滑稽な獲物

 人気のない路地裏。背後、左右を壁に囲まれて、唯一開かれた前方から迫り来る影。追い詰められ、恐怖に慄き、声にならない叫び声を上げる――というのが常であるはずなのだが……

「うっわー。これが噂のヴァンパイアかいな。えらい綺麗な顔してるんやなぁ。ヴァンパイアって生物(いきもん)はみんなそうなんかいな?」

 今回の獲物は少し……いや、かなり勝手が違うらしい。壁に背を預けて地面に座り込んでいた男は、丸眼鏡の奥から惚けた眼でアトベを見上げ、暢気な口調でそう宣った。大層な間抜け面だ。どうやら、選択を誤ったか。

「おまえ、俺様が怖くないのかよ?」
「いや〜あんまり綺麗やから見とれてしもーて」
「バカか、テメェ?」

 俺はこのバカの血を飲まなきゃいけないのか。言いようのない脱力感がアトベを襲った。できることなら、このまま何もなかったことにしてこの場を立ち去りたい。だが、姿を見られたからにはそういうわけにもいかない。仕方がない。気は進まないが、“食事”は取り止めにして、さっさと始末するか。軽い頭痛を遣り過ごして一歩近づくと、男はこの場に似つかわしくない全く緊張感に欠ける声で、またしても突拍子もないことを言い出した。

「なあ、ジブン名前は?」
「ああ? なんでそんなこと聞くんだよ?」
「美人さんとお近づきに♪」
「ヴァンパイアをナンパしてんじゃねぇよ。これから血を吸われようって時にいい度胸だな」
「どうせやったら、自分の血吸う奴の名前くらい知っておきたいやん?」

 これ以上不毛な会話を続ける気はない。自分は早くこの場を立ち去りたいのだ。教えたところで今から消すのだから問題はない、そう判断して、そんなことを知ってどうするのか、変わった奴だと思いながら、これ以上面倒なことになる前に希望通り己が名を告げてやる。

「…アトベだ」
「アトベか。そしたらアトベ、」
「何だよ?」
「俺をおまえの仲間にしてくれへん?」

 コイツは、口を開く度に何を言い出すのか。開いた口が塞がらないとは、正にこのことを言うのだろう。

「バケモノの仲間になりてぇのかよ?」
「アトベと一緒なら、それもええやん?」
「物好きな奴……」