古傷

 いつもの時刻に起床し服を着替えている途中、腕を袖に通したところで、肩から肘にかけて左の腕が痛んだ。
 古い傷跡。
 中学時代に痛めたそこは、今では完治している。

「雨か…」

 古傷の痛みで天候を知る。
 右の掌を当てて思い浮かぶのは、いつも穏やかな弧を描く眉を寄せた表情。

『痛むの?』

 労わるようにそっと触れて、両の掌で包み込んでくれた。
 雨で思い出すのは、やはり中等部3年の夏の部室での遣り取りだ。
 本当のお前は何処にあるのだと。
 そう言って迫った。
 あの時追い詰められていたのは、否、自身で自らを追い詰めていたのは己だ。
 酷く焦っていた。
 左腕に抱える爆弾、将来への不安、孤独。
 不二は、自分と同じなのだと思っていた。
 不二ならば、一緒に行けると思った。

『僕を外してくれ』

 そう言った不二は、その次には顔を上げて、

『肩が冷える』

と、俺を気遣った。

『俺よりもお前だろう』

 自身も全身、雨に濡れているというのに。むしろ雨の中、越前とのゲームを続けた不二の方が身体は冷え切っていただろうに。

『痛まない?』

 そう言って、躊躇いがちに伸びてきた白い指で左腕に触れた。
 雨の日にそこが疼くのは、その手を離した報いか。
 心ならずも一度はその手を手放すことになったその日も雨が降っていた。

『空が代わりに涙を流してくれている』

 頬を流れるのが涙ではないと言い張った。
 きっとこの痛みは、涙の代わりに降った雨が齎しているのだ。
 それは、罪悪感とも後悔ともいえる胸の痛みが左腕に起こったもの。
 自分を怨む心がこの痛みを与えているのだと。
 離れていても、この左腕に感じる痛みが、たとえ怨みや憎しみであっても、まだ自分があの心の中に住まえていると思えば嬉しかった。
 左腕を走る痛みを、戒めのように受け留めていた。


「おはよう。今朝は雨だよ」
「ああ、おはよう。そのようだな」
「痛むの?」

 部屋に入ってきた不二の視線が左腕のところで止まり、眉を寄せた。腕を押さえたままだったことに気づき、己の迂闊さを悔やんだ。緩く首を振って右手を離す。
 入れ替わりで伸びてきた指が肩から肘をなぞる。上目遣いに見上げてくる眉根を寄せた不安気な表情は、昔のままだ。
 揺れる茶色い瞳を見つめる。
 左腕を苛んでいた疼きが消えていく。

「いや…大丈夫だ」

 白い頬に触れ小さく微笑んだ。