遺失物

 月の出ている夜だった。
 開け放った窓のサッシに背を預け、真夜中の冴えた空気の中に身を置く。
 カチン、カチン。
 闇の中、鈍い光を放つ四角い物体。
 指先で蓋を弾くと、金属の甲高い音が響く。
 手の中にあるのは、シルバーのジッポ・ライター。施された装飾の溝が、酸化して黒く変色している。
 いつだったか、アイツから取り上げてそのままになっていたものだ。
 その一辺は、強い力が加わって凹んでいる。
 その傷をつけたのは、跡部だ。
 どんな理由だったかは忘れたが、頭にきて、手に掴んだそれを投げつけていた。
 跡部自身が当てないようにしたのか、アイツが避けたのか。家具に当たって部屋のどこかへ消えたそれは、持ち主が去った後で見つかった。
 最後にアイツへと投げつけたのは、言葉ではなく、このジッポ・ライターだった。
 持ち主は去り、これだけが残った。
 最後にアイツへ投げ掛けた言葉は何だっただろうか。
 覚えてもいないし、思い出せもしない。
 けれど。
 きっと、罵倒だ。
 居なくなったアイツの代わりに、傍らには、変形したジッポと、そして、あのころ幾度となくアイツから没収した同じ箱がある。


「跡部」

 学内禁煙を謳うキャンパスの外にわざわざ出て紫煙を燻らせていると、よく知った声に呼ばれた。

「よお、久し振りだな」

 学部こそ違え、幼稚舎から同じ学園に身を置く腐れ縁の宍戸だった。肩に掛けた鞄を揺らしながら駆け寄って来た宍戸は、跡部の傍らに立つと、眉を顰めた。

「おまえ…いつからんなもん吸い始めたんだよ」
「悪ぃかよ」

 法律的にもなんら問題はない。健康面を除けば、咎められる謂れはなかった。口から離していたフィルターを再び銜えると、宍戸は渋面を作った。

「らしくねぇ」

 宍戸の言葉に、銜えたタバコの隙間から、煙と共に自嘲の笑みが漏れる。
 あるいは、身体の内部までも、アイツの色に、真っ黒に染まりたかったのかもしれない。
 あのころは嫌悪しか感じなかったが、アイツと同じ香りの中に身を置いていると、アイツが傍らに居るような錯覚を齎した。
 まだアイツが同じ銘柄を吸っているかはわからない。この煙の行く先に、アイツと繋がるわけでもない。けれど、立ち上る煙の果てが同じ場所であればいい、と思う。

 おまえが俺の中に置いていった、遺失物。