クリスマス・ボックス
落ちた葉の代わりに飾り付けられた電飾の光が、まるで金色の葉のように。赤や緑の街を輝かせていたそれらも、イブを過ぎて今はただ静かに、その下を歩む手塚の足下を照らすだけ。
数時間前までの賑わいが幻のような、子供がサンタクロースの来訪を待つ夢の時間。天空から、はらりはらりと雪が舞い降りてきた。深々と、身体を侵食していく寒さ。朝には降り積もって、派手に飾り立てられた街を覆い隠し、ホワイトクリスマスだと人々を楽しませるのだろうか。その雪の一粒一粒が、夜な夜な人知れず舞い降りては消え舞い降りては消えして、少しずつ重なり積もっていることを、眠った街は知らない。
手塚は一人、足下に消えていく雪の粒を見送り、それらが生れ落ちてきた頭上を見上げた。闇の中から突然生まれたように現れ落ちてくるその先は暗く見えない。その内の一粒が、手塚の眼鏡のレンズに落ちて消えた。じわりと解けたその跡は、まるで一滴の涙のよう。
今日という日を共に過ごしたかった相手は、居ない。
日本に帰ってきたのは、ほぼ一年振りだった。海外を拠点にプロテニスプレイヤーとして活躍する手塚が前回帰国したのは、今年の初め。未だ健在の祖父に新年の挨拶をするために、忙しいスケジュールを遣り繰りしてなんとか数日の帰省を果たした。それからはどうしても都合がつかずに、生まれ育った国から遠く離れて一年を過ごした。
不二と最後に会ったのも、外国の地であった。手塚の誕生日に、不二が訪ねて来てくれた。クリスマスにはオフが取れそうだと言うと、嬉しそうに微笑んだ。
『手塚がクリスマスプレゼントだね』
クリスマスは日本で一緒に過ごそうと約束した。
その不二はもう居ない。
『来るのが遅くなってしまったな…』
不二の実家を訪れたのは、学生のころ以来だった。
二人がまだ青春学園に通っていたころ、たまに学校帰りに寄ることがあったのだが、12月になると庭や外壁、門などに不二の母親が手ずから飾り立てた可愛らしいクリスマスのディスプレイに迎えられた。外観のみならず室内にも装飾が施され、イブには母親と姉がケーキを焼いて弟も寮から帰宅して家族で祝うのだと、楽しそうに話していた。
裕太と姉の由美子が迎えてくれた今年の不二家は、クリスマスの面影など一切なかった。
手塚が今日まで来ることが出来なかったのは、都合がつかなかったという理由だけではなかった。それ以上に、この現実を受け入れたくなかったのだ。
『これは?』
久しぶりに足を踏み入れた主の居ない部屋は、家族によって手入れされているのだろう、窓辺に置かれたサボテンの鉢もそのままに、そこかしこに不二の気配を残していた。部屋の中央に立ってぐるりと室内を見渡すと、思い起こされる懐かしい記憶の中に見慣れぬものが机の上に置かれているのが目に留まった。
『兄が用意していたようです。先日家に届きました。兄貴、しばらくいろんな所を探し回っていたみたいで、すごく真剣になって選んでいて、本当に一生懸命だったんです。これが見つかったときは、やっと思っていたものが見つかったって、本当に嬉しそうでした』
公園のベンチに腰を下ろした手塚の頭上から雪は絶え間なく降り注ぎ、黒いコートを白く染める。人の絶えた地面もうっすらと白に覆わた。膝の上で組んだ手に視線を落としていた手塚は、直ぐ近くに人の気配を感じて顔を上げた。
「…こんな時間に何をしているんだ?」
そこには、真っ白なコートに身を包んだ5歳くらいの子供が立っていた。ふわふわしたファー付きのフードから覗く髪は薄茶色で、それが不二を想起させた。
「一人か? 親はどうした?」
できる限りきつい口調にならないよう気をつけながら問いかけると、トコトコと2、3歩の距離を近づいてきた子供は、手塚に向かって両手に持っていた四角い箱を差し出してきた。
「なんだ?」
子供が大事そうに小さな手で抱えている箱を目にした手塚は、はっとした。細かな細工が施されたアンティークのそれは、昼間訪れた不二の部屋で見たクリスマス・ボックスと同じものだった。
「お兄ちゃんに」
促されて箱を開けると、中には1枚のクリスマスカードが入っていた。
『Merry Christmas』
美しい筆記体は、紛れもなく不二の筆跡。
『クリスマス、楽しみにしていてね。すごくいいプレゼントが見つかったんだ』
最後に電話で話したときの、不二の弾むような声が蘇る。
「そうか…」
少年の背後に目を向ければ、最初に立っていた場所からこちらまで歩いてきた数歩分の足跡しかない。まるで、空から舞い降りてきたかのように。
「不二」
少年に向かって呼びかけると、少年は綻ぶように微笑んだ。
手塚は、立ち上がってコートのポケットから小箱を取り出し、その中のものをクリスマス・ボックスへ入れそっと蓋を閉じた。
少年は微笑みを浮かべたまま雪の中へ消えていった。
『手塚』
最後に届いた声を追って夜空を見上げる手塚の左手には、クリスマス・ボックスの中に納めたのと同じものが光っていた。