ネクタイをはずして

 白い、白い肌。
 強い夏の日差しに晒されても焼けることのなかった、西洋の血が混じったそれ。
 夜の帳の中、月明かりの下で暴くと、幻の様に浮かび上がった。
 滑らかな肌を流れる珠の雫。
 しっとりと濡れたその上に手を這わせ――

ドクター、ドクター?
「ん……あぁ…眠っとったんか…」

 じっとりと汗が滲んでいたのは、自分の肌だった。
 目を開けると、助手席から大きな身体を乗り出すようにしてこちらを窺う黒人スタッフの顔があった。日本語で漏らした呟きに少し首を傾げるその顔と、肌に触れる湿気を含まない熱気で、ここが夢に見ていた日本ではないことを思い出す。

お疲れですか?

 心配そうに覗き込んでくる顔は、巨体の後輩を思い起こさせた。それに、「いや、大丈夫だ」と互いに共通の理解言語である英語で返し、硬い背もたれに身体を預ける。

あと、一時間ほどで現地に着きます

 運転手の声に頷いて、再び瞳を閉じた。
 ガタガタと左右に激しく揺れる車体。時折大きな石に乗り上げてバウンドする。そんな悪路を進むこと数時間。その間、ほとんど同じ体勢で座り続けていては、いい加減身体が凝り固まってくる。こんな状況で眠れるようになったとは、我ながら随分タフになったものだ。自分のことを情けないだの根性なしだの、散々言い続けたアイツが知ったら驚くかもしれない。想像すると、自然と口元に笑みが浮かんでいた。
 こんな場所、きっとアイツは駄目に違いない。生粋のお坊ちゃま育ちだ。清潔で整った環境でないことに、秀麗な眉を顰めるだろう。いや、意外に大丈夫だろうか。細身の外見に反して、底なしのスタミナでパワープレーをするような奴だったから。自分なんかよりも、よっぽど逞しかった。案外すんなりと適応してしまうかもしれない。
 大胆不敵で傲岸不遜に見えながら、誰よりも繊細な心を持ったアイツ――
 地球の裏側に居ても、考えることは変わらないらしい。
 進歩がねぇ、と嘲られるだろうか。今度は、そんな自分に苦笑する。
 この仕事に就いて、そろそろ2年になる。

『テメェは、外面は嫌味なくらいふてぶてしいくせに神経が細すぎんだよ』

 そんな風に毒づいたアイツ――跡部が今の自分を知れば、どんな顔をするだろうか。


 父親の会社のひとつを継ぐにあたり完全にテニスから離れた跡部の肌は、ますます白さを増した。
 きっちりと着込んだ仕立ての良いスーツの端から覗く白い肌――
 それを目にする度に、きつく結ばれたネクタイを毟り取って、陽の下で暴いてやりたい衝動に駆られた。
 学生時代は御座なりに結んだネクタイをぶら下げ、悪ぶった態度を気取っていた。だが、そんな風に着崩したスタイルでも下品に見えないのが跡部ならではだった。その隙間から白い鎖骨を惜しげもなく晒し、挑発してみせる。誘うように揺れるネクタイを掴み、強引に引き寄せたことは数知れず。窓を締め切り冷房の切れた部室で、幾度互いの汗で肌を濡らしたことだろうか。どちらのものともわからないほど混じりあった。切羽詰って余裕をなくした跡部の震える指が忙しなくネクタイを外そうともがくのに、どれほど欲情したことか。
 中等部と高等部の6年間ブレザーだったにも関わらず、いつまで経っても跡部は上手くネクタイを結ぶことができなかった。いや、ただその気がなかっただけなのかもしれない。情事の後、跡部のネクタイを結ぶのは忍足の役目だった。それは、解くこと以上に甘美な行為だった。
 忍足が締め上げれば、跡部の息を止めることも容易い。そんな命さえこの手に握った状況で、顎をツンと上げ無防備に身を委ねられる。それは、扇情的な様だった。
 けれど社会人になると、いつの間にか跡部は自分でネクタイを結ぶようになっていた。几帳面に綺麗な三角形に結ばれたそれを目にした時、自分の役目がなくなったような、もう必要ないのだと告げられたような、そんな喪失感を味わったと言えば、確実に跡部は笑うだろう。たかがネクタイ。けれど、そのネクタイ一本で二人は何かを失ったのだ。少なくとも、忍足にとってはそうだった。
 しっかりと首元まで締めたネクタイで涼しい顔を装っている跡部より、学生時代に制服のネクタイをだらしなく緩めていた跡部の方が、何倍も自由だった。
 日々我が物顔で跡部の首に絡まるネクタイを見る度に、それが毎日少しずつ跡部の細い首を絞めていくように思えて、無理矢理それを剥ぎ取った。そうすることで跡部を解き放てると思ったわけではない。何より、跡部自身がそれを望んでいたわけではないのだから。跡部は、自分が不自由だとは思ってもいないだろう。結局は、忍足の独り善がりに過ぎない。


 それにしても、あんな夢を見るとは。

「…欲求不満なんかな」
はっ?

 隣から律儀に問い返してくるスタッフに、苦笑しながら片手を振る。

「なんでもあらへん」

――景吾

 何万キロ離れても、俺の考えることは変わらんみたいや。
 お前を抱きたい――