天満 市の側


 江戸時代、大坂には三つの市があった。
(一) 堂島の米市。全国の米の相場がここで決まった。
(二)雑喉場(ザコバ)。遠近の鮮魚が集散する魚市場である。
(三)天満の青物市。青物一般および果物・乾物が取引された。いずれも、幕府から公認をうけ、その権勢はほかに並ぶものはなかった。
 落語『千両みかん』は、この青物市が舞台になる。



 地下鉄天満橋駅から大川を渡った左側(西)に河岸公園があり、矢印のあたりに青物市跡の石碑がある。古地図を参照すると、この南天満公園一帯が青物市だった。大小の青物問屋が軒を並べていた。
 すこし前までは、公園からお城がきれいに見えたが、近頃は高層建築が邪魔になって見えなくなった。

 公園にある「天満青物市跡」の石碑。
 天満の市は、秀吉の時代からあった。司馬遼太郎氏によれば秀吉は、天満の市の繁忙な様子を見るのを好み、妻妾をひきつれて遊びにやってきた。市の人々が畏まってしまうのを「善し、善し」ととどめた。「わしにかまわず、普段通りにせよ」という意味らしい。人々は、そんな親しみやすい太閤さんが来るのを歓迎したという。
 わたしが思うには、本音としては迷惑に思っていたのではないだろうか。忙しくしている最中に、妻妾や警護の武士を引き連れて、市場を興味本位に歩き回られたのでは、仕事の邪魔になってたまったものではなかったろう。


 説明文に「早朝より市が立つ。売り手、買い手が参集して、その賑わいは想像以上である。十二月には紀州より蜜柑舟がきて、ここの市で商いされる」などと記されている。


 青物市跡の石碑のすぐ傍に、姉さんかぶりの少女が、ねんねこ姿で赤ん坊をおんぶしている銅像があった。
 脇に「天満の子守歌」のプレートがはめてある。

   ねんねころいち
    天満の市で
  大根(ダイコ)そろえて
    舟につむ

   舟につんだら
  どこまで行きゃる
  木津や難波の橋の下


 

 母がわたしに歌ってくれた子守歌は、「ねんねころいち…」ではなく江戸子守歌であったかもしれない。しかし、祖母が歌ってくれたのは、間違いなく「ねんねころいち」の歌であったはずである。祖母は古い大坂弁をいつまでも崩さなかった。寿司を「おすもじ」と丁寧に云った。「はんなり」という表現がぴたりの、行儀のよい人であった。

 大川縁で、釣り竿を三本もあやつっている人がいた。鯉を釣っているという。なかなかかからならしい。「だから面白いのです」ともいう。ただし、鯉は臭くて食べられない。釣り上げたらすぐに放してやるという。お世辞に「30cmぐらいのがかかりますか」と尋ねたら、馬鹿にするなと言いたげに「なに50cm以上のが釣れますよ」と云った。


『千両みかん』は、こんな噺である。

 船場のさるご大家の若旦那が病の床についた。大坂中の医者にみせたが診たてがつかない。「このままでは、あと一と月の命です」などと云われる。「なにか思い詰めてるらしい。それを聞いてやれば…」とのこと。親旦那は、息子の幼いときから世話をしていた番頭に、聞き出し役を頼んだ。
 番頭が戻ってきた。
「おお、番頭どん、ご苦労をかけましたな。それで倅はどない云うてました?」
「若旦那さんは、うっとりした目ぇしはりまして、『柔らかい、色艶のええ、ふっくらとした』」
「おお、そんなことを云いましたか。子供や、思うてましたが、もうそんな年齢になりましたんやな。それで先さんは、どこの嬢(イト)さんかいな」
「旦那さんかて、そない思いはりますやろ。それが違いまんね。若旦那さんは蜜柑が欲しいと云うてはりまんね」
「おまはんはどない云いましのじゃ」
「蜜柑ぐらいのことやったら、造作おまへん。なんやったら、この部屋一杯にしてあげま、そない申しました」
「おまはん、今日は何日と思うてなさる」
「へえ、六月の二十四日でおます」
「そや、二十四日や、土用の真ん中や。この季節、どこに蜜柑を売ってなはる?」
「あっ、ころっと忘れてました」
「蜜柑を死ぬほど欲しいと思うてた倅じゃ、いまになって、蜜柑がないと聞いたら。その場で死ぬやもしれん。もし、そんなことになったら、おまはん、主人(シュウ)殺しの下手人にされて、磔にされるで」
 番頭は青くなって、大坂中を駆け回って蜜柑探しをする。天満の市までやって来た。たった一軒だけ『蜜柑問屋』の看板をかかげてる家があった。

 そこの主人に一部始終を話した。主人はすっかり同情して、蔵を開けて探してくれた。どの蜜柑も腐っていた。たった一個だけ、見事な蜜柑が残っていた。主人は「これを若旦那に食べさせてやれ」と云う。
「それはいけまへん。時季はずれの蜜柑でおます。高いのんは承知でおます。どうぞ、値段を云うておくんなはれ。こんなん、云うのはナンでっけど、手前ども、船場の大家でおます。金に糸目はつけまへん」
「値段のことはどうでもよろし。人の生き死にがかかってますのんや。早よ持って帰って、食べさせなはれ。……。え?なんです?船場の大家?けっこうですな。……、ふんふん、金に糸目はつけん?。……。そこまで云いなはるのやったら買うてもらいまひょ。この蜜柑、ひとつ、千両いただきます」
「せ千両!?。そんな無茶な、人の足下みて、千両なんて滅相な値ぇつけたりして、そんな無法な!」
 ここからの蜜柑問屋の主人の言い分がすばらしい。
「手前ども、天満で長年、商いをさせてもろてます。人様の足元につけこむような商いは、ただの一度もいたしたこと、ございまへん。
「毎年、腐るのんを承知で、こうして蜜柑を囲います。皆、腐らしてしもうたら、ああ、今年も暖簾に元入れしたな、そう思うてあきらめます
「ひとつでも残ったら、商人冥利、一文も損はようしまへん。
「千箱のうちの百箱、百箱のうちの十箱、そのうちの一箱、その中から一つでも残りましたら、千箱の値段をそれにつけます。商人冥利、蜜柑ひとつ千両。高いことはございまへんやろ」

 番頭は千両と聞いて即答はできず、「ああ、わたいもここまでやな。磔にされてしまうねんな」と戻って旦那に報告する。旦那は惜しげもなく千両の大金を投じる。
 若旦那。千両の蜜柑を美味しそうに食べ終わる。「ああ、美味しかった。ここに三袋だけ残したぁる。ひとつはお父はん。ひとつはお母はん。ひとつは、番頭どん、おまはんが食べとくれ」
 大旦那の部屋へ戻ろうとして、番頭が考えた。
「わたい、十三の時からご当家へ奉公して、来年は暖簾分けで別家させてもらうようになった。その時、旦那が出してくれる金は高々四十両、よう出してもろて五十両、間違うても六十両は出してもらえまい。この蜜柑、一袋で三百両。ええい、ままよっ」
 食べ残しの蜜柑三袋を懐に飛び出してしまいよった。……。


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