衣棚町


 『はてなの茶碗』は傑出した名作だと思う。構成がしっかりしていて無理がなく、スケールが大きくて、登場人物が多彩である。しかも『御裳(オンゾ)の裾を濡らす』だなんて、まるで源氏物語みたいな言葉を用いたりする。
 それだけに演じるのははなはだ難しいと思う。年期の入った噺家でないと、高座に乗せられないように思う。
 この噺、米朝師匠が修業時代には、師匠方によって噺の運び方やくすぐりの型が微妙に違っていたらしい。米朝師匠は、とっくに引退していた師匠連中を訪ね廻り、断片的に記憶されているのを発掘し、足りない部分を補い、矛盾するところを削りして、今日の噺として復活させた。このことだけでも、米朝師匠は高く評価されてしかるべきである。

 もともと清水寺は、都がまだ奈良にあった昔に、ある僧が音羽山山麓の滝の傍に庵を結んだことに始まる。

 清水の舞台は、いつ行っても大勢の観光客であふれている。
 いまさら道案内でもあるまいが、念のために書いておくと、清水の舞台の出口から右に石段を降りたところに音羽の滝がある。(左へ行くと縁結びの神様として女学生が嬌声をたててお詣りしている地主神社である)。
 三本の滝水が落ちているが、それぞれ、恋・学業・健康の願いが成就されるそうである。だからといって欲張ってはいけない。願いをひとつにしぼり、それも一口だけ飲むと叶えられるという。飲み終わった人が「あ、まちがった。三本の滝水をすべて飲んでしまった」と悔やんでいる人も多い。次に行かれるときはご注意のほどを。


 清水の舞台から滝を見下ろすアングルで撮った。多くの人が滝水をいただこうと、列を作って待っている。その横にある白い日よけ屋根が茶店。すこし前まで葭簀張りだった。
 この茶店で、茶金さんと油屋が出会うのが噺の発端である。

【第一幕】

 春が過ぎ、いよいよ夏にさしかかろうとする頃(と、わたしは想像するのだが)、滝の前の茶店で休憩している人がいた。年頃は五十をいくつか過ぎたあたり、みるからに上品な客である。その人が、さきほどから、しきりに茶碗をひねくり回しては頭をかしげている。そのうちに諦めたものか、茶代をおいて立ち去った。
 場面が変わって、隣の床机で同じように休憩していた男も席を立った。茶店のお親爺に「ちょっと頼みたいことがある」という。何事かと聞いてみると、彼は菜種油を売り歩いているのだが、軒先を借りてお昼の弁当を広げるとき、お茶を所望したいのだが、なにしろ油を売り歩く商売のことゆえ、手が汚れているので所望しづらい。茶店で使っている茶碗をひとつ呉れないか。そんな頼みだった。亭主は、馴染みの客の云うことゆえ、こころよく承知する。
油「ほなら、この茶碗、もろとくで」
主「ああ、そらあかん。他のんやったら二つでも三つでも持っていってもかまわぬが、その茶碗だけはあかん」
油「なんでやね。どれもこれも清水焼の同じような安手の茶碗やないか」
主「なんでも、かんでも、その茶碗はあかん。ほかの茶碗にしといて」
油「なんでそないにあかんね」
主「おまはん、さっきのんみてなかったんかいな。不審そうな顔をして茶碗をひねくり回していた人があったやろ」 
 亭主の話はこうであった。茶碗を縦から横から見ていたのは、京都で一番の目利きという茶金さんだ。衣棚町で茶道具屋をしてなさる。茶道具屋の金兵衛。人呼んで茶金さん。
 あの人が「これは…」と指さしただけで値打ちが何倍かにはねあがる。頭を振って「これは…」となったら、それがなんぼになるか判れへんちゅうくらいや。
 その茶金さんが、目をつけて、さんざんひねりまわして、「はてな」というて、席を立ちはった。きっとえらい値打物の茶碗に違いない。うちの宝物にするさかい、その茶碗はよう渡さん。
油「なんや、親爺っさんもあれ見てたんかいな。いや、わいも同じ思いをしてるねん。こら、えらい金儲けになると、目っこを入れたんや。よし判った。ここに二分の金がある。これでも十日やそこら汗水流してようやく手にした金や。これでその茶碗、売って」
主「二分やそこらでは手放せん。場合によったら何十両にもなるやも知れん。それをみすみす二分やそこらでは手放すわけにいかんわ」
油「よし、もうこうなったら、わいも清水の舞台から飛び降りよ。ここに二両の金がある。わいが三年がかりでようやく貯めた金や。この金で話をつけようやないか」
 油屋は、二両の金を投げつけるようにして親爺に渡し、逃げるようにしてその場から立ち去った。
主「おい、そんな無茶したらあかんがな。…。油屋、お前、儲けがあったら分け前、持っといでや」
【第二幕】

 舞台は、清水寺から、衣棚町の茶金さんの店に変わる。

『はてなの茶碗』は、東京落語にも移植され、『茶金』という名題で演じられている。亡くなった志ん朝は、茶金の店の様子がありありと思い浮かぶが如くに、次のように描いている。

「…。油屋が茶金の店の前に立ちました。唐桟の着物に紺献上の帯、渋い色の前掛けをしております。格子戸に手をかけますと、滑るようにカラカラと戸が開きます。床は御影石の洗い出し、正面に大きい戸棚が並んでおります。その戸は古代更紗で表具してご座います。
 店はシーンと静まりかえっております。…」
 
 衣棚町。後で詳しく書くが、往時は大きい呉服問屋、道具屋、はたまた文化人の茶室などがあり、落ち着いた町並みであったらしい。
 この地図は明治時代のものである。六角堂の北側に郵便局と電信局が並んでいる。その頃はちょっとしたビジネスセンターだったのだろうか。

「…。どこで手回ししましたか、古びのついた桐の箱へ、鬱金の裂に包んで、この茶碗を入れます。ちょっと気の利いた更紗の風呂敷で包みますと、自分も前垂れのひとつも掛けかえて、どっからみても道具屋の手代というような格好で、茶金さんの店へやってきました」 
油「ちょっと茶金さんに見て貰おう思うて来たんやが」
番「主。いま。手の離せん用事をしております。手前、店を預かっております番頭で。何方に限らず、まず、手前が拝見しまして、目が届かん節には主が…」
油「そうか。店の決まりならしょうないわ。あんたに見て貰おう。せやけどなんやで、品物を見て、あんた、笑うたらあかんで」
番「いえ、そんなこと、いたしやしまへん。ほう、ええ風呂敷でやすな。更紗もこれくらいになると…」
油「風呂敷は賞めんでもええね。茶碗をしっかり見ておくれ」
番「へえ、へえ、茶碗どすかな。へえ、へえ、それでは拝見いたします」
番「お品ちゅうのは、これでっか。間違いやおへんやろな。…。うーん。手前どもでは目がいきとどきまへん。どうぞ、余所さんで見てもろておくれやす」
油「そやから茶金さんやないとあかんね、この茶碗は。茶金さんなら、百両二百両、ひょっとしたら千両になる品物や」
番「そらなんぞの間違いでござります。ほんなら申し上げますが、これは何処にでも転がってる安手の数茶碗。どうみても、八文か十文。なにが、千両ですかいな。えっ、へっ、へっ」
油「お前、笑うたな。笑うたらあかん、いうといたやろ(と、頭をボカンと叩く)」
茶「店が騒がしい。どうしたんや」
油「あ、茶金さん、あんたの来るのん待ってたんや」
番頭が茶金さんにこれこれしかじじかと事情を話す。
茶「それなら、私が拝見しましょう。ええ、風呂敷でんな。こういうのに包むと値打ちが上がりますな」
油「風呂敷はどうでもええね。茶碗を見ておくれやす」
茶「はい、はい。…。(おもわずプッと吹き出す)。いま、番頭が申しましたように、ウチでは目がいきとどきまへん。どうぞ、お引き取りを」
油「あんた、箱から出しもせんと。そんな薄情な見方やなしに、じっくり見ておくんなはれ」
茶「いくらみても、同じことでおます。これが五百両や千両なんて、そんな無茶なことにはなりまへん」
油「茶金さん。あんた、二三日前、音羽の滝の茶店で休んではったなぁ」
茶「ああ、あんさん、あの時にご一緒やったお人どすな。たしか、油屋はん」
油「そや。その油屋や。茶金さん。あんたぐらいになったら、京の人間なら誰でも知ってるねんで。そのあんたが、この茶碗をすかして見たり、裏返したりしてたやろ。こら、えらい値打ち物よと思うたよってに、茶店の親爺と喧嘩までして、小判を二枚…。あんたらには、小判の二枚や三枚、どうちゅうことはないやろけど、わいにとっては…。三年間、食うものも食べんと、やっと貯めた二両のお金や。やっとの思いで買うてきたんやないかい。
 並の安茶碗なら、あんな飲み方さらすない。茶金さんがひねくり回してる…。これ、値打ち物と誰でもそうおもうやないか」
茶「そうでおましたか。そら、私が悪かった。おかしな手付きをして、あんさんを惑わしたりして。あの時の茶碗はこれでしたかいな。いや、この茶碗、おかしなことに、どこにも皸が入ってないのに、水がポタポタ漏りますのや。おかしいなあ、はてな、ちゅうて席を立ちましたんや」
油「えっ、なんかいな、これキズ物か。…。えらいことしてもうたな。…。
 茶金さん、ま、聞いとくんなはれ。わたい、大坂の人間でんね。遊びが過ぎて勘当され、京へ逃げて来ましてん。親に詫びをいれるにも、まとまった金なしでは帰るに帰れん。このお金、苦労してやっと貯めた二両でんね。そやけど、キズ物ならしゃあないわ。ああ、えらいあて外れや。…。しゃあない、博打に負けたと思うて諦めま」
茶「ちょっとお待ち。もう一度、ここへお戻り。あんさん、大坂のお人でっか。そやろな。京の人間やったら、とてもそんなこと出来まへん。やっぱり商いは大坂どすな。…。云うて失礼やが、二両といえば、あんさんには大金ですやろ。まして事情のあるお人、よくよくでないと、二両の思惑は出来まへん。よろしい。この茶碗、私が買わせてもらいまひょ」
油「えっ、千両で?」
茶「いや、そんなには買えまへん。あんさんが出しはった元値の二両、そこへ箱代、風呂敷代を添えまして、もう一両、…。これは茶金の名前を買うていただいたようなもの。商人冥利に尽きます。あんたに損をさせては、私の面目がたちまへん」

【第三幕】

 茶金さんともなると、ずいぶんえらい場所にも参上します。ある日、関白鷹司公のお屋敷へ参りました。
鷹「茶金。近ごろ、世上でなにか面白い話はないか」
茶「先ごろ、手前どもで、こんなことがおました」
鷹「ほほう。そりゃ面白き話である。麿もその茶碗が見たい」
 早速、人を走らせて茶碗を取り寄せます。
関白でも誰でも同じこと。水を注ぐと、ポタリポタリと漏ります。
鷹「はてな。面白き茶碗じゃ」
と、筆をお取りになって短冊にサラサラとお書きになる。

  清水の音羽の滝の音(落)してや 茶碗も日々(皸)に 森(漏り)の下露
【第四幕】

 この話が御所の中で評判になり、とうとう、時の帝(ミカド)のお耳に入りました。
「朕もその茶碗が見たい」と仰せになった。とんでもなく、えらいことになってしましました。
 茶金さん、三日間の精進潔斎で身体を浄めまして、衣服も何もかも新調しまして、御所へ参内いたします。
 どんなに尊いお方であっても、茶碗に変わりはございません。水を注ぎますとポタリポタリ、御裳(オンゾ)の裾を濡らしました。
 帝が筆をお取り遊ばされ、万葉仮名で『波天奈』と箱書きがすわりました。

 安物の清水茶碗が、えらい値打ち物になって、金銭では数えられない貴重なものになりました。

 大坂の鴻池善右衛門。当時の日本一のお金持ち。その鴻池はんが、この話を聞きつけて、すぐさま、京へ上ってみえた。
鴻「茶金。その茶碗、千両でわしに譲ってくれ」
茶「尊きお方の筆が染まりましたもの。鴻池様であっても、この品だけはとてもお売りできません」
鴻「そらそうや。御所からのお下がりものを買うたり売ったりはでけんな。ほんなら、こうしようやないか。わしが千両を茶金に貸そうやないか。おまはん、ウチから千両、借りておくれ。そのカタにこの茶碗をわしが預かる。茶金、千両、早う流してや」
えらい回りくどいながら、茶碗が千両で鴻池の蔵に収まった。
ひと口に千両というが、いまのお金にしたら一億数千万円になるだろう。

【第五幕】 

 茶金さんは、このことを油屋に伝え喜ばせてやろうと思うのだが、彼は恥ずかしいのかどうか、茶金さんの周辺に姿を現さなかった。茶金さんとこの小僧さんが使いに行った先で油屋を見つけ、嫌がるのを無理に連れてきた。
油「ああ、茶金さん、面目ない。あの金を返せといわれても、すっからかん無くなってしまいました」
茶「いや、そんなことで呼び入れたわけではない。実はな、あれから、かくかくしかじかがあって、油屋さん、喜んでおくれ、あの茶碗、千両で売れましたんじゃ」
油「千両!。そうか。茶金いうたら、そんな人間やったんか。京の人はえげつないとは知ってたが、茶金さんまで、そんなにえげつないとは思わなんだ。それにしても、貧乏人を三両で喜ばしといて、その裏で自分は千両の金儲けか。あんたもえげつないお人やなあ」
茶「いや、そうではない。かくかくしかじか。そうやから、この金を独り占めにはできまへん。ここに五百両、用意してあります。これはお前はんの取り分じゃ。それから、残りは、京にも近ごろは貧しい人が増えたということを聞いております。その人たちに施しさせてもらいます。少しだけ残しておいて、それで店の者や知人を集めて、一緒にお祝いしようと思うとります。油屋さん、五百両あったら、あんたも胸張って大坂へ帰れますやろ。早う帰ってご両親さんを安心させておあげ」
 ここでめでたく終わったのでは落語にならない。油屋はさらなる金儲けを企んで、とんでもないものを仕入れてくる。……。


[滝の家]

 茶金さんが、しきりに茶碗をひねくり回していた茶店、音羽の滝のすぐ前にある。「滝の家」という。取材に出かけた日は汗が噴き出るような暑い日だった。滝の家さんで一服した。なにも茶金さんの真似をしたのではない。暑くてたまらず、かき氷で汗を入れようとしたのである。暑い日はかき氷が一番である。それも野外の葭簀ばりの床机に座ってのがよい。冷房のきいたティー・ルームで、クリーム・パフェなんてのを頂いても美味しくない。夏はかき氷にかぎる。ついでにもうひと言付け加えると、アイスクリームは冬、ぐんと暖房をきかした部屋で食べるのを最上とする。

 なにがきっかけになったのか、滝の家さんの若内儀との会話がはずんだ。現当主は六代目になるという。
 わたしの憶測だが、彼とは学生時代に知り合い、結ばれたらしい。嫁入りするまで、彼の家が『はてなの茶碗』に登場することを知らなかったという。だいいち、落語そのものを知らなかったと、笑っていた。
 ときたま、師匠さんが弟子を連れてきて、『はてなの茶碗』についての考証を語ったりしているそうである。そんなとき、あの噺がフィクションだとわかっていても、自分がそこの六代目の嫁であることに誇りを感じるという。
 ただし、茶金さんの衣棚町へはまだ行ったことがないそうである。

 参詣道の両側に桟敷をしつらえてあるので、滝の家に立ち寄るつもりがなくても、「ざるそば」の暖簾をかきわけて行かねばならない。ここを出たすぐの右に音羽の滝がある。写真に、滝の水をいただこうとして並んでいる人の姿も写っているのだが。 

 若内儀が「もうすぐしたら、石段の上から龍神さんが降りて来やはります。ウチの人も、供奉人として参加しています。おかしな衣裳を着て、龍神さんを担いではります。ご覧になってください」と告げた。
 清水寺の境内で商売をしている縁で、お寺の行事にはなにかと参加しているらしい。観音さんにお仕えする喜びみたいなのを感じるそうである。
 別れしなに、「これから、衣棚町へ行ってきます」と挨拶したら、お内儀は「どうぞ茶金さんに、滝の家からよろしくと伝えておいて下さい」と笑っていた。若いのになかなか面白い人だった。 

[衣棚町]
 烏丸四条から北へ上る。錦通り、蛸薬師通り、その次が六角通りである。烏丸から東へすぐのところに、通りの名前になった「六角堂」がある。西国巡礼の札所であり、参詣人が後を絶たない。その名の通り六角形のお堂が特徴的である。
 ここは生け花の池坊の本拠でもある。華道のお師匠さんらしい人を何人かお見かけした。

  六角堂へ寄り道したのは、境内に「へそ石」というのがあり、それを見るためであった。
 古来、この「へそ石」が京都の中心であるとされている。事実、江戸時代の古地図を見ると、まさしくこの付近が中心地であり、世人の云うことに偽りはない。

 六角堂の北側が三条通りなのだが、これを西へ行くと、お目当ての「衣棚(コロモンタナ)町」になる。「へそ石」から歩いて五分とかからない。衣棚町はかくも京都の中心地である。

 この地名のおこりは、「衣店(タナ)」だったそうである。それがいつしか「棚」になったらしい。
 その名のように、この町は織物問屋が多かった。それに混じって、茶金さんとこのように道具屋・骨董屋などの店も並んでいた。
 この地図の左に「御城」とあるのは二条城。御所は地図の斜め右上になる。清水寺は斜め右下になる。御所へはさして遠くはないが、清水へは、さっさと歩いても一時間ぐらいの距離だろう。茶金さんがいくら昔の人で健脚といっても、毎日の散歩にはすこし遠いのではないか。

 京都はあっちを向いても、こっちを向いても老舗だらけである。文化文政時代の創業といっても、京都では大きな顔はできない。そのなかで「千切屋(チギリヤ)」は、蕎麦の「尾張屋」やお菓子の「とらや」と並ぶ老舗の中の老舗である。
 都が奈良から平安京へ遷ったとき、甲賀の住人だった西村家の初代がここに居を定めたことに始まるそうな。いうなれば桓武天皇といっしょに京都の住人になったようなものである。当初は宮大工であったが、後に法衣を商うようになった(1555)。爾来、千切屋は古い暖簾を守り続けてきた。

 お坊さんは普段は墨染めの質素な衣をつけているが、お葬式なんかになると、金襴緞子のすごい衣裳をまとう。あれが法衣である。最高級の織物である。法衣を専門に扱ってきた千切屋は、最高級の織物問屋ということになる。大寺院はもとより、御所や公卿、さらに将軍家などの御用を承ってきた。
 千切屋一門は、最盛期には百軒の分家を擁していた。それらの分家は、区別のために、壁の色を塗り分けていた。このため、衣棚町界隈は色とりどりだったので、京童は「五色の辻」などと云っていた。
 衣棚町はそんな古い町である。
 
[千切屋]

 この千切屋さんも、そうした分家のひとつである。
 家の構えと看板を一枚に収めようとしたので、かえって全容を失ってしまったが、古い伝統を思わせる結構な町家であった。

 門に「なんとか展示会。何方様も遠慮なくお入りください」とあった。こんな時でもなければ、中の様子を拝見できないので、勇気をふるって案内を請うた。
 暑い日だったが、きっちりとした和装の方が「どうぞ、どうぞ。お上がりやす」と心易く仰ってくれたので、お言葉に甘えて上がらせてもらった。  

 十畳の奥の間を二つぶち抜いて、とりどりの着物を展示してあった。
 お客は二組だった。どちらもお母さんとその娘さんだった。娘さんを立ったり座らせたりして、着物を選ぶのに余念がない。目出度く縁談が相整い、今日は母娘で嫁入り衣装の買い付けに来たらしい。
 谷崎潤一郎の『細雪』のシーンをみている気分になった。

 この写真は、当然のことながら、お店の人とお客さんの双方に断って写したものである。

 うかうか長居していると、お茶と羊羹の接待でもありそうな気がしてきたので、シャッターを切るなり、お礼を申し上げ、早々と引き上げた。まさか羊羹が出るとは思えないが、そんな上品な雰囲気だったのである。


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