的利益誘導に対するチェック機能をもっている。けれども、政権が永続する場合には政治的利益誘導と一体化する可能性が高くなる。長期自民党政権下での官僚組織がまさにそういうことであった。今回、新政権が「政治主導」を貫こうとするにおいて、総理大臣や内閣など政権を担う政治家の力量と、そのリーダーシップや政治の責任性を高めることは望まれることではあるが、行政組織を政権と与党に服従させるようなことになれば、行政の公平かつ公正性は損なわれることになりかねない。守旧的、縦割りで閉ざされたイメージの強い行政組織を、開かれた、進歩的なものに改革するために、政治のリーダシップや民間の先進的なノウハウを導入することはある程度意味のあることであるが、政治的中立性や、公平・公正を旨とする仕事の仕方は、公務員独特の世界であり、この要素は、民間や政治家では代替えできないものである。その意味で、新政権が、これまでの自民党政権とは違った意味であっても、政治に埋没した行政システムづくりに陥らないように、政権自らを自己制御する公平かつ公正な仕組を、「政治主導」を進めるためには担保することが必要とされる。

  政権交代の意味を再考する

 今回の政権交代をもっとも単純に要約すると次のようになるのではないだろうか。
・とにかく、自民党政権はかえる。
・民主党の個々の政策や鳩山代表や小沢副代表(その後幹事長)の政治資金虚偽記載問題などはこの際超えて、とにかく政権交代を実現する。
・新政権の課題は、これまでの自民党的なあり方でない、開かれた、国民生活を重視した政治行政への転換を図ること。
・そのためには、これまでの自民党政権での膿を出し尽くし、総括し、何を継承して何を変え、日本をどうしていくのかのグランドデザインを、国民的な議論で構築していくことが求められている。
・政策転換の具体化では、既存の受益者との調整など、これまでの政策との調整を丁寧に行い、成熟した民主主義政治のもとでの進め方を考えなければならない。

 自民党政権は時代とのズレを拡大し、人材も枯渇し、新政権に取って代わられた。新政権は、経験や層の薄さから、政権と党運営の両方を全うするにははなはだ心もとない現状にある。しかし、新政権には、過去のしがらみにとらわれることなく時代の要請に応える政治行政システムをつくり出すことの可能性が高い。ただし、これには過去の経緯と時代の要請を明らかにし、何をどのように変え、何を継承し、変える時には、どのような手順で進め、既存の利害をどのように調整するのか、変えた結果どのようになるのかを明示しなければならない。こうしたことを丁寧に行うことが、成熟した民主主義を形成していく土壌となるのではないかと思われる。明治維新や戦後改革との違いはここにあるといえる。新政権には、与党の枠を超えた国民的な衆議を集めることを期待したいものである。
 政権交代によって、今、我が国の代議制民主主義の成熟化への歩みが始まった。いずれ、政権交代が通常のこととして起こり、受けとめられる時代となるのであろう。


平安京 羅城門復元模型 製作逸話

 それは模型ではなく、縮尺復元建造物である。これによって、平安京羅城門は、技術的にも実物大の建造が可能となった。

 11月21日、京都駅北口の東詰めに、羅城門の復元模型が設置された。22日、感無量の思いでそれを眺めることができた。なぜ、それほどまでに感無量なのか! それには、今は亡き一人のひとの熱い思いが込められていたからだ。その人は、いつの日にか、実物大の羅城門の復元を夢見て、この十分の一の復元模型の実現に努められていたが、病に倒れ、復元模型の完成を見ずして旅立たれてしまったのだった。
 その人とは、京都府建築工業協同組合の専務理事であった高瀬嘉一郎さん。氏は、元京都市の職員で、都市計画畑を歩んだ人だったが、京都の伝統工芸を家業とする家に生まれ、教養も知性も備えた歴史に造詣の深いひとで、洛西ニュータウンの建設の準備段階を、当時流行のベットタウンではない、新しい自然環境に恵まれた街をつくるという考え方で臨んでおられた。私が同氏を知り、尊敬するようになったのはそれがきっかけだった。氏は、その後、指定都市事務局の事務局長に就任し、横浜、川崎、名古屋、大阪、神戸、福岡、北九州と京都の8大都市の連携の上での政府各省への諸問題の折衝に当たっておっれた。その最大のものは、大都市財源の拡充を求めた事務所事業所税の実現であったという、その功績は、他の大都市の市長が評価していたほどには京都市では評価が少なかったように思われたのは残念なことだと当時思ったものだった。それはともかく、主として家庭の事情もあって、京都に帰ってこざるを得なくなり、そして大工の棟梁さんたちの組合である京都府建築工業協同組合の専務理事となられた。
 氏の部屋には、私がお訪ねしたとき、大きな羅城門の復元絵図が壁に掛けられており、そこには氏の羅城門を表現する詩的散文が書かれていた。絵図の大きさは、縦1メートル、横1.5メートル、或いはそれ以上だったのかもわからない。幾たびか氏を訪ねるなかで、その羅城門の話になり、氏の夢を伺うなかで、二人でその夢を実現しようではないかということになった。それは、時あたかも平安建都1200年をめぐって、京都市を初め京都各界がその記念事業に取り組み始めていたときであり、その雰囲気の中で具体化の道を探ろうとしたのであった。氏は、京都府建築協同組合でどこまで可能か、私のほうは、建都1200年記念事業の中で、行政としてどのような位置づけと支援をすることが可能か、互いに検討することになった。
 時は丁度1992年。京都市は、建都1200年記念事業を推進するために、4月1日、企画調整局に建都1200年事業推進室を設置する。その室長に就任した西口光博氏に趣旨の理解を得、同氏が行政内の条件を整えることとなる。建都1200年記念事業で京都市の最大のものは、記念展覧会「甦る平安京」展であり、その目玉に縮尺千分の1の「平安京域模型」の製作があった。そこで、記念展覧会開催企画委員会委員長の林屋辰三郎先生と模型製作委員会委員長の村井康彦先生の理解と協力も得て、専門的な検討も進む。
 こうして京都府建築工業協同組合、市行政、学識者の推進体制が整い、1200年記念展覧会の目玉の一つのしての羅城門復元模型の製作が可能となった。ただ、製作は、同協同組合が主体的に行うという意欲を持つとはいえ、その製作費には数千万円という多額の経費が必要と考えられたこと、さらに、最新の学問成果に基づく然るべき設計が必要なことが課題としてあった。そして、その設計は、それ以前に大林組がそれなりの設計をしていたことがあり、大林組が縮尺10分の1の設計を、社会貢献として行っていただくことになった。それには、西口室長とともに、後に京都市助役に就任した企画調整局長であった建設省出身の内田俊一氏の働きかけがあった。そして、製作経費に対しても、のちに国或いは建設業協会から一定の支援があったように記憶しているが、それも内田氏のおかげであったと思われる。
 ところで、羅城門の製作は、単に復元模型という造形物をつくるにとどまらず、その建築技術を学び将来に伝える技術伝承にこそ重きがおかれていた。そのため、当初計画の25分の1の大きさではなく、検討の結果、少なくとも10分の1でなければ、大工の技術や道具が使えないということが判明し、最終的に10分の1の復元模型とすることになった。それには、極めて精度の高い設計が必要となり、大林組にはそれらの苦労も担ってもらった。それにしても、京都府建築工業協同組合では、組合債のようなものを組合員に発行するなどの資金調達や大工さんの動員、関連業界の協力の取り付けなど苦労の多い仕事であっただけに、当時の理事長であった福井さんの決意とリーダーシップなしには、この事業は完成することはできなかったものと思われた。したがって、この復元模型は、単なる模型ではなく、10分の1による実物復元なのである。
 1994年9月22日、平安建都1200年記念展覧会「甦る平安京」展開催に合わせて無事完成し、「平安京域模型」とともに同展の目玉展示として京都市美術館に運び込まれた。しかしながら、この羅城門の復元を夢見て努力してこられた高瀬嘉一郎さんの姿はそこにはなかった。多分、心からうれしく思っておられるはずとはいえ、私には断腸の思いが募っていた。今、京都駅前の羅城門を前にして、高瀬嘉一郎さんとともに、併せて行政にあってその推進に汗を流してくれた今は亡き西口光博氏をここに偲ぶところである。
 


「歴史の京都」と京都市歴史資料館の今後

 京都はいうまでもなく「歴史の京都」であります。しかしながら、京都市政全体としてみたとき、「歴史の京都」でありながら、それに甘んじ、「京都の歴史」への取り組みに必ずしも十分であったとはいえません。
「国家戦略としての京都創生策」を政府に訴えたのはまだそう古い話ではありません。しかし、そこで最も大切だったことは、自らの歴史に対する主体的な認識と取り組みでした。京都という、日本を代表する「歴史都市」が、いまや衰退過程に入り行くとき、かつての3大都市が5大都市となり、7大都市となり、今や20政令指定都市の1つに過ぎず、制度的には、京都市にのみ特別な国の援助を期待することはありえないのです。それを超えて、京都市に対して国家として何らかの特別施策を講じるには、全国民の同意が必要となるのです。ですから京都市の働きかけは、国民や他都市へ向かうものでなければなりません。そのためには、いたずらに「歴史の京都」に甘んじることなく、京都の行政と市民とが常に自らの歴史を認識し、京都の歴史を再構築していく必要があるのではないでしょうか。
 都市は、その時代時代とともに、常に昨日、今日、明日という時間軸によって生きていくものです。こうした、歴史の京都の歴史的な生き方の指針は、歴史資料館が自らの歴史を丹念に振り返る中で明らかになるものと信じています。まず、歴史資料館が、数十年に及ぶ自らの歴史をまとめ上げ、そこから、歴史の京都の歴史的な課題を明らかにし、歴史資料館が未来への歴史の記録を残す必要性を自覚し、そこから、改めて着実な歩みを遂げられることを心から願っているところなのです。

 京都市歴史資料館は、歴史学の碩学である林屋辰三郎京都大学教授の指導のもと、長らく京都の歴史の編さんを続け、30年の年月をかけて『京都の歴史』全26巻を完成させ、またその実績の上で、京都が挙げて平安建都1200記念事業を推進するそのけん引役も担ってきただけでなく、その実績の上で、京都市立の歴史博物館を建設するべく邁進してきたのでした。加えて、21世紀にはいるや近現代の「京都市政史」全5巻を完成させるなど、実に多くの重要な事業を進めてきたのです。そして、歴史資料館の施設そのものが、それらの過程において、篤志家からの土地の提供があったがために、整備が可能となり、長年の、美術館事務棟の2階の間借りから脱することができたという経緯をたどってきたものなのです。京都市歴史資料館は、こうして、事業だけではなく、施設そのものもまた大切な歴史となっているのです。
 しかしながら、『市政史』完成後の歴史資料館を見ているに、どうも先行きについてある種虚脱状態に陥っているように見えるのです。打ち続く大きな事業が完了し、今後に対する目標をはかりかねているように見受けられるのです。これは、一面ではやむを得ないのかもしれません。しかし、よく考えてみると、実は歴史資料館としてなさなければならない大きな事業は、まだまだ、たくさんあるのです。
 そこで、一連の大事業を進めてきた歴史資料館として、いま、何にに迫られ、どのような施設、事業体となるべきなのか、その点について、過去の経緯を見つめつつ以下にしたためてみました。今後の歴史資料館の在り方を考える上での参考にしていただければ幸いです。

1.新修『京都の歴史』の編さん事業の開始
『京都の歴史』全26巻は、戦後京都における町衆を主人公とした歴史として編さんされ、歴史都市に新たな新しい歴史を提示することになりました。
 しかし、この『京都の歴史』全26巻も全巻完成後30年、本編すなわち叙述編完成後からすると実に45年を経過しています。その間の、学問の進歩や新たな歴史的発見などとともに、歴史的に再評価しなければならない問題も多々あり、叙述編刊行後50年を期して、新たな叙述編を編さんする必要性に迫られているのです。そしてそこでは、都市の形成発展という都市史の視点も強く意識してほしいと思うのです。

2.記録の館としての明確な衣替え
次に歴史資料館の性格付けです。おそらく、編さん事業を担っていない現在、歴史資料館は、どのような行政体であるべきかについて途方にくれているのではないかと思われるのですが、多くの大事業がすんだいまこそ、その根本について考えることができるのではないでしょうか。「歴史資料館」という名称から考えるのではなく、これまでの歴史資料館がたどってきた事業から、その本質を考える必要性があります。その場合、歴史資料館という名称にはこだわる必要はありません。歴史資料館という名称によって、ミニ歴史博物館のようなイメージが出来上がってしまったので、これをこの際原点に戻す必要があるのです。
 すなわち、歴史資料館の用地の寄付者は、文書上の文言は「文化的施設の用地」にとしているものの、口頭では、美術館2階に仮住まいしている市史編さん所の固有の事務所を整備するための用地にというものでした。この寄付者の意思は、京都市としては、将来にわたって大切にしていく責務があります。
 しかし、整備した施設を歴史資料館にしたために、施設の狙いが散漫になってしまいました。すなわち、編さんの館が、一見展示を含む総合的な施設の様相を呈することとなり、市民向けの施設としては、展示スペースがあまりに小さいとの評価を受けることになったのです。地道な編さん作業よりも、歴史博物館的な期待を受けることになるのです。しかし、これは本来の姿ではなかったのです。本来の姿は、寄付者の意図でもあったように、あくまで、編さん作業と編さんに必要な歴史的文書の収集、保存のための一定の書庫の確保でした。そしてその時期的なめどは、建都1200頃に置かれていたのです。それは、建都1200年には、新たに歴史博物館を建設する考えがあったからです。そして、その歴史博物館は、歴史、考古、民俗の3資料館鼎立の上に整備されるはずのものでした。

3.市民の歴史研究への場の提供
 次に必要なものは、市民の京都の歴史に対する研究に対して、その研究の場を提供することでしょう。それは、個人によるものであれ、グループによるものであれ、その場を提供し、また、相談に応じるものです。とくに、グループ研究には積極的に働きかけることが必要です。特に、地域の歴史研究にはその必要性があります。
 と同時に、歴史研究者による歴史の研究プロジェクトを組織し、その成果を市民に還元して、広く京都の歴史研究に寄与していくことも必要です。

4.歴史普及書の出版、刊行
 そして、ともすれば京都の歴史が、一般読者に対して難しいものになりがちなのに対して、図録や写真などを多用したコンパクトな普及書の出版も必要になってくるでしょう。

5.収蔵庫の拡充
 収蔵庫は、京都の歴史に係る編さん事業が、京都の街に眠っていた街のなかの資料の調査収集を基礎に始められたものであり、市民からの多くの寄託資料が収納されていて、今やそのスペースは限界にきています。
 加えて、近現代における歴史資料としての行政文書も、その収蔵に迫られ、さらに、本施設が、古代から現代にいたる一貫した記録の館として位置付けられるとき、さらに、その収蔵スペースは不足するため、その拡充を必要とします。

6.歴史資料館の行政上の位置づけの整理
現在、歴史資料館は、文化市民局の文化芸術振興室に所属しているようですが、これがどうもしっくりとしないのです。元々、市史編さん所が設置されたのは、総務局内で、編さん事業が進行している時期には、いくら何でも文化市民局の所管ということにはならなかったでしょう。
 歴史資料館は、一体何をするための施設なのかという、基本認識について、今は迷いがあるのではないでしょうか。すでに指摘してきましたように、歴史資料館は、編さん事業を中心とした歴史的記録の館です。たまたま名称を歴史資料館とし、しかも公の施設にしてしまったために、編さん作業が終わってしまうとその目標を見失ってしまったかのように見えるのです。そのために、古文書等を「物」として認識し、文化財の範疇にとらえることになっていったのではないでしょうか。
 しかし、歴史資料館の本質は、あくまで記録の館なのではないでしょうか。あえて言えば、行政組織としては「文書課」の系譜であり、ある種市長に直結した、どこにも属さない「その他」行政とでもいうべきものともいえるのです。その意味で、これまでは、総務局ないしそれに類する局に属してきたのではないでしょうか。ちなみに、旧7大都市の中で、公文書館を設けていないのは、横浜と京都市の2市のみなのです。
 ここで、多少脱線気味になりますが、産業観光局の在り方です。他の都市では、特に違和感があるものではないのですが、こと京都となると果たしてどうでしょうか。以前には「文化観光局」がありましたね。観光は、もちろん観光産業として成り立っています。が、京都の場合、産業の以前に文化として成り立っているからこそ魅力があるのではないでしょうか。しかも、観光政策を長期的視点でとらえた場合にはなおさらです。産業政策としての観光政策は、それはそれとして産業政策の中で行えばいいのです。文化政策としての観光政策と、産業政策としての観光政策との間の緊張関係もまた、長期的な政策には必要なものと考えられるのです。ということで、やはり京都では、文化観光局であってほしいですね。余談ですが。


「一身独立して一国独立する」

 表題の「一身独立して一国独立する」は、いうまでもなく福沢諭吉の有名な『学問のすゝめ』の主題である。かねがねわが国の社会や政治状況を経験するにつけ、福沢諭吉が開国、近代化に走りつつあった明治のわが国に語りかけていたこの主題が、脳にこびりついて離れなくなってきていたが、その原因は、昨今のわが国の政治状況と旧統一教会との抜き差しならない関係を目の当たりにしたことによってより強くなってきた。
 これが安倍元総理の目指していた「美しい国」だったのかと思うと、あまりの情けなさにいうべき言葉がなくなる。わが国は、美しいどころか、実は「あまりにも情けない国」だったのである。
 7月8日の、安倍元首相が銃撃された事件は、全く予期しなかった、実に衝撃的な事件であった。選挙遊説中の事件であっただけに、安倍元総理には同情が集まり、多くの弔意が集まることになった。そして、9月8日の国葬をめぐる衆参両院の議院運営委員会における閉会中審査で、岸田総理は、「わが国は、暴力に屈せず、民主主義を断固と守り抜く」と「暴力から言論の自由を守る」との決意を示した。事件の事情が分からない時点では、それはその通りだろうと思ったものの、事件の事情が分かってくると、そのようなたいそうなものではなく、何ともじじむさい思いにかられた。そしてさらに事情が明らかになると、今度は大変根の深い、わが国の政治や社会体質が、この事件によって、明らかになってきた。
 当初明らかにされなかった宗教団体の名称が旧統一教会であることが明らかにされたのは、事件2日後の参院選投開票日以降であり、この参院選は、安倍元総理への同情の高まりによって、自民党に大きくプラスすることとなった。しかし、ことの事情が明らかになってくると、元自衛官であった加害者が、実は大変な被害者であり、その加害者であった旧統一教会と安倍元総理が密接な関係にあったことが白日の下にさらされることになった。こうして、今回の安倍元総理への銃撃事件は、自由なる言論圧殺の事件というものではなく、それによって、安倍元総理を頂点とする政界と旧統一教会とのずぶずぶの関係が連綿と続いていたことを明らかにする契機となったのである。残念ながら、安倍元総理は、崇高なる政治的活動に殉じたといえるものではないばかりか、むしろ加害者側に立った人間だったということなのである。こうしたことから、今般の安倍元総理に対する狙撃事件は、政治に直接かかわる言論圧殺などではなく、家族と生活を破壊され生きる望みを失った人間の悲鳴ともいうべきものであった。一国の総理として、しかも憲政史上最長の在職にあった人物としては、実に情けない結末だったといわざるを得なかった。世界に向かって、ことの真相は、恥ずかしくて説明できないような事態だったといえる。「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固と守り抜く」という首相の決意は、ピントのずれた実に空虚な言葉となっていたのである。この事件は、言論を守る警備上の問題なのではなく、カルト教団と政治家との抜き差しならない関係の深層を明るみに出した事件となったものなのである。
 統一教会の問題は、すでに多くの識者が明らかにしてきているのでここでは特に説明を要することは避けるものの、ことの本質は、主体的な判断ができない、日本の、いわば弱い国民層からの多額の貢を得るために、政権党の有力者の権威を利用してきたことにある。いわば、国を売る行為を、保守の特に右翼系と目される政治家がこれに主導的にかかわってきたであろう実態が、時とともに明らかになってきた。だいたい、右翼とは、国粋主義や、民族主義者をさしており、このような他国への貢を促す役割は、右翼や国粋主義とは言わない。現に、真正右翼と目される論者たちは、政治と旧統一教会との速やかな清算を主張している。一時代昔の表現を借りれば、それは「売国奴」そのものなのだ。
 政治家は、票のためなら、国益も何も考えない、そして、国民はそうした政治家の本質を見抜こうとしない。そして、我が国の社会全体が、いまなお自らの判断で社会や政治を判断できる状況にはないことが、今回の安倍元総理に対する銃撃事件で明らかになったのである。期せずして、わが国が、まだまだ近代国家として成熟したものでない、その実態が、白日のものとなったといえよう。
 民主主義の諸制度は、一人ひとりの国民が自立した判断ができることを前提として成り立っている。自立した個人が仮定されたうえで成り立っている。しかし、そもそもカルト的な宗教が成り立つのは、そうではない個人や社会の現実があり、しかもそのことの上に政治自体が構築されている実態があることが明らかになったのである。まさしく「一身独立して一国独立する」ことが、いまだ我が日本では遠い課題であることが示されたのである。
 いま、ウクライナ問題をはじめ、これらに対処しているアメリカをはじめとする世界各国の動向を見ても、民主主義の危うさのようなものが噴き出てきている感がある。仮定の上の民主主義制度には、完成形態はなく、永遠の模索が続くものといえる。この点に関しては別稿とするが、わが国に関しては、「先進国」とうぬぼれるのではなく、謙虚に、民主主義の基礎から、改めて、地道に取り組んでいくことが望まれるのである。
 基礎となる「一身独立」の道は、単なる知識の集積ではなく、自らの判断を可能とし、また自らの判断に責任を持つ人材育成を教育課程の重要な要素として取り入れることから始める必要がある。教育課程には、なまじな政治的判断をいれることは避けるべきであろう。そしてこれには、知識層の役割が欠かせない。
 繰り返す。「一身独立して一国独立する」である。いまほどこのことが問われている時代はないといえるのではないだろうか。国家は有限的な歴史の所産であり、市民は永遠である。福沢諭吉の一万円札は、9月までにその印刷を終了したという。寂しい限りである。
 



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