太陽と海

「……おい笠松」

 朝練を終え、ホームルームを待つ教室。始業時間が迫り、続々と登校してくる生徒たちで賑わい始めている。
 笠松の前の席を陣取り雑誌を広げていた森山が、おもむろに口を開いた。
 同じくバスケ雑誌を読んでいた笠松は、机の上に広げていた誌面から顔を上げた。
 笠松に呼び掛けておきながら、森山は手元の雑誌に視線を落としたままだ。ちなみに森山が熱心に読み耽っているのは女性誌で、女心の研究だかなんだかで森山が毎月定期購読している中の一冊だ。

「…なんだよ」

 どうせまたモテる男の条件とかなんとか、面倒なことを言い出すに違いない。面倒臭さとこの場に小堀がいない不幸とで些かうんざりしながら返事をすれば、森山は手にしていた雑誌を笠松の前に差し出した。
 開かれたページには、見慣れた金髪が見慣れぬ笑顔でシャララとポーズを決めている。
 なんだいつものモデル(笑)爆発しろってやつか。
 一瞥しただけで視線を外し溜息を吐きかけるが、森山は記事の一部を指差し、ぐいっと雑誌を押しつけてくる。
 ここを読めと言うことか。正直気乗りがしないが仕方なしに目を戻せば、森山が指し示していたのは、記事の本文とは別に四角く囲われたプロフィールが書かれた部分だった。

『黄瀬涼太。15歳。
 現役高校生。高校ではバスケ部に所属。
 身長189cm。6月18日生まれ。双子座。A型』

 アイツまだ15歳なんだよな。
 シャララと斜に構えて大人ぶって見せているが、たった3ヶ月前までは中坊だったのだ。笠松から見れば、虚勢を張った態度そのものがガキ丸出しで生意気なヒヨッこに過ぎないのだが、改めてその年齢を数字で見ると驚く。
 だが、書かれていたのは当たり障りのない一般的な紹介文だ。これが一体何だというのか。一つ瞬きをして顔を上げた笠松に、森山がスマートフォンを差し出した。プロフィールの文面とスマホの画面が並ぶ。
 訝しがりながら画面を覗き込んだ笠松は、はたと気付いて記事に目を戻した。ふたつを見比べ、森山を見る。
 森山が頷いた。

「…今日じゃねぇか……」
「どうりで今朝はギャラリーが多かったはずだ……いつもの2.5倍(当社比)はいた」
「確かに……てかおまえ朝練中にギャラリーの人数カウントしてんじゃねぇよ! 真面目に練習しやがれ」

 キセキの世代にして現役モデルの黄瀬が入部して以来、体育館を取り囲むギャラリーが海常バスケ部の名物になっている。女子が苦手な笠松は彼女たちに目を向ける余裕はない(小堀のアドバイスで練習中はカカシかジャガイモだと思うようにしている)が、試合中であっても女子のチェックを欠かさない森山が言うのだから間違いないだろう。つーか2.5倍(当社比)って何だよ。
 確かに今朝はいつもよりも周囲が騒々しくて、そわそわしていたような気がする。そういえば、練習後に黄瀬が女子に取り囲まれていた。
 さて、どうする?
 森山が伺うように笠松を見た。
 笠松がひとつ頷くと、森山は心得たとばかりに慣れた手付きでスマホを操作し始めた。

「ちょっ……森山センパイ、何なんスか……!?」
「いーから来いって!」
「ドコ行くんスか!? つーか学校抜け出してマズいんじゃないスか?」
「だからさっさとしろって言ってるんだよ。おまえは無駄に目立つんだから見つかったらヤバい」
「オレのせいっ!?」

 昼休み。黄瀬は、海常高校の裏門から続く坂道を訳も分からず下っていた。

『昼休みになったらダッシュで裏門まで来い』

 先輩の命令は、どんなに理不尽であっても絶対というのが体育会系の性。メール一本で呼び出され、授業が終わるや否や教室を飛び出し裏門に着くと、3年のスタメン3人が待ち構えていた。

「遅い」

 両膝に手をついて息を吐く黄瀬に笠松が宣った。腰に手を当てて黄瀬を見下ろし、眉間の皺を深くする。
 これでも黄瀬は自慢の長い脚をフル稼働させ、全力疾走でやって来たのだ。3年の教室が並ぶ校舎は裏門に最も近く、3階にある1年の教室は最も遠い。先輩よりも早く到着するには、3階の窓から飛び降りでもしないかぎり不可能だ。
 恨めしげに見上げる黄瀬を置いて、笠松はくるりと踵を返し歩き出した。その後に小堀が続く。
 森山に腕を掴まれ引き摺られるようにして歩きながら、一体何事かと問い掛けるが、先を歩く笠松は振り返らず、小堀も困ったように微笑むだけだ。
 ってかオレ拉致られてる?
 これではまるで連行されているようではないか。
 何かやらかしちまったっスか!?
 確かに入学してから数ヶ月間の黄瀬は思い上がっていて生意気だったし、今になって思い返してみると、頭を抱えて地面に埋まりたくなるような黒歴史なのだが、誠凜との練習試合以降は心を入れ替えて、練習も真面目に出ているし、先輩にも敬意を払っている……つもりである。
 相変わらず敬語がなってないだとかシャラシャラするなとか、シバかれることは多いが、ここ最近は特に大きな失態はしでかしていない……はずだ。
 もしかして今日のおは朝占い、双子座は最下位だったっスか!?
 朝から女の子たちに囲まれていい加減に辟易していたので、逃げ出す口実ができたのは良かったのだが、黄瀬は戦々恐々としながら先輩たちについていくしかなかった。

 100メートルほどの坂を下りきると、海に出た。
 海常高校は小高い場所に建っていて、正門前の緩やかな上り坂でも自転車で通学するには登り切るのに苦労する。その分、潮風を受けながら一気に下る帰り道は抜群の心地よさだ。
 裏門から続く坂道は正門前よりも急で、心臓破りの坂として運動部の格好のトレーニング場所になっている。幾多の運動部の猛者たちを沈めてきた坂だが、見下ろす景色は最高で、きつい思いをして登り切った後に振り返れば、眼下に青い海が広がる。足の先まで疲れ切った身体に爽快感が突き抜け、最高の気分になる。黄瀬が一番好きな景色だった。

「主将―!」

 浜辺に着いてからしばらくして、遠くの方から声が聞こえた。

「おい、そんなに走ったらグチャグチャになるだろうが!」

 大声を上げブンブン手を振りながら早川がこちらへ向かって走って来る。その後ろには中村の姿もあった。

「主将、買って来ましたよ、買って来ましたよー!」
「はいはい。よくやったな」

 ボールを咥えて戻って来た犬のように、笠松に頭を撫でられて早川が尻尾を振る。
 森山から買い出し係に任命された早川と(そのお目付役の)中村は、正門前の坂を下りた所にあるコンビニに寄っていたのだ。

「おっ、結構いろいろ買って来たんだな」
「とりあえず店にあったのを一通り買って来ました」

 コンビニの袋を受け取った森山が中を覗き込んで言う。中村の言葉通りに、1人分にカットされたロールケーキやモンブラン、カップのチーズケーキにショートケーキが2カット入ったパックなどがずらりと並ぶ。

「…これは何だ?」

 袋の底に残っていた物を小堀が取り出した。小分けにされた花火だった。

「あっ、それは早川が…」

 中村が言いかけたそばから、早川が次々と花火をケーキに突き刺していく。

ウソクがなかったか、かわに買ってきたっす」

 止められなくてすみません、とでも言うように中村が申し訳なさそうな顔をする。

「いや、中村もご苦労だったな」

 笠松が中村を労う脇で、小堀が止める間もなく早川が花火に火を点けた。パチパチと色とりどりの火花が散る。

「うおっ!? 危ねぇ!!」
「はははは! 派手でいいじゃないか。それじゃあ、お約束のいっとくか?」

 森山の音頭で先輩5人が歌い出す。
 早川は恥ずかしげもなく大声で、中村はその隣で耳を押え、小堀は優しい笑顔で、森山は笑い転げて目尻に涙を溜め、そして笠松は照れくさいのかぶっきらぼうに。
 笠松の指示を受け、意外にも率先して取り仕切ったのは森山だった。小堀に連絡し、早川と中村に指令を出し。全員が一も二もなく黄瀬のために動いた。
 人生初の敗北を喫した誠凜との練習試合の後、しばらく沈み込んでいたエースを案じていたのだ。
 平均身長を超えた男子高校生が、花火をぶっ刺したコンビニケーキを取り囲んで合唱なんて馬鹿騒ぎもいいところだが、目の前でグチャグチャになったモデルの顔が見られたから良しとしよう。

 梅雨の合間の青空が広がる。
 海は空の青を映し込み、太陽の光を反射して水面がキラキラと輝いている。
 海常の青だ。

「そろそろ戻るぞ」

 目を赤くしたまま海を眺めていた黄瀬の隣に笠松が立った。
 少し離れた所では、早川が制服のまま海に向かって走って行き、早川の暴挙を止めようと追い掛けて行った中村諸共に水浸しになっている。森山の笑い声が聞こえる。見守る小堀の眼差しを感じる。

「センパイ、オレ……」

 言いたいことが溢れて言葉に詰まる。
 笠松はふっと微笑み、乱暴に黄瀬の頭を撫でた。

「おまえは海常のエースだ。この派手な頭で太陽みたいにてっぺんだけを目指してろよ」

 何もかもわかっている。そんな瞳だった。
 青を凝縮したような瞳の中に黄瀬が映っている。

「オレたちは海だ。何があっても支えてやる」

 海に送り出されてまた海に帰ってくる太陽のように。

「誕生日おめでとう、黄瀬」

 海常ここが黄瀬の居場所だった。