日向と白石の性格を入れ替えてみた

 誠凜バスケ部一同は困惑していた。

「日向君……それは……?」

 部員たちのすがるような視線を背中に受けながら、リコが遠慮がちに声を掛けた。彼女が指差す先は、彼の右手だ。そこには、まるでどっかの天才シューターみたいに白い包帯がぐるぐると巻かれている。異なるのは、テーピングテープと包帯という物理的な違いと、指だけでなく肘の下まで巻かれているという点である。
 誠凜バスケ部一同は、非常に困惑していた。

「そうか、日向は緑間の真似をしているのか!」

――今一番言っちゃいけないことを言っちゃったよ、この人!!

 こんな非常時にも鉄の心臓を発揮した木吉の発言に、他の部員たちは一斉に心の中でツッコミを入れた。

「でも間違ってるぞ。緑間はテーピングだし、巻いているのは指だけだ。それに、格好だけ緑間の真似をしても、シュートが入るようにはならな――」

 スパーンッ!!
 木吉が言い終わる前に鮮やかな音が響き、容赦なくリコのハリセンが炸裂した。

「鉄平、アンタはちょっと黙ってなさい!」
「痛てぇな……リコ……」

 涙目で頭をさする木吉は置いておいて、リコは恐る恐る訊いた。

「まさか……怪我をしたってことはないわよね……?」

 部員たちがゴクリと息を呑んだ。
 ウインターカップの予選を控えたこの時期に、日向に怪我をされては非常に困る。得点源である日向の3Pを欠くことは、誠凜にとって死活問題だ。リコは努めて平静を装いながら、内心では相当に焦っていた。
 一同が固唾を呑んで見守る中、日向はニヤリと口角を上げ、包帯を巻いた腕を持ち上げた。

「こいつはな……毒手や」
「……ドク……シュ……?」

――なんか中二病みたいなこと言い出した!
――なんで関西弁!?

 部員たちの反応は、おおむねその2つだった。
 唯一の例外は火神だった。

「ドクシュってなんだ、ですか?」

 部員たちが途方に暮れる中、帰国子女故の無知さと生まれ持った純粋さで、素直に疑問を口にした。

――火神、よくやった!!
――聞きたいような、聞きたくないような……でも聞きたい!
――聞かない方がいい気もするけど……

 チームメイトたちの心中を他所に、日向は目をすがめて火神を見ると、おもむろに包帯をほどき始めた。

「火神は死にたいのか?」

 ゴクリと唾を飲み込んで、火神が後退った。

――ああ……患ってらっしゃる……。

 約2名を除いた部員たちは、遠い目をして天井を仰いだ。
 もう一人の例外である木吉は、「スゲーな、日向」と感心した面持ちを日向に向けている。

「オレ、漫画で読んだことあるぞ! 焼けた砂と毒を交互に突き続けると手に毒が染みて、その手に触れると死に至っていうヤツだろ?」
「マ、マジかよっ、ですか!?」

 恐怖におののく火神に生暖かい目を向けながら、いよいよ誠凜バスケ部は現実から逃避を始めた。

――どうすんの……これ?

 互いに顔を見合わせて、力なく首を振る。
 事態を打開する手立てを見つけられないまま、無為に時間だけが過ぎていった。
 重苦しい空気を打ち破ったのは、突如として鳴り響いた携帯電話の着信音だった。

「……誰かしら?」

 音の出所はリコの携帯電話だった。着信画面を確認したリコは首を傾げた。ディスプレイには、未登録の見知らぬ番号が表示されていた。
 リコは訝りながら通話ボタンを押した。

「もしもし、どちら様?」
『あーやっと出たわ。誠凜のカントクさんか?』

 受話口から聞こえてきた耳慣れない関西弁に、リコは眉を寄せた。なぜだか悪寒のような嫌悪感が背筋に走った。
 だがこの声、どこかで聞き覚えがある。

『ワシや、桐皇の――』
「今吉――!?」

 リコが該当する人物に思い至ったのと、相手が名乗ったのはほぼ同時だった。あまりの驚愕に携帯電話を取り落としそうになり、相手が他校とはいえ一応は先輩だということを構う余裕はなかった。
 リコが口にした名前を聞いた部員たちも、ぎょっとした顔でリコを振り返った。

「なっ、なっ、なんでアンタが私の携帯の番号を知ってるのよ!?」
『ウチの優秀なマネージャーに、誠凜のカントクさんと連絡取りたいんやけど、って言うたらすぐに教えてくれたで』
「あんの小娘……」

 ピンク色の髪を揺らして小首を傾げる桃井の顔を想像して、リコは携帯を握る手に力を込めた。

「で、何の用なの?」
『ちょっとお宅に確認したいことがあってな。そちらさん、今ちーっとばかし困ったことが起きてへんか?』

 見透かすような今吉の口振りに、リコはギクリと身体を強ばらせた。もしやこの男、サトリだけでなく千里眼まで持ち合わせているのか。
 リコは顔を引き攣らせながら、監視カメラでも探すように忙しなく左右に視線を走らせた。

『いや、流石に監視カメラはないやろ』
「――ッ!?」

 楽しげな今吉の声に、リコは声にならない声を上げた。反射的に電源ボタンを押しそうになったところを、「切らんといてや」と制止される。

『実はな、ついさっきワシの従弟から連絡があってな。従弟の従兄弟から電話があったって言うんや』
「なんかややこしいわね……」
『スマンの……。ワシの母方の従弟が侑士っちゅーんやけど。氷帝学園って知っとるか?』
「ええ、知ってるわ。お金持ち学校って有名なところよね?」
『そや、その氷帝の中等部でテニスやっとってな。侑士の父方の従兄弟で大阪の中学でテニスをやっとる謙也君から電話があって、なんでも謙也君とこの部長さんが突然おかしくなったらしいんや』

 リコはハッと息を呑んだ。それは今まさに誠凜バスケ部が置かれている状況と同じだった。

『具体的には、今まで興味もなかった戦国武将のフィギュアを部室のロッカーに飾り始めて、練習中に悪態ついてキレ出したって言うんやけど……』
「それって……日向君みたい……」
『やっぱり、ワシの思った通りか。ちなみにその部長さん、白石君っていうんやけど、利手に包帯巻いとって、なんや妙な口癖が――』
「ええっ!?」

 今吉の説明をぶった切って声を上げたリコは、音がしそうな勢いで日向を振り返った。
 そこには、まさしく今吉が話した通りの姿があった。

『ちょっと勘弁してや……耳がキーンってなったわ』
「どうなってるのよ……」

 日向の顔を凝視したまま、リコは呆然と呟いた。一体何が起きているというのか。なんだか頭痛がしてきて、リコはこめかみを押えた。

『まぁ、そっちの状況はわかったわ』
「……なんだか訳知りみたいじゃない」

 今吉は最初からこちらの状況を確認することに終始していて、驚いたり慌てたりする様子は一切なく、あらかじめこちらの状況が分かっているようだった。

「まさか、あなたが仕組んだんじゃないでしょうね?」

 リコが疑いを口にすると、今吉は「ヒドッ!」と声を上げ、もったいぶった口調で驚くべきことを口にした。

『実はな、ワシらは初めてちゃうんや』
「初めてじゃないって……それどういうことっ!?」
『ちょっと前にウチの青峰が侑士んトコの部長さんの跡部君と入れ替わってもうてな』
「青峰君が……!? それで、青峰君はどうなったの!? どうやったら元に戻るのっ!?」
『そんな矢継ぎ早に言わんと落ち着きや。で、その時に分かったんは、どうやら記憶や身体が覚えた技術スキル はそのままで、性格だけが入れ替わるみたいなんや』
「性格だけ入れ替わる……?」

 リコが聞き返すと、今吉は「せや」と肯定した。
 そんなことがあり得るのだろうか。はなはだ信じがたい話だが、目の前の日向が紛れもない事実だった。

『理由や原因は分からん。青峰のときは、勝手に入れ替わったんやからその内に戻るやろって放っといたら、次の日には元に戻った。跡部君も同じや』
「放っておいて元に戻るのを待つ以外に方法は……?」
『今のところないな』
「もし元に戻んなかったらどうすんのよっ!?」
『そんなんワシに言われても知らんわ。その時は魔王様にでも相談せなしゃーないんとちゃう? まぁそういうことやし、頑張りや』

 無責任な言葉を残して、今吉との通話は切れた。

「つまり……今日1日はこのままってこと……?」

 リコの呟きと共に、絶望という名の黒い影が誠凜バスケ部の頭上に落ちてきた。

「日向!」

 ドリブルで中へ切り込んだ伊月から、スリーポイントラインの外でフリーになった日向へパスが通った。ディフェンスが戻るより早く跳び上がった日向は、手首を返してボールを放った。
 日向の手を離れたボールは、完璧な弧を描いてゴールへ向かっていく。
 ザシュッ――

「んんーっ絶頂エクスタシー !」

 ボールがネットを通過する音に重なって、日向の声が響いた。

「ははっ、日向。絶好調だな!」

 部員たちが何とも言えない目で日向を見詰める中、木吉だけはいつもと変らず、ニコニコと目尻を下げて日向とハイタッチを交わしている。

「木吉先輩には主将キャプテン がいつもと同じように見えているのでしょうか……?」

 伊月に話し掛けた黒子の声を聞きとがめて、木吉が振り返った。

「ん? 日向は日向だぞ。黒子には日向が違う人に見えるのか? それは大変だ! すぐに眼科に行った方がいいぞ」
「いえ、ボクは大丈夫です」
「いつもの日向だったら木吉とハイタッチなんてしないだろ……」

 伊月の呟きは木吉の耳には届いていなかった。

 その日の部活中、日向が3Pシュートを決めるたびに体育館に雄叫びが響いた。
 また、深刻なツッコミ不足で疲弊する誠凜バスケ部員の姿が見られたという。