太陽のボール

 鍵の壊された体育館は、真っ暗な空間が広がり、埃っぽさと異臭がした。用具倉庫やステージの幕の影などに、人が生活していた痕跡が残っている。いくつか目にしたくもない塊が転がってもいたが、既に見慣れてしまっていた。
 1コート分を片付けて、柄の折れたモップにそこいらに落ちていた棒を括り付けて床を拭いた。
 流川に張り合うようにしてモップをかける桜木の騒々しい声が響く。
 流川との再会からほどなくして、露天で野菜を売る桜木軍団に遭遇した。彼らは、原チャリを道路に乗り捨ててあった軽トラックに乗り換えて、農家で仕入れてきた食料品などを売っていた。
 最近はましになったとはいえ、食料を確保するのは容易なことではない。生鮮食品となると、一層入手が困難になる。桜木たちの存在は、人々から頼りにされているらしい。まったくタフな奴らだ。こんな世の中でも逞しく生き残るのは、彼らのような人種なのかもしれない。
 こんなご時世でも桜木の頭は真っ赤だった。トイレットペーパーなどの日用品を奪い合う群衆に破壊されたドラッグストア跡に行けば、ヘアカラーは容易に手に入るらしい。確かに、世界が終ろうというときに必要とされる物ではない。
 仕入れであちこちに出掛ける桜木は、多くの仲間たちの消息を掴んでいた。

『ミッチーもこっちに戻って来てんだよ!』

 なんとかもぎ取った推薦で東京の大学に進学した三井が、最近こちらに戻って来たという。
 久し振りに顔を合わせた二人は、バスケがしたいという話で盛り上がり、桜木の声掛けで試合が出来る人数が集まった。その中には、越野の姿もあった。

「おまえ、まだこっちにいたんだな。東京に戻ったと思ってた」

 越野も街を出ずにずっと留まっていたという。
 福田と魚住の姿もあった。
 魚住は、板前の修行を続けていた。親父さんと二人で、釣ってきた魚を捌いて出しているという。バスケの後は、魚住の店で集まることになっていた。
 どいつもこいつもしぶとい奴ばかりだ。全員で顔を見合わせ、声を上げて笑った。

「にしても、流川と仙道はスゲーな」

 ゲーム形式に入る前のウォーミングアップで、仙道のパスからダンクを決めた流川を見て、三井が感心したように言う。

「流川はともかく、オレはつい最近再開したばかりですから。流川について行くのが精一杯ですよ。まだ無理だってのに無理矢理1 on 1の相手をさせられて、体中が悲鳴を上げてますよ。アイツ容赦ねーし」
「流川は一人でずっとバスケ続けてたのかよ? 流川のバスケ馬鹿もここに極まれりだな」
「他にやることもねー」
「ちげーねーや」

 からかうように言った三井に流川が不貞腐れたように返し、宮城が笑う。

「馬鹿は死んでも治らないってな」

 揃いも揃ってバスケ馬鹿たちの笑い声が響いた。

 1試合を終えて、インターバルに入る。5年振りともなれば、流石に体がついて行かない。各々コートの端で壁に寄り掛かりながら座り込む。
 休憩の合図に一人不満げな表情を浮かべた流川だけは、コートに残ってシュート練習を続けていた。それを見て対抗意識を燃やした桜木がコートへ乗り込んで行き、桜木軍団が囃し立てる。

「彩ちゃんのお腹の中にさ、赤ん坊がいんだよ」

 仙道と並んで腰を下ろした宮城がポツリと呟いた。

「そりゃめでてーな」
「めでたい……かな」

 仙道は、宮城の横顔を見た。宮城の視線は、コートを向いている。

「きっとこんな世の中じゃなかったら、オレもスゲー喜んだと思うんだ。けどさ、彩ちゃんから子供ができたって聞いたとき、嬉しさよりも先に、どうしようって思ったんだ。そしたらさ、彩ちゃんに頭を叩かれた。なに馬鹿なこと考えてんだって。たとえ3年しか生きられなくても、その時間の中で、生まれてきてよかったって思えるくらい目一杯愛してあげるんだって」

 桜木をドリブルひとつで軽くかわした流川がゴールを決めた。桜木が足を踏み鳴らして悔しがる。

「花道たちがさ、方々で粉ミルクとか紙おむつとか子供のおもちゃまで掻き集めてくれてんだよ。それにさ、一緒に酒は飲めねーかもしんねーけど、その代わりに他の男にやらずに済むしな」
「娘なんだ?」
「いや、わかんねーけど。でも、彩ちゃんにそっくりの可愛い女の子に決まってる! だからさ、オレは最後まで彩ちゃんと娘を守って足掻いて、最期の瞬間に、誰にも取られずに娘を守りきったって快哉を叫んでやるんだ!」
「そりゃいいな」
「だろ?」

 試合中に次に何を仕掛けてやろうかと考えている時のような目をして宮城が笑う。夕陽に照らされたその横顔は、晴れ晴れとしていた。

「おい、センドー。いつまで休んでやがる」

 コートから流川が仙道を呼ぶ。

「ほら、ご指名だぜ」

 宮城に促されて仙道は立ち上がった。
 この落ち着きもいつまで続くのかわからない。終末が近づけば、きっと前以上に混乱するだろう。
 三井によれば、東京へのルートは通じているらしい。今のうちに一度、東京の実家に行って両親の顔を見て来よう。
 そして、もう一度ここへ帰って来よう。
 ボールとゴールと流川がいるここへ。
 流川の投げたボールがオレンジ色の太陽と重なった。