雨音
ふと窓の外、雨音に気を削がれ、読んでいた本から顔を上げた。
朝からひっきりなしに続く強い雨。
この時期、コートに立てないことは歓迎できることではないが、元々、跡部は雨の日が嫌いではない。もちろん、テニスができないことをのぞいて、ではあるが。
たまには、日頃疲れた身体を休めて、こうして読書を楽しむのも悪くはない。丁度、ここのところ忙しくて、読みたい本も溜まっていた。
重みのあるハードカバーを器用に片手で支え、親指を栞代わりに開いたページを押さえたまま、空いた方の手をテーブルの上で芳しい香りを放つティーカップへと伸ばす。お気に入りの紅い液体を一口含むと、口内に香りが広がる。コクンと小さく音をたてて喉を落ちていくと同時に、それは鼻腔を通り抜けていった。
こんな風に、静かにゆったりと時を過ごすのも悪くはない。
何かと慌しい自分の身を振り返って、そう思う。
跡部の周りは騒がしい。跡部なしでは立ち行かないテニス部、騒々しいレギュラーの連中、煩く纏わりついてくる女たち。生徒会も教師までも、何かと跡部を頼りにする。目立ち過ぎる身は常に視線に晒され、跡部の周囲から人が絶えることはない。それは、幼いころから多くの他人に囲まれて過ごしてきた跡部にとってなんら変わらぬ日常で、慣れたものだった。
だがしかし、だからといって毎日そのような生活を続けていて平気なわけではない。身体が疲れもすれば、心も疲弊する。この身にも、時には休息が必要だ。予定外の休日であったが、跡部にとっては貴重な時間。こんな時は、一切の手を止めて、何もしないに限る。日頃の煩わしさから解放された一人きりの一時を楽しみながら、だが同時に物足りなさも感じていた。
そう、アルファベットで綴られた横文字の紙面から視線を上げたときから感じていた、空しさと少しの寂しさ。この空虚さは、どこからくるのか。
忙しい日々に身を置いているうちに、いつの間にか貧乏性にでもなってしまったのだろうか。どこか落ち着かないのだ。雨の音でさえ大きく聞こえる、この静か過ぎる空間が。自身の手で過ごしやすいように整えた自室だというのに、どうしたことだろうか。
常であれば、一旦本の世界に入り込んでしまえば、跡部が他に気を取られることはない。もちろん、読書をする環境は静かであるに越したことはないが、跡部の集中力をもってすれば、多少の雑音はものともしなかった。
例え、直ぐ隣で構えと騒がれようが、髪を弄られようが。
跡部はフッと笑みを漏らした。具体的に脳裏に浮かんだ光景に、表情を緩める。鏡の役目を果たす窓。そこに映り込んだ自身の姿。見れば、満足気に微笑む自分がいる。
いつの間にか、雨音が耳につく静かな自室よりも、アイツが側にいる騒々しい空間に居心地の良さを感じるようになっていたらしい。
そう思い至れば、目で追うものはストーリーではなく、単なる文字の羅列になる。
膝の上で開いたままになっていた分厚い洋書を閉じ、代わりにアイツへと繋がる小さな機械を手に取る。
このコールが繋がれば、耳に届く穏やかな低い声音に、雨音も遠くなることだろう。