東京落語にも『饅頭こわい』はあるが、わたしの知る限り、上方落語の方がサービス精神が旺盛である。というのは、これから紹介する怪談仕立ての部分はあちらにはないようなのである。 | ||
それはともかく、この『饅頭こわい』はよく知られた演目で、噺としてもよくできている。いつだったか、深夜放送でこの噺を聴いた。すでによく承知済みなのに、あの怪談の部分を聴いていて、背中がぞくぞくする思いをさせられた。 なにはともあれ、噺を聴いていただこう。もし、これを夜更けに読んでおられるなら、いまのうちにトイレの用意をすましておかれるとよい。 |
||
[饅頭こわい] |
||
例によって、町内の若い者が集まってわいわいやっている。話題は怖いと思っているものは何かという他愛のないものだった。「ミミズが怖い」とか、「いや、わいはヘビや」とか、なかには「デンデン虫」というのまで現れる。 そこへ通りあわせたのが、若い者が一目も二目も置いているおやっさんだった。おやっさんは怖いもの知らずということだった。でも、あの歳なのだから、ひとつやふたつは怖い経験があるやも知れない。その話を聞こうやないかということになった。 |
||
「若いもん、何をワァワァいうてんのじゃ?」 | ||
「あぁおやっさん、まぁまぁ、こっ ち上がっとくなはれ。こいつが狐に騙された話をして皆で大笑いしてるとこでんね。恐いもんちゅうたらおやっさん、あんたは強いお 人やそうだんなぁ 」 | ||
「当たり前じゃい、人間のくせして狐や狸を恐がるちゅうのはな、そもそも間違ごうてるわい。万物の霊長ちゅうぐらいなもんやぞ。あれが恐いのこれが恐いの、若いくせになんと情けない……」 | ||
「せやけどおやっさん。いっぺんぐらいは怖いと思うたことはおましたやろ?」 | ||
「いや実はなぁ、そう言われてみると心(シン)から、底から、冷や汗流し て、『あぁ恐い』と思たことが、いっぺんだけあった」 | ||
「おやっさんが怖いと思うたんやったら、よっぽど怖い話やで。そいつ聞かしてもらえまへん かえ?」 | ||
「まぁ聞かしてやってもえぇが、お前らこの話を、怖がらんと終わりまで聞けるか?怖いよってに、おやっさん、途中で話やめてくれ、ちゅうても、わしゃやめんぞ。よし、聞くと言うんなら話してやるが……、もうちょっとこっちへ集まれ。 」 | ||
「あれは、わしが二十一か二ぐらいのときやったなぁ」 「古い話やなぁ」 「だいぶ に前のこっちゃ。その時分わしの伯父貴といぅのが南農人(ミナミノウニン)町の御祓筋(オハライスジ)をちょっと入った所に住んでたんじゃ。仕事の帰り、夜が更けてから、ちょうど伯父貴の家の前を通りかかったさかい、ちょっと寄ってみよと思うて、「まだ起きてなはるか?」と入っていくと、ちょうど伯父貴は寝酒をやって、これから寝よちゅうとこや。 |
||
「伯父貴が『あぁ、相手が欲しかったんじゃ、よう来た。まぁ上がれ』ちゅうんで、 酒の相手して世間話をしてるうちにだいぶんに夜が更けた。『泊って帰えれ』」というやつを、『明日の仕事の段取りがございまっさかい』ちゅうて、振 り切るようにして外へ出たんが、さぁ、かれこれ十二時か…… 」 | ||
「真夜中だんなぁ」 | ||
「そうじゃ。あの辺から本町の曲がりへかけて、そら夜は 人も通らん寂しいとこやったで。どんよりと曇って、今にも降り出しそうな 空模様じゃ。農人橋を渡ろうとして、ひょっと見ると、橋の真ん中に若い女ご
が一人ズボッと立ってるやないかい」 「真夜中に若い女ご、ちゅうのは 気色の悪いもんだっせ」 |
||
「何をしてんのかなぁと見ると、石を拾ろうて、こう、袂へ入れてる、こいつ身 投げやな。そない思うた。お前らも心得とくんやで。身投げを助けよと思たらな、『待った!』てな声かけたらあかんぞ。どないしょ〜かと迷てるヤツまでが、その声を合図にドボ〜ンと飛び込んでしまうねや。 | ||
「わしゃそれを聞ぃてたさかい、黙って傍へ行ってガッとこう抱(ダ)かまえて、『待たんかぁ、何をするねん』と云うた。 『どなたかは存じませんが、 死なねばならぬ事情のある体でございます。どうぞ助けると思うて、死なせておくんなはれ』ちゅうねん。 医者の診たて違いやあろまいしな、助けよと思て殺したりでけん。 |
||
「さぁさぁ、いずれわけがあるんじゃろが、いっぺんその事情というのを 話してみい。なるほどホンにこいつはどうでも死なんならんなぁと思たら、わしが手にかけてでも殺してやろ。万が一にも助ける手だてがあるんやったら相談に乗ったろやないか。まぁいっぺん話をせぇと、噛んで含めるように言うのじゃが、死神が憑いたというのか、ただサメザメと泣いて『死にたい、死にたい』の一点張りや。 | ||
「今のわしならなぁ、どついてでも引っ張って帰るで。何分にも歳が若かった。ムカ〜ッときた、 『何かい、赤の他人がこれぐらい親切に言ぅたってるのに、それでもお前死のうちゅうんかい。勝手に死にさらせ、どメンタ』 パ〜ンと突き飛ばすと、橋の欄干に当たって『ガツーン、ヒーッ……』 |
||
「あとをも見ずにタッタッタッと橋を渡りきった頃に、後ろの方でドブ〜ンという水音や。 「ああ、えらいことしたなぁ。最前までこの手で抱き止めて、まだ温もりが手に残ってるのに、その女が死んだか仏になったか……、ちょっと親切が足らなんだなぁ。 『南無阿弥陀仏、なまんだぶつ』と、腹の底から念仏が出たで… |
||
「嫌な晩じゃ、早よ帰って寝よと、足を速めていくと、ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。風が出てきて、あの辺の柳がザワザワッと音を立てた。 わしが足を速めていくと、後ろの方から何やら濡れワラジででも歩くような足音が、ジタ、ジタ、ジタ……、とするやないか」 「ナ、何や、 それ、何やねん、おやっさん?」 |
||
「何や分からん。後ろを振り向いて見ることがでけんもんやで、あぁいう時は。こっちが立ち止まると、後ろの足音もピタッとやむ。歩き出すとまたジタ、ジタ、ジタ……、足を速めて、タッタッ、タッタッタッと行くと、ジタジタ、ジタジタジタ……。何とかこの足音から逃れる工夫はないか。こっちが歩調を緩めると、向こうもジタ、ジタ…… | ||
「おい、居ててや皆。おやっさん、この話ちょっと恐いで、みな逃げたらあかんで、それからどないなったんや?」 | ||
「何とかこの足音から逃れる工夫……、と思てると辻堂があってなぁ、賽銭箱が置いたぁんねん。こいつやッと思うたさかい、タッタッタッ、サッと賽銭箱の陰へかくれた。足音はそれに気付かずにジタ ジタ、ジタジタ、ジタジタと通りすぎた。 | ||
「どんなやつがついて来やがったんやろと、覗いて見ると、前へ行くひとつの影がフラ フラ、フラフラッ……。安堂寺町の角、往来安全と書いた灯篭のあたりまで 来ると、見失のうたなぁという顔で、キョロ、キョロ、ヒョイッと振り向いたやつが、灯篭の灯りに照らされてまともに見えた。さっきの女ごや……。全身ぬれねずみ、ベタ〜ッと髪が体にへばりついたぁるわい。欄干にあたった時の傷とみえて、これからこれへ惨たらしゅ〜割れて血みどろじゃ。 | ||
「裾や袂からポタ〜ッ、ポタッしずくを垂らしながら賽銭箱に目を留めると、ヒョロヒョロ、ヒョロヒョロッと戻って来て。賽銭箱の角へ、こう手を掛けてズ〜ッ、 『さっき、助けてやろと、おっしゃったお方やなぁ……』 と、わしの顔を恨めしそうに睨みよった」。…… |
||
[おやっさんの足跡] |
||
おやっさんは、仕事の帰り道に南農人町の伯父貴とこへ立ち寄り、ふたりで酒を酌み交わし、夜が更けてから「安堂寺町」の自分の家に帰った。その途中であの恐怖体験をする。古地図と写真で、おやっさんの足跡をたぐってみよう。 |
||
![]() |
||
伯父貴は、上図の黒矢印付近に住んでいた。矢印の所を南北に通っているのが「御祓筋」である。当時は南農人町と呼んでいたが、いまの地番では「農人橋二丁目」付近に相当する。 |
||
![]() 写真の辻を右に行くと八軒屋浜に至り、左へ行くと四天王寺・住吉大社を経て遠く熊野へ通じる。「御祓筋」という。 御祓筋という名前の由来は定かではないが、一説によると、平安時代、京の貴族が熊野詣でをされるとなると、その道筋の住民が総出で、道を掃き清めたからだという。当時の民衆にとっては、京都の貴人は神様みたいな存在と思われていたのであろう。 |
||
![]() この辻のすぐ南に「南大江小学校」がある。そこに大阪市民なら必見の場所がある。太閤下水の遺構である。大坂の町はほとんどが埋め立て地であり、都市機能として雨水・生活用水を排出する下水道はなくてはならない装置である。 秀吉が大坂築城の際に、都市計画として下水道を建設した。世に太閤下水という。これが、そっくりそのまま残っており、その姿を間近に見ることができる。下水道はしっくいで塗り固めた石垣による暗渠である。 驚くことに、太閤下水は平成の現在も機能し続けている。なんとその総延長は20kmに及ぶそうである。 暗渠の一部が上から覗けるようになっている。かなりの水量が速い流れをつくっていた。 しかるべき手続きをしたら、暗渠の中を見学させてもらえるらしい。まさしく映画「第三の男」の太閤版である。 |
||
![]() おやっさんは、伯父貴との酒盛りですっかりいい気分になり、明日の仕事もあることだからと、伯父貴の家を出た。 南側の久宝寺橋を渡ってもよかったのだが、何故か、北へ一筋あがり、農人橋を渡る道をとった。この橋の上で、若い女の身投げに出くわすのである。 農人橋は、大坂城が築城される前からあったらしい。付近の農民が田畑に通うときに使っていたというから、ほんの小さい橋だったのだろう。太閤時代、徳川時代と町が大きく発展するにつれ、公儀が管理する立派な橋になった。、 |
||
![]() 若い女が身投げをしようとしていたのは「農人橋」であった。 この写真は本町橋から下流をみたものである。ゆるやかなS字カーブになっている。 カーブした水流の関係で、死体があがってこないとされ、身投げする者が多かった。 カーブした先に、わずかに緑色の橋桁が見えているのが農人橋である。 |
||
![]() 農人橋で女を見捨てたおやっさんは家路を急いだ。 すると、後ろから濡れた草鞋の音がジタジタと追いかけてきた。 振り返りもできず、恐怖に包まれながら歩み続ける。その道がこの写真である。おやっさんは、この道を恐怖と戦いながら前方にあるわが家を目指した。 左のガラス張りの建物は中央区役所。 このあたり世界規模の大商社や大会社が目白押しに並んでいる。 こんな街となった今では、いかに恨みを残して死んだとしても、いまの農人橋界隈では、ジタジタと歩けない。 |
||
![]() おやっさんが、ジタジタの足音に追われて、恐怖の極になったのは、安堂寺橋のたもとにあった辻堂の賽銭箱に隠れていた時であった。 すこし離れた辻に、往来安全の常夜灯があり、ずぶ濡れになった女が、見失ったおやっさんを、キョロキョロと探していた。ヒョイッと振り返りざま、おやっさんの姿を見つけ、タッタッタッと戻ってきた。 この写真は安堂寺橋である。橋のたもとに狭い植え込みが見える。おそらく、植え込みのあるあたりに辻堂があったのではないか。ここで、おやっさんが震えながら身を潜めていたのだ。 |
||
![]() おやっさんが若い頃に住んでいた「安堂寺町」である。 現在の市内地図にある安堂寺町は、ずっと東にあって、いまは「南船場」となっている。 後で判ったのだが、この写真の右に写っている洋服屋さんのビルの名前が「安堂」できれている。気がつくのが遅かった。きっちり撮影しておけば「安堂寺町」の名前が写っていたはずである。 この辺はマンションであれビルであれ、ほとんどが「船場」という名前をつけており、「安堂寺町」という名称のが見当たらない。安堂寺町という地名も捨てがたい味わいがあると思うのだが。 |
||
大阪人は「船場」という地名にあこがれる。南船場と「南」がついても、ここは立派に船場である。ならば、安堂寺町を名乗るよりも船場を名乗りたい。これは人情である。不動産業者にしても「船場」の方が商売しやすいのでそっちを選ぶであろう。 |
||
[往来安全の行灯] |
||
『安堂寺町の角、往来安全と書いた灯篭のあたりまで 来ると……』 というこの部分が、なんともほれぼれと好ましい。 この短い表現から、寝静まった大坂の町々、そのどこかに小さな常夜灯が揺らいでいるのを想像する。町の住民がお金を出しあって、灯篭の灯りを守っていたのがうかがえる。時々は犬が遠吠えしていたであろう。それ以外は夜のとばりに包まれ、静かに夜が更けていったのであろう。 |