雨の体温ぬくもり

 低い空から降り注ぐ水音。
 耳に届くのは、地面に打ち付ける音と、ピチャピチャと跳ね返る音。それ以外のすべての音を遮断して、視界は白く霞がかる。
 連日の雨で、室内練習ばかりでは士気が下がるだろうと部活が休みになった放課後。迎えの車も呼ばずに、跡部は独り雨の中を歩いていた。
 学校を出てからどの位の時間、どれ位の距離を歩いたのかはわからない。跡部の色素の薄い髪は重く垂れ下がり、制服のシャツはぐっしょりと水分を含んでいた。
 傘も差さずに、跡部はどこともわからない場所で立ち尽くしていた。

 雨は嫌いじゃない。

 降り注ぐ冷たい雫が、心地よいとさえ思う。
 暗天を見上げ、顔に打ちつける水滴が長い睫を避けて瞳に入るのを、鈍い動作で目蓋を下ろして遣り過ごす。
 やがて身体の熱が奪われ、肌を流れる液体が温かいと錯覚するまで、じっと動かずに、ただそのまま――


 幼いころから、跡部はよく雨の日をこうして過ごしていた。
 同級生たちが、赤や黄色や青の色鮮やかなレインコートとお揃いの長靴を身につけて、ふらふらと傘に遊ばれながら地面にできた水溜りにはしゃぐのを視界の端に、跡部は青い瞳を目蓋の中に閉じ込めて、上を向いて雨に打たれるに身を任せていた。
 そうしていると、直ぐに慌てた使用人たちが飛んできて、柔らかいタオルに包まれて室内へと連れ戻されてしまう。
 雨に濡れた身体をいくつもの手に拭かれ乾かされているうちに、徐々に自らの体温を取り戻していく。されるがままに身を任せながら、視線は窓の外に向かっていた。硝子を伝う雨に景色が歪むのをぼんやりと眺めて、ひどく残念に思っていた。
 跡部は、雨の中に身を置くのが好きだった。そうしていると、ひどく安心する。まるで、温かい母の体温に抱かれているように。
 人間は産まれるまえ母親の胎内で羊水に包まれているから、水の中というのは安心するものらしい。忙しい母親の体温を覚えていない跡部は、無意識にそれを求めていたのかもしれない。


 ふいに顔面に落ちてくる粒が途切れた。重い帳を持ち上げると、やはり頭上は落下してきそうに重い空。ただ、見上げる視線の先数十センチのところで、この皮膚に当たるはずだった滴は透明な膜に阻まれ、この身に届くことなく弾かれていた。

「傘もささんと何やっとんねん」

 耳慣れた声と共に覗き込んでいたのは、見知った顔。

「こんなに濡れてしもうて」

 額に張りついた髪をそっと掻き揚げる、瞬間、触れた指先が冷たくて。

「風邪ひいてまうわ。はよ部屋に入ろ」

 視線を動かすと、今まで気がつかなかったが、そこは見慣れた景色で。跡部が立ち尽くしていたすぐ横は、忍足が一人住まいをしているマンションだった。
 無意識にこの場所へと足を運んでいたことに、跡部は驚きはしなかった。少し前の自分なら、その滑稽さに自嘲の笑みを漏らしたことだろう。だが、この時の跡部は、これが当然のこととして納得していた。自分が求めていたものはここにある。求め彷徨っていたものがここにあるなら、ここに辿り着くのは必然のことだ。

 ああ、そうか。似ているんだ。

「跡部…?」

 忍足の胸に身体を預けると、戸惑いながらも腕がそっと背中に回って、強い力でなく、抱き締めてくれる。
 伝わる体温が。
 雨に濡れて皮膚に纏わりつく衣だけが不快だったが、それすらも感じられないほどに。

 包み込んで――