柳谷観音


 『景精』は、ずいぶん以前に一度だけ聞いたことがある。その後はたえて聞いたことがない。
 登場する人物(最後にはなんと観音さんまでご出演なさるのだが)、その誰も彼もがきわめて人間的な本音を露呈してはばからない。それ故に、わたしはこの噺が大好きである。逆に、四角四面の堅い御仁からは、大いなる顰蹙を買うだろうが。
 しかし、いくら聞きたくとも、この噺はその機会に恵まれることはないだろう。地域寄席あたりでは高座にのることもあるのだろうが、TV・ラジオはもちろん、繁昌亭などでも絶望的である。それは「めくら」という言葉のせいである。障害者の嫌がる言葉は使うのを慎重にせねばならないのだが、その故にこの噺まで聞けなくなるのは、なんだか惜しい。
 この噺の主人公は定次郎というが、落語の登場人物の中でわたしのもっとも好きな一人である。母と二人暮らし。京で一二を争う腕のよい錺職人である。錺(カザリ)職というのは、金物の細工職人のことで、男物なら刀の鍔、女物なら笄(カンザシ)などをこしらえる職人のことである。
 今後もめったに聞けないと思うので、話の内容をやや長いめに紹介しようと思う。

 定次郎は、江戸っ子みたいな性格で、負けることの大嫌いな男である。これが急に失明してしまった。普通の人間なら気落ちしてしまうところだが、彼は「按摩になって、お灸をすえたり、もみ療治をして暮らしま」と、表向きは平気を装っている。
 横町の甚兵衛さんがお呼びだとのことで、家を出た定次郎、(盲人と憐れみの目で見られるのを嫌って)わざと杖を肩にかけ、「開いた目で見て、苦労するよりも、いっそメクラが、マシかいな」と鼻歌を唱ってやってきた。

甚「おい、定次郎。定やん。お前、ウチを通り過ぎて、何処へ行くつもりや」
定「いや、歌の区切りがつかんかったんで、わざと通り過ぎましてん。終わりのとこで、回れ右してお家へ来るつもりでしてん」
甚「お前はん(オマハン)がそないして、元気に振る舞うてるのはええねんけど、どやね、目の具合は」
定「いや、それがちっとも良くなれしまへんね」
甚「お母はんから聞いたのやけど、おまはん、観音さんに信心してたんやて?」
定「そうだんね。柳谷の観音さんに、三しち二十一日のお詣りしてきましてん」
甚「どうやった。験をいただいたか?」
定「十日目ぐらいしたら、うっすらと明かりが判るようになりましてん。それで、日参をやめてお籠もりしました」
甚「うんうん」
定「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心…、と拝んでましたらな、女の声で、ちょうねんかんぜおん、ぼねんかんぜおん、ねんねんじゅうきしん、ねんねんふりしん…、ちゅうのが聞こえてきまんね」
定「なんせ、あんなえらい山の中でっしゃろ、こんな所で、夜中に女の声、こりゃ狐か狸に違いないと思うて、試しに声をかけましてん」
定「お声の具合からすると、あんさん、女ごはんでっか。お籠もりしてなさるんでっか」
女「へえ、願掛けてお籠もりしてます」
定「わたいもお籠もりしてます。目を悪うしましてな」
女「わたしも同じこと、急に目が見えんようになって」
定「あんさん、どちらにお住まいでっか」
女「へえ、西洞院仏光寺どす」
定「わたいは麩屋町綾小路だんね。目が見えてるときやったら、お顔を存じてたかも知れまへんなぁ。ご近所同士が同じお願いにきてますねんな。そんなら、ご一緒にお参りしまひょ。さ、もっとこっちへ寄んなはれ」
女「わたしも、こんな山中ですよって心細い思いしてましてん。ありがとさんでおます。そんなら、お側に座らせてもらいます」
定「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心」
女「ちょうねんかんぜおん、ぼねんかんぜおん、ねんねんじゅうきしん、ねんねんふりしん」
定「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心」
女「ちょうねんかんぜおん、ぼねんかんぜおん、ねんねんじゅうきしん、ねんねんふりしん」
定「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心…。プーン」
甚「なんや、そのプーンちゅうのは」
定「髪油の匂いだんね」
甚「ふんふん」
定「えらい近いとこに居るねんな、と思うたさかい、朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心…、ボーンと肘で突いたら、ボーンと揺り返しや」
甚「おいおい、ええかいな、まるで地震やな」

定「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心…、そーっと手を握りましてん」
甚「そら、なにをすんねんな」
定「いや、こいつ化物やないか、そうおもうて調べたんだ」
甚「そしたら?」
定「ふっくらとして、すべすべして、ほんに可愛らしい手でんね。ぐーっと握ったら、向こうもぐーっと握りかえしてきまんね」
甚「ふんふん、えらい成り行きになってきたなぁ。それからどうなったんや!?」
定「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心…、背中へぐーっと手を回すと、こっちへ寄りかかってくるもんやさかいに、ドーッと横へ倒して……」
甚「おいおい、観音さんの前やで、そんなことしてええのんかいな。えらい信心もあったもんや」
定「いきがかりでこうなってんさかい、もう、どもならん。甚兵衛はんかて、あないなったら、ああなりまっせ」
定「不思議なご縁でこんなことになりましてんけど、お寺でごじゃごじゃするのんもナンでっさかい、どうでおます、山を下りたとこに小料理屋が遅うまでやってまんね、あそこへ行って、ちょっとお酒でもどうでおます?」
女「へえ、どこへでもお供させてもらいます」
定「二人で手を取って山を下りて、カシワ(=鶏肉)のすき焼きで一杯やりました」
甚「えらい信心やな。そやけど、お金どうしてん、持ってたんか?」
定「賽銭箱ひっくりかえして…」
甚「そら何すんね。罰あたるで」
定「あたりました。それからいうもの、目が疼いて疼いて。うっすら見えてた明かりも見えんようになってしもた」
定「わたい、観音さんにいうてやりましてん。『おい、観音。妬き餅やくのも、ええかげんにせえ。そやないか。お前の前で仲良うなったんやないか。いうたら、お前は仲人や。目ぇ治してくれたら、盆暮れには二人で塩鮭の一本でもぶらさげて、お礼参りに来たるわい。それが、なんじゃい、妬くのもほどほどにせえ』、そう云うたりましてん」
甚「よう、そんな無茶いうねんな、お前は」
 甚兵衛さんは、定次郎をたしなめつつも、彼の腕を惜しんで、再起するよう促し、ついては信心のやり直しを提言する。
定「そしたら、なんでっか。清水さんも目ぇが専門でっか?」
甚「仏さんをお医者はんみたいに云いないな。せやけど、源平の昔、景清という強い武士がわが手で目を刳り抜いて、清水さんに奉納したちゅうことやから、目ぇにも関係あるねんやろな」
定「ほなら、心を入れ替えて、もう一度、仏さんにおすがりします」
甚「今度という今度は、柳谷みたいなことになったらあかんで、真面目に信仰するねんで」
定「へい、わかりました。今度は三しち二十一日やのうて、思い切って百ヶ日のお詣りをします」
 一心不乱にお祈りします。やがて、とうとう満願の日を迎えます。
「いよいよ今日が満願や。なんや、いつもより参詣人が多いな。わいの満願が皆に知れてるのんかいな。え?今日は清水さんのご縁日?そうか、これもなにかの縁やな。もうすこししたら、わいも皆と同じように目ぇ見えるようになるねんな。清水さん、定次郎でっせ。頼んまっせ」
「賽銭も毎日欠かさず納めましたやろ、帳面みておくなはれ、定次郎の名前のとこ、毎日入金になってますやろ。頼んまっせ」
「これから、最後のお経を上げまっさかい、それをきっかけに目ぇ明けとくんなはれや」
「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心。えいやっ!」
「あかんなぁ。もう一遍やりまっさかい、こんどこそ、明けたっとくんなはれや」
「朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心、えいやっ!」
「あかんな。口はあくけど、目ぇがあけへんがな。そや、観音さんもキッカケが要るわなぁ。わたいが、手拍子を三つ打ちますよって、そのキッカケで明けておくんなはれや」
「ひぃ、ふぅ、の、みっつ。えいやっ!」
「あかん」
「…。おい!。観音。観公。観的、お前、こんな大きい屋台を背負うてて、この憐れな貧乏人の目ぇぐらい、よう明けんのんか」
「それならそれで、三日目ぐらいで夢枕にでも出てきたらどやね。それを百ヶ日も黙って賽銭ばっかり取りやがって。泥棒!詐欺師!」
甚「これ、お前、仏さんにむかって何ちゅうこというね」
定「あ、甚兵衛はん、あきまへんがな、目ぇ見えんままでんがな。ひょっとして、甚兵衛はん、この観音とあんた、グルになってるんでっしゃろ。後で、わたいの賽銭、観音と山分けするのと違いまっか」
甚「あほなこと云いな。さ、今日のところはおとなしゅう帰ろ。お母はんが待ってるで」
定「帰れまっかいな。お母はん、今朝、新しい着物着せてくれましてん。縞の着物。お前が帰るときは、この縞模様が見えるようになってるで、そない云いながら着せてくれましてん。そんなお母はんの前に『あかんわ、見えへんわ』なんて、どうして言えます?わたい、帰りまへん」と泣き出す。

 甚兵衛はん、定次郎をなだめすかして、ようやく帰路につく。仁王門の石段まで来たとき、西山から黒い雲が現れたかと思うと、にわかの土砂降り、ピカピカドカーンと雷が落ちた。
 定次郎、雷に打たれて「ウーン」とその場に倒れてしまった。甚兵衛はん、命からがら家へ飛んで帰った。
 冷たい風に正気を取り戻した定次郎。あたりは金色の光に包まれている。妙なる音楽も聞こえてくる。
観「善哉。善哉。我は音羽山楊柳観音なるぞ」
定「あ、観音さん、こらよかった。じか談判ができるがな。…。観音さん、あんた、殺生やで、百ヶ日も賽銭をただ取りしたりして」
観「我は、汝の信心にはいささか承服し難きものあり。柳谷の一件もあることゆえ、ただちに目を開けること、叶わず。されど、汝の母者の信心、誠に我が胸に響くものあり。母者の志を愛でて、汝に目を貸し与えん」
定「話はせんならんもんやな。なんや知らんが、ええ風が吹いてきたみたいやで」
観「昔、悪七兵衛景清なる者、わが手で己の眼球を刳り抜き、当山に奉納せしことあり。その眼球を汝に貸し与えん」
定「景清の目ぇ?そんな古いの、大丈夫かいな」
観「我もそない思うた故、三日前から水につけておいた」
定「平野屋の棒鱈やな、まるで」
平野屋は円山公園の一角にある老舗料亭。ここの「いもぼう」が有名。棒鱈と山芋を煮てある。
 定次郎が目出度く開眼したところで噺は終わる。


[柳谷観音] 

 正式には揚谷寺。阪急長岡天神駅下車。北西の山中にある。京都西山の代表的景観である竹林帯を登り抜けたあたりにある。縁日には、JR山崎から臨時バスが運行されているが、それ以外はタクシー利用になる。長岡天神からバスで奥海印寺下車、徒歩で一時間ぐらい。かなりしんどい道になる。(地図の左下隅の矢印がお寺。周辺に民家・集落はない)

 噺ではいかにも山奥みたいな描写になっているが、そんな深山ではない。しかし、お寺の周辺に集落はなく、お化けはさておき、狐や狸はいくらでも住んでいる山奥である。
 わたしが行った日は他に参詣者は誰もいなかった。それでもご祈祷受付所にはお寺の人がいたから、ポツリポツリと参詣者があるらしい。帰途は徒歩で下山したのだが、途中、何台もタクシーが登り降りしていた。他に人家はないのだからお寺への参詣タクシーに違いない。
 本堂の横に「独鈷水」というのがある。お寺による案内板には「オショウスイ」と仮名をふってある。「お精水」の意味だろうが、われわれ俗世界の者には「お小水」に聞こえてしまう。お寺さんとしても、あれは一考されたらどうかなと思う次第。

 伝説によると、弘法大師がこのお山を開かれたとき、猿の親子が奇妙な仕草をしていた。母猿が、岩壁からしたたる水に手をあてては小猿の目を拭っている。よく見ると小猿は目のあたりを怪我しているらしい。母猿はその怪我を治してやっていたのだった。弘法大師は、岩壁からしみ出る水が眼病に効くと判断され、岩壁に独鈷(ドッコ)を打ち込まれた。たちまち清浄な水が吹き出てきた。爾来、千数百年、お水は枯れることなくしたたり落ちている。このお水は眼病によく効くとされ、遠方からお水を頂きに来る人が後を絶たない、とある。現に、あのご祈祷受付には大きな字で、「眼のお守り札あります」とあった。
独鈷:密教の法具。手で握れる大きさで、両端が尖って分かれていないもの。三叉のは三鈷。(広辞苑)

 お水がしたたり落ちる場所は、頑丈な祠みたいなのに守られていて、直接にみることは出来ない。しかし、耳を澄ませば、ポタンポタンという水滴の音が聞こえる。たまたま、その場にお坊さんが来られた。「これは有り難いお水なので、頂かれるときは、粗末な呑み方をせずに、柄杓で汲んだのはすべて飲み干して下さい。飲み終わった柄杓は、こっちの水栓の水でゆすいでください」、そう云われた。
 お坊さんに「昔は参籠する信者もあったらしいですが、その建物はどこにありますか」と尋ねた。若いお坊さんは「そんなことを聞いたことがありますが、参籠所というのがあったかどうか、それは存じません」とのことだった。『景清』の噺を知っているか、と尋ねてみたかったのだが、それはのみ込んでおいた。なにしろ、定次郎は本堂の仏前で、女性とごちゃごちゃしたのだから、若いお坊さんに尋ねるのを遠慮したのである。

 灯篭や石段、あるいは休息用のベンチなどに、「ロート製薬」とか「サンテン製薬」といった目薬の会社のがあるかどうか探したがみつからなかった。

[景清爪彫り観音]

 景清は平家方の荒武者だった。藤原悪七兵衛景清という。壇ノ浦の戦いに敗れ、囚われの身になって鎌倉へ送られ、牢ノ谷に閉じこめられた。あてがわれる食物を断ち餓死したという。また、頼朝の顔を見たくないとか、源氏の世の中を見たくないとの理由で、わが手で両眼を刳り抜いたとかの伝説がある。
 牢ノ谷に捕らわれている間、彼は爪で石を彫り観音像をきざんだという。これが清水寺に奉納されている。「景清爪彫りの観音」という。

 仁王門から鐘楼へ進み、三重の塔のすぐ下に、それは立っている。説明板もなく、いたって地味に扱われている。
 灯篭の火袋が四角い石になって、そこに二ヶ所の小さな窓があいている。この奥に、その観音さんが見えるらしいが、わたしには見えなかった。いま、清水寺に残る景清関連のものは、これだけである。
 もっとも、清水を訪れる修学旅行生には景清がどんな人物で、したがってこの灯篭にはこんな話があるなどといっても、蛙の面に小便みたいなもので、なんの反応もないであろう。わたしがこの写真を写したときも、女学生が回りにたむろしていて、「写真をとりたいので」と場所を明け渡してもらった。

[西洞院と麩屋町]

 われながら、じつにつまらぬことをしていると自覚しながら、定次郎と彼女の住所を訪ねてきた。

 定次郎の家は、麩屋町綾小路という京都でももっとも繁華な場所のすぐ近くである。
 四条通りからひと筋南へ入っただけなのに、このようなひっそりした家が並ぶ町になっていた。
 白髪の人が歩いて行くその方向が、彼女の家へ向かう道になる。
 

 彼女の家があった西洞院仏光寺。
 西洞院は交通の激しい通りだが、仏光寺通りはこのように静かだった。

 噺では、二人はすぐ近所の住人なので、顔を見合わせたことも何度かあるだろうとしているが、実際には徒歩で二十分ぐらい、烏丸通りを横断の信号待ちも勘定に入れるともうすこしかかるぐらいの距離がある。これも、あくまで念のため。

 清水さんのお陰で、定次郎は視力を回復するのだが、その後、彼女との関係はどうなったのだろうか。噺は、彼らの消息は語られないまま終わってしまう。
 あれっきり互いに別れたままだった二人が、ひょっこり出くわして、ふたたびヨリを戻し、めでたく二人が夫婦になる、そんな結末であってほしいと願う。
 

[いもぼう]

 清水の観音さんが、景清の目玉を定次郎に貸し与えるというところがある。

定「景清の目ぇ?そんな古いの、大丈夫かいな」
観「我もそない思うた故、三日前から水につけておいた」
定「平野屋の棒鱈やな、まるで」

 その平野屋は円山公園内にある。江戸時代からの老舗である。嵯峨の湯豆腐と並んで京名物にあげられている。棒鱈と里芋を絶妙の味わいで煮つけたのが出される。遠方からのお客も多いと聞く。

 私事になるが、わたしの父は京都の町と「いもぼう」が好きだった。毎回ではなかっただろうが、京都へ出かけると、「いもぼう」で食事をしていたようである。
 観音さんが景清の目玉を水につけてもどすくだりを書いていて、父のことを思い出し、咄嗟にあのように書いてしまった。いま、わたしは、いもぼうを楽しんでいた父の年齢になった。
 このことは黙っておくつもりだったが、やはり白状してしまった。

 噺には棒鱈も平野屋も出てこない。もちろん、わたしと平野屋は何の関係もない。

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