鞍馬山


 わたしの知るかぎり、鞍馬山が舞台になる噺は三つある。

 一つ目は『天狗さし』。この噺はじつに奇妙な話である。ある男が食べ物屋をやろうと思いつく。普通の食べ物では面白みがないので、世間の誰もが知らない変わった材料のを売り物にするという。そこで、考えついたのが天狗を捕まえて料理しようというアイデアだった。……。

 二つ目は、ご存じ『青菜』である。植木屋がさるご隠居の庭の手入れをしている。ご隠居さんが植木屋にご馳走をふるまう。時期は夏。鯉のあらい。
 ご隠居「植木屋さん、柳陰は呑みなさるかな」
 植木屋「柳陰!そんな上等なのは口にしたこともありません」
 井戸水で冷やした柳陰。鯉のあらい。それに青菜のおひたしも出てくるところだったが、あいにくきらしている。
 奥さまが「牛若が鞍馬山より出まして、その名(菜)を九郎(喰う)判官」
 ご隠居が「義経。義経。(よし、よし)」。
 この暗号みたいなやりとりに植木屋はすっかり感心するというお笑い。

 長年の間、この柳陰というのが分からないままだった。広辞苑にもでていない。お酒の一種らしいのだが、それ以上のことは分からない。広辞苑にもでていない。百貨店の酒売り場へ行き、「ヤナギカゲはありますか」と尋ねた。相手も柳陰というのは初耳だったらしい。菊正宗とか土佐鶴といった銘柄の名前と思ったらしい。「いま、こちらには置いてないですが、調べてまいります。しばらくお待ちになってください」との返事だった。わたしは慌てて「それなら結構です」とお断りした。
 図書館へ出向いて『日本国語大辞典』(全十巻・小学館)で調べた。さすがは大辞典である。詳しく書いてあった。

「味醂と焼酎を混合する。味醂のもろみが完全に熟成するまえに、焼酎を加えて、圧搾、濾過して造った酒。夏期、冷やして飲む。やなぎかげ:京・大坂での方言。なおし:江戸での方言」

 三つ目が、これから紹介する『天狗調べ』である。なかなかよくできた噺であるが、これを演じきるには相当に年期が入ってないと難しいと思う。


[お崎さんの場合]

 清八が昼寝をしていた。ムニャムニャと寝言を呟いたり、寝ながら怒ったり笑ったりしている。いつまでもやっているので、女房のお崎さんが声をかけた。
崎「あんた、どんな夢見てたん。なんやしらん、怒ったり笑うたりしてたで。いったい、どんな夢やったんか、わてに云うとくなはれ」
清「夢なんか、見てなかったで」
崎「ええ夢見て喜んでたやないか。あんたはそういう人や。長年、連れ添うた女房に云えんような夢見てたんか。あんた、わてに隠し事してるのと違うか」
清「見てないもんの話は出来んわい。いつまでもゴジャゴジャ云うてたら、ボーンとくらわすぞ」
崎「ああ、どつくなり、蹴るなり、どないなとしなはれ、いっそのこと、殺せ!さあ殺せ」

[徳さんの場合]

「お前らほど喧嘩の好きな夫婦はないな。なんやて?夢の話か。夢のことで、お前らは『さあ殺せ』までいくのんか。隣に住んでる者の身にもなってみ、『さあ殺せ』ちゅうのんを聞いてて黙ってられるか。」
「さ、お崎さん、そないに泣かんと、涙、ふきなはれ。いま、ウチのお芳がかき餅を焼いてるさかい、それでも食べて機嫌直しといで」
「…。お崎さんをあっちへやったさかい、お前とわしだけや。お前と儂はガキの頃からの付き合いや。儂にやったらどんなことでも云えるはずや。どんな夢見てたんや。こう見えても、儂は『黙っておれ』と云われたことは、どんなことがあっても喋らん肚はもってるつもりや。誰にも云えへんさかいに、安心して云うてみ」
「そうか、こんだけ訳いうてやっても、儂の云うこときけんか。お前という人間はそんな男やってんな。よし。お前との付き合いは今日限りや。これからは兄弟分てなこと云わせへんで」

[家主の場合]

「清八と徳がまた揉めごとかいな。ウチの長屋ほど、揉めるトコないで、ほんまに」
「徳、お前、他人の夢のことで、わあわあ云うてる暇があったら、自分の商売に精だしたらどや。三月分も家賃が貯まってるねんで。早う帰って、仕事してこい」
「清さん、あのうるさ型を帰してもうた。家主は親も同然、店子は子も同然の間柄や。まして儂は町役人も勤めてる。その儂にやったら話できるやろ。どんな夢を見たんや、さぞかし、面白い夢やったんやろ」
「なにか。町役を勤めてる儂にも云えんねやな。道理の分からんやつやな。お前みたいな道理の分からん者に、儂の家を貸す訳にいかん。今日限りで明け渡してもらおう」

[お奉行さんの場合]

「そちは幸兵衛というか。家主とか町役と申すは、下々の鑑にならんければ相成らん者。それが、たかが夢の話で店立てするとはけしからぬ。かかる、馬鹿ばかしきことで、上、多用のみぎり、手数をかけるは不届き千万。きっと叱りおく。よいか。さよう心得よ」
「清八とやら、ひとたび、肚をくくって喋らぬと決めたるうえは、女房にも語らず、徳助とやらにも語らず、町役の幸兵衛にも語ることなかりしは、あっぱれじゃ。奉行、感服いたしたぞ」
「清八、かかる理由をもって家を明け渡すには及ばん。これにて、一件落着。皆の者、立ちませい。ああ、清八、そちは、しばし、それに控えおれ」
「…。清八。皆の者を外へ出したる故、ここにはそちと余のみである。恐れることはなにもないはず。心おきなく、夢物語を聞かせてくれい」
「黙れ、黙れ。恐れ多くも将軍家のお眼鏡に叶うて、奉行を相勤める余に、その話を出来ぬと申すか。かく言い出したるうえは、拷問にかけてでも、きっとその話、聞いてみせるぞ」
「たれかある。この者に縄を打て」
  清八、可哀相にグルグル縛られて、庭の松の木にくくりつけられた。

 大坂の町奉行所は、本町橋東詰北側にあった。すこし前まで、その緑地帯に標柱があったのだが、なぜかマイドーム大阪に移転していた。古地図とてらしあわせても、以前の場所の方が正しいと思えるのだが。

 シャッターを押しながら、清八がくくりつけられた松の木は、どのあたりにあったのかと思っていた。

[天狗の場合]

 縛られて気を失っていた清八。冷たい夜風に吹かれて、我を取り戻した。きつく縛られていた縄は解けていた。目の前にいたのは、大天狗だった。
清「おお、ここは何処でおますかいな」
天「鞍馬山は僧正ヶ谷なるぞ。われ、久々に大坂を飛行したみぎり、奉行所の上空にて、お前の悲鳴を聞きつけた。それがなんと、夢の話に端を発したというではないか。馬鹿馬鹿しい」
天「奉行といえば、下々の者の鑑にならねばならぬ身でありながら、自らの職権を乱用し、拷問をもって話を聞き出そうとは、言語道断の沙汰じゃ。よって天狗が代わって裁きつかわした。汝に罪はない。安心してよいぞ」
清「ありがとさんでござります」
天「女房が聞きたがり、隣家の徳が聞きたがり、家主が聞きたがり、奉行までが聞きたがる。馬鹿馬鹿しい。たかが夢ではないか。天狗はそんなものを聞こうとはおもわぬ。馬鹿馬鹿しい。聞いたところで何になる」
「さりながら、素町人などというものは、どのような夢を見るものやら、お前が『話したい』のであれば、天狗、聞いてやってもよいぞ」
「ここは世に名高き僧正ヶ谷。誰も居る者はない。まして、儂は人間ではない天狗じゃ。それが『聞いてやってもよい』と申しておる。『聞いてやってもよい』と申している内に喋らねば、いつ喋るぞ」
「そのように、天狗を侮るとどうなるか。五体八つ裂きになってもよいのじゃな」
  長く尖った爪が、清八の身体にくい込んできた。
清「ああ、助けてくれ。誰か、わたいを助けてくれえ」
お崎さんが、布団の上から覗き込んで、「あんた、どないしましてん。どんな夢、見てた?」


[鞍馬山]

 鞍馬へはとりたてて道案内するまでもない。出町柳から叡山電車で約30分。終点が鞍馬である。この路線、二軒茶屋までは普通の市内電車みたいだが、そこから先が俄然、田園風景や渓谷美に包まれ、信州かどこかを走っている錯覚を覚える。
 途中の市原駅付近の風景を、原田泰治画伯が詩情豊かに描いている。

 画伯は、この絵に一文を寄せてこう書いている。
『市原町には鞍馬へ向かうひと筋の街道が走っている。叡山電車がカーブの音を軋ませながら市原駅に着くと、合歓の花が咲く眺めに出会う。現実離れし、夢を見てるような合歓の花は、ひぐらし啼く夕暮れ、薄明かり中で、いっそうあざやかであった。』

 この叡山電車は、集客のためのイベントとして、紅葉のライトアップをする。ちょうどこの絵の付近から上流方面は、線路のすぐ側まで雑木林が迫っている。これにライトを当てるのである。まるで紅葉のトンネルをくぐるみたいだということだ。

 終点の鞍馬駅では、プラットホームにも駅舎にも天狗のお面が出迎えてくれる。駅前広場には特大の天狗のお面が虚空をにらみつけている。
 すくなくとも叡山電車は、集客の力点を、鞍馬のお寺詣りよりも、天狗の方においているらしい。

 電車を降りた人たちは、ほとんどがハイキング姿であった。
 駅からすぐのところに山門があり、いくばくかの入山料を払って、いよいよ登山になる。
 最初の石段を登った処で、高齢者の「歩こう会」が額を集めて相談していた。皆さん、きっちりと山の服装をしておられる。なんの相談かと思っていたら、ケーブルカーにするか、歩いて登るかの合議であった。揉めることなくケーブルに衆議一決したのは、はなはだ結構だった。わたしは迷うことなくケーブルに決めてある。

 このケーブルが面白かった。運賃が100円である。それもさることながら、乗車券がすこぶるふるっている。木蓮の花片みたい形のな大ぶりなものである。それに「参拝記念」と銘打ってある。以下、その全文を書いておくと、
「鞍馬山山内の諸堂や施設を維持するために、ご協力を頂きありがとうございました。そのお礼として、ケーブルカーを片道ご利用いただきます。この花片を係員にご呈示の上、ご乗車ください」
 つまり、100円は乗車賃ではなく、お寺への寄付であり、お寺はその寄付に応えてケーブルカーにお乗せしましょうという主旨なのである。
 ご覧のように、可愛らしい車体であった。わたしは、このようなのが大好きである。100円の参拝記念と、この可愛いケーブルに乗るだけでも、鞍馬へもう一度行きたいものだと思っている。

[僧正ヶ谷]


 本堂脇の小さな門が、奥の院・僧正ヶ谷への入口だった。門の傍らに杖を置いてある。わたしはそれをお借りした。
 今回、杖の効用をつくづく思い知らされた。若いときは、なんでもなく歩けた山道が、この歳になると不安定になっていけない。いよいよ、わたしも杖の要る年齢になったのだと、なんだか妙な感想を抱いた。

 木の間隠れにお堂が見えてきた。不動堂である。ここが僧正ヶ谷。牛若丸が天狗を相手に武芸にいそしんだところである。
 深い森の底。昼なお薄暗い場所である。神韻渺々として、いかにも天狗が棲んでいそうな気配がする。


 ふと、蕪村の天狗の句を思い出した。


 せみ啼くや 僧正房のゆあみ時

 長い夏の日も、ようやく西に傾こうとしている。
 蝉の声が、ひぐらしに変わろうとしている。
 ここ、僧正ヶ谷にも天狗の湯浴び時が近づいてきた。


 蕪村ならではの佳句だと思う。
    

 わたしは、深い木立を通して、背伸びするようにして僧正ヶ谷の谷間を覗いた。谷間のどこかに、天狗が水浴びでもしているように思ったのである。

[五条大橋]

 帰途、思いついて五条大橋に立ち寄った。かねてより、三条大橋にあるという弥次喜多の銅像と、五条大橋の牛若・弁慶の像を見ておきたかった。

 京の五条の橋の上 大の男の弁慶は ながい長刀 振り上げて 牛若めがけて斬りかかる

 前や後ろや右 左 ここと思えばまたあちら つばめのような早業で 鬼の弁慶 あやまった
 

 五条大橋の西詰、中央分離帯にそれはあった。いかにも場所が悪い。歩道からでは、きれいに見られない。わたしはかまわず、分離帯に入りこの写真を撮った。もし、あの時、近くに警官がいたらピピピーと笛を吹かれて叱られただろうと思う。

 自慢するようだが、美しく撮れたと思う。牛若、弁慶のどちらも、じつに可愛い。

 ことに、捻り鉢巻きの弁慶が、ちっちゃなチンチンを放り出しているのが可愛らしい。


 それにしても、このような傑作を、どうしてあんな見にくい場所に設置したのだろう。見回したところ、近くに適当な場所がいくらでもあるのに。あれではせっかくの傑作が勿体ない。

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